第百八十七話:言葉では足りなくて(ファス⑤)
※※※ファス視点※※※
「よしっ。行こうファス」
頬を叩いたご主人様は、気合の入った眼で私を見た後、やっぱり少し照れたようにそっぽを向いたのでした。
私は、その手を掴み一緒に歩き始めました。
夜のアマウントは静かに、それでいて情熱的に彩られていきます。
錬金術なのでしょうか、街灯がともっており、歩くのには困りません。
「何か食べたいものとかある?」
「そうですね……昼が控えめだったので、しっかり食べたいです」
お腹が減っています。最近は食べても食べても、お腹が減ります。
まるで、これまで呪いのせいで食べれなかった分を取り返すようです。
「そうか、ハハハっ」
ご主人様は時々変な間で笑うのです。
あるいは私が変わっているのかもしれません。
しかし牢屋での夜や、闘技場での涙を知っているから、ご主人様の笑顔は愛おしいのです。
「なぜ、笑っているのですか?」
「僕もお腹が減っていたから、それと……やっぱ、ご飯はしっかり食べないとな」
「ええ、ご飯は大事です」
「そうだな」
しばしの沈黙、道の縁では詩人が詩を歌っています。
『触れられない、視えないモノ
想いは月夜を超えて
白銀の糸を伸ばす
例え、どこへ行こうとも
例え、離れようとも
竜を封じる鎖よりも強く
女神の祝福よりも尊い
悪魔の囁きは意味すら持たず
試練は真実のみを示す
言葉にすれば夜に溶け
手を伸ばせば逃げていく
運命はおぼろげ
さりとて、そこにあるもの
信じるに値するもの』
詩人の手に持った弦楽器が、柔らかく響いています。
二人で顔を見合わせて、歌をのんびりと聞きました。
歌い終わり礼をした吟遊詩人に拍手を送ります。
観光が盛んなこの街では、昼は道化師、夜は詩人が現れるのですね。
街の様子を観察しながらメインストリートまで戻ると、たくさんの飲食店が軒を連ねています。
ご主人様は、周囲を見渡し迷っているようです。
「さて、この辺が狙い目だと思うんだよな」
「よい香りがしますね。しかし、お店がたくさんあって迷います……」
「うーん。なるべく雰囲気の良い店がいいよな。街歩きの格好だし、あんまりちゃんとした店は難しいか……どうすればいいんだ」
「時間はありますので、ゆっくり探しましょう」
ご主人様はちょっと力が入っているようです。
結局私の【精霊眼】を使いながら、ほどよく話す余裕のありそうな雰囲気のお店に入りました。
外装は上品ですし、他の高級そうなお店よりシンプルで、雰囲気を二人とも気に入ったのです。
「そういえば、僕ってこういうお店初めてなんだけど、マナーとかってあるのかな?」
「それはありますが、大丈夫です。そこまで厳しそうではありませんし、一応私はアナスタシア姫から、一通りのマナーを教えてもらっています。任せてください、ご主人様に恥はかかせません」
「そんなことまで習っていたのか、わかった任せるよ。こっそり色々教えてくれ」
「かしこまりました」
これは、砂漠での特訓が役に立ちそうです。
頑張りますよ。
「いらっしゃいませ」
案内人が迎えてくれました。
ここは奴隷として、立ち振舞いましょう。
繋いでいた手を解きます。
アナスタシア姫の教えでは、こういった店のマナーは男性が席について尋ね、案内は女性が先に歩くのですが、奴隷である場合はその限りではないのです。
「席は空いていますか?」
私が尋ね、ご主人様の所有物であることを示す為に、やや体をご主人様の方に向け、一歩退きます。
案内人は少し驚いた顔をしました。あれ? アナスタシア姫の教えではこれが奴隷の作法のはずですが?
「お客様、大変申し訳ないのですが、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
案内人がご主人様に質問しました。ええと、こういうパターンは習っていません。
「はい、お金ですか。服装ですか? やっぱりこういうお店って予約がいりますよね?」
断られると思ったご主人様が肩を落とします。
「いえいえ、お連れの方についてです。この方は貴方様にとって大切な方とお見受けいたしますが……お間違えないでしょうか?」
「その通りです。僕の一番大切な人です、それが何か?」
ご、ご主人様。何をさらっといっているのですか!?
普段、変な所で照れるのにこういう時はなんで言い切れるのですか!?
うぅ、ちゃんと奴隷としてのマナーを守ろうとしたのに……。
「失礼いたしました。この老いぼれの眼が、曇っていないかを確認させていただきました。ささ、席までご案内しましょう。恋人達の夜は早く過ぎるものです」
案内された席は、広く他の席との間仕切りもありゆっくりとできそうでした。
先にテーブルに案内されてしまいます。これは奴隷の扱いではありませんが、案内人もご主人様もそれが普通という様子です。
「こういう店。ちょっと憧れてたんだよなぁ」
「……私も、まさかこういう店を訪れるとは思いませんでした。ご主人様は私の人生を変えてくださいました」
「……変えられたのは僕もだよ」
その言葉に返答しようとすると、店員が現れました。手にはリストを持っています。
ええと、確か食前にお酒を勧める人が来ると習いましたっけ。
「お客様、お食事前。グラスの蜜酒はいかかでしょう?」
「お願いします。ファスはどうする?」
「ええと、私は奴隷ですので……」
「今日は、そういうの無しで、多分だけどさっきの案内人さんもそうしてくれたよな?」
言われてしまいました。私なんかがご主人様の恋人役でよいのでしょうか?
しかし、うぅ、頬がにやけてしまいそうです。
「では、いただきます」
努めて、冷静に蜜酒を注文することにしましょう。
すぐにグラスに入った蜜酒が運ばれてきました。
慣れた手つきで店員が注いでいきます。
「こういう時って乾杯ってするのか?」
「グラスを合わせないで、目線の位置に掲げるらしいです」
ご主人様がぎこちなく、グラスを掲げ私も合わせます。
こういうのは照れ臭いようで、ご主人様は目線を逸らしていました。
とはいっても、始めの料理が運ばれるころにはすっかり二人とも緊張が解け、これまでの旅を振り返ります。
「――一緒に星を視てさ」
「……あの時は本当に心配したんですよ」
「やっぱり、連携技は増やしたいよな。名前とか考えて」
「私も、やりたいことが……」
「トアの料理が――」
「元の世界ではカナエとどんなことを――」
話題は尽きることなく、あっという間に料理を平らげ食後のお茶を飲みました。
アナスタシア姫から教わったマナーでは……。
なんか、もうマナーとか今日はどうでもいい気がしてきました。
「ご主人様、この後私が席を立ちます。そうすると、店員が会計をするために訪れるので支払いをしてください」
「えっ、そんなシステムなの? わかった、任せてくれ」
というわけで、席を立つと、席を案内してくれた案内人がご主人様の所へ向かっています。
二人が離れるのを見てから、席に戻りました。
「本当に会計が来てびっくりしたよ。難しいんだな、マナーって。でも確かに女性の前で明細とか確認するの気を遣う人もいるよな。よくできてる」
「ご主人様の世界とは違うのでしょうか?」
「どうなんだろ? わかんないな。学生だったし、外食なんて近所のうどん屋くらいだ」
「うどん? もっとご主人様の世界ことを知りたいです」
「いいぞ、今度叶さんも交えて色々話すよ」
「フフっ、楽しみです」
店を出ると、二人とも無言になりました。
しかし、気まずいということはなく、どこかソワソワとしたこそばゆい感覚なのです。
何も言わず歩き、恋人が夜を過ごす宿に着きました。チェックインして部屋に入ります。
えと、部屋にはすでにお湯が用意されているので、身体を拭きましょうか。
服を脱ごうとすると、ご主人様が肩に手を置いて制止しました。
「その前に、ちゃんと言いたいことがあるんだ」
「?……なんでしょうか?」
いつになく真剣な表情です。居住まいを正し、ご主人様に向き直ります。
なぜでしょう? 何を言われるのか先にわかってしまいます。
「せっかくのデートだからさ、伝えたいと思っていたんだけど。洒落た方法とか上手い言葉とか思つかなかった」
「はい」
「君が好きだ」
「私もです」
「だから……ゴメン。これからも君を傷つけるかもしれない」
ご主人様が深く頭を下げる。
言い訳もない、ただ謝るだけ。この人は不器用にもほどがある。
異世界だから、転移者だから、相手から迫って来たから。
免罪符はいくらでもあっただろうに、それでも私以外の女性も大事にしたことを謝っている。
そもそも、私達が望んだことであるのに。
「私が一番奴隷です」
だけど、今夜はその不器用さに甘えさせてもらいましょう。
ここは恋人たちの街なのだから。
「うん」
「フクちゃんがご主人様のお役に立っているのが羨ましかったです。トアの胸が大きいのが妬ましいです。叶としかわからない話題があるのが寂しいです」
「うん」
「許しません。しかし、私は情けにすがりたくはありません。ご主人様、顔を上げてください」
不安そうに顔を上げる少年は、本当に……ずるい人なのだ。
その胸元に耳元に唇を寄せる。
「ずっと前から心に決めていました。この世界でも貴方が元いた世界だろうと、私は貴方の傍にいます。愛しています。私が何であろうとも、ご主人さまが誰であろうとも、私達はきっと皆同じ気持ちです。だからこそ……絶対に譲りません。皆が全力で競って、協力して……私達は貴方を許しません。だから今日は……私だけを……んっ」
言葉なんて、足りません。
この想いの前では……それでも伝わって欲しいから、ただ唇を重ねるのでしょう。
「……ぷはっ、ファス……あの牢屋で僕は君に助けられたんだ。君が生きたいと言ってくれたから、僕も自分の気持ちに向き合う覚悟ができた。ありがとう、僕はもっと強くなる。勇者とか竜とかよくわかんないけど、絶対強くなるから、傍にいてくれ。ずっとこの気持ちを伝えたかった」
ご主人様は泣いていました。なぜか私も涙がでます。
色んな気持ちが溢れるのです。
「はい、私を離さないでください。もし、離れたら、怒りますからね」
本当は不安だったのです。私が何者なのか、エルフの国に行くと何かが変わるような気がして……きっとそれは間違いではないのかもしれません。
だから、この街でご主人様との絆を確かめたかった……。
ずるいのは私も同じなのです。
だけど、勇者も竜も魔王も、この夜には敵わないでしょう。
お婆さん、私は今一度誓います。他の誰にも負けない為に、私は、私達はもっと強くなります。
何があろうとも、ご主人様の傍にいる為に。
これでファスとのデートが終わりです。
次回、この街の秘密?
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