第百二話:【ステップ】VS【ふんばり】
差し出された拳に拳を当てる。
「やっぱり、僕はこっちのが性にあってます。手合わせ願えますか?」
「フフフ、男の子ね。もちろんよ、場所を変えましょ」
そう言って、ヒットさんは壁際まで歩き一枚のタイルを押した。
鈍い音が響き、壁が奥に移動する。隠し扉とかワクワクするな。
「うわぁ、こんなのあったのねー」
アナさんも知らなかったのかメイド服を揺らしながら一番に奥に入っていった。
「私の秘密の場所ヨン♪ この街は地下に空洞が多いからこういう部屋が作りやすいのよ」
(マスター、チノニオイガスルヨ)
フクちゃんの念話が流れる。血の匂いか……。
後ろのファス達と一緒に促されるままに進むと、扉は自動で締まり薄いオレンジの明かりが灯る。
螺旋状の階段があり地下に向かうようだ。
ほんの数回りするとすぐに部屋があり入る。
「うわぁ……」
「こりゃあすごいべ」
「なるほど、これは人には見せられません」
目に入ったのは、バーベルのようなウエイト器具に、鉄の柱、サンドバック、木人、砂鉄の入った壺、竹束、全てが原始的な鍛錬器具でどれも使い込まれ血が染み込んでいる。
「いやぁん、恥ずかしいわ。一応これでも現役A級冒険者だから気を使っているのよぉん」
本当に照れたようにヒットさんが頬に手を当てる。
「ギルマスはもともと、剣闘士あがりだからねぇ」
鍛錬器具が物珍しいのか見て回りながらアナさんがそんなことを言う、剣闘士という単語が気になっているのを察したのかギルマスが説明を引きついだ。
「この街では闘技場があって人間同士や魔物と戦わせる賭けが頻繁に行われるの、私はそこの出なのよ。優秀な剣闘士の奴隷はこの街ではステータスだから、わりと恵まれた環境で鍛錬している奴隷もいるのよ。もうわかってると思うけど私のクラスは【拳士】だから剣を持たず戦い続けたわ」
「闘技場の王者には時々恩赦が与えられるんだよねー。ギルマスはそこで闘技場を出て冒険者になったってわけ。【猛火の剣闘士】って言ったら今でも有名だもんねぇ。確か倒す相手がいなくなって、興行が成立しないからって恩赦って形で闘技場を追い出されたんだっけ?」
「懐かしいわねぇ。闘技場の王者、剣を持たぬ拳士。名声に酔って世界に出たものの、ラーバお姉さまに鼻っ柱を折られ、ラッチモっていう聖騎士に諭され……ダンジョンで生き死にの経験を何度も繰り返して……楽しかったわぁ」
ヒットさんは昔を懐かしみながら部屋を進み奥の扉を開けた。
そこには開けた場所があり、ちょっとした格技場となっていた。僕んちの道場より少し広いかな。
「さて、昔を懐かしむのもいいけど、今の時代の息吹を感じたいの。お願いできるかしら?」
「是非もなく。よろしくお願いします」
「普段は呪いを付与するセスタスを使ってるけど、やっぱり私達の戦いはこれよね」
そう言って、ヒットさんは靴を脱ぐと拳を握った。完全な素手の戦いを所望のようだ。
闘技場の王者とか言われてテンションが上がらないわけがない。
地面は綺麗な石畳、感触を確かめながら、開手の構えを取る。
ヒットさんは左足を前、半身になり左腕を腰の位置、右手を顎に当てる。
そしてトンッ、トンッと小気味よく。ステップをとった。
驚いたな、ステップをとるのか。ステップをとる武術、そして握るか握らないかの脱力した両手。
……多分アレだよな。予想が当たっているなら、これ以上なく相性が悪いぞ。
「この世界にそれがあるって知らなかったです」
「あらぁん、パンクボクスを知ってるの?」
その言葉に応える間もなく、ヒットさんの身体が蛇のように蛇行しながら寄ってくる。
うっは、超早いっ!!
「応っ!」
体を開きつつ距離を取るための横面打ち、上体を捻って躱され、次の瞬間。
パンッ、という音に続いて数発顔面に拳が入る。4発5発。
多分ジャブ、手数が早いがまだ見える。
首に力を入れて【ふんばり】、レベルに任せた耐久でゴリ押す。
掴もうとした手をかいくぐりまた距離を置かれる。
トンッ、トンッ、とリズムが打たれる。
「固いわね、岩でも殴ってる気分よ」
なんでもないように、そう喋るヒットさん。
やっぱり、ヒット&アウェイか。
今のやり取りで大体の感じが掴めた。
やっぱりヒットさんが使っているのは、僕の世界でのボクシングに近い。
間合い管理が絶妙だ。ヒットさんの攻撃は届き僕の掴みは空振る。
そんでもってこの世界では珍しい手数で稼ぐタイプだ。
そもそも対魔物や対魔術なんて概念があるこの世界では、一撃の重さが重視されがちだと思う。
そんな中でヒットさんが使うパンクボクスという格闘技は限りなく対人用に作られていた。
合気でどこまでできるのか、まぁ僕もこの世界に来て何もしなかったわけじゃない。
やることを頭でまとめて、脱力。一気に踏み込む。
バァン!!!
石畳が割れる。耳鳴りがする速度、限界の踏み込みから右送り突き。
左に躱され顎を狙うカウンター、に、合わせて左手刀逆袈裟、スウェーで逸らされる。
伸びきった上体に渾身に拳槌(拳の振り下ろし)。
ギースさんにならった剣の型、それを【ふんばり】で強化される体幹を使っての連撃。
確実に入るタイミングの打ち拳は鉄塊すら破壊しそうな威力を持っていた、しかし冗談のようにヒットさんの身体が跳ね上がり。躱される。
爪先の先だけで天井に着きそうなほどの跳躍。
今の動きはいくら何でも異常だ。タネがあるだろうが、ここで止まれるかよ。
着地狩りを狙っての下段から【威圧】のフェイントを入れながらの掌底。
宙にいるヒットさんは躱せない。
はずだった。
空中でトンッと一歩だけヒットさんがステップを踏む。
その一歩で僕の掌底は空を切り、代わりにヒットさんの右拳が振り下ろされた。
「【重打】」
スキル付きのその一撃は綺麗に頭に入り地面に叩きつけられる。
「ご主人様!!」
「旦那様っ!」
(マスター、ダイジョブ? カワル?)
「ちょ、ギルマスやりすぎッ」
ファス達の声が響く、いやいやフクちゃん、まだ代われないよ。
叩きつけられたボールの如く跳ね上がり抜き手。
再びステップで逃げられ距離を置かれる。
「驚いたわねぇ。岩どころか鉄みたいな頑丈さだわ」
「もっと痛い攻撃を受けてきてますから。それより、その動きパッシブスキルですか」
拳槌の回避に空中での動き、それしか考えられない。
「その通りよ。レアスキルなんだけどねぇ【ステップ】よ。読んで字のごとく飛び跳ねるスキルよん♪」
「僕の【ふんばり】とは対極なスキルですね」
体を固定する【ふんばり】とはまた違ったタイプの格闘に適したスキルだ。
さて、どうするかな、多分トップスピードも防御力も僕の方が高い、ゴリ押せば勝てるかもしれないが、そんなことヒットさんもわかっているはずだ。
「勉強させてもらいます」
ここは愚直に突っ込むのみ。
砂河で鍛えた、流れるようなすり足からの手刀回しの型。
「じゃあここから本気でいくわね【連空打】」
パパパパパッン
「ブフゥ! 痛って……」
複数のジャブが空を打って飛んできた。
マジか【空刃】の拳技だと!? 【拳士】にそんな技あったのか!
【重打】も恐らく【重撃】の拳バージョンだし、威力こそはないものの、かなり厄介というか僕もそのスキル欲しいんですけど!!
一瞬怯んだ僕の横にヒットさんが【ステップ】で回り込む。
「【幻影拳】」
【威圧】によるフェイントも加えられた、残像を持つ右ストレートが顔面に入り、左フックがボディーよりさらに下、股間に入る。
「【重打】」
「グッ!」
吐き気にも似たせりあがる鈍痛に溜まらず膝を折る。
そりゃそうだ、これはスポーツじゃない。金的なんて基本中の基本だろうがっ!!
立ち上がれない僕にヒットさんが拳を引く、ボクシングではない大振りの構え。
「これは痛いわよ【炎衝拳】」
横っ面に入ったのは衝撃をともなう炎の拳、そのまま吹っ飛ばされる。
炎は体から離れず、たまらず悲鳴を上げながら周囲を転げまわる。
「ご主人様!【魔水……」
「アアアァッ、ファス、やめろっ、ハァ、ハァ」
服を脱ぎ、炎を払い落とす。まだTKOには早いぞ。
初めて炎なんて受けたが、この身体は熱や炎に対する耐性もあるらしい、ちょっと火傷したくらいですんでいた。
「本当に呆れたわ、高級ポーションを使う前提で打ったんだけどね。なるほど変わった転移者ってオババが言っていたけど、想定以上ね」
ヒットさんの表情が驚愕に歪む。まぁ正直やせ我慢の部分は大いにあるけど。
ただ、まだ戦えるのも本当のことだ。
そこからさらに数合打ち合った、多分僕の方が速いし力もある。掴みさえすれば勝てるだろう。
それができない、踏み出せば距離を置かれ、距離をとれば詰められる。
緩急自在の【ステップ】に一方的に蹂躙される。
高々数十センチ相手が浮いたり沈むだけでこれほどまでに対応できないのか。
……僕のわずかな身体の動きやクセを読まれているんだと思う。
アホみたいな技巧の違い、正直感動すら覚える。
こんなに対人戦に長けた人と本気で戦える機会はそうはない。
申し訳ないけど、こっちがぶっ倒れるまで続けてもらおうか。
攻撃的な剣の型では変幻自在の【ステップ】に対応しきれない。
ここは基本にもどる。合気は基本中段の型で始まるが、実はもう一種類代表的な構えがある。
足を肩幅より少し狭く平行に置き、手は開いた状態で下げる。
目線は相手の背後を見るように、糸で吊られるように真っすぐ立つ。
呼吸は鼻から吸い口からゆっくり出す。
『自然体』と呼ばれるこの型は多人数掛けの際にとることがある構えだ。
無防備な構えを見て怪訝な顔をするヒットさんが踏み込んでくる。
真っすぐのようにみえて踏み込んだ後に変化を付ける【ステップ】のスキル。
一拍を置いて、ヒットさんが踏み込むフェイントから下がり【連空打】
右にずれながら前捌きで半分落とし、もう半分を喰らう。
崩れた体勢に踏み込まれる。
「いくわよ【虎殺し】」
両の手が閉じられる虎の顎のように交差する。
「フゥウウウウウ」
息を吐きながら【呼吸法】でタイミングを合わせ入り身突き。
スキルのタイミングを合わせられ、入る。顎をカチあげ地面に落とそうとするが、【ステップ】で体を捻られる。その際にジャブが飛びまた体勢を崩される。
息をゆっくり吐く。これはファスの呪いを引き受ける過程で学んだ、痛みを和らげる呼吸。
これを全力ですることで痛みをごまかす。
そもそも『自然体』の構えでできることなんてそうはない、ギリギリまで相手の攻撃を引き付けて合気の術に引き込むこの構えは、つまりは相手の攻撃を受けるわけで、ヒットさんの攻撃を捌ききれない現状では攻撃が入るだけだ。
これでいい。
合気の型とはプロレスに近いとよく言われる。僕もそう思う。
そこにあるのは「受けの美学」だ、相手の技を綺麗に受けることで見栄えをよくする。
技を理解して成立させたうえで怪我をせずに受け身を取り続ける。
そして技の理解を深める。これは殺し合いじゃない、ならば学ばせてもらう。
10分、20分、蓄積されるダメージ、上がる息。でも一つだけ掴んだ。
ヒットさんが距離を詰めてくる。流石A級冒険者、30分以上拳を振るい続けてもそのスタミナにいささかの陰りもない。
その【ステップ】に合わせて、小刻みに【ふんばり】の強弱をつけてタイミングを合わせる。
「【幻影拳】」
「せりゃああ!!」
わずかに相手の拳が早い、さらに連撃が入り、肝臓、水月、こめかみと急所に拳が撃ち込まれる。
こちらの反撃を感じ【ステップ】で相手が離れる、それに合わせる【ふんばり】での踏み込み。
「やるわねっ【篠突き】」
腕が生えたかと思うような、拳による弾幕。が、体重の移動を読めば偏りがわかる。
「ここだっ!」
【ステップ】の体重移動を【ふんばり】で再現した、カウンター。
拳の弾幕を差し込み、ヒットさんの胸元に拳が吸い込まれ、途中で止まる。
ほんの数センチ【ステップ】と【威圧】による距離感の錯覚。
そして目の前には寸止めされた拳。
……僕の負けだ。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、私からの贈り物、大事にしてね♪」
やっぱり、わざと技を見せてくれていたようだ。チクショウ、悔しいな。
でも【ステップ】での緩急の付け方、【拳士】としての戦い方、本当に勉強になったな。
さて、めっちゃ心配しているファス達になんて声をかけようか。そう思いながら僕はファス達に手を振った。
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「やぁやぁ、ギルマス。お疲れさまー。どうだったヨシイはー」
半泣きのファスからはポーションを、フクからは【回復泡】をかけられている吉井を見ながらアナスタシアがヒットに話しかける。
「想像以上ね。多分なりふり構わない殺し合いなら、負けるのは私だったでしょうね。というかあの子もう回復してない? どうやったら倒せるってのよ……」
A級冒険者でもあるヒットの言葉に、アナスタシアは顎に手を当てて薄く笑みを浮かべる。
「さっすが『竜の後継』ってわけだ。やっぱ掘り出し物だねー」
「アナちゃん。悪い顔してるわよ」
ヒットの髪と衣服を整えながらの指摘にメイド服のお姫様はより笑みを深め、ヨシイの元へ駆け出した。
『すごかったねー、ちょっと感動しちゃったよ』
そんな言葉が聞こえる。ヒットは溜め息を吐きながらも衣服を整え終え、この街を変えるだろう一行の元へ歩み寄って行った。
というわけで、VSヒット戦でした。吉井君はこの戦いでは【呪拳】と【手刀】は封印しているようです。
素手での戦いには無粋と思ったのでしょう。
ギルマスは本来は状態異常を付与するできる拳鍔のような武器を使うタイプの戦いかたなので耐久力化け物の吉井君とは相性悪いかもしれません。
次回予告:歓楽街でギャンブルです。
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