4 麗はまるで峰不二子、もしくはドラえもん
上海から北京までは、列車で行くのがベストだ。車で行くにはあまりにも遠く、半日車を運転するのハードすぎる。
麗の車は上海駅の駐車場に入った。
「車で行くのは危険だわ。」と麗は言った。「道が険しいし、張に捕まったら何をされるかわからない。民家のないところなら戦車で砲撃だってしかねない。」
「戦車か、すげえじゃん!」
「まだ追ってはこないと思うけど、急ぎましょう。」
「麗殿、北京にはいつごろ着くのでごじゃるか?」と朱里が訊いた。
三人は上海駅の入り口を急ぎ足で通る。辺りを見回すが、異常はなさそうだ。
麗は、列車の時刻表を見上げている。
「十一時の最終列車に乗れば、明日の八時半に北京に着きます。」
列車は最新型で、座席は快適だった。麗はなかなかの金持ちらしく、スイートルームを借りた。
「ミヤビ様、今ベッドを調えますから、もうお休みになるでおじゃる。」
朱里は空中を飛び交いながら、ミヤビに歯ブラシを渡したり、ティッシュを運んだりした。
「朱里、ちっと、ウザいぞ。俺はもう高校生だ。世話はいいから、飛びまわらないでくれ。」
「ああ、そうでござりますか。小さいころは、朱里〜、朱里〜って、そりゃあもう、わしの背中に乗って遊んでおじゃったのに・・・ううう。」
「もう、月は出てねえなあ。」
ミヤビは、朱里を無視してつぶやいた。
「ミヤビさんは、月がお好きなんですね。」
麗は、テーブルに紅茶を置いた。
「なんだかな〜。ほっとするし、なんかこう、力もわいてくるんだ。」
「素敵・・・。」
「えっ?」
「今のミヤビさんの笑顔、素敵でした。」
「なんだよ、急に。」
ミヤビはすぐに笑顔を消して、頬をふくらませた。
「選ばれた人だって、わかります。すごいオーラを、今、改めて感じます。こうして、少しでも手助けできるわたしは、幸せです。」
「麗さんは、何歳だ? 何してる人?」
「今、十九。北京大学の学生よ。今、会社が忙しくて休んでいるけど。」
「会社?」
「そう。社長をしてるの。」
「すげえ! 何言ってんだよ、そっちのほうがオーラばりばりじゃん。」
列車が動き出した。無事出発したことに、三人は胸をなで下ろした。
「この先、停車駅が・・・七つありますね。追っ手が来るとすれば、そのときでしょう。次の駅までは二時間。ミヤビさん、少し休んでください。」
「麗さん、じいさんが発見した、偉大な物って、なんだ?」
「さあ・・・。そこまでは、教えてくれません。それは当たり前ですから、わたしも訊きません。」
「考えてみたら、なんで俺なんだろ。選ばれてた人って、何でだ?」
「『推背図』って、ご存知ですか?」
「知ってるぜ。中国の予言書だろ。」
「それを書いた『李淳風』は、わたくしたちの御先祖です。もう一人の天文学者、『袁天網』との共著でしたが。」
「それに、俺のことが予言されてるのか?」
「『推背図』にではなく、別冊に、です。『推背図』は、あくまで中国の予言書ですから、世界については言及してません。図や、詩歌から予言を紐解く仕組みですから、予言は簡単には知ることはできませんが、おそらく、想像を超える予言が隠されているのでしょう。李淳風は、『世界が終わり、世界が始まる』とメモを残しています。」
「俺、世界のことなんか、知らねえぞ。俺のやりたいのは、剣道日本一。高校総体で団体優勝だぜ。おっ、そういえば、彩花と珠梨・・・。今頃思い出したよ。」
ケータイを探したが、あるはずもない。張に捕らわれたとき、持ち物はホテルに何一つなかった。
「心配してるだろうな、みんな・・・。」
ミヤビの声が、一瞬、女らしい声になった。
「ミヤビさん。あなたがなぜ選ばれた人なのか、わたしに答えることはできないわ。でも、あなたのキャラとか、こちらの、朱里さんの存在とか、あなたの美貌、頭脳、身体能力は並外れています。」
朱里は、ソファですやすやと寝息をたてている。
「だよな。」ミヤビは、朱里に毛布を掛けた。「俺、由緒ある美都家に生まれたけど、親は早く死んでしまった。身の回りの世話は、朱里や、その他の者がしてくれたが、自分が普通じゃないことぐらい、気づいていた。」
「ミヤビさん・・・。『推背図』には、日本が消滅すると、予言されています。」
「それ、知ってるぜ。俺、歴史は好きだから。」
「おじいちゃんから少し聞いたのですが、今や飛ぶ鳥を落とす中国です。政府は、日本への侵略を、本格的に実行するようです。」
「日本・・・侵略?」
「祖父の発見は、そのことと関係があるようです。さあ、ミヤビさん、少しおやすみなさい。眠れそうにないことを言って、申し訳ないですけれど・・・。」
ミヤビは、急に眠気を感じ、ベッドに横になった。麗は、ミヤビに毛布を掛け、部屋の外に出た。車輪の音に紛れて、不審な足音が、麗には聞こえたいた。
「まだ列車は停車していないのに、どこから来たのかしら・・・。」
麗は部屋の扉にもたれ、腕組みをした。車両の扉が開き、車掌が入ってきた。麗に近づいてくる。
「お客様、眠れないようでしたら、あちらにバーがございます。どうぞ、ご利用ください。」
車掌は、笑顔で言った。
「そうね、そうしようかしら。」
麗が車掌に背を向けると、車掌の顔は悪人顔に変わり、背後から麗に襲いかかった。麗は、かがむと反転し、足払いで車掌を倒した。起き上がろうとする車掌の胸を、足で押さえつける。
「どうしてくれるの? よけい眠れなくなったじゃない。」
天井から黒い影が現れ、麗の頭部に飛びついた。麗は辛うじて避け、飛び上がると空中蹴りで仕留めた。車両の扉が開き、覆面をつけた賊が十数人現れた。
「まるで忍者ね。これで全部? あとからまた出てくるのはやめてね。お願いだから。」 賊が一斉に飛びかかる。麗は、天井に飛び上がり、上から賊を数えた。
「十三人か。みなさんのなかで、わたしの味方になってもいいっていう人、いないかしら? お給料も、今の倍出すわ。」
賊たちは、天井にぶら下がった麗を見上げ、美しい脚線美に戸惑っていた。
「あら、もしかすると、パンティー、見えてます? もう、みなさんも、好きねえ・・・。」
麗は突然落下した。約五名が、その下敷きになった。賊のボスが号令を掛けると、再び攻撃が始まった。
「なんだ、少林寺じゃない。少林寺の使い手が、忍者の恰好なんかして、いいのかしら?」 麗は、殴ることをせず、間接を外したり、目つぶしをしたり、なるべく音をたてないように、賊を倒した。
「みなさん、命は取りません。」
賊たちはうめきながら、やおら立ち上がった。
「ここからお帰りください。はい、整列!」
麗は、列車の窓を開けた。賊は、次々と飛び降りていく。
「ちょっと待って。あなた、ボスね。」
麗は、眼光鋭い忍者を呼び止めた。
「あなたのボスに伝えて。北京で勝負しましょう、って。」
忍者は、突き刺すような視線を麗に投げつけ、車外に消えた。
列車はスピードを緩め、アナウンスは北京到着を告げている。列車の横揺れが激しくなり、ミヤビは目を覚ました。
まばゆい光が部屋に入った。麗がカーテンを開けた。
「おはよ。」とミヤビが言うと、麗は「ニーハオ」と言った。
「よく眠れましたか?」
「うん。」とミヤビは背伸びをした。
車窓から北京の街が見えてきた。
「朱里、起きろよ。」
朱里は寝言を言って、起きる気配がない。
「まったく、かわいい顔して。どう見ても、二百歳のババアには見えないよな。」
「ミヤビ様、ババアはやめてくださいでおじゃる。」朱里はむっくりと起きた。
「北京に着いたぞ。そういえば麗さん、昨日、追っ手は来なかったな。」
「はい。恐ろしいほど、静かな夜でしたわ。」
「麗殿、スカートの裾、ほつれているでおじゃる。わたくしが、縫って差し上げましょう。」
「ありがとう、朱里さん。でも、時間がありませんわ。あと三十分で北京に着きますが、わたしたちは一足先に列車を降りましょう。」
「なんとな?」
朱里は空中に浮いて、瞑想を始めた。
「オッケイ! 言われたとおりにするよ。」
「ミヤビさん、ありがとう。列車の屋根に登ってください。」
「屋根? 飛び降りるんじゃないのか。」
「列車は速度を緩めています。今がチャンスです。」
朱里が突然つぶやいた。
「あっと、見えるでおじゃる。北京駅に、怪しい人影・・・。いや集団。かなりの数でおじゃる。」
「行こうぜ!」
三人は窓から屋上によじ上った。屋根に張り付き、北京の街を見る。風圧で朱里が飛ばされそうになるが、ミヤビが辛うじて腕をつかむ。
「しばらく、このまま、待って、ください。」
麗の声が途切れ途切れに聞こえた。ミヤビには、麗がなにをする気かまったくわからなかった。間もなく、列車の走行音が大きくなったかと思うと、三人を大きな影が覆った。見上げると、小型飛行機のおなかが見えた。そして、そのおなかは、次第に近づいてくる。
「ミヤビさん! 飛びついて!」
ミヤビは、朱里に命綱を付けて、飛行機の下に伸びた金属をつかんだ。麗が飛びつこうとすすると、小型飛行機はバランスをくずし、急上昇し始めた。
「ウオー!」
強力な重力に、ミヤビは思わず大声を上げた。小型飛行機は体勢を立て直し、再び麗に近づいた。ミヤビは朱里を飛行機に乗せ、麗に手を伸ばす。
「今だ! つかめ!」
ふたりの手が結ばれた。そして、見つめ合った。
小型飛行機は高度を上げ、西に向かって飛んでいた。
「ミヤビ様、この飛行機、操縦士がいないでおじゃる!」
ミヤビは麗を引き上げたばかりで、呼吸を整えていた。麗を見ると、疲れた顔をしている。
「ありがとう、麗さん。大丈夫かい?」
「大丈夫・・・。小型飛行機、操縦したことがないから、冷や汗かきました。これ、リモコンなんです。」
「リモコン?」と朱里。
「会社の者に電話して、飛ばさせました。自動操縦もついてますから。」
「北京には行かないのでおじゃるか?」
「北京に行けば、おそらく、殺されるでしょう。手段を選ばずに。」
「マジか!」
「祖父も、北京にはいません。これは、予測していたことなんです。そして、計画通り進んでいます。」
砂漠が見えてきた。馬、羊が見える。
「そろそろ、着陸しましょう。」と麗は言った。
三人は落下傘を付け、降下した。小型飛行機は、少し離れたところに不時着、爆音をたてて炎上した。
「麗さん。説明はいいぜ。」とミヤビは言った。「で、これからの計画は?」
「あれです。」
麗が指さしたのは、馬だった。
誰に準備をさせたのか二頭の馬が低木に繋がれ、おまけにパンと牛乳が置いてある。
「すごいぜ、麗さん。ドラえもんみたいだ。」
「言うのは二度目ですが・・・四年前から準備してきました。わたしが、十五のときから。順当に物事が運んでくれないと困るわ。だって、世界の運命がかかってますから。」