第二十四話 青天白日の晩餐会
流石に店内の付き添いはとにかく目立つ。
それだけ分かっただけでも、なんとなく自身の成長を感じさせるものがある。
百合の彼女達と出会ってたったの四日。
その日に感じたものは常識では考えられないほどの不思議な体験だ。まるで何ら目的地のない童話のように。
もし仮として現代にアリスやドロシーがいるならば、経験してきた物語よりも過酷なものだろう。何せ何も導くものがないノーヒントに彼女達は困難に苦しむ。
マッドハッターやチェシャ猫、時計を持った白ウサギはこの世界に居ない。
強いライオンや優しいカカシ、勇敢なブリキの木こりはこの世界に居ない。
だけどその境遇は自身を変えるものにある。
数多の困難を越えるとその世界になにがあるのか、小さな目的があれば目の前にある試練も越えられる。だから彼女達は元の世界に戻れたのだから。
今日という日に、少年は何を知るのか、分からない。
しかし一つだけ知っているものがある。
この境遇を例えるとするならば、これしか浮かばないだろう。
逃れられることのない修羅の道だ。
◆
漆黒色の世界で歩いてる分にはまだいい。死んだ魚のような目をしてあーそうですか、リア充ですかと敵意を睨み付けるのはまだ優しい。
だがこの境遇を良しとしない少年、立花鳴海は憮然としている。
何せ付き添うように腕を絡める猫耳パーカーの少女、藤咲真弓は否定したくなるほどの嬉しそうな顔をして一緒に歩いているからだった。
彼女いわくモテるから誰かに付き添うようにしないとしつこく声を掛けられる事から、致し方なくこのような結果になったワケだが、なんか納得がいかない。
「そんなにくっ付いているとこっちが歩きにくいんだけど……」
素っ気なさそうな態度で言葉を告げてくる。
「あら、ごめんなさいね。カップルのように見せないといけないのだから、離れないように一緒に歩くと思っていたわ」
「いや、中のいい兄妹だと思いますよ?」
カップル設定よりも、父親と喧嘩して家を出てしまった妹を制服姿で探した兄が必死に説得しては無事に解決した方がいいと良い提案だと。
俺の妹(百合であるが実は妹では無い)がこんなに可愛いわけが無い的な。
擬似カップルと言ってもやりすぎなのだ。特に意識しない人がシチュエーションされても嬉しいと感じないのである。彼女は百合であるし。
それを認めようとしない真弓は実に不愉快そうな表情をした。
「……私はそういう風に見られてしまう部分って何?」
「そんなの知らないよ……」
そっと自身の胸に手を当ててみる。それは違うと思うし何故唸る。
「まあ、そんなに身長の差がないからじゃないか?」
それほど真弓との身長の差は無いのは一目瞭然。香織とも微かに高いだけで。そもそもカップルというのは身長の差で見られるからの問題ではない。
きっと独特な雰囲気がそうさせるのかもしれない。
戯れているところを見られてもカップルには見えず親しい友達か兄妹に見えてしまうのだろう。まさか節穴がこの場面で役に立つとは。
「でも、なぜ兄妹だと思うの?」
「多分だけど雰囲気でバレていると思うぞ。周りを見てみたら?」
真弓は疑う意志を貫きながら鳴海が示す方向へ熱中するように振り向いた。
すると見据える光景の先にいたのは、一組のカップルがいた。公共の場でもあるのにこのラブラブ度には鳴海も含めて見るものを幻滅させている。
対してこちらに向ける視線は、どこか暖かい目で見てくる微笑ましさがあった。
そこには争いはないかのような、優しい世界が。
「どうしてカップルには、見えていないのかしら……」
「驚愕してるところ悪いけど、そろそろ着くんですが」
なんとなくリア充というのは目障りなほどイチャイチャしているのだ。とても寒いプロムナードに苛立つ人は限りなく少なくはない。
あくまでも推測として、鳴海本人が全く楽しんでいない事。腕を絡めて柔らかい部分に触れても嬉しくない事。そしてうんざりしている事。
要は片方が、苦労しただけの功績に彼女の笑顔を取り戻した、という涙頂戴の壮大なハートフルな物語が勝手に仕上がっていたのだ。
内心としても嬉しくない。あるのは夕食に有り付けたいだけ。
「カップルとしての、どういう風に活かせるかの課題が見付けたわね」
「何を言ってるんだろうこの人」
百合の子が考える世界観に付いていけない。
飛び抜けた感性ではないのにどこか物凄く離れた場所にある。
関わった時点で気付いていたけれども、特別な雰囲気を放つ人であるのは見ても分かる。けれどみんなが持つ特別とは違うものだ。ごく普通のことが当たり前とは言い切れない世界に、視界に彼女は、彼女しか分からない世界があることを見せてくれる。それはとても理解できないもので。
それが彼女らしさにあると思えばいいのだろうか。
いずれにして、鳴海には理解を向けることは無い。
なんだかんだで歩いていると、目的地であるガーストに着いた。スポットライトに照らされる巨大な看板を綺麗にスルーしてみせる。
ここで重大なお知らせが真弓には待っていたのです。
「そろそろ話してもいいんじゃないかな?」
何事もなくて無事にレストランに辿り着いたのだ。真弓の言う条件はどれも当たらずにあるため、その役目の宣告を告げたのだ。
しかし明らかに惚けるように首を傾げてやった。
「何のことかしら?」
「……」
なんとなくこんな結果になるんじゃないかと理解していたしていた自分に、反駁する意味も無かった。ある意味では寛大さとスルーが磨かれたのではないでしょうか。
けれど中半端諦めた、と言っても過言ではないほど抗う力は無い。
「まあ、いいか。別に見られたとしても命削るものではないから(百合だし)」
「えっと……」
「立ち往生もなんだし、ちゃちゃっと夕食を済ませようか(面倒見切れない)」
もはや腕にしがみつくコアラのマーチ的な真弓を圧倒的無視して、扉の取ってを持とうとした所で真弓は潔く腕を絡めるのをやめた。
「鳴海くんって、ちょっとゴウインよね……」
「いや僕は山犬の娘とエボシが好戦してる隙に里を抜けるだけだから」
会話になってない会話をして扉を開けては店内に。スマイル満点の店員から指定された席まで送られてはしばし時間を取ると、同じスマイル満点の店員がお冷を持ってきてくれては注文のオーダーを尋ねてくる。
ここまで来て王道を選ばないなんてもったいない。
確信に突き付ける鳴海はメニュー表を離してから告げた。
「「チーズINハンバーグとご飯一人前でお願いします」」
盛大にハモる。ついお互いは声の主へ目線を向ける。
それを問題としなかった店員さんは承るように聞き取り、微笑み頷いては速やかに姿を消した。蚊帳の存在が居なくなった所で疑問を尋ねた。
「……先に店員さんが尋ねてきたのは僕じゃないか?」
「そんなことは無いわよ。質問してきたら答えるのは当然よ」
「ぐう正解だな……」
ちょっと納得がいかないままお冷を喉元に流す鳴海。
確かに注文する物が同じになる可能性はある。それが人気ナンバーワンなら確率は高い。育ち盛りの時期にいる所存だが、これでもパフェを食べてる身。
もし一人で来ているのであれば、背伸びして豪華にしていたが。
注文した事にハモっても真弓は何ら反応も示さない。携帯端末を操作していて、まじまじと画面を見てはタップさせる。ほんの少しだけ微笑む姿は、何故だか今時の女子高生とは違う印象を持つ。
鳴海もまた暇だけあって文庫本を手に取る。
学生の身分であるし活字に触れないといけない。風紀の学校であって外人の道案内も少なくはないので海外の本をアマゾネスで購入している。やたら字が多く絵が無いのと重くてはページ数が多いのがデメリットだ。なぜ買ったし。
一人だけの時間が続く。
それが本来の場所にあったハズの空間だった。誰にも邪魔されることのない壮麗な時間。自由そのものと呼べる日々は全てが楽しかったと言える、充実した記憶。
けれどそれが離れていきそうな予感がして、どこか不安にいる自分がいた。
これまでしてきた生き方が変わる。
続けてきた環境が変化することは心境にも表れるのだろうか。人はそう簡単に変わることはなく何かを決意を決めることで見る世界は変わるという。
今ある環境が変化してしまうような決意が、自分にあるのか、疑問に埋まる。
自身にある問題なのに分からなかった。
するとトレイを持った店員さんがこちらにやってきて、注文していた物を丁寧にテーブルの上に置いてくれたのを気付くのに遅れてしまった。文庫本を閉じては軽く会釈。颯爽と店員さんはどこかへと去っていく。
リュックへ文庫本に戻すと真弓の方は既に手慣れているのかナイフとフォークを持っていた。ハンバーグを綺麗に捌いてみせては、口元に運ぶ。
鳴海の目の前に広がる熱々のハンバーグと湯気が立ち昇るご飯。もちろん食力に唆る。礼儀として手を合わせ、言葉を告げる。
「いただきます」
ようやく有り付けた食事。眼前には真弓があるが客人のような堅苦しい存在ではないので、いちいち食べるのに手順は要らないし気楽に食べる事にした。
ナイフで均等に切り、フォークではなく箸で食べる。
純粋に美味しかった。
お腹が空いていた事もあって口へ運ぶ速さは止まらない。きちんと味わい、口元に残る味覚という感傷に浸り、物音立てずに食べていく。
確か一人で外出して、夕食を取った時も、こんな感じだったかな。
たった一人だけの時間が多かった。誰かを誘うような人脈はないし、そもそも妥協しない人間なので一人だけで夕食を取るくらい普通だと思えた。
けれど、今は違う。
眼前を向けてしまえば、そこには居ないハズの人物で、知ることも許されないような世界観に生きている無垢な美少女はそこにいるのだから。
これはあくまでもの想像で、可能性の話だ。
もしも目の前にいる少女と会わなかったら、自分は何をしていたのか。
もしも目の前にいる少年と会わなかったら、彼女は何をしていたのか。
きっと過去を振り返ることに許されるものではないと、分かったとしても。
最初から分かっていたら、答えは、一つしかない。
逃れられることのない『罪』を犯した者は、報われないのだと。
何かを成し遂げる大仰なことを、高校生の身分では出来ない。むしろ無力にも等しいくらいに一人はちっぽけな存在だと。彼女を守れる力は親切程度のものでしかない。何せ彼女の話を聞いても、現前する力は自分しか救えない。
結局自分という存在は、神様から貰えたのは欠落した才能の持ち主だから。
彼女達を守ることは出来ても、いい方向にはならないと分かっていた。
だからこそ。
見据える世界を変えようとしたところで、変化の無かった彼女は笑った。
「……」
どう反応しようか戸惑ってしまう。
その笑顔は目の前にいる人に向けられるべきものでは無いハズだ。最も一緒にいた時間の多い、掛け替えのない大切な友達へ向けるものだ。
「とても静かね」
クスッと笑う姿はどこかおかしいのがあるのを見付けて面白がる要素を含まれていた。しかし小馬鹿にした素振りが全く見当たらない。
「きっとこういうものなら何かお話をして、笑い合うものだけれども、鳴海くんはそういうことはしないのね」
「つまらない人間でスミマセンね」
「そんなことは無いわ。むしろ鳴海くんらしいから」
賞賛される意味が分からない前提に、話掛けてこなかったため話す理由がないだけで。はっきり言うと面倒くさかったのが原因と言えば原因か。
「だからこの静寂感が、私は好きかな」
あまり多く語る性格ではないと同感するほど理解している。
元々あった感覚がずっと身に染みている。
「つまらない話題を振ってくる人よりはね」
淡々と告げられる言葉の一部に、唐突と違和感が現れる。向けられる意味とは反しているのを気付いた。
自分自身だから分かる。自ら語ることは稀有に近いから。
つい探る癖が発揮した所で鳴海は恐る恐ると尋ねる。
「それって誰の事を指している……?」
「当てはまらない部分に着眼する鳴海くんってやはり凄いわ」
どこか諦めたように苦笑に満ちる真弓の表情には、それでも柔らかい微笑みを浮かべられるほどの余裕の貫禄が備わっていた。
「食事を終えたことだし、話してもいいよね」
食事を済ませるタイミングを見計らっていた真弓は華奢な指を組んではガラス越しにある漆黒色の世界へ見据える。その視線はどこか寂しい。
夕食に付き合うほどの理由があるのだろう。
そして開かれる唇は震えて、言葉を告げていった。
「実は今日、デートをしたの」
単純明快に、それに合った言葉が見付からなかった。
今自分がどんな表情をしているのか分からない。彼女から発した発言に胸の内にある心境も、自身にあるものなのに、それを決める色が見えないでいる。
ただ、彼女から発した言葉に絶句していた。
「……そんな顔をしなくても、ちゃんと断ったわ」
一体どんな顔をしていたのだろうと呆れる彼女から聞けるハズがない。
「だから今日は来れなかった理由なのか」
「ほぼ正解よ。これでも私はモテるから」
馬鹿にしていたがどうやら本当らしい。このお洒落の着こなしに控えめの化粧。見る世界を変えれば見えもなくない服装だ。
「それを最初から伝えればいいものの……」
「出来ればそうしたかったのだけど、あなたの事だし、気を散らすかと思って」
「むしろ気になったんですけどね」
だって片方いないと百合が成立しませんもの。
しかし真弓がいたら大分楽に過ごしていたと思う。イチャイチャしている所を見ているだけだしね。
すると意外な事を聞いたのか真弓は呆気に取られてた。途端に挽回してみせたのだが頬を手を当てて何故か妖艶そうに赤らめた。
「やだ、鳴海くんって時間差でも私のことを思っているなんて……」
「あはは、そういうの寒いかな」
「まあ、そういうのは置いといて」
「置くのか」
この人簡単にスルーしやがったんですが、といっても真弓は普段の様子で話題を逸らしたため、それよりも重大な部分があるのだろう。
「この事は香織には言っていないの。いいえ、言ってはならないものだわ。それも大抵の用事は学校関連なのは事実だけど、デートしてると言ってしまえば、香織はきっと私から離れるでしょうね」
「だから隠蔽するために僕を利用したのか」
「……そうしたくはなかったけど」
誰かを守ることは素晴らしい事だ。
自身にある問題から好きな人から遠ざけるためにも、人を利用したことに真弓は苦いものを口に含めたかのように眉間を寄せる。
しかし、結果的に何も支障は無かった。
「守るためなら別に構わないさ。だからそんな顔をしなくてもいい」
「……いいの?」
「好きな人をのためにすることは、当たり前のことはなんかじゃないのか?」
むしろ彼女なら理由は必要ないのかもしれない。大切にしてきた友達の思いにはこの鳴海でも見てる。キスシーンだけど。
それに誰も悪口などの悪態は見せていない。紡がれた絆が強い証だ。
「大体悪いことではないし、というか慣れたわ」
生きるたにはそれなりの知識が必要となる。環境の慣用にも非日常にも対応していなければならない。自分の身を守るために醜態を晒してもだ。
だから鳴海は咎めるつもりはないし、何かを言う意味もない。
呆気なさを晒す鳴海はのどかに微笑み掛ける。夕食に満足してゆっくりしているだけなのだが、底知れぬ寛大さに真弓は感激していた。
「……ありがとう」
小さな言葉だけれども、感謝の語彙は強く伝わる。
真弓が守りたかったもの。それは変わらぬ関係と今ある居場所。そして香織の明るくて優しい笑顔。これから続く世界を守ってみせた。
その出来事があったことを、鳴海はそれしか知らない。
「……いい笑顔ね」
再び携帯端末の画面を見ている真弓の姿は微笑ましい。別に他人のプライベートに干渉しないので、見なかったことにしようとしたら。
「これ、あなたが撮ったものでしょう?」
すっと鳴海に近付く真弓は手を伸ばして携帯端末の画面を見せる。画面に表示されていたのは黄昏色に染める路地裏で、能面うさぎを抱える香織の写真だった。
教えたついでに送ったが、うん。なかなか綺麗に撮れてる。
「正解。他に誰がいると思うかね?」
「それならこれは?」
手際よく画面をタップさせる真弓はもう一度画面を見せると、その写真というのはスプーンを咥えてパフェを食べている鳴海だった。
うん。なかなか滑稽に撮られてしまっていた。
「ふぅん、パフェを食べたのね」
「美味しかった所存です。あ、いや、これは深い事情がありましてね……」
妙にこちらに睨み付ける勇ましい笑みを向けられて、思わず率直な感想を漏れたのとそれに気付いた危惧に恐れ慄く鳴海。
やはり百合の子。きっと真弓の嫉妬は他の人よりも怖いと思います。
「今度私もその場所に連れて行きなさいよ」
「え、……わ、分かった」
違った。全然違った。美味しそうに見えたのか真弓はそのパフェに興味津々に見ていた。何かと画面にタップさせてはポケットに仕舞う。
「なるほど。その日に会った出来事は写真として収めているのね」
「ついでに夜桜さんにアプリを教えてあけだけどね……」
パシャ。いつの間にか真弓は携帯端末を持っていた。ポケットに仕舞うのは嘘、フェイクだった。完全に信じ切ったところで不意を突かせるのは彼女らしさもあり、下手したらあの時と同じように両手を上げてしまいそうになる。
「私もそうすることにしたわ」
「楽しそうですね。ええ」
本当に嬉々としている。いつものお節介をする塩対応の彼女。
けれど、もう慣れた。
嫌々そうにしていた自分は今でもいる。元の生活に戻りたい自分もいる。
しかし彼女達にある秘密を守るための自分もいる。
その全てを受け入れた上で、自分と呼べることが出来るのだから。
「流石だよ。藤咲さんは」
澄ました笑みを浮かべて、肩を竦めながら真弓を見た。一瞬だけ真弓は驚いたような素振りを見せるが、笑みを取り戻しても、何かを起こそうとしても遅い。
やることは一つだけ。
パシャ。不意討ちを掛けるように携帯端末を向けていた。気の緩みのある真弓に同じ事をやり返すだけの仕草。だが優勢に立つ理由は、常に冷静でいるハズであろう彼女が珍しく反応に沈黙が貫いていたのだ。
きっとやり返されるのは思っていなかったのだろう。
「でも、これであいこだ」
今回の勝利に、勇ましい笑みを浮かべる。
何事にも勝者しか知らない感覚を、違う機会でも感じる事が出来るのは気持ちが晴れる。孤独の道に進んで、妥協のしない強い人になるために勝ち取ったこの感触は今もやはり変わらないでいる。
常に最善策を見付け出そうとした自分のための方針は、やめにする。
これからも今まで通りに生きる。それだけだ。
少し、見る世界を変えながら。
「うん。綺麗に撮れている。まあ、藤咲さんはモテるって言ってたし」
「……若干気にくわないところはあるけど、そうよ」
「否定はしないんだ」
実際に綺麗なのは本当であるため特に指摘する場面はない。けれど撮った写真に映る自分の姿に、ちょっとだけ頬を赤くする真弓。
「そうだね。夜桜が惹かれる特徴があるんだな。彼女も美人さんだし」
「な、何を言っているの」
「普通に思っていることを言っただけだよ」
納得していたのに彼女の反応でイマイチに。
というか真弓には珍しく恥ずかしそうな反応をしている。目を合わせられないのは間違いなく照れている証拠。案外普通の女の子なんだなと思いました。
あれだけ受けて嬉しそうにしてたのにね。
「そういえば褒められるのには普通なのな」
「……誰にだって恥ずかしいのは一つあるわ」
「いや、普通ってなんだっけ? そう思った事があるからさ」
百合である彼女と関わっている時点でそれは普通とは言わないのだが、もしこの場面に香織が居たら百合って言うなと鞄で打たれただろう。確実に。
でも約束したのだ。彼女が嫌うことはしないと。
「あなたが言う普通が最適だとしても、いつかは退屈してしまうのね」
「そうかもしれないな」
それが普通になれば特別だったものにある価値の見方が変わる。
突飛的でもなく、まして飛躍的でもない。変わらない一般的。
だが、ある偉人は言うのだ。
今ある常識は、元々常識外れの思想から生まれていると。増えてくる新しい知識の中にはこの先普通に思える事があるのなら、もしかしたら普通の事なんて想像しても本当は存在しないのかもしれない。
きっとこの出来事だって普通じゃない。
「でも、紛れもなく特別な日は続く。きみ達がいれば」
あの日から鳴海における生活は一変した。彼女達だって変わった。これどその先にある根本的な姿勢は全く変わらない。外からの刺激でもそう簡単に崩れない。
だから、これは言える。
「僕はそれでも飽きないよ。十分に感じてる事だけど」
それが立花鳴海が言える感想だった。退屈しかなかった環境が移り変わる世界と共にカラフルな色彩に変わっていって。
紛れもなく彼女達のお陰で見ていた世界の情景は、流動に目まぐるしく忙しい。留まることのない変化が視界に焼き付く。広がる曇天の世界から突き破る光芒はこの世とは思えないほど、純白が貫いていった。
そしてある事に気付かせてくれたのだから。
夕食を取り終えて、目的が自宅に帰ることしか無くなった鳴海。いそいそと隣に置いていたリュックへ手を伸ばしていた矢先、真弓は訝しく瞳を細めてはひたすら鳴海を見ていた。
どこか言いたげな、不器用な言葉の選び方。
「……鳴海くんは、それでいいと思っているの?」
対して真弓の視界にあるテーブルの向こう側にいる少年は、答えた。
「……僕は、僕の中にある意識を貫くだけ。それだけだよ」
優しくて強い瞳をする鳴海はゆっくりと微笑む。確信を持った尽きない自信。
なのに、それしか言わない。
「それじゃあ、僕は帰るね」
領収書を持って一足先に歩こうとするリュックを背負う鳴海。その背中姿が速さを変えずに少しずつ遠くなって行きそうで。このまま一生消えてしまいそうな景色に、黙ってしまった真弓はもう一度だけ、瞳を見開いた。
やがて開かれた唇は勝手に告げていたのを、彼女は知る。
「私は、一緒に帰りたい……」
こうでもしないと衝動する感情が高ぶりそうで。何かを言わないと後先後悔しそうで。とにかく視界に映る少年を振り向かせるために、言葉を告げた。
その申し出に鳴海は潔く頷いた。
「分かった。途中までは付き添うよ」
迷いのない答えは当然のものだと鳴海は妥当と思う。何度もモテると聞いたからに周到に声を掛けられるなら断る意思はない。
どうせバスは来ないだろうし、望み薄の選択には腐っても選ばない。
同注文をしただけあって支払いは全て鳴海に向けられることはなく、両者割り勘で済まされた。一様真弓の分のお金を持っていたとはいえ失費が大きくなる。
(……見事に減っている)
レストランを出て、財布の中身を見る鳴海は少し青ざめた表情をしている。ついでの買い物と彼女達に振る舞う買い物の多さに引けていた。
その横にいる真弓はやや先導して歩いてる。
彼女の自宅の場所すら分からないし興味がない鳴海はただ真弓の華奢な姿に付いていくだけだった。鳴海の自宅と反対方向では無かったのは幸いか。
「……」
「……」
暗黙の雰囲気に沿ってお互いは寡黙を貫く。
少し肌寒い空気がつんと身に染みてくる。漆黒色の世界は相変わらず真っ暗に貫いて微かに見える星の小ささに、少しだけ期待させて。
本当ならこの星はもう少し輝いていたのだろうか。科学の進歩によって元々存在していた輝きは他の光に紛れてしまうのだろうか。光年の先ではとっくに星の輝きは終わってしまっているのだろうか。
そんなの自身に降りかかるものではないのに、考えてしまう。
間違い探しのように興味に惹かれてしまうものかもしれない。
だんだんと大通りから離れていき、人気も避けるようにして歩いている道はとても薄暗い。ほのかに光るスポットライトがこちらに照らすのが精一杯に見える。
しかし見上げる景色は壮大に圧巻した。
今見える視界は全て高層マンションが連なっていた。空を遮りそうなほど高い。
それからセレブリチーが住む領域だった。
思わず言葉がすぐに浮かばなかった鳴海の様子に、真弓はくすくすと笑う。
「私はこの辺に住んでいるの。あなたが住む住宅街とはそんなに遠くないわ」
「確かに……」
この付近には運動公園があって一番近い学校は初枝高校。そして名門校の一つでもある聖マリアンヌ高校がある。道を一本だけでも鳴海の家がある住宅街に辿り着けることができる。
「というか」
「ふふ、一緒に帰れることが可能なのよ」
なるほど、真弓が言いたかったのは自宅との距離がそう離れていないことだったのだ。基本として方向が同じくらいなら越したものではない。
「だからなのか……」
感心する鳴海は相変わらず天にも届く高層マンションを見上げている。すると真弓は距離を置いてみせて、感謝を述べた。
「鳴海くん、夕食に付き合ってくれてありがとう」
「いえいえ。こちらこそ」
「それから、その……」
手を背中に回してモジモジさせている彼女。うまくお礼を言いたいのはなんとなくこちらでも理解出来る。しかしながらそんなに恥ずかしく思えるのか分からない。
ここは見守るように応じてみせる。
「うん?」
目線を逸らしていた真弓は、ゆっくりと鳴海を見つめて伺う瞬きの多さと、頬を染めていく姿勢。どこかはにかむ笑顔は真っ暗でもよく見えた。
「だから、また明日。よろしく、ね……?」
「ああ、おやすみなさい」
「うん……、おやすみ」
手を振ってみせて、鳴海は目的である自宅へ目指す。真弓もまたその背中を見届けて、高層マンションの方へと歩いてみせる。
「また、明日か……」
一人寂しく歩くと誰もいないからか声を出してしまいそうになる。
今日も無事に終わり、一日もやがて終わる。そして新たな一日が始まる。尽きることのない出来事は鳴海の意識を疲弊させたり高揚させたりと、感じてくる温度差に耐えたのはメンタルの部分で誇らしいと思う。
その尽きることのない出来事は、決して日常にはならない。
全ては非常識に出来ていて、理不尽に溢れている。
見る世界が変わった今、鳴海がしなければならない行動をするまで。
やり遂げるのではない、成し遂げるものだと。
One for all 一人はみんなのために。
All for one みんなは一人のために。
世界をひっくり返して、あらゆる人物が救われると信じて動く。誰かが動かないのであれば、埋めるピースのためにみんなの『英雄』になり、欠けたピースのためにみんなの『叛逆者』になる。
生まれて初めて気付いていたことがあった。
この世界に英雄と叛逆者になる人がいる事を。
そして。
この世界は必ず英雄と叛逆者がいなければならない事を。