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欠落百合姫のステイルメイト  作者: 島村時雨
第一章 立花鳴海の一週間
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第二話 その日、少年はいつもの日常を送る。

 とにかく走った。

 逃げなければならないという衝動に刈り取られる。後ろを振り返ってはいけないと自分の心に聞かせながら。


「ここまでは流石に来ないだろう……」


 自宅付近にある運動公園に辿り着いた鳴海は、荒くなった息を整えるために年季のあるベンチに座る。すると腕の中に抱えていた黒ネコはするりと抜ける。

 地面に降り立つと、その場に座った。


「にー」


 自由に生きる黒ネコはあの出来事なんて気にしちゃいない。

 ビスケットの方が勝ったのだ。


 多分、利益的に。


「そうだった。途中で挟んじゃったからな」


 現在安寧な場所にいる鳴海は笑みを浮かべられるほどの冷静さを取り戻す。結構走ったものだから、彼女達に追われることはないだろう。


 結局は黒ネコによって振り回されたに過ぎなかった。


 リュックからネズミの形をしたビスケットを二、三枚取り出す。黒ネコの事を考えて食べやすいように小さく砕いていく。


 それと地面を汚したくはないので一枚ずつ黒ネコの前に置くと、嬉しそうに食べてくれる黒ネコを見て鳴海はようやく安心感を手に入れた。


 和やかな雰囲気になった所で彼女達について考えてみる事にした。

 関係ないのに羞恥を覚えてしまう。


(ゲームとか、漫画とかアニメだけじゃないんだな。俗に言う、百合かあれ。そこまで抵抗感はないのに現実になると違和感が……。まあ、美人な方だったしそういう人もいる世界だ。だって人間だもの)


 あのキャッチフレーズをどーんと出しているのを想像していたら、食事を終えた黒ネコは毛繕いをしていた。のんびり気ままに過ごしている。


 手元に残ったビスケットは空中に投げては口でキャッチしてみせる。

 素朴ながらも香ばしかった。


 いつの間にか黒ネコは何事も無かったかのように深緑の草木の方へ姿を消す。それを見届けた鳴海もまた帰宅する目的が残っている。


「帰りは彼女に気を付けなければならないのか」


 ただ家に帰るだけなのに集中して挑むのはこれで初めてだったりする。


 何せ先回りして玄関の前で待ち構えている可能性がある。この遭遇は危惧しか想像できないほどまでに事態は悪化していた。


 物理的に肩の荷物が重くなる。身に染みる重大さに気付く。

 見られたからには生きて返さないと。


(……いいや。ここで待っていても、無駄な気がするだけだ。まだ何も始まっていないのに今から諦めてどうする。明日を迎える事で運命は決まる)


 その一歩が遠くても、鳴海の行動はとっくに委ねられている。


 だからこそ固く決意するのだ。向こう側にある結末を迎えるまでは。

 吉が出るか蛇が出るか。


(例え彼女達に見付かってしまってもランニングチェイスをすればまだ勝機は残るし逃げる体力なら十分にあって伊達にゲームばかりしてる訳じゃないんだこれは王者としての地位を確立するために鍛えたのではなく……)


 そして何も起きないまま無事に自宅に着いた。


「……僕は、考え過ぎか」


 予想として玄関の前に待ち受けていたのは絶句するほどの美しさと可憐さを放つ美少女、とはいかなかった。現実は非情でフラグメーカーでさえ折れてしまう。もし出会ってしまう暁には笑顔で答えを返していただろう。


(居なかった。という事は、彼女達は来ない意味なのか)


 怪しい振る舞いはせずに見慣れている景色に凝らし見渡す。どこにも人の姿はないが何かしらの気配だけがちらつかせる。


 死角となる位置はカーブミラーによって確認済み。

 一様、安堵してもいいのだろうか。


「……だだいま」


 玄関まで辿り着いた途端に自分は本当の意味で安全圏にいることに自覚する鳴海は蓄積した不安をため息に変えながら吐いた。


 関係無かったのにこんな目に遭うのか分からない。


「色んな目と合うとか全然笑えないんだけど……」


 全てを引っ括めて黒ネコは悪くないし鳴海のせいでもないとする。というかこれらを考えるのは止めよう。世界は広大なのに世間は狭くてどうする。


(考えても特に意味はないだろうし、忘れよう)


 さっさと思考を切り替えて現在やるべき事をする。

 まずは自分の部屋にあるノートパソコンを操作することだろう。


 私服に着替えた鳴海は新調した椅子に腰掛けて、ノートパソコンの画面を開き正面に向き合う。液晶画面に映る鳴海は人が変わったように目付きが鋭利になる。


 起動させると画面は光を灯す。そこに見慣れた壁紙が映る。

 データファイルにクリックしゲームをする事にした。


(やっぱり勉強よりもゲームの方が好きだわ)


 このアプリを開くだけでほとんどの機能が搭載されている。


 ゲームをするだけなのに動画を見る事もできれば音楽も聞ける。常に新しい情報が入る事のできる最先端にして最高のオンラインゲーム。その認知はまだ低いものの隔たりを越えた真新しいネットワークはたった数年で世界に普及すると言われてる。


 直に携帯端末や家庭用ゲーム機にも実用化を目指しているんだとか。


(遊ぶことしか活用してないけど、物凄いことなんだろうな)


 名前の知らない開発者に感謝をしながら鳴海はログインしてみせる。電脳世界の住人に変化するためのペンギンのアバターを使用し、止まることのない情報の海へ飛び込み、流れに乗って泳いでいく。


 すると電脳の案内人から人間のような明るい声が掛けられる。


『お帰りなさいマスター、そしてこんにちは!』


 見た目がコウテイペンギンのような模様をしているので鳴海は最初に『皇帝』とハンドルネームを付けたのだが、この案内人は言わない。そもそも言う性格ではないのだが、今となってはすっかり別の名前で呼ばれている。


 どこにでもいそうな名前、『ペン太』とな。


 見知ったプレイヤー達に見掛けるとマスコットのような扱い方をされるが、そのペン太を操作する。三次元の世界に干渉しないのでキーボードを叩いたりマウスをクリックしているだけ。ウェアラブル端末は使用していない。


(メガネを掛けなければただのオンラインゲームだしな)


 電脳世界に行ってみたい、そんな憧れを持つ人は大勢いるだろうが鳴海は自覚を持つ常識人。流石に現実に支障が出たら困る。


(……今の所は安全であると認識しても構わない範囲か)


 アバター達を見ても犯罪傾向のある思想は現在確認されていない。至って平和で人数の少ない世界は少しだけ寂しさも感じさせる。


 今の内に楽しもうと考える鳴海は二つの選択に立たされていた。

 アニメを見る、それともゲームをするか。


 画面とにらめっこする鳴海は思考を巡らせていたが、流れてくる広告の中にとあるアニメの動画が映し出されていた。


 不意にペン太を止めてしまうほど、実に不愉快な瞬間を思い出す。

 先ほどの戦慄を繰り広げられた出来事が聡明に浮かび上がってしまった。


 彼女達の、幻想的な愛情とその触れ合いを。


(アニメでも少し抵抗があるんだけどなぁ……)


 コミュニティーの少ない世界だというのに、百合について語るサークルが存在する。その中では百合は当たり前の事で普通なのだ。


 だからこそ、現実では違和感があった。

 瞬きを繰り返した鳴海はノートパソコンの画面を凝らし、小さく呟く。


「やはり変だと、僕は思う」


 急いで学校を抜けたというのに、自分以外誰も居ないと思っていたのに。

 それを凌ぐ学生が居た。


 静まり返る時間帯の中で完璧な教養に適した環境で生きているお嬢様高校の生徒が、同等に綺麗な少女と愛情を育んでいた。


 別に何とも思わない。けれど常識が崩れそうになる。理想としたものは何だったのか思考が撹乱される。もしも鳴海以外の人が見ていたらどんな反応をしていたのか、想像は尽きるものはない。


 彼女にとって聖域だ。

 さしずめエデンの園かノアの方舟だろうか。


(……いや、それならアダム関係なくないか? イブとリリスだ。もしそうなっていたら神話自体変わっているし、きっとノアも同じような反応をしていたのかもしれない。というか本当にごめんなさい)


 神話を覆る百合という概念。

 唐突過ぎて世界は再構築した方がいい。この世界でいられるための正しい方向へ進んでいたアダムとノアは主人公。世代を越えても同じ意志だった。


 そしてこれはあくまでも鳴海の勝手な想像である。

 深い意味はない。


(……百合の神様っているのかな?)


 百合の花に対する神話は多々ある。

 けれど女性同士の愛情は恐らく皆無であろう。もしいるとしたら確実にエロスやビーナス、アフロディテの敵だ。彼女達では百合は人類の冒涜だと嘆くだろう。


 なんて話題を逸れ掛けている鳴海は気を取り直してノートパソコンの画面を見ようとするが、


「兄ちゃんただいまーっ!」


 勢いよく扉をバタン! と開けた人物はクリーム色の髪をしたアホ毛を揺らす妹、立花きなこは威勢のいい笑みで鳴海のいる部屋に入ってきた。


 何度も思うけどノックしてから扉を開けてほしい。


「ああ、おかえり」

「ん? 何だか疲れてる? 何かしてきたの?」

「……別に」


 純粋に育った以上、嗅覚の鋭さのある性格は憎めない。

 苛ついた時でもきなこは常に自然のまま生きている。あの時見掛けた禁断の楽園とは真逆の立ち位置にいる。そしてそれは日常的に繋がっていく。


 これが当たり前の景色だと、鳴海は思い出す。

 ゆったりとした時間は誰も邪魔されない。安寧の続く居場所はここに存在する。


 だからこそ、いつものように日常を送ろうと心掛けていた。


「あ、兄ちゃん勉強教えてー」





 とあるオンラインゲームをしていると、私服に着替えたきなこは再び鳴海の部屋にやってきた。先ほどの扉を開く勢いはなく、こんこんとノックをした。


「兄ちゃーん……」


 声が細くて弱々しい。全く覇気のない声が響く。

 用がなければ滅多に部屋に入ることはない。しかし鳴海は順応よく答えた。


「おーう、入っても構わないよ」


 椅子を固定したまま鳴海は振り向くと、扉を開いたきなこの姿には両手を背中に回していた。何かを隠している事を鳴海は勘の良さが冴え、すぐに理解した。


 きなこはノートと参考書にふでばこを持ってきてる様子。

 これは間違いない、勉強だ。


「ん? どうしたのかなー?」


 わざとらしい声のトーンで迎えるが、声を掛けられたきなこは初めそっぽを向いていたが致し方なく鳴海の方へ振り向いた。


 あざとさのある目線だったが鳴海は全然要らない。


「もう一度、分からないところがあるから勉強教えてくださいっ!」

「さっきもやっただろ……」

「あれは勉……、宿題だよっ。別件だよ別件!」


 プンスカ怒るものの勉強を教えて貰う身分。そんなに騒がしくない。


 きなこは中学二年、鳴海は高校一年である。分からない所は既に義務教育を終えている鳴海に教えてもらう事がきなこにとって至高らしい。

 言わば妹の特権。


 こちらには何も利益にはならないが、そこは妹の将来の心配が勝っている。


「はいはい別件だな。一様見てやるか……」


 とりあえず目の前に出された参考書とノート。それからノートに挟んでいた一枚のプリントを発見した鳴海は一瞬だけ黙ってしまった。


「兄ちゃん、だ、大丈夫かな。解けられるかな?」


 不安そうにする部分が違うんと思うんですが。


 数学のプリントには間違っている所は少なかった。ただ、普通にややこしい問題だけが間違っている。言わば試験に出るような回りくどい堅苦しい方程式だ。


 けれど答えは確実にある。

 その方法を知っていれば答えられる。


「とりあえず椅子を持ってきてくれ。教えるのに必要だろ」

「流石は兄ちゃん!」


 自分の部屋から椅子を持ってきたきなこは自信の満ちた笑顔で隣に座る。対して鳴海はペンを持たずマウスで画面にメモを開き書くことにした。


 そのためしていたゲームを一時的中断させる。

 ……済まない木曽。


 あっという間にきなこが間違えた問題を解きながらその過程を教えてあげた。そのノートパソコンの画面をきなこは携帯端末で連写していく。

 頭で考えてほしいし手を動かせ、とは言えなかった。


「なるほど、最初から間違っていたんだね。通りで分からなかった」

「その分覚えるのが早くなったから、見直す所はない」

「なんだか数学楽しくなってきた!」


 大変ながら嬉しいものだが高校になると中学で習ったものは常識の範囲しかならない。大学では理科が科学に変わる。それから新しい単語が増える。問題が多いので覚える事が沢山だ。正直勉強に負われる学生が絶えずに増えるばかりだ。


 見方を変えれば基礎みたいなものだ。木曽だけに。

 意識を変えれば難しい問題ではないのだから。


「じゃあこれとかパパっと解けるよね?」

「そこは努力をしろよ。なんのために勉強があるんだ」

「訪ねた自分がアホだったよー……」


 きなこの要件を終えて、鳴海はオンラインゲームをしようと思っていた。

 ただ、きなこはひたすら格ゲーを見てもつまらないだろうから今日はひとまずペン太を操作する事に。


 ネットの世界に戻ってみると広告であるオンラインゲームのロゴとその動画が流れている。アイドルのようなキャラクターが宣伝しているが、それを見たきなこは目を輝かせては興味を持ちはじめた。


「あれはマスターユズハでしょ!?」

「ああ、現役の女子高生がオンラインゲームの王者だ」


 ゲームマスター、電脳少女ユズハは二つ名を持つほどにゲームに関しては無双の強さを誇るという。このペンギンが勝てる要素もない。しかしながら現実世界でも女子高生だと公表してるのだから珍しいと思う。そういう意味ではオンラインゲームの初の女性プレイヤーでもありアイドルだ。


 もちろん、会った事はない。

 というかペン太の事は知らないし見向きもしないだろう。彼女が目につける者は歴代の王者との挑戦だけが興味を持つのだろうか。


 そこまでネットの世界を知らないきなこでも興味を持ち示したのだからユズハは凄い人物なのだと改めて思った。天と地では比べようにならないし。


「本当にカッコいいよねー」


 可愛いんじゃないのかい!

 大分イメージを逸らしてしまったが、よく見てみるとかなりの美人さんだ。そこまでデコレーションしなくてもいいのに。このペンギンなんて制作するのに三分も掛からないクオリティだ。


 だが、その可憐な容姿であのシーンが写真のように甦る。


(……その要素がなければ、やっぱり綺麗なんだろう)


 抵抗感が今もなお感じている。それは現実で起きているから。電脳世界で培った知識は現実でも通用するのに、常識から外れるものは敵わない。


 触れてはいけないもの。

 パンドラの箱を触れてしまった。


 何も知らないきなこは目をキラキラしながらマスターユズハの動画を見ていた。純粋な心を持って前に進む妹はその世界を知る必要はない。


 だから、鳴海は思う部分が生まれた。

 一生自分は思い出し、それを一日の会話の内容にしてしまうのが。絶対に知られたくなかっただろうし、こうして人気のない場所で生きていたのだから、彼女達も後悔と哀愁をひたすら染めていく。


 結局見なかった方が良かったのだから。

 そんなことを露知らず、きなこは生きていく。


 よくよく考えてみれば、釣り合わないのだ。美少女と常人。相場が大暴落してる。神様でさえ「なんとかして修復しないと……」と激しくは動揺してる方だ。そういう変わった世界なのだからこれ以上会うことはないのかも。


 鳴海は決めた。

 彼女達について、考えることは止めよう。


「……きなこ。このペン太で遊んでいいよ」


 するときなこは鳴海の優しさに信条して、明るかった雰囲気がより一層と増して満面の笑みを浮かべていた。


「ホントにいいの!?」

「ああ、楽しんだらそれでいいんだよ」


 これでこそきなこである。純粋だからこそ何色に染めることのない環境の中で生きていられる。鳴海もこの環境で生きてきた人間た?。今更変わろうとするキッカケなんて、そう簡単にできるものではない。


(ああいうのにならないために、頑張って教養しないとな……)


 明後日の方向へ振り向きながら、顔を引きずる鳴海はきなこに席を譲る。ノートパソコンの前で楽しそうにペン太を操作しながら電脳世界を優雅に泳ぐ。


 けれど電灯のオブジェクトにぶつかった。


「「あ」」


 ガコーン! 見事にボーリングのようにストライクした。小さなコウテイペンギンは空中へ回転しながら電灯の残骸ポリゴンまみれになった。


 電脳世界にいるアバター達は現実で何が起きたのか分からなかった。

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