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夕暮れ、教卓との別れ

 夕陽に瞳を奪われる中、私のテリトリーに入り込むカラカラと教室のドアを開く音が聞こえる。

 


「おっ! まだ居たのか」

 言い終わる前に気分を害さない程度のスピードで扉を閉める。

 誰もいない筈の放課後の教室に、ドアを開けた相手も逆光になっている私が誰なのかと目を凝らす。



 微妙な沈黙の後に喉を伝って相手の名前を口にする。



「せ、先生……?」



「誰かと思ったら神崎か、まだ帰ってないのか」

 私も先生と同じ。

 来る筈のない教室に誰かが訪れた事に、名前を言う以上の言葉が出てこない。



 先生も少し驚いた様子だ。

 随分と下校時刻より時間が経っていたから。廊下からも昼間の様な騒がしい足音は聞こえない。

 校庭からは遅くまで部活に励む生徒はいるが、距離は遠いので話し声は聞こえない。




 そう。

 そんな時間を私は選んだのだから。




 もう少しで夕陽が沈み終わる薄紫色の頃、目の前で立ち尽くす木村先生もきっと誰も居ないんだって思い込んで来たのだろう。



「先生、忘れ物?」



 咄嗟の事で私の口からとんちんかんな言葉が出てくる。

 忘れ物って言いたいのはきっと先生の方だろうにね。



「いや、ちょっと用事があって。ついでに教室を覗いていこうと……な」



 年配で白髪が目立つ頭は夜になる手前で灰色になる。

 掛け慣れているメガネを人差し指で直す事で、止まっていた時計を動かす。

 手持ち無沙汰に日直が消し忘れた黒板のチョークを消し始めた。

 まるで気まずい空気を打つ消すかのように。まぁ、居ないと思っていた教室に私が居た訳だ……調子が狂ってしまうのは分かる。

 


「……先生聞いたよ。学校を辞めちゃうんだって?」

 話す事で強張った空気を和らげる様に切り出すと、窓の外に向けていた身体を先生へと向ける。

 まだ半分程しか消し終っていないのに、黒板消しを左右に動かす手が止まる。

 「聞いちゃいけなかったかな」と後悔の念が頭をよぎる。



「そうか。もう生徒にまで伝わっているのか。その通り。私は今学期をもって教師を辞める事になった。皆が夏休みに入ると同時に帰ろうと思っている」

 皆に向ける声とは違い声のトーンは低く、そして深刻な声色に変わっていた。



 一息吐くと先生はゆっくりと黒板消しを置き、教壇に視線を移す。



「本当はな。『今学期』と悠長な事は言ってられないのだが……私も見た通りの歳で、母親の年齢といえば神崎にだって想像できると思う」



「……うん」



「だかな。何歳になってもワガママは言いたくなるものだ。親の前ではいつまで経っても子供は子供のままだ」



 他の誰でもない先生の口から『子供』という言葉を聞いた時、不思議と相槌を打てなくなっていた。

 私の思う子供と、先生が描いている子供は重みが違うような気がして。



「神崎は軽蔑するかもしれないが、最終的に私は皆と過ごすことを……この教壇を選んでいるのかもしれない。親か教職か天秤にかけてしまうとは……この歳にもなって情けない話だ」

 愛おしむ様に教壇を撫でているその瞳の力は少し弱く感じる。

 


 先生の温和な表情は崩れ、呼吸が止まった様な先生の空気に私は顔を上げる。

 それは本当に一瞬で、我に返ったかの様に温和な先生に戻る。



「すまないな。こんな話を生徒にしても仕方ない」



「いいよ。続けて先生」

 先生から瞳を反らさず、不思議と言葉は詰まらなかった。



「あ、いや……まぁ、これからは独り言だ」

 あまりにも真っ直ぐ見つめる私に、先生は戸惑っていた。




 知ってる…………。

 先生は教師として生徒に接する壁も、先生と生徒の境界線なんてものがない。

 いつも誰でも同じ目線で、クラス全員のことを見てる。明るい生徒も大人しい生徒も、虐める生徒も虐められる生徒も。

 迷惑でなければ一緒になって泣くし喜ぶし、そんな歳相応じゃない先生が皆も大好きだった。



「教師に成り立ての頃はいつでも教壇を降りれるという若さがあったが、今になるとこの仕事が天職でやり甲斐のあるものに変わっていた。三年の間、皆と笑顔で過ごし、共に私も育つことが何よりの生き甲斐になっていた」



 黙って掌を見つめる先生の表情を心に刻む様に頷く。

 何故か一つも見逃してはいけない……そんな気がしていた。



「いつからか貪欲になってしまった。自分の親を量りに掛けても悩む位に大事なものになっていたとは。結局私は、母親の最期の時まで教職を選んで」



 夕陽が沈み終わる時刻。

 雲に夕陽が攫われた瞬間、再び教室の時間が止まった。




「実はな、もういつ還らぬ人になるか――…………」




 それだけ言うと先生の話声も止まった。

 先生の視線は決して私を見ず、けれど後ろ向きな発言とは裏腹に教室を見渡す様に決意と共に真っ直ぐと前を向いている。

 そして再び、残り僅かな時間を惜しむ様に夕陽が顔を出す。



「いいんじゃない? 先生が思っているのならそれがお母さんの答えなんだよ。夢を奪ってまで自分の最期を見せたくないと思うし……」

 実際は先生のお母さんの気持ちなんてわからない。

「生きている間に自分の命より大事なものを見つけられた先生に心から喜んでいると思う」

 けど、きっと言ってあげなきゃいけない言葉ってあると思う。



 身体全体に起こる妙な動悸に驚き、私は少し間を置いてから口を開く。



「それに……」



「賛同しなかったら親じゃないと思う……よ」

 肌を突き刺す様な痛さとは裏腹に私は微笑んだ。



「なぁ――んて!! 子供も産んだことないのに何言ってんだ!! って思われるものぶっちゃけ嫌なんで。ここらで止めておきます」



 再び微笑むと、行儀よくお辞儀をして小走りで自分の席にあるカバンを手に取る。



「先生は皆に慕われているのは事実だし、辞めて欲しくない人一位だけどこの神崎智亜美!! 木村先生の素晴らしき門出を快く迎えたいと思います!! はいっ」



 先生に向けて冗談交じりで敬礼をする。

 背筋をシャンと伸ばし、掌を垂直に額に当て「なんてね!」と冗談交じりの笑いを浮かべる。



 やっぱり真面目な話をするのは苦手だ。

 聞きたいって言ったのは私だけど。



「か、門出……ってな」

 呆れてる先生の顔を横目に、カバンを持つ手を変えて教室から外に出ようとする。



「…………神崎」



「はい?」



「君は馬鹿みたいに皆を笑わせては笑ってよく騒いで、クラスの真ん中にいるような生徒だった」



「それは褒め言葉ぁ~? だったら先生を軽蔑するな」

 ドアの手前で止まり、振り向きざまに失礼な発言にツッコミを入れる。



「どっちにとっても構わない。ただ……私が願う事は、いつまでもそのままの神崎でいてくれな?」



 思わぬ言葉に、私の身体が素直に反応をしたのが分かった。

 途端に視線を背け、先生の顔が見れなくなった。

 感情を悟られない様に、先生に背を向け正面を向くと、声のトーンはそのままに言葉を重ねる。



「照れちゃうってそんな言葉はさ。でもありがとっ!! せんせっ」

 そう言い終わらない内に教室を後にした。




 外に出ると教室を照らしていた夕陽は沈み、すっかり夜の表情を見せていた。

 始まりの夜空に顔を向け、大きく息を吐いた。

 どれくらい喋っていたのか分からない。



「コホッ!」

 酷く、喉が渇いた。



 校舎を見上げ、自分の教室を見るとまだ先生は教室にいるのか明かりが付いていた。

 きっと、傾いている机や椅子を直しているのだろう。



 知ってる。



 直しても直してもキリがない、あれだけ乱れきった机を放課後に欠かさず直す事が日課になっていることを……。

 想像するだけで気持ちが暖かくなる。

 まるで生徒を我が子の様に思って大切に考えているのか……。



 辞めて欲しくなかった。

 それは憧れとか尊敬とかじゃない。



 木村先生はお父さんみたいな感覚がする。

 夜は仕事で疲れた顔を見せても、朝は元気に寝起き顔の私を『おはよう』って迎えて、コーヒー片手に新聞へと目を伏せる。そんな日常の暖かさを持っている。



 『いつまでもそのままでいてくれ』か……。



 訳隔たりな子……それは私なのかも知れない。

 ―――お父さんの後姿が蘇る。




 日常の暖かさに少し落胆を覚えた。





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