ヤンデレを泉に落としてはいけません
タイトルで想像できる通りのお話です。暇つぶしになれば幸いです。
私は泣きながら走っていた。
脳裏に浮かぶのはついさっき見たばかりの光景。
ずっと一緒だった幼馴染のヘンリーがクラリッサと抱き合う姿。
ずっと一緒だった。
これからも一緒だと思っていたのに。
好き
言葉にして伝えた事はなかったけど、思いは伝わっていると思っていた。
私が泣いたり落ち込んだりしていると、すぐに気付いて慰めてくれた。
ヘンリーのぬくもりに包まれて、私は私は幸せだった。
でも、違ったんだ。
私は村の近くの森の中の泉のほとりに座り込んだ。
綺麗な水面に泣きはらした私の顔が映っている。
ヘンリーがくれる優しさに甘えて、私は自分では何もしなかったんじゃないか。たくさんの幸せをもらったのに、ぜんぜん返せていなかったんだろう。
それが、この結果なんだ。
自業自得だと思うのに、涙が止まらない。
「ヘンリー……」
いつもなら、抱きしめて背中を撫でてくれる幼馴染の名前を呟いた。
でも、もう無理。
ヘンリーが抱きしめるのは、クラリッサなんだもの。
「キャシー!」
だから、目の前に現れた彼の姿に、とても驚いた。
走ってきたのだろう、息が荒く、顔も赤い。
「どうして……」
思わず呟く私を、ヘンリーがいつものように抱きしめる。
あやすように背中をぽんぽんと叩かれ、頭を撫でられた。
今までと全く変わらない行動。
「ヘンリー、クラリッサは?」
じんわりと伝わってくる温もりが悲しい。
このままじゃ、期待してしまう。
「ん? いきなり抱きついてこられて気持ち悪かったから、二度とまとわりつかないように丁重にお願いしてきたよ」
「え? ヘンリーはクラリッサと付き合っているんじゃないの?」
私の勘違い?
「違うよ」
ヘンリーはきっぱりと言った。
「もしかして……泣いてたのは、誤解したから?」
私はこくんと頷いた。
そして、勇気を出すことにした。
今回は誤解だったけど、この先の事はわからない。あんなに辛い思いをするくらいなら、思い切って言ってしまおう。
「私……ヘンリーとずっと一緒にいられると思っていたから、失恋しちゃったかと思って泣いちゃったの」
恥ずかしい。
顔が赤くなっているんじゃないだろうか。
そんな私を抱きしめるヘンリーの腕の力が強まった。
「キャシー…………」
耳元で囁くように名前を呼ばれ、私はますます顔が赤くなるのを感じた。
「嬉しいよ、キャシー。僕もずっとキャシーが好きだったんだ。同じ気持ちだったんだね」
弾んだ声。
そういえば、こんな嬉しそうな声を聞くのは滅多に無い。いつも穏やかで優しかったから。
「これからはずっと一緒だよ、キャシー、キャシー、キャシー、キャシー、キャシー、キャシー、キャシー。ああ、こんなに真っ赤になっちゃって可愛い、可愛いよキャシー。他の奴になんか見せたくない。ずっと一緒なんだから、もう見せなくていいよね。ずっと僕の家にいればいい。外になんて出る必要ないから」
あれ?
なんか不穏な台詞が聞こえている気がするんだけど。
「キャシーはちょっとどじだから、目を離すとすぐに怪我をするし。だから僕はすぐに助けられるようにいつも見てたんだ」
そういえば、いつもタイミング良く助けてくれてた。間に合わなくても直後にはかけつけて……
ええと。私が泣いたり落ち込んだりしているとすぐに着てくれたのって、もしかしてずっと見張られてたんですか!?
「キャシー、可愛いキャシー。いつも君の笑顔は可愛いけど、すぐ他の輩に笑いかけるから、僕はずっと苦しかったんだよ。今日だってトミーにあんなに笑いかけてたじゃないか。アランを抱きしめて頬ずりしたり」
トミーはうちの番犬だし、アランは飼い猫よ!
「僕と同じ気持ちだって分かったんだし、もう離さないよ」
さっきまでとは別の意味で胸が痛いので離して欲しいです。胸っていうか心臓っていうか、胃っていうかなんかあちこち痛いっていうか、ぐらぐらしてきた。
「あの、ヘンリーちょっと苦しいから、腕、緩めて……」
本当は離して欲しいと言いたかったんだけど、なんとなく怖いのでやめた。
「ああ、ごめんよキャシー。嬉しくて、つい」
つい、じゃない。
でも、ヘンリーの興奮は少しおさまったみたい。なので、おそるおそる聞いてみた。
「ヘンリー。涙で気持ち悪いから、そこで顔を洗いたい」
微妙にかゆいのです。
ヘンリーはちょとためらう様子をみせたけど、手を離してくれた。
私は泉に身を乗り出して顔を洗おうとして、バランスを崩した。泉に倒れこみそうになる私を、ヘンリーがとっさに助けて……変わりに泉に落ちてしまった。
さっきどじだと言われたのを証明してしまった。
じゃなくって、ヘンリー!
さっきの台詞はかなりアレだったし、私の告白は無かったことにしてもらえないかなとも思ったけど、こんなことは望んでいない。
「ヘンリー!」
私は泉に向かって呼びかけた。
「ヘンリー!」
泉は異様なほどに澄んでいる。彼の姿が、見えない。
私の目からまた涙が零れ落ちようとして……止まった。
見開いた私の目に映ったのは、とても綺麗な女性。
水色の長い髪、碧色の瞳の優しそうなその姿は、半分透けている。彼女は優しく微笑むと口を開いた。
「貴方が落としたのは、この金のヤンデレですか?」
はい?
いつの間にか彼女は金髪のヘンリーと思しき男性を抱きかかえている。
「いいえ違います」
ヘンリーは黒髪だったんだけど。私にはヤンデレという言葉にツッコミを入れる余裕は無かった。
「ではこの銀のヤンデレですか?」
今度は銀髪のヘンリー。
「違います」
「ではこの銅のヤンデレですか?」
今度は赤銅の髪をしたヘンリー。
「違います」
どっから出したんですか、彼ら。
私の内心の思いをまるっと無視して、彼女は微笑んだ。
「なんて正直な娘でしょう。その心がけに私は感動しました。すべてを受け取りなさい」
金・銀・銅のヘンリーもどきと、ヘンリーがいつのまにか私の横に立っていました。
「いらんわ!」
私の心からの叫びは、至極真っ当なものだと思う。
しかし、彼らの反応は違ったようです。
普通、こういう場合は独占欲とか発揮して喧嘩したり仲違いをするものでしょう。
それなのになんで意気投合しているってうか当然のように皆で今後の計画を立ててるの!?
「だって、意識と感覚共有してるから」
「右手だけがキャシーに触ってて、左手で触れないからって嫉妬したりしないでしょ」
「そうそう。これでずっとキャシーと一緒にいながら仕事したり見張りしたりできるよ」
ちょっと待って。
仕事はともかく見張りってなんですか。見張りって。
そして綺麗なおねーさん。何『いい仕事したわぁ』みたいな顔してるんですか。
「他にも色々できるね。身体が一つだと出来無いことなんてたくさんあるから、楽しみ」
色々ってなんですか。
え? キスとかその他色々? お月様じゃないと表現できないようなこと?
思わず逃げ出そうとした私は正しいと思う。
逃げられなかったけど。
「「「「キャシー可愛い、キャシー可愛い」」」」
彼らに抱きしめられて撫でられて色々触られながら、元凶の綺麗な女性を睨んだ。
しかし、彼女はにっこりと笑ってのたまった。
「女性一人に男性四人。逆ハーレムね、おめでとう。女の子の夢よね」
分身したに等しいヤンデレ四人に囲まれる生活が女の子の夢の訳がないでしょう!!!
私の至極もっともな意見は、ヘンリーに口を塞がれて声にならなかった。
お約束の泉の女神です。
ぼーっと話を考えていたら、女神が降臨してのたまってくれました。
クラリッサ、ふられて良かったね。