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92. 猿の手の手管

 なぜかヴァティを喰らっても【吸血】は暴走しなかった。

 喰らわれた者は最期まで絶叫するはずであるのに、それもなかった。


「ぐっ……」


 けれど、それは確かに疑問ではあるが、考察する余裕が飛逆にはなかった。


 キャパシティオーバーだ。

 想定できたことではあった。

 半ば衝動的だったせいで、準備もできていない。それなのに、二体分の怪物の【魂】を喰らってしまった。


 頭が破裂するように痛む。実際に中では破裂し続けている。夥しい量の血涙が滂沱と流れ出る。身体中の血液が暴れ回ってついには手首を内側から突き破ってスプリンクラーのように撒き散らす。熊三頭分のほどの巨大な赤毛狼が何十体と顕現されていく。


「ぎぃ、ぎぐっ……」


 コマンドを入力されていない変異赤毛狼はアポトーシスを発現してその場で破裂して毒を撒き散らす。

 枯れていく。

 シェルターを構成している神樹がそのエネルギーのラインを毒によって寸断されて、アポトーシスの残滓によってエネルギーを無意味化されて、自己を保存できずに枯れていく。


 樹皮ば乾いて脆くなり、細胞壁が崩れて構造を維持できなくなった細胞が一瞬だけ弾性を帯びて撓み、波打って、硬く脆くなった壁がひび割れていく。


 シェルター全体が震動した。

 秒単位で荒廃が進む中心にあって、飛逆の右腕はその形を失っていた。

 まるで歓喜の叫びを上げるように形のない蛇が昇っていく。

 一瞬にして天井を突き破り――いくつかあっただろう区画をも貫いて、空を覗かせ、その空をも穿たんと昇っていく。


 このままでは取引を、契約を反故にしてしまう。

 シェルターが崩壊すれば、クランは全滅する。


 それはいけない。

 契約は履行されなければならない。

 それは怪物という存在の根幹だ。

 ヴァティは飛逆が怪物であるから、ただの口約束でも信じた。

 自分の命に執着しない怪物に本能があるとすれば、それは契約を履行することだ。

 理性を圧迫され、自己が崩壊する寸前であってもそれは優先される。


 崩れ落ち、膝を突いた飛逆は床に手を突き、自動的な衝動に従って精気を送り込む。

 毒によって絶たれたラインを、途方もない圧力で無理矢理に押し通す。

 崩壊が止まる。


 無意識に掌握した【植物操作】によってシェルターの修復が始まり、震動は止まないが、崩壊は免れた。

 けれど発散しつづける炎が地下に熱を飽和させていく。遠からず飛逆以外が蒸し焼きにされて、それどころかマグマが流れ込んで埋めてしまう。


 抑え付ける――が。

 抑圧に反発する【紅く古きもの】にそれは逆効果だ。

 制御しようと思えば受け容れなければならない。


 受け容れる。


 反発するから拡散して、希釈されていく炎というカタチの彼――【紅く古きもの】は、その意味に於いてナニモノよりも怪物らしい。

 彼には定まったカタチが必要だ。それが彼にとっての契約。【紅く古きもの】という名前は彼が存在を保つためにもらったカタチの一つ。彼がなぜ竜なのか。それは滅びた種に幻想を纏わせたから。


 彼のカタチ。

 考えようとしても頭が痛い。

 あまりにも痛いから考えられない。


 だからかどうか――フラッシュバックする。


 彼女(ヒューリァ)には角があった。


 考える余裕がない。

 両のこめかみを突き破って、後頭部に向けて角が飛び出す。


 二本なのは、一本では足りないと反射的に思ったからだ。

 逆向きなのは、そっちのほうが幻想らしいと思ったからだ。

 赤いのは血で出来ているからだ。


 彼は名残を惜しむように沈静化して、腕のカタチに戻っていく。


 どうやら正解だったらしい。


 しかも同時に途方もない頭痛が退いていく。


 おそらく、カタチを欲しがるのはいずれの怪物も同じなのだろう。

 逆向きに生えた角はまるでヴァティの尖った耳のようにも見える。シルエットだけだが。

 唐突な頭痛の消失に目眩がするが、僅かに思考力が戻った飛逆は、その適当さに呆れを禁じ得なかった。あるいは飛逆の内のヴァティの【魂】がその程度で言うことを聞くように手助けしたのかも知れない。クランの崩壊は彼女の望みと最も反するが故に。


 残るは人狼のそれだが、これは簡単だ。

 炎のイメージで牽制し、掌握したばかりのダークエルフのそれを混ぜ合わせる。

 植物性毒物(アルカロイド)

 飛逆の推測通りならば人狼のルーツは麦角アルカロイドだ。もともと植物寄生菌類由来の毒物である故に、ダークエルフのそれと親和性は強い。


 筋道が立ってしまえば、彼らは実に大人しい。自らそのようなカタチに納まる。そういう性質があるのだろう。


 自覚していなかったが、飛逆がこれまで様々な毒を合成できてきたのは、熱による物質の変成と合成という概念がそれと親和したためだったのだろう。様々な種類の毒物を合成できるということ自体が、すでに【紅く古きもの】と【人狼】の合成能力だったわけだ。


 問題があるとすれば、基幹となる飛逆の怪物性の肥大だ。

 単に見た目だけを言えばより怪物に近くなっただけではある。

 けれど、保有する精気が直前の倍近くにまで跳ね上がっている。


 どういう理屈なのだろうか。ヴァティ自体が包有していた精気は飛逆のそれにはまるで及ばない程度でしかなかったはずだ。

 精気量だけを言えば飛逆に匹敵するほどの眷属であるシェルターから【吸血】したのだったらシェルターが崩壊していたはずだ。


 訳がわからない――が、それは今は大した問題ではない。


 それだけの精気を保有しているというのに違和感がないということが問題だ。


「一体どれだけを貯め込めるようにできてんだ、この身体……」


 精気を引き出して出力に変換することに限界があることから、てっきり保有量にも限度があるものだと思っていた。そしてそれはすでに限界値に近いまでに貯まっていたと思っていたのだが、どうやらその懸念は外れていたということだ。


 これまでは、むしろ違和感があった。それが精気の保有限界を示唆する信号だと飛逆は解釈していたのだが、むしろその違和感が薄れている。つまりこれまで飛逆に違和感をもたらしていたのが、【紅く古きもの】の馴致の仕方が無理矢理だったことに因るということだ。順当な馴致をしたから違和感が消えた。


 単に自覚できないほど飛逆が変質してしまっただけだという見方もできるが……軽く炎を操ってみる。

 スムーズだ。これまでの制御が一体何だったのかと思えるほどすんなり出る。

 それどころかこれまで制御が難しくてできなかったことまでできる。


 例えば、空気の屈折率を操ってみる。

 鏡面蜃気楼を生み出し、己の姿を映し出してみた。


「ははっ……」


 そんな複雑な演算が要ることが息をするように可能だったことが可笑しくて、しかも映し出された自身の姿が、黒髪黒目に戻っていることに、失笑を禁じ得なかった。


「なるほどね。勘違いしてたわけだ」


 これまではてっきり、精気を吸収しすぎたために怪物性が表出していたのだと思っていたが、その実、【紅く古きもの】の表出を抑えるために怪物性が露呈していただけだったのだ。


 つまり飛逆の身の内から拡散しようとする【紅く古きもの】を【吸血】によって抑えていたということだ。


 【吸血】が発動しているのだから、【吸血】するときの姿になるに決まっていた。

 そりゃあ炎の出力の制御が難しいはずである。二つの【能力】を同時に扱っていたのだから、処理リソースが圧迫されるに決まっている。これまで飛逆が制御していると思っていたそれは、蛇口の開け閉めみたいなものでしかない。【吸血】の食い残しを放出しているだけなのだから。


 精気の保有量が倍近くにまで跳ね上がったのもさもありなん。

 これまでは【紅く古きもの】とその制御に喰われていた精気が、今度こそ飛逆のそれとして順当に循環しているために、見かけ上の精気量が増えた。

 つまり元々これが正しい保有量なのであり、ヴァティから喰らったそれはやはり大した量ではないということになる。


 誤解していたのだ。大いなる誤解だった。


 せめて自己の怪物性を考察しないように自身をマインドロックしていたそれが外れたときには気付くべきだった。


 まあ、それどころではない状態だったわけだが。


 しかも新たなる謎が生まれている。


「吸血種って、マジでなんなんだ……」


 ヴァティのように精気を外部に保存して、任意に引き出すといった反則技でもしない限り、怪物であろうとも一体が保有できる精気には限界があるはずなのだ。ヴァティがそのようにしていたことでも、あるいはミリスの暴走でも、その限界は示唆されている。


 まあミリスの暴走の場合は精気の量よりも別の怪物の【能力】を直接に読み取ったせいもあるらしいので、実はあまり参考にならないのだが、ヴァティの例を鑑みるにやはりその可能性が高い。


 であるならば、複数の【魂】を纏めてしまえる上に、底が見えないまでの許容量を有する吸血種とは、果たしてナニモノであるのか。半人半魔であるという推測はおそらく間違ってはいないが、それだけでは釈然としない。

 怪物としてもあまりに規格外ではあるまいか。


「それは後でゆっくり考察することにして――起きたか」


 振り返る。

 そこには隻腕の青年がいる。

 感情の浮かばない瞳で、ウリオと呼ばれていた青年は飛逆を見詰めて佇んでいた。





〓〓 † ◇ † 〓〓





 飛逆は確かにウリオを殺した。

 心停止していたし、精気の循環も停まっていた。

 けれど、それはいわゆる仮死状態だった。

 それだけの話。

 単なる保険のつもりで、そうした。

 死んだと思っていた彼が生きていれば、いかな海千山千のヴァティであろうと致命的に動揺しただろう。万が一にもヴァティに遅れを取らないための保険だ。

 その必要がないと判明した時点で、飛逆はシェルターごと彼をそのまま殺してしまう――殺させるつもりだったが、こうなった。


 生かすべきクランの一員である彼を、飛逆は殺せない。

 そういう契約だ。


 つくづく衝動というのは厄介だ。

 考え無しに【吸血】したこともそうだが、契約内容をもう少し吟味すべきだった。

 どこまでが『クランを生かすこと』になるのか。

 構成員全員を生かしていなければならないのか、どうか。

 解釈が難しい。クランというのは要は組織であるわけで、その組織運営のためにその構成員全員が生きている必要はないとも言える。


 ただし、それはどこからどこまでが組織であるかという話だ。

 構成員が二人以上いればそれを組織と呼ぶことは出来る。では二人を残せばいいのかといえば、それは違うだろう。少なくともヴァティはそのつもりではなかったはずだ。


 そもそも彼女を頭とする組織であるクランはすでに滅びているとも言える。

 まあ、彼女は実質的には何もしていなかったらしいし、クランという形を維持していたのはウリオを含むあの会議に出席していた連中だろう。

 そうなると、ウリオはやはり殺せないことになる。

 彼を今更殺せば、クランという組織にますますの罅を入れることになるからだ。

 ヴァティは彼が死んだと信じて逝ったわけだし、殺しても問題ない気もするが……堂々巡りだ。


 どうすればいいのかわからないなら、殺せない。


 呆然と佇んでこちらを見ている青年に、動く気配はない。

 自我を喪失していると言われれば納得してしまうほど、そこには意志が見当たらなかった。


 これは、どうすべきだろうか。

 飛逆に攻撃してきたなら、それを理由にとりあえず気絶させるなどのことができたが、そうした兆候が全くないので、迷う。


「聞こえてるかどうか知らんが、ウリオだったな」


 とりあえず話しかけてみた。

 反応はない。


「お前、ヴァティを生き返らせる方法があるって俺が言ったらどうする?」


 反応はない――と一瞬、飛逆が錯覚するほど自然な挙措で、彼の腕が持ち上がり、その腕が割れて茨の鞭と化す。

 あまりにも殺気がなかった。

 だから飛逆は避けず、あえてその茨の鞭を腕に絡めさせた。


「殺して欲しいんだな」


 精気量が跳ね上がった今の飛逆にこの程度は攻撃として通らない。けれどそれとは無関係に、あまりにも威力のない攻撃だった。


「憎き仇に戯れ言を聞かされるくらいだったら死にたいってわけだ。だが、今言ったこと、嘘じゃないぞ」


 悪魔の囁きにしか聞こえないだろうことを承知で言っている。

 鞭に力が籠もる。ウリオのところに先端が戻ろうとする。

 けれど飛逆はそれを掴んで制止する。

 なぜならウリオをそれで自死しようと――耳を塞ごうとしているのだとわかっているから。


 逆に、身動きできないが意識を失わない程度の毒を、その鞭を通じて送り込んだ。


 ウリオが膝を突く。

 感情がないように見えて、かなり強固な意志力だ。倒れることに必死で抗っている。


「俺の能力は、記憶を含めて相手を自身に取り込むってものだ。その証拠にはならないが、」


 言いつつ彼に近づき、その隻腕に触れる。

 そして、腕の付け根から引っ張り出すようにその腕を修復した。

 ヴァティの眷属である彼の腕を修復し、精気を補充してやることくらい、彼女を取り込んだ飛逆には造作もない。


「この通り、ヴァティの権能はすべて俺が使用できる。記憶に関しては、今は証明できないが、その内、アイツとお前しか知らないことを引っ張り出して提示してやろう」


 さすがにさっきの今で記憶の参照まではできない。だが棚上げにはしている。おそらく兄のそれと同じように、多少飛逆のそれと混ざっているだろうが、『彼女』に会うことはできるだろう。本当の意味で【紅く古きもの】を掌握した今なら、あるいは飛逆は眠ることができるだろうから、その時にでも会って聞き出せばいい。


「アイツは死にたがっていたからな。俺はアイツが嫌いだから、生き返らせてやりたいとさえ思ってる。アイツの望み通りにしたくない。アイツを取り込んだのも自分を終わらせたいっていうアイツへの嫌がらせだ」


「キサマ、は……っ!」


「喋れるのか。大した憎悪だ」


 まあ呼吸はできるように調整した毒だから、不思議ではないが、半分麻痺した舌でよく喋られるものだ。


「まあ聞け」


 今喋られると面倒臭いので口を塞ぎつつ続けた。


「俺たちは今、塔の中で怪物を封印する手段を研究している。まだ問題はあるが、それ自体は目処は立っている。眷属から怪物を引き剥がすことにはもう成功してるくらいだ。そこに【能力結晶】の仕組みがあれば、ほぼ完全にできるだろうってくらいにできてるんだが、お前、俺たちに協力しないか?」


 そう言われても、やっぱり悪魔の囁きだろう。


「言い換えようか。俺も俺の中に生き返らせたい人がいる。だからその手段はお前の協力があろうがなかろうが、必ず獲得する。お前は、俺たちの成果を盗めばいい」


 口を塞ぐついでに送り込んだ解毒薬で、しっかり喋られるようにしてから、手を離す。


「どうだ?」


「なぜ、キサマはそれを私に提示する」


 思考回路が飛逆に似ているらしいウリオなら、それを聞いてくるだろうとわかっていた。


「ヴァティと契約した。お前にはわからんだろうが、これは履行されなければならない。その契約を破棄するためにも、ヴァティは一度生き返らせなければならないんだよ」

「その後で殺すつもりだと?」

「その時までにお前は俺に対抗する力を身に付ければいい。まあ、可能性としては極小にも程があるんだが……」


「いいだろう」


「やけにあっさり承諾するな」


 もう少し色々と説得しなければならないかと思っていたが。


「キサマには私を殺さずに封じる手段がある。にも拘わらずこれを提示する。その思惑はわからんが……キサマのそれを聞きたくはない。ヴァティ様を蘇らせることができるということを、キサマが証明できるところまでは、その契約とやらのために協力する。さし当たって私がすべきはクランの維持だな? ヴァティ様がキサマなんぞと契約するのに他に理由が見当たらん」


「俺、お前嫌いだな……」


 本気で飛逆と思考が似ていた。ヴァティとは違う意味で、嫌いなタイプだ。


「結構なことだ」


 そんな皮肉で返してくるところも、また。

 辟易した。


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