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91. 彼/彼女の事情

 どれくらい長い時間そうしているのか、飛逆自身も曖昧だった。


 ヴァティを浸食する炎毒を追加していく内に、少しだけ変化が現れる。

 それはヴァティ本体に現れたのではなく、この神樹でできたシェルターそのものに。


 一番わかりやすい変化は、明かりが明滅し始めたことだ。

 地下とは思えないほど明るいこの中央広場だが、その明かりはヒカリゴケのようなもので生み出される光だ。その光が、ポツポツと消えていき、たまに復活するが、また消える。フィラメントが切れかけの電球のようだ。苔の一つ一つは小さいために、エネルギーが途切れるときの影響が出やすいのだろう。


 おそらくは地上部分の神樹からエネルギーを通してここに集中させているのだろうが、ついにそれがすべてのラインを満たせなくなるほどに消耗してきている。その証拠だった。


「……まだ、決まらないけど、少しばかり話をしないかい?」


 瞑目して考え込んでいたヴァティが不意に瞼を開けて、声を掛けてくる。


 焚き火が話しかけてくるような違和感。

 彼女が達磨というより丸太のような有様で、下腹部からは炎が上がっているせいだ。


 このシチュエーションが、まるで焚き火の前で自問自答する、道に迷った旅人のようだと連想して、まさにそれではないかと自嘲する。

 自嘲が口を曲げて、皮肉っぽい形になったが、それでも飛逆は聞き返した。


「どんな?」

「たぶんキミは、どんな不利益を被ることになっても、ボクを否定することを断念しない」


 その通りだった。

 飛逆は彼女を否定しなければならない。それは今、己が歩いている道を、その先を否定することでもある。だからこそ、順調に歩けている今、躓かなくてはならない。言い換えるならば、不利益を被らなければならない。

 故にこそ、飛逆は却って不利益を被ろうとしているのだ。

 先達であるヴァティから様々な情報を聞き出し、これまで彼女が積み上げてきたそれを吸収すれば、飛逆は今よりもきっと上手く歩くことができる。周回を飛ばせる。あるいはヴァティの辿り着けなかったところに行き着くことだってできる。あるいはそれを継承することで、ヴァティが行き詰まったであろう何かを回避することも可能だろう。

 それを否定する。

 それをすべて、台無しにしようとしている。飛逆が自ら。

 合理性をかなぐり捨てて、理性的にそれを選ぶ。


 我が事ながら狂的なことだ、と再び自嘲が漏れた。

 自覚はあったが、飛逆は狂っている。


 兄は狂気が甘いと言っていた。

 それは警告としてだったが、とっくの昔から飛逆はその警告を無駄にしていた。


 極めて理性的に、飛逆は狂っている。


「だからボクの言葉では、キミを説得できない。それはわかってる。ただ話をしてみたいんだ」

「だから、どんな?」


 別に話をすることを拒否していない。ただ、もう飛逆には彼女に話すべき事は何もなかった。彼女から聞きたいこともまた、ない。


「先の話をしても、今の話をしても、キミは聞きたくないだろうし、ボクもさすがにキミの利益になることを話したくない。だから、過去の話をしようよ」


 この状態にある程度慣れたのか、それとも百回殺された精神的疲労が癒えたのか、疲労した様子のない口調だった。そっちのほうがシュールだったが。


「興味がない」

「ボクはキミに興味がある。それにボクの過去を話そうと思えば、必然的にキミにとっての今に関わってくるし、それは聞きたくないのはわかるよ」

「俺のことを知ってどうする。いや、どうもしないつもりだってのはわかってるが、なぜ俺が素直に話すと思うんだ」


「キミの能力は、【力】の強奪だろう」


 唐突と思える、正鵠を射た指摘だった。


「……どうしてそう思う?」


 気配遮断を除けば、一見して炎で説明のつくことしかやっていない。


「モモコちゃんみたいにオーラを隠せるから、『覚える』能力かもしれないとも思ったけど、その腕や眼が違うって示している」


「そういえば、そりゃそうだな。俺が本来は極めてヒトに近い見た目だって、お前は知っているんだし」


 別に疑問でもなんでもなかった。隠す気もなかったが。


「【力】そのものを取り込まないと、そんな変態はしないからね」

「だが、それがどうかしたか?」


「だから、過去の話さ。その能力で、何を失ったのかなって。気付いてるよね? ボクたちがここに漂着したのは、前の世界で何かを失ったからだって。繋ぎ止める何かを」

「そういう言い方をすると、繋ぎ止めるものが無くなった怪物はすべてこっちに引っ張られてくるみたいに聞こえるな」


「そこまでわかっているなら、別にこれはいいよね。

 怪物にはルーツがある。それは基本的には事象に対してヒトが伝承や思想でカタチを与えたものだ。それゆえに、その事象が不確かではない何かによってその存在を証明されてしまうと行き場をなくしてしまう。カタチだけが残るんだ。けれどカタチだけでは存在は維持できない。だからヒトに取り憑く。己の存在を維持するために、カタチの中身を埋めてくれるヒトの思想や想像力を求めるんだね」


「悪魔は存在を証明されては存在できないってか。中々哲学的だな」


 まあ、これくらいは怪物のルーツについて考察してきたときに辿り着いていた推論ではある。


「その世界に拒絶された怪物は元々その世界に存在し続けることに無理しているんだ。そこに、憑依して一体化したヒトまでもその世界を拒絶したなら、繋がっていられない。位相がズレるって言い方になるのかな。そこを引っ張られた結果、漂着したのがこの世界だよ」


「セカイ系だな」

「なにそれ」


「ヒトの思想や想像力がその世界を構成・維持しているっていう前提の基に創作されたものというか、そういうジャンルのサブカルチャーがあったんだよ、俺の元の世界に。たった一人の思想で世界が塗り変わるっていう話が主にそう呼ばれてたんだが、俺にはそう読めた。社会っていう幻想にどっぷり浸かった人間の発想だ。社会それ自体が幻想……架空の土台の上に積み重ねたものだっていう実感がないんだろうな」


 ただの紙切れに貨幣という価値を付加することで発展した社会ならではと言えたかも知れない。その共同体の内側では、幻想に現実感を抱くことに違和を覚えない。社会という枠組みに、ヒトの集まりという以上の意味――幻想を植え付けた。そうするほうがルールの制定と維持がやりやすいからだ。合理的な仕組みではあるが、幻想を幻想と認識できないことでの自家中毒に陥っている節もあったが、まあ余談である。


「よくわからないけど、幻想そのものである怪物のキミが言うと、なんだか皮肉なことになるってのは、わかるよ」

「俺は元々半分がヒトっていう怪物らしいからな。そのものではない」


 ただ、ヴァティの言う理屈も当を得ているかもしれない。

 飛逆の血族は、精気を奪うだけならば動植物でよかったものを、なぜかヒトを喰らわなければならなかった。あるいはヒトの記憶を搾取するという【吸血】の作用は副産物ではなく、それが本命なのかもしれない。ヒトの記憶……思想や想像力の基となるそれを取り込むことで、その存在を維持していたとも考えられる。


「要らんことが判明してしまった、また……」


 飛逆が兄を喰らってすぐにこの世界に召喚されなかったその訳が、わかった気がする。


 ヴァティの言うことが正しいかどうかはともかく、あの世界に執着を無くしたことで召喚されたというのはおそらく正しい。けれどそれは兄を喰らったその直後からの話だ。数年間の空きがある理由がわからなかった。


 当然のことながら、飛逆は社会に組み込まれての数年間、ヒトを喰らっていなかった。その数年間で、その世界に存在しつづけるためのヒトの記憶が消化されてしまったのだと考えれば辻褄が合ってしまう。

 かといって、それがどうしたということもない。


 数年間の社会生活が今の飛逆に全く影響していないということはないが、それがわかったところで今が変わるわけでもない。


「ともあれ、思い付いたよ。さっきの選択肢に付け加えてくれないかな」


 どうしたということもないのに、ヴァティは続ける。


「クランのみんなを、キミの中に取り込んでくれないかな。どうせ殺すのなら」

「バカなのか?」


 なぜわざわざそんな面倒臭いことをしなければならないのか。いちいちヒトを喰らうよりも原結晶を喰らったほうが精神的に楽なのだ。


「ボクはね、知ってると思うけどここで終わりで構わないんだ。後に何も遺らなくても、それは負けたから仕方がない。でも、クランのみんなは戦ってもいないんだ」

「だからこそ、お前自身によって壊されることに意味がある」

「ボクは今すぐに終わりにすることができる。それをしないのは、キミは間違いなくボクが生かしたクランを壊すってわかっているからだ。それも、ただの八つ当たりで」


 そうするだろう。

 ただ苛立ちを紛らわせるためだけに。

 彼らを無意味にするだろう。


「かといってボクがクランを犠牲にして生き残ったら、キミはボクを生かしたままにするだろう……。そっちのほうが、ボクには残酷だから」


 そうするだろう。

 積み上げてきた道を自ら否定したヴァティを、どうあっても自死させない。

 無意味を突きつけ続けるために。

 それは飛逆にとって気分のよい結末ではないが。


「選択肢を付け加えるか。お前を喰らって、クランの連中を皆殺しにする」

「ああ、それは、最悪だ……」

「自死を企てた瞬間に、その選択肢は実現する」


「アハハハハ! アハハハハハハハハ!」


 何がおかしいのか、ヴァティは本気で愉快気に笑った。腕があれば腹を抱え込んでいただろう。


 あまりのシュールな笑い方に、さすがに飛逆は戸惑った。


 ヴァティは一頻り笑い、疲れたように息を吐いて、未だに愉快そうな顔を持ち上げて言う。


「キミは最初からこれを思い付いていたのに、言わなかったね? ボクがここで終わりにしていいって思っていることを知っていたのに、その最悪を言わなかった――選択肢に入れなかった」


「お前を喰らいたくなかったし、お前が俺の能力を知らないと思っていたからだ」


「違うね。キミは、キミが許しうる中では最も『優しい』選択肢をボクに選ばせたかったんだ」


 反射的に――

 飛逆はヴァティの頭を左腕で鷲摑みにしていた。


「考えれば考えるほど、キミの提示した選択肢は、一見最も残酷に見えて最も優しい!」


 こみ上げてくる笑いが声を張り上げさせたのか、ヴァティは叫ぶように指摘する。


「何もかも失われる未来が確定しているなら、その中ならそりゃボクはそれを選ぶよ! ボクが死にキミにクランが蹂躙されるよりも、ボクだけが生き残ってしまうことよりも、最期にボクが意志を以てすべてを手放すほうが……あくまでも、まだマシだ」


 トーンを落として、己の頭蓋を圧迫する飛逆を冷たい目で見返す。


「残酷なことには変わりないけどね。だから最初はわからなかった。あるいはキミにも自覚がないんだろう。どうしてキミがそんな風に、残酷に優しくなったのか、知りたかったけどそれはもういいや」


「ごちゃごちゃと……俺の能力は怪物相手には暴走する。だからできるだけ使いたくなかっただけだ」


「だとしても、最後の選択肢を選ばせようとしたという事実は変わりないよ。キミの能力云々はそれをボクに確信させたってだけだ」


 このまま頭蓋を握りつぶそうかと、力を込める。

 けれどそれをすれば、彼女の言うことが正しいのだと認めることになる。

 逡巡した。

 そんな一瞬の空白に滑り込ませるようにヴァティが言う。


「――取引しよう」

「……聞くだけは聞いてやる」


 頭蓋を潰そうが、彼女の言葉通りならばそれで死ぬかどうかは怪しい。ならば結局彼女は口を開くだろう。だから聞いた。


「ボクを喰らう代わりに、クランを生かしてくれ。ボクの望みを挫く代わりに、ボクの望みを遺してくれ。……お願いだよ」


 聞かなければ良かった。

 思わずそれが、妥当な取引であると感じてしまった。

 そんなわけがないのに。


「くそっ……わかっちまった」


 なぜ、ヴァティの言うような『優しさ』を無自覚に提示してしまったのか。


 それは兄が望んだことだったから。

 自らを【魂】ごと消し去りたいと、彼は願ったから。


 彼を喰らっても、兄の望みは叶わなかった。

 彼女を喰らっても、ヴァティの望みは叶わない。

 どちらも自らを『終わり』にしたいという望みなのに、その手段は逆で、真逆だからこそ、そっくりで。

 彼と彼女はそっくりだから、喰らいたくないのに喰らわなければならないという飛逆砦の気持ちは同じだった。


「成立だ」


 吐き捨てるように受諾した。

 断れるわけがなかった。

 それは兄の望みを叶えられなかったことの代償行為に過ぎないと自覚していても、抗えるわけがなかった。


 ヴァティはただ微笑みを返した。

 暗色にして虹色の渦が、その微笑みを塗りつぶすように喰らっていった。


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