8. 呪い(軽)
そして状況は何も変わらなかった。
というのも、虎娘もまた例の扉を抜けてきていたからだ。
まあ、考えればわかることだったと言える。彼女はコソ泥少年の助力を得て隠棲していたのだ。ヒューリァの攻撃によって派手に耳目を集める場となってしまったあの庭から逃げることを選択するのは予想してしかるべきだった。
ただ、予想できるはずもなかったのは、あの門に裏も表もなかったことが一つ。どちらから潜り抜けても、放り出される方向が違うというだけで、同じ場所に転移されるとは、ちょっと予想していなかった。そもそも裏や表があると考えもしていなかったのだ。
そしてもう一つ。根本的な問題として、虎娘のほうもあの扉が『安全に転移できる』ものであると咄嗟に判断できる予備知識があったこと。
飛逆たちが最初にあの扉を観たときには相当慎重になったことからわかるとおり、いかにもあの扉は怪しいのだ。一か八かでは、虎娘が大事にしているらしいコソ泥少年を一緒に連れてくるとは考えにくいほどに。
そんなわけで、また二組の少年少女は睨み合うことになった。
違いは、またどこかの酷く天井の高い建物の中であるということと、狭い通路のような場所であることと、飛逆たちにとって助けとなる者が現れるとは考えづらいということだ。
(やばい……。自分から状況を悪くしちまった)
なぜか虎娘も少年も、こちらを警戒しているものの、攻撃を仕掛けてくる気配はないのが救い(何故か少年が虎娘を抑えているようだ)だが、意地でも虎娘か少年から【吸血】しないことには飛逆の命はない――?
「ん?」
違和感。
あのペースで出血していたなら、とっくに意識が遠くなっていても不思議はない。それなのに、むしろ意識はクリアになっている。
肩を蝕む痛みは相変わらずなのに? まさか瀉血の効果とか? そんなバカな?
虎娘から目を外してでも確認せずにはいられなかった。
マントをはだけて患部を診る。肌着はズダズダになっていて視野を妨げるものはない。
出血は止まっていた。その血を止めているのは、血よりも紅い鱗だった。相当深く抉れていたようで、肩の殆どすべては鱗で埋まっていた。痛みを我慢すれば、粉砕骨折していたはずの肩を動かすこともできる。
(ああ……そういう……)
驚きよりも、納得があった。
こんな『痛み』を全身(半身?)で受けていたヒューリァは、さぞかし辛かっただろう。よくよく自分を内診してみれば、この『痛み』は肉体よりも精神のほうを蝕んでいる。それは痛みを伝える回線に直接割り込みをかけられる名状しがたい不快感だ。そりゃあ正気じゃいられないだろう。むしろ、狂気に頼らなければ正気を保てまい。
飛逆は納得で、むしろ落ち着いた反応だったが、飛逆以外の反応は劇的だった。それはヒューリァのみならず、虎娘や少年も含めてだ。
泣きそうな顔で飛逆にしがみついてくるヒューリァはともかく、虎娘と少年のほうは一頻り慌てた様子を見せたと思えば、何か合点したように頷き合い、少年が盗品の例の筒を取り出し、虎娘に渡す。それを虎娘はためらいなく自分の首に突き立てた。
当然、例の筒が何らかの武器のようなものだと思っている飛逆たちは警戒するが、虎娘は襲いかかってくるでもなく、少年と会話しはじめた。
(……もしかして、そういう、ものなのか?)
少年と虎娘が同じ言語で喋っている。そこから導き出される結論は、
「■■■」
少年が二つ、同じ色の筒をこちらに転がしてくる段になって、少なくともその意図を読み間違えることはない程度に飛逆たちはその推測を得ていた。
すなわち、その筒を首に突き刺せば、彼らと同じ言葉を話すことができるようになると。
虎娘なんかは頻りに自分のうなじ辺りを爪を引っ込めた手で指さして、『ここにこうするんだ』というパフォーマンスをする始末だ。
(体が十全に動く今なら勝算がないわけじゃないが……)
ヒューリァの消耗がある。飛逆だけでやりあおうとしても、ヒューリァの性格上、間違いなく手出ししてくるだろう。
そんな危険を冒すよりは、罠の可能性があっても、彼らの『話し合って解決』という意思表示に乗った方がいい。
ヒューリァに確認の視線を遣って、それぞれ頷くと、拾い上げた筒を首に突き刺した。
針も出ていないのにそれは突き刺さり溶け込むように消えて、薬莢のようなものだけが手元に残る。
「言葉、わかりますか?」
少年が訊いた。
すんなりその言葉を理解できた。相変わらずどうやって発音しているのかはわからないが、それは全くの異言語だからではなく、普段自分がどうやって母国語を発しているのかを深く考えないことと同じ感触だった。
「「わかる……」」
ヒューリァとまったく同時に言葉を返した。
(ヒューリァの声ってこんな感じだったんだな)
と改めて発見した気分になった。
それはヒューリァも共有するところだったのか、顔を見合わせ、二人して少しだけ笑った。
「お二人に使ってもらったのは【能力結晶】の【言語基質体】というものです。ごくごく低い確率で適用できない場合もありますが、これによりどんな異文化で育った者でも僕たちと同じ言語を共有することができるようになります。効果時間は約一日半。永続性はありません」
さっそく説明してくれる少年の言葉には、その内容よりも多くの示唆が含まれていた。
まず、あの銃弾のような形の筒は【能力結晶】という名前であり、【言語基質体】の他にも種類があること。その【言語基質体】にしてもすべての言葉を網羅できる能力を付加するような効果はないということ。そして付加される言葉の基本は少年が扱う言語であるということ。虎娘がやっぱり、というか少なくとも少年とは別の文化で育った存在であるということ、等だ。効果時間が存在することは予め想像できていたことなのでこれは別にいい。
わかったことを頭でまとめた後、飛逆は発言した。
「詳しい話を聞きたいのは山々なんだが、一つ確認したい。俺たちと敵対する意思はあるか?」 何を今更、と思われる向きもあろうが、重要なことだ。
「……詳しい話をしてからでないと、何もお約束はできません」
いい返事だった。ひとまずは信用してもいいと思える程度に、少年は賢い。情報をもらう立場のくせに偉そうだと思われる向きもあろうが、以下略。
飛逆は頷き、「俺は飛逆だ。こっちは」
「ヒューリァ」
「……トーリです」
「モモコにゃ。よろしくにゃん」
「「……」」飛逆とヒューリァは同時に思った。「『にゃ』ってなんだ」と。
内容は微妙に違う。
飛逆は「猫がニャーと鳴く文化出身なんだな」という得心と「【言語基質体】はそういうニュアンスまでも訳して伝えるのか」という若干の驚き。自らの異様や異形を受け入れるために『キャラクター』を作って纏うという心理作用について理解がある飛逆は、その点にはまるで驚かなかった。
ヒューリァは純粋に「この猫被り女何言ってるの?」という疑問だ。いや、純粋かどうかは微妙に論を要するかも知れないが。怪訝というならそれが正しい。
だが二人とも名前を交わしただけの間柄のモモコに対してツッコミを入れられるほど気安い性格ではなく、閑話休題。
「トーリ、その肩、自分で入れられるか?」
未だ嵌めていないことを観れば無理なのだろうとわかるが、一応確認する。肩が外れると、腕が動かないとか以前に立って歩くのもバランスを取りづらくて辛いのだ。
「いえ……」
思い出したように痛みを顔に浮かべて首を横に振る(否定の仕草は共通)。
「モモコは?」
「うにゃ~。ウチの力でやったらトーリ壊しちゃうにゃぁ」
これだけでも結構な情報(モモコは力加減が下手だが、整体の知識は持っている。あと、モモコの感情表現には耳の動きが含まれる)が得られたが、そのことをおくびにも出さず、
「じゃあ、トーリの肩を俺が嵌めて、その後落ち着ける場所に移動。そこで詳しい話をするってことで、異論ある奴は?」
仕切りたいわけではないが、この面子で人任せにして流されるのは避けたい。
「そう、ですね。ここで挟み撃ちは危険ですし……お願いします」
いかにもトーリは育ちが良さそうな態度で返事をして、モモコは割とどうでもよさげに目を細めて自分の顔を腕の毛皮で撫で、ヒューリァは特に異論はないと頷いた。
舌を噛み切らないように布を咬ませたトーリの肩を入れてやる。麻酔でもしない限りどうやったって苦痛は避けられないが、トーリは中々頑張ってくれた。
そうしてから移動しがてら、トーリに訊いてみる。
「【能力結晶】ってのに回復やら修復効果を持つものはあるか?」
「……すごい、勘がいいですね。ありますよ」
「でも、【能力結晶】は非常に高額、もしくは購入や所持使用に資格が要る?」
「……どちらもです。非常に、ってほどじゃありませんけど」
あまりにも勘が良すぎるせいか、トーリは不気味なものを相手にしているような目をした。
飛逆は苦笑して、種明かしとばかりに、
「これの中に回復か修復の効果のものはあるか?」
腰のポーチを取り外して中を開いて見せる。
「あ、はい……。多分ですけど、この水色のと白色のが」
「修復は? どっちだ?」
「えっと……すみません。回復と修復の違いってなんですか?」
「こっちではどうか知らないけど、動物の体ってのは回復する部分としない部分があるんだよ。靱帯とか腱ってのは、例外はあるけど大抵は一度伸びたり切れたりすると完全には治らない。そういう怪我は、俺のところでは修復というか、修繕に近いことをして誤魔化してた」
現代は再生医療などが発達して、靱帯や腱も取り替えることで直せる可能性が見いだされているところだったが、飛逆には遠い話に思えたし、それは回復とは言わず修繕というべきだと思う。まあ、倫理などの観念の問題は飛逆にはどうでもいい話ではあったが。
「はぁ……つまり、どういうことなんでしょう」
トーリの頭が悪いのではなく、この世界ではそうした知識は出回っていないか、もしくはトーリがそれを学べる年齢ではないかなのだろう。
「修復じゃないとおそらく君の肩は治らないってことだよ。肩の脱臼ってのは癖になりやすいんだ。自分で肩を入れるのに慣れたくはないだろ?」
「……」
「どっちも使えるなら使っとけ」水色と白色を渡す。
「……ありがとうございます?」
語尾が上がったのは、おそらく飛逆が親切なことが不気味だからだろう。意思疎通の初っ端から『馴れ合いはしない』みたいな態度だった飛逆だから、警戒するのも仕方がない。
警戒と言えば、何故かヒューリァもそんな飛逆に対して怪訝そうな、そしてトーリのほうに警戒的な視線を向けているのだが、飛逆にはちっともその理由がわからない。まさかトーリの線の細さが飛逆のツボなのではないかと疑っているわけでもあるまいし。
(いや、まさかな……)
飛逆がちらっとでもそう思ってしまったのは、自分がヒューリァのモーションに対して一部除いて淡泊な反応しかしていないという覚えがあるためだ。むしろ見せられて嫌そうな素振りさえしていたので、男色趣味を疑われているのではないかと、本当にちらっとだけ思ったのだ。
冷たい汗の感触を背中に覚えつつ、どうかまかり間違ってヒューリァが誤解していませんようにと祈るばかりだ。飛逆は単に、自分の意図しないところで負わせてしまった怪我の埋め合わせをしたいだけだったのだ。そんな払拭が難しい誤解をされるようなことではないのだ。
(言っちゃなんだが、思い込み激しそうだもんな、ヒューリァ……)
万が一が万が一であってくれと、重ねて祈る飛逆だった。
これはちょっと飛逆には予想外だったのだが、【能力結晶】にはそれ自体に回復効果や修復効果があるわけではなかった。【能力結晶】という字面通り、それは『能力』を付加するのであり、効果を付加するわけではないということらしい。
つまり、『自己治癒力促進能力』を付加する場合は水色の【能力結晶】を。肉体を外部から回復、ないしは修復させる能力を付加する場合には白色の、という具合だ。
トーリの肩の場合、飛逆の理屈で考えるのなら『自己治癒』では寛解しない。そのためトーリは自分に回復能力を付加して、改めてなにやら魔法的なエフェクト光を発した手を自分の肩に置いた。
少なくとも痛みは引いたのか、トーリの顔がふっと緩む。
この話を理解したとき、激痛を伴う肩を嵌める処置の前にこれをやっておけばよかったのでは、と思ったが後の祭りだ。実際、脱臼を直せるのかどうかまではトーリにもわからないということで、まあ結果オーライとしておくことにしたが。骨が外れた状態で治癒すれば外れた状態で固定される危険がありそうだからだ。
「あ、あの……」
トーリが言うにはこうした放出型能力の付加は使用によってその残り使用時間が減るらしい。だからといって使わなくてもいずれは期限が来てしまうので、今のうちに、治したい傷があったら治した方がいいとのこと。つまりは飛逆の肩を治療するかという提案だった。
ヒューリァの冷たい視線に耐えつつ、一応試してもらった。
心なしか『痛み』が和らいだ気がしたが鱗は消えず、ヒューリァの視線が凍傷レベルに痛かったのでプラマイゼロだった。ヒューリァとの関係性においてはきっとマイナスだった。この期に及んで『きっと』とか希望的観測を入れている時点で飛逆はプラマイ以前のアウトだった。
だったら例えばヒューリァや飛逆、最悪モモコに【能力結晶】を使わせればよかったんじゃないかという向きもあろうが、これまた厄介なことに、基本的に【能力結晶】は重ねて使うことができないらしい。基本的にということは例外もあるということだが、それはひとまず措いて、【言語基質体】をインジェクトしている三名にはどのみち使えなかったということ。続けて使用すると後のほうに上書きされるらしいが、たまに何らかの拮抗障害や過剰障害が発生することもある上に、そもそも【能力結晶】には限りがある。トーリがモモコと意思疎通するためにやむなくコソ泥に入ってまで手に入れた物を無駄遣いなどできるわけもない。
飛逆としては、こうした制限を実は想定していた。
というのも、黒の【能力結晶】は運動能力付加らしいが、飛逆たちが倒した男はこれを直前まで使用しようとしなかったからだ。軽々と使えるようなものなら予めインジェクトしておくだろうという話だ。
「うにゃっ、こことかどうかにゃぁ?」
色々と話し込んだが、目下落ち着ける場所を探すという名目での移動の最中だった。
すでにして知っていたのか、あるいは考えないことにしているのかモモコは情報を引き出そうとする飛逆たちの会話にまるで入ってこなかった。足音はおろか衣擦れの音さえも立てないので飛逆などは微妙に存在を忘れていたくらいだ(よく考えたらそれはとても恐るべき隠密スキルなのだが)。そんな彼女でも名目は忘れていなかったらしく、めざとく扉を見つけて一人先行し、振り返ってこちらを手招きする。
どうでもいいが、モモコの服の背中は焼けて丸見えだ。白と黒の虎縞の体毛が背筋を覆っているのが見えて、その体毛に焦げが見当たらないことを確認した。あの『毛皮』はただの獣の毛皮とはやはり考えられないな、と。尻尾については目が行かないのが飛逆だ。
「モモ、それ多分扉じゃな――」
トーリがモモコに忠告しようとした矢先に、その忠告が現実化した。
扉の中央がぱっくりと割れたかと思えば迫り出して、モモコに食いつこうとするではないか。
「にゃ?」
だがモモコはこちらに手招きしている手を動かそうともせず、視線もこちらに向けたままで、小首を傾げたと思えばもう片側の腕で軽い感じでアッパーカット。
斬! という具合にあっさりと縦に真っ二つだった。どう見ても爪の直接の間合いにない扉型モンスターの上の壁まで亀裂が走る。
忠告しておいてトーリはそれを予想していたらしく別段驚かず、飛逆も、モモコがまるで無意識みたいにその攻撃を繰り出したことに注目していた。トラップ型モンスターは注目に値しない。見え見えだったので。むしろヒューリァがこっそり「ちっ」とか言っていることのほうが注目すべきだけど飛逆は聞こえなかったことにした。
(天然の暗殺者タイプか……)
飛逆のように相手に隙を『作る』のではなく、自然体で死角に攻撃を入れるタイプだ。わかりやすい例を挙げれば、人懐こい笑顔を浮かべて凶器を見せびらかしながら近づき、気付いたらその凶器を心臓に突き立てているタイプ。実に危険な。
扉型モンスターは一応『扉』であったらしく、彼が崩れ落ちた後ろには空間があった。ただし、その空間からは半ゲル状の液体が溢れてきたのだが。
これには驚いたのか、「フギャー!」と叫んでモモコがこちらに飛び退く。
ヒューリァがマントの下でこっそりガッツポーズをしていることを察しそうになった飛逆である。
二重トラップというわけでもなく、きっとあれは動物で言うところの消化液だろう。何か床に触れるなり煙が出てきているし、何か白っぽい、骨みたいな欠片も混じっている。
進路を塞ぐ形になった上に飛逆たちのところにも溢れてきたので、ヒューリァが仕方なさそうに溜息を吐いて、【焔珠】でその消化液を焼き払っていく。すると今度は吸い込んだら危なそうな色の煙が出て、結局一行は来た道を戻らざるを得なくなった。明らかに極性のある液体なのだからモモコの電磁誘導ではね除けるなり分解するなりできたはずだが、そういう知識があるのはどうやら飛逆だけだった。
落ち着ける場所をとか言ってられないので、もう道中で訊いた。
「トーリ、結局、ここはなんなんだ?」
「……はい。ここは、【蜃気楼の塔】と呼ばれています。ヒサカさんならもうお察しとは思いますが、さっきみたいな【不全型魔生】……つまり【能力結晶】の原料が発生する場所です」
確かにそれは、想定内だった。
これを話すにはやや複雑な背景の説明を要する、というようなことをトーリは前置いてその背景を語り出した。
トーリの住んでいるあの街は、謂わばすべてがここ【蜃気楼の塔】から得られる材料を基にして発展した工場のようなものなのだそうだ。
もちろんある程度の生活物資の自給もあるが、あくまでも主題は【能力結晶】の産出にある。そのため【能力結晶】以外の殆どの物資は輸入によって支えられている。
余談だが、そのような背景で発展した街であるため、【能力結晶】そのものを専門に扱う店というのは多くない。むしろレアだ。なぜならあの街に住む誰もが【能力結晶】の産生に関わっているため、原結晶を手に入れられる者は調合や合成の専門店に、調合・合成を扱う者は手数料として原結晶を手に入れるなど、店頭で完成品を購入する必要性が少ない。だからといって完成品を扱う店が少ないことの理由には弱いが、これは【能力結晶】の所持を資格化するための制度の一環だという。
前述したように、【能力結晶】の産生に関わる者ならば手に入れることは容易いため、それ以外の方法で手に入れようとすれば店頭で身分を証明する必要に迫られ、その身分の取得には住民登録しなければならない。つまりは『モグリ』を減らす効果があるというわけだ。この街で使われる言語の【言語基質体】は店でしか手に入らないため、二段構えのよそ者のあぶり出しだ。実に排他的な制度であった。
トーリはそんな制度の中で、その資格を持たない例外の一人だ。正確には、れっきとして住民ではあるが、彼の親の仕事が問題だった。
珍しくトーリの親は産生に直接係わらない仕事に就いている。それは後発的ながらこの街の発展に伴い必然的に発生した職業であり、つまりは統治・治安維持に携わる仕事だ。
誰もが【能力結晶】の産生に携わっていたのは『今は昔』の話で、現在はそうした住民も増えている。とはいえ全体からするとやはり少数派であり、元々様々な理由で『子供』には所持使用の資格がないが、トーリの場合は親の目を盗んで【能力結晶】を手に入れることが他の『子供』に比べても難しかったのだ。
そんなトーリがモモコと出遭ったのは幸運だったのか、どうか。
閑話休題。
そのようにして発展してきた街だが、つまり【蜃気楼の塔】に依存してきたということに他ならない。そんな歪な状態からの発展に、一波乱も二波乱もあるのは当然のことだ。だがとりあえず他国からの干渉だとか内部抗争だとかの問題はさておき、際だって致命的な問題が発生したことが、過去に四度ある。記録に残っていないだけでもっと多いだろうが。
その問題とは【蜃気楼の塔】の消失だ。
「もともと蜃気楼というだけあって、かの塔には実体がなかったんですが。いかなる手段でも触れることはできず、近づけば問答無用で『転移』させられ、内部のどこかに送られる。ですが、映像としては、街のどこからであろうと確実に見える、月に届かんばかりの天を突く巨塔なんです。それが、消えました。おわかりでしょうが、現在もまた、『消失中』なんです」
「なるほどね」
飛逆は溜息を吐いて得心する。
これだけの情報が得られれば、もう話の先まで読める。
「『消失中』には俺たちみたいな消えたはずの塔に侵入できる異世界人が現れるんだな?」
「はい」
「で、過去の消失からの回復は、異世界人たちの駆逐によって成された」
「……はい」
トーリは僅かに緊張を浮かべる。
「ひさか、駆逐って?」
言葉の意味がわからないわけではないだろうが、ヒューリァが念のためとばかりに訊く。
「元の世界に追い返すなり、まあ当然、殺すなり。いずれにせよこの世界に留め置かないようにするってこと。消失の代わりに出現したんだからその逆もあるだろうってのは、まあ順当な発想だよな。実際正しかったみたいだし」
「ふふん」
なぜかヒューリァは胸を張った。
「……ああ、君が断固として投降に反対したおかげだな、確かに。ありがとう」
例の調査隊に無条件で投降し、保護を願っていたら、飛逆たちは今頃命がなかったかもしれない。そう考えれば、ヒューリァのおかげで命を拾ったことになるわけだった。結果論だが。
なんとなく求められているような気がしてヒューリァの頭を撫でくり回した。
実際、訳もわからない状態なら異世界に放り出されてやることはまずは誰かに取り入ることだ。そう考える異世界人は決して少なくないだろう。過去にいくつも例があるのなら、これに対してもうスキームが完成しているに違いない。投降してきたところを温和に受け入れたふりをして後ろからぐさり、なんてことは間違いなくありえたのだ。
「で、モモコに訊きたいんだが、どうしてトーリを信用することにしたんだ?」
「にゃ?」
「この話を聞いて、ネガティブな俺なんかは思うわけだ。『親切に説明してくれたからといってこの少年を信じるに足るとは思えない』ってな。実際、どこに俺らみたいな者を匿ったりするメリットがあるんだ? 今の話が全部本当で、俺が正解しているなら、俺らを……というか、まあモモコだけなんだが実際は……匿うのははっきり言ってテロ行為と大差ないぞ? 生半可なメリットじゃ釣り合わないし、事の大きさを理解していないと考えるにはトーリは利発すぎるよな? 少なくとも野良猫を拾うのとは訳が違うのは弁えてるはずだ」
モモコに、と言っておきながら飛逆はじっとトーリを見詰めながら問い質す。
「しかも俺の推測が正しければ、俺たちを狩ることは【蜃気楼の塔】の回復の他にもメリットがあるはずなんだ」
「……にゃぁ?」
モモコが一層怪訝そうに首を傾げた。
トーリは顔を真っ青にして、それでも気丈に飛逆を見詰め返している。
「【能力結晶】の原料、あるいは原型……俺らはそれになりえるんじゃないか、ってな。それもスーパーレアクラスとして」
「……怖い、人ですね……。どうして、たったこれだけの材料でそこまで?」
「別に、大した根拠じゃない。俺はともかくモモコなんかは強そうだからな。倒したときのボーナスはでかそうだって思っただけだ。ハイリスクハイリターンは基本だろ? 後は、そうだな。夜の街しか見てないが、塔の消失があったってのに随分落ち着いているなって思ったことも、微妙に関係してる。対策があるってわかってるからって早々落ち着いてられるか? もっと必死になって、街全体を挙げてでも回復に努めてもよさそうなもんだ。さもなければパニックだな。けど、こう考えるとどうかってのがあって……川の氾濫ってのは大災害だが、これがなければ土が回復しない。肥沃な土を氾濫した水が運んでくれるからだ。回数を経ることによって、塔の消失は川の氾濫と同じく、痛みを伴うが街の発展には不可欠な通過儀礼ってことになってるんじゃないかって、まあ今思っただけなんだが」
というかまあ、ぶっちゃければ飛逆に『怪物としての自覚』がありすぎるために思いつけただけのメタ思考の賜物なのだが。
「モモコが答えてくれないなら、改めて訊こうか。トーリ、君は俺たちをどうしたいんだ?」
実のところ最初からモモコには期待していない。頭が軽そうなのは演技に近いものだと飛逆は見ているが、用心深さが足りないのは先ほどの扉型モンスターの例を見ても明らかだ。怪しいと思っても自分の力ならどうにでもできるという自信……無意識的な油断が透けて見える。だから参考にはしても彼女の意見は、鵜呑みにはできない。
震える唇を開き、トーリは答える。
「僕が、あなた方をどうしたいということは、ないです。モモはともかく……ヒサカさんたちは、その」
「ついで、か? 俺らと出遭ったのはイレギュラーだもんな。それはわかってる」
「は、はい。それで、その……でも、できればやってもらいたいことはあって」
「俺らを使ってやりたいことがあるってことか? それは君の故郷のすべてを敵に回してでも挑戦する価値があると?」
一瞬言葉に詰まったように息を呑んだが、トーリは決然と肯いた。
「はい。どうか、【蜃気楼の塔】を制覇してください。それが僕の願いです」