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79. 大概にしろよ

 研究は順調に進んでいった。

 というのも、ダークエルフによって彼(あるいは彼女)の眷属とされてしまった塔下街の住人たち。彼らは発芽以前であれば、かなり少なめの侵襲でその種を取り除くことができることが明らかになったからだ。

 これらはイルスらトップランカーの中で、彼から離反した連中を検体として用いて行われた。


 赤毛狼の麻痺毒によって弱体化していたためなのか、全身に根を張ってはいたものの、【神旭】によって【魂/力】を反転させた赤毛狼を送り込むことでそれを取り除くことができた。そして赤毛狼の【魂/力】を飛逆が相殺するよりちょっとだけ強めに設定して送れば、被検体の【魂】自体の修復力によって赤毛狼が押し退けられて、ほぼ完全にヒトとして戻ることができたのだ。


 つまりヒトの【魂】を強化することで、怪物の【魂/種】を押し退けられることの証拠の一つが得られたというわけだ。


 従って赤毛狼を使わずにそれができるかどうかを実験する運びとなる。


 しかしこれがまた難航した。

 【魂】を強化するといっても、飛逆に視えるのは精気だけだ。どうやら【魂】は赤毛狼の異能コード収納や行動ルーチンを決定するコンパイラほどには単純にできていないらしく、ただ単に無色の精気や、【能力結晶】、あるいは飛逆が書いたヒト擬態コードを送り込んでも単に元々あった【魂】が圧迫されるだけだったのだ。どうやら怪物という奴は元々ヒトに取り憑くという機能が異能コードとは別に備わっているということらしい。だから赤毛狼を送り込むのでは成功して、それ以外では失敗したのだろう。

 得るものはあったが、これで検体を三つダメにしてしまった。


 安易に消費できる検体はあと六つ。ヒトに戻した一例を入れても七つだ。

 すでに神樹として発芽してしまったゾッラとノムを安全に戻す手段を手に入れるためにはその前例として三つは欲しい。すると後使えるのは三つないしは四つ。


 その前に、


「そういうわけで、イルス。お前らから神樹の種を取り除く技術自体は確立した。これを自分たちに使うかどうか、決めろ。これは別にお前らの中で一致する必要はない。やりたいやつだけ俺のところに来い」


 ヒトに戻したトップランカーをイルスの前に放り出して選択を迫る。ちなみにそいつは弱めの麻痺毒で昏睡中だ。後で目覚めさせて彼が『ヒト』であることを示してやるつもりだ。


 イルスには飛逆がやっている実験を見学させていた。


 さすがに何をやっているのか、この研究の完全な部外者である彼にはわかりようはずもないが、彼らが神樹の種を植え付けられているということを実演で証明できない以上、こうして『安全性』を示してやるしかなかったのだ。


「わっかんねぇよ……」

 イルスはかぶりを振る。


「何がだ?」

「あんたがオレらをこう、……自覚はねぇが、要はオレらは病気なんだろ? それを治そうとしてるってことなんだろう?」

「病気っていうか、まあ。言うなれば環境ホルモンとか蓄積系の毒物中毒に近いんだが、お前に言ってもわからんよな。まあ、意思も何もない操り人形になる病気って言えば、そうかもしれない。ああ、それを治してやろうって話だが?」


「だからわかんねぇんだよ。あんたに何の得がある。オレらが……ああなっちまっても、あんたは構わないんだろ? つーか無理矢理にやっても、あんたなら余裕だろうし」


 四人の彼の仲間だった赤毛狼化連中を目線で示して、窺ってくる。

 彼ら四人は、元仲間たちと行動を共にさせることで意思の回復、あるいは発達が促されるかどうかの実験のため、イルスらに合流させている。もちろんイルスらは酷く嫌がっていたが、そこを斟酌する気はない飛逆だった。


「まあ、これはお前には言うか迷ったんだが、他の連中に言わないなら教えてもいいぞ」

「……あんたの場合、聞かないほうがよかったって思うんだろうが、聞いとかなきゃ余計酷いことになるんだろうな」

「つくづく思うが、お前って賢明だよな」


 中間管理職的才能に充ち満ちている。もちろん皮肉にしかならないが。

 イルスはもちろん苦渋を顔に浮かべる。


「まあ、後々のためだな。ちなみに赤毛狼……若干怪物化することで、お前らは強くなることができる。もちろん【能力結晶】は使えるぞ。どうも眷属に入れても拮抗障害が起きないらしい。反転させた【力】にして入れると拮抗するんで、まだ理屈はわからんが、おそらくヒトの身体には元々余剰枠があって、【能力結晶】はその枠に収まる仕組みがあるとか、まあわけわからんだろうから省略するが、つまりは俺の眷属になれば強くなることが出来る。今やっているのはお前らの意思を残したままそれが可能かっていうことなんだが」


「余計わかんねぇんだが、オレらが強くなるのが、オレらに選ばせるのとどう関係するんだ?」

「完成したらお前、それを受けたいか?」

「あくまでオレだけの答えを聞いてんだよな? なら……いっそそうなっちまいたいって思わないでもねぇな……。もちろん嫌なんだけどよ、そうなっちまえば楽じゃねぇかって、やっぱり思っちまうな」

「お前も大概疲れてるんだなぁ……」


 形ばかりの同情をする。その答えを予想できていた飛逆が言うと皮肉以外の何物でもない。


「あんたが言うと、皮肉どころか残酷ってか、いっそ凄惨だぞ……」

 以外があったらしい。


「まあお前はそうだよな」

 イルスの恨み言はスルーした。

「だが、俺への矢面に立ってるお前はそうだろうけど、他の連中は違うだろ? つか、違うかどうか、それが知りたいわけだ。トップランカーっていう戦闘廃人が、強くなれる可能性にどういう反応をするか」


「あんた、凄惨って言葉じゃ足りねぇくらい、酷いな。酷すぎて、それ以外の言葉が見当たらねぇよ」


 さすがの中間管理職である。飛逆が何を言っているのか、察したらしい。呆然とした目を向けてくる。


「つまりあんたは、ここでその種の除去ってのを頼まなかった奴らを、優先的に実験体とやらにする気だな?」


「お前だけがヒエラルキーのトップにあって後は横並びっていうのは色々面倒だろうと思ったからの提案なんだが、そんなに酷いか?」


 要は彼らの中で序列を作ってやろうと言うのである。


「違ぇだろ。あんたは実験体が足りなくなりそうなのを見越して、それを選別って名目で作ろうとしてんだ」

「誤解があるな。俺がなんでお前らに名目を用意しなきゃならない。使い潰すつもりなら名目も何も作らないで勝手にやるが?」


「……」

 自分の言った『飛逆の利益』にそれが当て嵌まらないという矛盾に気付いたらしい。


「要は強くなれるっていう可能性を優先的にそうやって俺の眷属になることを選んだ奴に施すってことだ。もちろん意思を残せるっていう技術が確立してからのことだぞ? その選別を今のうちにやっておこうってことだ。いずれにせよお前らを使い潰す気はない。ただ、それを決めれば、俺の下としての序列が決まるから、お前の統率も少しは楽になるんじゃないか? っていうお前への優遇だ。あれ以来、お前らの中で色々やりにくくなってるみたいだからな」

「……はぁ。回りくどい言い方しやがって……」


 余計なお世話だとは言わないらしい。まあ最初から、飛逆という絶対者が後ろ盾という以外、イルスがトップであることの根拠がないのは問題だった。飛逆には問題がないが、イルスがいずれ疲弊しきってしまうだろう。

 いくらイルスに複数の話を纏める能力があるといっても、それは統率する能力があるという意味ではない。トップランカーの生き残りの中で、大事にはされていても大切にはされていないというか、重んじられてはいても尊重されていないのがイルスの現状である。

 しかも、イルスたちは元々複数のパーティーの寄せ集めだ。それが、誰が誰と交わったのだかわからないような経験を全員が経てしまったわけで、そろそろ内部に規律を設けなければ限界だろう。

 規律とは即ち序列、というわけではない。ただ、人数がいるとどうしても散逸しがちな複数の思惑を取捨選択しなければならないため、捨てられる側の思惑を押さえつける役割が必要で、そうなると上下関係があったほうがやりやすい。

 飛逆に上げる思惑や意見の纏め役は今までどおりイルスに任せて、それを調整できる調停役や風紀役ができれば欲しいというわけなのだ。


「まあ、だから他の連中にはこう言っておけ。『神樹の種を取り除いておけば強くなれる可能性がある』ってな。お前みたいに、俺の言葉は連中も疑うから勝手に深読みするだろ。ヒューリァみたいな、その強さの引き替えが何かってことをな。その上で取り除くことを選んだ奴を他より優遇するのは当然だろ?」


 あえて回りくどくして誤解させていたのだと、飛逆は暗に示唆する。実際、トップランカーともなればその程度の計算、深読みをする頭は備わっている。単純な戦闘能力だけではトップランカーには至れないからだ。ただの『強さ』に取り憑かれた中毒者が率先してくる恐れはない。トップランカーに至ってから中毒者になった奴はすでに選別済みだ。


 イルスは自分が『選別』されていたことに気付いて、もう板に付いた自棄っぽい笑みの形に口を歪めた。


 その口が言う。


「やっぱあんたは残酷だ」





〓〓 † ◇ † 〓〓





 一通り取り決めが終わったところで千百階層に戻る。

 屋敷の研究部屋に戻るなり、ヒューリァが飛びついてきた。

 満面の笑顔で鼻歌を歌いかねないほどにご機嫌である。

 何かいいことでもあったのかと訊きたくなるが、そういうのではないのだ。ここ最近はずっとこんな調子で、何かがあったわけではない。


 ぽすっと胸に受け止めて、お互いに軽くハグする。「おかえり」「ただいま」と短く言葉を交わしたら、ヒューリァはくるりと回って腕に頭をもたれかかるようにして抱え込み、離れない。


 可愛い。

 いや、可愛いのだが、以前からのヒューリァを知っていれば違和感しかない。出逢ったばかりの頃もこれくらい飛逆にべったりではあったが、どこか義務的だった。義務的というか示威的というか、そんなものがあった。


 最初、ミリスはこんなヒューリァに唖然としていたものだ。

 さもありなん。

 ヒューリァは一切ミリスの存在を意識していないからだ。

 示威的だったというのはそういうことで、あえて見せつけるという目的が透けて見えていたのが、無くなっている。ただ甘えて引っ付いてきているだけなのだ。


 というか多分本気でミリス、というか余人の存在を忘れている。飛逆が戻ってきたとき彼女たちは話をしていたというのに、一瞬にして風景にされてしまっている。


 お互いしか見えていないバカップルのそれである。ところでどうしてカップルという言葉は死語になっているのにバカップルは死なないのだろう。死ねばいいのに。

 そんな様子なのである。いや、ヒューリァが死ねばいいとは思っていない。


 飛逆も一応、態度で応えることの重要性をそろそろ認識しつつあったので、ヒューリァほど自然体ではないが、バカップルを演じようと努力している。死ねばいいのに。


〈死ねばいいのに〉


 うっかりなのかお約束なのかわからないがミリスがぽつりと呟く。単にお約束だったとしても、自分が風景にされてしまっていることへの不満は本気だろう。


「こっちの進捗はどうだ?」


 ヒューリァがそんなミリスの呟きに噛み付かないので、飛逆も無視して訊いた。


〈えぇ、はい~。悪くないですよ~。着々と~、『意思』の活動をアカゲロウちゃんを介して私の髪で解析できています~〉


 トーリ及びトップランカー四人組に仕込んだ髪のことである。飛逆は赤毛狼を【吸血】しないと彼の蓄えた情報を参照できないが、ミリスの場合は違う。サブアカウントであるために飛逆ほどダイレクトではないものの、赤毛狼の感覚をある程度受信できるのだ。この情報を解析することで、【神旭】化した【力】を通じてヒトの【魂】に『意思』を書き込もうというのである。


〈ただまぁ、これはちょっと望み薄ですね~。単にアカゲロウちゃんがいかにしてヒトの活動を擬態するか~っていう情報が蓄積されて行っているだけ~って感じです~。擬態するためのコードが手に入ってもどうしようもないです~〉

「まあそれはそれで何かに使えそうだから、データとして保存しておきたいな」

〈これくらいなら余剰リソースに蓄えておけますので~、そうしますね~〉

「情報蓄積用の赤毛狼出そうか?」


 赤毛狼・コンパイラに書き込んでおいたほうが確実だと思うのだが。分裂時にコピーもできるようにしておけばバックアップも万全である。


〈ん~。それでもいいんですが~、おそらくこれを書き込んだアカゲロウちゃんはヒトを擬態しますよ~〉

「そうか。変身能力を得ることができるのか」

〈楽しげですが~、ヒト型だと速度は落ちるしそのくせ行動ルーチンが複雑になるんでリソースばっかり喰ってあんまり役に立たなさそうですねぇ〉


 しかも赤毛狼は霧状なので、幽霊っぽくなりそうだ。擬態の意味はない。


「だが形の自由度が上がるのは悪くないよな。応用が利きそうだ、お前の巨人兵を作ったりするときに」

〈……そうですね~。うん。確かに~。アカゲロウちゃんの行動ルーチンを読み取らせてオートで動いてもらうとか~〉


「重量比とか色々問題は出てくるだろうが、参考にはできるな。半オートにして複雑な演算が必要なところだけお前が操作するとかなら、割とすぐに実現できそうだ。それだったら巨人兵を何体か同時に操るっていうことが小さい負担でできるんじゃないか?」


〈夢が広がりますね~……わかりました~。じゃあ蓄積タイプお願いします~〉


 そういうわけでいつものようにリストカットしようとしたのだが、片腕がヒューリァで埋まっている。できなくもないが、彼女が絡みついている腕をカットするのはどうなのか。


 見上げるヒューリァと目が合うと、「なあに?」と言わんばかりの(略)な顔で首を傾げる。


(さすがに拙くないかな、これ)


 これは果たして色ボケなのだろうか。どうも確信が持てないのだが、ヒューリァの視野狭窄が甚だしい。このままだと日常生活に支障を来すレベルだ。


 と思ったら、

「あ、ごめん。眷属顕現だよね」

 と気付いたらしいが、

「かぷっ」

 可愛らしい響きだが、やっていることは飛逆の手首への噛み付きだ。


 ――なにやってんのこの娘。


 思考が停止しかける飛逆である。

 ヒューリァはなぜか飛逆の謎防御を特定部位で貫通できるのだが、そこはいつも吸血されているので今更疑問には思わないが、いや本当、何しているのかこの娘は。


「あれ? 出ない?」


 吸血する意図はないらしく、離れて、血だらけの口を舌で舐め取りながら首を傾げる。


〈て、テヘペロ……っ!?〉


 なにやらミリスが驚愕しているが、多分にどうでもいい。〈頭コッツンが足りませんよっ!?〉だからどうでもいいんだって。


 飛逆の血の味を感じると必ず一瞬は陶酔していたのに、その反応がない。それはつまりすでに陶酔状態だったということになるのだが、それはまあ今はいい。


 何かが問題なのだが、何が問題なのかがわからない。


「あーえーっとな、ヒューリァ。赤毛狼は出そうと俺が念じてからじゃないと出せないわけで、リストカットはそのマインドセットというか、ルーチンみたいなところがあってな」

「あ、そうなんだ」


 素直に離れてくれる。


(わ、わからん。マジで)


 内心冷や冷やしながら、リストカット。

 ヒューリァは何もせず、ただニコニコしながら飛逆を見ている。顕現した赤毛狼には一切目もくれないというところに、ちょっとだけ違和感があったが、まあ普通の範疇だった。


 「終わった?」という目でヒューリァが見てくるので頷くと、すぐにまた引っ付いてくる。「むふー」と奇妙な息を吐いて、吸って、何がおかしいのかクスクス笑う。


(え、いや本当に、なんでこうなった?)


 きっかけも時期も明確なのに、ヒューリァのこの、何かわからない変化はなんなのか。

 いや、変化というべきなのか? これは。

 それが飛逆には判然としない。


 一見すると以前よりも聞き分けがよく、以前よりも素直に甘えてきているだけ――


 のはずなのだが、時折背筋が冷たくなる。


 別に聞き分けがよくなってほしかったわけではないし、前の不器用な甘え方のほうが実を言えば飛逆は好んでいたのだが、そこはあまり問題ではないのだ。

 ヒトは変化するし、関係だって固定的なものではない。多少好ましくない方向への変化があったとしても、ヒューリァへ抱く想いは変わらない。ヒューリァから寄せられる想いはむしろ以前よりもはっきりと感じられる。だから根本的な問題ではない。


 では何が問題なのか。


 それがどうしてもわからないのだ。


 そこからは特に何事もなく、現在判明している事柄を突き合わせていく作業が行われるだけだった。

 ヒューリァは飛逆を邪魔しない範囲でくっつくにはどうすればいいかを試行錯誤するばかりで、研究にはほとんど貢献しなかったが。

 ミリスによると、飛逆がいないときには割と真面目に取り組んでいるらしいし、ミリスとの話し合いではたまに鋭い意見を出すなど、やる気がないわけではないようだ。


 イルスたちの前で不満が破裂したことがきっかけなのは明らかだ。あるいはその直後のことかもしれないが、それは飛逆の中では一連の出来事だ。

 ただ、それらからどうしてこうなるのか、やはり判然としない。


 たとえば問題が飛逆の中で判明しても、それを解決すべきかどうか、わからない。

 傍目から見ても何かがおかしい。けれど実害は特にない。突拍子のない行動をたまに見せるのは前からだ。


 可愛いからいいか――


 飛逆も大概寝惚けたままだった。

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