78. 説明不足
というかイルスたちに選択の余地はないのだ。
何かの間違いで神樹化の命令が届いてしまえば彼らは否応なく発芽してしまう。その間違いは仮にダークエルフを殺しても起こりえる。主体となる怪物が死んで眷属がどうなるのかはっきりとはわからないからだ。人狼の例を鑑みるに、塔の中であれば眷属のみでも生き残る可能性が高い。従ってどこかで発芽している神樹に近づいてしまえばそこからは一瞬だ。そして塔の外には万を越える神樹があり、どうやら転移門を介してはその合図が届かないことこそ明らかになっているが、逆に言えば一瞬でも外に出れば、おそらく刈り損なった神樹によって連鎖的に神樹化されてしまうということだ。
すると飛逆たちにとって神樹は基本的に邪魔者でしかないために、赤毛狼化を施すのがせいぜいであり、面倒になればそれさえもされずに伐採される。
「つまり、オレらはこうなる運命ってことか……」
四体の赤毛狼化されたイルスの仲間たちを前に、ヒクヒクと口端を歪めてイルスは呟く。
四人の名前を口の中だけでブツブツ呟き、酷く憔悴した感じで両手で顔を覆ってしまう。
見た感じ赤毛狼化の連中は壮健だが、なんか霞がかっている上にまったくの無表情で、しかも動きがキレイに揃っている。元々の彼らを知っている者がこれを見て、『生きている』と感じるのは難しいだろう。
「一応、こいつらは優先的に『ヒトに戻れる』ように実験するけどな。侵襲少なめの実験しか今のところはする気はないし、その前にあっちのお前から離反した連中を使い潰すつもりだ」
いちいち説明するのが面倒だから言う気はないが、仮に反抗連中を使い潰しても成果が得られなければ、外にいる神樹の連中を拾ってくるつもりだったりする。つまり、最悪でもイルスの仲間は赤毛狼化して保存される。
「なんかもう……どう言っていいのかわかんねぇよ。あんたの話が全部本当だったら、オレは、オレらはあんたに感謝すべきなんだろうけどよ、感情がどうしてもそれを許せねぇんだ」
「わからんでもない。が、それはせめてヒューリァがいないところで言ってくれ」
ヒューリァが、もうこいつ燃やしていい? 状態になりかけている。
飛逆としては正直なところはむしろ評価できるとさえ思っているのだが、ヒューリァには難しいようだ。地団駄を踏みそうなくらいに苛ついている。
「ヒューリァ、考えてもみてくれ。この元神樹化連中がこうなったのは俺らがやったことなのは確かなんだ。神樹とどっちがマシって言われれば、俺らの研究の経緯を知らん奴らからするとどっちもどっちだし、むしろ直接的な加害者としか思われないことを俺はこいつらにやってきている。目に見えるものに責任を押しつけたいってのはもうヒト心理の防衛本能みたいなもんだ。感情的に俺を許せないのは当然だ」
「じゃなくて、コイツ、全部本当だったら、って言った。ひさかがこんなに正直に言ってるのに、疑ってる。腹立つ、こういうの。本当になっちゃえばいいのに」
「それも同じ理由だ。どうしたって俺とこいつらは一方的な関係なんだ。言うことには必ず従うっていう絶対服従の状態なんだから、疑おうが信じようが変わらない。変わらないなら感情的には『信じたくない』になるのが当たり前なんだよ」
「でもこういう反抗的なことを隠さず言わせるためにコイツにこんな態度取らせてるんじゃないの? だったらコイツはもう用済みじゃない」
「逆だ、ヒューリァ。こいつは俺たちに逆らえないっていう自分の境遇をこれ以上ないくらいはっきりわかってるからこそ、こういうことを隠さずに言うんだ」
「じゃあ! どうなったらコイツは!」
「本末転倒だ。俺はこいつに特別な何かを求めてるわけじゃない。どうなっても行動で反抗する気がないのが明らかな以上、始末する理由を『作ろう』とはしない」
「~~~っ!」
ついに地団駄を踏むヒューリァは何がそんなに気に入らないのか、正味の所で飛逆には理解できない。飛逆にとってはむしろ好感度が高いところでむしろ気に障っているようなので――とそこでようやく思い当たった。
「ヒューリァ、言ったようにこいつは俺にとって特別じゃない。本当にたまたまなんだ。君とは比べようもないし、ミリスとさえも比べようもない。単にこいつの代わりを作るのが面倒だってだけなんだ」
少なくとも、飛逆に特別扱いされる者の出現に不安を煽られたというところがあるに違いなかった。だからそれを否定する。
それによってヒューリァは、飛逆が自分をどう見ているのかを察して、一瞬何かを言おうとして口ごもり、しばらしくしてからかぶりを振る。
「わかんない、よ……。ひさか」
「何が?」
「自分でも、なんでこんな……変な気持ちになるのか」
否定のスパイラルに入っているのかもしれない。それが自己の否定にまで達したのか。
彼女の気が晴れるなら、イルスを火祭りに上げてもいいという思考が一瞬浮上したが、同じ事だ。これからも何度もこういう、ヒューリァの不安感は不意に顔を出すだろう。一時凌ぎに意味はないし、結局は時間だけが解決すると言われる類の問題だが、あるいは生きている限り付きまとうのかもしれない。きっと解決はせず、ただ我慢や受け流しの仕方が上手くなるだけなのだ。
思えば彼女はおそらく、飛逆が吸血鬼――今の彼女に似たそれ――を作ったときにも我慢していたのだ。けれど理性的にそれがあくまでも研究のためであることを理解していたから、面には出さなかった。ヒトの【魂】の強化案が出たときにも、らしくもなく自分の『特別性』を主張していたし、その時点でとっくにストレスが蓄積していたのは間違いない。
その我慢がここでついに破裂した、というのが実際の所なのだろう。少なくとも原因の一つにはそれがある。
爆発にまでは行かなかったことを幸いとすべきだろう。まあ加減しない足踏みのせいで床が液状化レベル寸前に粉砕されて陥没しているのだが。無意識に貫通系の勁力を用いるとはさすがである。炎を収束させたり凝縮したりする訓練の過程で、飛逆とは逆過程でそれを体感的に身に付けていたのかも知れない。まあどうでもいい話。
浅いクレーターのすぐそこでは痴話喧嘩の置いてけぼりにされていたイルスが余剰的衝撃波を受けて転がされ、ヒクついた顔筋も顕わに震えている。
遠巻きにこちらを窺っていた残りのイルスの仲間などに至ってはもっと反応が劇的だ。
その床の有様を飛逆ならともかく見た感じ可愛らしい少女(飛逆主観)――客観的には変な服を着せられている飛逆の愛人――が生み出したということに衝撃を受けているのだ。事前に知らされていたイルスよりもそれは強い。非常に、怯えている。
飛逆にとってはヒューリァのこういうところは、変にスレて受け流しが上手くなるよりもずっと好印象なのだが、まあ対外的には困ったところという。
これを見た後にイルスの制御を離れたバカがヒューリァを利用してよからぬことを企んだりしないだろうから、結果的にはよかったということになるのか、どうか。
閑話休題。今はヒューリァだ。
軽く抱き寄せて、小さな声で言う。
「告白すると、俺は君が『吸血鬼』になったことを快く思ってない」
元々泣きそうに歪んだ表情が、より深くなって飛逆を見上げる。
心を痛めながら続けた。
「そんなものにならなくても、君は俺にとってどこまでも特別だからだ。それに余計なものがくっついたような感じで、不愉快でさえあった」
それを証明できない――特別であることを伝えられない自分の不甲斐なさのせいだと、自覚している。
「だから君が、俺のためにそうなったっていうこと、その事実自体を忘れようとしていた」
だから彼女が他の『吸血鬼』を作ることに不愉快を覚えていることに気付こうとしなかった。
「でも考えたら……、余計なものであっても重くはないし、ならそんなのはどうだっていいことなんだ。むしろ結果だけを見れば、俺は君がそうなったことに救われてさえいる。身体的にも、心理的にも」
自分でも何が言いたいのか、うまく纏められずに思ったことをただ語る。
「だから……っていうのは言い訳だな。ただ、俺はたかがこんなことで君に傷付いてほしくない。俺の特別に、他を排除しないとなれないみたいな誤解はしないでほしいんだ」
自分は何様なのだろう、と言っていて思うが、結局は本心を言えばこうなる。
ヒューリァは感情を主体としているくせに、やることなすこと『形式』を求めているようにしか見えない。
感情――心を、満足させるのに『形式』では足りないと、血族の外の世界に出て思い知らされた飛逆には、ヒューリァのそれがいまいち実感のところに届かない。残っていた血族への妄執を、祓ってくれたのがヒューリァだ。
「やっぱり、俺は君にしてもらってばかりで、何も返せてないんだな」
不意にそれを実感して思わず零す。
「――違うっ、違うのに、ひさか……」
何が違うのか、それがわからないと言うように、ヒューリァはかぶりを振るように額をぐりぐりと飛逆の胸に押しつける。それでは足りないというようにきつく抱き締めてくる。
飛逆にもわからなかった。
何かわからないが切ないものが胸を締め付けるので、それを吐き出すように小さく吐息を漏らす。
いつまでも抱き合ってもいられない。イルスたちが見ていることを、後で思い出したヒューリァが羞恥で彼らをどうにかしてしまう。
ミリスの髪入りブレスレットを外してイルスに放り投げる。
彼は受け止められず、跳ね返って腕輪は砂化した床に刺さった。
「半刻くらい後に、それのソケットに原結晶を入れろ。連絡が取れる。それまで、お前ら全員で情報を共有しておけ。もっと詳しいことはその時に話す。間違っても階層を移動しようとはするな」
予定していた事項の半分も説明できなかった。そこまで悪いことには彼らはならないはずだということを、脅した後に説明する気だったのだ。
だがまあ、どうでもいい。
少し窮屈だが、ヒューリァが胸に頭を押しつけた体勢のまま抱き上げて、さっさと階層を移動する。
階層を移動するなりヒューリァは抱き上げられたまま飛逆の口に吸い付いてきた。
突然だったのでさすがにびっくりする。
自然と彼女が降りる形になり、つま先立ちになっても彼女は押しつけるように、貪欲さを感じさせるそれで行為を求めてきた。
「んっ、く、ぷはっ」
呼吸を忘れたかのような勢いに押されて思わず仰け反ると、そこはすぐ傍の壁だ。
一瞬離れたそれの寸暇も惜しむようにヒューリァは再び吸い付いてくる。
どこか哀しくなりながら、飛逆も応えた。
繋がりが実感できる。
行為によってそれが得られることは、飛逆も否定できない。
行為に及ばなくとも、ただ触れるだけで飛逆は安心する。いつまでも触れていたいと思う。
ただ、いつもどこかで虚しさがある。
あまりにも自然にありすぎて気付かなかったそれ。きっと根源的に持っているそれ。誰もが持っているかもしれない、それ。
不思議なことに、強く触れあえば触れあうほど、それは克明になる。
それを埋めようと躍起になって、深く繋がろうとする。どこまでも、強く、深く。
深奥にはきっと孤独感と呼ばれるそれが見つかる。実はとっくにそれに席巻されていて、埋めることなど最初からできないのだと、わかってしまう。
ひとつになりたいわけではない。
ひとつになったらひとりになってしまう。
やっと見つけた誰か。
それをわざわざひとつになって喪われるようなことはしたくないし、できない。
それなのに、それができないことがひどく残酷なことのように思えてしまう。
きっとそう思ってしまうことが残酷なのだ。
期間にすれば短い間にすっかり馴れてしまった行為の主導権を、彼女が握る。
いつから濡れていたのか、粘度の高さがそれを飛逆に疑わせた。
おかげでまだときどき痛みを顔に浮かべる彼女にそれは皆無。けれど悲しみに似た色をそこに見つけてしまう。
「欲しいの、ひさか……。こんなの違うって思ってるけど、わかってるけど……っ」
辛そうに、下腹部に収まったそれを上から押さえて言うのだ。自嘲するように言うのだ。
それが哀しい。
イルスたちを嗤えない。
もともと嗤ってはいないけれど。
形式を求めて余計なそれを得てしまったヒューリァを責められない。
伝わらなくても、わかりあえなくても、繋がれることを、知ってしまったし、覚えさせてしまったから。
覚えてしまったら、そうしてしまう。易きに流れてしまう。
もっと伝えたいことがあるし、わかってほしいことがあるし、知りたいことがあるし、わかってあげたいことがあるのに、それらを全部有耶無耶にしてしまう。
一時凌ぎに意味はないとどの口で吐いたのか。
わかっていながら飛逆は応える。精一杯、強く、深く。
ただ彼女だけを見ていた。




