77. 防御反応の強さは折り紙付き
〈まあ、本当に死ねとまでは思ってませんでしたが~、しぶといですよね~〉
呆れ混じりにミリスが言うのはトーリのことである。
一応実験体としての優先順位を下げていたとはいえ、確かに、ちょうど彼の番になって成功を見ることになるとは、飛逆も予想していなかった。
まあ成功といっても彼が飛逆の眷属であり、しかも研究のためのプロトタイプであるという扱いの低さは変わらない。
単に死ななかっただけで、運が良かったとは決して言い切れないわけである。
それを踏まえて感想を言えば、なるほど。
「しぶといとしか言い様がないか」
「というか、ひさかたちは何にそんな、……ええと、呆れてるの?」
ヒューリァに至ってはトーリのことを本気で忘却していたという始末である。
かなりの初期から自分たちの側にいたというのになぜ忘れることができるのか。
「ああ、あのヒョロい……。えっと、見覚えはあったんだけどね? どーでもよすぎて思い出せなかったっていうか。というかそういえば、いつの間にいなくなったんだろうって思ったりもしたりしたような」
そういえばわざわざ話題にしないせいで、ヒューリァは検体として放置されていたトーリがそうなった経緯を知らないのだった。検体の存在自体は知っていたはずだが、おそらくどこかから適当に仕入れてきた人間だとでも思っていたのだろう。ヒューリァの視野は驚くほど広大なときもあれば極めて狭いこともある。つまりは極端なのだった。
なんと言いつくろっても、トーリがどこまでも影の薄い少年であるということはその反応からも明らかだ。だからこそしぶといなぁと飛逆たちは感心混じりに呆れているわけだが。
〈ところで今になって問題を思い付いたんですが~、赤毛狼の部分が大きいってことは彼、原結晶を食べて強くなることができるってことなんじゃ~〉
「一定以上には強力になれないように部分的アポトーシスを組み込んであるから問題ない。なんだったらエネルギー吸収経路を部分的に抑制したタイプも作れる」
〈あ、無用の心配でしたね~〉
「麻痺毒は効かないけどな」
赤毛狼自体に効く毒を合成できないという問題点は未だに解決していない。アポトーシスは別口で、飛逆が【吸血】のコードから引っ張ってきた、自壊因子というより自食因子とでも呼ぶべき代物である。有為な部分から奪ったエネルギーを使って無意味な部分を肥大させて破裂させているイメージだ。アポトーシスというよりアレルギーに近いかもしれない。アカウント枠の増設も似た理屈であり、システム枠を拡張するのに応用したもので、個人認証破壊毒とはまた別口だったりする。
「あれ? じゃあなんでコイツ、動かないの?」
「俺がコマンドしないから待機状態なんだろ」
ヒトの【魂】が生きていて、麻痺毒がなくとも『意思』が働かない状態であることはすでに解明してある。念のためアポトーシス発現の条件を『命令違反』にして組み込んであるが、元々この状態になることは予想できていた。
〈ん~。表面的なバイタルは~、ちょっと外見が霞がかってるのを除けばフツーの人間ですね~。擬態は成功していると見てよさげな感じです~〉
「単に擬態させるだけでヒトの『意思』が拡大するかって期待したが、どうもそれはなさそうだ。相変わらず弱々しい」
〈どーします~?〉
「どう、とは?」
〈使い潰すつもりで実験に使うか~ってことです~〉
言われてみれば悩みどころである。
はっきり言って利用価値がトーリには残っていない。モモコなんかはこの研究(人体実験)自体を忌避することだろうから、彼女が飛逆たちのやっていることを知ることになるのは彼女が力を失ってからだ。そのときにモモコの心情に遠慮する理由はない。従ってトーリは別に死んでしまっても問題ない。
「とはいえ、ここまでしぶといとどこまで生きられるのか見てみたい気がするな」
〈外道な考えですけど~、正直同意です~。元々~、この少年って自分から飲んだんですしね~。よく考えたら外道と呼ばわるどころか~、元に戻れる可能性があるだけ感謝されてもいいくらいです~。『意思』を取り戻してそれでも反抗的なこと言ったら~、その時に改めて処分したいですね~〉
促したのはミリスではあるが、実際のところ強制は一切していない。ミリスがやったことといえば情報を曲解しやすいように流布して、ちょっとあからさまな隙を作っただけである。どう考えてもトーリの自業自得だった。
「元々長期戦を覚悟してこの手法に至ったわけだし、まだサンプルは一階層上に保管してある。神樹で試して上手く行ったら、一応コイツは後回しにしておくか」
そんなこんなで、侵襲のなさそうな実験だけをトーリで行う。
具体的には飛逆の命令に従うかどうかを試してみて、軽い傷を付けたり、原結晶以外の食事をさせてみたり、毒の能力を行使できるかどうかを試してみたり、活動状態のバイタルがどれくらいヒトのそれと相似しているかなどを検証する。
結果を言えば、傷は即座に回復し、食事は普通に行えたし、消化・吸収活動も起こっているようだ。ミリスが嫌がったので飛逆が触診と聴診で確かめた。胃瘻を作って観察するという案もあったがまだそこまではやらなくてもいいだろうということで後回しだ。
毒の能力行使は行えるものの、デフォルトの一種のみ。それ以上に付加しようとするとなにやら苦しみ出すので、慌ててコードを破棄させた。
活動状態だと、表面的なバイタルは普通の人間よりも安定的であり、霧状化できるために戦闘形態と呼ぶべき形状に各部位を変形させられることがわかった。赤毛狼のように完全な霧状には変形できず、この辺りはやや中途半端だ。
命令すれば発声できて、簡単な文脈なら喋ることもできることが明らかになった。チューリングテストみたいなことをやって意思確認と発達を促す実験を行うということで、ミリスにはその質問事項などを纏めてもらう。ついでにアカウント枠を増設して(苦しそうにしたがさほどではなかったので続行)、ミリスの髪を介しての命令なら受け付けるようにしたので、彼女はしばらくそれにかかりきりになる。
その間にまだ残っていた伐採済み神樹の一体に赤毛狼化を施す。
サンプルの違いなのか、トーリよりもヒト部分が若干強く残っているような形になった。
けれどそれ以外は特に問題らしい問題もなく、可能であることがわかったので、機器類を持って通路を埋めている神樹の除去に向かう。
ここで少々問題が発生した。
埋めている連中が密集しているためにわけのわからないことになっていたので、一応赤毛狼化はできたものの、どうやら赤毛狼の数が足りなかったらしく、微弱な赤毛狼の粒子を介して全員が繋がっているという状態になってしまった。
具体的には四体がいたのに三体分しかそれ用の赤毛狼を用意しなかったのだ。
症状の具体的なところを言えば、全員を一定以上の距離から離してしまうと崩壊が始まるという厳しい状態である。
〈ちょっと面白いことになってますね~〉
揃って動くようにして連れ帰ったところでのミリスの感想である。
「もちろん追加で融合させてみたんだが、どうしてか知らんが分離できない」
〈あぁ、おそらく~、三体分以上じゃないと憑依しているアカゲロウちゃんに追加分が食べられちゃうって状態なんじゃないかと~〉
「なるほど」
個体性の維持が昨日として備わってあるため、より強い『個性』のほうに吸収されてしまうのだろう。元々共食いする機能が備わっているので充分にありえる。してみると四体分を用意して、飛逆のコマンドを双方に入力してやれば分離できるということになる。
〈面白いので~、このままにしてみませんか~?〉
「使い道は思い付かないが……」
症例がいくつもあること自体は悪いことではない。いずれ使い道が思い当たるかもしれないということで放置してみる。
ちなみにイルスはその四体の中にいなかった。彼もまた悪運強いことである。
転移門の向こう側が埋まっていないことの証明として赤毛狼が素材を運んでくるのが再開したので、そのイルスの悪運が尽きる前に彼らと話をするために跳んでみる。
果たして彼らは、転移門の近くにシェルターを自分たちで作って、中に籠もっていた。
〓〓 † ◇ † 〓〓
他にやることのない極限状態(突然現れた怪物に生殺与奪を握られて食料を手に入れられない期間がありその解決を図ったら仲間が生死不明になった挙げ句行き止まりに遭いその近くには怪物に世話をされているスパゲッティシンドロームの元同胞が収容されている)で人間を固まらせておくとダメなんだなぁ、とつくづく思った。特に男女混合では、ダメだ。トップランカーのパーティーは三・四人の少数組が多かった理由の一つがおそらくこれだろう。意図的に彼らは固まらないように分かれていたのだ。
イルスたちが作ったと思しきシェルターに近づくだけで、情事の臭いが嗅ぎ取れる。しかもろくすっぽ始末していないことがわかる臭気だ。おそらく相手を選ばない、乱交状態だった(あるいは進行形)のだと推測された。
転移門を埋めていた神樹の中には女性が一体混じっていたので、ちょうど男二対女一の比率だったはずなのだが、どういうことになっていたのだか。
実際に扉を開けて覗いてみたところ、案の定真っ最中だった。覗いたというか、割と堂々と扉を開けた(つっかい棒をどかした)のだが、まだこちらに気付いてもいない。女性とは目が合ったというのに、こちらが誰あるいは何であるか認識できていない。ガクガクと揺すられながらえへらっと崩れた笑顔を向けてくる。それで他の連中も気付いてもよさそうなものだが、どうもすでに幻覚が見えているらしい。
その有様を見て、本当、人間って固めておくとダメだなぁ、と再び思った。臭いからして何かの薬草(ドロップ品にはタバコや大麻と思しき種類もあった)なんかの作用もあるのだろう。トップランカーはそういう意味でも、最初から廃人だったのかもしれない。
一緒に覗いたヒューリァは、意外なことに「まぁこんなものだよね」という表情で特別な感慨はないようだ。
飛逆が不思議そうにしているのを察して、
「あ、こういうの、戦場とかその跡では割とよく見たから」
非常に納得の行く答えをいただいた。
まあ何にせよ、正気に戻ってもらわないと困る。
赤毛狼を出してその辺の薬らしきそれを喰わせて解析し、皮膚浸透性の解毒薬を合成する。で、水をヒューリァに引っ張ってこさせてそれを溶かし、ぶっかける。
同時に小さく爆発する炎を握りつぶして爆音と閃光を生じさせた。
彼らはそれでも一応戦闘の習性は忘れていなかったようで、一部は全裸で剣に飛びついたり、一部は女たちを庇うように身構えた。
解毒薬が効いてきたのか、正気だからこその混乱する視線が集まる中、飛逆が言うことは一つだけだ。
「体を洗って服を着ろ」
答えが返ってくる前に踵を返し、離れた場所でしばらく待った。
こういうとき、不思議なことに我に返って落ち込むのは男のほうらしい。殊更女たちから距離を取り、二人ほどに至っては膝をつき合わせて毎分一回は溜息を吐いている。一見すると平気そうなのもいるにはいるが、虚勢を張っているのは明らかだった。というかそいつは男とやっていた奴のような気がする。はっきり見たわけではないので忘れることにしたが。
女は強い。少なくとも表面上は平然と構えている。何を話しているのか女どもの間では朗らかな笑い声さえ上がったりしていた。
怖いな、と率直に思う飛逆である。何がどうとは言えないが、恐ろしい物の片鱗を垣間見た気分だ。
おそらく男どもが落ち込んでいるのには女どものその態度も原因の一つだった。
やがて一応身なりを整えたイルスがやってきて、ひどく疲れたような息を吐く。
実際疲れているだろう。普通の人間があんな状態で乱交なんか連続でやっていれば腎虚になっても不思議はないのだから。
「話をできるくらいには回復したか?」
「無茶言わんでくれ……。正直、何がどうしてああなったんだか……」
前に見たときよりも痩せこけた顔でかぶりを振りつつ、額を押さえる。
「ああなった経緯なんざ聞いてないんだが」
単にこれから『お前らには神樹化する種が植え付けられている』という事実を告知しても大丈夫かどうかを窺っただけだ。
「ああ……すまない。まだ少し頭がぼうっとしてて、……いや、あんたが誰かってことはわかってんだが、つか、そのすごく睨んでくる娘は……」
「ヒューリァ、こいつがこんな口調なのは俺がむしろ強制させてるんだ。そんなに脅かさないでやってくれ」
「わかってるけど」
どうしても釈然としないらしい。
「言っちゃ何だが、明らかに自分より上ってわかってる奴にやさぐれ口調ってほうが、辛ぇんだけどな」
イルスが愚痴る。
「まあ、わざと立場を忘れやすくさせてるんだけどな」
反抗心とかがあるならわかりやすいように。口調というのは無意識を反映させるものだ。自己暗示の側面もある。訓練によっていくらでも本心を反映させないように覆い隠せるが、口調がそのマインドセットのキーになることは多い。
もちろん単に飛逆が慇懃にされるのが気に障るというのもある。
「ほらな。というわけで……申し訳ねぇが」
ヒューリァに向けて目礼する。
「ちなみに俺と同じくらい強いから、この娘」
「は……」
やさぐれた笑いのような吐息をイルスは溢す。そんなことだろうと思ったよと言わんばかりだ。
そんな様子もヒューリァには気に入らないらしいが、まあできれば我慢してもらいたい。
「ま、少しは調子戻ったみたいだから説明するが、悪い話だから心構えしろ」
素直に嫌そうな表情を浮かべるイルスに、順序よく説明していく。
塔下街の発祥経緯の推測に始まり、【能力結晶】を誰が作ったのか、教団などの存在意義の推測と絡めて説明していく。
「……で、実際オレらの仲間が、その神樹とやらになっちまったのを確認した、と」
思ったよりも衝撃を受けた様子はないイルスだが、やっぱり深い溜息を吐いた。
「ま、わかっちゃいたんだ。ちょこちょこ変だなって制度があったし。転移門を四人が通ってから通れなくなっちまったときに。まさか神樹とやらになっちまったとは思わなかったが。しかも近くのシェルターには消えたはずのオレらの元仲間が変な風にされててあんたはいねぇし」
自分たちの身に何か悪いことが起きていることは察していたということらしい。
「で、そいつらを俺の眷属にしてきたんだが」
「……。いや、わかんねぇ。どういうことだ?」
「そいつらは一応生きているって言えば、お前にとっては朗報か?」
何かを言おうとして口を開け、思い留まったように閉じて俯く。
「わかんねぇ。つか、そっちのほうがオレにとっちゃ意味不明だ。どうなってんだ?」
「見せたほうが早そうだ」
実験込みで、ミリスに連絡を取って彼らだけをこちらに向かわせるように頼んだ。自分たちだけで道順などを判断できるかとそれを覚えていられるかの記憶力テストである。
「ま、証拠はそのうち来るとして、疑問だったんだが、なんでお前は転移門通ってないんだ?」
仮にもリーダーだというのに、なぜ先陣切って移動していなかったのか、ちょっとだけ気になっていた。
「早い話がオレのところに残った奴らは、あんたと話す立場になるってのを嫌がってんだよ。つかオレがいなくなったら普通にあんたは仲間を始末するかもって思ってる。だから先頭にオレを立たせないで、殿にも置かない。先頭よりの真ん中って陣形だったんだ。ちょうどオレの番って時に通れなくなったってわけ」
「お前も悪運持ちか。俺に名前覚えられたら生き残りやすいってジンクスになりそうだな」
まあカストなんていうすでに誰の頭からも忘却の彼方の例もあるのだが。
「まさしく悪運だな」
トーリの例を知らないのに意味を察したらしいイルスは、皮肉というよりは自棄っぽい感じに顔を歪めた。
「で、まだ時間かかりそうだから、その前に聞いておくか。お前ら、実験体になる気はあるか?」
「……」
何言ってんだろうこの化け物、という顔になったイルスはヒューリァの怒気の視線に焼かれて焦げ付きそうだった。




