71. 羽化
なぜか背負われることを頑なに拒否するヒューリァにしがみつかれながら、とりあえずミリスと合流するために移動する。
その途中で、かなりの高速で移動する赤毛狼にでくわした。
それで思い出した。
「そういえば、トップランカーの残党を捕まえてくるようにって差し向けておいたんだっけ」
優先順位が低すぎて忘れていた。
先行役が止まったことで追いついてきた赤毛狼の群れの一体ずつに一人が背負われている。
ちなみに麻痺毒によって息をするだけの死体も同然に身動きしない。
思うところあって飛逆は彼らをここに留めて、全員が揃うのを待つ。
最終的に連行されてきたのは、二十二人だ。イルスらは省かれている。さすが赤毛狼は優秀だ。きちんと命令を聞いてくれたのだ。イルスたちは混乱しただろうが、飛逆の知ったことではない。どうやって彼らは赤毛狼と折り合いを付けたのかということは、多少気になるが。
というかよく考えたら千五百階層付近に向かわせた赤毛狼にも採集を命じているため、イルスたちは食料を手に入れられないのではないだろうか。原結晶はともかく、食料は保存に限度がある。
もしかしたら赤毛狼との獲物の奪い合いの激戦が繰り広げられているかもしれない。
除外されている対象に赤毛狼からは攻撃しないが、その場合の赤毛狼は逃げるよう設定されている。赤毛狼のトップスピードは飛逆に匹敵するため、イルスらはとても捕らえることなどできない。
してみると、イルスたちは今頃獲物を得ることもできず、赤毛狼からドロップ品を奪うこともできず、かなり高い可能性として、飢えている。
さすがにあんまりだな、それは。
飛逆は新しいコマンドを埋め込んだ情報伝達タイプを生み出して、千五百階層に向かわせた。
さておき、飛逆が彼ら赤毛狼を留めた理由だ。
現状無力化されているとはいえ、ゾッラとノムの神樹が、彼らが元々目指していた階層にはあるからだ。トップランカーもまた例外ではなく、神樹の因子を植え付けられているだろう。もし神樹化因子保有者同士は共鳴して発芽するような仕組みであったなら、階層を移動した時点で神樹化してしまう可能性がある。
どうせすぐに無力化できるので、別に問題ないといえば問題ないのだが、転移門を潜った瞬間に発芽した場合、門が塞がれてしまう。転移先が埋まっている場合どうなるのかわからないので、なるべくなら避けたい。
避ける方法は二つほどある。
一つは単純に、この階層に留めておくこと。赤毛狼が蔓延するこの階層なら別にそれに問題はない。ちょっと管理が面倒だな、ということくらいだ。
その管理も、毒合成の応用でリンゲル液みたいなものを作って点滴でもすれば、あとは定期的に赤毛狼に噛みつかせておけばいいだけだ。実際のところ一度その体制を作ってしまえば後は楽なものである。
なぜ始末してしまわないかというと、単純にサンプル数が欲しいからだ。
そこでもう一つの案は、つまりは飛逆の血で上書きするというものなのだが、これはこれでサンプルに偏りができてしまうのが問題だ。神樹のサンプルは現状実質一体しかない。
ノムはともかくゾッラはできれば人材として欲しい。あの共感覚は貴重だ。だから神樹のサンプルもいくつかは欲しいのだ。重なり合っている彼女たちではぶっつけ本番でゾッラを解呪しなければならない。
まあ大して悩むことでもない。
十人を適当に作ったシェルターの中に放り込んでおき、十人に飛逆の血を飲ませ、先に転移門を潜る。ミリスが描写したような有様になるのが十人もいると中々の阿鼻叫喚っぷりだったが、完全に無視して赤毛狼に運ばせる。
その上で、時間差で残りの二人を放り込ませると――
案の定、一気に神樹化した。
「改めてみると中々気持ち悪い成長速度だな」
速度はともかく質量保存の法則はどこ行った。
まあ、体重以上の血液を放出してもすぐさま補充されるし、部位欠損しても瞬く間に修復される身体の飛逆の言えたことでもないが。
赤毛狼に無力化させるまでもなく麻痺してそれ以上成長しない二本の樹の、辺りに張り巡らされた根を刈っていく。
全部を刈ると、途端に幹中央の人間入り金属水晶がその光沢を曇らせて、中が見えなくなってしまった。精気知覚化して観察してみたところ、どうやら循環が止まっている。精気自体が失せているわけではないようなので、死んでしまったわけではない、かもしれない。どんどん精気が拡散しているところからすると、緩やかに死んで行っている最中のようだ。
口笛を吹いて赤毛狼を集め、原結晶を持ってこさせる。そして適当に根の断面にくっつけてみると、めちゃくちゃな循環ながら、流れが再開した。成長は麻痺毒によって止められているため回復はしないが、どうやら生け花ちっくにすることはできそうだ。
自分で運んでもよかったが、ヒューリァは足腰が生まれたての子鹿になっているので、彼女を支えるために神樹は赤毛狼たちに任せる。背負わせると赤毛狼たちの精気消費が激しくなるので、引き摺らせた。
赤毛狼たちは固化することはできるが、基本的には霧なので、固化する面積が大きくなりすぎると消費が大きくなるのだ。物理エネルギー効率では背負ったほうがマシなのだが。
そんな集団を引き連れて戻ってみたら、屋敷の周りは静かなものだった。
それも当然。活動しているのが基本静音の赤毛狼とミリスしかいない。
そのミリスは、探してみると、なんか部屋の隅っこで縮こまっていた。
こちらに気付いている証拠に、飛逆が顔を見せるとびくっと繭が震えていた。というかつまり、ミリスは飛逆に怯えていた。
無理もない。あれだけ強烈な殺気を放つ飛逆に近寄れるのはヒューリァくらいのものだ。実際その反応は正しい。もしもミリスがあの時飛逆を呼び止めるとか、引き留めるなどの行動に出ていたなら、ヒューリァよりも悲惨な目に、飛逆は遭わせていただろう。
そっとしておこう、と飛逆は踵を返そうとしたのだが、ヒューリァがはっとしたように飛逆の裾を引く力を少し強くする。
それどころか徐々に顔を赤くしていき、そしてなぜかその視線は飛逆の左腕の手首辺りに――
そこまで行って飛逆も気付いた。
――ミリスとの通信用腕輪の原結晶、そういえば抜いていませんでした。
つまりミリスは見ていたということだ。
どこからどこまでかは不明ながら、少なくとも触りの部分くらいは。
よくよく思い返せば別の場所で別のことをしていたヒューリァがめちゃくちゃな道筋を行っていた飛逆に追いついてきたのは、ミリスが彼女を誘導したためだろう。接続していたのは間違いない。
ミリスはどう考えても耳年増だ。実際の経験は間違いなくないだろう。したり顔で『男女関係ってこういうもの』とか言い出す女子は大抵が未経験者なのだ。
今のミリスは例えて言うなら、両親の『プロレスごっこ』を目撃して、母親がいじめられていると誤解した幼子のようなものだということだ。いやまあ、飛逆たちの場合は大概誤解ではないのだが、だからこそなおさら傷は深いだろう。
やっぱりそっとしておこう。
飛逆はそう思ったのだが、ヒューリァは赤を通り越して顔を真っ青にしていた。いつの間にかしっかり立ってうっすらとした白い笑みを浮かべている。【神旭】の刻印もデタラメに明滅して今にも炎を出しそうだが、実は何気にすでに出ているかもしれない。なんか白いオーラみたいのがヒューリァの全身から立ち上っている。
そういえば炎の色ってその熱が上がる毎に赤、青、白の順で変化するのだった。関係あるのかと言われればないだろうが、ヒューリァが恥ずかしさを振り切るレベルで怒り心頭なのだということは、なんとなく飛逆にはわかった。
今にもヒューリァはミリスを焼き付くさんとしようという気配を放つ中、ミリスは不意に、
〈ふ、ふふふふ……フハハハハッ!〉
気を違えた感じで笑い出した。
〈読めてましたよぉ!〉
読めていたらしいです。
(……誰の、何を?)
素朴な疑問が飛逆の脳裏を過ぎる。
〈その反応はっ! 読めてましたっ! 知ってましたからぁ!〉
まるで指弾するようにヒューリァに向けて自棄になったような音声を放つミリスはどう見ても開き直る方向を間違えていた。
だがヒューリァはミリスのその開き直りっぷりに呆気に取られたらしく、きょとんとした顔になってその纏う白い炎を放たない。
〈ええっ、知ってました……ヒューリァさんはぁ、たとえワタシが見てないと言い張ってもぉ、ワタシをデバガメ呼ばわりするって知ってましたからぁ! なんど……っ、なんどっ、共同研究中に死ぬ思いしたと思ってんですかぁ! いい加減学習しないとワタシアホすぎですからぁ! むざむざとぉ! ちょっと見ちゃったくらいでぇ! やられはしませんっ! ――アカゲロウちゃん! カモン!〉
ちょっとは見ちゃったらしいです。
そんな些細なところに胸中ツッコミ入れている間に瞬足の赤毛狼(ミリス垢)の数体がヒューリァを襲う。
飛逆が防ぐまでもなく、白い炎に自ら飛び込んだ赤毛狼(ミリス垢)はその体細胞を爆発のように散らしてしまい、僅かな爪痕さえもヒューリァに与えられない。だが、真実血煙と化した赤毛狼によって視界が一瞬だけ閉ざされた。
〈――一瞬でも気を引ければ充分なのですよぉ!〉
ミリスはその一瞬で、その髪を四方(天井、床、左右の壁)に突き立てていた。
何がしたいのかわからない。
〈ふっ――コネクト、です。行っちゃってくださいアカゲロウちゃん!〉
またか、と若干気勢が削がれた感じのヒューリァの、足下からそれは始まった。
神樹の根の勢いもかくや、という勢いで床から尖った杭が飛び出てるように形成される。続けざまに天井、壁からも次々と。
「わっ」
さすがにやや驚いた感じのヒューリァは飛び退き、それらを避ける。
最新バージョンの赤毛狼に比べれば耐熱性が低いが、普通の素材よりは耐熱する赤毛狼素材の杭は、咄嗟の炎では防ぎきれない。だからヒューリァの判断は正しい。
飛逆には向いてこなかったが、ヒューリァに付き合って飛逆も飛び退いて、屋敷から出た。
(『土石操作』でも使ってんのか?)
一度焼成した赤毛狼は流動性がかなり失われているので、たとえミリスがアカウントを乗っ取ったとしても、あれだけのスピードで杭を形成することはできないはずだ。
ということは、ミリスは『土石操作』の【能力結晶】を自身にインジェクトすることで――とそこまで分析して、気付いた。ネリコン化された赤毛狼素材なら、ミリスが髪で接続するだけでそれを使用できる。
ミリスはヒューリァが激昂することを読んでいたわけだし、二日以上の準備期間があれば、色々と試行錯誤できたことだろう。たとえば自分のアカウントの赤毛狼を屋敷の素材に合成することで彼女限定のネリコン化した、とか。ミリスは待ち構えていたのだ。
そんな分析をしている間に、めきめきと屋敷の形が作り変わっていく。
というか本当、ヒトが実質三時間程度とはいえ精魂(人狼のだが)込めて作った屋敷で何してくれちゃっているのか。
飛逆は色んな理由で呆然として、ヒューリァは戸惑っているらしく、それが形成されていくのをただ見守る。
赤毛狼素材はあまり量が採れないので、壁などは見た目よりもずっと薄く作られている。
それでも、実質の体積は人間より遙かに大きい。
赤を基調としたメカニカルなフォルムの岩巨人が完成するまで、二人は呆然と見上げていた。
――ヴォオオオオオオオオオオオオォォォォ……ォォ!!
狼を擬人化したような面構えの巨人が、中腰になって両腕を鷲の翼のように広げ、胸を反らして上を向き、顎が外れたかのような大口から咆吼を発する。
どう見てもパロっていた。
ただし、暴走の演出にしてはそんなお約束をやる余裕があるということで、ミリスはおそらく正気だろう。いやまあ、これをやろうとした時点である意味すでに正気ではないのかもしれないが。
なんというか飛逆としては、見られてしまったものは仕方ないと思うわけで、この状況に対するスタンスを決めかねているわけだ。そこに飛逆でも知っているようなパロネタだ。何か若干違うのも混ざっている気がするし、気勢が削がれるどころの話ではない。遠巻きにしていたいというのが本音だった。
元ネタを知らないヒューリァは、それでもなんだか投げやりな感じで、火弾を放つ。
――ヴォオオオオオオオオオオオオォォォォ!
巨人はなんと、その火弾をその大口から発する指向性超音波――衝撃波で散らしてしまう。どうやら『流体操作』も併用しているらしい。元々ミリスは音の周波数を操れるので、併用するとそんな割とヤバめな攻撃ができる。
「あ」
それは危ないんじゃないかな、と思ったときにはもう衝撃波はヒューリァを襲っている。
「――かっ、はっ」
火弾を散らしたことで減衰していたことが幸いしたのか、それほどの威力はなかったようだが、それでも床の表面が破砕し少し陥没する威力の衝撃をほぼ無防備に受けたヒューリァは、膝を屈した。
おそらく元々腰砕けだったのも影響している。割と無理して立っていたのだろう。逆に言えば、今のヒューリァの身体にこの程度はそれほどのダメージにならない。
〈ふ、ふふふふふふっ! フハッハハハハハハァ!〉
くぐもった音声でミリスは哄笑する。どう聴いてもやけっぱちなテンションだった。
そうしている間に周囲の赤毛狼がやってきて、霧状になって巨人を纏いにかかる。おそらくは耐熱性がMAXの赤毛狼だろう。
それを纏えば、その巨人は最早火弾など防ぐまでもない。
まるでオーラのように紅い煙を纏う紅巨人兵は中腰だった膝を伸ばし、腕はそのままに、威風堂々として言い放つ。
〈ほらほらぁ、どうしたんですかぁ? いくらでも火弾放ってくれていいんですよぉ~?〉
明らかに調子に乗っているミリスの挑発を受けて、ヒューリァの怒りは再燃したようだ。大して上手い挑発でもなかったが、彼女に煽り耐性とか期待するのが間違っている。
ゆらり、と立ち上がり、一切の躊躇もなく火弾を三連射。
その三発のすべてが爆裂型だ。
人間一体を消し炭にしても尽きないほどの威力はしかし、紅巨人兵のその豪腕の鷲爪によって迎え撃たれ、握り潰される。
しかしヒューリァはそれはもう予想済みだとばかりに爆裂弾を移動しながらでたらめに連射していく。もちろん【神旭】でさりげなく陣を描き、床に埋め込んでいくことは忘れない。
爆裂弾はどうやら無駄ではないらしく、一度当たった部分は紅い煙が薄くなっている。それも殆ど一瞬のことだが、ヒューリァはもちろんそんな一瞬の隙を見逃さない。移動しながら一点に火線を集中させていく。
どうやらその欠陥に気付いたミリスは〈くぅっ〉とか呻きながらも、ただ迎え撃つのではなく、指向性咆吼波動で散らしたり、巨体にはありえないアクロバティックな動きで避けていく。
ずぅん、ずがぁ!
とばかりに紅巨人兵が動く度に激震が発生し、ヒューリァは少しばかりその動きを乱されて、照準はもちろん、陣を描くのにも多少ばかり支障を生じている。
それを見て取ったミリスは紅巨人兵の足で、まるで飛逆がそうするように震脚を放つ――『土石操作』を併用したそれは、なんと、波浪のように床をうねらせた。
当然、それまで以上の激震が波及し、ヒューリァは陣を描くどころではなくなり、それどころかバランスを取ることにも難儀しはじめる。それでダメージを受けるほどではないが、同じ部位に向けて火弾を連射することなどは到底できない。
まだヒューリァは完全に激昂しているわけではないだろう。
まだ無言だからだ。
ただ、間違いなくボルテージは上がって行っている。陣を乱される度に、ヒクヒクと口端が吊り上がって行っているのが、それを如実に表していた。
(しかしすげぇな)
一人この場のノリについて行けない飛逆は割と冷静に観察していた。
(部分的に流動性を持たせることで関節部に潤滑液みたいのを作って、何気に構造的にありえない可動性と俊敏性を持たせてるのか)
紅い巨人兵の分析だ。
どう考えてもその自重を支えられる構造ではないし、アクロバティックな動きは相当のノックバックを与えているはずなのだが、それもどうやら『土石操作』で緩和しているらしい。『流体操作』も、咆吼撃以外に併用している節がある。関節部にある円筒状の角が怪しい。
つくづくミリスは『操作力』とでも呼ぶべきものが高い。人体構造ではありえないような動きを実現するイメージ力もそうだし、いかにネリコンを用いているため負荷が軽減されていると言っても、元々は別の怪物の『能力』を用いてそんな操作をこなせていることもそうだ。恐るるべきほどの『操作力』である。
(自分をコントロールすることが苦手な代わりに、自分以外のモノを使うのがやたら得意ってことなんだろうなぁ……)
根本的に飛逆とそのコンセプトが異なる。
飛逆は【紅く古きもの】を初めとした、外部から取り込んだ『能力』を自分の色に染めることで使っている。
対してミリスは、自分から『能力』に同調することでその操作力を発揮している。
方向が逆なのだ。相手に合わせることのない飛逆に対してミリスは自分を合わせていると言うことが出来る。自身で実現するか、あるいは他の物で実現するかの違いだ。
自分の身体を『操作』することを覚えたならミリスも、あるいは運動音痴などという評価を返上できるかもしれない。
それができないのは、自分を突き放して、肉体をあくまでも乗り物として考える/感じることができないためだろう。もちろん素養がないというのもあるに違いない。
そんな分析をしている間に、膠着状態に焦れたのか、ヒューリァが動きを止める。そして静かに紅巨人兵を見据えた。
ミリスはそんなヒューリァに〈え、えと……攻撃していいんでしょうか~〉と逡巡を見せる。
罠型陣は完成していない。それを確かめるように紅巨人兵は少しばかりうろうろとした後、思い切ったようにヒューリァに正対する。
人体で言うところの肩胛骨の辺りから伸びる短筒状の吸気口が、赤毛狼の煙を巻き込んで吸い込みながら、唸りを上げる。
〈え、えと~ですね~。ワタシの試算では~、これを全力で撃てば~、たとえ飛逆さんであろうと致命傷を与えられるんですよ~。実際にヒサカさんの血で大まかに防御力とか割り出す実験をしているので~、その結果を少なく見積もっても間違いありません~〉
赤毛狼入り圧縮空気弾+指向性超音波とくれば、なるほど。かなりの威力が出せるだろう。飛逆の右腕を使った溜めなしの『遠当て』くらいの威力は出せるかもしれない。気のせいか、発射口である口からプラズマっぽいのが漏れているし、下手をしたら飛逆の全力火力に匹敵するかもしれない。普通の人体だったら三回蒸発しても足りないレベルだ。
〈その、ですね~。ワタシは別にワタシが酷い目に遭いたくないだけで~、別にヒューリァさんを殺したいとか~、痛めつけたいとか~、今まで虐げられた分をやりかえしたいとか~、そういったことちっとも~思ってないんです~〉
ちょっとは思っていそうだ。特に最後の。
〈だから~〉
「ご託はいいよ。撃てば?」
〈なんっでっ、そぉ! 全力で白黒付けなきゃ気が済まないんですかぁ!? こんなに茶番にしようってぇ頑張ってるのにぃ!!〉
言葉少なに挑発するヒューリァに、ミリスが激昂したように音声を荒げる。というか茶番にして何もかも有耶無耶にしてしまおうという作戦だったようだ。
(それは気付かなかったな)
ヒューリァが危なくなっても遠巻きだった飛逆は胸中で棒読みした。
〈ワタシはヒューリァさんと仲良くしたいのにぃ! ちょっとだけ寛容になってちょっとだけワタシに優しくなってちょっとだけヒサカさんとチョメチョメさせてくれるだけでいいんですけどぉ!?〉
結局一つのことしか言っていない感もあるが、なんか最後のは特に勢いで言っちゃった感があった。というかチョメチョメて。
ヒューリァはそれを聞き逃さなかったようで、ピクリと眉尻を吊り上げる。そして何故か飛逆に視線を寄越してきた。
飛逆の無反応から何を読み取ったのか、「そう……」と呟いて俯く。
ミリスが自分の失言に気付いたらしい気配を発するのと同時、ヒューリァは朗らかなまでにうっすらとした笑みの浮かんだ顔を上げた。
「そんなことあったねそういえば。ごめんなさい。わたしのせいだ。すっかり忘れてた」
朗らかな笑みを浮かべて謝罪をしているのに、ちっとも穏当な雰囲気にならないのがヒューリァのすごいところだ。
当然、ミリスは冷や汗が滂沱と流れる気配を紅巨人兵で駄々漏らしている。
「これでもわたし、貴女のこと嫌いじゃないんだよ? だから――もし上手く行ったら頃合い見て始末しようと思ってたことと一緒に、忘れてた」
それはつまり、ミリスを利用するだけ利用した後は殺すつもりだったということだ。けれど色々あって、そんなことを提案したことをなかったことにしようとしていた。自然消滅狙いだったわけだ。
そんなことを思っていたことを思い出したということは、つまり。
ヒューリァは殺す気と書いてヤる気だった。
忘れたままにさせておけばよかったのにね、とすごくいい笑顔で言うヒューリァに、しかし対するミリスの音声は落ち着いたものだった。
〈そんなことだろうと……思ってました~〉
そういえば、それと気付いていそうなことをミリスは言っていた。独占欲のない女なんて存在しない、だったか。
過程を無視する傾向にあるヒューリァのこと、最終的に飛逆の愛人が自分一人であればいいという思考だったというのは、割と簡単に推測できる。ヒューリァが寛容からハーレム形成を計画したというのは、割と過程も重んじる傾向にある飛逆の頭がボケすぎていただけだ。
〈けっきょくは~、早いか遅いかの違いでしかなかったんですよね~……こうなるのは~〉
飛逆の寵愛を受けたがる女が二人いた時点でこの対立は避けがたい展開だったのだと、ミリスは言う。
しかし当の飛逆としては、
(そんなに俺をヒロインにしたいのか……)
すっごく冷めていた。
実際にそういう立場に立たされてつくづく思うが、物語にあるようなヒロインを取り合って複数の男が対立するという構図は、どこまでもヒロインの意志を蔑ろにするものだ。もちろん取り合う男たちにはそんなつもりはないだろう。しかしその手段がヒロインに対するアピールの範疇を超えて、ただライバルを蹴落とす行為になった瞬間から、ヒロインは人格を無視された賞品でしかなくなってしまう。
つくづく思うのだ。ヒロインの「私のために争わないで」のテンプレゼリフを最初に考えた奴は絶対男性だろうな、と。女性はそのシチュエーションに憧れ、件のセリフを好むだろうが、現実に際してはこう付け足すか、差し替えるだろう――「どっちが勝っても付き合わないから無駄な争いは止めて」あるいは「どっちも死んじゃえ」。
もちろん飛逆はすでにヒューリァを選んでいるし、そもそもヒロインではないのでそんなことは言わないし、思わないが。
どうしても気分が下がる。
あくまでも赤毛狼は飛逆の能力であって、主導権は飛逆にある。つまり介入すれば一瞬で片が付く。
とはいえ、ここで飛逆が介入してもロクなことにはならないだろう。奪い合われるヒロインが何を言っても無駄なように、むしろ後が悪い。
飛逆は自分を置物にして、見守ることにした。
置物といえば、飛逆はミリスが紅巨人兵を作るのに使わなかった方の建物の前で彼女たちの観戦をしている。
連れてきたゾンビ化トップランカーどもを含めた、実験体を保護するためだ。こんなことで残りの数が限定されている実験体を失うのもバカバカしい。
そんな飛逆を他所に、紅巨人兵の咆吼撃の溜めはどう見ても臨界に達していた。これ以上は砲口が保たないだろう。
〈殺す気はないので~……避けてくださいよ~〉
そんな腰の引けた音声を合図に、射出。
一瞬後、ヒューリァのいた位置にプラズマっぽい青白い閃光が突き刺さる。
どう見てもビームだった。
向こう側の壁まで達したビームは床、壁を容赦なく焼いて、間断ない爆発――完全に視界を遮る閃光と爆煙が生じた。
まあ当然、ヒューリァは避けている。飛逆の動体視力はきちんとそれを捉えていた。
感覚の鋭敏さでいえば飛逆のそれに劣らないミリスも当然それを捉えていただろう。
〈上、しかないのはわかっていたのですよぉ!〉
ノックバックで顔を半壊させて仰け反る紅巨人兵は、その勢いのまま片腕を振り上げる。
そして、ギミックが発動。
バシャっと腕が縦に割れて、その砲身が顕わになった。
――ここまでは予定調和だ。
ヒューリァが上に避けることはこの場にいる誰もが予想していた。埒が明かないと見たヒューリァはあえて自分の動きを読ませることで紅巨人兵の動きも限定させたのだ。
ミリスはそれがわかっていてその誘いに乗った。乗らざるを得なかったのだ。なぜなら紅巨人兵を動かすのにはどう見ても膨大なエネルギーが要る。消耗戦向きではない。
ヒューリァの燃費もそれほどいいわけではないので、あのまま消耗戦を続けていれば割と接戦のチキンレースになっただろう。
ただ、どちらのほうが分が悪いかといえば、やはり紅巨人兵だ。なんと言っても実戦経験が違いすぎる。
おそらくはぶっつけ本番で紅巨人兵を運用しているミリスは、あくまでも理論上でしかその継戦可能時間を把握していないだろう。相手が実戦経験豊富でしかも天才肌のヒューリァとくれば、チキンレースを挑んで負けるのは目に見えている。
故に、誘いだとわかっていても乗らざるを得なかった。
かといって無策で挑むわけもなく、紅巨人兵に隠し弾があるのは必然だ。
〈喰らってください――アンチマテリアルバーストショ――ってなんですかぁそれぇ!?〉
だから問題は、ヒューリァが一体どのようにしてミリスの応手に対抗するつもりなのかということだったのだが。
その答えは、翼だった。
ヒューリァは字義通りの意味で、飛んでいた。
【神旭】を左右の指から伸ばし、大きく広げている。左右合わせて十本の指から伸びる【神旭】はそれぞれがあみだくじのように交差してまるで蝶の羽根のような模様を形作っている。ところどころ灯る炎が推進力を生み出しているらしく、ヒューリァは爆風の範囲からも逃れてゆったりと浮遊していた。
飛んでいることの何が問題なのかと言えば、ミリスが予想したよりも遙かに高く、ヒューリァは浮き上がっていることだ。
当然、予想外の高さはミリスが計算していた射角から大きく外れる。技名からして散弾の類なのだろうが、それも徒だ。散弾が効果的なのは中距離までだ。しかも物質砲弾らしいから、重力加速度の影響も強く受ける。
照準の遅延、威力の二段落ちとくれば。
結論――撃っても無駄だ。当たるわけがないし、当たったとしても無意味。
詰みだ。
咆吼撃を連発できない以上、それを撃たされた時点でミリスの負けだった。
紅巨人兵がだらりと腕を垂らすのと同時、ヒューリァの【神旭】の翼から、槍のような火弾が放たれる。
連発だ。しかも広がった【神旭】から同時にそれらは放たれる。
秒間百発は下らない槍衾の雨霰。
火炎槍のスコールが紅巨人兵へと局地的に降り注ぐ。
爆炎の柱がしばらく立ち続けた。
後には何も残らない。
重金属を含んでいそうな黒煙がもうもうと立ち上り、視界は完全に閉ざされているが、飛逆の設計した赤毛狼の防御能力では多少の水増しがあったとしても、耐えられるものではなかった。おそらく紅巨人兵は蒸発している。
もちろんその余波は飛逆のところにまで達したので、飛逆は後ろの建物を護るため、明らかに有害物質を含む煙を浸透勁で散らし、熱は自身に集めて後ろに及ばないようにする。
それが終わった辺りでちょうど、ヒューリァが滑空旋回しながら降りてきた。着地し、さすがに【神旭】を出しっぱなしは疲れたのか、ふうっ、と息を吐く。
「すっきり吹き飛ばしたな」
そんなヒューリァに、飛逆はやや苦い顔で言った。
紅巨人兵にはふんだんにネリコンが使われていた。どれもこれも素材としては二流とはいえ、製作にかかるコストが低いわけではない。ミリスを戦力として数えるならば、あれをそのまま進化させていく方向でよかったのだ。
「茶番に付き合わされたわたしの身にもなってよ」
「まあ、な」
ヒューリァからすれば、これでもやりたりないだろう。まさしく茶番だったのだ。
「ひさかは、いつから気付いてた?」
「あの巨人が作製されたとき、だな。充分な準備期間があったのに、なんで最初っからあれを作っておかなかったのかって話だ。少なくともあの前振りは不自然すぎた。ヒューリァの反応が読めていたって言うなら、最初から家に接続しておくことくらいは絶対できたんだからな。
しらばっくれるつもりがあったならこれ見よがしに部屋の隅っこでガタガタ震えるようなことはしないだろうし、だからヒューリァの様子を窺うつもりだったっていうのはない。もちろんあの程度で奇襲が成功するわけもないことくらいミリスはわかってたはずだ」
他にも、運動神経が壊滅的なミリスが、いかにノックバックを極力抑えているとはいえ、あれだけの駆動をする巨人をああも的確に操れたのかということなど、いくつか不自然な点はあった。
離れたところから操作しているから、的確だったのだ。
ヒューリァが気付いたのは、飛逆がこの建物を護るように位置を取った辺りからだろう。そして飛逆の様子を見て確信した、と。
「ってことは、やっぱり……わたしにミリスを殺させる気がなかったんだね」
「さすがにかわいそうだからな」
「……」
「心配しなくても、俺にそのつもりはない。しっかりそう言ってある」
単なる同情だ。応えるつもりはないが、好意を寄せてくれる相手をあえて無碍にしたいとまでは飛逆は外道ではない。
むしろ、これまで以上にはっきりヒューリァを選んだ飛逆は、どこか余裕がある。だからこそあえてミリスに厳しく当たることもない。揺るがない自信があれば、自分に言い聞かせるように態度を硬化させる必要がないのだ。
「だからできれば、お手柔らかにしてやってくれ」
「……わかった。ミリスの思惑どおりで、癪だけど。この茶番で気が殺がれたのもあるし」
結論を言えば、ミリスはあの紅巨人兵の中には最初からいなかった。
飛逆たちが見た繭の中は空っぽだったのだ。いや、原結晶は詰まっていただろう。だがミリスの本体はいなかった。
飛逆がそれに気付いたのは前述のとおりだが、ミリスがなぜそんなことをしたのかといえば、それは彼女自身が言ったように茶番に仕立てるためだ。
ヒューリァはカッとなったら何をしでかすかわからない。あの時の勢いのままだと、うっかりでミリスを殺してしまうことだって十分にありえた。少なくともミリスが自分の死を確信するまでのことをされるのは確実だった。
だからとにかくその場の勢いを削ぎたかったのだろう。木偶を倒させて多少なり鬱憤を晴らさせるという狙いもあったに違いない。
どこかで気付かれるのもミリスの予定通りのことだったはずだ。ヒューリァが気付いた素振りを出さなければもっと露骨なヒントを出して誘導したかもしれない。気付かれなければそれはそれで後々問題になる。たとえば殺すまではする気がなかったヒューリァが、紅巨人兵を解体したらもぬけの殻だった、というオチはヒューリァの逆鱗を刺激するだろう。茶番も行きすぎると冗談にならない。
飛逆に好意を寄せていることを明らかにしたのは多分、ついでだ。この際だからぶっちゃけておいたというところか。
どこまでが計算だったのかは、この辺りまでくると正直わからないが。
なんにせよ、ミリスの目論見はほぼ完璧に為されたと言っていいだろう。
ヒューリァのお仕置きが避けられないのは、予定調和であるからして。
辺りの後始末に取りかかった飛逆の背後の建物の中から、ミリスのどこか嬉しそうな悲鳴が響いた。
つくづく思う。
ミリスは、やっぱりMだ。
Sではない飛逆には荷が重い。




