70. 呪い(重)
ミリスに何も断りを入れず、ふらりと実験室を出た。
引き留める声はない。
ミリスには飛逆が一体何に、激昂しつつ呆然とするなんて、これほどに矛盾した状態に追い詰められているのか、わからないだろう。
飛逆自身にだってうまく言語化できない。したくない、という方が多分正解に近い。
酷く退廃的な気分だった。
自暴自棄といったほうが近いか。ただし、自棄になればなるほど笑みを浮かべる飛逆の顔にそれは浮かんでいない。
何かをめちゃくちゃに壊したい衝動があるのに、それをする前からひどく疲れてしまって何もしたくない。撞着している。矛盾という気分なのだ。
じっとしていては、きっと拙いことになる。特にあのままミリスの傍にいては、ひどく拙いことになる。
とにかくその場を離れるべきだというのは、最後の理性だった。
頭が痛い。
睡眠不足だ。
ひどく眠い。
抑え付けていたものがほどけたせいだ。意識を制御することが億劫で仕方がない。起爆誘爆を繰り返して頭の中のエントロピーが増大の一途を辿っている。これまで騙しだましやってきたが、あまりにも複雑で密度の高い感情が一度に連鎖して解放されたせいで、処理が追いつかない。ブレーカーが落ちそうだ。
自覚はなかったが、これまでは兄が処理を補助していた。だから眠気を無視することができていたのだ。
その兄を封じてしまった。拒絶してしまったのだ。彼は完全にあの領域から手を出すことが出来ない。
これ以上の感情の発散には耐えられないと、半ば反射的にそうしてしまった。
いつだったかモモコが言っていたが、飛逆は兄を慕っている。慕っていた。ただその感情は複雑だった。おそらくモモコが思っていた以上に複雑で、負の感情が入り混じっていた。
いつか自分を呪うだろうと、兄は予言していた。
兄を喰らったときに、飛逆は兄を呪った。置いて行かれたように思ったから、というのもあった。きっと顔を合わせればその顔に一発入れてやりたいくらいには思っていた。けれどそれはあくまでも愛情の裏表のようなものであって――予言されたそれではなかったのだと、今になって気付く。
わかっている。すべては手遅れだ。
今の飛逆に、こんなことでここまで動揺する理由はない。
けれど眠いのだ。
眠ればどうなるのか、わかっているのに、耐え難いのだ。
ふらふらと歩き回って、途中で赤毛狼を【吸血】していく。対症療法みたいなものだ。眠気に対抗するためにドーピングを繰り返す。割合にすれば大した量ではないが、確実に飛逆の精気の容量は拡張されていく。
浮き沈みを繰り返す理性が辛うじて、このままでは暴走することを予見して、その度に外に出る転移門へ足先を修正する。
破裂するならば、外で、誰も巻き込まずに、どうせならば敵を殺すのに利用する。
殺してもいい敵がいるというのは幸いだ。壊してもいい相手がいるというのは僥倖だ。誰でも、あるいは何であろうと構わない。
「――ひさか!」
呼び止める声がした。
酩酊している意識は辛うじてそれが/誰だったか/女/の声であることを認識した。
瞬間――吐き気がした。
饐えた臭いがした。乾いて白い骨まで見えている/死んでいないが生きている/誰かのイメージが、見知らぬはずの女の姿に重なった。
その女は誰だっただろう。
大切な誰かだったような気がする。飛逆にとってのその誰かはヒューリァだ。けれど違う。ヒューリァはそうなっていない。そうなるところを想像したから知っている。あれは違う誰かだ。
デジャブ。現実から連想して想像が結実した。
想像にしても見たことのない女だ。そこにいるヒューリァとは違う。
記憶が混線している。飛逆砦が見たことはない。けれどそれは知っている女だ。兄が見たのだ。それしか考えられない。【吸血】は記憶を搾取する。【魂】に人格はラベルされていないかもしれないが、記憶は付随しているのだ。
兄は、見てしまったのだ。このイメージは実際に兄が目にした映像なのだ。
己の母のなれの果てを。
あるいは飛逆砦の母のそれを。
あんなになってしまう母体が二体の怪物を、六年もの間隔を空けて孕み産めるとは考えられない。
薄々は気付いていた。兄と飛逆砦はその胎が異なる。あるいは父さえも、違うかも知れない。
今まで考えないようにしてきた疑問がある。
どうして血族として優秀な兄が、比較的歳の近い飛逆砦の通過儀礼の生け贄とされたのか。
その回答がこれだ。
兄は自分が通過儀礼を受ける前に見てしまったから、本来ならもっと年嵩の、先のない血族が生け贄とされるところを、選ばれたのだ。
血族である己を、吸血種である己を、拒絶したために。
あるいは自分から志願したのかもしれない。充分にありえる。
探せばその記憶も見つかるだろう。
けれど飛逆はもう吐き気に耐えられなかった。
イメージがグロテスクだったからではない。
たかがそんなことで精神にダメージを受けている自分自身が、耐え難く気持ち悪い。たかがこんなことで消滅を図った兄が気持ち悪い。そんな兄を理由に生きてきた自分が喩えようもなく最悪だ。
怪物の皮を被ったヒトである自分/兄に耐えられない。
「――ひさか!?」
自家中毒から九割血液の胃液を嘔吐する飛逆にヒューリァは悲鳴を上げながら駆け寄る。
それはダメだと思ったときにはもう遅い。
倒れ込もうとする飛逆を支えようとしたヒューリァの手を取って引き寄せ、乱暴に床に叩き付けて押さえ込む。そのままその血だらけの口で、彼女の口を塞ぎ、蹂躙を始める。
わけのわからないまま始まった行為にヒューリァは一瞬、すべての反応を無くした。あるいは血に酔ったのか。
当然、その一瞬の後には抵抗が始まる。
「まっ――んなの、――ちが――ぅ」
暴れようとする躰を飛逆は、理性を失ったとは思えないほど的確に押さえ込んで、その興奮を惹起する赤色の衣料を剥いで、それが包んでいた肌をまさぐる。
「ゃ、ぁ……っ!」
煩わしい音は唇で塞ぎ、まだ濡れてもないそこに分け入って一切の停滞もなく侵入した。
「――――――――っ、 ぁ」
壊したかった。
壊れないことを確かめるために、壊しにかかった。
本当に壊れないか不安だから加減なんてできなかった。
箍が外れたことで逆に取り戻せた理性もある。
こんな形にしたくはなかった。
大切にしたい誰かの苦痛/絶望/失望に歪む顔を眺める自分を俯瞰的に認識して、嘆く声がある。
けれど自分がいざとなったらこうしてしまうだろうことは、知っていた。
ひどく乱暴にしてしまうだろうと、わかっていた。
抱かなかった理由は、彼女に告げたそれで嘘ではない。けれどこれもあった。これが大きかった。きっと壊してしまうと思っていたから。
大切にしたいからこそ、抑えられないと知っていた。
押し込んだそれで深い処を押しながら揺するように動き続けると、彼女の苦鳴が艶を孕み始める。血のそれではない滑りもまた生じる。けれどそれはただの生理的反応に過ぎない。けれどそんな嬌声でさえ飛逆の理性を圧迫するのには充分だ。
辛そうで悔しそうな声を聞くために、必ずしも激しくはなく、丁寧に丹念に刺激を与え続ける。彼女のナカをまさぐって、どこがどういう刺激になるのか確かめるように、何度も体勢を入れ替えながら丁寧に丹念に、ナカだけではなく、あらゆる処に跡を刻んでいく。
あくまでも生理的刺激によるものとわかっていても、達せさせるのは悦びがあった。たかが粘膜を擦り合わせて擦り上げるだけのことがこんなにも愉しい。自身も幾度も精を放ちながら、調子に乗って、執拗にその降りてきた奥を叩く。とっくに諦念の浮かんだ彼女の表情はその度に無理に覚醒させられる。繰り返しの果てに、初めは逃げようとしていた彼女が正体を失ったようにしがみついて噛みついてくるのがひどく愛おしい。愛おしいからより上手く刺激するように工夫して瀬戸際まで追い詰めていく。わざと閾値を越えさせないようにして焦らすことを飛逆は覚え、より残酷な水位にまで彼女を追い上げて、達する瞬間を狙って解き放つ。
繰り返した。
もう嬌声さえ上がらない。時間の境界が曖昧だ。いったいどれだけ一方的に交わっていたのかわからない。
いつの間にか破壊的な衝動は失せていた。
だからこれからだった。
なまじ以上に頑強になった彼女の躰は、ようやく熟れたところ。
今度は自分が満足するために、行為を再開する。
理性の融けた彼女は、けれど絶望のような色を浮かべ、それさえも甘露とばかりにその躰を貪る。
飛逆が満足するまでに、少なくともそれまでの三倍の時間と回数が必要だった。
〓〓 † ◇ † 〓〓
衝動と欲情を吐き出し終えてしまえば、飛逆に残るのはやっちまった感だけである。
思い出した過去のことより今だ。ぶっちゃけ過去とかもうどうでもいい。
ヒューリァはちょっと描写が憚られることになってしまっていた。三人がかりでもこうはならないだろうという有様だ。これを自分がしでかしたことなのだと、冷静になってから受け止めるのは中々難しいことだったが間違いなく自分がやったことである。
肉体的にはまあ、再起可能だろうが、精神の方はどうかわからない。行為が終わっても、完全に気をどこかにやってしまったヒューリァはぴくりともせず、それを確かめることはできない。
とりあえず飛逆は後始末することにする。証拠隠滅という言葉が脳裏に浮かんだが、ここまでしでかして隠滅できる証拠など何一つとしてない。あるなら是非教えて欲しい。せいぜい未だ乾いていない色々混ざった体液を洗い落とすことくらいだ。
べとべとするヒューリァを抱え上げて、飛び散った液とかは焼いて始末して、水場を目指す。
途中で、この有様をミリスに見られるのは飛逆の人外心臓にも悪いと気付く。有り体に言って体裁が悪い。今更取り繕う体面もないのだが。
赤毛狼に始末させるという考えが浮かび上がる。選択的分解毒を使えば下手に水で洗い流すよりも遙かにキレイにできるだろう。しかしその画面を想像して、それはあまりにもあんまりだと気付いて止めた。今更にも程があるが。
仕方ないので階層を移動してそこの水場で洗い流した。丁寧に洗ったが、無意識に反応する彼女にまた劣情を催しかけたのは秘密だ。さすがにこれ以上はヤバい。これも今更にも程があるが。
念のため、その水は焼却する。自分たちの精の塊をそのままにするとどんなことになるのか想像もできなかったからだ。最低でもクリーチャーに取り込ませるのだけは回避しなければ。
こうやって色々と考えれば考えるほど、どれだけ自分がありえないことをしでかしてしまったのかがわかる。何もかもが迂闊すぎる。後先をまったく見失っていた。
何がありえないかといえば、そこまで自分が動揺してしまったことが、今となっては割とどうでもいいことになっているからだ。
もちろんどんな事情があったとしても、相手あってのことだ。しでしかしてしまったことの疵痕の大きさは変わらない。けれど事情が重ければ、ある程度は『仕方のない』ことだったのだと、少なくとも自分を慰めることくらいはできたはずだ。それができない。
結果、後悔だけが飛逆の感情を席巻する。
ヒューリァのこころが壊れていないかどうかを早く確かめたいのに、彼女に起きて欲しくないと願ってしまう。
正直言って逃げ出したいのだ。だがそれはいくらなんでも最低すぎる。赤毛狼を置いていけば、そりゃあヒューリァの安全は確保できるだろうが、ここまでやらかして放置するとか、外道どころの話ではない。
衣装を整えたヒューリァを傍に横たえてから、現実逃避気味にこれからのことを考える。
時間的なロス以外、特に問題はない。
困ったことに、現実逃避先が見当たらない。
解呪法の研究は後は実践あるのみだ。
ヒューリァの戦闘力が下降するかもしれないことも、飛逆は元々彼女には『死なないように』鍛えてもらっていただけで、欠けたところで実を言えば問題ない。
万が一ダークエルフが塔の中に侵攻してくることがあったとしても、それは向こうの悪手だ。モモコに付いてこなかったのは、ダークエルフもそれがわかっていたからだろう。大量に溜め込んだ原結晶がなければ、少なくとも飛逆を打倒しうる力の持ち合わせがないのだ。モモコを懐柔し、樹液スライムを仕込んで、ゾッラやノムを神樹化したことはおそらくダメ元というやつで、やって損はないからやっただけのことだろう。
ダークエルフは自分の最大戦力を発揮できる大神樹の裏から動かないつもりだ。よって、塔の中にいる限り特に急ぐ必要はなく、時間的なロスも大した問題ではないことになる。
飛逆の無駄に早い思考速度は一瞬でその解を導き出し、結局現実逃避もできないまま、ちっとも目覚める様子のないヒューリァが起きるのを待つしかない。
いや、明るいことを考えてみようと思い立った。
解呪法が確立し、神樹を倒した後、どうやって生きていくかという話だ。
思えばこれまで、先の展望はあっても、常に目の前には何かの問題があった。
当面の敵がいなくなれば、後はどうするべきだろう。
街作りをしていたときは、ヒューリァと家庭を作ろうと思っていた。
飛逆がその気になれば、その『家庭』は国そのものにできた。魔王としてこの世界に君臨することができる。ただ正直国の運営とか面倒くさいので、上手い段階でミリス辺りに権力を委譲し、どこかに隠棲しようというのが以前に描いていたヴィジョンだった。
今もそれは変わっていない。
だから結局、ヒューリァがそれに付いて来てくれるかどうかだけが、問題なのだ。
ヒューリァの頭をそっと撫でる――と、彼女はビクッ、と反応した。
飛逆もビクッと手を離してしまう。
寝たふりをしていたようだ。
やはり飛逆は動揺している。目覚めた気配に気付かなかったのだから。
狸寝入りがバレて観念した彼女はこわごわと瞼を上げて、飛逆の顔を見返して、真っ赤にした顔を両手で覆って横に寝転がり、背中を向ける。そしてなにやら「ぅ~ぅ~」と唸りだした。
怯えられるという反応は、想定していたが、この反応は何か違う。全速力で距離を空けるとかだったらさすがにショックを隠せなかったが、これは……
「ヒューリァ……ええと、平気か?」
「わ、わたし、へん、変だった、よね……?」
何が?
何か想定していたどれとも違う反応なので、飛逆はすっかり困ってしまった。
「そ、その……うまくできなくて、ごめんなさい」
だから何を言っているのか。
飛逆にはさっぱりわからない。
わからないなりに読み取ろうとしてみると、もしかしてヒューリァは、飛逆のアレが普通だと思っているのではなかろうか。だから後半、完全に正体を失っていた自分を省みて、それが自分がうまくできなかったからだと思い、それが恥ずかしくなっている、ということなのか。
いやさすがにそれはないだろう、と飛逆はヒトであったときの常識に照らして否定する。
具体的に数えていたわけではないが、最低でも一度に五十回とか、フツーではありえない。確か出典が怪しい統計によると、男性は一晩に七回くらいが一般人の限界だったはずだ。ちなみに女性の場合は四十回弱くらいだったような覚えがある。
「で、でも! ひさかもひどいと思う! 最初あんなに強引にするって、そりゃわたしだっていつでもいいってアピールしてたけど!」
飛逆の困惑が呆れているように見えたのか、ヒューリァはがばっと身体を起こして、手を床に突いて詰め寄るように責めてくる。
――その手がかすかに震えている。
飛逆はうっかり泣きそうになった。
ヒューリァは、『そういうことにすることにした』のだ。同時に、飛逆にも『そういうことにしておけ』と言外に言っているのだ。
飛逆があんな状態になっていたことと、それをヒューリァが呼び止めたことなど、経緯を考えれば、飛逆が衝動的にあんな行為に及んだことは明らかであり、ヒューリァはどう言いつくろっても犯された被害者なのだ。仮に事前に同意があったとしても、当時に合意がなければそれはどんな関係であってもそれは関係を蔑ろにする行為であるのに。
一方的に弄ばれて、飛逆への恐怖心を深層意識に植え付けられても、ヒューリァはそれを自分たちが積み上げてきた関係の延長線上に自然とあることだったのだと。
そういうことにしよう。わたしはそうするから、と。
「ごめんな」
事前に謝って、飛逆は彼女にキスをした。
ヒューリァが愛おしすぎて我慢できなかったのだ。
彼女はびっくりしたように目を瞠る。無意識に逃げようとするがなんとか抑え、かすかに震えながら瞼を降ろし、飛逆の唇を受容した。
「結局、兄上はヒトだったんだ。ヒトであることに耐えられなかった怪物……」
ヒューリァを両足の間に座らせて、できる限り優しく背中から包みながらヒューリァに話をする。過去の話だ。
「俺たちの血族はヒトをできそこないの吸血鬼にしないと子孫を残せない。俺たちと交わるとヒトができそこないの吸血鬼になる、って言った方が正しいか。弱体化していた血族とでも、子供を作るくらい深く交わればそうなるのは避けられなかったんだろう。
俺たちの血族にはヒューリァの元の世界みたいな『人外を受け容れる技術』とかなかったからな。あの世界にもどこかにはあったのかもしれないけど、少なくとも俺たちの血族には伝わっていなかった。
兄上が、あんな有様になった……ヒューリァはトーリを見てないんだったか。まあもう乾いた死体も同然の有様の俺の母上を見て、兄上がどう思ったのかは、推測しかできない。ただ、六歳前後の子供がそんな母胎から自分たちが生まれたって事実に直面して、心に傷を負わないはずがないんだ。しかも兄上は早熟だったから、将来自分の伴侶もまたそうなるんだって事実にさえ気付いただろうな。
これは結構な絶望だ。気持ちは正直わかる。
俺たち血族は、内側で完結しているから身内意識がかなり強いんだ。でもずっと子供の頃からそうだったら、やっぱり倦んでしまう。外から来る人間を家族にするっていうのにどうしても憧れみたいな……希望みたいな感情があったんだ」
飛逆が身内に対して好悪の別なく『それなり』の対応をする習性はおそらくここから来ている。家族は、好きとか嫌いとか、そういうものとは違うのだ。
「でも現実は、家族にするどころか、家畜よりも酷い扱いだ。もちろん血族を産んでもらわなければならないから、丁重に扱われていたとは思う。けどもうそれってただの血族製造器でしかない。道具だ。しかも使い捨ての。
淡い憧れや希望は木っ端微塵だろ? ただでさえ映像としてもショッキングな上にそんなのだ。しかも時系列から推測するに、その頃の兄上は六歳前後。まだ人間っていう、自分たちに似た姿のイキモノと自分たちが別物だってことを心根から植え付けられていない時期だ。俺の場合は、兄上のことがあったからか、かなり早い段階から仕込まれていたけど、それでもまだ完全には血族とそれ以外っていう区別ができてなかったからな。
だから兄上が、そういう風に自分自身の存在と血族そのものを消し去りたいって願ったのも無理はない。
けどな。それを元服の儀式の時に知らされた俺が、どう思うかって話だ。
これ、完全に呪いだろ。
兄上は自分のトラウマを完全に俺に押しつけたんだ。わざわざ俺が兄上の気持ちが理解できる素地を作った上で、自分を喰わせて、血族を滅ぼしたんだからな。正直、酷い裏切りだって思ったし、思ってる。
だって、結局俺も例外じゃないんだからな。俺は自分が子供を作りたいって思うくらいの女を、壊さないといけなかった。血族のしきたりから解放されるってことは、そういうことだ。自分で選ばなきゃいけないんだぞ?
兄上は俺を憎んでいた……ってことなんだろうな。正直、あのまま血族が滅びないほうが、俺はまだしも楽に生きられただろうし、血族ってのはそういうものなんだって、割り切れたはずなのに」
飛逆には、もう自分が怪物であるという自覚にすがって、記憶を封印し、無意識に女性を避けるという選択肢しかなかった。
「それ、違う」
笑うように慟哭を吐露する飛逆を、ヒューリァは否定した。
「違う? 何が?」
「お兄さんは、ひさかに、その血族とは違う方法を、見つけて欲しかったんだよ。だってそうじゃない? すっごく色々調べてたんでしょ? 色々血族について考察して、血族の目を盗んで外の知識をたくさん集めて。でも結局血族の環の中にいたんじゃそれを見つけられないって思ったから、ひさかに託したんだって、わたしは思うけど」
「そうかな。そうかもしれない。ただまあ、納得はできないが」
「ひさかは……たぶん、お兄さんをちょっと大きく見過ぎてるんだと思うよ。他にいい方法はきっとあったんだと思うけど、今のひさかにならそれが思い付くかも知れないけど、お兄さんには他に思い付かなかった……それだけのことだと思う」
色々と考えられる。たとえば、血族もまた自分たちの在り方に倦んでいて、間接的に兄のやろうとしていることに助力していた、とか。彼らの無自覚な破滅願望が結果として飛逆にすべてを押しつけることになったのだとすれば、まああんなやり方になったこともわかる。
けれどそれらのどれが正解なのかを考えるのは、おそらく無意味なことだ。
「まあ、どっちにしても、俺には君がいる。だから、本当、もうどうでもいいことなんだ」
きゅっと力を入れて抱き締めると、ヒューリァは反射的に身を竦める。
「ごめんな。……わかってるけど、ごめん。逃がしてやれない」
飛逆は半ば本能的に知っていたのだろう。自分を受容できる者を、探していたのだろう。
思えばそうした素質のありそうな者しか、飛逆の周りにはいない。無意識的に排除してきたのだ。
けれど、ヒューリァだけでいい。
エゴだとわかっていても、ヒューリァを飛逆は逃がさないだろう。怯えさせていることがわかっていても、せめて優しくすることしかできないとわかっていても、それがどこまで通用するかわからなくても、離すという選択肢だけはなかった。
ヒューリァは静かに深呼吸して、意を決したように力を抜いて、飛逆に体重を預ける。首を反らして飛逆の顔を見上げるようにした。
「大丈夫、だよ。正直言うと、色々複雑だけど。……ひさかこそ勝手にどっか行っちゃわないでよ?」
「俺は君に断り入れずにどっか行ったことないと思うんだが……」
ヒューリァが眠っているときなどを除いての話だが。
「そういえば……そうだったかも」
反らした首を器用に捻る。
「なんでかな。ひさか、そのうちどっか行って戻ってこないみたいに思ってた。そういうこと、言われてみればなかったのにね」
そう思わせる雰囲気を、飛逆は纏っていたのだろう。
「約束はできないけど、気をつける」
「ひさか慎重だもんね。いいよ、約束は……。ホントはよくないけど、わたしが頑張ればいいことだし」
そう言って、もぞもぞとやりはじめる。
何をしているのかと少し身体を離してみると、なんかヒューリァは脱ぎ始めていた。
「ナニを頑張るつもりだ……」
「えっと、だから……ナニを。今度は、頑張るから」
そういう意味で身体を張って留めようとするのは正直ヒくのだが、飛逆は再燃した情欲を抑える術を持っていなかった。
だって怯えながらも懸命にそれを抑え付けようとする彼女が健気で可愛すぎたのだ。
優しくしようとしたけど無理でした(三十回)。




