69. 伝奇モノでいこう!
つまりは塔下街の住人は神樹の種を植え付けられているわけだ。合図があれば一斉に神樹化してしまうような、そんな強力な奴だ。
おそらくは飲食する物に種か樹液か何かを混ぜ込むことで、それは成された。その主目的はおそらく、万が一自分に反抗されたならすぐにでも神樹化して処分するためだろう。飛逆たちが住民に首輪を付けようとしたことよりも、ずっと確実で、性質が悪い。塔下街の住人はまったく無自覚なのだから。
十万を超える人々のすべてにそれをやろうと思えば、たとえば商業ギルドのフィクサーをやっていても難しい。塔下街の食糧事情は塔からのドロップ品に依存している部分が大きく、余計に食料に小細工することが難しいのだ。だから様々な方向から、それを口に入れる可能性を高める。教団を作ったのもその内の一つだろう。儀式だとかなんとかで信徒にそれを口に入れさせることは容易いし、慈善事業として飢える人々に炊きだしなどをすることだってある。
教義はなんでもよかったに違いない。あるいは自己賛美を自分で作ることに抵抗を感じる性格だったのかもしれない。だとすれば案外飛逆と気が合うかもしれないが、それよりも、『天使』と崇める教団を利用しようとする【全型】を誘き寄せるため、という可能性が高いか。そして【全型】がその地位にあぐらを掻いたところで神樹化人間たちが襲う、という罠が伏されていたのかも知れない。実際ミリスがそれに嵌りかけていた。
飛逆は神樹の種攻撃を受けて寄生された時にその可能性を考えなかったわけではない。自分の血を飲ませることで眷属を作ることができるということからも、その可能性は示唆されていた。怪物はどいつもこいつも根本的なところではその性質が似ているのだ。
ただ、それならばどうして今までゾッラたちが神樹と化して飛逆たちを攻撃しなかったのかがわからなかったので、可能性は低いと観ていた。
けれど単に、彼女たちは合図を受け取れなかっただけなのだと、先ほどミリスと話していて気付いたのだ。
塔の内外を繋ぐことが神樹の主にはできない。それはその形が不明の合図も同じだ。ミリスの能力のほうがこの点では優れていることになるが、それはどうでもいい。
とにかく、比喩でもなんでもなく、塔下街の人間は神樹の主の眷属だったのだ。それはもう何年、何十年も前から。
そして今、モモコが飲食した樹液か何かによって合図が送られ、ゾッラたちは神樹化した。時限式だったのか、それともあのスライム樹液自体が飛逆たちの会話を聞いていて、潰される前にと合図を出したのかはわからない。タイミングからすると後者だが、偶然とも考えられるので確かなことは言えない。スライム樹液がそこまでの判断力を持っていたか不明だからだ。
もちろんトーリもその例から漏れるわけではないが、二人で一本とでも言うように重なり合う双樹しか見当たらない。おそらく飛逆の血で上書きされたために、ヤドリギではなくなったのだ。それは、ほんの些少とはいえ、塔下街の食料を口にしたことのあるヒューリァが『合図』を受けても殆ど影響を受けていないことからも、示唆されている。怪物そのものである飛逆やミリスは言うまでもない。
「という感じだと思うんだが」
ヒューリァとミリスの二人にのんびりとした口調で説明を締めた。
なぜなら、双樹は発芽するなり赤毛狼にその麻痺毒を喰らわされ、これ以上成長しないし、動けもしなくなっているからだ。突発的事態に対して飛逆に情報伝達に来た赤毛狼を【吸血】し、その顛末を知った飛逆は二人に構える必要はないと言いつつ、この事態の概要を説明したのだった。
ウチの仔は大変優秀なので、突発的事態に対してはすぐさま動いて麻痺毒で捕らえるように躾けられているのです。明狼快犬と呼んであげてください。
〈な、なんか~、スピード解決過ぎて~、何を言っていいのか~……アカゲロウちゃんスゲーとしか~……。こ、これがオートメーションの力だというのか……っ! って感じ~?〉
「ていうかいつの間にミリスここにいるの? わたしそんなに寝てた?」
直前まで眠っていたヒューリァの言であった。どうやら飛逆の解説もあんまり耳に入っていなかったらしい。
というか健在な三人はゾッラやノムがああなってしまったことにはさほどの感慨を抱いていないのだった。
「しかしこうしてみると中々散々だな。召喚時から無事なのってミリスしかいねぇし、厳密な意味ではミリスも無事じゃねぇし」
ミリスも、暴走したという瑕疵がある。ついでに、飛逆とのあれこれで自爆したなどのことを鑑みれば精神的にはまったく無事ではない。
「あれ? わたしたち無事じゃない?」
「力が肥大しすぎた上に合計三体の化生を宿した俺に、そんな俺の血がなければ生きていけないヒューリァ、ダークエルフだかに騙されて樹液スライム飲まされて赤毛狼には毒喰らわされたモモコ……これで無事とか、言えないだろ」
人狼以外は死んでいないというのが不思議に思える。
「わたしはわたしが無事だと思ってるんだけど」
まあ見方の問題でしかないのは確かである。変化がない、という言い方にしたらよかったか。
〈で、まあどうします~? ゾッラとノムのことですけど~〉
「放置するのもなぁ……。ここ水場の傍だから邪魔だし、万が一もあるかもだし。かといって初めから無力化できないならともかく、できてしまった以上わざわざ刈り取るのも気が引けるし、どうしたものかね?」
「燃やす?」
「いや、より過激な方向に行ってどうする」
刈り取っただけなら中の人は死なないかもしれないのだ。燃やせば少なくともその目はない。
〈ん~……じゃあまあ、トーリくんで成功したら~、彼女たちに試しましょうか~〉
「ふむ。テストサンプルが増えたと思えばいいのか」
〈そういう意味では~、むしろラッキーですね~。やっぱり種類が統一されているケースだけだと不安ですし~〉
ヒューリァは二人だけで合点しているのがつまらないというように口を尖らせ、さりげなくもあからさまに飛逆の腕の裾を掴んで引いてくる。
〈関係ないみたいな顔しないでください~。つまりはヒューリァさんの【神旭】を解析してから~、解呪法のプロトタイプを作りますよ~ってことなんですから~〉
そうなのだ。
材料はすべて揃っている。現在判明している理論を実現できるソフトさえ作成できれば、それらしいものは作れるのだ。
そしてそのソフトは、個人認証を破壊したヒューリァの【神旭】で作るつもりだ。
ハードは同じく個人認証を破壊したネリコンだ。
神樹を倒してからにすべきかと判断付きかねていたところだったが、ゾッラやノムを早いところどかすためにも、実験体として必須のために殺せないモモコをとっとと解呪して完全に無力化するためにも、倒す前に後顧の憂いは絶っておくことにする。
手段があっても、必ずしも解呪しなければならないわけではない。戦力低下に繋がりかねない残りの解呪は後でやればいいだけの話だった。
〈感慨深いですね~……思ったより時間かかりましたが~、……〉
本当に感極まっているらしい。繭がざわざわと震えている。
ヒューリァはぞわっと身を震わせて飛逆の背中に隠れた。
おかげでミリスの〈これでワタシも正統派美少女としてアタックできます~〉とかいう自意識過剰なセリフをヒューリァは聞き逃したようだった。
〓〓 † ◇ † 〓〓
ごく簡単に手順を説明すると、
「【神旭】が【魂】を【力】に変換する性質を反転させて、原結晶という【力】に【魂】を引きつけさせる。引っ張り出した【魂/力】を原結晶の抜け殻であるところのネリコンに封入すれば、解呪の完成だ」
本当にごく簡単に言えばこうなる。
実際、ミリスの中ではこの理論は大分前から完成寸前まで行っていたらしい。ただ、技術と素材がないために検証が不可能だったのだ。
〈この理論に問題があるとすれば~……まあ色々あるんですが~、目下の問題点は~、どちらの【魂】を狙うのか~、制御する方法がないってことなんですよね~〉
「そこは大丈夫だ。怪物同士は共鳴する性質がある。呼び水として俺の血かミリスの髪を使えばおそらく、最初に引っ張り出されるのは怪物のほうの【魂】だ。そもそもネリコンは赤毛狼の残骸でもあるから、何も触媒にしなくても引っ張り出せる可能性もある」
手順をおさらいしながら、理論を摺り合わせていく。
〈なるほど~……じゃあ、どのタイミングでどうやって区切りをつけるのか~ってことが最後の問題ですかね~。最初に引っ張り出されるのが怪物だとしても~、癒着している【魂】をどう分離するのか~〉
この問題を解決しないと、ただ単に【魂】を別の器に入れ替えただけ、という結果になりかねない。それはそれで転生剣とか作れそうで、中々夢があるが、解呪という目的には障害である。
「そこだな。癒着の分離は個人認証破壊毒の応用でどうにでもなると思うが、……ってそれは実際にやってみて、俺が精気知覚で視て調整すりゃいいだけのことだった」
初めはゾッラに頼むつもりだったのだが、忘れていた。
〈何かご都合主義の臭いがしますが~……まあそれはいいです~。ここでの問題は~、ヒサカさん自身が解呪を受けられないことですが~、まずは理論を完成させることが目的なので今はよしとしましょぉ~。ゾッラを元に戻した後に~、あの子に任せればいいだけですし~。ていうかぁ、ヒサカさんに因る部分が大きいですねぇ、ホントに~。ワタシたちの研究って一体~〉
「俺というより赤毛狼だな。人狼というか」
本当に、拾い物だった。
〈というかヒサカさんじゃなければアカゲロウちゃんみたいに自由度が高くて応用性のある【能力】にはならなかったと思いますよ~。ワタシも髪でヒサカさんの言うところの異能コードコンパイラを作って【能力合成】してみようとしたんですが~、今のところ枝毛を作ることができた程度です~〉
「もしかしてそれはボケているのか?」
枝毛を作ってどうする、とツッコミ入れればいいのだろうか。
〈……テヘペロ!〉
どっちなのかはわからなかったが何かを誤魔化していることだけは確かだった。というか繭の中でテヘペロやられても何もわからないのだ。
そんなこんなでもっと細かいところの理論と技術を摺り合わせていき、ついにプロトタイプが完成した。
どのくらいの容量があればいいのかわからなかったため、その設計図に引かれた数値は中々大きくなってしまった。
具体的には人間大だ。精気を封入できる容積としてはヒトの何百倍かなので、これで足りなかったら量産する手間が大変なことになる。
どうして人間の形にしているのかというと、ミリス人形と同じ理屈だ。外観を似せたほうが宿りやすい性質を、怪物は持っている。まずはトーリで試す予定だ。そのため彼に宿っている飛逆の背格好を模したのだ。
「実際問題俺がどういう化生なのかわからないからな……本当にこれでいいのか……」
本当のところ、自分の彫像なんて作りたくはないのでついつい愚痴が出てしまう。
〈コウモリにします~? じゃぁ~?〉
「もしかして……どっちつかずの半人半魔っていうメタファーが俺の血族のルーツ?」
不意に、要らないことを思い付いて愕然としてしまった。
別に蝙蝠がどうとか言うのではなく、今まで疑問に思いもしなかったことに気付いたのだ。
〈吸血鬼といえばコウモリって思っただけだったんですが~……〉
「俺、自分が吸血種だとは聞かされて育ったが、鬼とは別物だって思ってたんだよ」
そういえば、なぜ飛逆は自分のことをこれほどに、考えようとしてこなかったのだろう。これまで出会った人外たちのルーツについては考察してきているのに。
――考え方が逆だ。どうして今、それを思い付けたのかに注意しろ。
〈そこを区分する意味が~、ワタシにはわからないんですが~〉
「鬼ってのは、俺の血族の間ではむしろ天敵として伝えられていたからな。俺らが食われる側だとかなんとか……」
会話になっているようで、実は飛逆は自動的だ。頭の中で何かを探すついでに言葉が垂れ流されている。
――アラート。自覚してはいけないが、自覚しないと止まらない。
ここでは非常に余談ではあるが、飛逆の血族の伝承には、鬼とは『ヒトが成るモノ』として伝えられていた。元々怪物である血族は、鬼ではない。隠仁ではあるが、それはまた意味が違う言葉であった。社会的な意味の、陰に棲むモノという意味だ。
「だからヒトが俺の血を飲んで『吸血鬼』に『成る』のはむしろ納得したんだけどな。血族の血を吸う鬼ってことだったんだ、って。俺が知らされてなかったのは、おそらく元服……まあ、同族を喰らうって儀式の後に伝えるはずの情報だったからだろうし。って、待てよ? もしかして、俺の母も『吸血鬼』なのか?」
〈お、おぅ……な、なんかいきなり重い話ですね~……たかが装置の形の相談だったのに~〉
――アラート。その形が問題なのだ。
「いや、なんか色々ピースが嵌ってしまってさ。なんで元服した後なのかってことも、元服ってのは、要は子供を作ってもいい年齢ってことで、おそらく俺が子供を作るために必要な情報だったからなんだろうって……考えたら……考えたら……?」
――。
芋づる式に辻褄が合っていく。そこから浮かび上がるのは愕然とせざるを得ない真実で。
〈は、はぁ〉
「兄上はこのこと気付いてたのかな……。いや、知ってたんだな、クソッ!」
激情が溢れ、できかけの自分の彫像をぐしゃりと潰す。
金属製のそれが素の力だけで原型を失う様を前に、ミリスは凝然として声も上げない。上げられないのだ。飛逆が発する物理的なまでに強烈な殺気に中てられて。
「俺も……知ってたんじゃねぇか……っ」
血を吐くように。
記憶の蓋が、こじ開けられた。
兄を喰らった儀式で、自分が何を知ったのか、それを思い出した。
知らず知らずの内に、条件を揃えてしまっていた。その、思い出すつもりもなかった記憶領域の鍵を開くための、本来揃うはずがない必要条件を。
血族が三人以上揃う状況なんて、最早ありえるはずがなかったのに――それが擬似的に――トーリとヒューリァと、兄の【魂】――実現してしまった。
事実がどうかは問題ではない。飛逆の認識が問題なのだ。
ひどく箍が緩んでいることを自覚できず、迂闊にも自体の意識を投影する人形なんてものを作り、しかもそれで擬似的な【吸血】を行おうなんて真似をした。
紛い物の寄せ集めでもこれだけ揃ってしまうと、連鎖してしまう。解けてしまう。あたかも適当に当てはめたパズルが解かれるように。
どうして兄が血族を滅ぼしたのか――もう確信した。
やはり、兄がやったのだ。それ以外に考えられない。
今までは、そうに違いないと思いつつも、どうしてということがわからなかった。
兄が血族を滅ぼす動機が、理解できなかった。
どれだけ血族が狂った妄執に取り憑かれていたとしても、その妄執は血族にとっては常識であり、疑義を挟む余地はない。飛逆がそうであるように、あえて滅ぼすという熱意は湧かないのだ。どれだけ苦しい因習があろうとも、どれだけ教育内容が馬鹿げているとしても、内側だけで完結しているあの家は、それだけでは滅ぼすに値しない。完結した環の中で育った飛逆は、結局外の世界でも、その空虚を埋めるモノを見つけられなかったのだから。
成りたいモノ、手に入れたいモノ、そうしたモノが外の世界には――外の世界にも、ないことを、兄も知っていたはずだ。
大体、なぜ自分が喰らわれた後なのか。
もし、妄執から解放されることが願いであったのなら、自身の消滅を願うのは矛盾している。
兄は、喰われたがっていた。【魂】の存在を否定した彼は、跡形も無く消えたかったのだ。
その理由。
「俺は、俺たちは結局……ヒト、だったんだな」
怪物に成り切れなかったことを知った少年は、空虚な声で呟いた。




