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68. そのプレイはさすがに難易度が高いのでは

 無意識のヒューリァに頸部を噛みつかれながら、ゾッラがぼぅっとしているところへ身体ごと振り返る。

 傍にはノムが控えていて、飛逆があげた耐熱性の生地を翳して飛逆たちから発せられる熱波を防いでいた。

 どうやらゾッラはトリップしている。

 表情が剥離し、軽く揺れて、時々その見えないはずの目をどこかあらぬ方角へ向けて何事かをブツブツと呟くのだ。

 一時期よりはその症状も随分マシになったが、未だに彼女はいわゆる『神憑り』になるときがある。基本的には何らかのストレスを受けるとなりやすい。

 今回の原因は、なぜか飛逆たちの訓練を途中から見物していたせいだろう。わざわざ大広間に移動して訓練していたというのに、何か用事があったのだろうか。


 彼女たちの護衛に付けていた赤毛狼たちの残骸がいくつか床に赤い染みを作っている。五体の内三体が飛逆たちの戦闘の余波を喰らって機能を破壊されてしまったようだ。

 それほどの余波が行くということは、竜巻が生じていた時から見ていたことになる。さすがにあの赤い竜巻の中にいては飛逆も彼女たちの存在を感知することができなかった。


 まあ、愉しくなりすぎてヒューリァ以外が目に入らなかったというのが実際のところだ。


 決着し、意識を失い、それでも無意識の吸血衝動に任せて噛みついてくるヒューリァを横に抱えたところでようやく彼女たちの存在に気付いたのだ。


 どうでもいいが、血液と母乳の組成はほぼ同じだとか。


 そのどうでもいいことを前提に飛逆たちを見ると、

 ヒューリァはでっかい赤ちゃんだった。


 頚を差し出すと目も開けずにむしゃぶりついてくるのだ。可愛いものだが、そんな可愛さは彼女に求めていない。というか男女逆転授乳プレイの露出は難易度が高すぎやしまいか。

 ノムとか、その無表情の裏ですごくヒいてそうである。


 いやまあ、給血風景が授乳プレイとして見えるというのも相当な変態的思考回路だと思うし、ノムがそういう風にこちらを見ているかといえば、おそらく違う。


 ただ、飛逆は変態的思考回路というか、余計な知識のせいで、そういう見方ができてしまうなぁと常々思っていたので、誰かに給血風景を見られたくなかったのだ。そうでなくとも、吸血されるところというのはなんだか生々しい。なんだかどころか直接的に生々しい。


「なんかあったか?」


 ゾッラに話が通じなさそうだと思った飛逆は、ノムのほうに話しかける。もちろんノムに何らかの答えを示せると期待したわけではなく、声を掛けることで体裁を取り繕っただけだ。

 何も取り繕えていないが。


〈あ~、ワタシがお願いしたんですけど~〉

 と、ゾッラが抱えるミリス人形から答えがあった。


「急ぎか?」

 飛逆たちの腕輪に接続できないからゾッラに言って連絡を付けてもらおうとしたのだろう。わざわざゾッラを向かわせたからには、すぐにでもしたい話があったということだ。


〈えぇ、まぁ~〉

 急ぎのはずなのになぜか歯切れが悪い。


 ヒューリァが飛逆の頚もとでピチャピチャと音を立てているからかもしれない。

 しばらく間が空いてから、


〈授乳プレイ……〉


 余計な知識の持ち主が飛逆の他にもう一人いたことを示す呟きが、ミリス人形から漏れた。



〓〓 † ◇ † 〓〓



 ミリスの急ぎの用件というのも今の状況からは限られる。

 けれど切迫しているわけではなさそうだったので、ヒューリァの給血が終わるまで話はお預けになった。


 なんちゃって屋敷に戻って、ゾッラ及びノム並びにミリスに給血風景を見られたことを、ヒューリァに気付かれないように証拠隠滅する。


 余計な知識のある飛逆たちほどではないが、吸血する様が他人に見られて気まずいものであるという認識はヒューリァにもあるらしい。だから見られたことを悟られると、彼女が何をしでかすのかわからないので念のためだ。


 個室に横たえてきて、ノムとゾッラにはお暇してもらう。


 ゾッラはまだトリップから戻っていない。ノムにはそっちの世話がある。


〈なんか、すっかり気分が盛り下がっちゃいましたけど~……報告しますね~。モモコさんを捕縛しました~〉


「やっぱり寝返ってたか」


 まあ、それしかないだろう。

 反応がこれだけしかないのは不満だろうが、驚くタイミングとか全部外してしまったのだ。


〈一応~、ワタシの武勇伝とか聞いてもらっていいですか~?〉


「いいけど、どうせって俺がサブアカウント枠付けた敏捷極振り赤毛狼をお前のところに届けたのを使って、ストックされてた俺の血の残りで赤毛狼を増やしてお前の支配下にして、その毒を使ってモモコを麻痺させたとか――そんなところだろ?」


 そして飛逆が毒の能力を得ていることなんてモモコは知りようがないわけで、警戒すらなくあっさり喰らってしまったのだろう。そもそも怪物の身体のモモコは毒なんて、『能力』のそれでなければ効かないだろうし、毒に対する警戒感というものが初めから念頭にない。


〈ヒサカさ~ん……泣きますよぉ、しまいには~〉

「お前のそれ、振りとかじゃなく本気で泣くからな……」


 目の前で泣かれるよりはマシだが、通信越しとはいえ面倒くさいことに変わりはない。

 とはいえ、ミリスが何をどう工夫してあのモモコに麻痺毒を喰らわせたのかとか、それを本人の弁舌で聞いたところで「ふぅん」くらいしか感想も出てこないだろう。

 声帯模写(のような音声合成)ができるミリスならば、ドラマCDくらいの臨場感は出せるかも知れないが、別に臨場感とかこの場合要らないし。


「まあそれは時間というか余裕があるときに聞こうか。今どういう状態なのかを教えてくれ」

〈ぅぅ……けーさんがいです~。やりきった直後ならテンション上げたまま話にできたのにぃ〉


 勢いが持続している間にしか言い表せないようなこともある、というのはわかる話だ。


「まあそれは間が悪かったってことで。予想より早くモモコが戻ってきたからな。あと十五時間くらいはあっただろ?」

〈あっちでは日の沈んだ回数で計算してたでしょうし~、こっちの時間計測も正確ではありませんからね~。半日くらいはズレても変じゃないです~〉

「ふむ? まあそれはいいや。で、捕まえたのはモモコだけで、神樹の主は来ていない? 神樹の根を呼び込んだりはしてないんだな?」

〈ん~。ちょっと話したんですけどね~、どうもモモコさん、騙されて~、協力することにしたみたいですよ~〉

「よくわからんが、どういうことだ?」


〈ワタシから見ると嘘にしか聞こえないんですけど~、神樹の中のヒト~、塔下街の人間を保護しているそうなんですよ~〉

「保護? というかどうしてそれがモモコが単身で戻ってくる理由になるのかわからん」


〈ええと~、じゃあまあ、とりあえず~今からそっちに向かいますので~、そっちでお話しましょぅ~〉

「そもそもなんで捕まえてからすぐ来なかったんだ……」


 【全型】同士は引き合わされるため、転移門を潜ればすぐ近く(大体百メートルから五百メートルの範囲)に転送されるので、迎えも必要ない。


〈あ~、心外です~。今までアカゲロウちゃんに神樹の根が入り込んでいないかとか探ってもらってたんですよぅ。ちゃ~んとモモコさんにくっつき虫があったの~、見つけて処理したんですからぁ~。それにモモコさん、今暴走中なので~、電撃走っててワタシじゃ近寄れなかったんです~〉

「……それ、割とおおごとじゃねぇか」


 ミリスの口調が相変わらずだったので、そんなことになっているとはさすがに見通せなかった。まあ、おそらくは発信器か何かの役割であろうくっつき虫(種)を処理したというのは、ミリスならそういうことは見逃さないだろうし、意外でもないが。


〈ヒサカさんの時と違って~、電撃って言ってもせいぜい火花が散っている程度の暴走ですから~。絶縁樹脂で包めば運べそうなので~、ワタシはワタシでその支度をしていたんです~〉

「ああ、なるほど。それなら」


 現象は似ていても、炎のイメージとは違うモモコのソレには幻覚麻痺毒はちゃんと効くということなのだろう。【紅く古きもの】には大して幻覚毒が効かなかったために、飛逆の場合、あんな激しい暴走になったのだ。

 だとしてもそれを先に言えよと飛逆は思った。

〈じゃ、準備もできたところで~跳びますね~〉


 

 そう言い残してミリスとは二度と連絡が付かなかった――

 とかだったら笑えないなりに面白かったのだが、順当にミリスは近くに転移してきて、布を巻いた二体をソリにしたプレートに乗せて引きずってやってきた。


 一体はトーリだ。彼は給血を絶つとその眷属がどうなるのかという実験のために放置されていた。単に世話するのが面倒だったというのが実際のところであり、見たところカサカサに乾いているようだ。もちろん水も食事も与えていない。一週間近くそれで死んでいないというのだから、吸血種の眷属というのは中々どうして強靱だ。死んでいないだけで明らかに生きていないが。


 まあそれはどうでもいい。仮死状態になるということにしてとりあえず、血を一滴だけ与える。すると少しだけ目に光が戻った、ような気がしたので放置を続行する。


 注目すべきはモモコだ。


 だらんと顎が弛緩して、その長大な牙が露出している。時々ビクンと痙攣するが、基本的にはまるでマタタビを与えられすぎた猫のような有様である。


「どうしようかこの酔猫(すいびよう)

 様子を確認してからミリスを窺う。

〈まぁこんなですし~、大丈夫だとは思うんですが~、一応飛逆さんが新しく作った素材で拘禁したらいいと思います~。大体の話は聞き出してあるので~、疑問点があれば後で尋問ってことにすればいいんじゃないかな~とか~〉


 そうすることにした。


 実験中に大量に出た失敗作の中からそれなりに頑丈な紐をいくつか見繕って、絶縁樹脂の布の上から縛り上げる。そして適当な個室に放り込んでおき、その周りに赤毛狼を三セット(十五体)待機させた。念のためだ。


〈二度手間になるのもあれなので~、ヒューリァさん起きるの待ちます~?〉

「いや、どうせヒューリァはあんまり興味ないだろ。実際、モモコが寝返るかもって可能性を話したときも大して反応しなかったからな」

〈あぁ、話したんですね~。……わ、ワタシのことは、何か~?〉

「一応自覚はあるんだな、お前……」

 飛逆にアピールすることがヒューリァの逆鱗に触れるかもしれないと、考えてはいるらしい。


〈元々は~、ヒューリァさんから言い出したことなんですけど~、ぶっちゃけ独占欲のない女なんて存在しませんから~……。一見寛容に見える人だって~、妥協に妥協を重ねた結果~、男の人にウザがられるのを怖がって言い出せなくなっている~、ってだけなんですからね~。ワタシの知る限り~、浮気が許せる場合っていうのは~、自分一人ではその人の性欲を受け止められないって諦めた人か~、自分から騙されたがっている人の場合だけです~。全き本心から~っていうのは寡聞にして知りません~〉

「それお前にも当て嵌まると思うんだが」


 確か、二番目でもいいとか思ったと言っていたような覚えがある。


〈ワタシは妥協に妥協を重ねることができますから~。それにハーレムとか回せるような男の人って~、その辺り本当はわかっていてやってることが多いですからね~。ヒサカさんもわかった上でやってくれてもいいんですよ~っていうアピールです~〉


 ミリスは自分から騙されたがっているタイプらしい。そしてヒューリァは前者だとミリスは思っていることになるわけだが、……あれ? 否定できない。手は出していないはずなのだがなぜだろう。

 っていうか本当、明け透けに言うものだ。

 ここまでになるといっそ感心して、居心地の悪さを感じることもない。それを狙っているのなら大したものだが、まあ天然だろう。

 おかげで飛逆はスルーすることになんの罪悪感も抱かない。


「うんまあそれはそれとして、モモコは結局どう騙されたって?」

〈モモコさんも『騙されたい』ってクチですからね~。よほど塔下街の人間……広く言えば人類、ですか~。それと敵対しているっていうことが実のところ相当耐えがたかったんだと思います~。

 つまりは神樹の中の人が~、『人類の庇護者』であるっていう立場にコロッと騙されちゃったんですよ~。そしてワタシたち……まあ正確にはヒサカさんだけなんですけど~、ヒサカさんも神樹の中の人も~、『話せばわかる』って思っちゃった……って感じです~〉



 ミリスが言うには、モモコが塔下街のあった辺りまで到達したとき、彼女が目にしたのは『人間入りの小神樹の群れ』であったそうだ。

 具体的には飛逆も見たメタリックな小神樹、その幹の中央部。そこの半透明な金属とでも言うべき、金属水晶のようなものに閉じ込められた人々だ。

 最初はモモコも驚き、そして憤慨した。思わず気配遮断を解きそうになった、と語ったそうだ。

 けれどそれが千を超え、万に達したかもしれないほど見飽きる風景となったとき、モモコは違和感に気付いた。


 一体どうしてこれほどの人が閉じ込められているのだろう、と。


 見た目のインパクトのせいで、これが人間を捕らえている……平たく言えば捕食しているのだと最初は思ったが、やがてその金属水晶が中の人間を保護するためのものであるという可能性に気付いた。


 中の人々の様子は色々ではあったが、時を止めたかのようであるところは一様であり、捕食しているのだとしたら、衰弱しているほうが自然だと思ったのだ。

 捕食されていると最初思ったのには、金属水晶の中の人々は例外なく植物のヒゲ根のようなものに取り付かれていたというのがあった。

 だがその根から養分というか、栄養を送り込んでいるという可能性もあると気付いた。

 わざわざ養分を送り込んでまで閉じ込める理由はなにか。

人々の保護以外の可能性をモモコは思い付けなかった。


 自分の頭の悪さを承知しているモモコは、それでも即座にその可能性だと決めつけたわけではない、というのが本人の弁である。


 それもこれも、これをした張本人に聞くのが早い。モモコはそう結論し、捜索を続行した。

 行けど行けども神樹化人ばかり。どんな意図だろうと、これをした者の趣味は悪い。段々と、中にいるのがヒトなどではなく、蝋人形か何かであるように思えてくる。それなのに、それを不出来にする纏わり付いた根が、逆にそれをヒトであると生々しく思い出させるのだ。


 発狂しそうな風景の中、まだ見ぬ神樹の主に内心で悪態を吐くことで辛うじて意志を保つ。


 闇雲に神樹の周辺を探したところで見つからないと、三日目には気付いた。


 気配遮断を続けて、軽い睡眠さえも取らずに行動するのは、モモコにも経験のないことだ。容易いことではない。そういえばインソムニアとなっているヒサカは、こんな以上の辛苦をその心身に覚えているのだろうか。そうだとすれば、ヒサカがあんな風に……ヒトをゴミかそれ以下みたいな扱いをするのもわかる――と、モモコは見当違いに納得して、自分を鼓舞する。



「モモコ……まだ理由捜ししてたのか」


 彼女は未だに飛逆がこの世界で作った動機で火山をぶっぱなしたと思っているのだ。そう思いたい、というのが正解だろう。飛逆が元々『こう』なのだと、納得していないのだ。


〈いくら本人に言われたからって~、納得なんてできるものじゃないですよ~。ヒサカさんを、というより、ヒトがいわゆる悪事を働くのには、なにか特別な理由があるって、そう信じているんですね~、モモコさんは~。その理由と悪事の天秤が釣り合っているかどうかが~、善悪の判断基準なんです~〉

「つまり、理由のほうが軽かったら、そいつは悪人であるってことか」

〈というより、理由が重ければ~、それをしても仕方がない、とか~、つまりはモモコさん自身がそのヒトを許せる~、ってことでしょうね~。殺す理由を求めるポンコツ暗殺者なんてそんなもんでしょう~。酷く独善的なことに自覚がないんですね~〉


 そんなもんらしい。ミリスがどこからモモコが『殺すのに理由が必要な暗殺者』であると知った、あるいは思ったのかは不明だ。その表現は彼女を表すのに適切だと感じたことがあるので、飛逆は追究しない。



 ともあれモモコは自分が思った以上に消耗していることを悟った。このまま闇雲に探してもとても十日は保たない。

 別に必ず十日の期限を護れと言われたわけではない。むしろ無理を感じたらすぐにでも戻るようにと言われている。

 けれどモモコは思ったのだ。もしこのまま手ぶらで戻ったならどうなるか、と。

 何か他に解決策を模索してくれと言ったのは自分だ。もしかしたらそれが見つかっているかも知れない。だとしてもそれは確実に、神樹との戦闘による解決策だ。そうなったとき、この神樹化人たちはどうなるか?


 ただでさえ、時々、ヒサカとの衝突の余波によると思われる、破壊された小神樹を見かけていた。当然、中の人間はその屍を晒し、時にはそれさえも残っていないという有様だった。


 ヒサカに任せてはいけない。今度こそ塔下街は全滅する。


 かといって一度モモコが戻って同じ手段を試すにしても、再びヒサカは囮として神樹と衝突しなければならない。その時、何十、何百人、もしかしたら何千、何万人死ぬかわからない。


 足りない頭を使ってモモコは必死で考えた。

 これ以上殺してはいけないし、殺させてはならない。たとえ焼け石に水だとしても。

 そのためには自分が消耗しきる前に、神樹の主を見つけなければならない。

 このまま闇雲に探しては敗走するのが早まるだけだ。

 苦手だが、相手の立場になって考える、ということをしてみるしかない。


 まずわかっていることは何か。

 ヒサカならあるいは、モモコにはよくわからない理屈で神樹の主の性格まで当たりを付けてしまうのかもしれない。それが『正解』であるかはともかく、『正解』に近づける答えを、見つけるだろう。


 だがモモコにはまずその当たりが付けられない。

 趣味の悪い方法で、なんの目的かはわからないが、人間を生かしたまま保存している。これだけの情報では何もわからない。


 だから消去法で行くことにする。自分にできることだけを考えるのだ。

 もし、文字通り森の中に木を隠すつもりならば、これだけの数に埋もれているそれを見つけることは出来ない。だからこの神樹化人たちの中の一体に扮しているという可能性は考えない。


 次に、神樹の本体のどこかに潜んでいる場合は、どうだろうか。ありそうだし、近づいて調べることはおそらく可能だ。

 けれどこれは事前にヒサカから『その可能性は低い』と言われている。二つ三つほど根拠を挙げていたが、モモコが理解できたのは一つだけ。『ありそう』だと自分が考えていたからだ。つまりそんな捻りのないことをするだろうか、ということ。


 だからこれは他にできることがないとなったときの最後に選ぶ選択肢とした。

 神樹の周辺にいないという可能性も、その場合はとても見つけられないので棄却する。

 残る可能性は、『神樹の主は常に移動している』だ。実はこれがヒサカが提示した『最も高い可能性』である。


 この世界に来た当初、ミリスなどはこの手段を用いて隠棲しつつ暗躍していた。

 そして飲食が必須ではない怪物であるとしても、動物であるはずの神樹の主が特定の場所から動かないというのは考えづらい。今回の被召喚者たちとの闘争にどれだけの時間がかかるかわからないのだ。特定の場所に引きこもるのは、精神的に辛いはずだと、これはモモコ自身も思った。


 モモコもヒサカの見解に納得していたが、初めからこの可能性を追わなかったのは、この場合、自分が見つけられる手段が思い付かなかったからだ。


 けれど少しだけ深く踏み込んで考えると、気晴らしも兼ねているはずの場所の移動であれば、人間にとって快適な空間であろうということがわかる。つまりは生活のしやすい拠点だ。


 戦闘の余波を受ける場所では快適さなど得られないわけで、また、閉塞した空間ではないだろうことも、なんとなく予想が付く。


 とすると、神樹の裏側、つまり森のあった位置から神樹を挟んだ向こう側が最も可能性が高い、気がした。つまりは神樹を盾にしているのだろう、と。


 そうだと決め付けてみるが、それでも範囲は膨大だ。

 だが、これならば可能性がある。

 耳を使えばいいのだ。普通の人間の五万倍は下らない聴覚を。

 その範囲で神樹の主が拠点を移動しているとしたら、その際に音が出る。

 火山は神樹の根の隙間から未だに蒸気を上げているため、擬似的に低気圧的気流となって比較的強い風が吹いている。つまり木々の枝葉が擦れて音がうるさい。


 だからこそ、神樹の主は移動するときにそれほど音に気をつけないに違いない。


 モモコの耳はただ単に小さい音が聴き取れるというものではない。音の種類を聞き分けることができる、という点が特に優れている。ヒサカはこれをマスキング能力が高いのだとか言っていたが、もちろん理解はしてない。ただ自分はそういうことができると、モモコは知っていた。


 動物が立てる音と、植物が奏でる音は、明確に違うのだから。たとえ小さく埋もれてしまうような音であろうと聞き取ってみせる。


 あつらえ向きに、人間は神樹化していて、動物がいるとしたら逃げ出したか放置された家畜くらいのものだ。家畜であればこの環境で生きてくのは難しいし、野生化したならこんな食えないような植物しかないこの土地から移動するに違いない。


 モモコはひっそりと神樹を回り込んでその裏側の神樹の群れの中で耳を尖らせて、待った。


 これに二日をかけた。


 神経を尖らせ続けていたために、最初は幻聴かと思った。だから無闇に動かず、一度神経を鎮める。

 暗殺するとき、好機と見てもすぐに動いてはいけない。その経験がモモコに、この場面で『神経を鎮める』という離れ業をやらせてのけた。


 ――離れ業なのだ、これは。


 この精神性が一見して彼女が思慮の深さを持ち合わせているように見せている要因だ。実際には考えているのではなく、むしろ思考をリセットしているわけなので、思慮深いというのとはやや趣を異にする。


 ここで、もしモモコがすぐに飛びついていたなら――それでも結果は変わらなかっただろう。ただし、見つけることができたという結果は変わらずとも、その後が変わったかも知れない。


 モモコは比較的冷静に、その音を聞き取り、音源の付近に慎重に近づいた。

 そこでモモコはうっかり隠密を解いてしまうような光景を見た。

 なぜなら、神樹の主は、優雅にお茶を飲んでいたのだから。

 周りよりやや大きめの小神樹がその幹を縦に開き、枝葉が庇となっている。そこに巨大な草花がテーブルの形を作り、もちろんチェアも草花で作られている。

 モモコが捉えた音は、どこかから伸びる蔦のチューブから、その葉っぱでできたカップに蜜と思しき液体を注ぐ音だったのだ。

 だから驚いたのはお茶を飲んでいたからではない。ふざけていると思いはしたが、それは見つける前から予想していた。


 その姿だ。


 モモコのうっかりで、彼、あるいは彼女はその中性的な面差しを斜めに傾けた。

 すると、そのさらさらで鈍色の髪が流れて、その長く尖った耳を顕わにした。

 


「エルフかよ」


散々もったいぶったミリスからその姿の描写を聞き、飛逆はかくっと首を落とした。


〈もうオチが読めますよね~……。モモコさんの、少年コンプレックス発動です~。ただ~、隠密を解いてしまったのにはもう少し別の要因があったって本人は言ってました~〉

「あー……トーリに似てたとか?」

〈惜しい~です〉

「ってことは、ゾッラか……。ダークエルフって奴なのか?」

〈正解で~す。これにはちょっとワタシも~納得が行ったってところがありますね~。モモコさんがどうこうっていうんじゃなくて~、浅黒い肌に中性的な容姿……ゾッラを精悍に成長させた感じってところで~、ゾッラがあの教団の象徴巫女とされた理由の一つなんだな~って〉

 その辺の事情や背景を飛逆がさっくり消し飛ばしてしまったので、ミリスの納得にはあまり意味はない。


「いや、そうでもないか。神樹の主がその教団を作るのに関与していた可能性があるのか」

 自然発生的なものではなく。


〈実際そうだと思いますよ~。フィクサーとかやってれば~、功績を誰にも認められないって鬱憤がたまりますし~、神として崇められたかったんじゃないですかね~〉

「なんだその気持ち悪い願望」

 ぞっとする。


〈ゾッラが象徴巫女とされたのはその願望からかと~〉

「……あれ? 何か、拙くないかそれ」

〈へ?〉

「仮にそんな願望に共感できたとしても、俺だったらそんな願望だけで教団を作るとか、しない。実際、ゾッラの教団の教義は、ゾッラを見てもわかるように、むしろ神樹の主に不利な教義だ。ゾッラはソイツを『天使』じゃないって言ってるんだからな。被崇拝願望があるんだったらこれは矛盾だ」

〈あ、そういえば~〉

「ソイツが作ったんだったら、一体なんのために? そもそも本当に、なんで人間を生かしたまま保存しているんだ? いや、もっと根本的な問題として、どうやってそんなことができたんだ? よく考えたら間に合わないだろう。火砕流の勢いなんかを考えると、火山ができた直後に住民を神樹化してないと、モモコが目にしたみたいな、万を超える群れが延々と続く、なんてことにはならない」


 そこまで言った、その瞬間だった。


 図ったかのようなタイミングで、爆発音が。


 家屋が揺れる。爆発音の割には揺れが大きい。ヒューリァの仕業ではない。これは衝撃が先で、爆発音は家屋のどこかが破壊されたために生じた音だ。

 事態を見るより先に、飛逆は引き戸を引いてモモコの様子を見る。あまりにもタイミングがよすぎた。これに彼女の聴覚が関与していないとは考えづらい。

 でろり、と彼女の弛緩した口からブルブルと痙攣するスライム状の何かがはみ出ていた。明らかに胃液ではないそれは――おそらく樹液だ。


「くそっ、そういうことか!」


 さすがのミリスも腹の中までは調査していなかったのだ。

 モモコに当たるのも構わず炎でそのスライムを焼き尽くす。


〈え、ええと~……〉


 何が起きているのか、飛逆と違って把握できていないミリスは困惑するしかできないようだ。


 説明するより見た方が早い、と壁を破壊して外に出ようとするが、その前にヒューリァが駆けてきた。


「何あれ?」


 ヒューリァはすでに見たらしい。おそらく個室の窓から見たのだろう。


「ごく端的に言うと――ゾッラとノムは、神樹の種を植え付けられて――いや、『種にされて』いたんだ。俺たちは無自覚なスパイをとっくに内側に招き入れてしまっていた」

 つまり通路で繋がっているもう一つの建物のほうで、その姿を晒しているのは、ゾッラとノムを取り込んだ小神樹ということだ。


 今度こそ壁を破壊して、それを実際に目の当たりにする。


 屋根を突き破った神樹がその腹に二人を抱き込んで、鎮座していた。

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