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6. けもけも

 走り去っていく少年の後ろ姿を追いかける。

 彼が走っているのは、犯罪の現場を目撃されたためだ。戻していくつもりだったのだろう窓を直す事も忘れて一目散に――たまに振り返りながら逃走する。


 そんな少年から隠れながら追走するのは中々困難なことだったが、焦る少年の意識から隠れるのは不可能なことではなかった。それに人間の全力疾走できる時間などたかが知れている。そもそも見ていたのは建物の屋上にいた人物なのだから、焦って逃げずとも即座に目撃者に追いつかれるということはないのだと、走る内に気付いたのだろう。

 やがていくつかの角を曲がった先で少年は足を止めて、屋上を見上げたり後ろを振り返ったりして息を吐いた。そして今度は慎重に路地裏などを使って身を隠すようにしながら移動を始めた。


 見失う可能性もあったが、飛逆は一旦引き返してヒューリァを迎えに行く。


 ヒューリァには予め少年を追う飛逆を追いかけるように言っておいたので、程なくして合流は果たせた。


「……説明! ←要求」


 合流するなり責めるような目線と口調で具体的な説明を要求される。


「追っ手かかる→逃亡←全力になる。危険→→←大、失認」


 現場を目撃されたら少年が全力で逃亡することはわかりきっているのになぜ見失う危険を冒してまで目撃者の存在を明かしたのか、と言うのだろう。


「……すまんが説明は後にさせてくれ。話しながら尾行とか難易度高すぎる」

 脱がしていたフードを改めて被せて目立つ赤い髪を隠しながら、苦笑しつつ諫める。


「むー……」

 納得はしていないが、説明できない理由は理解できるらしく、とりあえず口を噤んでくれた。


 二人して足音を潜めながら少年が行った路地を殆ど勘で追い、やがて再び視界に捉まえた。


 少年は辺りを警戒するという程度のことしか特別なこと(例えば仲間と合流するなど)はせずに彼の帰還場所であろう、民家らしき建物に行き着いた。


(まあ期待はしてなかったが……)


 彼が隠れ家みたいなものを持っていたならこの上なく好都合だったが、彼がまだ親などから庇護を受ける身分であろうことは想像できていたので、期待はしていなかった。もし彼が都合良く廃屋などに帰還していたなら、またヒューリァの頭を撫でるところだ。


 だがやっぱり撫でるべきだったかもしれない。少年は一層辺りを気にしたかと思うと、こっそりとその民家の裏側に回り込んで、その比較的広いスペースの庭の置物をズラしたかと思えば、地下室の入り口らしき扉を開けるではないか。


 まあ、隠れ家として地下室というのは逃げ場が少なそうで、あまり適所ではないのだが――


 少年が裏手に回ったときにはもうその民家の横にいた飛逆は、音もなく少年の背後に忍び寄り、ごくごく自然な動作で地下室への扉を支える少年の手首を掴んでいた。


 唖然とする少年が飛逆を無意識に振り仰ごうとする首の動きに合わせて腕をねじり上げて肘関節を極めながら背後に回り、もう片方の手で悲鳴を上げようとする少年の口を塞ぎながら足をひっかけてコカして改めて腕を極め、背中に体重を掛けることで身動きを封じる。


「――!!」

 さすがに暴れて闇雲に首を振って暴れる少年――そこにヒューリァがやってきたので、飛逆は目だけで「フードを脱げ」と合図する。この時点で彼にこちらが『異邦人』であると悟らせたくないために言葉を発したくないのだ。


 ヒューリァもこの展開が意外だったのか、やや反応が鈍かったが、さすがはっきりと言葉が通じないながらもなんとか意思疎通してきただけはあり、アイコンタクトを受け取ってくれた。


 ヒューリァがフードを脱ぐと、その鮮烈な色の髪が月明かりの下、露わになる。


「――。――!? ……」

 少年の体から、逆らおうとする気が失われたことの証拠のように力が抜ける。


 狙い通り。少年としてはかなり念入りに尾行を警戒したつもりが、初めから最後までこちらに誘導されていただけなのだと、彼女の髪を見せられることで思い知らされたのだ。言葉がなくとも敗北感に塗れたことだろう。


 飛逆が彼女という目撃者の存在に気付かせたのはこのためだ。


 少年の身のこなしから観て無力化まで持って行くのはそう難しくなさそうだとは思っていたが、それでも万が一はありえるし、自分の読み違いもありえる。というか気絶させるのであれば簡単でも、その後になんらかの交渉に持って行くには、できるだけ傷つけずにその行動を封じなければならない。気絶させたらそのリカバリも面倒だ。


 更に、交渉するためには、こちらが彼の『犯行』を知っていることを彼に知らせなければならない。言葉が通じないのだから、彼自身が彼の立場というものを推知できるようにしたほうが話がとても早くなる。


 そこでヒューリァの目立つ容貌を利用することにした。遠目であろうとも、少なくとも飛逆だったら決して忘れないだろう、彼女の鮮烈な特徴を彼に刻みつけるように見せつけたわけだ。


 すべては、少年に『助け』てもらわなければならない立場のこちらではあるものの、あくまでもこちらが主導権を握って、いいように『利用』させてもらうための布石だ。


 説明するまでもなくヒューリァもそこに理解が至ったらしく、けれど何故か不満げな視線を彼の背後の飛逆に寄越してくるが、飛逆は苦笑で返した。


 だが、そんなヒューリァが突然顔を険しくする。


「――ひさか!」

 駆け寄ってくるヒューリァに気を取られて、彼女が何を焦っているのかを察知するのが遅れた。


 だから飛逆が視認したときにはもう遅い。


 地下室から音もなく何かが飛び出してきた。


 反射的に飛逆は少年から離れるが、咄嗟のことでうっかり少年の肩を外してしまう。その報いとばかりに自分の肩に強い、というよりも酷い衝撃を覚える。鮮血が視界を染める。


「ぅ、グッ!!」

 肩の肉が弾け飛んだと錯覚するほどの激痛に意識が飛びかけた。


 吹っ飛んだ飛逆の体をヒューリァが受け止めた。だが勢いを殺せずヒューリァも後退を強いられる。


(……ダメだ。肩が上がらん、というかこれ筋破断の上に骨までイってやがる……!)


 右腕が全損だ。腕が胴に付いているのが不思議なくらい深い。首を護った結果のため、頸椎にも僅かながらダメージが行っている。肋骨と鎖骨にも罅が入った感触。


 不意打ちとはいえ、僅か一撃で右半身の運動機能の殆どをやられてしまった。羆の爪を受ければこんな感じかも知れない。


 その犯人は、実に幸いなことに、追撃よりも少年の身柄の確保を優先した。


 その構図はまるで鏡写しだった。


 どこがと言えば、その犯人はどうやら女性だったから。


 飛逆を支えるヒューリァと、少年を抱えてこちらを威嚇するように目を紫色に文字通り光らせる女性。


 その女性の側頭には、まるで飾りのような、けれど生々しい猫の耳が生えていた。

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