表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/124

61. 依存症

 結露した水が水溜まりを叩く音で目が覚めた。

 無害だが、霧が立ちこめているため、視界が悪い。


 それほど長い時間、気を失っていたわけではないようだ。たったそれだけの睡眠では疲れが取れなかったということなのか、煙狼を喰らって精気はそこそこ足りているのに身体が重い。というか、


「なにゆえ君は俺にのしかかり、ハァハァ言っているのか」

 決してヒューリァは重くない。のしかかられていることに不満を言っているわけではない。重いのはあくまでも自分の身体だ。


 ただ、いつかの再現のように膝枕でもされているところを目覚めるというシチュエーションを想定していた飛逆は、息を荒げる少女に今にも喉笛に噛みつかれでもしそうという状況に唐突に直面して、割と途方に暮れてしまったのだ。


 そのインパクトで気付かなかったが、肩を押さえる彼女の手の爪は強く立てられて、完全に食い込んでいる。ただの人だったら骨が微塵に砕けるほどの握力だ。


 そういえば他にも奇妙なことがある。

 ヒューリァの肌から、蛍光が消えている。いや、一応ほんの幽かに明滅しているようだが、それは死にかけた蛍の発するそれであるかのように、あるいは肌にノイズが走っているかのように、弱々しい。


「まさか――」

「ひさか」

 瞬間的にあらゆる悪い可能性を考えた飛逆が、その推測を口に出すのに被せるように、いやにきっぱりと、けれどどこか陶酔の滲んだ声でヒューリァは飛逆の名前を呼ぶ。


「限界なの、ひさか。無理。もう堪えらんない。もう、欲しくて……欲しくて」


「マジか……」

 やっぱりそういうオチなのか。


「ひさか、ひさかひさか! ひさかぁ……もう無理なのに、もうダメだから――ひさかが起きるまで我慢したのわたし、ほめて?」

 ヒューリァは息がやたらと荒いのに妙に艶然として切なそうな、支離滅裂な表情を顔に浮かべた。


 つまりはこれが、副作用。

 吸血種の血を飲んだものが罹患する、吸血鬼にごくありふれた症状。

 吸血衝動だ。


 カクン、とまるで折れるように飛逆に覆い被さったヒューリァはがぶりと、本当に喉元に食い付いた。

 少しだけヒトよりも尖った犬歯は、あまりにも簡単に飛逆の謎の防御力を貫通し、皮膚の下に流れる血液を彼女の舌に届けた。

 その味に痺れたように一瞬、ビクン、と痙攣して震える。


 けれどその後はただ一心不乱だ。

 最初はそれでも舐めるようだったが、足りないとばかりに猛烈に吸い付き始める。


 軽く二リットルを越える量を飲み干したヒューリァは、けれど名残惜しそうに謎の回復力によって塞がった疵痕をぺろぺろと舐め続けた。


 それだけの量の血が彼女のどこに収まったのかとか、そんなどうでもいいことを飛逆は疑問に思う。


 ここ最近の精気の酷使によっていい加減その流れを知覚できるようになっていた飛逆は、それを共感覚によって視覚化し、ヒューリァの精気量を見て取る。一般人がどれだけなのか、参考例がまだないためにはっきりとは言えないが、多分恐ろしい密度だ。


 そしてヒューリァの肌から蛍光する文様がじんわりと消えていく。

 けれど精気の密度はむしろ増した。いや、ムラがあったのが整ったためにそう見えるのかもしれない。


 精気の巡りが安定したことによって、その衝動も収まったらしいヒューリァは身体を起こして「ぁあ……」と吐息を漏らした。


 そしてその陶然としていた表情が俄に引き締まり――有り体に言えば我に返ったらしく、飛逆の顔を見下ろして、硬直する。


 自分がどんな顔をしているのか、飛逆は自覚できていないが多分、マグロのような印象を与えたのではないだろうか。俎上に乗せられた感じの。

 しかしヒューリァはもうお腹いっぱいなわけで、腑分けされたマグロに食指は動かない。というか冷静になると同時に自分がどういうことをどういう体勢でどういう風にしたのか、省みてしまったのか。


 そそくさと飛逆の上から退いて、真横にちょこんと正座した。


 飛逆は無言で半身を起こして、ヒューリァをしばらく眺める。そして溜息を吐いた。


「えっと、……ひさか?」

 言葉を発しようとしない飛逆に何を思ったのか、ヒューリァはおそるおそる顔を窺ってきた。


 飛逆も自分の感情がいまいちわからない。

 別にヒューリァに自分の血を貪られたことが不愉快だったとか、そういうことではないのだが。


 不愉快な気分がないわけでもない。それが溜息の理由だ。


(そっか……なんだかんだで、拘束力のない関係だったのが、そうじゃなくなったからか)


 今の感じからして、ヒューリァはもう飛逆の血を無くして生きていけないのだろう。少なくともその肉体を健常に維持できない。トーリの例がそれを示唆している。【吸血】を覚えることができれば話は別だろうが、それが可能であるかもまだ判明していない。飛逆は他人の血を口から摂取しても精気の補充ができない以上、【吸血】は血族にしか許されないユニークな能力であるというほうが気持ち、すんなり筋が通る気がする。


 つまりヒューリァが生きるためには飛逆が必要であり、ヒューリァに生きてもらいたい飛逆は彼女に血を提供する義務と責任が生じたわけだ。


 それ自体は苦でないし、重くも感じないが、『確かな絆』なんてもの、飛逆は欲しくなかったのだ。


 そうなってしまったことは仕方がないと、割り切れないほどではないが、そのためには多少の時間が必要だった。


 切り替える端緒とすべく、自身の状態を確認する。


 精気の量自体は全盛の六割といったところだろうか。戦闘行為だと全力は出せないが、普通に行動する分にはまったく支障がない。


 右腕はともかく、【紅く古きもの】に浸食されている部分を取り戻すためにはこの残量では不安だ。ただ再生するための必要量の優に百倍は要るのだ。押し返そうとすると反発する【紅く古きもの】をいちいち封じ込め直さなければならないためだ。けれどこれをしないことには自分の動きに自信が持てない。暴発の危険がある技の数々(浸透勁や遠当ては実のところ枝葉である。歩法などの細かい技術とその組み合わせが最も重要だ)を、自信を持たずに使用することなど飛逆にはできないのだ。同じ理由で、喰らったばかりの煙狼の【毒】の能力を引き出すのは後回しになる。


 従って、これも時間が必要だ。


 精気の補充もしなくてはならないし、変成意識に入るために瞑想もしなくてはならないだろう。それを同時にできるほどに落ち着いた環境を構築しなければならない。


「ヒューリァ、ミリスの髪は持ってるか?」

 方針が決まって切り替えが済んだ飛逆は、何事もなかったかのようにヒューリァに確認する。


「ひさか……怒ってる?」

 けれどヒューリァは言わずもがなのことを問い返してくる。


「何に? 思い当たるところが多すぎて、どれのことかわからん」


「怒ってるんだ……」


「まあ、今は君の言い分を聞きたくないくらいには」


 なぜだかびっくりしたようなヒューリァに、婉曲ながら肯定する。

 言い分を聞きたくないこともそうだが、今の自分の心境を話したくもない。


 死に損なったことが悔しくもあり、死のうとしたことがヒューリァに後ろめたくもある。


 後ろめたさが怒りを助長している。子供が、自分が悪いとわかっているのに素直に謝れず、怒りで誤魔化そうとしているときのそれと同じだ。

 自覚しているから飛逆はそれを面に出そうとしないし、出したくない。


「ひさか、そうやって怒るんだね」

 けれどヒューリァは感心したような呟きを放つ。


「……は?」

 そこで感心される謂われが思い付かず、間の抜けた声が出た。


「前の時は怒るっていうより、叱るって感じだったから……なんていうか……」

 思わずといった感じでヒューリァはクスクスと笑みを零し、


「おもしろいっていうか……嬉しい? のかな」

 よくわからないことを言う。というか嬉しいはともかく、面白がられてしまうと、なんていうかひどく反応に困るのだが。


 ヒューリァがミリスの髪を持っていないことを明らかにするまでに、大分時間がかかった。


 正確には、持ってきてはいたのだが、ダメになってしまったそうだ。ヒューリァの熱耐性はあくまでも自分自身の肉体にしか作用せず、それどころか例の文様から出る炎は普通に周囲を焼いてしまう。


 そういえば触れている余裕がなかったのだが、ヒューリァの着ている服は大分以前(飛逆が火炎耐性を取得した辺り)から、例の耐熱ローブを分解して作った些か扇情的(ひらひらしてやや露出度が高いという意味で)な衣装だ。アラビア辺りの踊り子風の衣装にチャイナ服のエッセンスが混ざったような感じである。ボロボロのローブから作ろうとするとどうしても中途半端なデザインになってしまったためだ。ちなみにデザインはミリスが担当、仕立てはノムと飛逆だ。ノム以外の三人の間でヒューリァの寸法を測る段でやや悶着があったことも余談の一つである。


 というわけで、彼女が真っ裸になるという事態は避けられているのだが、装備類の多くは失われてしまっている。ちなみに原結晶の入れ物としても、耐熱ローブの素材は流用されている。小物入れは女性に必須であるという飛逆の配慮だが、どうして必須であるかを飛逆は把握していないので間違った配慮であった。ついでに、四六時中ミリスに監視されることを嫌ったヒューリァが原結晶と同じ入れ物にミリスの髪を仕舞っていなかったことが焼失の原因である。


 けれどしばらくして飛逆は自分のほうを点検して気付いたのだが、ブレスレットは溶岩に覆われているものの、無事だった。ブレスレットの頑丈さが幸いした形だ。


 力加減が面倒だったが、溶岩だけを砕いて露出させ、ミリスの髪が無事であることを確認する。どうやらギリギリまで火炎絶対耐性を切らなかったことが功を奏したらしい。


 早速原結晶を調達して連絡を取った。


〈どこのセカイでも主役っているんだな~って思いました〉


 とは最早飛逆たちの無事を疑っていなかったミリスの言である。なんでも、それはもう図ったかのようなタイミングで目覚めたヒューリァを見た瞬間に、自分はモブであり、気を揉むだけ損だと半ば強制的に悟ったのだとか。


〈まあ~、こじつけはできないこともないんですけどね~。ヒサカさんの血を飲むことによって眷属化したことで~、細いながらもなんらかのラインが通っていて~、それで『主』の危機を無意識下に察知することで目覚めた~とか~〉


「ありそうな理屈だけどな?」


 飛逆には割と筋が通って聞こえる。殊更検証の必要があるとも思えないが。


〈その理屈が付く背景も含めて~、ってことです~。メタなことを言えば~、ヒューリァさんのご都合主義ですよね~。激渋オッサンが『ありえないからファンタジーなのではない。ありえないことに理由があるからファンタジーなのだ』とか言っていたように~、むしろ『ありそうな理屈』が付くって~、実は現実セカイでは早々ないことなんですし~。『あるようでない! だが確かにある!』ってみたいな~〉


 明確でこそないが発祥がわかりやすい(憶測を付けやすい)ヒューリァたちと違い、その方向性さえ意味不明な化生に憑かれているミリスが言うと説得力があるようなないような。というかネタがわからない。世界間ギャップなのだろうか。


 さておき、現状ではミリスだって数少ない飛逆にとっての主要人物である。しかも割とウェイトは高い比重を占めている。


 これからの予定を組み立てるべく状況の整理と相談を始めた。



〓〓 † ◇ † 〓〓



 整理するまでもない状況ではある。

 単に飛逆たちが千百層付近で煙狼を倒し、飛逆はそれなりに後遺症を負ったが、時間さえあれば取り戻せる。


 ヒューリァも『成り立て』であり、飛逆の血が必須のカラダになってしまったが、単純な力(腕力含む)だけで言えば格段に上昇している。


 ミリスはゾンビ化トーリという実験体を手に入れてその解析と利用法の発掘に忙しいが、緊急性はない。


 これで仮にモモコが神樹の主を捕縛なりして戻ってきたなら、後はもう研究を完成させれば、残る問題は絞られる。


 ある意味抜け道である『解呪』に対して、飛逆らを召喚したモノがどう反応するのかわからないということが一つ。

 これに関して飛逆は防御して備える方向に進めるか、それとも攻める方向に進めるかで迷っていたが、よく考えればどちらでも同じなのだ。塔の意思は何に反応するかわからない。予め決められたルール以外に彼(?)はこちらに全く干渉してきていないからだ。しかもそのルールから察するに、面白がられても厄介そうな相手である。


 であれば防御のために何かをすれば、それを禁則事項として問答無用でどこかに転移させられるかもしれないし、あるいはこちらから攻めようとしても後の先を取られるかもしれない。だから結局、可能な限り備えながら攻める方向に進むしかない。


 だからひとまずその問題はさておいて、残る問題は、モモコが戻ってくるまでに、飛逆たちがどう過ごすかということだ。


 十日だ。それまでにモモコが戻ってこなければ、彼女は死んだものとして行動すると予め定めてあった。


 正確な時間ではないが、ミリスがおおよその時間を計測することができるので(髪の一本に塔の壁を傷つけさせてそれを測る)、残り六日だとわかっている。


 飛逆が回復して煙狼の力を掌握し、ヒューリァが自分の力を制御するまでに、おそらく充分な時間だろう。飛逆に関して言えば間違いなく余る。


「要は俺が復調した後、俺たちがそっち(地階)まで戻るかどうかって話なんだよな」


 もちろん戻るとしたら一旦外に出て、充満しているだろう小神樹の攻撃を凌いでから戻るということになるわけだが。


〈ヒサカさんとしては~、それくらいだったら毒の能力を使って~、もう片を付けてしまったほうがいいと考えている~、ってことですね~?〉

 神樹への対処として除草剤散布を考えていたミリスの察しは早い。


「いや、ヒューリァをここに置き去りにできないんだから、無差別散布なんて真似はできない。ヒューリァは熱耐性はあっても毒耐性は持ってないんだから」


「というか地階に置いてある根っこで毒が効くかどうかを試してからじゃない? どのみち」

 ヒューリァの発言がクリティカルだった。それは本来飛逆が提言すべき内容だ。


 何にせよ飛逆が回復して煙狼の能力を掌握するところまで行ってから考えるべきだとしてその時の相談は決着した。回復するまではこの階層付近を動けない。


 飛逆の回復は、能力の掌握よりも遅れた。本当に根が深いダメージだ。

 実際に掌握してから判明したことだが、煙狼の能力は少々厄介だった。

 使いどころが難しい。

 おそらく飛逆のイメージ――先入観のせいなのだろうが、飛逆が自分の身体に毒を作製することができるのは、血液だけだったのだ。同じ要領で解毒薬(毒拮抗薬)に血液を変化させることができなければかなり危ういところだった。主に飛逆からの給血が必須になってしまったヒューリァが。


 頑強で表面上の損傷はあっという間に回復できる飛逆は一度に微量しか出血できない。つまり散布するのは難しい。【紅く古きもの】の炎に乗せて飛ばそうにも、お互いの相性が悪すぎて併用は不可能だったのだ。


 神樹に対しては寄生を防ぐことができるという程度にしか通用しないのではないか、と困惑してしまったものだが――



 右腕の爪を使ってリストカット。

 すると、一瞬だけ血が噴出する。その一瞬で血液は霧化して、狼の形へと定まった。


「とことんイメージが引っ張られてるな……」


 狼のくせに几帳面に『おすわり』する自分の血液を前に飛逆は嘆息する。


 せいぜい小型犬くらいの大きさだ。かなり頼りない。自重が軽いためか動きはかなり速いし、存在自体が毒であるためクリーチャーくらいなら倒せそうだが、やはり見た目の威容が足りない。あとやはりイメージが引っ張られているのか、自律行動をするこの狼の行動は飛逆の知る犬のそれに準じている。


 動物が嫌いではない(訓練で散々殺してきた癖に)飛逆は、自分から出たのでなければかわいがったかも知れなかったが。


 ちなみにこの小型狼、真っ赤である。

 若干、ヒューリァのイメージと被る。

 ひょっとしたら飛逆が懐く彼女のイメージに引っ張られているのかもしれない。


 赤毛狼と名付けて、キャラ被っているせいか敵愾心を隠せないヒューリァの訓練要員として使ってみた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ