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60. このネタしつこいって思われそう

 あの煙狼には霧粒状の身体全体を統括して操る核があると考えた場合、問題は一見すると単純化できるように思える。その核を見つけ出すことに専念すればいいからだ。


 ただ、その核が他の細胞(?)と同じ大きさだった場合、どのようにしてそれを割り出せばいいのかわからないし、それを壊そうと思えば結局他の細胞を一緒に破壊しなければならない。それは彼の身体をひたすらに焼くなどして削っていくのと何が違うのかという話である。


「それに、明らかに細胞同士で連携している、というか情報のやりとりが行われている。ってことは個々の細胞がある程度情報処理力を有しているわけだ。すると細胞同士がネットワークを構成しているってことから、意識の創発が起きている可能性が考えられる。流動的なニューロンネットワークって感じかな。つまり全体を個として成立させるためには、中枢は必ずしも必要じゃない。いや、中枢が存在するとしても、自在にその位置を変化できるのはもちろん、下手をしたらその中枢の情報と機能を別の細胞に移し替えることが可能なのかもしれない。分裂したってことは、少なくとも中枢の機能を果たすコピーができることが示唆される。まあ、本体が一つあって、そいつが統括している可能性もあるけどな。消耗戦の様相を呈してきた今になってから、そんな燃費の悪そうなことをするかっていうと疑問だ」


 どちらにしても倒しきるためにはある程度以上に拡散させるか、削っていくしかない。


 手段が変わらないならばどちらであっても同じということだ。


 倒すのならば。


「えっと、つまりどうすればいいの?」


 十数体にまで分裂した煙狼の群れに追われながら、ヒューリァは器用に首を傾げた。


 三体くらいだったらヒューリァの連射が追いついたが、二十を越えた辺りから照準が間に合わなくなってしまったのだ。というか攻撃を避けると同時に分裂するなんてことをされたら照準が追いつくわけもない。


 飛んでいる燕を切れないことと同じ理屈なのか、煙の状態の奴らは簡単に火弾を避けてしまうというのもある。


 ヒューリァは飛逆の説得にかかるまでもなく撤退にまで追い詰められた。


 節約のために時々炎の壁を張ることで足止めするくらいで、後はただ走っている。


「確実に倒しきるなら、炎の壁で囲って、上からとにかく撃ち込むか……」


「地形が重要になるね、それなら」


「だが現状俺たちは追われているわけで、密閉空間に誘い込んだら自分たちの身が危ないぞ」


「どうして? 閉じ込めてしまえばわたしもひさかも自分の火で死んだりしないよ? 密閉空間全部を炎で埋めてしまえばいいだけじゃない。取り残しが多少出たとしても、削れるならそれで充分だと思うけど」


「熱が大丈夫でも、ヒューリァ、君は空気なしでどれくらい耐えられる? ないとは思うが、バックドラフト――爆発の危険もある」


 飛逆の血を飲み、変質したヒューリァがどれくらい人間離れしているのか、その検証をぶっつけでやるなど認められるわけもない。


「俺でも、今の状態でそんなことしたら死ぬし」


 飛逆たちは現在、千百階層を走っている。つまりヒューリァが来た方向に逆走しているわけだが、どうしたわけかクリーチャーと出くわさない。そのため飛逆は未だに充分な回復ができていない。


「というかヒューリァ、なんで原結晶、あれだけしか持ってなかったんだ?」


 責めるというのではなく、ふと疑問がぶりかえした。


「急いでたからだけど?」


「じゃなくて、俺らのところに来るまでにクリーチャーと出遭っただろ? 倒した奴の原結晶、回収しなかったのか? それとも倒さずにやりすごしたのか?」


「あ……そういえば。というか、どうせ出遭うと思ってたから、あれだけしか持ってこなかったんだ」


 今思い出したように言われると、言い訳に聞こえるが、おそらく本当のことだろう。


「つまり、出遭ってない?」


「うん。目覚めてすぐに来たんだけど、焦ってたから、あんまり疑問に思わなくって、今まで忘れてた」


「……変だ。そうなると消去法で、クリーチャーを倒したのはあの狼しかいないわけだけど、俺が幻覚毒にやられていた時間ってどれだけか、正確なところわかる、わけないよな……」


「うん。ごめん」


 二時間を越えていないとすれば、ヒューリァがクリーチャーに出遭わなかったことも、今も見当たらないことにも、説明が付く。実際、それ自体はそこまで不自然でもない。


「何か、変なんだけど……上手く言葉にできん」


「他に敵がいるかもしれないって、こと?」


「いや……それも考えられるけど、どっちかっていうと、そもそも、そう。なんであの狼は、俺たちを追ってくるんだ?」


「え?」

 なぜそんなところが疑問なのかわからないと、ヒューリァは首を傾げるが。


 そんなところに遠吠え以外の獣の嘶きが響く。


 振り返ると、クリーチャーが出現していた。


「再ポップか」


 だが、飛逆たちの後ろで、煙狼のほうが彼らとの距離に近い。


 そしてクリーチャーは煙狼の群れに集られて、その牙の餌食となった。煙狼の牙はまるで肉を溶かすように食い込み、そしてあっという間に削りきってしまう。


「とことんタイミング悪いな」


 一応収穫と言える情報は得られた。あの煙狼にとっても、クリーチャーは攻撃対象であり、それはつまり、あの煙狼は塔の支配を受けているわけではないということだ。


 そうすると、ますます疑問が湧いてくる。


「なんで、俺ら、というか俺に執着してるんだ?」


 炎が苦手なのにも関わらず、毒を喰らって暴走し、一時間半強の時間を炎に包まれていた飛逆を、なぜ見限らずに延々と待ち構えていたのか。


「そうか。わかった。何が変なのか」


「どういう?」


「あの煙狼、やっぱり俺に端っから的を絞ってたんだ。俺が来ることがわかってたから、あの転移門の付近に自分の毒を撒いていた。そうじゃないとあまりにもタイミングがよすぎる。偶然あの付近にいたのなら、もっと早くにクリーチャーは再ポップしてないと、うん。やっぱりタイミングがよすぎる」


 正確な時間経過がわかればより確信が得られたのだが。


 苦手を圧してでも飛逆を殺したいという執念が、透けて見える。それだけで違和感としては充分だ。


「まさか剣鬼に倒されたとき、俺らが助けなかったことを怨んでるとかそういうあれか?」


「そういうあれじゃなくて、それだと思う。もっとはっきりしてること」


「何言ってる?」


「だから、ひさか食べたでしょ? 剣鬼。畜生(イヌ)の鼻にはわかるくらい、臭いが写ってるんじゃない?」


 ものすごく嫌そうだった。軽くショックなのだが、それは措いて。


「なるほど。うわ、全部説明できるなそれ」


 つまり煙狼にとって飛逆は、間接的どころか直接己の前身を殺した者であり、復讐に燃えるのはごく自然なことということだ。


「ってことは」


「自分が囮になってわたしと一旦別れる作戦、とか立てないでよ?」


 先回りされてしまった。


「ダメか?」


「ダメ」


 ヒューリァは無闇に決然として言った。


「まあどっちみち――」


 ちらりと振り返る。


 雲の津波とでも形容すべき有様だった。おそらくクリーチャーを喰らったことでエネルギーの補完ができたのだろう。何体に分裂しているのか、もう数えるのもバカバカしい。


「あそこまで増えてしまうと、俺たちが二手に分かれたところでどっちか一方に引きつけるなんてできるとは思えないしな。っていうか、ちょっと見ない間に増えすぎじゃね?」


 ぱっと見だとどこからどこまでが個体なのか区別ができないほどになっている。


「うん。ちょっと変だなって思ってたんだけど……たぶん、熱と原結晶が揃ったら、分裂するんじゃないかな」


「熱と? って、そうか。身体を増やして熱を分配することで一体当たりの熱量を調整してんのか」 


 そういえば彼らが数を増やすタイミングは、基本的に空間に熱が籠もった時だった。分裂するのに熱が必要なのか、それとも熱を拡散するために分裂するのか、どちらなのかは確定できないが。こういう場合は、どちらも必要条件なのだと考えたほうがいい。


「つまり、足止めのために壁を張れば張るほど、増えるってことか……」


 なんだかどんどん絶望的な要素が増えていっている。


 ほんの一瞬、捻れた空間から出現した再ポップクリーチャーを即座に捕まえて、走りながら【吸血】するが、焼け石に水にしかならない。自爆寸前まで行ったダメージは想像以上に深く重い。基盤からガタガタになっている。多少回復して初めてダメージの自覚ができるほどに。


「ヒューリァは後何回くらい壁を張れる?」


「この広さの通路で、無理して……二十、かな」


 その半分と考えておくことにする。


「【吸血】は、できるか?」


「……できるかもしれないけど、やり方がわかんない」


 生まれつきその能力を持っていた飛逆でさえも、息をするようにとまではできない【吸血】は、おそらく普通なら幼少時の飛逆を超える特訓なしには扱えないだろう。いくらヒューリァが天才(れいがい)だとはいっても、あまりにも準備期間が足りなさすぎた。


「仕方ない。確証がないけど、やるしかないか」





 何をするにも精気を回復しなければならない。


 精気を回復したところで身体のダメージはどうにも回復が重い。やはり基盤がダメになっているのだろう。内臓や骨や筋肉の一部が【紅く古きもの】に浸食されているせいもあるのか、動きの逐一、違和感がある。これでは繊細な技は使えない。


 充分な回復量と言えるまでに、階層を三つ移動しなければならなかった。


 もう煙狼の数は百を優に超えている。


 ただでさえ巨大な煙狼の総体積は恐ろしいことになっている。


 狭い通路だからこそその異様をある程度無視できたが、大広間に出ると圧倒されざるを得ない。


 狼とは群れで狩猟をする動物である。


 彼らはすぐに飛逆たちに襲いかかってくることなく、逃げ道を塞ぐように動き、そして飛逆たちは完全に囲まれてしまった。


「ホントに、効くかな……」


 ヒューリァもさすがに不安そうだ。


 大広間の中心、大きな噴水の石像の上で身を寄せ合い、襲いかかる機を見計らっている煙狼たちに視線で牽制を送る。


「効かなかったら、転移門開いて逃げる」


 退路の確保もできていないのにこんな確信の持てない作戦は立てない。逃げた先も危険が一杯だという現実には目を瞑った。


 そして四方八方から、狼は一斉に襲いかかってくる。


 当然、飛逆たちは大きく飛び上がって避ける。途中で飛逆の肩を足場に、ヒューリァは更に高く駆け上る。


 ヒューリァが下方に向けて、迫っていた狼どもに火弾を連射。撃ち落とす。


 やはり揚力によって避けていたらしく、上から炎を被せられると避けられないのか、数体にほぼ直撃した。


 一度着地した飛逆は、炎を浴びて、まるで毒でも喰らったかのように痙攣しながら落ちていく狼の間を縫って再度飛び上がる。


 ヒューリァが波状攻撃をしてくる煙狼を牽制している間に、飛逆は直下に向けて、ヒューリァのそれよりも莫大な熱量の火球を放った。


 そして、必然的に――



 大爆発が。



 もちろん水蒸気爆発だ。小さなプールくらいだったら満たせる量の水がすべて、一瞬にして気化してのその爆発はとんでもなさすぎる。


 飛逆はもちろん、ヒューリァも、そして煙狼のほぼすべてがその爆発に巻き込まれ、予め覚悟していた飛逆たち以外はほぼ無防備にその衝撃波を喰らう。


 だが、この程度では死なないだろう。超高温の水蒸気の上昇気流に揉まれながら、可能な限り広げた効果範囲から飛逆は熱を集める。


 その熱は、新たに生み出したのではなく、まさにこの爆発によって生じた、大気に満ちる熱だ。結果的に上昇気流も弱まり、飛逆よりも上空にいるヒューリァにはそれほどの衝撃波は行かない。轟音のせいで耳が痛いくらいはあるだろうが。


 燃費の悪いことこの上ないが、飛逆は最初からこれを狙っていた。


 すなわち結露。


 大広間を埋め尽くすほど広がった水蒸気のすべてから熱を奪うとなると、かなり神経を使うが、別に凝結するほどに奪う必要もない。摂氏零度近い水を雨のように降らせれば、概ねカバーできる。そのために出来る限り高く飛んだのだ。


 衝撃の余韻も収まり、やがて大広間の全部に水をぶちまけたような様相の床に、飛逆は降り立ち、続いて落ちてきたヒューリァを受け止める。


「……成功、みたいだ」


 どうやら平衡感覚を失う程度に爆発によるダメージを受けているヒューリァは聞こえていないようだったが。


 やはり爆発の衝撃程度では、数を減らすことしかできなかったが――


 水に晒された彼らは、その身体をいかにも重そうにして、そして一回りほども小さくなっていた。まさしく水に濡れた犬のように、みすぼらしい。


 煙は水に溶ける。水分子が煙分子を閉じ込めてしまうのだ。


 実に簡単な話。


 飛逆は彼らの身体に水を吸わせ、その弱体化を図ったのだった。








 弱体化した煙狼たちを倒すのは実に簡単なことだった。


 煙になって避けるという反則技さえ使えない彼らは、しかも水を吸って動きが酷く重くなっていた。


 群れた鴨も同然に、ヒューリァの火弾を喰らう。


 そして水が水蒸気爆発することによって、彼らは身体の内側からそれこそ爆散させられることになる。身体が離れすぎるとやはり再集合は不可能であるらしい。彼らは復活することなく、順調に数を減らしていく。


「ここまで簡単になるとはなぁ……。つまりは水が弱点って……」


 炎が苦手で水が弱点というのがなんともはや。弱点の多いことである。


 相性がよかった、というべきだろう。単純な物理攻撃には極めて強力な煙狼だったが、その代わり化学反応などには弱かったと、そういうことだ。


 最後の悪あがきとばかりに、彼らは寄り集まり、融合した。


 けれど彼は、巨大さを取り戻したが、鈍重さが増しただけだった。いや、この階層のクリーチャーよりは速いだろうが、飛逆たちの基準ではもうその程度では遅すぎるのだ。


「ひさか?」


 ヒューリァの肩を押さえて、自分に任せるように言う。


「……大丈夫?」


 言わずとも、飛逆が何をする気なのかわかったようだ。まあ他にないが。


「ああ、兄上が抗体作ってくれてるから、多分【紅く古きもの】なんかよりずっと簡単に掌握できる」


「そう」

 ヒューリァは複雑な顔をしたが、それでも一歩引いて譲ってくれた。彼女もこれで中々消耗しているからだろう。【吸血】できない彼女は、今の飛逆よりも余力が少ない。


 つまりは【吸血】するつもりなのだ。下手に流動しては消耗するだけの彼はもう、その形を維持する以外の余力はない。つまり触れ続けることができる。


 本当は、何かの容器に密封して持って行けないかと思っていたのだが、使用用途を考えると現実的ではない。彼の特性上、解析は不可能だろう。それに、どれくらい頑丈なら彼を閉じ込めておけるのかも不明だ。水に囚われたら身動きできないくらいになるのであれば、シェルターを資材にして容器を作製したのだが、彼は依然として岩くらいは砕ける膂力を有している。


 色々な要素を鑑みるに、彼は飛逆に摂り込んでしまうのがもっとも確実なのだ。


 爆裂弾を放ち、その衝撃波で最早煙ですらない彼の動きを誘導する。もう彼は飛逆に一直線に向かってくるしかない。


 飛逆は自らその牙に突っ込み、両腕で掴む。やはり攻撃するときには、どういう理屈かは知らないが、固化するらしい。掴めた。


 足を下顎に入れて身体全体をつっかい棒にする。じわじわと溶解毒でも喰らったかのように飛逆の身体は溶かされ始めるが、


 十秒前後。


 耐えてしまえばよかった。


 実際には三秒、想定より速く【吸血】は成立し――それを飛逆は制御できずに【吸血】は暴走し始める。以前と同じだ。


 長い断末魔を最も近い場所で受け続けた飛逆は、けれどその衝撃波とは関係なしに、意識が飛ばされる。


 また、眠れる。そのことにほんの少しだけ安らぎを覚えた。






 けれど今回は、夢を見なかった。


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