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59. ヒロインは遅れてやってくる

 溶岩に纏われて動きが阻害されていると言っても、いずれにせよ単純な物理攻撃がその煙の身体に通用するとは思えない。殴ったところで一時的に霧散するだけだろう。浸透勁などによる衝撃波であれば多少の効果はあるかもしれないが、そもそも今の飛逆ではある程度の剛性のある物体にしかその系統の技を繰り出せない。


 だから飛逆はカウンターで肺腑にこびり付いていた溶岩の混じった息を吹き付けた。体内の熱の排出を同時に行い、それは火炎放射器と散弾銃を同時に使用した程度の威力は出せた。


 けれど――キャイン、とでも言えば少しは可愛げもあっただろうが、煙狼はその炎と散弾を、揚力か何かに乗ってぬるりとかゾロリといった感じで避け、飛逆の背後に回ってその煙を纏わり付かせようとする。


 なんだそれ、とあまりの気持ちの悪い動きに内心戦慄しながら、右腕から炎を出して自分に纏わせ、喉元に牙を突き立てようとした狼を退ける。


 炎が苦手というのは間違っていないらしい。


 一瞬だけ実体を失った狼は煙そのものとなって上空に浮き上がり、収束して床に降り立った。ある程度、彼はその身体の密度を自由に操れるようだ。厄介だ。


(それにやっぱり、熱はそれほど苦手じゃないってか……)


 多少は炎を喰らったはずの煙狼は、まるで堪えていない。苛立ちを顕わにするようにタシタシと爪を立てて床をうろうろと動き回るが、苦しそうな様子はない。単に獲物の諦めが悪いので苛ついているという様子だ。


 視覚的な『炎』は忌避するが、熱自体には耐性があると考えたほうがよさそうだ。兄が幻覚毒を無効化するのに時間がかかったのは、結局『炎のイメージ』だけでは解毒はできなかったので解析に手間取ったのに違いなかった。その代わり、幻覚毒への抗体は作れたようだが。


(つか、マジで拙い……)


 熱の『通り道』を操るのは、燃費が悪い。それなのにどうしてわざわざ排撃したのかといえば、肺腑にこびり付いたマグマを完全に掃き出すためだ。【紅く古きもの】より飛逆は自分の身体のほうを信じている。追い詰められているからこそ頼みにするのは自身の肉体だ。そのため調息を妨げる気道と肺の異物は早々に掃き出してしまわなければならなかったのだ。酸素の取り込みはともかく、呼吸は身体操作に影響してくる。飛逆にとっては誤差でも、今は必要だった。


 けれど少しでもダメージになればと思って繰り出したカウンターは無意味となり、更に炎を出すなどという無駄な消費をしてしまった。火炎耐性の効果範囲が更に狭まり、マグマが固まるのが余計に早まって、動きの阻害が本格化してくる。


(火炎耐性を切ったらその瞬間俺は内側と外側から熱にやられて死ぬし、さすがに……)


 もう炎による牽制は使えない。使った瞬間に炎上、自滅必至だ。


 無理をするなら、逃げるためにそれを使うべきだった。クリーチャーとエンカウントしさえすれば、どうにかなる。この階層のクリーチャーなら一体分でも、やりくりすればどうにかできたはずだ。


 ここまで詰んでしまうと、もう諦めてもいい気がしてくる。


 なぜなら塔の中で死ねば、ヒトとしての肉体は消え去る代わりに怪物そのものとして甦生されることが、目の前の煙狼によって証明されたのだ。


 どういう形になるのかは不明だが、ここで飛逆砦が死亡しても、兄の【魂】は復活する可能性が残る。


 兄の嘆きが聞こえるかのようだった。こんなことなら己の存在を飛逆に確信させるべきではなかったと、そんな声だ。


 ざまあみろ、と。


 皮肉気に飛逆は口を歪め、その声に返した。


 心残りはもちろんあるが、ヒューリァは後追いするような真似はしないだろう。そう信じている。そもそも彼女の現在の安否は気になるが、これも信じるしかない状態だ。


 そう思うと意外と未練はなかった。


「じゃ、やるか」


 溶岩のせいでギシギシとした動きながら、気持ち的にはすんなり足が前に出る。


 生きることを諦めたとしても、目の前の怪物は邪魔だ。


 もしかしたらこの煙狼は兄の【魂】を喰らってしまうかもしれない。そうなれば復活が可能かわからない。


 確実に、消滅させなければならない。そのためには――


 右腕がばらけて蛇の形の炎になる。


 狼は嫌そうに首を竦めるような挙動をしたが、まだ安全な間合いだと思っているのか、僅かに飛逆の左側に寄って、飛びかかるときの予備動作に入るだけだ。


 わかっていないらしい。飛逆は今、右腕の制御を手放したのだ。ただひたすらに残りの精気を注ぎ込むことで。


 ――俺を喰らえば、それくらいはできるだろ?


 煙狼のあの身体は維持するのに核があるのか、それとも細胞一つ一つが本体とか馬鹿げた群体怪物なのか、わからないが纏めて昇華させてやれば殺しきれるだろう。


 左目の視力が消える。


 炎が勢いを増す。


 細切れになろうと肉体は残しておかなければならないから、火炎絶対耐性は切れない。もどかしいが。


 兄の横槍が入る可能性を考慮して、防備を張りながら飛逆は深く潜っていく。そうすると、気付いた。意外に残りの精気は多い。思っていたよりも余計な――感覚を引き上げるためなど――容量が喰われている。それらを順次切って、飛逆の感覚は人並みに落ち込んでいき、その代わり炎はその密度を上げていく。


 凝縮することでまばゆい光球が形成される。


 いよいよ狼も気付いたらしい。飛びかかるために下げていた首を上げて、後退りを始める。


 だが逃がさない。転移門を潜られることだけは避けなければならない。


 奴が穴を飛び越えて襲いかかってきたのは幸いだった。奴が逃げるとしたら上しかない。


 そして狼は飛び上がり――飛逆は軽く爆発させて自身を飛ばし、彼に接近する。


 凝縮した光球を解放――




 ――しようとしたらなんか横合いからばかでかい火球が飛んできて、今度こそ狼は「キャイン!!」と鳴いた。




〓〓 † ◇ † 〓〓


 


 感覚が人並みに落ち込んでいた飛逆は何が起きたのかさっぱりわからないまま火球に吹っ飛ばされる。人並みの頑丈さしか残っていなかった飛逆は床に打ち付けられて全身の骨が砕ける勢いのダメージを負って意識が飛ばされた。


 そのせいか、右腕の光球は俄にその熱を飛逆の身体に逆流させられ、爆発する機会を失ってしまう。それどころか、飛逆の身体の破損部位がじわじわと炎に浸食されて、その炎は紅い鱗へと変じて破損した部位の機能を代替しはじめる。


(くそっ……兄上め……)


 痛みで意識を引き戻された飛逆は、意識が途絶した瞬間に兄に割り込まれ、してやられたのだと悟った。ブラックアウトしていた左目も視力を取り戻されている。繋ぎ直されたのだ。


 死に損なった。またしても。


 酷く疲れた気分で、溜息を吐く。


 そんなところに、軽い着地音が耳に届いた。


 見上げる。


「ヒューリァ……」


 まあ、火球という時点で、彼女であろうことはわかっていた。


「ひさか」


 ただし、その様相は予想外だった。



 肌の見える部分のすべてに、光る文様が描かれて、じんわりと明滅している。それは顔も例外ではなく、儀式化粧を思わせる有様だった。それだけならば、むしろ美しいとでも思っただろうが、それは確実に彼女に「痛み」を与えている。飛逆には一目でわかった。刺青を入れた直後の倍は、痛々しかった。


 感動の再会、なのだろうが、どうやらお互いどう感動したらいいのかわからないようだ。


 ピンチに助けてもらった形の飛逆は、彼女と再会できて嬉しいわけだが、助けてもらったことは嬉しくなくもあり、そもそも彼女は勝手に飛逆の血を飲むなどという暴挙に出た後なわけである。


 お互い無事と言っていいのかわからない有様であり、それが中途半端なため、どうにもこう、何を言ったらいいのやら。


 ミリス経由で飛逆の窮状を知り、目覚めるなり駆けつけてきたのであろうヒューリァも、おそらく今の飛逆と似たような心境であろう。


 つまり、気まずい。


 タイミング的には狙い澄ましたかのような登場だというのに、なんなのだろう。


 そんなところに、アオォォ――ン、と遠吠えが響く。


 まるで無視するなや、と言わんばかりで、うっかり飛逆は笑ってしまった。


 つられてか、ヒューリァの顔も若干綻ぶが。


 半身だけをこちらに向けていたヒューリァは、気を取り直すように顔をしかめて飛逆から視線を反らせる。


「とりあえずあのうるさい畜生、片付けるね」


「――いや、待て。あの狼は触れるだけでアタマを侵す毒だ」


「わかってるよ――」


 飛逆の警告に、ヒューリァは文様から炎を出すことで問題がないことを示す。


 その炎に、またしても出端を挫かれた狼は唸り声を上げたが、二人は無視した。


「毒って要は疫病の元でしょ? なら、焼いてしまえばいい」


 飛逆のような小賢しい理屈ではなく、ただ直感でかの煙毒の弱点を割り出したらしい。


 ここで注目すべきは、どうやらヒューリァは己の火炎にまったく熱そうな様子がないことであり――つまりはあの文様は炎を出すのみならず、その炎から術者を護る効果があるということだった。


 飛逆とは違う形の火炎耐性だ。


「火は嫌いみたいだが、それは熱が効きやすいって意味じゃないから、そこは気をつけろ」


「煙なのに、熱が効きにくいの?」


「不思議なことにな」


 熱とは拡散を促す現象でもあるため、霧粒状細胞の集合体と思しき奴に効きづらいというのは奇妙な話に思える。だが細胞一つ一つが生半な熱では分解されず、細胞同士がある程度拡散してしまってもすぐに集合できるのであれば、矛盾しない。むしろ、すでに炎によって煙となったのだから、熱に耐性があるのはある意味当たり前だ。すでに燃えた後なのだから。


 ただ、無意味ではないのだろう。炎だけでなく熱を嫌っていなければ、わざわざ大きく穴を飛び越えるようなことはせずに、飛逆に襲いかかってきたはずだ。


 おそらくだが、拡散してしまうと再集合のために精気を消耗してしまうのではないか。


「効かないわけじゃないなら、問題なんてないよ」


 飛逆の推測など聞かずとも、ヒューリァはその程度のことは心得ている。


 彼女は不敵に口端を歪めて、腕を指して特大の火球を撃ち始めた。






 それはヒューリァの一方的な蹂躙に見えた。


 さもありなん。


 ただでさえ煙狼には炎が苦手という相性の問題があるのに、ヒューリァは特大の火球――直径一メートル強――を無尽蔵を思わせる勢いで連射するのだ。


 ヒューリァはその場から動く必要すらない。しかも例の光る文様を空中に描く必要すらもないらしく、ただその腕を動かして、ひたすら回避に徹する煙狼を照準するだけだ。


 ただ、直撃は一度もない。


 おそらくだが、ヒューリァもまだこの状態で術を操るのに慣れていないのだ。


 変な話に思えるかも知れないが、火球の大きさがそれを示唆している。


 弾の速度が同じなら、大きいほうが回避が難しいのは確かなのだが、問題は、照準する側の視界も遮ってしまうことだ。そのため着弾の結果を目視するのがやや遅れる。相手がどちらに回避したのか、または回避できていないのかといったことの判断が遅れると、次弾の照準にも遅れが出る。連続であればあるだけその遅れは累積していき、結果として直撃が今まで一度もないということになるわけだ。


 ついでに言えば、凝縮したほうが着弾したときの威力が増える。着弾後に圧縮から解放された熱はそれこそ爆発的に広がり、その運動エネルギーが加算されるためだ。


 ヒューリァがそんな当然のことを弁えていないはずがない。


 つまりできないのだ。そうした操作が。


 更に根拠を言うなら、初撃に於いて飛逆を巻き込んでいたことだ。


 あの時に火弾を喰らっていなければ、飛逆は間違いなく自爆していた。反射速度が精気の枯渇のために落ち込んでいたためだ。仮に煙狼にピンポイントで当たっていたとしたら、飛逆は――兄は自爆を止められなかっただろう。同様の理由でヒューリァの襲来にも気付いていなかったから、彼女を巻き込んで全滅という憂き目に遭うところだったわけで、ヒューリァはそれを狙っていたのかもしれないと思っていたが、よく考えたら偶然だろう。


 偶然、制御ができていないヒューリァが、おそらく焦って、飛逆を巻き込んだために全滅が避けられたわけだ。


(というか、ヒューリァが気まずそうにしてたのって、それが理由なんじゃ……)


 それもあった、というのがおそらく正解だろう。


 思考が脇道に逸れた。


「ヒューリァ、原結晶、持ってないか?」


 飛逆が戦線復帰すれば、それはもうあっさりと決着する。逆に言うとこのままだと長引きすぎる。今のヒューリァがどれほどの精気を包有しているのかは不明だが、長引けば危うい可能性もある。それがわかったので飛逆は無理矢理に半身を起こしつつ訊いた。


「……持ってくるの、忘れちゃった」


 ヒューリァはこちらに背を向けて火弾を放ちつつ答えを返す。


 彼女がここに駆けつけてきた経緯を想像するに、それは無理がないと思うところだが、ヒューリァがする迂闊としては違和感がある。飛逆の知るヒューリァとは、たとえどれだけ焦っていようと『間違えない』のだ。戦力的不備に繋がる原結晶の無携帯は考えづらい。


「……本当か?」


 一番ありえない可能性として、飛逆の血を飲んだせいで飛逆のうっかり癖が伝染(うつ)ったのかもしれないという危惧を面に出しつつ反問する。


「……」

 ヒューリァはさも戦術的な必然でタイミングをズラしてみましたという感じで火弾を比較的近くに着弾させて、その音で飛逆の声が聞こえなかったかのように振る舞った。


 演技が巧かった頃のヒューリァは死んだらしい。


 元々後ろめたさを隠すのは巧くなかったので、やっぱり変わっていないわけだが。己の正当性を確信していればどんな嘘でも堂々と吐けるし誰であろうと騙せるというのはよくある性質である。


「なあ、もしかして、また、俺を『お持ち帰り』しようとか、考えてないよな?」


「……」

 今の飛逆の感覚は人並みよりちょっと上程度なので、彼女の発汗量は不明だが、彼女の後頭部に戯画的な汗が流れているのを幻視した。


 再会時、気まずいとかよりも、彼女はどうやらその算段について考えていたから態度がぎこちなかったようだ。


「それについては後で話し合うとして、とりあえず、原結晶を寄越してくれ。そう見えないかも知れないが、かなりギリギリなんだ」


「ひさかが信じてくれない……」


「君が必ずしも俺に対して嘘を吐かないわけじゃないってことはもう学習してる」


 元々嘘がない間柄などという幻想を懐いていたわけでもない。今更、泣き落としが通じると思われているということが心外だった。


 ヒューリァは諦めたように火炎の壁を張ってから攻撃を中断し、渋々と懐から包みを取り出す。


「量を持ってこられなかったっていうのは本当。いざとなったらわたしが使うつもりだったから……」


「あわよくば、俺を休ませようって思ったわけだ」


 そういうことにしておく。原結晶で回復しなければ休むこともできない状態だというツッコミどころにはあえて目を瞑った。今の飛逆は意識が途切れたらそのまま永眠しかねないほど消耗しているのだ。


 【吸血】して補充するが、まだ一割にも満たない。危険域は抜け出せたが。


「なあ、ヒューリァ。一旦撤退しないか?」


「ひさか……またそうやってわたしにやらせないでおこうってする」


「そうじゃない」


 本当にそんなつもりはない。今までも。


 ただ、いくつかの理由で一時的に撤退したほうがいいのだ。ヒューリァに余裕がある今なら撤退は余裕だろう。


 その理由を言って説得しようとしたところに、


 遠吠えが。


 複数だ。一つの遠吠えに重なるように、応えるように。


 奇妙を察して炎の壁の上を見やると――


「……分裂ときたか」


 三つの煙の塊が、炎の壁を飛び越えようとしていた。

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