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58. 夢オチってある種の様式美だと思うんだ

「まあ、幻覚でもなんでもいいや」


「幻覚であろうとお前が俺を兄と認識した事実は変わらないからな。どうせ主観でしかヒトは物を判別できない」


「問題は兄上が幻覚で出てきたことをどう理解するかだ」


「実際問題、【魂】とは何を以ってそれとするのか。事実として俺はお前の中に居るわけだが、身体がお前のものである以上、そこから引き出される知識は同一であり、区別がない。では性格で? あるいは生来的な気質とやらを読み取ってみるか?」


「なんでもいいと結論しているのに、うるさいな」


「結論を急いで可能性を狭めるのは、俺もそうだったから強くは言えないが、悪い癖だ」


「つまり、『俺が棚上に封印していた兄上の【魂】が、毒攻撃を受けて霧散しそうな俺の意識を収束・避難させた』って可能性を真剣に考えろと?」


「いや、そこまで能動的なことが俺に出来たとは思わない。俺自身、お前と区別ができんのだから。単に一番厳重だった領域に緊急避難的に自分で飛び込んだ、というところだろうよ」


「あくまでも俺とは別人格みたいな口ぶりが腹立つっていうこの感情はどうすれば?」


「知らんよ。人格なんぞが【魂】に記銘されているとは限らんのだから。俺はお前と同一でありながら俺自身に人格があると認識していて、そのラベルにはお前の兄と記入されている。それだけの話だ。お前がわからんことは、俺にもわからんのだし、事実かどうか確かめる術がないのだから適当に流しておけ」


「確かに、不毛なのはわかってるんだが」


「あくまでもお前の下位人格であるかのように振る舞うこともできるが、それこそ不毛じゃないか?」


「それも、そうだ。自分に説教されるってのは、気持ちが悪いっていう感覚は変わらないが」


「俺はお前の兄だと自己同一性を認識している分だけそういう感覚は薄いようだが、そうだろうと察することが出来る程度には違和感がある」


「我慢するしかない、か」


「そうだな。だが、この状態を長く続けるのはよくないということは、お互い共有するところだと思うが、どうだ?」


「自分で自分を殺してしまいそうだ。万が一……本当に兄上だったとしたら、ってのがなければもうそうしてるところだし」


「では自死などと間抜けなことになる前に、現状を打破しようか」


「わかった……。現状認識。かなりアクティブな幻覚毒を喰らって緊急避難したら、どこにも出口がないイメージ空間に囚われた。端的に纏めると、こうだな」


「注意点を並べると、自我(エゴ)に対する嫌悪感をこの空間では制御できない。そもそも幻覚毒は未だに浸食している。基底現実ではそれだけではなく、【紅く古きもの】なる【魂】が暴走し、飛逆砦の肉体はマグマに浸り、沈降し続けている。時折バランスの関係か爆発が起きてマグマが飛散することで完全に浸ることは免れているが、その爆発の度に肉体は地道に破損し続けている」


「……詰んでないか? 制御を取り戻そうにもこの空間から外に干渉できないし、できたとしても幻覚毒が待ち構えているわけで」


「もう一つ付け加えると、幻覚毒のおかげで【紅く古きもの】の浸食が歯止めされている」


「やっぱ詰んでる……。仮に幻覚毒をどうにかできても、その瞬間【紅く古きもの】に乗っ取られるってことじゃねぇか」


「そうなってもここは無事だろうが」


「そのうち自死への誘惑に抗えなくなる」


「もっと明確な刻限が来るのが先だろう。【紅く古きもの】は無秩序に精気を消費している。おそらく我々よりも直接的に幻覚毒が『痛い』のだろうな。自らを灼くほどに」


「精気がなければ火炎耐性の効果も保てないから、肉体の損壊による死が先か」


「一つ一つ考えていくか。順序としては、進行順の逆を行くべきだろう。つまりこの空間を解放する手段を考える」


「通常なら、タグとは別に設定している兄上の名前で開く。漢字、ひらがな、カタカナの文字イメージ、そして発音の四つが揃ったときに」


「なるほど。だから俺は自分の名前が思い出せないのか」


「俺も思い出せない。この領域からアクセスはできないってことだ」


「当然だな。箱の中に鍵を入れては鍵を閉められない。よって、外にアクセスする手段を講じるべきだ」


「俺が入ってきた穴から逆流する」


「それだな。お前自身が、どんなにがんじがらめでも線は通っていることの証拠だ。時間さえかければ可能だろう」


「いや、この空間が兄上専用の領域であるってこと自体が嘘である可能性が残るだろ」


「つまり幻覚毒に対して防備を固めた結果の生まれたての仮想空間であると?」


「充分ありえるだろ?」


「否定はできない。それは自己同一性の証明と同じく不可能だ」


「理解した。いずれにせよセキュリティーホールを探さなければならないって結論は同じだ。穴を捜しながらのほうが建設的ってことになる」


「同意だ。手分けして捜そう。この空間は基本的に黄金律の情報素で構成されている。それが最も安定であるからだ。構成要素(ソースコード)を可視化する。黄金律から外れたコードを捜せ。その近くが薄くなっているはずだ」


「了解。……穴を見つけたらどうするか」


「次は、【紅く古きもの】の浸食をいかにすべきか、だな」


「元々、アレがどこを浸食していたかがヒントになるって覚えがある。馴致したときにはそうだった」


「眠りを司る原始の領域に近いところだな。だが、それでは間に合わん。こう言えばお前は業腹だろうが、奴が当初憑いたとき、封じ込めたのは俺だ。意味はわかるな?」


「……同じ事をすればいい、と?」


「そうだ。精気を喰らい、肥大化した奴は当時よりも手強いだろうが、できなくはないだろう。最悪でも俺ごと封じるのは可能だ」


「……」


「別に俺がお前の兄であると信じる必要はない。なんならお前のダミー人格を一つ犠牲にするつもりで奴にぶつけるのだと考えればいい」


「物わかりのいいことを言われると、……イライラするな」


「流しておけ。それなら別にどちらがやっても同じだ、いやむしろ自分がやったほうが……などという考えは、お前の彼女のためにならん」


「ヒューリァの気持ちがわかってしまうのが、辛い……。わかったようなこと言われると、たとえ正しくても本当にイライラする……」


「更に業腹だろうが、彼女はいい娘だな。そんなお前だと知っていても懲りずにいてくれる」


「本当に兄上だったとしても腹立つぞ、その物言い……」


「この程度の揶揄は許せよ。実際、彼女には感謝しているんだ。彼女がいなければお前はここに来た時点で自滅を図っていただろう? 俺が兄であるかどうかを確かめようともせずに」


「生まれて初めて恥ずかしいって感覚でヒトを殺せそうなんだが?」


「正常な感覚を味わえる貴重な機会だったな。さて最後の問題だ。幻覚毒をいかにして解毒するか」


「殺したい……。解毒するなら、まずは解析しないと話にならない」


「だが直接的な解析ができるほど安易な毒でないことは、この状態に陥ったことからも明らかだ。ここにある情報資源をかき集めても――俺とお前の演算を合わせたところでおそらく間に合わん」


「なら外堀からか。正体は、おそらくギィに倒されたあの人狼だ。死体がどうかしてああなったんだろう。ミリスの推測は正しかった」


「そのようだな。だがそれはなんのヒントにもならない」


「そうでもない。人狼が幻覚毒ってのは、暗示的な気がする」


「麦角アルカロイドのことか?」


「魔女狩りの時代の狼男のモデルはライ麦寄生の麦角アルカロイド由来LSDの幻覚症状が出た者って話は、……兄上から教わったんだったか。まあ今はいい。つまり言いたいのは、精神系の毒って要は覚醒剤を元に作られているんじゃないか?」


「だが別々の世界からお前たちは召喚されている。我々の世界の歴史や暗示が適用できるかどうかはかなり怪しいと言わざるを得ない」


「どこの世界でもヒトはヒトだし、背景の細部に違いがあっても伝説なんかはどこかしら似たようなものになりそうな気がする」


「似たような事象が発生すれば似たような伝説が生まれる。それは一理ある」


「異能ってのは結局、強固なイメージを纏わせた精気を現象として具現化させるものだ。現実の法則に強制的に修正されている節はあるが……化生ってのが持つ【理】ってのは要はその強固なイメージそのものっていうのが【紅く古きもの】を馴致したときの俺の感想なんだが……」


「では仮に覚醒剤などの症状に由来する伝承から生まれた化生だとして、それをどうする? 仮に正しくとも、まさか覚醒剤そのものを解毒する手法を試すわけにもいかん。そもそもお前の身体には生半な毒は通用しないはずなのだから、やはり覚醒剤ごときは参考にもできん」


「毒の組成なんかを言っているんじゃなくて、要はそんな伝説がある場合、それに対する弱点なんかも同じ可能性があるんじゃないかってことだ」


「つまり、魔女狩りの火、か。あるいは麦角であっても、あれは熱で失活したな、そういえば」


「実際、宿主の俺が為す術もなかった毒に、俺とリソースを共有する【紅く古きもの】が、暴走しているとはいえ無事なのは、その毒が炎のイメージに弱いからじゃないか?」


「だとすると、問題は非常に単純化できるな。この空間から外に干渉できわかるようになり、幻覚毒を避けつつ、【紅く古きもの】の制御を取り戻せば、その炎のイメージを幻覚毒にぶつけることで解毒が可能になる。よしんば解毒ができずとも、牽制している間に解析を進めることができるだろう」


「それで問題になるのは、いかにして幻覚毒を避けるか、だが……」


「考え方を逆にしてみるか。【紅く古きもの】をこちらに呼び込めばいい」


「なるほど」


「もちろん幻覚毒もこちらに入ってくる可能性が高まるが……」


「穴の水際で捕獲すればいい。推測が正しければ幻覚毒に対する盾になる」


「方針は決まったな。ついでに罠を用意しておけばより成算は高まる。この空間内での主導権は俺にあり、その程度の自由は利かせられる」


「問題が今度こそ絞れたか? 後はいかにして【紅く古きもの】を誘い込むか」


「奴については情報が少ない。俺の場合は単純にこの領域というアドバンテージがあったために力尽くで封印できたが」


「俺の場合も似たようなもんだ。こんなことならヒューリァに詳しく聞いとくべきだったか」


「ふむ。彼女の奴への印象から何かわかるか?」


「なぜか知らんがヒューリァは【紅く古きもの】をすげー嫌ってるんだよな」


「なぜか、か」


「まさか本当にその見た目がキライとかだったら俺の腕を直視するのも避けるだろうし」


「能力を嫌っているならその【理】を使用することもしないか」


「だから何がそんなに嫌なのか、正直言ってよくわからん。確かに酷く痛いし、今俺が感じている自己嫌悪を十倍にしたくらいの不快感はあるんだが、手懐けるのはそれほど難しくなかったし、馴致してからはその不快感もさほどなくなった。モモコやミリスを見ても、制御を誤ると辛いことになるが、普段はそうでもないって感じだし」


「おそらくだが、順序の問題だな。彼女は何かがあって、奴を拒絶した。そのことでお前の言う痛みや不快感に見舞われるようになったのだろう。後は悪循環だな。拒絶に次ぐ拒絶で消耗し、理性を浸食された」


「宿主が受け入れていれば大人しくしているが、拒絶されたら攻撃するってことか」


「使えそうで使えない情報だったな。すでに幻覚毒による攻撃を受けている状態の奴に横槍を入れても気を引けるのは一瞬だ」


「攻撃で気を引けないとしたら、こちらが甘いと思わせる方向だよな」


「だが楽な道を作ることはそもそも困難だし、攻撃されたら攻撃し返すという性質だと仮定すると、たとえ逃げ道があったとしてもそこを選ばない可能性が高い」


「ただ逃げるんじゃなくて……それを無視できない性質がある、とすれば……」


「ふむ……。正規の手順があったじゃないか? そういえば」


「ああ、そういえば……なんか呪文みたいな、あれか。馴致してからは使わなかったから忘れてた」


「決まりだな。穴を見つけたらそこから奴に呼びかけ、誘き寄せる」


「幻覚毒のほうが早く来たら……」


「それは考えても仕方がない。まあ上手く行かずとも、なんとか犠牲は俺だけで済むだろう」


「……ああっ、クソっ! 殺してぇ!! つかよく考えたら穴なんてお前が本当に兄上だったら捜すまでも――って!?」


「お前はまだまだ甘いな。お前が俺であっても、こうするとわかっていただろうに。この領域での主導権は俺にある。抗えんよ、その縛鎖には」


「ザッけんな! テメェ端っからこのつもりか!?」


「では、またな、砦。すべてが終わればそこは基底現実だ。終わっていないことを忘れるな」


「兄上!! あんたはまた――!!」




〓〓 † ◇ † 〓〓






〓〓 † ◇ † 〓〓




 喀血するようにマグマを吐き出す。


 胃にも溜まっていたので吐き出す。


「ああっ、くそったれだ……」


 ふざけた話だった。


 まだしもただの夢オチのほうがどれだけ笑えたか。


「夢見、悪すぎだろ……」


 気を失ってからどれだけ経ったのか、わからないが飛逆は大分消耗していた。全身が恐ろしいまでの倦怠感に満ちている。



 実際に身体が重い。マグマに浸っているせいだ。


 右腕を持ち上げると、そこには相変わらずの赤竜の腕が付いている。暴走する気配はない。


 奇妙な感慨に浸りそうになる。複雑すぎて、言語化することが難しい。


 精気は身体の維持と火炎絶対耐性に回すのでギリギリだ。


 こんな状態で、このマグマ溜まりから抜け出さなければならない。ガラス質になった周りの壁を登らなければならないと思うと、このまま浸って、沈んでいくという誘惑に捕らわれそうになる。


 なけなしの意力を振り絞って、右腕の爪を壁に突き立てる。身体を持ち上げる。いつもならばこの右腕の支えだけで一気に飛び出すこともできただろうに、そんな程度のことさえもできない。


 垂直でないのがせめてもの救いか。爆発の影響だろう、多少は凹凸もある。


 ただ、その爆発のせいで装備はほぼ全損だ。原結晶は当然のように失われている。おそらくマグマの下だろう。潜って捜しても割に合わない。


 地道に節約しながら登るしかなさそうだった。





 何度か実際に気が遠くなりながら、登り切る。


 もう動けない。というより動きたくない。


 だがこんなところに襲われてはひとたまりもない。なんとかしてクリーチャーを【吸血】しなければ、「まだ終わっていない」のだから。


「とか言ってる傍から……」


 白い巨大な狼が、いた。


 その姿がぼやけているのは、飛逆の視界が悪いせいではないだろう。


 彼は実体が煙らしい。霧とも言えるかも知れないが、密度が煙のように、なんというか厚い。


 いずれにせよ、


「そんなのをどうやって掴めばいいと?」


 掴んで意識を集中しなければ、【吸血】は成立しない。


 彼が明らかに消耗しきっている飛逆に襲いかかってこないのは、穴を挟んで向かい合っているため、穴から立ち上る熱を嫌ってのことだろう。


 なるべく消耗しているところを見せないように立ち上がり、そこで更なる問題に気付いた。


 マグマが固まってきている。


 完全に石像になるほどではないが、動きの何割かが阻害されるのは間違いない。今の飛逆はそれらを弾き飛ばすほどの動きがそもそもできない。


 あまりにも状況が詰みすぎて、自然と飛逆の顔は引きつった。


 それをどう見たのか、煙狼は遠吠えを発する。


 狩りの時間だ、と。


 居もしない群れへ呼びかけたのかもしれない。あるいは霧粒状の彼の身体はそれ単体で群れなのか。


 どうでもいいことだったが。


 彼は床を蹴り、高く飛び上がって壁を蹴り、飛逆に襲いかかった。


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