54. てんどん ~芸人なの? バカなの? 死ぬの?~
ついに泣き出したミリスになんと声をかけたものかわからず、放置を決めた飛逆はとりあえず予定の行動をなぞる。
本当に、接続を切ればいいのにと心底思わないでもないが、それを言ってこれ以上傷口を抉るほどには飛逆も鬼ではない。
(というか……困ったな)
かなり変則的だが、あれは一応ミリスの告白である。ヒューリァという第一を認めているものの、飛逆の寵愛(笑)を受けたいと、まあそういうことだ。ミリスはおそらく、未だに飛逆がヒューリァに手を出していないことに気付いていないのだ。ABCで言うとCよりのBというのはかなり際どいとは思うが、出していないのに。
飛逆はこの方面、意図的に鈍感であろうと思っているが、察しが悪いわけでもないので、ミリスに憎からず思われていることを、なんとなくのレベルでは知っていた。正確には、何か前提の辺りで認識にズレがあるような気がするという、そんな程度だったが。
ただそのズレが表面化するとすればそれは解呪が為されてからだと思っていたし、ヒューリァへの遠慮が彼女を抑えるだろうと見ていた。
というかミリスにしてみれば、求めてきたのは飛逆のほうだったのだ。それが勘違いだというか、誤報というか……ある意味意図的な情報操作というか。
誰々が自分のことを好きだという噂(その誰々が実際に言っているところを耳にした、等)を信じて自分からノリノリで告白してみたら勘違いだった――これはキツイ。大変に、キツイ。やっぱり、むごい。学園モノだったら登校拒否に陥りかねない。そして説得失敗でエタだ。
なんという罪作りなことをしてしまったのか、ヒューリァ。
うっかり責任転嫁してしまうほど、飛逆はミリスにかけられる言葉を見つけられなかった。説得失敗しては、ミリスの研究に滞りがでてしまうから、放置はダメなのだが。
接続を切らないのは、なんらかのフォローを無意識に求めているからだろう。
それがわかっているのに飛逆はやっぱり言葉を見つけられずにいるのだが、不意に、
〈うぅ……ヒサカさん、もうぶっちゃけますけど~、疑問があるんですが~〉
ぶっちゃける=詳らかにする、の意だと思っていたが、疑問ときた。泣き止んだわけでもないミリスだから、おそらく混乱しているのだろうと思いつつ聞き返す。
「……なんだ?」
〈ヒューリァさんの何が~、そんなにいいんですか~?〉
「なるほど、ぶっちゃけた質問だな」
納得してしまう。
事、価値観に対して「何が」という質問は「その価値観が理解できない」という意味になる。
ミリスは今、飛逆の価値観と、ヒューリァの価値をディスったのだ。そうと取れる疑問だと認めた上でそれを訊いている。
〈だって~……そりゃあ、ワタシこんなカラダですし~、胸だってナイですし~、ヒサカさんの好みじゃ~、ナイんでしょうけど~……やっぱりこんなカラダだからですか~?〉
逆説的に言えば、ヒューリァが化生を宿していないからなのか、という疑問。
彼女がよくて自分がダメな理由というのを、やはり知りたいということらしい。理由があったほうが納得できるという話であり、答えてやりたいところではあるのだが。
「……いや、あのな……ヒューリァ自身にも答えられないことを、お前に言えると思うか?」
〈知りませんよそんなこと~〉
そりゃそうだった。ミリスはこれで何気に、デバガメをしていないのだった。していたらそもそも、ヒューリァが手を付けられていないことに気付いていただろうし。
「別に、お前がダメだっては言ってないんだけどな……」
〈じゃ、じゃぁ~!?〉
「俺自身に、お前がダメだって理由はない。ただ、ヒューリァにしかそういう方面で興味が持てないだけだ。お前、義務で抱かれたいのか?」
せめて誠実なつもりで答える。
〈ぁぅ……確かに~……一番じゃなくてもいいとは思いましたけど~……〉
「まあ、まともな異性が他にいないから、仕方ないんだろうけどな」
トーリがまともにそういう対象となるかといえば、普通は否だろう。
〈……そーゆーこと、言います~?〉
「俺が理由無く異性に好かれるタイプじゃないってのは自覚してるからな」
わずか数年の学生生活だったが、特にモテた憶えのない飛逆は自分をそう思っている。
〈……ぁぅ〉
なぜかミリスは口ごもるように凹んだような声を出した。まあ、お前の恋情は錯覚だと暗に言っているようなもので、それでだろう。
〈で、でもでもぉ~、ヒサカさんにもそれ、言えるんじゃないですか~? 最初に出会ったのがヒューリァさんだったから~って〉
「それが要素の一つってのは否定しないけどな」
先入観というか、第一印象というか、吊り橋効果というか、ハリウッド現象というか、そういうのがあったのは否定の出来ない真実である。
〈……あんなヤンデレがいいと~……〉
「ヤンデレって言う程か?」
確かにそういうことはあったが、逆に言うとあれくらいしかない。
〈ヒサカさんの血をこっそり自分用に確保して愛でるようなヒトですけど~?〉
「――マテ。なんつったお前今?」
ヒューリァをディスるのも、今のミリスなら仕方ないと流していたが、これは流せない情報だった。
〈ですから~、バレてないつもりなんでしょうけど~、ワタシの髪の感覚なら~、ヒサカさんの血が容器から減っていることなんてバレバレなんですよぉ。水分の蒸発とかでは説明できない~、ちょうど試験管一本分ですからね~〉
飛逆が食いついたのを、ヒューリァに幻滅したのだと解釈したらしいミリスは生き生きとそれをバラす。
そういうところどうかと思わないでもないが、飛逆はそんなことが気にならないほど呆気に取られている。
「ミリス……お前、……――いますぐヒューリァを確認しろ!」
どう考えてももう遅い。けれどそう指示することしか飛逆にはできない。
言葉を放ったときにはもう飛逆は階層を降る方向に足を向けている。音を置き去りにする勢いで駆けだした。
〈ぇ、ちょ――どういうことです~?〉
「バカが」
自分でも驚くほど低い声が出た。
「俺の血が危険だって、お前も知ってるだろうが! 思いあまってヒューリァが飲むかもしれないってお前、考えなかったのか!?」
杞憂であればいい。ヒューリァは単純に飛逆の血を自分用に欲しがっただけかもしれない。あるいは研究のために――ミリスに黙っているからにはそれはない。単に所有することだけで満足できるなら、それはただの趣味であって、飛逆は、思うところがないでもないが、気にしないよう努める。
だが、仮に飲んだとしたら?
成分はともかく明らかに違う性質を持つ飛逆の血だ。
飲んで、取り込んで、果たして何も起きないなどということは、ありえるか?
〈え、ぁ、ぁ――ああああ!? ――〉
言われて気付いて、ミリスは咄嗟のことだろうが、接続を絶つ。
ぎりっ、と飛逆の歯が砕けた。血と歯の粉を吐き出しもせずに駆ける。
もう遅い。どう考えても。
思い返せばミリスがあれだけ悶えて騒ぎ、それでヒューリァがその場に駆けつけなかったことから、もうヒューリァが何かに見舞われていることは確定的だ。
やきもきする時間が過ぎていく。
ミリスからの接続は回復しない。
『悪い知らせ』が届いたのは、いちいち一階層ずつ降りずに多少の危険を冒してでも外に出てショートカットすべきだったと、飛逆が気付く前のことだった。
たとえ気付いていても、最早手遅れであったことに変わりはなかったが。
〓〓 † ◇ † 〓〓
かりっ、かりっという音は飛逆が自分の爪を噛む音だ。
飛逆は『悪い知らせ』を受けても千三百階層付近に留まっていた。
今更駆けつけたところで手遅れだからだが、それだけではない。
爪を噛むのは苛立ちのためであり、けれどそのためではない。苛立ちを自覚するためだ。飛逆には元々そんな癖はない。
以前にも、飛逆は焦り、苛立ちの余り判断を何度も間違えた。
感情の動きをある程度制御できる飛逆が、感情が原因で判断を誤るというのは、つまり自身が焦りに捕らわれていることを自覚できていないためだ。爪を噛むという、いかにも苛立ちを表す行動を取ることで自分が焦っているのだと目に見える形にして忘れないようにしている。
爪が割れてだらだらと血が流れる。すぐに修復される。また噛む。血が流れる。考える。
そう、血だ。事の原因と言えるそれ。
そもそも迂闊だった。
危険性を理解しているのなら、自分が不在の間にそれをヒューリァのいるところに置かなければ良かったのだ。あるいは手を出さないように、まかり間違っても飲んだりしないよう厳命すべきだった。
子供じゃあるまいし――そう思わないでもない。
なぜ血を飲むなんて真似をしたのか。
ヒューリァはやらかしたばかりだった。その反省がない――とは思いたくない。
試験管一本分と言っていた。ちょっと舐めてみる、くらいならわかるが、それを空にしていると言うではないか。
(なんらかの確信があった?)
そう考えたい。
血と言えば体液だ。
体液といえば、唾液もその一つだ。
何度それを彼女に飲ませただろうか。よくよく思い返せば飛逆の迂闊はそこから始まっている。なぜ怪物たる自身と交わって、ヒトに影響がないと思い込んでいたのか。考えもしなかったというのが正しいが……。
飛逆の血を飲んでも、少なくとも死なないと彼女が考えるだけの根拠はあった。確信的に比較的多量を飲んだということは、唾液の摂取によりすでになんらかの変化が彼女に起こっていたと見るのが妥当か。それを一気に促進するために、彼女は飛逆の血を飲んだのだ。
まさかヤンデレ故、飛逆の血を自分に取り込みたいなどという妄念に取り憑かれたわけではあるまい。
その可能性が絶無とは言わないが――元々はその可能性からこの事態を察知したわけだが――それなら半分だけなど、保管用を欲しがるものではないだろうか。
この辺りの心理は飛逆には読めない。だが直感的に、そうではないかと思われた。
ひとまずヒューリァが『危険ではない』と確信して飛逆の血を飲んだと仮定してみる。前回の反省があったとも、仮定してみる。
彼女はどう反省したのだろうか。少なくとも誰かと相談するといった方向にその反省は向かわなかったことだけは確かだ。むしろ前回の勝手な実験により、危険がないことを説明しても納得されないことを学習し、誰とも相談しなかった。
飛逆は彼女に「傷ついたり死んだりして欲しくない」と言った。
お人形として護られるだけにならず、そして傷つかず死なないためには強くなる――現在置かれている状況ならば、それを目指すのは決して間違いではない。
些か短絡的にも思えるが、ヒューリァの思考傾向にぴったり合う気がする。何かピースが足りない気もするが、これら要素をすべて統合すると――
「俺と、同種になろうとしている……?」
解が導かれる。
吸血種の血にそんな効能があったかどうかは、飛逆は知らない。けれど、ここ最近の飛逆の自分の把握していない『特異性』を鑑みるに、あり得ない話ではないと思えた。飛逆は血族の深いところを教わる前に、血族が滅びたため、自分について無知なのである。
ヒューリァが今現在どうなっているか、それとも矛盾しない。
ミリスによれば、光る文様が肌を駆け巡り、明らかにヒトの体温ではない高温に包まれているとのこと。発火するほどではないが、高温すぎてミリスの髪はその感知力を発揮できず、詳しい容体はわからないが、苦しんでいる様子は、見られないという。
ただ、意識はまったく戻る様子がない。眠るよりも静かに横になっているそうだ。
「光る文様……それがヒューリァの意図的な……『対策』だったとしたら……」
そう信じたいだけかもしれない。
すべて、根拠というにはあまりにもイメージが入りすぎている。
それに、これはヒューリァの安全を保証する仮説ではない。仮説が正しくとも彼女の根拠が誤りである可能性はかなり残るためだ。飛逆が知らないことをどうして彼女が確信できたのか、そこがわからないのだから、検証しようもない。
これ以上は憶測にしても重ねすぎだ。
一旦思考を打ち切り、切り替える。
今自分は落ち着いているだろうか?
わからない。
だが飛逆は決心した。
「解呪法の確立を急ぐぞ、ミリス」
〈ぇ……〉
気持ちとしては、ヒューリァの傍に行きたい。行くべきだろう。できることがないわけではないのだから。
「もしヒューリァが俺の血で『変質』しようとしているなら、それはつまり怪物化しようとしているってことだ。解毒……解呪、するしかないだろう。このまま目覚めないなら、な……」
自分で言っていて、正気だろうかと疑わしくなる。
正気、ではないのだろう。きっと、元より飛逆は。
飛逆は恐れているのだ。
ヒューリァを喪うことを恐れているのはもちろんだが、『同種と化そうとしているヒューリァを自らが喰わなければならない』というシチュエーションに直面することを恐れている。
なぜなら前例のある【吸血】による解呪という術を、いざとなったら試さなければならない。その『いざ』は飛逆が彼女に手が届く位置に着いたその瞬間だ。
自覚した。
そのシチュエーションは、否応なく兄を喰らった時を思い出す。思い出さざるを得ないに違いない。
兄を喰らったその時の自分を、飛逆は覚えていない。『棚に上げている』。覚えているのは事実だけだ。
なぜ『棚に上げている』のか、その理由を思うと恐くなる。そうするべきだと飛逆は判断した。そうせざるを得ない何かを、飛逆は自己の裡に認めたのだ。
「そのためにはやっぱり、実験体が必要だ。それがあれば今まではできなかった実験ができる。相手は死体だ。遠慮はいらないなら、効率は段違いだろ?」
その死体を見つけ出すまでにどれだけの時間がかかるかを、飛逆はあえて計算に入れなかった。
〈それ、が……ヒサカさ、んの判断、なら……従いま、す……〉
「言いたいことがあるならはっきり言え」
見透かされているわけではないだろうと思いつつも、歯切れの悪いミリスに苛立つ。
〈……責められる、と、思ってたんで、す〉
ヒューリァを止められなかったことを、だろう。
「誰がやらかした直後にまた同じようなことをやらかすって予想する? それができなかったからって責められるか」
この件に関して、前回も、どう考えたってヒューリァが悪い。同時に、彼女は何も悪くない。ただ自己責任の範疇で行ったことだからだ。
けれど圧倒的にヒューリァが悪いのだ。
「むしろ、俺がヒューリァをきちんと言い聞かせることができなかったことを謝らなきゃいけないくらいだ」
保護者を気取るのであれば。
気取りたいわけではないが、それでも。
「ごめんな、ミリス……。なんていうか、このことだけじゃなく、お前をちょっと都合良く扱いすぎた気がすることも含めて、すまんかった」
せめて誠実なつもりで謝罪した。
〈ぅ……っ! ご、め、ごめん、なさい……っ! で、も、ズルい、です……〉
ミリスは「ごめんなさい」と「ズルい」と「ひどい」を繰り返して、泣き続けた。




