49. 珪晶の森
あの神樹は使い魔の一種である――というのがヒューリァの出した推論だった。
言うなればミリス人形と同じだ。本体から離れて動く、手足。
ミリス人形との違いは、ミリスの場合は手足の延長であるのに対して、あの神樹は予めインプットされた命令を自動的に遂行する、意思無き存在であるというところだろう。
原結晶にあの根の切れ端を植えたとき、確かにそれは活動を再開した。けれどその動きには、方向性はあっても、意思は見当たらなかったというのがヒューリァの言だ。
それを最も示唆する証拠は、活動を再開したときその根は、比較的近くで観察していたヒューリァには向かわず、設置された地炎雷――設置型の【轟炎華】の便宜的な呼び方――に向かっていったことだ。
それだけならば、むしろ脅威度を測れるほどに複雑な指令を受けていると判断できるのだが、次にヒューリァが焼き尽くそうと構えた瞬間に、その向きをヒューリァに変えた。
その動きは、夜中に焚かれた火に向かってくる虫のそれと酷似している、とヒューリァは感じたそうだ。それを裏付けるために何度か試行し(三度目にミリスに気付かれたのだとか)、その都度反応が全く変わらなかったことで確信したそうだ。
少なくともこの根は複雑な思考を有さず、虫以上の知性を有する存在と繋がってもいない、という結論だ。どこかと相互に交信していると考えるよりは、独立していると考えた方が据わりが良い。あの神樹本体の狙いが甘かったり無差別だったりしたことも同じ理屈で説明できる。
〈フィードバックがないから複雑な対応はできない代わりに~、ワタシみたいに~……暴走しちゃうってことがない~、って理屈ですか~〉
すなわち飛逆らは、未だに前(々)回勝者であるところの【全型魔生物】との邂逅を果たしていないということだ。
それは仮にあの神樹を倒したとしても、敵性勢力の根絶には至れないということを意味している。
あれ以上の武力の発現が可能だとは思えないものの、だからこそ逆にあの神樹を倒すよりは本体を先に見つけ出し、叩いた方がいい、という結論に至った。
しかし言うまでもないが、それは難しい。塔の外に出た途端に根に感知され、座標を割り出されたらあの種ミサイルが飛んでくるのだろうから、結局真っ向からあの神樹を倒しにかかるしかなくなる。それでは意味がない。何より、本体が別にいるということは、仮に倒せたとしてもその疲れたところを狙われる危険性が高いということだ。どう考えても、迂回するのが一番だ。
ではどうやってあの神樹の感知をかいくぐるかというのが論点となる。
まず、飛逆がそれをするのは不可能だ。というのも、ヒューリァの実験結果からも明らかなように、あの神樹並びにその根などがいかにしてこちらを敵性対象だと判別しているのかといえば、それはどうやら一定以上の【力】を有しているかどうかのようであるからだ。
どのような器官があればそんなものを感知できるのかは不明だ。けれど状況証拠からはそう考えるしかない。トップランカーがその対象とされたのも、【能力結晶】を肉体や影にインジェクトしていて、更には効果付加状態のオリハルコン装備に包まれていたためだろう。
内包する【力】の量でいえば問答無用で飛逆がトップであり、しかも飛逆にはそれを隠す技術の持ち合わせがない。出力方向に操作することを最近覚えたばかりなのだ。未だに自己の裡の【力】を掌握どころか、明確に把握していないこの状態では、隠蔽を覚えるのは難しい。
人捜しならば本来、ミリスの出番だが、彼女はまず自衛ができないし、そもそも能力を封じた状態では笑えるほど何もできない。
ヒューリァは転移門を開くこと(撤退)ができないので、元々選択肢に挙がらない。
必然、モモコに白羽の矢が立つ。
彼女なら自衛ができるし、戦略的撤退もできる。どこまで通用するかはわからないが、飛逆にさえ感知できない気配遮断のスキルならあるいは、という見込みもある。
「ウチ、にゃ?」
どういうわけか自分が役目を負わされると思っていなかったらしいモモコはきょとんとして自分を指差した。
〓〓 † ◇ † 〓〓
「わたくしの見えているモノが知りたい、ですの?」
再訪した飛逆が言うのをオウム返しにして、ゾッラはきょとんと首を傾げる。
「ああ、君の視覚のことを知りたいって言ってるわけじゃない。君がどこまで何を感覚しているのか、ちょっと傍証を取りたいってことでな」
「天使様が思うところを確かめてみたい、ということですの?」
よくわかりませんけれど、とゾッラは首を傾げたまま「もちろん構いませんの」と飛逆の質問を待った。
「じゃあ、まず……俺を君が『天使』だと認識しているのは、何を以ってそう判断しているんだ? 言葉にするのは難しいと思うんだが、なるべく詳しいところを知りたい」
「お答えしたいのですけれど……わたくしの知る言葉では、【これ(クオリア)】を言い表すことができませんの」
申し訳なさそうに顔を伏せる。
「わたくしは色を知りませんけれど、色を言い当てることができますの」
ゾッラは生まれつき目が見えないために、手で触れて形を知り、その感触で物体を判別はできるが、その色はわからない。しかし、その総合的な質感から、その物体の『色』を言い当てることができる感覚を持っている。そのために、目が見える人と同じ、物体の色を区分することはできる。
「でも、わたくしの中に確かにある『色』を、他の方々に伝える言葉は、ないのですの」
その色の言葉を作ったのは目が見える人であるためだ。
「まあ、そうだろうな」
承知の上だ。
「でも、君は『天使』と外にいるアレとを峻別できるんだろ?」
「できますの。何が違うのかとお答えすることはできませんけれど」
その区別ができるということは、
「つまり、君はおそらく『転移門を開く能力の有無』で区別しているって考えで間違っていないはずだ」
ゾッラは首を傾げて理解不能を示すが、元々これは飛逆の独り合点だ。
「翻すに、君はヒトの身でありながら、俺よりもそういった【力】の感知に優れているってことになる」
ゾッラは、塔と【全型魔生物】との繋がり(リンク)……あるいは経路を感知している可能性が高い。 それが何を意味するかと言えば、ゾッラのその感覚を活かせば解呪法研究をより進めることができる可能性があるというのもあるが……今焦点となるのは、
「ちなみにさっきからノムの斜め後ろにモモコがいるんだが、気付いていたか?」
「……?」
飛逆の目には見えている。けれどゾッラは、指摘されても、モモコを認識することはおろか、そもそも何を言われているのか理解できないようだった。
やや遅れてノムが飛逆の言葉に反応してそろりと後ろを見て、モモコを視認し、その反応を感知したゾッラはようやく自分が『モモコを認識できていない』という事態に気付いた。
「ヒィ――くぅ!」
途端に、ゾッラは取り乱す。行きすぎたしゃっくりみたいに喉を引きつらせ、何かを探すように身体全体が揺れて、それでも『何か』を見つけられずに寄る辺を失い、平衡感覚を失って突然に横倒しに――
飛逆は冷静に、丁寧に当て身を入れて意識を奪いつつ、倒れ込むゾッラの身体を受け止める。
「悪いな。ちょっとは予想してたが……」
駆け寄ってきていたノムに謝罪しつつ、ゾッラの身柄を彼女に渡す。
ゾッラは見えている人よりも周囲を強く認識している。そのため『空白』というものが普通以上に未知であり、恐怖なのだ。まさしく奈落に落ちたような心地になるのだろう。元々際だったバランスで心の平衡を保っているゾッラが、簡単に転げ落ちてしまうというのは、ある程度の予測ができていた。だから有用であろうとわかっていながら解呪法研究に協力させていなかったのだが。
心なし恨みがましい視線をノムから浴びるが、飛逆はむしろそれをノムにとって良い傾向として頷いて返す。
するとすぐに視線は伏せられた。無言はもちろん無表情でゾッラを寝所に運んでいく。
「け、結局どういうことだったのにゃ……? っていうかちょっぴり以上に、割と傷ついたにゃ……」
飛逆に言われるがままに気配遮断をしてノムの後ろにいたモモコは凹んでいた。
「簡単な話だ。ゾッラに認識できないってことは、外のアレにも認識されないって保証が一つ付いたってことだ」
少なくとも『塔との繋がり』などさえもモモコの気配遮断は隠蔽するということが、これによって確かめられたわけだ。
「そ、それ確かめるの、ヒューリァのやった実験を繰り返すのじゃダメだったのにゃ?」
「んな危険なこと何度もやってられるか」
モモコの言うとおり、また根の切れ端を原結晶に植えてモモコに襲いかかるかどうかを実験してみれば、確かにそちらのほうが確度も高い保証が得られただろう。
ただし、言ったように何度もやる実験ではない。ヒューリァが想像している以上に、おそらく危険を伴う。万が一気付かれないところに根を張られていたら、塔の壁などから養分を得てこっそり育ったそれによって、寝首を搔かれることだってありえるのだ。
「それに、こっちのことも確かめようと思ってたんだ。いい機会だったってことだな」
「相変わらず……さりげなく外道だにゃぁ……」
ゾッラの感知力の程度を測る理由が、まさに根が張っていないかどうかを後で彼女に確かめさせるためだったと知れば、モモコの悪態は「外道」で済んだかどうか。
何にせよ、こうしてモモコの進退の外堀を着々と埋めていく飛逆である。
モモコはどうしてか、塔の外のアレの本体を捜すことに乗り気ではないのだ。いや、捜すこと自体は賛意を示しているものの、自分が捜すことにはなぜか及び腰だ。
まあ理由は、必然的にモモコが単独で行動することになるわけで、彼女が不在の間にトーリがどうなるのかが不安だとか、そういったことなのだろうが。
(というかもう面倒だから殺しちゃいたいな……)
本音はこうなのである。だからトーリを立ち直らせるとか、そういった案は棄却される。彼に対して自制する理由が着々と失われている現在、下手に関わるとうっかり殺してしまいかねない。彼のことが好きでも嫌いでもないからこそ、義務的に関わらなければならないという状況そのものにストレスを覚えてしまうのだ。
自覚しているが、飛逆はどんどん箍が外れてきている。自制を自分に期待できなかった。
だからモモコに、彼女にしかできない、そして彼女ならできるということを突きつけて、やらざるを得ないと思わせるようにしているのだ。
ただ、あまり成果は芳しくない。
相変わらずモモコからはやりたくないという雰囲気がありありと醸し出されている。
「何が不満……いや、不安なんだ? 君は別に戦わなきゃいけないわけでもないし、いざとなったら転移門出して逃げればいいだけだ」
面倒になった飛逆は結局、直裁に問い質す。
「うにゃ……やらない、とは言ってないにゃ……けどにゃ?」
「けど?」
続く言葉への反論を用意しつつ促すが、モモコはやや逡巡し、観念したように、
「独りじゃ、不安にゃ……」
トーリのことが心配だ、と続くかと思った飛逆はやや意表を衝かれた。
「ヒサカのことだから、ウチが気にすることは、多分取り除いてくれると思うのにゃ。トーリのこととか……」
だからそこに対する不安はない、と言外に言う。
「ウチは、まあ自分が傷つく……肉体的な話にゃ? それはあんまり怖くないのにゃ。けど、こんな重いこと、ウチにちゃんとできるかどうかわかんにゃいのにゃ。できないだけならともかく……」
「他人任せにするんだ。君のせいでより悪いことになっても、少なくとも俺は責めないぞ」
というか飛逆は責められない。基本的に飛逆がこれまで実行したことで状況が劇的に改善したことは一度もないし、むしろ今回の事態に至っては飛逆が原因と言ってもいいくらいだ。
遅かれ早かれ彼の存在と対立することにはなっていただろうと判明し、むしろ事前にそれを察知できたから結果的にはよかったことになった。しかしそれはやはり結果論でしかなく、飛逆の行動と判断はこれまで、正解は一つとしてないのだ。
「ミリスは何か言うかも知れないが、アイツはただ無神経なだけ……というかそういう性格なだけで、中傷のつもりがないんだろうな、多分」
「それも、わかるにゃ……でもちょっと違うにゃ」
ゆるゆると首を横に振る。
「誰にどう思われるかが怖いわけじゃ、ないのにゃ。ウチのせいで何かが壊れたりするのが、怖いだけなのにゃ」
「その割にはヒューリァを殺そうとしたり、変なことするよな?」
飛逆も、自分の意図しないことで何かを傷つけたりすることを嫌うところがあるので、言っていることはわかるが、彼女の行動は理解不能だった。率直に疑問が零れる。
「そういうことにゃ。ウチは、自分から、自分だけで何かしようとするといつも何かを間違えてしまうのにゃ。誰かのため……何かのため、ってやると、特に、にゃ」
蒸し返したことに傷つくかと思いきや、モモコはとっくに何かに傷ついていた。
「なんか、そう聞くと確かに君に任せるのは不安になってくるな」
前世界で言われるフラグが立ったような気がして、飛逆も若干不安を覚えた。
この作戦の性質上、モモコは本当に単独で行動しなければならない。ミリスとのリンクを繋ぐこともできないのだ。原結晶を用いる必要があるため、そもそもそれの携行ができない。使用しなければ察知されない可能性もあるが、わざわざリスクを冒すこともないだろう。
よって、進捗はどうなのかということもわからず、こちらもやきもきするわけで、できれば自分が行きたいというのは飛逆も思うところなのだ。
(いっそ喰っちまうか?)
初めからそのことを考えなかったわけではない。喰らうことによるリスクはあるが、ヒューリァのときと違い、飛逆も準備ができるので、浸食されるリスクはかなり軽減できる。
モモコの気配遮断はどう考えても彼女に憑くソレによる特殊能力であり、喰らえば飛逆がその能力を獲得することができるだろう。
ただ、気配遮断は自力で覚えることができる気がするのだ。
いかに浸食されるリスクが低いといっても、その掌握に時間がかからないわけではないし、これ以上の負荷を抱え込むくらいなら自力で覚えることを優先した方がいいと判断して見送ってきた。
つまりモモコに今行かせたいのは、ただ時間だけの問題なのだ。
では早くすることのメリットは何かというと、あの神樹の本体の持つ知識が得られると、解呪法を初めとした研究が大幅に進むことが挙げられる。
もちろん外に出ることができない現状が不便だというのもあるので、できるだけ早急に取り除きたいというのもある。ただ、それと関連して、『閉じ込められている』という状態がよろしくない。自ら閉じこもるのと閉じ込められるのとでは、現象は同じでも心理的圧迫が違う。気付かない内に気持ちが鬱屈してしまうかもしれない。まあ、簡単に言うとやられっぱなしはつまらないという話なのだが。向こうのペースであるのが気に入らないのだ。
「俺からは、今手を打っといたほうが後になって問題が追加されるよりマシだろう、ってことしか言えないな」
実行するように促しはするが、強制という形式にはしたくない飛逆はこう言うしかない。
「その問題が、あっちから来るのか、それともこっちで発生するのかは、正直わからんが」
いずれにせよ、時間の問題だ。
迷うように、弱々しくかぶりを振りながらモモコは、
「やる、けどにゃ。ただ、期待はしないでほしいってことにゃ」
「成果を期待しないで送り出すとか、そっちのほうが難易度高いぞ」
飛逆は無為を嫌う。顔をしかめた。
「にゃら言い方変えるにゃ。ウチのせいで、何かが起こるかもしれないことを、織り込んでおいてほしいにゃ」
「なるほど、それなら」
初めから他に何も手を打たないつもりはなかったので、同じ事だった。
〓〓 † ◇ † 〓〓
――そんなわけで、飛逆は転移門を潜り、独り森の中に降り立った。
ヒューリァは連れてきていない。仕方のないことだ。飛逆が全力を出すためには、誰であろうと足手まといでしかないのだから。
飛逆はこれより、全力で囮を演じる。
神樹が感知しているのが【力】であるとしたら、転移門を潜る時にはどうしてもその【力】が動く。モモコが一切の気配を絶って潜伏しようとしても、出端を察知されてはまずそこに持って行けない。
だから囮なのだ。露払いも兼ねている。
降り立つや、飛逆は囲まれていた。
例の触手かと思いきや、少々それとは趣が違い、飛逆を囲んでいるのは動く、メタリックな光沢のある木々だった。
少し意表を衝かれた飛逆は、その木々に先手を許してしまう。
だが反応速度で飛逆は人後に落ちない。すぐさま震脚で、その撓る枝から伸ばされた、四方からの蔦や葉による攻撃を弾き返す。
「――眷属の眷属ってとこか?」
あの種ミサイルが怪しい。あれは攻撃であると同時に、運搬の役目を担っていたのではないだろうか。成長速度が異常なのはもう今更だが、おそらく元からあった木々を宿り木にしているのだ。散らばっているはずの倒木がまるで見当たらないことからその推測が得られる。
種ミサイルが複数着弾し、地形が変わっていたはずなのだが、そこは相変わらず木々の満ちる森だった。遠目からでは地形が変わっていることを、以前を知らなければわからないことになっているだろう。
ただし、その森を構成する木々は、見える範囲だけでも六割以上がメタリックなそれになっていて、どこもかしこもモンスターという塩梅になっている。
不幸中の幸いを挙げるなら、それらはしっかり根付いていて、動くと言っても枝葉だけであるようなところだ。
しかし枝葉が動くというのも、これだけの量の木々がやるととんでもない。
というのも、それらの枝葉は一枚一枚が鋭利な刃物であり、そんなものをほぼ無尽蔵に飛ばしてくるのだ。そんな葉が付いた枝は釘バットよりもタチが悪い。直撃すれば、何が死因かわからない状態にされてしまうだろう。蔓や蔦は鞭や鋼糸のようなものだ。
それらを、右腕での地面に向けての浸透勁で半径百メートルほどの空間(地面含む)を爆砕して範囲内のすべてを蒸発させ、字義通り根絶やしにする。
「こりゃあ、この森全部を丸裸にしないとダメかな」
上昇気流に乗ってホバリングしながら(マグマに浸るのはさすがに嫌だった)吐いたその言葉は、熱で歪んで誰にも届くことはなかった。




