48. 言葉なんて飾りです。エロいヒトには(ry
少し冷静になって考えれば、前兆はあったのだろう。
というか実際、ヒューリァとは一体どういう関係なのだろう。
飛逆はそれを定義していなかった自分に気付いた。定義というと即物的な感じがするので、言い方を変えると、お互いをどういう存在だと認識しているかということだ。たとえば恋人だとしても、その内約は様々だ。
ヒューリァから好意を寄せられていたという前提が、飛逆の中にはあった。それに応えたという立場だと飛逆は認識していたわけだが、だからといって飛逆の立場が上だと思っていたわけではない。
飛逆のほうが頑丈で力も強いというのは、ただの事実だ。それを笠に着て強権を振りかざしたつもりはないが、結果的にそうなっている感は否めない。
それは飛逆が反省すべきところだ。
けれど、ヒューリァは本当に、頭ごなしに叱られた事へ反発したのだろうか。
もっと根本的なところで齟齬があるように、飛逆には思えた。
何にしても追わないという選択肢はない。我に返った飛逆はすぐさま彼女の後を追った。
どれだけ飛逆に長い逡巡があったとしても、ヒトであるヒューリァの足ではそう遠くへは――転移門を潜るほどには時間がなかったはずであり、一応念のために要害の上から見渡して、やはりヒューリァがいないことを確認する。どう試算しても、どこかに隠れるのが精一杯の時間しかない。それはたとえば『運動能力強化』をしていてもだ。
自殺行為に出るまでには、理性を失ってはいなかったらしい。ほっとしながら振り返って、さてどこにいるのだろうと考える。
隠れられる場所は、そう多くない。無事な仮設住宅は数えるほどしか残っていないし、時間的に考えても相当絞られる。ゾッラたちやトーリのいる仮設住宅も、一応除外したら、もう二つしか残っていなかった。
(またか……)
つくづくヒューリァは隠れんぼが好きだ。いや、好きでやっているわけではないのだろうが、遠・中距離型の習性だろうか。何かあると一旦離れて仕切り直しを図ろうとするのだ。
本気で飛逆から逃げよう、隠れようと思っているのなら、転移門を潜るのが一番だ。百階層辺りなら、時間は掛かるが脅威に晒されることなく行き来できる。ヒューリァがそれを狙っているのであれば、二百階層へ繋がる転移門への通路に近い、一軒しか残っていない。
(そこにいるとしたら、相変わらず変に頭が回るよな……)
時々、あの娘の頭の中身が不思議でならなくなる。どう考えてもその行動は冷静から離れたところから始まっているのに、行動の内容は常に的確というか、最善を選び取る。最善というと言い過ぎで、ベストというよりベターなわけだが。
何にしてもヒューリァならそこにいると確信できてしまった。それで裏を搔かれてもリカバリは可能だというところが、ベターな選択と呼ぶしかない理由である。
一足で跳べない距離ではなかったが、なるべく死角を出さないように高いところを渡って、あえて大回りに近づく。
そうしたら、見つけた。ヒューリァは、その建物の中ではなく、そのすぐ傍の瓦礫の影で蹲っていた。
飛逆があの要害から見渡すことを想定していなければ、隠れることができない位置だった。
「……なんだかな」
本当に、不思議だ。常に彼女は飛逆の想定の斜め上か下か、あるいは向かい側にいる。
彼女とのそれと、一致することがない。記憶を探るに、合意はあっても、合致はなかった。
けれどそれは逆説的に、彼女が常に飛逆のことを考えていることの証拠だろうと、飛逆は思う。行動を共にして積極的に観察する機会をこれだけ多くしていて、悉くがズレるなど、ただの偶然ではありえないのだ。
かといってヒューリァが意識的に飛逆の思惑や想定を外れているとは思えない。負け惜しみではなく、きっと、飛逆は自ら、その想定を外しているというところがあるに違いないからだ。
きっと、飛逆はヒューリァを一から十まで理解できない。否、したくないのだ。おそらくヒューリァがそうであるように。
そして互いが、互いに完全に理解されたくないと思っている。きっと無意識下で。
理解を終えたら、そこで関係も終わってしまうという、そんな予感がしているのかもしれない。怯えているのだ。
ヒューリァは、以前の世界に執着がないことを、間接的ながら認めた。それは同時に、自分だけで完結できる性質を、少なくともその素養を持っていることを、認めたということだ。更にはそんな己を嫌っていることもまた、認識してしまっただろう。間接的であるということは、できればそんな己を認めたくなかったということなのだから。
自分から世界に見切りを付けた、と言えば格好は付くが、要は飛逆たちはその世界で生きることに行き詰まってしまったのだ。
上手く生きることができなかったわけではない。少なくとも飛逆は、そうだった。
ただ――生に執着する理由はあっても、それ以外のすべてが欠けていた。
理由しかなくて、そこに気持ちはなかった。
有り体に言えば、空虚だった。
ヒューリァは飛逆に気付かれていることに気付いているだろうに、顔を伏せたまま身動きしない。
床に降りて、飛逆は彼女に近づく。
「ごめんなさい」
顔を上げずにヒューリァは、謝罪を口にする。
何に対するそれなのかを問い返そうかと思ったが、何も言えずに溜息が出た。
そのまま無言でヒューリァのすぐ隣に腰掛ける。
避けられることを覚悟していたが、ヒューリァは動かなかった。
「別に、君が悪いことしたわけじゃない」
そう、別に悪いことをしたわけではないのだ。ヒューリァが何を考えて、どうしようが、その結果を彼女だけが負うのであれば、何も悪いことはない。
「けど、君が俺に……どう言えばいいのかわからないが……してくれたこと? そういったことが、君自身によって否定されている気がするんだ」
ヒューリァが、飛逆の『生きる理由』を作ろうとしたこと、そのこととヒューリァが自身を顧みないことをするのは、矛盾している。飛逆がそうあるべきだと言うのなら、飛逆だってヒューリァにそうあってほしいのだ。
彼女が愚かであれば、あるいは見逃しただろう。けれど彼女は賢く、自分が何をやっているのか、その結果がどうなるのか想像できる。それなのに、彼女は自分の安全に対して無頓着なのだ。時として、飛逆がそうだったように、死にたいのかと思えるような、そんな無頓着さだ。そのことが、飛逆には許し難い。
そのことをきちんと伝えられたかどうかはわからないが、ヒューリァはややあって、横目に飛逆を見上げてぽつりと、
「わたし……ひさかのために何か、できたこと、ある?」
「――」
ここで、『俺は君のために生きる、その動機をもらった』みたいなことをすぐさま言えたなら、あるいはヒューリァの葛藤など無くせたかもしれない。
けれど言えなかった。
どうして、ということを伝えられる言葉を、飛逆は持っていないからだ。
なにせ先述の言葉を言えば、飛逆はヒューリァに『何もできなくても、君がいるだけでいい』なんてことを言ったも同然になる。彼女に、お人形になってくれ、なんてこと、飛逆には口が裂けても言えない。
彼女のおかげで飛逆は彼女と共に生きる覚悟を決めた。けれど、どうしてそうなったのか、伝えられない飛逆では、彼女が何かを達成できたのだと肯定できない。
彼女が自己を肯定できる理由を与えられない。
(それが、根本的な食い違い、か……)
飛逆は彼女にそれをもらったのに。自己肯定とは、少々趣が違うが。
(わかったところで……俺がヒューリァに『達成できる』役割を与えたんじゃ、結局同じことになるんだろうし……難しいな)
ヒューリァの根本が『飛逆のために』である以上、どんな役割を与えたところで必ず同じことを彼女はする。もちろん今回のことがあったから、多少は自重するだろう。けれどそうすると今度は、不満が募る。結果、暴走する。きっとその繰り返しだ。
「……このタイミングで言うと、何かを誤魔化していると思われる気がするけど……ヒューリァ、俺は君が好きだよ。きっと、愛しているって言葉のほうが適切だろうな」
「すごい」唐突な飛逆の告白に、ヒューリァは思わずといったように瞠目して「前置きしてるのに、誤魔化されているようにしか聞こえない……」
「だよな。でも多分、いつ言っても君はそうとしか聞こえないんじゃないかって、俺は思ってるんだ」
「そんなこと……」
「『飛逆は何を言えばどうなるのか常に考えている』……君は俺をそういうふうに思っているんじゃないか?」
「……」図星だったのか、遮った否定の言葉は続かなかった。
「俺が大抵の場合計算ありきで喋っているのは事実だ。言葉だけじゃない。それを含む行動もそうだ。そんな俺の言葉を、仮にその内容が本当のことだと信じたとしても、俺のことをよく見ている君は納得できない。どこか誤魔化されている気がしてしまうんじゃないか?」
今がまさにその実践だった。
「……」
「悪循環だよな。俺はそれを自覚しているから、君に率直な言葉で伝えられない。言っても伝えられる気がしない。だから小細工してしまう。すると余計に君は納得できないんだ。きっと直に、信じることさえできなくなる」
「うん……」
その首肯は、信じていないことへのそれか、あるいは単に理解したためか、飛逆には判別できない。
「だからさっきの疑問に、俺が答えることはできないんだ」
「ふふ」
堪えられないというように、ヒューリァは笑みを零した。
さもありなん。彼女が納得できない理由を語りながら、同じ方法で彼女に納得させようとしているのだから。
一頻りクスクスと笑った後、ヒューリァは思い立ったように面を上げて、こてりと飛逆の肩に頭を預けてきた。
「……わたしも何もしないほうが、ひさかは信じられる?」
何をと言わず、ヒューリァは問う。
「俺は、君に傷ついたり、死んだりしてほしくないだけだ。何もしてほしくないわけじゃない」
お人形になんてなってほしくはない。でなくばどうしてヒューリァのために街作りをしようなどと思うものかという話である――それをヒューリァには言っていないわけだが。
「そっか。うん……わかんないけど、わかったような気がする」
余人からすれば支離滅裂にも程があっただろう会話は、けれど成立していた。
でもね――
囁くように、ヒューリァは続けた。
くるりと身体を入れ替えて、飛逆の両肩を押さえて上から顔を覗き込むようにしてから。
「わたしは、ひさかに傷つけて欲しいんだよ」
不可解――でもない望みを言いながら、ヒューリァはそっと飛逆の唇に口付ける。何度もしたけれど、それらとはどこか違った。
なんとなく悲しい味がしたのだ。




