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46. 縁側にて




 ゾッラの部屋を辞したその足でモモコのところへ向かう。


 本当に気休めでしかない要害の上に一足で飛び乗って、モモコを足下に見た。


 彼女は無反応だ。


(まるで年老いた猫だな)


 飼い猫は死に際を飼い主に見せないという話を思い出した。単に体調不良から外敵の目に付かない場所へ移動し、そのまま死んでいるというだけの話なのだろうが。


 今のモモコはふらっとどこかへ行ってそのまま戻ってこなさそうな雰囲気があった。


 話しかける端緒を見つけられず、飛逆はそのまま腰を落としてあぐらを搔いた。


 よくよく考えれば今のモモコは、音を捉えていてもその意味を理解することができない。なぜなら【言語基質体】の効果が切れているはずだからだ。


(つーか、思えば歪だよな……)


 こんな、はっきり言えば得体の知れない代物に頼らなければコミュニケーションが成り立たないというこの状況も歪なら、それでお互いを知ることができているという錯覚を抱くことも歪だ。


 言葉が通じないのなら、それをどうにかしようと努力して、言葉が通じる以上の関係が築けたかも知れない。言葉が通じようとも誤解は生じるし、完全なる意思疎通などありえない。それならば、言葉を含むなにがしかを「知ろう」とする積極性が失われるこの【能力結晶】は、実は結構な毒なのではないだろうか。


 下手に言葉を交わしたことがあるせいで、飛逆はモモコのことを大きく誤解していたという部分がなかっただろうか。


 モモコにもそれはなかっただろうか。


 まあ、ヒューリァへのそれと違い、そもそも飛逆がモモコの抱える背景にさほど興味がなかったというのが最大の原因であって、【言語基質体】の存在に責任を転嫁するのもどうかという話ではあるのだが。


 わかったつもりになっていた、というのもやはり原因の一つではあるのだ。トーリに指摘したそれだ。要は先入観であり、思い込みであり、それ以上の思考を停止する類の毒。


 モモコほどの力があれば、当時、言葉が通じなければ否応なく意識せざるを得なかったはずだ。当時の飛逆は弱く、相手のことを具に観察しなければ勝機を見いだせなかったためだ。


 言葉を交わしたために、飛逆はこのモモコという怪物は、全面的には信頼できずともそこまで警戒の必要はないと判断した。故に戦闘分野に関わる部分にしかフォーカスを当てず、深い話をしたようで実際は浅いところしか見ていなかったのだ。


 だからといって今更、言葉ではないところでのコミュニケーションを図ろうと思うほどには、やはりモモコへの興味がない。


 剣鬼のときの反省もあって、常に二つ以上を別々に常備するようにしている【言語基質体】をモモコの目の前に転がした。


 気怠そうに面を上げたモモコは上目遣いに飛逆を見やり、溜息を吐いてから【言語基質体】をインジェクトする。


「何かウチにしてほしいことでもあるのかにゃ?」


 明後日の方向に視線を戻して、諦念の滲んだ声を出す。言われたことならなんでもやるぞ、けど自発的に何かする気はないぞ、と。そんな言外の意図が聞こえる声だった。


「正直、俺が君に何か要望があるってことはないんだが……」


「にゃは。ミリスあたりにでも何か言われたってところかにゃ」


 可笑しそうに笑うが、力はない。


「そうだな。でもたった今、俺自身に聞きたいことができた」


「何かにゃ?」


「君がそれほどに俺がやらかしたことが、いわゆる『悪いこと』だって思ってるってことに違和感があるんだ。なあ、塔下街の連中を殺戮したことは、そんなに君の倫理観に引っかかることだったのか?」


 その原因だと錯覚したヒューリァを殺害しなければならないと思い込むほどに?


 それが飛逆が納得できない最大の理由だった。


「……」


「結果的に、トーリの親をおそらく殺したことに関しては、君への配慮が足りなかったとは思うんだが、そういうことじゃないんだろ、結局は。この思考回路……トーリへの配慮ではなく、あくまでも君への配慮っていう考え方自体が危険だって君は思った。違うか?」


 延いては、怪物=飛逆にとっての身内のことしか配慮の必要を覚えない飛逆の思考が、モモコにとっての『悪』だった。


「……ウチもトーリと同じだにゃあ……。ヒサカのことがわかんないにゃ。なんでそういうことを見抜けるのに、ってどうしても思っちゃうのにゃ」


「なるほど……。つまりは俺に恐怖したのか。その原因がヒューリァだと思い込んだ。逃避したんだな。ヒューリァはいいとばっちりだ。……悪いことしたな」


 母親の心理、という比喩が、ようやく胸に落ちた。


 母親が子供に原因を求めず、他者に押しつけようとする場合とは、自分の子供のことがわからないときだ。母親にとって腹を痛めて血を分けた自身の子供のことがわからないのは、恐怖以外の何物でもない。その恐怖自体を認めたくないために、他所に逃避するのだ。


 モモコは母親ではない。けれど、彼女と飛逆は、怪物であるという点で共感可能の部分が大きく、またそれを会話で確かめてもいる。


 母親は子供を自己の分身だと思ってしまう所以がある。このため自分、あるいは分身であるほど近い存在がわからないことに、自己に対する恐怖心を煽られるのだ。


 自分に近いと思った存在がわからないときに抱く恐怖とは、自己不信の表れでもあると言える。


 自信喪失していたところに飛逆のことがわからなくなる=自己不信を助長するようなことが続いたために、モモコはパニックに陥っていたわけだ。


 ようやく、腑に落ちた。


 何かズレているような気がしないでもないのだが、飛逆に理解のできる範囲だとこれが限界だった。


 モモコはそんな飛逆に「にゃはは」と笑いかけるが、どうにも乾いていた。


 もうそれでいいよと諦めるように。


「それはさておき」


 納得してしまった飛逆は最早頓着しない。納得とはある種の思考停止であるということを先ほど思考したばかりだというのに。


「実際問題、これからどうするつもりだ? トーリとか自棄になって独りで外か、塔の上とかを目指しそうだし……ってああ、君がここにいるのはそれを防ぐためか」


 トーリはヒキコモリになっているので、彼の存在の記号的な意味以外が頭から消えていた飛逆である。モモコがこんな気休め要害(展望台)の上にいる理由を今の今まで考えもしていなかった。


「モモコもブレないよな。正直、今を以ってもトーリの何をそんなに気に入っているんだか、理解できないんだが」


 それぞれのことだと思って、初回以外は突っ込まなかった飛逆の正直な感想だった。


「トーリのことを聞くにゃら……ヒサカにとってゾッラたちは何にゃ?」


「少しは興味深い存在だな。他にやることがなければもう少し交流を持ってみたいところだ」


 先ほども期待していなかったのに予想外の収穫があった。


「……」


 意地の悪い質問のつもりだったのか、モモコはあっさり答える飛逆にやや面食らったように一瞬沈黙する。


「それは結局、『能力』があるからってことにゃ?」 


「それもあるが……トーリがもう少し壊れてたら、少しは興味を持てたんだけどな。あいつはただズレているだけだから、つまらない」


「壊れていたら……にゃ? もうちょっと具体的に聞きたいにゃ」


「ん~……」


 これを話してもいいものかと、飛逆は少し迷った。


 ただ、どうせこういうことはヒューリァには話せない。彼女は飛逆の言動を深読みしすぎているのかなんなのか、大抵が予想外で斜め上方向に受け取ってしまう。それはそれで彼女の面白いところだと思ってはいるが、事と次第による。これは話せない類の話だ。


 ある意味「どうでもいい」存在であるモモコならば、まあ話しても良いかと飛逆は口を開いた。


「モモコがどう思っているか知らないが、俺は俺の精神構造が壊れていることをそれなりに自覚しているんだ。それなりって言うのは、原因を記憶していて、こうなることが必然的であることを理解しているって意味で、具体的に何がって問われると答えられないわけだが」


 たとえば、どうしても無辜の人々を殺戮することにまったく抵抗がないことだとか、それが原因で不和が生じても、それが直接の原因だとはどうしても納得できないところだとか、そういう『壊れ方』をしていることを、飛逆は自覚している。


「たとえばゾッラなんかは、明らかに薬物なんかで壊されているところがあるよな。ノムはおそらく過度の矯正と虐待による壊れ方だ。それ、全部俺に当て嵌まるんだ」


 自らが壊れている原因に特別の感慨を抱かないという、そこが最も顕著に表れている『壊れた精神構造』であろう。


「薬物は当然、それによって引き起こされたトランス状態での刷り込み、肉体への過負荷にそれに伴う条件付け……まあこれは序の口なんだが、最終的にはそれら積み上げた条件付けを破らせることによる意識の階層破壊とか、まあ一言で説明するのは中々骨が折れるんだが、そういったこと、俺はされてきたし、してきた。っていうのは、どこまでが自分の意志なのかわからないってことでな。全部洗脳のせいにできるんだろうけど、そういう仕組みが自分の中に備わっていることを否応なく自覚させられてきたわけで、むしろそこに自分の意志がなかったと言うのには抵抗がある。多分、モモコが想像するよりずっと、俺はヒトを喰らってきたよ。そうしないと身体が保たなかったからな。動植物からも喰らえるんだが、量って言うより質が合わないのか、気分が悪くなる割に碌に回復しないからヒトを喰らうしなかったんだ」


 その点、クリーチャーは無味無臭とでも言うか、殆ど喰らっているという感覚もないので楽である。


「さすがに最初の頃は抵抗あったんだが、まあすぐに慣れた。慣れたっていうより、どうでもよくなった。ただ、仕方のないことだって思い込むことはなかったな。自分が生きるためとかそういうんじゃなく……なんて言えばいいのか、そもそもそういう荒行を叩き込まれるときにはとっくに倫理観ってものは潰れていたんだろう。抵抗があったのは、他人の魂ないしはその欠片を自分に取り込むことへの拒否感、嫌悪感ってやつで、それも大したものじゃないってわかったらどうでもよくなった。多分、『普通の人間』の存在が本当にどうでもいいものだって思考回路ができたのはこの頃なんだろうな。その思考回路に名前を付けることさえ、たった今まで思いつきもしなかったくらいだし、強いて言うなら『状況』とか『環境』のカテゴリか?」


 意識の階層を破壊した後でも、正方向にせよ負方向にせよ、大事なことは棚に上げている。人間に対するそれは、棚のどこにも入っていない。よほど深いところに根付いているのか、あるいはそんな思考回路とも呼べないほどに小さいのか……飛逆はどうでもいいのであえて探したりはしない。


「もう、いいにゃ……」


 気分が悪い、というようにモモコは首を振って獣耳をぱたりと閉じる。


「ん? まだ全然序盤なんだが……」


 まだモモコの質問に対する答えに入っておらず、その前提条件を並べているだけだったのだが。


 前振りが長すぎたか、と、何をどこまで話すかを喋りながら考えていた飛逆は反省する。


「充分にゃ」


「まあ、君がいいって言うならいいんだけど」


 消化不良の感があるのは否めなかった。


「すっ飛ばして結論だけ言うなら、俺や兄上と相同の部分が僅かなりともあるゾッラたちが、俺にとって無為な連中に好き勝手されるのはあんまり面白い事じゃないって感情はある。その感情が、火山作ったりしたことにまったく影響してないってことはない。だから結果的に拾ってしまった手前、そこそこ気に掛けたい、って感じだ」


 プライオリティでは決して高いところには置けないが、余裕があれば気を回すくらいはしたいところだ。


 他にも色々とあるのだが、並べ切れた前提だとこの結論が限度だった。


 モモコは悲しそうなのか憐れんでいるのか、よくわからない視線を横目で寄越して、ぺたんと床に顎を落とす。


「ヒサカは……そうやって自分たちに似たヒトばっかりを集めるつもりなのかにゃ、この先……?」


「そもそもそんなに割合が大きくないだろうし、母数集団の数が激減どころか全滅しそうな現状だが、最初からそんなつもりはないぞ」


 ゾッラたちの出自や境遇など、気にするべき状況でなければわざわざ見抜いたりなどしなかった。たまたまそういう成り行きだったというだけの話だ。


「ウチは……やっぱり寂しいのにゃぁ……。この世界に飛ばされてくる前とウチ、何にも変わらない。ウチは、そのどうでもいいってヒサカが言うヒトたちが多分、恋しいのにゃ」


 そのセリフから色々と思うところはあったが、飛逆はどうしても一つだけは言いたいことができた。


「モモコは、この世界に何か希望を見いだしていたのか? この世界だからこそ、自分が受け入れられるとか、あるいは変われるとか、そういったことを?」


「……」


「ミリスでさえ、『この世界でなら』なんてことは思ってないのに……」


 沈黙が肯定だと見た飛逆は若干の呆れを浮かべて言う。


「モモコは、あれか。以前の世界のヒトと、この世界のヒトに、なんの繋がりもないって思ってるんだな」


「なんでそうなるにゃ?」


 さすがに聞き流せなかったのか、モモコはパチクリと目を大きく瞬く。


「だって要は、モモコは前の世界で何をやらかしたとしても、この世界では関係がないって思ってるんだろ?」


 高飛びした犯罪者のように、新天地ならば己の罪が『なかったこと』になるとでも思っているのだろう。


「それは現実として間違ってはいないけど、それで自分が変われるとか思っているなら、それは間違いだ。たとえ以前の世界と繋がりがなかったとしても、君自身の『罪』の意識は消えないんだから。もし消えるとでも錯覚していたなら、それはこの世界のヒトと以前の世界のヒトがまったく違うものだって思っているからだ」


 少なくとも飛逆にとって、どこの世界に行こうがヒトはヒトでしかない。たとえばヒトに対して罪を犯したという意識があるならば、どこに行けどもそれを引きずるだろう。そんなものを元々持っていないだけだ。


「その是非は俺にはわからないが、その思い込みのままでいたら失敗するぞ」


 変わろうと思っても変わらないだろうし、罪を雪ごうと思っても、こびり付いて離れまい。


「わからにゃい……。でも、にゃらウチはどうすればいいにゃ?」


「是非は知らないって言っただろ。俺も真剣にこういうことを考えたことないから答えは持ってない」答えを探そうとする動機もない。「けど、少なくとも君の思ったような未来にはならなかっただろうな、いずれにせよ」


 たとえば現状が計画通りに進んでいたとしても、モモコの餓えは癒えなかっただろう。


「俺の前いた世界にこんな言葉があったな。『何かを変えたいと思ったら、世界を変えるのではなく自分を変えろ』だったか」


 うろ覚えだが。


「正直これ、何言っているのかわかんなかったんだが、多分そういうことだ。モモコが自分を変えたいとか、変わりたいと思っているなら、その起点を『世界が変わった』ことに置かないことだろうな」


 順番の問題だ。世界が変わった『から』自分が変われるというのは思い込みだ。世界が変わって『も』自分は自分であるとまず受け止めて『から』、何かを変えようとか得ようと思わなければおそらく、何も変わることはないのだろう。


 それにしても、モモコとはこんな話ばかりをしている気がする。


 正直言ってあまり楽しい話題ではない。


 そもそももっと実際的な話をするつもりだったのだ。こんな観念的で、正解がないことではなく、明確な結論が出せるような話を。


「それはそうと、モモコ。ちょっと、かなり重大なことが発覚したんで、それについて皆で話し合いをしたいんだが、参加するか?」


 やや無理矢理だが、話題を転換した。


「……ウチがいたところでヒサカは方針を変えないにゃ」


「そうだったか?」


 そもそもモモコに方針を提案された記憶がない。計画に口出しをされたことはあった気もするが、それは方針への提案ではなかったはずだ。


「そうにゃ。それに、……というかにゃ? ウチ、一応割と、許されないことをしそうになったと思うのにゃけど……それについてお咎めとかはないのにゃ?」


 今頃気付いたらしい。


「最初から君を罰しようとかは思ってない。君がヒューリァをまた殺そうとか思わない限りは、別にどうでも」


 過ぎたことだ。その原因もパニックだと判明(?)したことだし、飛逆の中ではもう終わった話だった。この上で、モモコが袂を分かつのならば自由にすればいい。


「まあヒューリァがどうするのかは知らんけど」


「う、にゃぁ……。参加する、にゃ。話し合い……」


 どうやら飛逆が何かの沙汰を下しに来ていたと思っていたらしいモモコは、それが得られないとわかったところで、それを下すのはヒューリァであると思い出したらしい。


 あえて彼女と顔を合わせる場に出ようと言うのは、多分そういう理由だった。


 難儀なことである。

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