45. みこみこ
〈端的に言うと~、植物型のケイ素系生物ですね~。生きたケイ化樹とでも言いますか~〉
神樹(仮)の触手をある程度解析できたというミリスの曰く。
〈といっても~、その構成物質は八割がアンノウンでしたが~。細胞膜が~、極めて流動性が高いのに極めて強い接着性を持つ物質で構成されていた~ってことだけでそれが大体わかるかと思います~。細胞壁も似たような性質ですが~、構成材質は微妙に異なるっぽいですし~、細胞質に至っては~、一定以上の圧力に対して硬化する液体で構成されていましたね~。その他、生物的特徴は色々見られたんですが~、それらが何で構成されているのかさっぱりです~。ただ~、総合的に金属っぽい性質が多いので~、ケイ素系ってことにしただけです~〉
結論、不思議物質で構成された不思議樹木である。
ちなみにこの会話は、復旧した研究棟の内外でミリス人形を介して行われている。ヒューリァには実験に集中してもらうためにも、余計な先入観を与えないためにも、小難しい理屈の話は聞かせないほうがいいという判断の下にあえてこうしているのだ。
〈わたしの知識にない物質の組成を解析するまでには~、この髪の解析能力も万能じゃありません~。フォーマットがあれば~、いくつかの候補から似た組成を割り出すこともできますが~。分子レベル以下でも~、原子からの総当たりでならいつかは解析できるかもしれませんけど~〉
物質の組成などわかったところでどうしようもないので、それは止めた。意味はよくわからないが、つまりはノーヒントで桁数が半端ないパスワードを割り出すようなものだということだろう。
「けど、興味深いな。本体から切り離されても物質の性質は残ってるのか」
てっきり飛逆は、不思議物質だとか言う前に、あれらの物理法則を超越した性質は異能によって実現されている類だと思っていたのだ。だからその異能力を本体から切り離されたなら、解析してみて実はただの木の根っこでした、というオチを想定していた。
〈今更何を言っているんですか~? ワタシから離れても原結晶さえあれば機能する髪だって~、制御を考えなければいくらでも生み出せるんですよ~〉
そういえばそうだった。しかもそれ以前に、飛逆の右腕だって、その実体が炎だとしても物質として振る舞っているし、そもそもプラズマだって物質の状態の一つに数えられる。
つまり『異能力の物質化』の実現は、ヒューリァの術式に限らず、ずっと前から目の当たりにしているわけだ。
けれど、物事はなんでもそうだが、体系化することが一番難しい。言い方を変えると、『誰にでも理解できて応用が可能な言語に翻訳(あるいは言語の創成)すること』が難しい。
ヒューリァと同じ【理】を頭の中に持っている飛逆だが、それを余人に伝える手段は持たないのだ。
それを無理矢理な形で実現してしまっているのがルナコードなわけだが、そのルナコードを解析しようとするとミリスの頭がイカレてしまう。どうやら飛逆の頭の中にある【理】と同じようなものであるらしい。
そこですでにあるフォーマットを応用することで、新しい体系を創り出そうというのが、ヒューリァの術式解析なのである。
問題なのは、ヒューリァはかなり天才肌というか感覚派なので、他人に理解できるように説明するのが苦手なことだ。
直接【理】をその身に刻印された飛逆ほどではないというのが救いだが。自律神経で制御された運動の『どうやって』を説明できないのと同じようなものだ。怪物組はこれのために参考にできない。
閑話休題。
「わかっていたことだが、攻略のヒントにはなりそうにないな」
〈ですね~。たとえば毒責めとか~、細胞を殺すのに有効な成分とか見つけられるかも~って少しは期待してましたが~、ここまでへんてこりんな物質構成だと~、何が効くのかとかさっぱりわかりませんし~〉
ミリスは除草剤散布をかまそうとしていたらしい。後に残る環境破壊は、戦闘痕とどちらが大きいだろうか。とっくに末期的とはいえ、再生の芽さえも潰しそうで、飛逆はあまり取りたくない手段だ。
纏めると、あの神樹は物理的強度がかなり高く、弱点があるとしても特定は実質不可能だということがわかった。
最初からわかっていたことにあやふやな理屈が付いただけだった。
「ところで解呪法研究はどこまで進んでる?」
〈最近ようやくヒューリァさんが光を出す段階で止めることを覚えてくれまして~、わかっている限りの感覚とか~、理屈は教えてもらえたと思います~。それで光の解析もしてみたんですが~……やっぱり感想としては~、ワタシの場合で言うと~、髪を伸ばすときの感覚と近いみたいなんですけど~、ワタシからすると~、ひどくまどろっこしいことをしているって感じなんですよね~。それは省略できる段階だろ~、って〉
「元々備わっている機能が邪魔して模倣が難しいか」
〈そんな感じですかね~。やっぱりヒサカさんの言うように~、ワタシがあの光を出せるようになる~、ってまで行く段階はすっ飛ばして~、原結晶をあの光に変換する装置みたいのを~、ヒューリァさん監修で作った方がよさそうです~ってことで実験中で~す〉
前述の理屈から、おおよそそこで躓くだろうということを想定していた飛逆は、解決策の草案をミリスに提出していた。
それが、原結晶/術式光コンバータを作製する、というものだ。
結果から理論を割り出そうという反則めいた手段だ。効率的とは言い難いが、時として有効となる。
〈ただそのためにはどうしても精神感応系の素材が必要なんですよね~……。ワタシの髪も情報伝達の導線にはなりますが~〉
「お前の髪自体がすでに専用の機能を持ってて、この上に後付けするのは難しい、って感じか」
飛逆の案は、ミリスの髪を使用して変換回路を組めないか、というものだったのだが。
〈自縄自縛というか~……ワタシの髪をワタシの髪で解析できたら一番てっとり早いんですけどね~……〉
しかし怪物の持つ【理】を解析しようとすると、ミリスの頭が保たない。ルナコードを読み取ったはずのミリスはその内容を思い出すこともできなかったのだ。暴走覚悟でやっても後に残らないのでは意味がない。
〈まあ~、でも~、今は少しでも戦力が欲しいって状況ですから~、解呪法を編み出しても無意味なんですが~……〉
ミリスは自嘲的に言う。けれどそれは飛逆にも向けられている。
「言いたいことがあるなら、聞くだけは聞くぞ」
〈ではお言葉に甘えて~。ヒサカさんって、バカですよね~〉
遠慮がなかった。
〈モモコさんあれから~、ずぅっとあそこでボケーっとしてますよ~。ワタシが知る限り水も飲んでませんし~……ってまあかくいうワタシも~、あまり栄養的な意味での飲食の必要はないんですが~〉
だからこそあえて『食べない』ことは心が弱っている証拠だとミリスは暗に告げる。
だがモモコが弱っているのは飛逆の中では仕方のないことだし、原因の一端が自分にあったとしてもそれほど責任を感じることだとも考えていない。
〈『少しでも戦力が欲しい』ってときに~、フォローもしないで何してんですか~〉
大事なことだからとばかりにミリスは二度言った。
つまりはミリスは、仮に決戦となったとき、飛逆が矢面に立っている間に自分を護ってくれる戦力が欲しいのである。
ここまで徹底して自分本位だといっそ清々しいが、それならお前がやれと言いたくもなる。
〈っていうか~ヒサカさん~。今、『俺は悪くないし、自分のためなら自分がやれ』みたいなこと思いましたでしょ~〉
「いつにもまして鋭いな」
暗に肯定する。もちろん皮肉は込めた。
〈間違いじゃないですけど~、違いますよ~。こういうのって~、どっちが悪いとか~、そういう理屈のハナシじゃないんです~〉
「と言われてもな……」
そんな『理屈じゃない』ところで動くほど、実際モモコに興味がないのだ。理屈じゃないからこそ、感情が動かなければそれが答えではなかろうか?
そもそも何をどうすれば立ち直らせることができるのかというビジョンもない、というのが結局のところ、気が進まない一番の理由なわけだが。やって損がないならとりあえずやってみようと思うものなのだから。
〈大体察しは付きますが~、ヒサカさんが街作りをしようって考えたのは~、ヒューリァさんのためですよね~? 心を豊かに保つため~とか~そういう~〉
「そうだが、それが今の話題に何の関係が?」
〈今ある交流をぎくしゃくさせるのは~、その趣旨に反しているんじゃないか~、っていう説得ですよぉ〉
「つっても、元々そんな深い関係性を想定していたわけでもないしな。というか深ければ逆にヒューリァの神経がすり減らないか?」
というか別に、怪物であるモモコとの交流など、どちらかというとないほうがいいくらいなのではなかろうか。
〈説得されてくれる気ゼロですね~……〉
「そうでもないぞ。いつやるのかってことはともかく、なんらかの結論は出した方が良いっては思ったからな」
ヒューリァとの関係性がどうのこうのではなく、このまま宙ぶらりんのままだと飛逆が面倒を感じてしまう。ミリスに度々言われてはたまったものではないと思わせたという意味で、この説得とやらには効果があったといえた。
〈ヒサカさんも大概~、ひねくれ者ですよね~……〉
呆れられてしまった。
モモコは飛逆の作った要害の上で丸まっている。
話しかけるとしたらそこに直接行くのが良いのだろうが、彼女の聴覚を考えればどうせ先ほどの話も聞かれているわけで、それで何も反応を示さないのだから、彼女としてもどうしていいかわからないのだろう。
というか飛逆は未だに納得していない。
飛逆の性格というか性質を誤解し、過激になったからその原因をヒューリァだと思ったために行動に出たという理屈自体はわかる。けれど、そこで『ヒューリァの排除』という選択に至るのは、あまりにも一方的ではないだろうか。飛逆に対する贔屓がすぎる。
母親の心情だかなんだか知らないが、それを言えば見た目がヒューリァと同年代の飛逆を『子供扱い』する理由が釈然としない。もう少しヒューリァにも配慮があって然るべきではないかと思うわけである。
(まあ、モモコの趣味に俺が引っかかったってだけのことなんだろうが)
単に少女に興味が無くて少年に興味があるというだけなのだろう。
要は飛逆は、そんな公平性を欠いた思想でヒューリァを害しようとしたモモコが気に入らないだけなのだ。
ただまあ、ヒューリァを明らかに贔屓している飛逆が言えた義理でもない。
そんな色々な理由で言うべきことが見つけられない飛逆は、その解決を求めてというのではないが、モモコに話しかけるのを後回しにしてまずはゾッラの見舞いに行ってみた。
「こんにちは、天使様。先日はお見苦しいところをお見せしてしまって、恥ずかしいですの」
すっかり元気だというようにニコニコしてゾッラは飛逆を出迎える。
ノムは相変わらず彼女の傍で影のように佇んでいる。そのノムのほうに飛逆は問いかけた。
「ゾッラは大丈夫そうか?」
ノムは首を傾げて、それからゆっくり頷いた。
その仕草には、「どうしてこの人はいつも自分に話しかけてくるのだろう」という疑問が表れているように思う。
「この手の子供の『元気そう』ってのは当てにならないからだ」
根本的なところには答えを返さず、その理由を教えてノムから視線を外す。
「ノムが大丈夫だって判断したなら大丈夫なんだろう。一応、確認だ。ゾッラ、君はトーリをどうして引き留めたのか、何か明確な理由はあったのか?」
「残念ながら、いいえ、ですの。ただ彼を見ていると頭が痛くなって、どうしても止めなくてはいけないと思いましたの」
「外に行ってはいけない、と感じた?」
「おそらく、はい、ですの」
「ミリスによると、外にいるのは本物の『天使』らしいが、どう思う?」
「……?」
飛逆がやや意地の悪い質問をすると、ゾッラは眉根を寄せて「このヒトは何を言っているのだろう」というように首を傾げた。
「あの方は、天使様に近い存在ですけれど、違いますの」
今度は飛逆が面食らった。答えがあるのが当たり前のような言い方もそうだったが、
「あの方? それに、近い存在?」
「……?」
飛逆が何に驚いているのかが、ゾッラにはわからないようだ。
つまり飛逆が驚いた理由それ自体が肯定されているということだ。考え込んでしまう。
(ゾッラの感覚からして、こういう言い方の間違えってのはしないはず。ってことは、『あの』って言うからには、ゾッラにとって既知の存在だってことだろ? しかも近い存在ってことは、あながち『天使』っていう見方は間違っていないってことだ。ミリスが正しいってことか? いやそもそも、少なくとも【全型】みたいに意思疎通が可能な存在ってことが、『あの方』っていう言い方から示唆される……? というか、俺らが知らないのがおかしいって、どういうことだ?)
飛逆が混乱するのも、その意味がわかれば当たり前だと理解されるだろう。
あの触手が転移門を潜ってきたときには記憶が飛ぶ状態だったゾッラが『あの方』と言ったのだ。『外にいるモノ』が何者であるのか、予め知っていないとその言葉は出てこない。
「……ああくそ、そういうことか!」
要素を組み合わせて、あの存在の正体のみならず、別の極めて重大な事実を認めてしまった飛逆は思わず罵声を放つ。
「あー……くそ。今頃気付くとはなぁ……ここまでやっちまった後に気付いても仕方ねぇってのに」
飛逆はここで初めて、火山を作ったことを本気で後悔した。今までは反省はしても、ある程度は仕方のない流れの結果だと思っていたのだ。
「そりゃそうか。そりゃー怒るよな……。つーか自棄になってんのか?」
要らぬ敵を作ってしまった。もしかしたら和解の余地はあっただろうに、飛逆がその芽を潰してしまったのだ。
「ゾッラ、ご苦労さん。色々参考になった」
突然独り言をぶつぶつ言い出した飛逆に首を傾げっぱなしのゾッラにふと気付いた飛逆は、誤魔化すように声をかける。
「よくわかりませんけれど、恐縮ですの」
一応ノムにも手を振ってその場を辞した。




