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44. それは理屈でしかないから

 ミリスが触手の解析にかかると言ってからしばらくして、ヒューリァが再び目を覚ました。

 気怠げではあるが、体調はそこそこに回復したらしい。


「ねぇ、ひさか……」

 どこかぼんやりした風情で声をかけてくる。


「なんだ?」

 濡らした布を右腕で軽く温めてから渡しつつ、聞き返す。


 特に何か言おうと考えての呼びかけではなかったらしく、迷うようにおしぼりを顔に乗せて、気持ちよさそうな声を出してからもしばらく無言だった。


「あれは、結局なんだったの?」

 問うことを思い付いたらしく、おしぼりを取り払ってから訊いてくる。


「ミリスは神かその眷属じゃないかって言ってたが……」

 飛逆は未だにしっくり来ていないのだが。


「神……じゃあ、塔下街の人間は全部、死んだんだね」


「一足飛びにその結論に行くんだな……」


 神という概念は共通でも、その性質についてはかなり認識に違いがあるようだ。ヒューリァのそれはどちらかというとノアの方舟に出てくるようなタイプらしい。ミリスのそれは、なんというかメタ的な存在のようであったが。


「いずれにせよ、人を誘致するっていうひさかの計画、無理だよね、もう……」

「そうだな」


 地階の環境がズタボロなのは、また作り直せばいいだけの話だが、仮に今もヒトが生き残っているとしても、飛逆とあの神樹(仮)が衝突すれば、その余波だけでヒトは全滅するだろう。後に残るのは荒野だけだ。


「じゃあ、もう全部投げ出しちゃわない?」


「……」

 困った。


「解呪法のほうは、まあミリスとわたしで頑張れば、いずれは作り出せると思う。オリハルコンの製法だって、必ずしも手に入れなきゃいけないわけじゃないし……」


 やはりというかなんというか、ヒューリァは飛逆が立てた計画の主旨を、そのように理解していたらしい。すなわち『塔下街の人間の作り出したノウハウを手に入れる』ことだと。


 そう思っているだろうことはわかっていたし、そのように誘導してもいたが、飛逆が本当に求めているのは、繰り返しになるが、『ヒトであるヒューリァが生きるに適切な環境を作り出す』ことだった。


 飛逆は怪物だ。心はどうあれヒューリァはヒトである。その齟齬は時折表面化し、明らかにヒューリァへの負担となっている。


 彼女自身はその負担を認めないだろうし、実際必要であるかは怪物である飛逆にはわからない。ただ、ヒトは一人では生きていけないのだ。


 それは衣食住を満たすことができないという意味ではなく、ヒトとは本質的に他者との交流がなければ心を保てない生き物なのである。


 交流を持てる相手がすべて怪物という環境下では、ヒューリァは目に見えないところでどんどん摩耗していくだろう。


 ヒトを集めて文化らしきものが発生すれば、その問題はある程度解決したはずだ。交流とは、何も顔を合わせて話をするということに限らない。文化から発生した何かに触れるだけで、それは間接的ながら交流なのだ。


 飛逆はそれを求めていた。


「投げ出すにしても、あれをどうにかしないといけないのは変わりないけどな」


 その心を告げることなく、単なる意見を返す。


「ひさかは……やっぱりわたしだけじゃ足りない?」

 主題逸らしの意見はスルーされた。


 嘆息する。あえて誤解を誘導するのも、もう限界だった。


「もともと、俺が君以外の誰かを欲しがっているわけじゃない」

 正直に告白した。怪物たるの条件の一つは、『他者を必要としない』ことだ。


「じゃあ……なんでわたしなの?」


 薄々はそうではないかと思っていたのか、ヒューリァは飛逆の足りない告白の内容を突っ込んで訊いてはこなかった。


 考えてみればヒューリァが、『飛逆がハーレムを築こうとしているから彼女たちを排除しないのだ』という思考に至るのは当然なのだった。なぜならヒューリァも、今でこそ解呪法研究に貢献できているが、実際的に何かの役に立ったことがあまりないのだから。飛逆が桁外れの力を得てから、それはますます顕著になっている。


 ヒューリァにしてみればなぜ飛逆が自分を特別扱いしているのか、わからなかったのだろう。明らかに性的な面で場慣れしていない彼女が当初から飛逆にモーションをかけてきていたのも、あるいはそれが関係している。その方面で期待されていると思っていたから、というわけだ。敷衍してその論理を他の少年少女にも適用していた。


 けれど最近の、ヒトをゴミみたいに殺している飛逆の行動からすると、飛逆の『身内』とされる条件がまったくわからない。


 ヒューリァはそれを直接に聞かなければ落ち着けないくらいに、飛逆がわからなくなっているのだろう。


 ただ、その反問は核心的すぎて、返す言葉が見つけられなかった。


「それは、……難しいな。答えをわざわざ探さないといけない」

 再び嘆息しつつ、その感慨を吐き出した。


 結局の所、利用価値などでしか余人を判断していないという点で、飛逆は当初から些かもブレていない。『ヒューリァのために』という、押しつけがましいことを自覚しつつもやめられないことのために彼ら彼女らを利用しようとしていただけだ。


 まあ、モモコやミリスに対しては、それだけではない感情もあるのだが、それはここでは余談だ。なぜならヒューリァが聞きたいのは、『なぜ自分は飛逆にとって特別なのか』という一点でしかない。


 それは、言葉にすることがとても難しいことなのだ。


 契機や経緯を並べることしかできない。それで充分だと思えるならわざわざヒューリァはこんな質問をしたりはしない。彼女は論理ではなく、道理ですらなく、ただ納得が欲しいだけなのだから。


 彼女でなければならないという確信は、飛逆の中にれっきとしてある。けれどそれは理屈ではないところで得た確信だ。


 どれだけ心理が読めても、仮にそれが正解だとしても、ただそれだけでは彼女に納得を与えることはできない。彼女に自ずから、それは得てもらわなければならないものだから。


 ひどく難しい。

 それだけしか言えなかった。


 答えが得られないとわかったのか、ヒューリァは疲れたように吐息すると、再び瞼を降ろした。


 どう言えばよかったのかと、飛逆は静かな空間でしばらく考えていた。


〓〓 † ◇ † 〓〓


 ヒューリァの傍を離れるわけには行かないが――飛逆もそこらで用を足すほどには人間を辞めていない。品格といった類は人間性を為す要素ではあるが、怪物が持っていてはいけないというものではないのだ。


 などという、誰にともない言い訳を内心に呟きつつ用足しに行く――フリをして、彼女の振りかざした爪を、背後から引き留めた。


 せっかくまた眠ったヒューリァを起こしたくないので、気配を絶ったまま、彼女――モモコの気配も絶たせたままに外に運んでいく。


 それらは三秒もかからない間に行われたことだった。強いて言うならその素早さが風を起こし、それだけがこの誰にも目撃されない一幕の名残だった。


「わからないのは、なんでヒューリァなのかってことなんだが……」


 なぜか抵抗しないモモコを壁に押しつけて、いつでも【吸血】できる体勢で問いかける。


 飛逆に対して殺意を抱くのなら、まだわかった。そのためにヒューリァを狙うのなら想定していた。けれどモモコはヒューリァを殺すつもりだった。人質にするためなどではなく。


 それがわからないからモモコが行動を起こす寸前まで待っていたのだ。残念ながら飛逆の直感は誤りなかった。


「それほどの何かを、ヒューリァがしたか?」


 あくまでも飛逆の知る範囲ではあるが、モモコは個人的な感情で誰かを殺そうと考えるタイプではない。殺しという行為に踏み切るには『言い訳』が必要なタイプだと、飛逆は見ていた。たとえばトーリのために、彼の親の仇である飛逆を討つなどであれば、理解できた。


 理解できないから、こうして、彼女が反撃できる余地を残して訊いている。


 けれどモモコは悲しそうな顔をするばかりで答えようとしない。

 さすがに苛つく。

 行動を起こしたからにはどうしてもそれを為そうとする気概くらいは見せて欲しい。なぜはっきりと殺意を見せていながら、ただ飛逆に妨害されたという程度のことでこんな、すっかり何もかもを諦めたという態度になるのか。


(やっぱりなんだかんだで、モモコも【全型】ってことか)

 人情を持てども命という観念が軽い。

 飛逆はそう思った。


 どうしたものか、と続いて思う。語弊のある言い方で言えば、張り合いがない。これが自分に向けられた殺意であれば、このまま放置しただろう。けれどヒューリァを狙ったからには、処分というか、次回がないようにしないといけない。


 こんな張り合いのないモノを喰らいたくなどないのだが……。


「イライラするなぁ……」

 そんなところに、ヒューリァが頭が痛いというように額を押さえながら出てきた。


 おそらく風のせいで起きたのだろう。ただ、その不機嫌そうな顔は寝起きだからだというわけではなさそうだった。本気で気に入らないという顔をまっすぐモモコに向けている。


「ひさか、その猫被りがわたしを殺したいのは、多分ひさかが思ってるどれとも違うよ」


「心当たりがあるのか?」

 意外だった。


「うん、まあ……ほんっと気に入らないんだけど……実を言うならその猫被り、わたしを殺したいんじゃなくて、多分、ひさかからわたしを切り離したいんだと思う」


「……はい?」

 なんのこっちゃ。


 一瞬自意識過剰にも『飛逆の寵愛を受けるヒューリァに嫉妬したため』という解釈が頭に浮かんで、なんのこっちゃ? となった。


「ひさか、最初の頃と比べて最近、やることもやろうとすることも割と過激じゃない?」


「まあ、そうかもな」


「それが、わたしのせいだって思ってるんだよ、この猫被り」


「なんだそれ」

 その論法は、まったく理解不能だった。


「母親気取りなんじゃない? 悪い友達と付き合ってると自分の子供も悪くなる、みたいな」


 朱に交われば赤くなる論法か。理解はできるが、納得しかねるところだった。


 繰り返しになるが、飛逆は当初からその内心はまったく変わっていないのだ。単にできることとできないことを秤にかけて、その上でどうするのが効率的なのかで方針を打ち立てている、つもりだ。それが間違いだったりすることは多々あれど、ヒューリァのせいだということはない。ヒューリァはあくまでも、飛逆の判断材料の一つであって、その比重がどれだけ大きくても選んだのは飛逆なのだ。それを、飛逆が過激なことをしたのはヒューリァの影響だ、などと決めつけられるのは、ヒューリァはおろか飛逆をもバカにした考えだ。


「ひさか、最初からこんなだったって、まあわたしも気付いたの最近だからあんまり偉そうなこと言えないんだけど……」


 というか何か?

 飛逆が誤解されるような行動と指針ばっかり取っていることがこの場合の原因だとでも言うのだろうか。

 『こんな』呼ばわりの飛逆としては自分が『こんな』であることを何度も申告していたつもりなのだが。

 けれどいまいち『こんな』が『どんな』なのか、自分ではわからないので、伝わっていなくてある意味当然だった。おそらくヒューリァにも具体的には言えないのではないだろうか。『どんな』だって。

 ただ少なくとも、モモコにとっての『良い子』ではなく、以前からそうではなかったことは確かだった。


 ヒューリァの言が正しいのかどうか、窺うようにモモコの顔を見るが、そこには呆然とした色が浮かんでいた。


 飛逆はそっとモモコを押さえる左腕をどかした。

 モモコはぺたりと床に腰を落とした。


「難しいな、色々と……」

 飛逆は溜息を落とす。


(母親気取り、ね……)


 ヒューリァがそんな母親の心理(?)を語ることが意外だったこともあるが、そもそも飛逆は、母親というものがどんなものかを知らない。自分を産んだ存在がいたことは、頭では理解しているのだが、記憶はおろか実感は驚くほど何もない。


 そのせいか、ヒューリァが言い当てているのだとモモコが態度で示しても、まだ納得できないところが残る。

 何にせよ、モモコの処遇だとか今後の方針だとかを決めるとか、お互いの認識の齟齬だのを埋めるとかをする雰囲気ではなかった。


 気まずい空気のまま、解散した。

 おそらくモモコはもう、ヒューリァを殺そうなどと言うことはしないだろうから。

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