38. これはフィクションです
重量的には飛逆にとってはさほどでもないのだが、原結晶はかさばるので、一旦地階へと戻ることにした。
毎回ミリスに届けていた頃は、トーリという荷物持ちがいて、しかも過剰戦力のパーティだったために気にならなかったが、原結晶の重量はともかく、大きさというのはどうにかならないものだろうか。
というのも、そもそも『異能の素』である原結晶が物質的に存在しているというところから飛逆にとっては違和感がある。いや、自分でそんなものだと言ったのだが。
飛逆は原結晶を【吸血】することで力を増していくが、体重は変わらないのだ。単位ヒト換算で万近い量であるから、もし飛逆のサイズにその質量を詰め込もうとすれば空間の歪みが目視できるレベルになりかねない。質量とはつまり空間の歪みだからだ。
もちろん元々、飛逆は兄を喰らってから体重が増えたなどということはない。だからこれは原結晶に対する疑問と言うよりも、異能という【力】に対する疑問だ。
少なくともかの有名な特殊相対性理論で言うところの質量=エネルギーという法則は適用できない。光量子(この場合は『粒子であり波動』であること)的に考えれば、ある程度は説明できる気もするが、ではその波動の状態である量子はどこにあるのかという疑問が残る。というか波動というのはエネルギーそのもののようなもので、熱力学第二法則であるところのエントロピーの増大(この場合は拡散することという理解でいい)は避けられないはずであり、粒子ではない状態でどのように安定的に保存されているのかということはやはり説明できない。
飛逆の知識(兄の知識)では説明できない現象であり、能力なわけだが、そんな【力】を持つ飛逆からすると、原結晶のエネルギーと重量と体積の比がそれぞれ固定であることに違和感がある。
もっと融通を利かせられるのではないか? そう思うのだ。
たとえば体積と重量は変わらずに、その内包するエネルギーだけを増やすとか。
これは何も、持ち運びが面倒だからというだけの理由ではない。持ち運びの不便は狩猟継続に著しい支障を及ぼすために決して軽い問題ではないのだが、それが可能になった場合、見込めるのは運搬性の向上だけではないのだ。
今のところ飛逆は貯め込んだ精気の出力を、身体能力向上と自動修復、【紅く古きもの】の炎以外には使用できていない。けれど原結晶のエネルギーのみを増やすことができたならば、その仕組みを応用することで様々な可能性が開ける。
飛逆の中の精気を、具象する、など。
その仕組みがおそらく解呪に繋がる。
なぜならこれは、飛逆の言うところの『精気』の物質化だからだ。
召喚されるまで、飛逆は兄が跡形もなくなっているのだと思っていた。諦めていたと言っていい。なぜなら兄が言っていたからだ。『【吸血】によって魂が継承されるというのは眉唾だ』と。飛逆は兄を無条件なまでに信じていた。そのために、諦めていた。兄は死んだのだと、自分が殺したのだと受容していた。飛逆の家の通過儀礼に、まんまと嵌ってしまっていた。
召喚され、その条件が『自分以外の何かをその身に宿していること』だと察したとき、飛逆は実のところ、狂喜していたのだ。兄が間違っていた。彼は確かに飛逆の身の裡に存在するのだと、薄々はそうではないかと感じていたことを、確信まで持って行けた。そのことだけで、この世界に召喚されたことを感謝していいとさえ、思った。
正直、【紅く古きもの】を祓うことはどうでもいい。少なくともヒューリァが気にするほどには、飛逆は今や苦しくもないし嫌悪もしていない。おそらくは【紅く古きもの】が脳幹を侵していることが原因の不眠症による疲労も、原結晶ドーピングで打ち消せる。
飛逆が目指していたのは、【紅く古きもの】などという不純物を取り除いた上で、兄にこの身を明け渡すことだったのだ。その術のヒントが、解呪にあるのだと思い、それを目指していた。
だがヒューリァに力尽くでその考えが彼女に対して、あるいは兄に対しても極めて失礼なことだと気付かされた。本人は失敗したと思っているようだが……。
飛逆は、彼女では飛逆の生きる理由にはならないと、そう突きつけたようなものだ。もちろんそんなつもりはなかったが、こればかりは飛逆がどう思うかという問題ではない。
閑話休題。
とにかく、飛逆が解呪の術まで消し飛ばしてしまったかも知れないために、自らそれを生み出す努力をすべきだと飛逆は考えた。
前述したように、ヒントだけはあるのだ。あとは実験を重ねていくしかない。
〈実験、ですか~……〉
飛逆の説明を聞いたミリスはげんなりした風に繰り返す。
「何かトラウマでもあるのか?」
つくづく黒歴史が多そうなミリスである。
〈あぁ~いぇ~〉曖昧に唸ったかと思うと〈まぁ、その目の付け所は悪くないと思いますよ~。ワタシに言わせれば原結晶って~、【賢者の石】のできそこないですからね~〉
「錬金術の究極の目的、だっけかそれ?」
〈あ、そっちの世界でもそういうのがあったんですか~〉
「ファンタジーだったけどな。確か、卑金属を金に変える触媒だとか、ヒトを不老不死にする霊薬だとか、そんな非実在物質だ」
〈ワタシたちのところではちょっと違いますね~。触媒とか霊薬とかではなく~、途方もないエネルギーを内包している~、ごく小さな固形物のことで~、実在してます~〉
「へぇ」
〈成人男性の握り拳くらいの大きさで~、一都市分の年間エネルギーを賄えるっていうワタシたちの世界でもトンデモ物質ではありましたが~。いわゆるオーパーツですね~〉
「それ、反物質とかなんじゃなかろうな……」
〈反物質ってなんです~?〉
「原子の構成粒子が反粒子でできている物質のことだ」ものすごくざっくり説明すると「通常の物質と接触すると対消滅して、その際に質量のほぼすべてが素粒子エネルギーに変換される。だから極小の電池みたいなものだと考えればわかりやすい」
おそろしくテキトーな説明だったが、ミリスは感心したようだった。
〈ははぁ~、面白い物質があったんですね~、ヒサカさんのところでは~〉
「言っておくが、この物質は通常界では極めて不安定だぞ。どんな物質とも反応してエネルギーに変わる……つまり大爆発を起こすってことだ。あと、本来存在しないはずの物質だっていうのは俺のところでも変わらない。運動エネルギーを無理矢理に付加した粒子を真空状態で触媒にぶつけることで一瞬だけ生まれるのをプラズマ界で捕らえる、とかしてようやく手に入る代物だ。エネルギー変換効率としてはものすごく悪いから、電池として使うとか正気じゃないな」
そこまでして保存できるのはナノグラムとかだったような気がする。
〈なるほど~。つまりワタシのところの【賢者の石】は~、その反物質を保存しているかもしれないってことですね~〉
「出力の調整までできるんだろ? だったら俺のところでは充分ファンタジーだ」
熱力学第二法則をコントロールする仕組みまであるのであれば、飛逆の元の世界の常識では測りきれないトンデモ物質だ。
――ちなみに、この会話はヒューリァが傍にいる状態で行われている。
彼女は突如始まったファンタジー物理学談議にぽかんと口を開けて瞳孔を開閉させている。
どうやらヒューリァはこちら方面の才能はないらしく、欠片も理解できないでいるらしい。まあ彼女の元の世界は推定で中世以前の文明レベル(三階建ての建物に驚いていたことから下手をしたらローマ時代より前のレベルかもしれない)だったようだから、理解できたらそっちのほうが怖い。そこまで行くとヒューリァが天才過ぎて生きるのが辛いレベルだ。これが洒落にならないという時点でヒューリァは怖いという説まである。
ただ、飛逆が覚悟を決めてからのヒューリァは大人しい。前は過剰に引っ付いてきていたのが、服の裾を摘むくらいの距離感で、飛逆が行動するのに無言でちょこちょこ付いてくる。そしてこちらが視線をやると、最初は堪える感じで見返してくるのだが、俄に目を泳がせたと思ったら俯いてしまう。もちろん顔は上気したそれだ。
お仕置きにしてもやりすぎてしまったらしい。ただ、飛逆としては結構手加減したつもりだったので、この辺り、先行きが不安であった。
〈まぁ~、いずれにせよ~、ここに来て初めてワタシにとっての朗報ですね~。これでも【賢者の石】については調べまくったことがありますから~。ヒサカさんの知識と発想と~、ワタシの知識とを合わせれば~、もしかしたら生み出せるかも知れませんね~〉
「ああ。そこで、だ。ヒューリァ」
「ぇあっ!? な、なに?」
話がまるで理解できないところに突然振られてヒューリァはあたふたした。
「話しそびれてたんだが、ちょっと【古きものの理】をミリスに教えてくれないか」
〈なんですかそれ~?〉
「なんで?」
二人共が怪訝そうだ。
〈戦い方を学ぶ訳じゃないとかいってませんでしたっけ~?〉
「別にミリスに【古きものの理】が使えるようになれって言ってるわけじゃない。そりゃ使えた方がお前自身には得だと思うけどな」
「じゃあ、何を?」
ヒューリァが首を傾げる。
「【古きものの理】を使うときに出るあの光の出し方だ。
気付かないか? あの光って、ある程度は重さがあるみたいだが、『原結晶のエネルギー化』の実例だぞ。エネルギー化というより、状態変化と言うべきかな」
エネルギー化というなら、飛逆の【吸血】が最も近い。やはり状態変化が正しいだろう。
「……」〈……〉
ヒューリァは単に理解していないためか首を傾げっぱなしで、けれどミリスからは何かが盛り上がる気配が発せられた。
「なんっでっ、気付かなかったんですかねぇ! ワタシ! バカ! そうですよぉ! 原結晶でブーストできるってことは、つまり元のエネルギーは同じっ! 状態変化ぁ! まさしくっ! 今目指していることそのものじゃないですかぁ!」
得心するのはいいが、繭をうぞうぞとさせるのはどうにかしてくれないだろうか。ヒューリァとかさもおぞましいというように身体を震わせるほどだ。
「ついでに、ルナコードの情報さえ読み取れるお前の髪を使えばあの光の解析ができるんじゃないか?」
言うと、ぴたり、と蠢くのが止まる。
〈……な、なんてことでしょぉ~……。ワ、ワタシがチートだったなんてぇ~。研究基礎段階はそれで済んだみたいなものじゃないですかぁ~……〉
「いや、また暴走とかしかねないから慎重にやれよ? いきなり直接光を解析にかかるとかしないで、まずは要領を学んでどういうものかっていうイメージができてから少しずつ解析していけ」
予めどういうものなのかという理解があれば、多少は解析にかかる負荷が軽減されるのではないか、と気休めだが。
〈……あぃ〉
未だにやっぱり暴走のことを気にしているのか、控えめな返事があった。
ヒューリァは置いてきぼりにされた感じでやっぱり首を傾げていた。結局自分はどうすればいいのだろう、という感じで。
ヒューリァの弱点その二、生産とか研究系統の話に付いてこられない。
心のメモにしっかり書き留めておいた。




