34. これは天使ですか? ――はい、魔神です
なにはともあれ、残したビット共を回収し、堅く閉じられた装甲車の壁面を引っぺがして無事ミリスを剥きだした。
気配からすると生きている。ただしなぜか裸だった。飛逆はそこまで剥いたつもりはない。
もっと注目すべきところは、いくつもの蜘蛛の巣を同じ場所に集めたかのように彼女の髪が装甲車内部に張り巡らされていたことだが、それとミリスが裸なことが関係しているかどうかは知らない。
こんな場面で未成熟な少女の裸を見たところで、飛逆の中で潰れず残った思春期が暴れ出すようなことはないのだが、妙に罪悪感を掻き立てられる。どちらかというと背徳感というほうが近いか。
彼女の体は、見てはいけないものを見てしまったと、飛逆をして思わせる有様だったからだ。
縫合と言っても、ただ髪が皮膚を縫い付けているという感じではないのだ。それはきつく、縫い付けられているため、縫合された部分の皮膚は歪に盛り上がっていて、ただの模様ではなく立体感のある文様のように見える。僅かに膨らんだ乳房はそのせいで『取って付けた』かのような印象を醸しており、体の各部も同じく『取り付けられた』ように見える。
なるほど、【つぎはぎだらけの吊り人形】だ。彼女の未成熟さがその印象をより強めていた。反響振動波のためか、ところどころその縫合糸で空いた孔から出血していて、その人形らしからぬ生々しさが余計に不気味を醸している。
実のところ、飛逆がミリスを直接見るのはこれでまだ二度目なのだ。言葉を交わした回数で言えばともすればヒューリァよりも多いのだが、奇妙なものだ。彼女の外見年齢が低いことを忘れていたからこその会話の多さだったのだろう。
何はともあれ、ヒューリァを、彼女が飛逆をこの現場に呼び寄せたのと同じように、上空に爆裂弾を放つことで合図して合流する。
「ミリスを剥がしといてくれ」
ヒューリァに短剣を預けて装甲車内部に髪で固定されているミリスを解放するようにお願いする。彼女にはなぜ自分でやらないのかという目を向けられたが、
「いや、女の子の寝込みを襲うみたいな画面で嫌じゃないか?」
正直に吐露すると、ヒューリァはああ、というように頷いて、
「■■■ひさか■■様■」
何かを得心されてしまった。
独り言だったのか、すぐに「了解」と言って作業に取りかかる。
(もしやと思ってたが、俺がほぼ言葉がわかるようになってるって気付いてないのか?)
自分で喋られるほどではないが、八割方の聞き取りくらいだったらできるくらいにもう彼女の母言語を理解しているのだ。ヒューリァが飛逆の言いたいことを、言語自体は理解していなくとも聞き取れる程度以上には。
(まあ、いいか。ヒューリァが元の世界で何があったのかなんて、わざわざ詳しく聞くことでもないし)
『なんでひさかまでそんなことを言うの……っ!? わたしは二度と……っ!!』
辛うじて聞き取れていたあの言葉は、ヒューリァが言う気がなかったことなら、飛逆は理解していない。そういうことでいい。
そういうことにしたのだが、何かが引っかかった。
何かこう、意図せず問題を棚上げというか先送りというか、そんなことをしてしまっているような感じがする。
引っかかりのタイミングからしてヒューリァの過去と関係しているのだろうか? けれど詮索しないと決めたわけで、悩みどころだった。
「ひさか。完了←」
悩む時間もなかった。
ヒューリァの呼びかけで思索を中断して、どれくらい時間が経ったかを計算する。
「そろそろいいかな」
ビットと装甲車を運ぶことにしたので、さすがにこのサイズを持ち運ぶわけにもいかず、ここからの離脱は塔への転移門に頼るつもりだった。
だがここはある程度街の深い場所であり、モモコが塔内にいない場合結構な高階層と繋がってしまう。剣鬼のときの反省もあり、最低でも千階層より上には万全な状態でしか行かない方がいいと飛逆は考えた。
モモコたちにまったく何事もなかったなら森の中心部で待機しているだろうが、今のモモコの心理状態からして、大したことでなくても安全策を取るだろう。五分五分ではあるが、モモコがすでに塔内にいるとしたら、ここで開いても彼女のところに繋がる。
「というか……なんで拘束衣着てるんだ?」
一応念のためミリスの状態を確認しようとすると、ミリスは再びあの髪で編まれた拘束衣に纏われていた。
「切断→否や、状態←自ずから」
自動でそうなるのか。よくよく見た目に『呪い』がわかりやすいのがミリスだった。
案外ミリスの暴走というのは、その拘束を解いたことによるものなのかもしれない。まあ、そこまで単純な理由だけではないと思うが。
分析は後回しにして転移門を開いて、まずはビット共を放り込む。問題は装甲車だったが、明らかにオーバーサイズにも関わらず、するりと転移門を潜ってくれた。ド○え○んの四次元なんちゃらに出し入れしたときのような感じだった。
(まあ繋がった先が見えないことである程度は予想していたけどな……)
実際に目の当たりにすると、眉をひそめさせるくらいの違和感はあった。飛逆の理解を超えているため、胡散臭い手品でも見せられている気分になるのだ。
この転移門は、おそらく亜空間とでも呼ぶべき特異空間に転移対象を一旦収納し、改めて転送している。それは条件によって転送される座標が違うことでも示唆されていた。そのことから、目に見えている部分はこの現実空間と特異空間との接触によって抽象的に現れているものだとして、その次元境界面にはこの次元における、時間を含む空間の縮尺という概念はそのままには当て嵌まらないのではないか、と思ったのだ。我ながら意味不明な理屈だったが、まあなんとなくこれまで何度も潜った経験からの感覚で。
何にせよ、無事準備は整った。
派手にやるのは、これからである。
なぜなら、これからのことを考えると、【全型魔生物】こと『天使』がこの程度だと思われては困るのだ。
確かにミリスの装甲車及びビット操作は、この世界では異質だろう。おそらく戦車のひな形くらいはこの世界でもできているだろうが、【能力結晶】の効果を二次的に利用するという発想が特異なのだ。
この世界の人間は、どうも【能力】という面に捕らわれすぎている節がある。経験的に作用反作用の原理を理解していても、【能力】を主体として考えているために、それ自体が発揮する効果にしか目が行かないようなのだ。たとえば飛逆の元の世界の現代人がこの世界に来たなら、【能力結晶】を使ってもっとあらゆることをオートメーション化するに違いないが、この世界ではあくまでもヒトが操る物という視点から抜け出せていない。そういった意味、剣鬼の最後の攻撃、あれはもしかしたらこの世界では驚異的な使用方法だったのかもしれない。
けれど逆に言えば、特異なのは発想だけで、視点を変えれば誰にでも思い付けることであるということである。しかも再現は、素材と資源さえあれば難しくもない。ビットも、オリハルコン繊維での有線化などが必要だろうが、同じく難しくはない。悲しいかな、ミリスの優位は複雑な操作を単身で賄えるという点だけであり、その他は数の暴威であっさりと覆されるものでしかないのだ。
つまり、対抗可能だと思わせてしまう余地がある。灼熱地獄だけでは足りない。
証拠隠滅はしたが、目撃者のすべての口を封じられたと考えるのは楽観的すぎるだろう。こういうことはどれだけ丹念に潰してもどこかで図ったかのようなタイミングで芽吹いてしまうものだ。シンクロニシティというには経路が具体的に過ぎるが。
だから、上書きする。
そんな甘っちょろい存在を相手にしていると思わせる気はない。
ヒューリァにミリスを伴って先に転移門を潜ってもらう。なぜか問答は要らなかった。ただ、ヒューリァは、
「■■漸■、■再■■笑■」
どこか慈しむように笑って、そんなことを呟いていた。
そうか、そういえば最初にミリスと邂逅した辺りから、自分の表情なんて気にする余裕をなくしていたような気がする。きっと彼女の前では笑っていなかったのだろう。
だがヒューリァは気付いているのだろうか。飛逆が余裕を失っていたのは主に彼女の態度が原因だったということに。
言葉が通じていないという設定のため、怪訝を浮かべるのが精一杯だったが――苦笑して彼女が転移門を潜るのを見送った。
独りになった。
飛逆の顔から表情が剥離する。
無感動に陥ったのではない。逆だ。むしろ感情は膨れあがっている。
全能開放――配電盤のイメージ。バツンバツンと音を立ててメイン以外のブレーカーが落ちていく。
深層意識の掌握している部分に接続したのだ。あまりにも処理すべき情報が多すぎて、表面上を繕う余分は割けない。呼吸さえも極めて単調に、拍動も同じく固定される。必要最低限の自律行動。今の飛逆は、たとえ極度の興奮に陥ったとしてもまったくの無反応という状態だ。
けれどこれくらいまでしても、飛逆の中に溜め込まれた単位ヒト換算にして万に届こうという精気を一部しか扱えない。その一部の中の一部を使って無理矢理に【紅く古きもの】の特性――火炎への絶対耐性――を飛逆自身が獲得する。
無機的な雰囲気を纏ったまま、かたりと上空を見上げ、やおらに飛逆は跳んだ。
慣性が重力に負け始めた辺りで右腕から炎を出して、足下で爆発させる。その爆圧に乗って、更に空を駆け上がっていく。
やがて雲に届いた。
右腕を掲げる。
火球を形成する。操れるだけの精気を注ぎ込んでいく。
大きく。それは擬似的な太陽のように、塔下街全体を照らす。
凝結していた水蒸気が熱により原子分解されて、再び酸素と結合されて爆発が生じて、その熱を膨張する火球が喰らう。それは蛇が球上でのたうつ様に似ていた。
まさしく、まるで紅炎のようだ。
重力に引かれて、墜ちる。堕ちる。
束ねる。収束させる。圧縮する。収斂させる。凝縮する。
空気どころか空間さえも歪ませる熱量が、掌サイズに収まった。
地表が迫る。
地殻を撃ち抜くつもりで、全身の熱量を右腕に収斂して、地表に直接拳を撃ち込み、『遠当て』した。
墜落の衝撃の反作用をすべて引き受けた右腕が一瞬バラけたが、すぐさま形を取り戻す。
間欠泉など目ではない勢いで蒸気が噴き出すのを皮切りに――地震が始まった。
その地響きを伴う揺れを背景に、転移門を開いた飛逆はそのまま姿を消した。
さすがに飛逆も、この後に起こる事象に耐えうるだけの頑強さは持ち合わせていないからだ。
飛逆が姿を消してから数分後。
塔下街に、火山が形成された。




