31. 花火
「どういうおつもりか、お訊きしてもいいですの?」
トーリが行った後、ゾッラは『天使』に対しても遠慮無く質問をぶつけてきた。
「ノムのことか?」
「その音は、あまりよい響きではありませんの。名無しなど、その響きに近い味がするのです」
うっかりしていた。ぼんやりしているのは飛逆だったらしい。『ノム』のことを訊かれるとは思っていたが、その切り口が彼女にはあるのだと忘れていた。
「由来なんてなんでもいいだろ」
「……」叱責を受けた子供のような顔で、ゾッラはしょんぼりする。
というか子供だった。肩書きやら能力やらが仰々しいが、飛逆にとってはただの子供以外の何者でもない。
子供は苦手だ。血族最年少だった飛逆に、自分より年下を相手にする機会はほぼ皆無だったのだ。どういう風に接するのがいいのか、見当も付かない。実のところ飛逆がトーリを意識からなるべく外すようにしているのも、それが理由だったりする。
兄の教えでも『相手の土俵で戦うな』『相手を自分の土俵に誘い込め』とある。つまり苦手なものには必要ない限り近寄らないというスタンスなのだ。何か拡大解釈がある気がしないでもないが、そういうことなのだ。
さて、これから否応なしに関わらなければならないだろうゾッラを、どうやって自分の領域に誘い込むか、というのが飛逆の目下の難題だ。
主導権を握る手法は先ほど試したのだが、困惑されるよりも喜ばれてしまった。『天使』なのだから当然だと納得されてしまったわけだ。つまり失敗だ。むしろ余計に要らぬ方向のアピールをしてしまったことになる。
下手に取り合わないのが正解だろう。
「さっき言ったように……君が把握しているだけでいいから状況を説明してくれ」
「はい……ですの」
とは言っても、少しは予想できている。
おそらくだが、ゾッラがミリスの『調査』を物理的に嗅ぎ付けたことが関係しているに違いない。
ミリスの髪は、数本であれば、そういう能力なのだと知っていない限りそう簡単に見つかりはしない。何かの偶然で見つかったとしても、どうしてこんな『ゴミ』があるのかと思われたり、新種の虫か何かと思われるのが関の山だ。最悪トカゲの尻尾切りのように髪を切ればその正体が露見することはないだろう。
けれどゾッラのような特殊な感覚を持っている者にとってはそうではない。目が見えないためにその見た目に惑わされることがないし、そもそも感知力が尋常ではない。その細い髪が意思を持って動いていること、そして『観て』いることを、直観してしまうだろう。
「精霊様がお戯れなさっている、と最初は思っていましたの」
黒髪が蠢く様でそう感じるという辺り、すごいセンスだと思ってしまう。
ともあれゾッラはミリスの『調査』をかなり早い段階から察知していたということだ。
「ですが、つい我慢ができずに、小さなヒトの姿をお取りになった精霊様に話しかけてしまいましたの」
「おい、というかミリスめ……」
あの女、自分たちに黙ってそんな『潜入調査』をしてやがったとは。
小さなヒトとはつまり原結晶と髪入りの人形のことだろう。そんなものを自分で作ってゾッラに渡るように、カスト辺りを使ってか、手配したわけだ。
確かにゾッラくらいの歳の子ならぬいぐるみを持っていても不自然ではない。そしてその歳に見合わない立場のゾッラは、その人形を持ち歩いて何か重要な場面に居合わせることだってあるかもしれない。
悪い手ではないが、ミリスの隠し癖はなんとかならないものだろうか?
大方勝手な真似をした挙げ句にゾッラにバレていたことを知り、言い出すことができなくなったというところだろうが。
「まあいいや。続けてくれ」
促したものの、そこからは大した話ではない。
最初は無言を貫くことでしらばっくれていたミリスも、これ見よがしに『重要な場面』に首を突っ込もうとする上に、そんな場面で『巫女らしく』、少し見当を外した態度で『お人形遊び』をするゾッラに根負けしたという。あくまでも『精霊』としてゾッラだけのときには言葉を返してくれるようになったとか。
まあ、ゾッラの感覚にすればそれはまさしく『お人形遊び』だったらしいが。なにせその『精霊』が言うことは殆どが嘘というか、演技が入っているのだ。まさしく人形劇のそれだ。ゾッラの感覚的にまるで『夢物語』だったそうだ。
そんな話を聞いても、事ここに至った流れが見えてこない。だがゾッラにとっては重要なことなのか饒舌にその時の心情を語る。
「ですがつい先日……精霊様が話しかけても反応なさってくださらなくて……」急にトーンが落ちた。「精霊様はお隠れになってしまったのだと思いましたの」
飛逆は一瞬、昨晩のあれこれでミリスが忙しかったから反応できなかったのかと思ったが、問題はそこではなかった。なぜならゾッラは、『精霊』がそこに宿っているかどうかをその感知力で見分けることができるからだ。ただ反応がなかっただけなら『精霊』の気まぐれとして気にしなかっただろう。そこから気配が消えたために取り乱したのだ。
けれどやはりそれは飛逆からすれば単純な話だ。
電池切れ。原結晶が切れたために接続が絶たれてしまったというただそれだけのことだったはずだ。
ゾッラにとってはそれだけでは済まされない。『精霊』が【全型】であることに当然、気付いていたゾッラは、『精霊』が狩られてしまったのだと早合点してしまった。
そしてゾッラは祭祀巫女という立場である。ゾッラにその気はなくても、その行動や発言は預言者のそれとして扱われる。
よって、教団の中で『天使』がまた一体、罪深い人間たちの手に掛かったことは確定事項となってしまった。
そんなところにのこのこミリス人形を持ってトーリが現れた。
「……ホントに何してんだ、ミリス。というよりトーリも……」
いや、大方の予想はできるが。
多分ミリスはトーリと二人きりという状況に耐えられなかったのだろう。あの恥ずかしがり屋さんは、外見年齢が近しい少年に自分の姿を見られることが耐え難かったはずだ。けれどモモコに直々に頼まれている上に、飛逆もモモコの機嫌を取る意味合いでトーリのことを無碍にはしていない。だからミリスも彼を無碍にはできないが、内心邪魔で仕方がなかっただろう。
そしてトーリはトーリで自分に何かできることがあれば、勢い込んでやるに決まっている。挙げ句にトーリとゾッラは交流とまでは行かずとも、面識はあったらしいのだ。
実際にどんなやりとりと思惑があったのかは不明だが、そうなり得るだけの材料は揃っていたわけだ。
「そこからは、よくわかりませんの。気付いたらトーリに牽かれて逃げてましたの」
「うん? よくわからないって、なんでだ? そもそもミリスの人形はどうしたんだ?」
彼女と連絡が取れればこんな面倒な作業をしなくてもいいのだ。
「奪われてしまいましたの……おそらく」
「それは、拙いな……。というか仲間割れか? 奪ったのはどう考えても人形に『精霊』が宿っているってわかってる奴だから……この場合、君が『お人形遊び』をしていたことを知っている誰かだ」
「わかりませんの……。わたくし、色々な方がたくさん集まってこられると、何が何だかわからなくなってしまいますの」
「ああ、それは……」
理解できる。要は処理力の問題だ。本来分かたれているはずの感覚が繋がってしまっているゾッラはいつ脳が熱暴走を起こしても不思議はない状態のはずだ。周囲から放射される感情が飽和すると、記憶が飛ぶほどの錯乱に陥ってしまうのだろう。
(ってことは尋問には立ち会わせない方がいいか?)
情報量の多寡が原因で心神喪失などが引き起こされるのであれば、場合によっては拷問をしなけばならない以上、その強い感情に立ち会わせて大丈夫だろうか。正直錯乱でもされたら面倒くさいので、可能性だけだとしても避けたい。
だがこの場所から動けないために、感知力の並外れたゾッラに影響がないように計らおうと思えば結構な手間がかかる。
どちらのほうが面倒だろう。追っ手は所詮下っ端だろうし、上の指示通りに動く手合いであることは想像に難くない。碌な情報を持っていないだろう相手をわざわざ要らぬリスクを負ってまで尋問にかけること自体が面倒だ。
迷っているところに、不意に奇妙な音を捉えた。
遠くからだ。破裂音。花火の音に近い。
困惑を浮かべるゾッラを放置して、再び樹上に登る。
「……ヒューリァか?」
おそらくそうだろう。その証拠とばかりに再び炎の塊が街中から上がり、かなりの高さで破裂する。
知らず舌打ちが出ていた。
特に事前の打ち合わせもない緊急信号を、あのヒューリァが放ったのだ。火急にも程がある案件だと推察された。
「モモコ!」
「にゃ!」呼びかけにすぐさま応じてモモコが樹上に登ってくる。
「どうやらかなり切迫してるっぽい。かといってトーリたちを放置もできない。いざとなったら塔の中に三人とも連れて行け」
「う、うにゃ。三人は、無理にゃ……ウチじゃ」
こんな時に自信喪失しているのは厄介極まりない。内心舌打ちしながら、自分は腕に包帯を巻きながら指示を出す。
「なら森の中心部に向かっていけ。それで何もなければそこで待機。何かあれば転移門を潜れ。低階層ならおそらくノムは護る必要がない。なんだったらトーリも戦わせろ。それくらいはできるようになってるはずだ」
「わ、わかったにゃ」
「ああ、そうだ。連中から装備を剥いで、できるだけ持って行くようにするのは忘れるなよ?」
言い置いて、ヒューリァの下へと急いだ。




