30. シナスタジア
褐色肌にアッシュブロンドの少女は、どうやら盲目のようだった。だからというわけではないのだが、少女は彼女を護るように佇む侍女風の女性どころかトーリよりも飛逆の目を引いた。
男を引きずってきたとはいえ、飛逆が隠密を解くよりも先に少女は飛逆の存在に気付いていた。盲目故の聴覚過剰だとしても、感知力がその範疇からも逸脱している。
(共感覚持ちか……?)
飛逆の隠密はモモコのそれとは性質が異なり、音自体は消していない。モモコのそれは殆ど透過と言っていいもので、だから飛逆にも感知が難しいのだが、おそらく彼女の持つ異能の一つなのだろう。
飛逆のそれは意識の隙間に滑り込ませるように周囲の雑音に溶け込ませている。そのため、たとえば音が色づいて視えるタイプの共感覚者には通じないことがある。意識の隙間が少ないということもあるが、ミスディレクションの対象が異なるためだ。
そして飛逆は変成意識に入ることで共感覚を持つことができる。そのシンパシーが、彼女のそれを見抜かせた。
「ヒサカ?」
奇妙なことに、少女に遅れて飛逆の来訪に気付いた様子のトーリは、飛逆の変貌した姿に驚いたようだった。
ではなぜ少女に付き従う侍女風の妙齢の女性はまったく無反応なのだろう。私のことは置物とでも思ってください――とでも言いたげに、飛逆を直視しないよう幽かに目を伏せて佇んでいる。
色々と気にはなるが、トーリの奇妙に聞こえる発音の呼びかけに、軽く頷く。
インジェクションの仕草の後に指で×を作って、こちらに【言語基質体】がないことを示した。すると不思議なことに侍女風の女性が、足場の悪い森の中をすすいっと移動したと思えば召し上げるように【能力結晶】を差し出してくる。相変わらず目は伏せたままだ。
飛逆の知る【言語基質体】とは微妙に違う色だが、インジェクトした。
「トーリ、そいつらは?」
「あ、ええ……ええと……」
端的な飛逆の問いにトーリが戸惑いを動作に浮かべるのを他所に、少女が、
「お目にかかれて光栄ですの、天使様。わたくし、ゾッラ。ゾッラ・イージュン=パヴェルコバーと申しますの」
「天使? ……ああ、なるほど?」
しっかりと、その光の宿らない瞳を飛逆に向ける、朗らかな少女――ゾッラの挨拶を聞いて、飛逆は首を傾げる。
意味がわからなかったからではなく、色々と得心行ったからだ。
(まずいな、関わりたくない種類に、とっくに絡んでたって事か)
トーリが【全型魔生物】を本当はどう思っていたのか。そして飛逆たちに塔の頂上へと登ってほしいという願い。
得心行った。トーリは、彼ら――【全型】を塔から遣わされた存在であると、そう思っていたのだ。彼の見合わない意気はそこから来ていたのだと。リスクとリターンを度外視した願いを持つのは、飛逆の知る限り、こうした人種が多い。
飛逆もその存在を知らなかったわけではない。【蜃気楼の塔】という、わかりやすいシンボルに対して宗教的な何かが発生しないと考える方がおかしい。ミリスの『魔王化(続)計画』も彼らの存在を前提に組み立てられたものだ。
この世界の常識に照らしても人智を越えた塔。そしてその姿が消えるときに現れる【全型】。
解釈は組織によって様々だろうが、どうやら【全型】に対して好意的な解釈の基に結成された宗教団体の一味らしい。すなわち使命を帯びて塔の頂上すなわち天から遣わされた者、という解釈の基に。
そしてこのゾッラという少女が共感覚者であることを考えれば、
「ゾッラ、君はいわゆる祭祀巫女だな?」こういう結論になる。
「まあ」一割の驚きと、九割の喜びを浮かべてゾッラは破顔する。
九割方の驚きを浮かべているのはトーリだ。一割は諦観だろう。あるいは変貌した飛逆がやっぱり飛逆だったと納得したのか。
「教団での実質のシンボルが、こんなところまで侍女とお前だけをお供に追われてくるって、何があったんだ、トーリ」
聴覚過敏な上に共感覚者であるゾッラはおそらく、ヒトを『見分ける』ことに長けている。たとえば目が見えずとも、突然現れた異形の少年をすぐさま『天使』だと『視る』ことができたように。他にも、見えず聞こえないはずのものを視たり聞いたり、しているに違いない。
それは通常の意味での異能だ。実際の運営者は別だろうが、象徴として掲げられているのは彼女のような異能者であろう。それはすなわち地位が高いということだ。暴動のことを考えればそこまで不自然ではないが、すると物々しさが逆に足りない気がする。単に彼女の護衛は脱落したのだろうか。
推測すればするほどわからなくなっていく。まだ六割ほどしか取り戻してない思考力ではこれ以上は難しい。そもそもこうした不合理な人種のことが飛逆は苦手なのだ。彼らは飛逆の苦手とするマクロな流れを作り出す象徴だ。
「それが……複雑な話なんです。正直ぼくもよくわかっていなくって」
「だろうな」だから尋問用を引っ張ってきたのだし。
「ヒューリァさんと……モモは?」
「モモコはいる」追っ手を一カ所に集めてもらっているところだ。「ヒューリァは君らと入れ違いだ。そっちも、ミリスはどうした?」
「ミリスさんは……街に残りました」
「無事ではあるんだな?」
「……はい。おそらく」
だとしたら、いずれは合流できるだろう。塔の外ではその引力が弱いとはいえ、『【全型】同士は引き合わされる』力はおそらくまだ生きているのだから。
こうなると、ヒューリァを行かせてしまったのはやはり早計だった。まあ不可抗力としか、飛逆からは言えないのだが。
「で、そこの侍女風の彼女は?」
自己紹介を待っていたのだが、自己主張を自身に禁じているのか、身動き一つしない。
「畏れ多くも天使様に申し上げますの」なぜかゾッラが「この娘の不作法は喋るための口を持たず生まれてきたためですの。どうかお許しいただきたいのですの」
「失語症か?」
言い方からすると先天性だ。盲目と失語症の組み合わせとはまた意味深な。
「その言葉はわからないのですの。無学で申し訳ないですの」
そんな遜った態度を取られることこそ飛逆にとっては苛立たしいことなのだが、言っても仕方がない。言わなくてもゾッラには、飛逆が若干苛ついていることがわかるだろうし、だからといって指摘したところで困惑されるだけだろう。
軽く溜息を吐くことで苛立ちを散らす。
「で、結局名前はなんて言うんだ?」
「名前は、ありませんの……」
「へぇ」
そういう文化なのか。立場の低い者を『あれ』とか『それ』とか呼ぶような。
こうなるとゾッラの祭祀巫女という立場も、それこそ象徴でしかなさそうだ。
身分制度の概念が薄い都市だと思いきや……胸糞の悪い。
一瞬、自分でも酷く冷淡だと思える思考が脳裏を過ぎる。具体的なカタチになる前に呑み下した。
「じゃあノムって呼ぶことにするが、いいか?」
名付けが自分で、しかもこんな『ノーネーム』からの略称という適当なもので悪いと思ったが、どうせこの世界では由来は永遠にわからないだろう。
命名、ノムをしっかりと見据えて確認を取る。
彼女は何を言われたのかわからないというように、半分閉じられた目のまま、けれどおとがいを僅かに上げてぼんやりしていた。
その反応とも言えない反応は無視した。この話はここで終わりだと言うように、
「ノム、【言語基質体】をもう一つ……トーリに渡せ。トーリはモモコのところ行って手伝ってこい。ゾッラ、わかっている範囲で状況を教えろ。追われてるところ悪いがここから動けない事情があるんでな。ここでこいつを尋問するから、その質問事項をまとめておきたい。で、ゾッラは尋問に立ち会え。嘘を吐いてたら、わかるんだろ?」
矢継ぎ早に指示を出す。
「畏まりましたの」
ゾッラは笑顔を貼り付けて、まだぼんやりしているノムに行動するように促す。
トーリ一人が目を白黒させていた。




