23. サイカイ(3)
誰でもお手軽に【力】を手に入れることのできる【能力結晶】なんていう便利な『道具』があるにも関わらず、原結晶の採集効率が高い上層で狩りをする採集者というのは少ない。
検証の一環で百階層間で原結晶の採集率を計算してみた飛逆とミリスによると、正の二次関数的な上がり方をしていることから、たとえば百階層と二百階層を比べてみると、百階層に対して二百階層は二倍では利かない効率的優位にあるということになる。飛逆の勝手な実感によると、クリーチャーの強さはむしろ緩やかに漸近線を描く方向の上がり方であるから、たとえば、千階層と千五十階層では危険度はさほど変わらない。あくまでも飛逆に言わせれば、誤差レベルである。つまり少しでも高い階層のほうが、リスクコントロール的にも時間効率的にもずっと採集に向いているという結論になった。
だがトップランカーは少ない。多少の無理をして少しでも上層に行こうとする者は多くないのだ。それは何も才能や努力の差だけが理由ではない。
才能や努力という意味では、たとえ『道具』であってもそれを使いこなすためには才能や努力というものは少なくない影響を及ぼす。それは多分、どこの世界でも変わらないのだろう。経済単位という基準が幅を利かせる飛逆の元の世界でも同じだった。いかに『金』という『道具』を上手く扱えるか、というのが、機械によって大部分の『能力』の代替が行われたかの世界での勝敗――この場合は貧富と言い換えられる――を分けていた。
その上手く扱えるかどうかというのにも、結局はその『能力』が必要なのだ。それは才能があり、努力すれば身に付けることができるものである、という意味ではある。採集者に『ランク』があるのは、その観点からも納得がいく。才能には個々人で差があるし、それを努力で覆すことだってできるだろうが、誰もが努力できるわけではない。相性というものは『道具』相手にだって存在するのだ。相性がよくて、その相性をより強くするよう自ら歩み寄り(それを多くの場合努力と呼ぶ)ができることが、きっと才能があるというのだろう。
けれど、『相性がよすぎる』というのも問題だ。
金に魅せられて身を持ち崩す成り上がり者の物語がどれだけ多いことか。兵器や凶器に魅せられてその方向性を違えてしまう者も多く描かれている。そしてその意味、凶器に魅せられた者というのが、採集者のトップランカーに近い。『相性をよくしすぎた者』だ。
ミリスに言わせれば『いわゆるひとつの廃人』だそうだ。なぜかげっそりした口調でそう評していた。飛逆はよくわからなかったので突っ込まなかったが、その時にミリスが『ヒキコモリ』であると知っていたら、あるいはわかったかもしれない。
ともあれ、方向性を間違えるというのは、つまりはバトルジャンキーになってしまったりとそういうことだ。戦っていないと、途端に貧乏揺すりをしはじめたり(武者震い?)、いわゆる燃え尽き症候群的症状に見舞われたり(つまり灰人)するという。
けれど、そういう方面での戦闘廃人というのは、実は少ないのだ。最高踏破階層が千五百でずっと固定されていることからも、逆説的に、ジャンキーが少ないことは明らかだ。そんな理性が吹っ飛んだような連中が強力無比の力を持っていれば、千五百で攻略を止めるなんて理性的なことができるはずがない。あの剣鬼にしても、戦闘での立ち回りなどからはそんなジャンキー的な気配は感じられなかった。
それは、トップランカーが少ないことの理由と一部相同する。
単純な話、理性的でない採集者は早晩自滅してしまうのだ。それは油断してしまうからとか、あるいは他の採集者や採集者以外の実力者に制裁されるからとかでもない。
本当に単純な話、【能力結晶】には効果時間に限界があるからだ。しかも正確な効果時間というのは存在せず、個人差があり、しかも体調などによって変動する。そうなると、自己管理が下手な者が使えばどうなるか。
酷い話はいくらでも転がっているそうだ。
一番多いのは『身体能力増強』を付加したときの例だ。影にインジェクトすることで重ねて使うのに最も適しているこの【能力結晶】はしかし、二つほど大きな問題が潜んでいる。
まず、他に比べても効果時間が読みづらい。体調によって効果時間が変動するとは前述したが、『運動』とは体調の変化を常に誘発しているようなものだ。当然、どれだけ『運動』したかによって効果時間は変動する。調子に乗って採集を続けていたら、唐突に効果が切れて、そのままガブリとやられてしまう、なんてことはやはりいくらでもある話らしい。
二つ目は、実は一つ目と重なる問題なのだが、効果が切れたとき、この【能力結晶】はリバウンドが酷いのだそうだ。別に疲労がかかるというわけではない。けれど、何倍かに増強されていた身体能力が唐突にリセットされるのだ。感覚が狂ってしまうのは間違いない。おそらく重力酔いに近い症状が起こるのだろう。
この【能力結晶】一つの例を取ってみても、採集者に必要なのは高い計画性と自己管理能力だとわかるだろう。けれどもっと酷い例もある。
『自己治癒力増強』の【能力結晶】は安いのだが、その理由は、大事だから誰もが持てるようにしている、という面がないわけではない。けれど『治癒する』ための能力を付加する結晶に比べて安すぎるのは、これも事故が多く、そしてその事故が悲惨だからだ。そのため人気がなく、けれど非常用として、あるいは家庭用として売られているわけだ。
その事故とは――腐り落ちるのだそうだ。
実例の一つとして――ある程度の上層で大怪我を負った採集者が、影に大量の『自己治癒力増強』を付加することで一命を取り留めた。しかしまだこの階層は自分には早いと、賢明にも悟り、下層に降りるという判断に至った。ただし、彼がいた位置は下層に降りられる転移門の傍ではなく、シェルターも近くにはない。一番近かったのは、最下層へ一気に降りられる転移門だけ。彼は上層にいただけに、自己管理の大切さも、そして【能力結晶】でしてはいけないことも心得ていた。けれどここに留まればどのみち『再ポップ』したクリーチャーか、もしくは徘徊型のクリーチャーにやられておしまいだ。自己治癒では流した血までは補えないのだから。しかも彼はその時、運動能力付加を自己治癒付加で上書きしたためのリバウンドに見舞われていた。冷静になれる状態でもなく、実際一か八かに賭けるしかなかったのだ。そして――腐り落ちた。
過剰投与の症状だ。自己治癒力の暴走である。自己治癒とはつまり代謝機能の増強であり、それが制御を失えば、細胞は死に、そして生まれるということをごく短いスパンで繰り返すことになる。それは熟れきった果実が種を吐き出すように腐り落ちる様と酷似していたとか。
すべてではなく、また転移先に居合わせた採集者によって『治癒/修復』されたおかげで彼は一命を取り留めたが、その殆どの身体機能がちぐはぐになってしまい、外見も崩れきって、そもそも精神に異常を来してしまった。もちろん採集者として復帰することは絶望的だった。修復もそこまで万能ではなかったのだ。というか修復する端から崩れていくのだから、追いつくわけもない。最終的には何をどう修復していいのかわからなくなっていたのだろう。
この世に言う『ゾンビ事件』である。ここまで酷い例はあまりない。それはソロで採集する者が多くないからだ。後の調査で彼は人間関係でトラブルを抱えていたことが明らかになり、それが彼の人間不信を煽り、彼が他の採集者の救助を待つことを選ばなかった理由とされている。ソロが危険で、パーティを組むことの大切さがわかる話であると。この話は様々な教訓を含んでいるとして、初心者たちに聞かせる話として語り継がれることになったとか。
ちなみに蛇足だが、その修復をした採集者は語り部として活躍し、出世したとかしなかったとか。
実際その採集者は、考えてみれば全身剥き出し柘榴みたいな風貌の彼を見てもクリーチャーだとか【全型魔生物】だとかと誤解せず、それでなくとも気味悪く思うところを、治癒しようと近づいたのだから中々の推察力と勇気を持ち合わせていると言えよう。出世したとしても不思議はない。ただ、なんだか台無しだからか彼のその後は語られていないようだ。
ともあれ、素直な初心者はこのエピソードに怖じ気づくし、忠告を受け入れるが、そうでない者は大概が早死にする。この話を聞いて、その色々な『証拠』を見せられても、自分にそれが降りかかると想像できない者に、自己管理能力など望むべくもないからだ。
しかしながら採集はしていても採集者志願ではない飛逆たちがこのエピソードで着目したのは別のことだ。
『身体能力強化』のリバウンドと、そして階層別の【能力結晶】の付加制限。この二つの問題がある限り、採集者は気安く階層を移動できないという事実をこそ注目した。これこそがトップランカーが少ないことの一番の理由であろうと。
それは【精神感応合金】で固めているというトップランカーにしても例外ではない。軽くはないその装備類を『身体能力強化』なしで使いこなせる者は多くない。おそらく強化前の飛逆でも、フル装備では上層クラスのクリーチャーのスピードに対応できなくなるだろう。それは強化なくして人間の素の能力ではほぼ不可能だと言うことだ。
つまりトップランカーとは、その上層にいる限りに於いて非常に実入りがいいが、その上層から中々動けなくなる宿命を抱えている者のことだ。富が手に入っても使えないのだから笑えない。ワーキングプアとはこのことか。多分違うが。
初心者はトップランカーになることに憧れるが、中層辺りで狩りができるレベルにまで至れば、そのどうしようもないジレンマに気付くことになる。ここで止めておくのが正解だと、悟るのだ。そのレベルに達する採集者は決して『冒険』しないからこそそこに至れたわけで、何か特別な動機でもない限り、やはりそこで止めてしまう。何より、塔下街ではそこで磨いた技術を使用する機会はほぼないのだから、それが彼らを虚しくさせるのだろう。【能力結晶】で得た強さは、特に月光の恩威で得た強さは、塔下街では幻想なのだ。
ミリスがトップランカーを廃人と評した最たる理由である。そこに至るのに合理的な『利』が存在しないからだ。
何にしても飛逆たちにとって、そんな廃人が少ないことはありがたいことであり、そんな廃人がその上層から滅多なことでは動かないというのは朗報である。飛逆が千階層より下を活動拠点にしなくてもよいのだと判断した理由だった。まあ、それを知った直後に一旦塔外に出るということになって、棚上げにしていた判断だが。
けれど――そう。けれど、忘れてはいけないことがある。
計画性があり、極めて自制心が強いが、彼らトップランカーとは廃人なのである。心技体が揃った戦闘廃人……そんなありえない社会不適合者の代表に、どこか壊れた精神の持ち合わせがないはずがないのだ。
それを飛逆たちは忘れていた。
まさかハンデを抱えることを物ともせず、たった七日かそこらで四百階層を下ってくるほどに執念深い者が存在するとは、可能性としては考えていても、極めて低いと楽観していた。
極めて高い計画性が、その常識外れの移動を成し遂げさせたのだろう。何百という階層のそれぞれでどんなクリーチャーがどこにどんな風に出てくるのかを記憶し、あるいは記録し、それぞれの適正な倒し方をやはり記憶/記録して効率化して、装備を計画的に運用し、それでも消耗する装備を逐一整備しながら、あるいは補充しつつ、それらすべてが徒労に終わる可能性さえも、極めて強い精神力で呑み込んだのだろう――なんという、無駄な執念だろうか。
理性的な化け物とはかくも恐ろしい。
――鮮血が舞い散る。
飛逆たちは、反応できなかったわけではない。また、その反応が鈍かったわけでもない。縛られて反応の仕様がなかった飛逆はともかく、モモコは元より、ヒューリァも、決して鈍くはなかった。
ヒューリァは決して飛逆を死なせないと、決めていたのだろう。
不可視の刃が背中から彼女の首と肩を深く抉ったのは、彼女が飛逆を庇ったためだった。
カシュン、と金属の擦過音が、遠くからにも拘わらず嫌に耳に響く。擦過音の正体は、そのブロードソードの護拳部分から【能力結晶】の薬莢が排出された音だ。つまりはそのソードはオリハルコン製であり、ヒューリァの首肩を抉ったのは、それから放たれた風の刃だ。一個分の【能力結晶】すべてを消費して放たれたのであろうその刃は、直撃すれば今の飛逆でも危ういほどの威力で――ヒューリァはそんなものを喰らってしまったのだ。
視界の端で、モモコが「しまった」とでも言いたげに口を開いているのが見えた。モモコは避けるべきではなかったのだ。彼女の毛皮と能力なら、防御に徹すればせいぜい切り傷程度で済んだかもしれなかったから。
けれど仕方がない。モモコは決して連携が得意というわけではないのだ。同じ領域に敵も味方もいたことがないのだから。だからそんな後悔をする暇があるなら、早く、そう早くヒューリァを治療するか敵を倒すか飛逆を解放するかそれはいいから早くヒューリァを!
けれど、チリン、と薬莢が床に落ちたときにはモモコは剣鬼に向けて疾駆していた。
一瞬、飛逆の視界が真っ赤に染まった。ヒューリァの出血が飛逆の目に落ちたためだが、それでなくとも怒りで、似たようなことになっていたかもしれない。
モモコの判断も、理解はできる。悠長に治療する暇を剣鬼が与えてくれるとは思えない。思えなかったのだろう。だからまずは障害を排除してからだと判断した。そのはずだ。
だがそれには致命的な間違いが二つは含まれている。一つは、そうだとしても飛逆を解放してからにすればよかったのだ。彼女の爪なら一瞬だ。力加減が難しいといっても多少の怪我は、飛逆なら問題にならないのだ。
そしてより致命的な間違いは、無双しすぎてきたために彼女が、相手の力量を測るセンスに欠けていたことだ。短時間で倒すなど、できようはずもない。これなら致命傷を負ったヒューリァを乱暴にでも運ぶ、つまり撤退を選択したほうがまだマシだった。
剣鬼はモモコが二秒足らずで到達する勢いで迫っているというのに危なげなく、護拳のソケットに新たな【能力結晶】を差し込み――それは常人では眼で追えないほどの手際だ――逆手に持ち替えた長剣を床に突き刺す――茨がごとき岩の棘が床から伸びて、迫っていたモモコの鼻先に作製される。
咄嗟に仰け反り、縦横に回転しながらその岩棘を爪でバターか何かのように切り裂いていくモモコだが、まるでその爪戟の隙間に吸い込まれるように彼女の動きに合わせて、刃が置かれる。
剣戟ではない。剣鬼は、ただそこに刃を置いているだけだ。もちろんモモコの速度に合わせているために、一見すると剣戟だが、切り裂こうとしての動きではない。けれど、モモコの動きを完全に予測してしか成し得ないそれは、モモコをカウンターで切りつけるのと似た効果を発揮した。モモコは自ら切り裂かれに行っているようなものだ。モモコの動きは踊っているかのようだが、傍目からも、それが踊らされているのだと、明らかだった。
戦闘技術が違いすぎる。剣鬼の動きはモモコに比べれば遅すぎるのに、まるでモモコが付いてこられていないかのようだ。
実質的には身体強化しかしていない剣鬼に押されている。その事実がモモコを混乱させ、ますます戦況は悪化していく。唯一の救いは、モモコを殺しうる通常攻撃を剣鬼が持ち合わせていないようであることくらいだ。
予想できた展開だった。飛逆にとっては自明とさえ感じられた。
このままではヒューリァが死ぬ。
間が悪すぎた。ヒューリァは修復で、飛逆との戦闘で負った傷を治療していた。だが、セオリーとしては賢明な判断だったはずのその修復は、意識がなくては使えないのだ。失血性ショックに陥っているヒューリァは、ただ流れていくに任せるしかない。時間と、そして命が。
自己治癒力強化であればまだしも、猶予はあったはずだ。完治だってしたかもしれない。
そうではなかった。それだけだ。わかっている。飛逆は一刻も早く縄から抜け出すことだけを考えるべきだ。すでに関節を無理矢理脱臼させている。だが縄抜けとは時間がかかりすぎる。簡単に抜け出せるようならとっくに抜けている。
必死にもがきながら、ヒューリァに呼びかける。意識を取り戻せれば、彼女は自分で治療できる。生き延びられる。だがよりにもよってどうして猿轡なんてされているのか。よりによってどうして飛逆でも噛み切れないような材質の縄なんてものが存在するのか。これでは彼女の名前を呼ぶことができないじゃないか。
必死の祈りという名の唸り声が通じたのか、ヒューリァと目が合う。茫洋とした眼だ。意識はあっても理性はない。なのに彼女は儚くも確かに笑った。笑った?
「■同化■」
そんなことを言う余裕があるなら、自分を治せ――
真っ赤を通り越して真っ白になった頭で、けれど否応なく察してしまった。
――彼女がそうしない理由を、すでに飛逆は知っていた。




