22. サイカイ(2)
ヒューリァが単独で塔を登ったことの狙いは徹頭徹尾、飛逆を嵌めることだった。
決して『上層にいるであろうトップランカーたちを独りで倒す』ことでもなく、もちろん『飛逆に追いかけられる』ことでもなく――飛逆が当初、ヒューリァの逃亡劇が始まる直前に考えていた『飛逆を戦闘不能にして無理矢理解呪する』ことが、その狙いだ。
それはこの戦闘に突入したときには、確信があったわけではないが、わかっていた。
問題なのは、その方法論だ。
まず、解呪の術を探ることに反対する。その上で単身、塔の中に残ることで飛逆を攪乱する。この時点で飛逆の頭は当初からわかっていたはずの彼女の狙いを見失ってしまっていた。けれどここでヒューリァが『塔の中に残る』という危険極まりないことをしたのは、何も飛逆を攪乱するためだけではなかったのだ。
時間稼ぎだ。
当初飛逆は、彼女が時間を稼ぐ理由をあくまでも上層に、つまり採集者と遭遇するまでの時間を稼ぐつもりなのだと誤解していた。けれど彼女が稼いでいたのは、交渉のための時間だったのだ。
誰と?
おそらくはミリスと。
飛逆を攪乱するというのは、実は最初から副次的効果だった。最初からヒューリァは、準備期間を稼ぐために『解呪方法を探ることに反対』したのだ。
必要な物は、『身体能力強化』の【能力結晶】を最低でも二十個、『治癒』系をできる限り、後は原結晶――ここまでは察していたが、飛逆が見落としていたのは、『ミリスの髪』だ。理屈で言えば、わざわざ人形を作らずとも、原結晶に植えるだけで通信は可能になるだろう。
思い返せば途中から、ミリスの言動が奇妙だった。あれはミリスがヒューリァの案に乗ったからこそ乱れた言動だったのだとすれば辻褄が合う。
捜査に反対したことで稼いだ時間でそれらを用意したヒューリァは、次に単身で塔内に残り、そして頃合いを見て交渉を開始する。その内容は『飛逆を戦闘不能にして無理矢理に解呪を受けさせるから協力しろ』というもの。なぜわざわざ塔内に残った後なのかといえば、ミリスへ自身の戦闘力を見せつけるためと、計略が飛逆に漏れる可能性を僅かにでも減らすためだ。
今ならわかる。ミリスが「恩を売りたい」とか言っていたときの本音は「友好関係を結びたいヒューリァに恩を売るつもりなので、恨まないでくださいね」だ。その天秤の傾きは、なんだかんだで甘い飛逆よりも、難物のヒューリァの『約束』を取り付けるほうが長期的に見れば得だと判断したからだろう。飛逆はリアルタイムで隠し事を作られていたのだ。
そして解呪後の生活の保障でも取り付けたのであろうミリスは、下準備が完了した時点で適当な理由を付けてモモコ不在を意識させ、飛逆を『孤立』させる。
ヒューリァとの一対一なのだと、殊更に意識させるためだ。これ見よがしに痕跡を残したのも同じ理由だろう。ヒューリァだけがそこにいて、クリーチャーという邪魔さえも入らないのだと強調する。
意識的な死角を誘導する。いわゆるミスディレクションを、あらゆる方向から仕掛けられていた。
挙げ句に、目くらましとして非常に優秀な炎の迷路だ。光どころか音さえも歪ませるそれは、隠れ蓑として機能する。
それは、ヒューリァだけでなく、『飛逆を目印に転移してきたモモコ』の隠れ蓑として、だ。むしろそれが本命だった。ただでさえ飛逆の感覚でも感知が難しい隠形を使うモモコにこれをやられれば、何をどうしても避けようがない。予見していない限りは、絶対に。
そしてこれ以上ないほど嵌められた飛逆は、今こうして怪力のモモコに後ろから組み付かれている。
そして――
「フゥゥゥゥゥ――ッ!!」
紫電に纏わり付かれる。
度重なる【吸血】により空恐ろしいまでに頑強になっている飛逆でも、密着状態から浸透系の電撃に命令伝達系統を乱されてはどうしようもない。ましてや組み付いているのはモモコだ。その怪力に加えて整体の知識がある彼女は、飛逆の無意識に暴れる体にしっかりと食いついて離れない。
意識を失うことこそなかったが、思考が飛び飛びになる。時制の感覚が薄くなって、系統だった思考を失った。
――予見できなかった最大の理由は、まさかヒューリァが彼女たちを当てにするとは思わなかったことによる。
気付くことのできるとっかかりは、実はあったのに。たとえばヒューリァが、変貌を遂げた飛逆の姿に僅かにも驚いた様子を見せなかったときに、唯一飛逆をリアルタイムで観察できたミリスと繋がっていると、察することができてもよかった。
ミリスはまだわかる。完全な利害関係で『縛れる』からだ。しかも弱点があまりにも明らかなミリスは、精神的にもヒューリァの上位に立つことはできない。どれだけ頑張っても対等がせいぜいだろう。
利用することまではヒューリァもやるだろうと、飛逆にも予見できる。けれどモモコは、利用できない。ヒューリァは彼女に『お願い』しなければならなかったはずだ。
それが最大の理由。
ヒューリァはいつからモモコに『お願い』していたのだろうか。
モモコの言動を鑑みれば最初からということも考えられるが、わからない。モモコならば、ただの勘でヒューリァの行動(というより心理)を読んでいたという可能性だってある。
これだけは、後で聞かなければならないな、と。
時制を取り戻した思考でぼんやり考える。
最早抵抗する気力を失った飛逆は、妙に嬉々として飛逆を縛り始めるヒューリァの横顔を薄目で眺めながら思う。
ところで縛り方が妙に手の込んでいるのはなんでだろう。ただ拘束するだけなら親指を合わせてきつく結ぶだけでも充分なのに(関節をいくらでも自在に外せる飛逆には不十分だが)。
モモコもなんかそんなヒューリァに怪訝そうな顔を向けているし、猫耳が横に傾いている。
聞かなければならないことが増えた。
(ヒューリァ……まさかまだ俺がそーゆー性癖持ちだって誤解してんじゃないだろうな)
それともヒューリァの内なるドSが疼いているのだろうか。
今回のこれが、分からず屋の飛逆への『仕返し』ないしは『お仕置き』的な意味合いがあったことは想像に難くなく、その意味の延長だと思いたいところだが。
どれもありえそうで――というか全部であっても矛盾はなく――大変怖かったという。
まさか『お持ち帰り』するための梱包だったとまでは、読めなかった。
金属製のワイヤーよりも頑丈な不思議材質の縄でほぼ簀巻き状態の飛逆は、精神的陵辱を受けている心地で、肉体的ダメージはほぼ抜けているにも拘わらず完全に脱力して、あさっての方角を見る気分で現実逃避していた。
気分なのは首筋さえも固定されているからだ。猿轡をしてさえ自由になる可動部が一つでもあると油断ならないという念の入れようだ。さすがに瞼と瞳は動かせるが。
それにしても――肩に担がれるとかであれば、まだよかった。けれどヒューリァが飛逆を運ぶために選択したのは、いわゆる抱っこだった。
ただの抱っこに非ず。
お姫様抱っこだ。
そりゃぁ、今のヒューリァは十個分以上の『運動能力増強』を付加されているのだから、質量的には見た目よりやや重い(筋肉の比重が高いため)程度の飛逆を持ち運ぶくらいは容易いだろう。鼻歌さえ歌い出しそうなくらい余裕なのはわかる。
しかしなんだろう。正直どうしてここまで屈辱的なのか、飛逆は自分でも説明できない。だが屈辱的だ。
ついでに、モモコがそんな飛逆たちを心なしか羨ましげな眼で見ているのも不思議だ。
気のせいでなければ、彼女が羨んでいるのはヒューリァだ。こんな状態の飛逆の立場が羨まれるほうが変なので、おそらく間違いはないだろう。
けれど、何が?
ヒューリァにしても羨まれる要素があるようには思われない。
だが、ほんの少しだけ、心当たりがなくもない。
というのも、誰もわざわざ確認も指摘もしないが、モモコにショタ的趣味があるのは仲間内では周知の事実だ。トーリなどを愛でているのだからわかりやすい。
トーリは実年齢よりも幼く見えるから、てっきりそのくらいの年齢がストライクゾーンなのだと思っていたがもしや、飛逆くらいの歳も守備範囲だとでも言うのだろうか?
兄の模倣を心がけてきたせいで精神年齢を背伸びしている飛逆には、あまり自分が少年だという自覚がないが、少年だ。少なくとも元の世界の法的にはそうだ。とはいえ――しかも、成長はほぼ止まっているし、童顔だというほどでもないのだが、欧米的な基準で言えば飛逆の見た目は充分に『少年』である。
百歩譲ってそれはいい。モモコの愛でる対象と見なされるのは、まだ納得しよう。
だがこの状態を羨ましげに見るのはどうしたわけだ?
これは是非ヒューリァにも問い糾したいのだが、幼気な(泣)少年を奇抜にデコレーションされた等身大フィギュアとほぼ同じ扱いをして、何がそんなに楽しいというのか。何がそんなに楽しそうに見えるのか?
あまり突っ込んで考えない方が幸せでいられる気もしたが、この状態がすでに幸せではないので飛逆はつい考えてしまう。そしてやっぱり考えない方がいいと結論して、最初に戻る。
現実逃避であった。
〓〓 † ◇ † 〓〓
言ってみれば油断していた。
それは飛逆を『お持ち帰り』してご満悦なヒューリァと、それを羨ましげにしているモモコも同様だ。
飛逆たちは忘れていたのだ。
あまりにも自分たちの能力が戦闘方面に高すぎたために、あるいは高くなりすぎたために。
無意識的な油断――それを傲慢という――を抱えてしまっていたことに、気付かなかった。
特に飛逆はやりすぎてしまった。短期クリーチャー討伐数ランキングなんてものがあれば、この世界で間違いなくぶっちぎりで一位を獲得できてしまうくらいに、調子に乗っていた。
大抵のことに言えるが、調子に乗ること自体は別にいい。勢いに任せてしか果たせないことというのもあるだろう。
けれど問題なのは、大抵の場合、それを自覚できないことだ。
勝って兜の緒を締めよとはよく言ったものだ。習慣として飛逆は残心を怠らないが、逆に言うと習慣化していて半ば形骸化している。しかも飛逆は悪いことに、勝ってはいない。
勝ったのはヒューリァだ。
だからというわけではないだろうが、その全員の傲慢のツケを真っ先に支払ったのは彼女だった。




