20. サイカイ(1)
痕跡の有無などからヒューリァが隠れんぼしはじめたと判断して、すぐ上層の転移門付近にて体感で二時間待った。
その頃にはヒューリァの狙いがわかっていた。正確には、可能性を絞ることができた、ということだが。
彼女にとって、飛逆が単独であると判明した時点からこの状況は織り込み済みだったのに違いない。
いわゆる焦らし戦法だ。こうくるだろうというのは予め想定していたが、考えが足りなかったのは、飛逆が一応人間であるというところだ。
ヒューリァと飛逆は、短時間での戦闘力なら現時点でもせいぜい互角だろうが、長時間に及ぶと明らかにヒューリァに分が悪くなる。だからヒューリァは、飛逆に追いかけられたならいずれは追いつかれることを予測していた。何より体力が違い、その他諸々の要因のため行動継続可能時間に差がありすぎるためだ。
だがそんな飛逆有利の条件ではあるが、飛逆にしても無視できないのはいわゆる生理的欲求である。
食事と排泄。
食事はまあ我慢できる。元々数日の断食くらいは平然と受け入れられる体質だ。
けれどそんな飛逆でも一応生物であるために、代謝を行っている。何も食べなくとも排泄物というのは刻一刻と生産されているのだ。腸内細菌の死骸などがそれに当たる。
今はまだ大丈夫だが、今後どうなるかはわからない。食事が要らないとはいえ、食欲自体がなくなっているわけでもないのだから、そちらも無視できない。
こうしている間に、ヒューリァはシェルターなどに籠もって着実にその疲労を回復させているだろう。しかも彼女がそうする間、飛逆は動けない。なぜならシェルターの位置は把握しているが、一階層に複数ある上に、必ずしも彼女がシェルターを使用しているとは限らない。
なんだったらヒューリァの狙いは、飛逆をこの位置から釣り出すことだという可能性もある。転移門のすぐ傍という、否応なく接近されるこの場所から動かしさえすれば、ヒューリァには逃げ切れる成算があるのだから。
(しかも……痕跡がなかったからと言って、必ずしもヒューリァが上層に行っていないと断言できないんだよな……)
飛逆が最も恐れている可能性が、それだ。
少しばかり違和感があったのだ。それが何なのかと言えば……途中から、ヒューリァの残した痕跡が、妙に発見し易すぎた、ということだ。
一番最初にミリスが発見した痕跡は、それはもうごく小さなものだった。飛逆は当初、それを原結晶で強化する以前のヒューリァの付けたものだと思っていたから納得していたが、強化したヒューリァが付けたものだとしたら、痕跡が消えるのが早すぎるように思える。というか、途中で発見したそれと比べると、ミリスが発見した痕跡が小さすぎるのだ、やはり。
【焔珠】にしろ【轟炎華】にせよ、対象を燃やすものだから、床や壁にどうしても痕跡が残る。だからミリスが嘘を吐いたということはないだろう。意味がないし、そもそもヒューリァを発見できた時点で、それは証明されている。
そうすると……ヒューリァは痕跡を隠す方法か、もしくは痕跡を小さくする術を、飛逆に見せていないだけで持ち合わせている可能性がある。途中から発見した痕跡は、ワザと大げさに付けて飛逆に発見させていたのではないか、と考えると辻褄が合ってしまうのだ。
(けどそうと見せかけるためのミスリードって可能性もあるし……)
もう少し早くこの可能性に気付いていれば、より注意深く痕跡を探すことで検証できた。けれどもう体感にせよ二時間……塔の自動修復が完了するだけの時間が経ってしまっている。
決断しなければならない。
(いや、その前に、もっと落ち着かなければ……)
そもそもあの時、後先を考えずにヒューリァを追っていれば、あるいは捕まえられていた。装備なんか気にしてどうするというのか、今考えると頭が悪すぎる。塔の中では、いくらでも現物があちらからやってくるというのに。
ヒューリァと別れてからこちら、飛逆は『正解』を一つとして引き当てていない。ここに至れるようになった軌道修正ですらミリスの助言によるものだ。いくらなんでも見当を外しすぎだ。普段の飛逆からすれば、ワザと外しているのではないかとさえ思える。
(動揺、だけじゃないな……。いや、動揺した理由、それが問題だ)
一つには、飛逆にはどこか、裏切られたという思いがある。あるいは未だに、飛逆はヒューリァがこんな行動に出た理由を納得していないのだ。
(そう、行動に一貫性が見えない……)
一番最初に、裏切られたような気分になったのは、今回の本来の予定だった件の施設への潜入に彼女が反対したときだ。
どこかヒューリァらしくない。飛逆の中の彼女のイメージに合わないのだ。それが裏切られたという勝手な印象に繋がっている。
ヒューリァはかなり聡明だ。飛逆とは考え方が違うが、それはカルチャーギャップと性別の違い(セクシャルギャップ?)のためだろう。だから飛逆には理解できないだけで、かなり頭が回ることは確実だ。だが、その理解のできなさと、今回の彼女の行動の意味不明さは、ベクトルが違う。どう違うのかはわからないが、何かが違う。
たとえばの話、ヒューリァが例の施設に潜入すること、延いては解呪の術を手に入れることを防ごうとしているなら、こんな方法は取らない。なぜなら現実として、ミリスなどは飛逆たちを無視してモモコにそれをやらせるつもりであることが明らかだからだ。その証拠に、ミリス人形は呼びかけても『お掛けになった回線はただいま大変混み合っており~』とか抜かして取り合わない。そんなネタが共通だということの確認など心底どうでもいい。
多少冷静になって考えて、このパターンは事前に読めたはずだ。ヒューリァにも読めただろう。むしろヒューリァの行動が、ミリスにその勝手をする口実を与えたと言ってもいい。よってヒューリァの目論見が『解呪の術を探ることを防ぐ』ことである可能性は低い。
(攪乱、か……?)
仮定だが、そのように考えると辻褄が合う。あの反対自体にはあまり意味がなかったと。
つまりヒューリァは初期の段階から、飛逆の予想を裏切るためだけに綿密な計画を立てていたという仮定だ。ヒューリァが意図したものではなかったとしても、飛逆は自らそれに嵌ってしまっていたことはここまで来ればはっきりしている。
(こっちのことがわかってる相手に、俺はあまりにも行き当たりばったりに動きすぎた)
これが最大の反省ポイントだ。
いつも通りの心構えで追っていては、おそらくまたしても出し抜かれる。つまり、ただ冷静になっただけではダメなのだ。
そしてヒューリァが飛逆を出し抜くことを念頭に置いているとして可能性を絞れば……ヒューリァはすでに上層に行っている、と考えた方がいい。
ここまでわかっても、まだ何かを見落としている気がする。だがそれも、これまで外ればかりを引いてきたことによる考えすぎだという気もしている。
(負け癖が付いちまったな……)
苦手意識と言い換えてもいい。上手く行かないことが続きすぎたためだ。自分の行動に自信が持てない。これは本能的な……無意識的な部分で、払拭が難しい。
「っし!」
あえて慣れないこと(気合いの声を出す)をして、意識を切り替える。
随意にリミットカットができる飛逆は呼吸による不随意筋の出力調整や発声によるマインドセットなどを必要としないため、これまで静音性などを重視して、気合いの声などは殊更抑えてきた。だが頭をこれまでとは違うようにする――切り替えるためには、こうした小細工だってしてみる。
あまり精神高揚などの効果はなかったが、それでも指針は定まった。
(最優先がヒューリァの安全だってのは当初から変わってないんだ……なら、できる限りクリーチャーを殲滅していけば、仮にヒューリァが俺の後追いになっていたとしても、少しは危険を減らせる)
ミリス的に言えばクリーチャーが『再ポップ』するのは、やはり二時間前後。この時間で、飛逆の殲滅効率と移動速度なら、一時的にワンフロアからクリーチャーがいなくなる状況を作ることだって可能だ。
そこまでは目指さないが(意味がないので)、六、七割を殲滅しておけばそれだけ危険率は減る。しかもこれならヒューリァが原結晶を手に入れる機会が減り、もしかしたら彼女のファイアウォールなどに回数制限を設けることができるかもしれない。ついでに身体能力が微増していくため、結果的には階層突破速度はさほど変わらないだろうという目算もある。
不確実な上に非効率的にも程がある、と普段の飛逆なら拒否する選択だ。だがあえてそれを選んだ。途中で気が変わるかもしれないが、それでもいい。
要は飛逆は、ただ待っているだけでは疑心暗鬼に陥りそうで、それが最も拙い状態だと予見し、いわば気晴らしを行っているのだ。できればそこに意味を持たせたいということで、この選択になった。最後の一歩で『自分らしさ』というのを手放せない辺りが、結局は飛逆が飛逆たるの所以であるが。
だが結局気は変わらず(ほんの少しではあるが、クリーチャーの殲滅が楽しくなってきていたのは秘密だ)、それで越えた階層がかれこれ二十を数える頃に、その痕跡を発見した。
言うまでもなくヒューリァのそれだ。
見つけたとき、飛逆は様々な意味で虚脱感を覚えたものだ。
やはり出し抜かれていたということにも、ヒューリァが少なくともこの時点までは健在だということにも。無意味に【吸血】しまくってしまったことへのやってしまった感が一番大きかったかも知れないが。
なぜやってしまった感があるかといえば――できるだけ気にしないようにしていたが、先ほどからちらちら視界に入る自分の前髪が、どうも色が変わっているようなのだ。おそらくだが、瞳の色も変わっている。
すなわち、【吸血】発動時のそれだ。黒髪黒目は見る影もない。
茶褐色だがどこか自然色とは異なる色合いの髪に、瞳はもちろん琥珀色。二つとも、意外なほどに人相の印象を変えてしまう要素だ。変貌と言っていい。
まあ代償というか、副作用としては軽いものだとして割り切るが。
ともあれ、これからは極力、クリーチャーを素手だけで倒していくことにする。全力の八割程度の気分でクリーチャーの体を貫通ないしは爆散させられる今となっては、【吸血】しようがしまいが殲滅速度は変わらない。
単純な力だけでもすでにヒューリァの知る飛逆からはかけ離れているので、意外と簡単に捕まえられるかもしれないという楽観が生まれるほどだ。
だがその楽観は、予想外の形で裏切られることになった。
次に見つけた痕跡があまりに目立っていたからだ。
過剰な火力で、まるで見せつけるみたいにあちこちにそれは残されており、その痕跡を辿れば、どのフロアにも必ず一カ所は存在する大広間へと続いていた。
そしてその広間には、逃げ続けていたはずのヒューリァが待ち構えていた。
「■■漸■、ひさか……」
彼女は淡い微笑を浮かべていた。




