19. 火計で鬼ごっこ
おおざっぱな概算で飛び込んだ転移門で出たのは、千五十六階層だった。
誤差にしては小さいと喜ぶべきだが、登ればいいのか下ればいいのか、判断に困る。
ヒューリァが単身で移動した際の速度に見当がつかない。中・遠距離特化の彼女が単身という状況を想定していなかったからだ。これなら四十台の階層に出た方がまだ、登ればいいという指針が立つ分だけマシだった。
いい加減頭が冷えてきている飛逆は少しばかり移動速度を落とし、なるべくクリーチャーに出遭わないようにしながらヒューリァの気配を探すことに専念する。
〈ヒサカさ~ん、ちょっと気になることがあるんですけど~〉
「なんだ?」
〈以前言っていた~、塔の傷の修復間隔って~、どれくらいでしたっけ~?〉
長いこと塔の中にいれば、以前つけた傷やなんやがいつの間にか消えていることに気付く。そのことから塔は自動修復しているという結論は以前に得ていた。
ちなみにトラップ系のクリーチャーも同じ場所に湧いていた。どうやらトラップ型は塔そのものと同じ扱いであるらしい。原結晶も落とさない。
「大体、一刻ほどだったはずだ」
およそ二時間だ。ただしこれは、最長でということであって正確にどれくらいというのは検証していない。自動修復しているという事実はともかく、その正確な時間まではあまり重要なことではなかったからだ。
〈それって経過をじっくり観察したってわけじゃないんですよね~?〉
「ああ、それをするくらいなら狩りを優先したかったからな」
〈つまり~、破損の程度を変えての検証もしていない、ってことですね~?〉
「……焦げ痕を見つけてたのか?」
〈ヒサカさんが動体の気配を探していたようだったので~、ワタシは主に痕跡を探してましたから~。ただ~、小さかったんで~、確証はありません~〉
「仮に正解だったとして、結構な速さでヒューリァは移動しているってことになるよな」
焦点を合わせていなかったとはいえ、感覚がチート気味の飛逆が見落とした痕跡だ。それは余程小さくなっていたに違いない。
〈だから確信が持てないんです~。ただ~、同じような反応がいくつか見つかっているので~、ヒューリァさんの痕跡かどうかはともかく~、そういうアクティブな存在が何かしたって言うのは~、断言します~〉
つまり自発的に塔を傷つける行為をしないはずのクリーチャーではない。
「……速すぎる。どう考えても」
ヒューリァが戦った痕は何度も見ている。どう試算しても【轟炎華】クラスを連発してしか実現が不可能な殲滅速度なのだ。そこから徐々にでも小さくなった痕跡だとしても飛逆が見落とすことはありえない。加えて移動速度も異常だ。
「まあ、たとえば『流体操作』の【能力結晶】を使って炎と組み合わせして、影のほうで十個分くらい『身体強化』すれば、無理ではない……?」
可能な限り節約していたために、【能力結晶】で強化した場合のヒューリァを飛逆は見たことがない。だからありえないとまでは言えなかった。
〈仮にそうだったとしたら~、使いこなせてるヒューリァさんのセンスも大概ですねぇ〉
「ミリスも言ってたろ。ヒューリァは兵器だったって。憑かれる前には相当の修練を積んできているんだから、考えてみれば不思議じゃない」
加えて彼女の学習能力も侮れない。出遭ってからこれまでに、ヒューリァは驚くほどの成長を見せている。間違いなく天才だ。
〈どうします~? ヒューリァさんの痕跡って断定して~、モモコさんを呼びますか~?〉
「……いや、トーリを独りで森の中に置いておくわけにもいかんし」
ヒューリァが単身でも生き残れる力があると判明した今、わざわざ戦力を増強する必要性も見いだせない。
〈お優しいことですね~〉
「わかってて言ってるな?」
別にトーリを気遣ってのことではなく、モモコの機嫌を損ねないために彼が足手まとい以外の何物でもなくなっているのに、尊重しているのだ。
ミリスにそれがわからないはずがない。
〈ワタシはわかりますが~、という話です~〉
ヒューリァにはそれがわからない。ミリスはそう言いたいのだろう。
いい加減、ヒューリァが飛逆の性質を誤解していることは、認めている。ヒューリァがどうして強引に単独行動を取ったのかも、当たっているかどうかはともかく、理解はした。
〈というか~、ヒサカさんの理解を得られやすくするために~、ああいう言い方をしましたが~、実際のところ、どうなんですか~?〉
先ほどまでの、焦りすぎた飛逆にはああいう言い方しかできなかっただろう、というのはわかる話だった。
「どう、とは?」
〈ヒサカさんは冷血漢ではない、と~、ワタシの印象ではそうなんですが~、ホントのところ、ヒサカさんはいわゆる凶悪な行為に~、抵抗はないんですか~、という話です~〉
「抵抗は、ない。ただ、つまらない行為だとは思う」
殺人や強盗といった行為を、飛逆は必要ならばやるだろう。それはもうあっさりと。
〈つまらない、ですか~?〉
「それが必要な状況って、相当追い詰められているってことだろ? そうせざるを得なくなってしまったことが失敗って感じがする。だから、うまく言えないけど、殺人という行為自体に抵抗はないんだが、もっと上手くできなかったのか、とか、考えてしまうだろうな」
〈……生け贄として召喚されたことで~、とっくに~、追い詰められているって思いますけどねぇ~、ワタシなんかは~〉
それは肯定する。召喚された直後に状況を把握できていれば、今頃一人や二人は手に掛けていたかもしれない。タイミングが良かった、あるいは悪かったとしか言いようがない。
「なんだ? 本当は誰か殺した方が進むのか?」
どうやら本当に先ほどは飛逆の手前、飛逆と同じような考えだと言っていただけで、本当は違う意見があるらしい。今は冷静だと見てそれを告白したということだ。
〈はい、まぁ~。せっかくワタシたち生き残っている【全型】は~、暗殺技能者ばっかりなんですから~……完全犯罪で消して欲しいのが二人と~、普通の刃傷沙汰を装って殺して欲しいのが一人~、スケープゴートのために記憶喪失にしてほしいのが一人~って感じで~〉
随分と計画は出来上がっていたらしい。
「……言い出せなかったのはお前のほうだったってことか」
〈ヒューリァさんの考えがああだろうっていうのは~、嘘じゃないですよ~。それに~、ワタシだって後のことを考えれば~、安全マージンを取りすぎて平和ボケしている~、塔下街の現状を維持しておいた方がいいってことは~、理解しているんです~〉
だから解呪の方法が見つかってから考えるべき事だと保留にしていたという話だ。
〈解呪に成功すれば~、ワタシたちはちょっと特殊な知識と技能を持っているだけの一般人になっちゃうんですからね~〉
定住するなら、平和なほうがいいということだ。
この辺りのバランスが話をややこしくしている。
今後弱体化することを目的としているわけだから、塔下街との決定的な対立の種は蒔きたくない。するとどうしても慎重を期さざるを得ず、こちら側の不満を溜め込む上に、何かと後手に回りがちになる。その後手に回ったりした問題の解決を結局は異能任せの力業で解決することになるわけで、それくらいなら最初から出し惜しみなくやったほうがいいという話になるが、結局堂々巡りなのだ。
〈そういった意味~、解呪されてもこれだけの戦闘力を持つヒューリァさんとはぁ、できれば友好関係を結んでいたいんですよね~。そこまでは難しいかもですけど~、ヒサカさんに恩を売っておけば自動的に~、という具合で~〉
「……なんていうか、現金な話だな」
苦手とするはずのヒューリァのためなのに妙に協力的な理由として説得力があり、ありがたい話ではあるのだが。
〈念願の呪いが解けました~、けど死にました~、では~、虚しいどころの話じゃないじゃないですか~。それにワタシは元々ヒキコモリなんですよ~……。素のワタシには戦闘力はおろか~、生活力さえ期待できませんよ~?〉
なんというダメ人間宣言。
(ミリスはマルチタスクが得意で分析もできるんだから、情報収集とかができなくても事務仕事とか向いてそうだけどな)
とも思うが、あるいはミリスは、計算高い癖にこういうことをあけっぴろにするところで失敗するタイプなのかもしれない。変なところが無防備なのだ。
ミリスとしては、いざその時になっても失望されないようにと予防線を張っているつもりなのだろうが、他人からすればそれはやる気がないようにしか思われない。なまじ有能なだけに、できないという宣言に説得力がないのだ。仮に説得力があっても同じ事だが。
(まあ、似たようなところあるし、俺には何も言えんか)
それに、今はヒューリァだ。無駄話していたようで、何気に飛逆は移動を続けて、たまにクリーチャーを殲滅しているが、これからはもっと本気を出さなければならない。
ヒューリァが今すぐにどうこうなることはないと判明したが、逆に言えば追いつくことが難しいことも同時に明らかになったのだ。
【能力結晶】を影に追加し、森を移動したときよりも異常な速度で飛逆は駆けだした。
〓〓 † ◇ † 〓〓
ヒューリァが思った以上に実力があり、更にそれを強化しているとしても、飛逆と彼女では決定的な差がある。
飛逆はインソムニアだというところだ。そして治癒と違い【吸血】は、肉体的疲労を含めた状態異常をも回復させる。つまりどうしたって休みが必要だろうヒューリァに追いつけない道理はない。
これはヒューリァを追うために全力全開してから初めて明らかになったことだ。いくらなんでも、ぶっ続けで数時間を限界以上の速さで走り続けて、戦闘行為まで挟んでも疲労を覚えないという無尽蔵の体力には覚えがない。
さすがに精神的疲労まではカバーしていないようだが、ここのところ連日付きまとっている脳が痒いような不快感は意識に棚を作って無視している。その内過負荷に耐えきれなくなった脳が融け出すかもしれないが――覚醒剤で連日徹夜仕事をしているようなものなのだから――あるいはそれさえも【吸血】が修復していて、疲労感はその急激な変化への適応のためのストレスなのかも知れないが、今は眠れないこの体に感謝だった。
三階層を登ったところでヒューリァの痕跡が、集中して探していない飛逆にも明らかになってきた。
〈ところでヒサカさ~ん、気付いてますかぁ?〉
「――ああ、近いな」
音を置き去りにするほどの速さで動きながら、ミリスに答える。
〈違いますよ~。そっちじゃなくてぇ、ヒサカさんの体のことです~〉
「――」
気付いている。異常だ。見た目がどうとかいう話ではない。【能力結晶】を追加しているわけでもないのに、速度が上がっている。クリーチャーとのエンカウント率の上昇がそれを飛逆に自覚させていた。
〈ヒサカさんは~、ワタシたちの中でもチートだったんですね~〉
チートか。クリーチャーを【吸血】するたびに微量ながら身体能力が増していくことがズルだというのであれば、そうなのだろう。
けれど、どこかに必ず限界がある。その限界で何が起こるのか。
今は考えない。クリーチャーを【吸血】する。これが最も早い。
大型クリーチャーを無造作に手づかみして振り回しながら【吸血】し、その間に小型の群れを文字通り蹴散らし、蹴り逃したのや降ってきたのや壁から跳ね返ってきたのを順に空中で捕まえて遠慮無く喰い散らかして進む。
〈レベル制のない世界で~、一人だけそれを持ってるようなものですよ~、これって~。ユニークスキル持ちの成長チートとか……〉
ミリスはもう驚くのもバカバカしいというように呆れたような語調になっている。
確かに、今の飛逆ならモモコと正面から、【吸血】なしでも戦えるかもしれない。
「……俺の『血族』の力は、本来はこれくらいは軽かったはずだ」
結局そういうことだったのだろう。
時代が変わり、【吸血】の機会が激減したことで血族全体が弱体化した。それを『血が薄まった』などと誤解していたのに違いない。
「ミリスも、俺の敏捷と感覚が不釣り合いだって気付いてただろ? 本来はこの速度域で動けるはずだったから、その感覚を鍛えさせられたんだろうな」
〈……やっぱりチートですね~。その言い方だとつまり~、ヒサカさんはワタシたちと違って~、ヒトに『怪物』が憑いたとかじゃなくて~、ヒトとヒトを重ねたとかとも違って~、『怪物』と『怪物』を重ねた存在ってことでしょぉ~?〉
けれどやはり限界があるに違いないのだ。たとえば【紅く古きもの】を喰らったことで体質それ自体が塗り替えられてしまったように、どこかで必ず誤魔化しの利かない事態が待ち受けている。
というかミリスは、自分が怪物的な姿であることを気にしている割には飛逆のことを怪物とか、それをチートとか言ってくる辺り、やはり素が無神経なのだろう。
〈ところでそろそろモモコさんを撤収させようかと思うんですけど、いかがです~?〉
「そう、だな……」
何もない森の中でひたすら待機してもらうのも悪い。ヒューリァの痕跡が明らかになった以上、無理をして留まってもらう理由もない。
〈それでできれば~、件の施設の下調べをモモコさんにお願いしようかと思うんですが~〉
「おい……」
〈あくまで下調べですよぉ。ワタシだって護衛のいない状態では~、些か不安がありますし~、絶対に無理はさせません~。
それに~お忘れかもしれませんが~、ワタシたちには時間がないんですよ~。資金が思うように集まらなかった時点で~、すぐにでも次のステップに移らなきゃいけなかったんです~〉
正直悪い予感しかしないが、飛逆には引け目がある。今現在のヒューリァのことのみならず、兄のことでも。
「……わかった」
頷くしかなかった。
ミリスはモモコのサポートに集中すると言って接続を切った。
どの道ヒューリァを説得する段になれば彼女たちはいないほうがいいのでそれは別にいい。
ただ、ミリスが始めからこのタイミングを狙っていたことがわかってしまったのが、多少気にくわない。
ミリスにとっての最大の命題は解呪だ。ただし本人も言っていたように、解呪してそこで終わりではないというのが問題だった。だからヒューリァとできれば友好関係を結んでおきたいわけだが、それは微妙に無理がある。性格を含む相性の問題もあるが、ヒューリァの今回の著しく協調性を欠いた行動からも明らかなように、彼女は本当に飛逆以外には関心がない。そしてそんな彼女を御することを飛逆に求めていたわけだが、それも今回で怪しくなってきた。ヒューリァは飛逆を中心に物事を考えているが、必ずしも飛逆の意に沿うわけではないと明らかになったのだ。
ミリスは困っただろう。チートだチートだと連呼していたが、それだけ飛逆を味方にしたい相手だと認識したということでもある。何せ飛逆は解呪したところで、彼女の言うところの『ユニークスキル』を失うわけでもなく、仮に弱体化したところで『成長チート』とやらで急激に力を取り戻すことが出来る。だがそんな飛逆も、ヒューリァを一等大事にしているわけで、解呪後のことを考えればミリスを庇護してくれるとは限らない。だからといってこのタイミングでヒューリァを失えば、飛逆がどう出るのか、それは本人さえもわからない。だから最大限のサポートはしてくれたのだろう。
仮にヒューリァと飛逆がここで脱落したなら、ミリスに残るのは、解呪後どの程度力が残るのか不明な上に、足手まといの少年を大事にしている虎娘、いまいち頼りにならない便利屋、その便利屋に使われている採集者にもなれなかった落ちこぼれたちだけ。
飛逆に恩を売るのは、ミリスにとって必須事項だ。けれど恩は所詮、口約束ですらない。本質的なところで他人を信用できないミリスがそれだけで満足するはずがない。
弱みを握りたがる。それは他者を信じない者の習性だ。
(ミリスは、俺に伝えてない情報がいくつかあるな……)
お互い様ではあったが、基本的に思い付いたことの検証しかできない飛逆よりも、能動的に情報収集ができるミリスのほうが、新しい情報を手に入れるのもそれを隠すのも容易い。前述の性質を持つミリスが何かを秘匿していないと考える方が不自然だった。
(……ああ、ホント悪い予感しかしねぇし)
色々な意味で頭を抱えながら、転移門へと飛び込んだ。
〓〓 † ◇ † 〓〓
近いと予感したとおり、あれから二階層を登ったところでヒューリァは見つかった。予想より早く追いつけたのは、やはり彼女の息が切れてきていたのだろう。
そしてヒューリァと飛逆の鬼ごっこが始まった。
ヒューリァが逃げるかもしれないと予想していた飛逆だが、いくつか想定外のことがあった。
まず、予想していたからにはこの状況を避けようと、気配を絶って近づき、問答無用で捕縛しようかと思っていた。その画面を想像すると何やら危うい気もしたが、何はともあれ話ができるようにしなければならないので、仕方がないのだと自分に言い聞かせていた。
だが間が悪かった。
それでお前は動物のつもりなのか、という形のクリーチャー……大きめのボール球が五、六個纏めて天井から降ってきたのだ。しかも相性が悪いことに衝撃に強い性質らしく、打撃では無理で、度重なる無茶な使用で切れ味がなくなっていた短剣などでも難しく、【吸血】で仕留めるしかなかった。
飛逆の思う【吸血】の欠点の一つとして、対象が絶叫を上げるというものがある。静音性の低さが著しく、隠密に向いていない。それこそ命の限りを絞っての叫びであるから、抑えさせようにも難しいのだ。
結果、当然のごとくバレた。あんな形状の癖して絶叫はきっちり上げやがったのだ。
ちょうど壁に背を付けて休憩していたヒューリァは飛逆を認め、一瞬だけその表情を喜色で埋めたが、その顔はすぐに体ごと反らされた。しかも置き土産とばかりに落としていった光る文様が通路を【轟炎華】の炎で埋め尽くした。
【吸血】を余儀なくされた時点で即時捕縛は諦めていた飛逆だが、それでもその反応に軽く裏切られた気分を味わいつつも、残りのボール球を炎に蹴り込みつつ(弾ける音が響いた)、耐炎ローブの性能に飽かせて炎の壁を突っ切り、後を追った。
そして二つ目の想定外は、ヒューリァの扱う火炎の威力が上がっていたことだ。
ヒューリァの【古きものの理】は何かを燃焼して火力を得るタイプの術ではない。炎の性質を持ってはいるものの、いわゆる火ではないのだ。火とは酸素と炭素の結合により生まれる無極性のプラズマであるから、炭素が欠けた状態ではせいぜい一瞬の火しか生まれ得ない。なのに、ヒューリァのそれは、炎の姿と形を維持して対象にぶつかってから改めて強烈に燃焼するという、物理的にはやや辻褄の合わない現象を引き起こす。
ヒューリァの扱う火炎は、火というよりは対象に熱を引き起こすトリガーそのものであると理解した方がいい。それは翻すに、『流体操作』などで周囲の空気を操り、火弾の速度や命中精度を上げることはできても、火力それ自体はあまり変わらないということだ。特に【轟炎華】は床に燃焼材がないために、風で燃焼性の空気を増やしてもやはり火力はそれほど変化しないはずだ。
だのに、ヒューリァが展開したファイアウォールは範囲が拡大している上に、持続性も高まり、壁を無理矢理に抜けた飛逆の体感では熱も増していた。露出した部分に喰らった炎が、竜人であったときの火柱のそれと同等かそれ以上であるように感じたのだ。【轟炎華】自体を喰らったことがないので確証とまではいかなかったが、ヒューリァを追う内に、確信に至った。
ヒューリァが【焔珠】の一発で大型を葬ったからだ。そして間髪入れずに再び【轟炎華】で複数の中小型を葬りがてら飛逆の視界を遮った。トドメとばかりに先ほどよりも巨大なファイアウォールを展開し、飛逆から徹底的に逃れる構えだ。
防刃効果もあるこのローブは塔内では常に装備していたために、いい加減ズタボロ一歩手前のこれでは耐えきれないと判断し、仕方なく足を止める。火傷を負うことは平気でも、身に付けている装備に穴が空いたりしたら回復アイテムである原結晶の携帯に支障が出るためだ。
(それにしても、威力を上げて、しかもそれを連発……?)
飛逆の知るヒューリァのスペックでは無理をしすぎだ。原結晶を消費して回復しながら、違和感に唸る。
記憶している限りでは、彼女が無理をしたのはモモコとの邂逅時のそれが一番だ。だが、そのときよりも威力を上げて、それを大したスパンもなく繰り出すなどという無茶は、まさしく無理だとしか言えない。字面どおり、不可能だ。
(……そうか)
気付いてしまえば簡単な話だ。ヒューリァはおそらく、原結晶で【古きものの理】の威力を底上げしているのだ。連発もそれで説明できる。他所から力を持ってきているのだから、消耗なども軽微なものだろう。
かつて飛逆が言ったように『原結晶とは異能力の素』であるから、微妙に物理現象から外れているかの理も、異能の一種だと考えれば、威力を上げる方向で使うこともできるだろう。さすがに具体的にどのように、ということまではわからないが、ミリス人形の簡単な機構(と呼ぶのも憚られる仕組み)からして、かなり大ざっぱな方法でいいと想像はできる。
むしろ事ここに至るまで飛逆がそれを思い付かなかった原因のほうが問題だ。
(無意識に、ヒューリァを気遣いすぎたってことか……)
合理的が笑わせる。ヒューリァの戦闘力の底上げは彼女の生存率を高めるのに間違いないというのに、飛逆の無意識が選んだのは現状を維持してヒューリァをせめて今以上には戦闘の場面に立たせないことだったのだ。
きっとこれも、ヒューリァの抗議の一つだ。ミリスによる分析を聞いた今なら得心行く。
なぜ飛逆はもっと戦力を上げることができるのに、それをしようとはしないのか、と。
かなり大幅に飛逆を買いかぶっているヒューリァのことだ。飛逆が思い付いていなかったという可能性はないと思っていたのだろう。飛逆を説得しようにもまた言いくるめられると思って過激な主張に出たとしたら大分辻褄が合う。
(それより、どうやって追いつく……?)
すべてはヒューリァを捕まえてからだ。
今のところ確認されていないが、火炎耐性・無効のクリーチャーなどが存在するとしたら、ヒューリァが単独であるのは依然として危険だと言わざるを得ない。
しかし見ての通りだ。近づく度に壁を張られてはとてもではないが捕まえられない。
先ほどの理屈で言うと、ヒューリァの炎は目視できることで防ぎやすいという微妙なデメリットを生んでいるが、こうして目くらましとして使うと効果が高い。分岐路で使えば、あえて正しい道を行かず、飛逆をやり過ごして同じ階層に留まるという方法も使える。
飛逆がファイアウォールに構わず突っ込んできても驚く様子は見せず、織り込み済みとばかりに再び展開してきたことから、ヒューリァは予めこの方針で行くつもりだったと考えられる。
おそらく装備の問題で飛逆が足止めされているのは、彼女にとって予想以上の効果だ。
鬼ごっこというよりは隠れんぼの様相を呈してきていた。
(けど、上に行くことが目的なら、隠れんぼは悪手だろ?)
上層に繋がる転移門か、その少し先に陣取っていれば、時間はかかるにせよいずれは捕まえられる。どうするつもりだったのだろう。
今回は足止めされてしまったために、この階層で捕まえるのは諦めるが。
直観像記憶(いわゆる写真記憶)しておいたマップを参照しても、上層へはそう遠くない。
いずれにせよ、沈静化してきたファイアウォールを突破して、とっくに姿を消したヒューリァを探すという無駄はせずに上層へと向かった。




