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1. ちょろいん?


 燃えた樹が焼け落ちる程度の時間、気を失っていたらしい。


 漠然と、紅い光に纏わり付かれていたことと、それが弾けるみたいにして光ったかと思うと全身に染みこんできたのは、覚えている。


 こうして自己認識が可能であるということは、どうやら吸った精気に乗っ取られたということはないようだ。


 飛逆の家で伝えられていた話でも、どれだけ喰らったとしても正気が侵されるということはないとのことだった。狂気に取り憑かれ、一見暴走しているかのような例がなかったわけではない。どころか、見境なく喰らいまくり、略奪と破壊を繰り返して、それこそ怪物となった者は、一人や二人ではないそうだ。


 だがそれは、【吸血】が原因ではあっても、直接のそれではないとされていた。むしろ、それは暴走した彼らがまさしくヒトであったためだと、そう聞いている。実際、どれだけ【吸血】を行っても平然としていた例はいくらでもあり、むしろ単純な数としては、【吸血】の経験が少ない方が暴走率は高かったという話だ。


 飛逆にはうまく理解できないが、【吸血】を特権と見なした選民意識というものに取り憑かれたらしい。あるいは極度の被害妄想でもあるとか。ともかく、ヒトであるために、ヒトではない己の自己認識に齟齬が生じて擦り切れて、そして狂気に逃げたのだと。


 狂気とは甘いのだそうだ。


 この話をしたとき、兄は言っていた。


 ――逃げるのはいい。むしろ逃げ時を間違えないのはとても大切なことだ。けれど、どこに逃げるのかを間違えてはいけない。


(さてしかし、どうやって逃げるかな……)


 うっすらと開けた飛逆の目の前には、女性の顔があった(それより近い位置に裸の胸があったがそこは全力でスルーした)。


 もちろんその女性は、飛逆が喰らったはずの竜人だ。炎髪・灼眼と呼ぶべき赤い髪と紅い瞳は見間違えようもない。ただ、目の前にある額には角が無くなっている。そして不思議なことに慈しむような微笑を浮かべていた。


 かといって問答無用で攻撃を受けたことを忘れて警戒を解けるほど飛逆は暢気ではない。この膝枕をされているという状況から、脱してもいいのか。むしろ動いた途端に攻撃されるのではないかという懸念が、飛逆の身動きを縛った。


(……というか、なんで生きてるんだ、この女?)


 暴走したとしか思えないほど激烈に精気を喰らったのだ。干涸らびるどころか砂のように乾いて朽ちても不思議はない。


 とはいえ何もかもがイレギュラーで、それが重なりきった状況だ。何が起きても不思議はない。比較すべき『いつも』がないのだから。物理法則ですら当てにはできないのだ。


 そうと覚るとおもむろに飛逆は体を起こした。


 どこか残念そうにしている少女(竜人としての特徴が消えている)に向き直る。


「しかし目に毒だな」


 少女は真っ裸である。しかも隠そうとしていない。局部は隠れているものの、髪で辛うじて隠れている胸などは今にも露わになりそうだ。


「?」そして言葉が通じていない少女が小首を傾げると、はらりと露わになった。


「……」

 話にならないと思った飛逆は頭痛をこらえるように片手で目を覆って視界から外し、上着を脱いで少女に差し出す。焦げだらけとはいえ、ないよりはマシだろう。


「着衣■ろ■こと■■■?」


 ぎょっとした。


 部分的にだが、少女の言葉がわかったからだ。日本語ではない。だが理解できた。


(もしかして)

「俺の言うことがわかるか?」

 意識的に言葉を切り替える。かちりと、脳の違う部分を使っているという感覚。


「……古い言葉=←とても。少し→する理解」

 少女は少し困ったという顔をしながら、首肯した。


「古い言葉?」

 どうやら飛逆が喋る『異言語』は、彼女の普段使っている言葉とも違うらしい。


「わたし=巫女→英霊←捧げられし。学んだ。その修練、=←読み解く」


「……『巫女としての修行の一環として古い言葉を学んだことがある』?」


 片言の言葉をどうにか翻訳すると、しばらく考え込む仕草をした少女はやがて肯いた。


 どうでもいいがちらちらと赤と言うよりピンクのぽっちが見えると落ち着かない。しかし「とりあえずこれを羽織ってくれ」と改めて上着を差し出すと、


「御仁。祓い解いた。わたし→=蝕み=紅く古きもの。←←感謝。襲撃。←陳謝。謝罪。捧げる別/躰、無知」


 ところどころどうやって発音しているのかわからない言葉が混ざる上に、文法がむちゃくちゃで何を言っているのか、今度こそわからなかったが、どうやら上着を拒絶されていることは身振りからなんとなくわかった。

 腕を下げられずに困っていると、


「わたし=その躰、無価値? 穢れ? ←因果」

 少女のほうこそ困ったように、あるいは悲しそうに我が身を搔き抱くようにしてしまう。


「なんかよくわからんけど、苛つくから……着ろ」


 本当にどうしてかよくわからないのだが、飛逆は頬が引きつるほど苛ついた。元々どこか弛緩したような笑みを浮かべている飛逆がそれをすると、いっそ凄惨な印象だ。

 すると少女はびくりと身を竦ませて、渋々と、そして怖ず怖ずと飛逆の上着を受け取った。


 幸いにして飛逆の上着は少女には十分に大きく、それ一枚でどうにか落ち着いた。


「さて、どうするかな」


 実のところ、少女と辛うじて意思疎通できることは、この状況でプラス要素には足りない。


 彼女がこの世界のことを何か知っているのならともかく。


「君は」


「ヒューリァ」


「……名前か?」


「御仁=→?」


「飛逆だ」


 別に自分の名前が嫌いというわけではないが、飛逆と呼ばれることを飛逆砦は好んでいる。彼女……ヒューリァが姓を名乗らなかったことをいいことに、苗字だけを答えた。


「■■ひさか」


 敬称らしき何かを頭に付ける少女に、飛逆はうんざりした。

「何も付けるな。あんまり苛々させるなよ……」


 飛逆自身も初めて知ったのだが、どうやら媚びられることが嫌いなようだ。かといって媚びる相手に高圧的に出るのもなんだか矛盾している。そんな撞着に気付いて、飛逆は自分にうんざりした。


 ヒューリァは悄然としてしまう。


「まあいい。ヒューリァは……呼びにくいな。っていうかどうやって発音してるんだこれ」

 人間の口で発音するのに向いていない。


 改めて、

「この世界のことを知ってるか?」


「異界」

 ヒューリァは指で天上を示しながら端的に答えた。

その指を自分に向けて「異界者」


「いや、それはある意味貴重な情報ではあるんだが」


 つまるところ彼女もまた世界を渡ってきた者であることが確定した。


「■っ……ひさか。この地、原種? ←ない」


 ニュアンスで訳すると、『飛逆はこの地の原住民じゃないの?』


「俺も君と同じく別の世界から渡ってきた」


「……■■■っ!?」


 古き言葉以外の彼女の言葉は相変わらずさっぱりわからない。音声としてすら認識が難しい

 けれど「本当!?」という感じだと伝わった。


「そんなわけで、俺が君から【力】を奪ったことは、君がこれから生きていくに有効な手段を奪ったに等しい。感謝される筋合いはない」


 どうやらヒューリァのあの【力】は不本意なそれだったようだが、この見も知らぬ世界では、元の世界に戻る方法を探るにせよ、この世界に帰化するにせよ、貴重な戦力だったはずだ。


 しかしてヒューリァはきょとんと首を傾げた。


「……略取→無関係=→感謝→→ひさか←大感謝。逝く、蝕み~、無理、時=受容」


「すまん、何言ってる?」


 途中まではなんとか「奪われたなんてことはない。飛逆には感謝している。それも大感謝だ」と言っているようだとわかったのだが、後半は本当に意味不明だった。


「……不便」


 もどかしそうに手をぐーぱーさせて、また悄然と肩を落とす。


「……まあおいおい、ってことにしておくか。どのみちしばらくは行動を共にしなきゃいけないんだろうしな」


「見捨てる、義務←不要→わたし、可成←何時同」


「いつでも見捨ててくれていい?」

 と言っているのだろう。


 苛々しているわけではないのだが、何か、こう……。


 飛逆はこの少女に何かを言いたかったが、それが何か自分でもわからず、溜息を吐いて無言で立ち上がった。


「どうするにせよ、まずはサバイバルだ」





 飛逆は適応力が高いほうだと自負している。それはこれまでの人生が証明している。

 しかしながら、これには参った。


 というのも、とりあえず水を求めて探索していたら、いきなり真っ黒い壁に出くわしたのだ。


 いや、色で言えば黒なのだが、これは光を返さないということであって、どうも物質ではない感じがするのだ。


 嫌な予感がした飛逆は直接手で触れる前に木の枝を拾って軽く放ってみると、案の定、なんの音もせず、そして停滞もなく、木の枝は姿を消した。


「分解?」

「消滅……」

 ヒューリァと顔を見合わせ、どちらも同じ事を連想していたことを確認し合う。


 けれどヒューリァは何事かを考えたかと思うとおもむろに前に出て、その壁に手を突っ込み――かけたところを飛逆が止めた。


「そういうときはこれで試せばいいだろうが」


 今度は生木の枝を持ってきて、その壁に途中まで突っ込んで、しばらくしてから引き抜く。


 木の枝の先は消滅していなかった。あくまでも見た感じは。突っ込んだ部分を折って内部を確認してみるが、繊維質が変化しているような感じはない。つまり構造を変化させるような作用はおそらくない。


「空間転移門ってところか」

「空間転移門?」

 どうやらヒューリァの語彙にはないらしい。自分の体を使って試そうとしたことからも、彼女もこの壁が空間と空間を繋ぐ扉のようなものであることはわかっているはずなのだが。


 おそらくヒューリァが学んだという『古い言葉』は失伝するほど古代の言葉だったのだろう。参照できる資料が少なく、だから知っている語彙が偏っている。そうして考えると、むしろ文法はともかくその語彙はかなり広範を網羅していると言えるから、彼女の勉強不足というわけではない。


 というより、飛逆はどんな原因にせよ苦労なく扱える言語で彼女との意思疎通を図っているわけで、こちらからの歩み寄りをしていない。本当なら彼女の『現代語』を覚える努力をするべきなのだ。けれど、


(まだわからんが、この世界にも人がいるかもなんだよな……)

 それが問題だった。


 人がいるということは、社会という共同体があるということ。その共同体に一時的にせよ潜り込まなければこの世界の常識を探ることもできない。


 すると、どう考えても新しい言葉を覚えるハメになる。そのとき彼女とだけ通じる言葉を覚える意味は激減する。


 彼女と別れるかどうかはそのときになって考えるとして、その話し合いはそこで覚えた言語ですればいいからだ。


「帰還、可能? ←通過後」


「……ああ、元の世界に戻れるかも、ってことか」


 その発想はなかった。なぜなら、


「期待しない方がいいと思うけどな」


「何故?」


「俺と君が別々の世界から来ているからだ」


「……理解」


「もちろん、この門がただの中継で、通れば各々の『元の世界』に戻る可能性はあるけど、それよりは『この世界』の『別の場所』に繋がってるってほうがずっとありえる」


 ここまであらゆることが未知であると、どんな可能性だってありえる。だからありえないと断言はできないが、可能性としては低い。

 だから『期待はしないでおく』。


 ただし、飛び込んでみる価値を飛逆は否定しない。


 仮にこの門が一方通行であったとしても、飛逆たちにとってこの場所もまだ未知である。転移した先がここよりも過酷な環境である可能性は否定できないが、ここが安泰の場所であるともまだ未確定なのだ。むしろ迷う理由が少ない今のうちに思い切って飛び込んでしまうべきだろう。


 それでも飛逆は慎重を期した。


 木々を伝う蔓や蔦をいくつか見繕って採集。束ねてこよりにして、それを頑丈そうな近くの木に括り付け、命綱の代わりにした。


 向こう側が観測できない以上、空中に放り出される可能性もまた否定できないからだ。

 それに、この場所が異世界からの転移先であることも無視できない。元の世界に戻るための条件にこの場所が必要だという可能性は消えていない。

 ほぼ同じ場所にヒューリァが転移してきたことからも、この場所は特別である可能性は非常に高い。

 そのことを最初から思いついていた飛逆は、移動するに当たってあらゆる場所にマーキングを施していた。


「ひさか=賢人、←すごく→感心!」


「……」


 実のところ、ここまで慎重になるのはヒューリァがいるからだった。自分一人だったら、まあどうにでもなるだろうと適当に判断していただろう。


 飛逆に非があるとは言えない状況だったとはいえ、彼女の【力】を奪ったのは間違いのない事実だ。


(責任……というより義務感ってのかね……)


 それも微妙に違う気がした。なんだかその言葉は押しつけがましい感じがして、そうと認めたくないだけなのかもしれないが。


 準備ができたところで、いざ飛び込もうとすると、ヒューリァが何を思ったのかそそくさと飛逆の腕に絡みついてくる。


「……一応、なんのつもりか聞いていいか?」


「仮定→→移送時←分断←拒絶する)(希望」


 仮に転移する際に各自が別々の場所に飛ばされるということがあるのなら、それを回避したい。だからひっついているのだと、ヒューリァはにこにこと無邪気な顔で言う。


(……どうもこの娘、元の世界への執着っていうか、帰還願望っていうか……ないよな)


 その点、飛逆も似たようなものだが、これで飛逆は自分の精神構造が歪というか捻くれているというか、ともかく健常とされるそれでないことは自覚している。

 その自分と共通する部分があるということに、何か言いようのない違和感があるのだ。


 ともあれ別に嫌なわけでもなく、そのままあっさりと飛逆たちは連れだって――転移した。




 ――で、さすがにこれには参ったわけだ。


 そこはひどく天井の高い建物の中だった。正体不明の光源で照らされたそこは、大広間といった風情で、百メートルほど先にはその広間からの出口らしきところがある。


 何に参ったのかというと、その出口の付近で、ギィン、ガンッ、ドガッ、と明らかな戦いの音が響いてきているわけだ。そして中世ヨーロッパ風の鎧と剣を装備した男と、彼に斬りかかられる怪物との立ち回りが一瞬覗けたわけだ。


 ゲームやらなにやら、サブカルチャーに触れる機会のあった飛逆は、この光景を見て『ダンジョンに潜入する冒険者とそれを排除しようとするモンスター』という構図を見いだした。そして困った連想に行き着いてしまった。


 普通なら冒険者にしろ何にせよ、人がいたことに安堵して、彼を助勢するなり彼が怪物を倒した後で助けを求めるなりするのだろうが。


(ちと想像が飛びすぎている気もするが……もしかして俺らって、迷宮の怪物として召喚された?)


 飛逆の見た目は人間そのものだが、吸血種(かいぶつ)だ。【力】を発現しているときにはちょっとした異形に変貌もする。

 そして喰われる前のヒューリァに至ればぱっと見からして怪物だった。それはもう、あの男と怪物のどちらに属するのかと問われれば、後者だと判断される程度に。


 何かこう、悪意じみた作為を感じるわけである。


 客観的に考えて、飛逆に怪物としての自覚がありすぎるせいの被害妄想にしか思えないが、どうも無視できる可能性だとは思えないのだ。


 様子見のための一時撤退を考えて門を振り返ったつもりが、そこに命綱が途切れて落ちている以外、何も発見できなかったことが飛逆に何者かの作為を確信させた。


 つまりえらくタイミングよく退路を断たれたということだからだ。


「ひさか?」


 焼け焦げてぼろぼろの飛逆の上着しか着ていないヒューリァと、同様にぼろぼろの自分の格好を確かめる。


「ヒューリァ、これから俺は変な提案をすると思うんだが、従ってくれると助かる」


 するとヒューリァは、なぜだか顔を輝かせて「なんなりと!」という意味の言葉で受諾した。けれど飛逆の提案の内容を聞くと途端に輝きを曇らせた。


「ひさか→=所持→変態性欲?」


 否定したかったが、自らの性向が健常なそれでないことの自覚が一瞬だけそれを留めさせた。

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