117.目的を見失うことは稀によくある
本音のところでは、飛逆は期待していた。
誰に、というかこの場合、何に、というべきだろう。
【悪魔憑き】に、期待していたのだ。特に人間の【悪魔憑き】に期待していた。
敵が欲しい。
手応えのある敵が欲しい。
壊してもいい敵が欲しい。
【悪魔憑き】が飛逆にとって二重の意味で敵ではないことが明らかになったとき、だから飛逆は落胆したのだ。
クランに飛逆を主と仰ぐ者が出始めたと聞いたとき、だから飛逆は落胆した。
退屈だからとか、忙しいことのストレスだとか、それもあるけれどそれだけではない。
単純に、飛逆は闘争が好きなのだろう。
自分では確信を持てないので色々理屈をこじつけてはみたが結局はそうとしか考えられない。理屈は理屈として間違ってはいないのだが、結局はそう、嗜好の問題だ。
適度なストレスがないと発展性が失われるとかいうヴァティの言説にあったような、適応進化論に基づいたシステム上の問題――いわゆる本能――ではなく、食事の好き嫌いのような問題だ。
邪魔で面倒と心底から思いつつ、敵となりうる存在を欲している。
矛盾しているが、まあそういうものだろうとも思う。
身体に悪いとわかっていても欲しくなるジャンクフードみたいなものだ。まああれは身体機能上の問題ではあるが。
ヒューリァは相変わらず鋭い。「ひさかって嫌いな奴のこと好きだよね」というのは、正直に言えばすとんと胸に落ちたのだ。
さてしかし、モモコに対して飛逆はどんな期待を寄せているのだろうか。
さすがに【悪魔憑き】やクランに寄せていたそれとは違う。それは断言できる。
けれど殴りたいと思い、それを実行に移している現状、指摘されたら否定し難い。
よく考えたら身内に暴力振るう男って正しくDV野郎じゃん、と気付いてしまったのだ。
気付かなければよかった。
気付かなければ、――楽しいままだったのに。
というのも――モモコが選択したのは、ただ逃げるのではなく、逃げた先で潜伏して飛逆に奇襲する、という実に真っ当な戦術だった。
それも必ず一撃離脱で、飛逆に追撃をさせないように逃走する。
気配遮断は飛逆でも視認以外では見破れず、モモコの敏捷性があればなんとか成り立つ戦術だ。
モモコにとって、この戦術の問題は、逃げた先に罠があり、それを無傷で掻い潜ることがほとんどの場合にはできないことだ。すぐに回復できるように、源結晶は罠に嵌った時点で、ゾッラによって供給されるような取り決めになっているが、そのせいでモモコは足止めされ、罠の発動によって飛逆に居場所がバレてしまい、奇襲のタイミングがシビアになる。そもそも奇襲が成立することが稀だ。
飛逆にとっての問題は、モモコの気配遮断のせいで精気の最大値が回復しているかどうかが見て取れないことだ。おかげでこの処方が正しかったのか、上手く行っているのか判断付かない。判断付かないから許された最大五回の『殴る』ができず、中途半端に反撃するに留まっている。
このままでは飛逆がワザと引き伸ばしているということがバレてしまいそうで、結構ヒヤヒヤしていた。手加減が露見するのはいいが、それで甘やかしているように思われると目的に沿わない。なんだかんだでモモコを勝たせるつもりなのだと、誤解されてしまうだろう。
武芸的な動きの派手さで誤魔化せているとは思うし、【能力】の人外化が極まって久しい昨今、振るう機会が少なくなっていた武芸的な技術を大盤で振る舞うのはこれはこれで楽しいのではあるが。
モモコにとっては甚振られているようにしか感じられまいので、まあそれはそれで――いいのか少し疑問に思ってよく考えてしまったという次第である。
「と、いうか、広すぎないかにゃぁ!?」
罠に嵌って奇襲を諦めたモモコが泣き言を叫ぶ。源結晶を貪るように摂り入れて太ももの貫通創を癒やしながらだ。
さすがにここで攻撃を加えるのも、DV野郎の自覚を持ってしまった飛逆はためらう。時間稼ぎに付き合った。
「いや、まあうん。俺も予想外だった。いつの間にこんだけ拡張したんだか……」
この鬼ごっこの勝敗は、正直飛逆はどっちでもいい。目的はあくまでモモコの復調だ。
誰を眷属にするのかというのは、飛逆にとっても割りと重要なことではあるのだが、眷属だから身内というわけではないし、眷属ではないから扱いを軽くするというわけでもない。モモコに対する飛逆の扱いは、眷属かどうかは関係ないということだ。
つまり未だに一階層も上に登れていないという現状は、飛逆が企図したことではない。
『三角錐構造ですので、上がれば上がるだけ狭くなっておりますの』
ゾッラからアナウンスで注釈が入った。
『ついでに申し上げますと、階段のような形では階層を繋げておりませんので、ご注意願いますの』
つまり階段のように見てわかる上へ登る道は用意されていないということだ。
そしてこのタイミングでそれを告げるということは、
「すでに見逃しているってことにゃ……?」
勘のいいモモコは気付いて愕然である。
そして道を塞ぐように立ち止まっている飛逆をぎこちなく見つめて慄然である。
来た道を戻るためには待ち構えている飛逆を突破しなければならないのだから。
(やるなぁ)
飛逆が内心感心しているのは、ゾッラが今それを言い出したのが、飛逆が手加減している理由をモモコが誤解するように誘導するためだからだ。さすがミリスの論理回路を受け継いでいるだけあり、フォロー力が光っている。
あたかも飛逆がモモコに正面から突破するようにと誘導しているかのようにモモコは解釈したことだろう。追う側の飛逆は別に進路を気にしていないので普通に抜け道を見逃していたのだが。
というかあるいは、今告げるときにゾッラは抜け道を作ったのかもしれない。前触れもなく床を無音で消しされるゾッラなら容易いことだろう。というか多分罠もタイミングを見てその場で作っている。警戒しているモモコがすべての罠に引っかかるのはそうとしか考えられない。
ゲームマスターが完全にこちらの味方というのもズルいなぁ、と。
DV野郎の自覚に加えてこうなってくるとさすがに冷める。飛逆は対等な力量の相手と戦いたいのであって、武術チートで俺tueeしたいわけではないのだ。
まあ元々ついでの目的だ。冷めたなら第一義に専念すればいい。
〈で、どうだゾッラ〉
モモコの気配遮断は音を完全になくしてしまうため、彼女が声を出している時点でそれは解けている。そして源結晶を取り込んだばかりで、精気は回復しているはずだ。なので逐次モニターしているゾッラにモモコの最大値が回復しているかどうかを問いかけた。
〈残念ですが――〉
〈そうか〉
〈とっくに回復しておりますの〉
〈してんのかよ〉
「みゃ……っ」
内緒の念話なのに思わず動作でツッコミを表現してしまったのでモモコがビクッとする。
いや、わかる。飛逆の憂さ晴らしが中途なのに第一義のほうが達成されてしまったから『残念』と言ったのだろう。
わかるが二重の意味で意外だった。
ゾッラがこんな飛逆を誂うような伝え方をすることも、ただこれだけで回復するということも、意外だったのだ。思考を加速してまで飛逆はその事実を考察する。
〈天使様、百虎様は精気最大値が減少しているように偽装していたということですの。その偽装が剥がれただけで、とうに回復していた――そもそも精気最大値の減少などなかったということですの。見破れず、大変遺憾ですの〉
加速状態の飛逆の思考速度に難なく合わせてゾッラが解説してきた。飛逆を誂ったわけではないのだと弁明するように。
〈……ああ、なるほど。単純に俺の考えが足りなかったな〉
腑に落ちた。怠惰な性根を見破っただけでそこで思考停止してしまっていたが、結局はそういうことだ。
モモコの本質は怠惰であり、そしてそれを隠す偽装だ。気配遮断という、それそのもののヒントがあったのに気付かなかった。精気知覚ができないモモコにそんなことができるとは思わなかったせいだが、そもそもモモコは精気知覚ができるのかもしれない。自分のそれに限ってはできるというのなら、不思議でもない。飛逆も最初は自身のそれの知覚から始めている。
〈そういえばヒューリァもモモコのこと猫被りって言ってるしな……〉
外見的特徴ではなく、その性根を言い表していたわけだ。
〈知らぬは俺ばかりってことか〉
まあそれはいい。自分に人を見る目がないことはとっくに痛感している。
思考加速してまで考察しているのはそんな今更なことのためではない。
モモコが最大値減少を偽装した理由も、これは考えるまでもなく、ゾッラを眷属にすることが嫌だったから、或いはシェルターのシステムと同期する実験が嫌だったからだろう。精気最大値を偽装することでそれが延期されると予測できるその知能はやはり侮れないが、延期させるだけで積極的に拒否する方法を講じない辺りが怠惰な性根の現れと言える。
ここまで偽装が上手い――というか偽装に特化しているとなると、モモコが『そのもの』であったりその手先である可能性が増すが、元々の疑いが濃くなっただけで、その傍証としては弱い。せいぜい警戒レベルが上がるだけだ。
問題は、このゲームを続けるべきかどうか。
このゲームをしなければ偽装が発覚せず、また仮に偽装を疑っていてもそれを剥がさないことには実験する決断は下せなかったから、このゲームを始めたこと自体は、結果的に間違いではなかった。他にやり方があったとは思うが。
ただし飛逆は別にモモコの性根を叩き直す、なんてことをする気はない。身内に自由を押し付ける飛逆としては、それもまたモモコの自由と思うからだ。それはそれとして不都合なので、できることなら実験に協力してほしかったが、そこまで嫌なら無理強いしたくない、というのも飛逆の本音だった。
ただ、そこまで考えて少し引っかかる。
ここで素直にモモコが偽装したのだと考えていいのかというところだ。
二転三転したせいで疑い深くなっているだけかもしれないが、以前のモモコの弱体化のことが気になっている。当時も偽装していたというのは、違和感があるのだ。
自分の立てた仮説に引っ張られているだけかもしれないが、『怪物が宿主を乗っ取ってしまわないように自身を抑制する』というのにはそれなりに説得力があると思っている。結局それが間違いだったことは否定できないが、怪物が自己保存のために、宿主の意向とは違った活動をすることがある、という可能性は否定されていないのだ。
つまり宿主としてのモモコが偽装しようとしたのではなくて、彼女に憑く怪物が独立的に偽装したという可能性が否定できない。モモコが自分の精気反応を操作できるというよりは可能性が高いとすら言える。
だとしたらなんのために?
ミリスの例を考えても、怪物は取り憑く先と似た性質だろう。似通った性質だから取り憑けるのか、取り憑いたから似通うように変質したのかはわからないが、この場合どちらでもいいし、相互的だと推測もできる。結局はモモコの怪物は怠惰であるということだ。
すると弱体化の偽装は、モモコを働かせないためと考えられる。そうなると、別に変わらないように思えるが、少しだけ違う。
モモコ自身ですら偽装の自覚がない場合、当時はともかく今回は、拒否しているのは怪物であってモモコでないことになるからだ。
もちろんモモコも拒否感があるかもしれない。ただそれならそれで、飛逆に言えばよかった。飛逆は元々無理強いする気はないと長々と説明までしたのだから。理解できなかったとか、飛逆を信用していないだけとか、そういう可能性もあるので、断定はできない。
結論を出すには情報が足りない。
「なあ、モモコ。ちょっと唐突なこと訊いていいか?」
探りを入れてみることにした。思考加速を解いて問いかける。
「な、なにかにゃ?」
「暴走ってしたことあるか?」
「う、うにゃ?」
「その反応だと、なさそうだな。……自覚がないだけ、か?」
「ごめんにゃ。どういうのが暴走ってことにゃのかわかんにゃいのにゃ」
そういえばモモコは当初のヒューリァを見てもおらず、ミリスの暴走時にもその場にいなかった。想像できないのも仕方がない。
「そうだな。例えばヒューリァだったら、意識が真っ白になってあらゆるものを燃やしつくそうとしたらしい。ミリスだったら、認識力のバグ化というか、まあ正気を侵されていたな。多分、基底現実を歪んだ形でしか認識することができなくなっていたんだろう。そういう、怪物が宿主の意思を無視してその【能力】を発現すること――まあ怪物に主体性を奪われることを、この場合暴走って言っているんだが」
例えを出したことで理解が及んだか、モモコは沈思黙考する。
「……ある、とは思うんにゃけど……」
「自覚はない、か」
これは確定、ではないが、かなり確度は高くなった。
「察するに、こっちに喚ばれる直前に、暴走していてもおかしくないことになっていた、ってところか」
そしてその記憶がないから断言できない、と。
自分は特別な何かがあったときに召喚されたわけではないせいで時々忘れるが、彼女たちは『何か』があったときに喚ばれて――引きずり込まれている。逆に言えば、彼女たちは暴走状態に陥ったから喚ばれたと考えることもできる。そしてモモコの場合、その暴走状態に自覚症状がない。
つまり、モモコに憑く怪物は暴走していたということだ。
そしてその症状は、ほぼ仮死状態となるほどの、『怠け』だ。
雷撃を扱う化生なので、暴走というと激しいのを想像してしまうところがミスリードだ。モモコが思い当たらないのも無理はない。
というか、この期に及んでも、モモコに憑く化生がどんなものなのか思いつかない。わからなくなった。
分かっている特徴を並べると、
・ネコ科の動物の外見的特徴を持つ(虎の毛皮にイエネコの耳)
・雷撃を扱える(近距離限定)
・駆動を加速できる雷を纏える(身体強化?)
・光以外の存在要素を隠蔽できる(一部分だけの隠蔽もできる)
・聴力が非常に優れている(聴き分けもできる)
・怠け者(働きたくないでござる)
雷とそれ以外に関連性が見いだせない。そして暴走状態がその怪物の最も大きな特徴の発現だと仮定すると、隠蔽こそがその本質だと推測できる。
けれどそこまでだ。
具体的にどういう『想念』が形になったモノなのか。
ここまで強力な怪物が、メジャーな『想念』を基にしていないというのはどうにも違和感である。いやまあ、怪物としての強度と著名さが比例関係にあるという前提がそもそも証明されていないのだが。吸血種(吸血鬼ではない)というちっとも著名でない怪物が、現在最も強力なのだからむしろ反証がある。ただし、飛逆は色々な例外があって現在の強さなので、証拠不十分であることも確かだ。
つまりやっぱり情報が足りていない。
〈……今気付けてよかったな、これは〉
これがモモコから剥がす前でよかった。剥がしても怪物を保存するためにはその怪物に則した【象形】を用意する必要があるのに、それが分からないことが分かったからだ。偽装や隠蔽を象徴する形ってどんなんだ、という話なのだ。下手に【吸血】なんかした日には飛逆の存在自体が隠蔽されて誰にも認識されなくなってしまうという事態さえありえていた。
と、そこまで考えて気付く。
なんでここまで隠蔽に秀でているのに、姿を隠すことはできていないのだろう。少なくとも人にとって最大の情報源は視覚であり、隠すのならそれをこそ隠すべきだろう。隠蔽が本質であるのにそれができないというのは、如何にも中途半端だ。
――そう、中途半端なのだ。
これまで飛逆が取り込んだ怪物は、取り込まれた後のほうがどう考えても強くなっている。ミリスの言を借りるのならバージョンアップだが、飛逆の実感としては、本領を発揮できているといったところだ。
つまり、今現在のモモコに憑く怪物は、本領を発揮できていない。その状態で、これだけ強力なのだ。いやまあ、モモコのこれまでの活躍のなさからすると順当だが。
〈つまり、電磁波だ。電磁波を操るから結果的に電流が流れていることになったってことか〉
一周回って同じ結論に戻ったようなものだが、少し違う。雷ではなく、電磁波だ。光も電磁波に含まれるから、姿を隠せないというところでそこに行きつけなかったが、本領を発揮できていないせいでできないだけなら、その可能性が最も高い。
〈より正確には、波動、か。音を隠蔽できているんだから。縞模様の外見も、波を表していると見做せる。猫耳は知らん。波動関数の思考実験由来とかだろどうせ。バイタルだってある意味波長――規則性のある振動だから、その波長を伸ばせばあのバイタルになる。加速も、波長を縮めてやればエネルギーは高くなるし、バネ的に考えれば縮めた波長を一気に伸ばすというイメージなのかもしれない〉
なんかぴったりと嵌った。
すっきりする飛逆である。
〈ってことは、精気反応も波動なんだな。隠蔽できているんだから〉
ついでに今まで推測でしかなかったことも判明した。なんだか蒙が啓けたような気分で少しばかり浮かれる。カタルシスというやつだ。違うか。
なお、この思索の本来の目的であるところの、この鬼ごっこを続けるかどうかについては忘れている飛逆である。




