11. ブラックジャック
塔下街というべき(トーリの言葉ではミラージュ・シティと聞こえたが正式な発音が聞き取れなかった)に再来してからまずやったことは、格好をどうにかすることだ。
これに関してはトーリに感謝するところだ。
元々はモモコと共に塔に突入するつもりだっただけあり、着替えやその他の準備を整えていたのだ。突入が予期せぬ形になってしまったためにそれらを置き去りにせざるを得なかったわけで、その装備一式を飛逆たちが貰い受けたという次第である。
隠し場所が街外れで森に近いところだったこともあり、探し出すのはそう難しくなかった。 ヒューリァはようやく耐火ローブを脱げることに感激していた。
けれど着替えたら着替えたで、ヒューリァは自分がろくに体を洗っていないことを気にしはじめた。
モモコに誂えたためだろう、その装備にはちゃんとした女物があったので、それなりに見栄えのよさがあり、ヒューリァに文明人らしさというものを思い出させてしまったようだ。身綺麗にするのは文化人の第一歩である。ともすればヒューリァには初めての体験なのかもしれないので、表に現れる以上の興奮が察せられて、浮き足立つのを窘めるわけにもいかない。
(まあ実際、湿気が多い土地柄だしな……風呂に入りたがるのも無理はない)
かくいう飛逆も暖かい湯に浸かりたい気分であった。塔の中では温めた湯に浸した手拭いで体を拭くのが精一杯だったのだ。
(石鹸くらいだったら作れるけど……正直面倒くさいからな)
まず油を抽出するのが面倒だった。現状だと得体の知れない木の実の種を絞るくらいしか方法がない。圧搾機もないので手間が掛かること請け合いである。一応トーリには灰汁と油から石鹸を作る製法は教えておいたが……まああまりに暇だったらやるだろう。
というわけで、宿を取りたい。それ自体は今の装いなら可能だ。この街は閉鎖的ではあるが、採集者志願の他所からの若い移住希望者は少なくないという話だ。充分紛れ込める。
しかし問題が二つ。
一つは、現金がないことだ。
価値のある原結晶を結構な量持ってきているため、これを貨幣に換えることはできなくはないだろう。しかし『消失中』の現在、その出所を糾されては言い逃れができない。原結晶がそのまま貨幣として流通しているなら面倒はないのだが、元々が閉鎖的な街だ。よそ者と身内を峻別するために独自の複製が難しい貨幣を用いているのは必然的であり、トーリに確認するまでもなかった。そんなトーリは装備を揃えるために、元々多くない小遣いをほぼ費やしてしまい、小銭しか持ち合わせがなかった。
もう一つは、宿を取るためには手続き時に喋らなければならないということ。飛逆の推測が正しければトーリの盗ってきた【能力結晶】は持っているだけで追跡される危険性があるため念を入れ、飛逆が奪ってきた物も含めて、原結晶以外はすべてトーリたちに預けてきた。
そんなわけで、前回街に潜入したときと比べてマシになったのは、多少の予備知識と格好だけだ。こんな条件で【能力結晶】の仕組みを、それもできるだけ早く調べなければならない。まだまだハードモードだった。塔に潜るほうがずっと簡単である。まあ、安易に流れれば最終的には殺されるだけだと提案したのは飛逆であるのだが。
とはいえ、当てはある。トーリの情報からは確信が得られなかったが、これだけの――推定三十万規模の人の集まりとなれば、付けいる隙は必ず生じているはずなのだった。
〓〓 † ◇ † 〓〓
芸がないと言われようと、飛逆は当初のプランを実行するのみだ。
この街における反社会的な組織と接触することがその基本的な内容だ。これはトーリと出遭う前と変わらない。変わったというか、具体的になったのは、そんな組織の中のどんな組織を狙うのかということだ。
ただの無法者というだけではダメだ。それでは【能力結晶】の秘密を探ることが出来ない。彼ら無法者はなぜ無法者なのかと言えば、その理由の大半に採集者となれなかったことがあるはずで、それでは飛逆の知りたいことを彼らは知らないに違いない。逆に言えば、飛逆が知りたいことは、何故この塔下街の統治機構はその地位を維持できているのかという疑問の答えと相同するはずだ。少なくとも部分的には。
問題は【能力結晶】をこの塔下街以外も所有しているという事実だ。これは聞いたときから不思議に思っていた。ではどうやってその主権を維持しているのだろうと。
最初はてっきり、この塔下街自体がどこかの属国、あるいは属州扱いなのかと思っていたが、トーリによると自立自治権を有しているとか。それが当たり前としてトーリは疑問に思っていなかったようだが、はっきり言って不自然だ。飛逆もそう詳しいわけではない、というかむしろ疎いほうだが、独立主権を保持するというのは、土着の産出物が優れていればいるだけ難しいに違いないと想像はできる。元の世界で言えば石油やレアメタルの豊富な土地が紛争地帯になりやすいことと同じだと思われるからだ。
それが何故、この塔下街は表面的にせよこうも落ち着いているのか?
戦術はともかく戦略に関して疎い飛逆でも、この『消失中』という、塔下街にとっての強みである『いくらでも原結晶が手に入る』環境が失われている現在、これが潜在敵国からすると好機であることはわかる。ここぞとばかりに攻め立て、【能力結晶】を消費させて戦力を減衰させようとするものではないか? 塔下街が普段は複数の潜在敵を対立し合うように仕向けて拮抗させて、形ばかりは平穏を獲得しているにしても、この状況ではその拮抗が表面化していないというのは、やはり不自然だ。
まあ小難しいことを色々考えた結果、【能力結晶】以外の何か、この土地に特別な【力】が存在するのだと想像できたわけだ。それは『成人』……つまり塔下街のれっきとした一員でなければ知り得ないようなことであり、採集者にも練成者(精製と合成をする職人)にもなれなかったような無法者も知り得ないことである、と。
では、ただの無法者でダメならどういう組織が狙い目であるか。
簡単な話、採集者でありながら世間からあぶれた無法者だ。低レベルのくせして自尊心に溢れ、採集者になれなかったようなあぶれ者を集めて王様を気取ることで自分を慰めるような、そんなそこそこの無能がトップを務める組織がいい。
尤も、狙いが定まったところでそれを事前に確かめる手段はないので、行き当たりばったりということになるのだが。この世界に来てからこっち、ずっとそんな感じなのでいつもと変わらないと言える。
そんな為体ではあるが、この異世界で完全な孤立無援でなかった飛逆はおそらく運がいいほうだ。実際的な意味だけでなく、ヒューリァがいるから面倒なことでも考えて失敗しないように備える心構えが持てる。事ある毎に兄の教えを引き出すことからもわかるように、飛逆は実のところ、あまり主体性を持つことに積極的ではないのだ。たとえ初っ端にヒューリァと出遭っていなくても一見して慎重な行動は変わらなかっただろうが、その実質は『面倒だから』という消極的な心理だっただろう。
そんな感謝の気持ちを込めてヒューリァの頭を撫でる。
ヒューリァはくすぐったそうな顔で、けれど拒否はしない。
人目を憚らずそんなことをしていると、柄の悪そうな連中に絡まれるのだが、人目のない路地に引き込むのはこちらだ。ベタたが効果的な悪党ホイホイである。
ほどよく叩きのめして、逃げる奴は放っておく。
残念ながら三回ほど引っかかった連中にそれなりにでも腕が立つ者はいなかった。だから逃げた奴を追うことはしなかったのである。
(ううむ、しかしどうも腕力というか運動能力というか、向上してるっぽいな)
リミットカットするまでもなく、荒事に免疫のある連中を鎧袖一触に倒せるのはどうにも変だ。一対一ならともかく、複数人に囲まれてヒューリァを庇いながらというのは、正直なところ原結晶を消費して回復しつつになると予想していたのだが。
予想外といえば、ヒューリァが【古きものの理】がなくとも割と戦えたこともそうだった。あと、意外に演技が上手い。演技に関しては、あるいは『やはり』と言うべきかもしれないのだが、イチャイチャを見せつけるような態度はともかく、柄の悪い連中に囲まれて怯えるような態度を取り、それが真に迫っていたことが望外だった。実際一度はその演技力で、彼女をこちらの隙だと思った不良青年の隙を衝いて一撃で沈めるというファインプレーまで発揮した。
そんな予想外がありながらも予想通り、こうしてリスクを負いつつも派手な活動をした甲斐あって――飛逆たちは武装した集団に囲まれていた。
二回目の後から、尾行されていたのは気付いていた。
少しでも頭が働けば、飛逆たちの行動が『釣り』であると気付いただろう。囲んでおきながらすぐに袋にしないことからも気付いているのはほぼ間違いない。大してスパンもなく三度も絡まれたことを考えれば、この三度の襲撃は同じ組織のそれだと見てよさそうだ。
集団の中から一人が出てきて、
「■■■■」
わかってんだぞ? という感じで【能力結晶】を放ってきた。
一応色が【言語基質体】のそれであることを確認して、首に打ち込み、自身の言語が切り替わったことを確認するなり、
「人を集めてるのか?」
前に出てきた糸目の男に告げた。
「……」機先を制されたせいか、糸目は怪訝そうに、細い目を更に細めた。
「なんか順調だって思ったんだ。そっちから絡んできた割には簡単に逃げるし、無理矢理こっちの女の子を襲ってみたり、その割には【能力結晶】使わなかったり、なんかね、まるで腕の立つ人間を捜してるみたいじゃないか?」
「それを聞いてどうする気だい?」
「ああ、別の組織の回し者とか、特官のスパイとかじゃない」
特官とは特殊官吏の略で、要は治安機構の一課で、採集者の監理、特に違法採集者を取り締まる部署なのだが、特殊なのはこれが犯罪組織への潜入捜査を行うところだ。一般的には知られていない部署らしいが、トーリは親の仕事の関係で知っていた。
「ちょっと卸したい物があってさ、俺があんたらみたいなのを探してたのはそのためなんだけど、人を集めてるってんなら話は別でね」
「まあ待ちなってぇ。まず、卸したい物とは、何だい?」
「言わなきゃわかんないか?」
この時期に非合法の物といえばピンとくるだろうと思ったのだが、
「ああ、わからんね」
この反応は予想外だった。糸目の言外に「どれのことだ?」という、心底からの疑念が滲んでいたからだ。
「……これ」
仕方ないので、袖の中に仕込んでいた原料の包みを放って渡す。
「もちろんこんな少量じゃない。別の場所に隠してあるのは少なく見積もっても三十倍」
あの階層は千二百階という中々の高さだった。おかげで一体当たりから採集できる量がそれなりだったのである。そのため、量に関して嘘を吐いていない。
「なんだったら手土産ってことで――」
ただで渡すから組織に入れてくれないか、とひとまずはこの糸目よりも上の人間に渡りを付けてもらおうかと話を切り出したのだが、包みの中を検めた糸目の表情がこちらを冷酷に見定めるそれだったことに気付いて、口を噤む。
果たして糸目は、
「捕まえろ。口が利ければいい」
それをあっさりと決断した。
(どこを間違えたかな)
交渉するにしても情報が足りなさすぎて、行き当たりばったりでしかなかった。だから失敗したこと自体は何も不思議ではない。だが、どうして彼が原結晶を見て、それまでの微妙に迷っていた態度を決然とさせたのかがわからない。
(まあ、足の付かない【言語基質体】が手に入っただけでも収穫だけどな)
逆に言えば、彼らは余所者の腕が立つ人材を求めていたことは確実なのだ。それが、仲間に引き込むことをあっさり諦めた理由はなんだ? そもそも人材を集めようとしていたのは?
惜しげもなくリミットカットした飛逆は糸目の合図と同時に飛びかかってきた巨漢を一瞬で柔法と剛力によって投げ飛ばし、ヒューリァを捕まえようとしていたバカにぶつけてから、【能力結晶】を使っていると思しき動きの速い輩をカウンターで蹴り飛ばして、短刀を繰り出してきた野郎の関節を捻り上げて短刀を奪い、逃げようとした糸目に短刀を投擲して足を刺して動きを封じ、一瞬の惨劇に唖然として動きが止まった残り二人を当て身で眠らせた。
この世界においても人が本当に『ちぎっては投げられる』のはそれなりに衝撃的映像だったらしい。這いずってでも逃げようとしていた糸目は振り返り、そこで固まっていた。
ヒューリァも一人片付けてくれたので、飛逆はそれを確認してから糸目のところに歩み寄る。
「なあ、たかがこんな程度で俺らを抑えられると思ってたのか?」
心底不思議そうに訊いてみた。実際のところ、体はミシメシと至る所が悲鳴を上げているのだが、いかにも余裕でしたよという感じで。
今うるさくされるのは面倒なので布紐で口を縛り、太腿に刺さった短剣を抜いてから止血帯を巻いてやり、そうしてから遠慮なく両肩を外して乱暴に引きずって行く。
「ヒューリァ、周囲を警戒しててくれ」
連中が眠っている場所から充分に離れて、かつ人目のない路地まで引っ張っていってからヒューリァに『古い言葉』で頼んで、尋問を開始した。
「さて、手短に行こうか。あんたら、どこに【扉】を隠してる?」
まだ糸目の猿轡は外していない。喋れない状態での反応を見るためだ。
そしてその反応は劇的だった。激痛による脂汗の量がやけに増えて、絞られていた眼筋が瞠られる。それは「やっぱりか、チクショウ」とでも言わんばかりだ。
(いやまあ、かなり当てずっぽうだったんだけど、マジか?)
飛逆が今告げた【扉】というのは、塔への転移門の暗喩だ。それは現在の状況では必然的に『異世界人』のことを指す。
トーリが塔の中に転移できたことからも、転移門さえ開いていればこの世界の住人でも潜ることができるのはわかっていた。そこで飛逆が思ったのは、この発想はトーリだけが持つ物ではないはずだということだ。むしろ人の裏を搔くことを生業にしているような連中は、そうしたズルを確実に思い付く。
塔の消失という状況、そして『異世界人』だけが塔の中に入れる門を開けるという状況、この二つは、商売的に見れば『異世界人』さえ捕らえてしまえば原結晶を独占的に採集できるチャンスなのだ。
だが、『異世界人』とはつまり怪物であり、それを捕らえるのは容易いことではない。だから可能性は著しく低い物だと思っていたが、『順調』であるという事象が飛逆にこの低い可能性を思い出させた。
(理屈はわからんし理由もわからんが、どうも『異世界人』同士は引かれ合うようにできてるっぽいしな)
ヒューリァの場合は直接的すぎるが、最初に塔の中に這入ったとき、あのちらりと見た怪物が『異世界人』であったなら、あれも引かれたのだと言えないだろうか? 次もトーリというクッションを挟んではいるが、モモコと引き合わされている。
妙にとんとん拍子に事態が進むとき、それは『異世界人』に引かれているという図式が、薄々ながら飛逆の中で出来上がりつつあったのだ。そしてそのメタ仮説はほぼ固まった。
糸目の男は原結晶の出所に心当たりがあり、自分たちがやろうとしていることだから飛逆たちの狙いもそれであると疑った。糸目がどうして飛逆らを生かして捕まえようとしたのかは、いくつか可能性が考えられて多少気になるところだが。
ここは案内してもらうのが先決だ。
詳しい話を聞き出すために糸目の猿轡に手をかけた、そのタイミングだった。
〈その必要はないですよ~〉
えらく間延びした声が耳元で響いた。
「ヒューリァ! こっちへ来い!」
言いながら、その声の発信源に短刀を振り抜く。ぷつっ、とひどく軽く何かが切れる感触と同時に、何かの気配が一瞬途絶した。その感触で何かの正体を看破した飛逆はヒューリァが辿り着くと同時、彼女の足に纏わり付こうとしたそれをまた切断する。
〈すっごいですね~。ワタシの糸に一瞬で気付いたヒトは初めてですよ~〉
その声は、街灯から聞こえた。
「タチの悪い糸電話だな……」
金属で出来ている街灯の柱に振動を伝え、まるでそれ自体が喋っているかのような音を出させているのだと直感したが、どんな操作技術があればそんなことが可能なのかは見当も付かない。明らかな異能だ。
(つーか、また女かよ。なんだ? 女に化生を憑かせるのが異世界規模で流行ってんのか?)
この糸を操る本体が『異世界人』であることはほぼ間違いないが、出遭った連中ことごとくが女性であることにげんなりしてしまう。いやまだネカマという可能性も残っているが、それならそれでげんなりする。
〈驚かないんですね~……。あなた何者ですかぁ~?〉
「あんたが【扉】だな?」
一応、可能性としては考えていた。『異世界人が無法者の組織を牛耳っている』可能性だ。
〈会話する気、ないんですね~?〉
「柱と会話する趣味はない」
〈あれぇ? いいんですか~、そんなこと言って~〉
「あんたの居場所はこいつに訊くつもりだからな」糸目の男に。
〈えぇ、ですからぁ~、いいんですかぁ? そんなこと言ってぇ〉
小さなうめき声で、糸目の男を振り返る。泡を吹いて気絶していた。
「……」
〈役立たずはぁ、要りません~〉
しくじった。自分とヒューリァのことしか警戒していなかったため、糸目の男に付いている糸を見逃した。
〈起こそうとしても無駄ですよぉ。糸って言っても色んな事ができるんですから~。起こすこともできないようにしちゃってもいいんですけどぉ、死体が残るの~、面倒ですからねぇ。あんまりやらせないでほしいですぅ~〉
糸に取り付かれればこうなる実例が傍にいるため、確かに飛逆にも対処が追いつかない。自分とヒューリァの分を察知するのが精一杯で、糸目まで護ろうとすれば自分がやられる。
飛逆は嘆息を一つ。「了解だ。『会話』しようか」
〈はい~。ご英断ですぅ~、まずはぁ、あなたのお名前を教えてください~。女のヒトはいいですよぉ。さっき聞いてましたし~〉
「飛逆だ」
〈ヒサカさんはぁ、ワタシの物になる気はありますかぁ? あ~、質問にしてますが~、拒否権はありませんからぁ〉
「もちろんその気はない」
〈拒否権はないって言ってるじゃないですかぁ。殺しちゃいますよ~?〉
「やめといたほうがいいと思うぞ。あんたと俺らじゃ、戦力に差がありすぎる」
〈フフ〉〈ハッタリ〈フフフ〉にしても〉〈クスクス〉〈ウフフ下手ですね~〉〈クク〉〈フウフフ〉〈フフ〉〈きひ〉〈クフ〉〈ふふふ〉〉〈クス〉〈〈ウフ〉フ〉〉
声が四方八方から響く。そして見る間にその八方に黒い糸が集まって、しゅるしゅると杭の形に編まれていく。
「髪使いか」
色と質感が視覚できるようになったことで、その正体を確信する。
〈髪ってすごく頑丈なんですよぉ~? こうして集まればぁ、ヒトの肉くらい簡単に貫けちゃいますよぉ~?〉
「ひさか、ひさか」とこれまで沈黙してくれていたヒューリァが「これ、わたし→忌避」
巨大ムカデを見たときと同じ顔をしていた。つまり「焼いていい?」と目が懇願している。
「ヒューリァは長くて蠢く物が嫌いなんだな。気持ちは察するが少々待ってくれ」
もしかして、だから【紅く古きもの】が嫌いなのだろうか。あれ、竜と言えば聞こえがいいが、トカゲとかヘビとかだし。もしくは因果的に逆なのかもしれないが。
〈女のヒトはぁ、要らないので~、そのヒトをやっちゃってもいいんですけど~?〉
ヒューリァがまさか辺り一帯ごとそのドリルじみた髪の杭を焼き払おうとしているなどとは思わなかったらしい。怯えているとでも思ったのか、ちょいちょいっとその杭の切っ先を彼女に向けて脅してくる。
目立つのでヒューリァの火炎は使いたくないが、使わなければ飛逆はともかくヒューリァは危ないかもしれない。そう言った意味ではこの脅しには意味があった。ただ決定打にはなりえないのだが。
この髪の使い手は、戦力的にはともかく情報収集の面で中々に有用だ。仮に彼女が髪の一本でも映像や音を知覚できるのであれば、飛逆のような例外を除き誰に気付かれることもなく情報収集ができる。あるいはすでに飛逆の欲しい情報を彼女は握っているかもしれない。
だからといって下手に出て使い潰されるのは御免だった。
「なあ、脅しになってないぞ? どんなに束ねようと、その髪で致命傷にできるほどの重い攻撃はできないだろ。せいぜい皮下で止まる。こっちはちょっと痛いの我慢して一つ一つ対処していけばいいだけだ」
そう。いかに束ねたとして、実際鋭い攻撃はできたとしても、鋭いだけでは意外と頑丈な人の肉は貫けない。重さが必要なのだ。そしてこの髪にそこまでの力はない。
〈ウフ、それってぇ~。皮膚の中で髪が蠢く感触を味わいたいってことですかぁ?〉
「なるほど、そっちのほうが脅しになってる。ただ、動く相手にそれができるか?」
〈そんなに試してみたいんですか~? 一度味わえば病みつきになりますよ~?〉
「……面倒だな。とりあえず結論を出す前に確認しとこう。俺に何をさせたいんだ?」
〈ワタシの物になったら教えてあげますよ~〉
平行線だな、と諦めた飛逆は、
「ヒューリァ、【古きものの理】解禁だ。ただし火力抑えめで」
交渉を打ち切った。
「承知!」
それはもう嬉々として、ヒューリァは長くて蠢く物を焼き始めた。
〈〈ッ〈〈なーっ!!〉あ〉ーぁ〉!!〉
いかに特殊な髪だとはいえ、焙られるだけで縮れてしまうような物質でしかなかったようで、抑えめの【焔珠】が掠めただけで大半の杭はその形を保てなくなり、直撃した杭はあっという間に燃え尽きる。
そんな中、飛逆は冷静に見渡し、髪の出所を探る。
(ダメか……)
それこそ何百本も束ねればそれなりに威力が出せるだろうが、威力を犠牲にしてでも出所を辿らせないつもりだったようで、路地の四方八方からばらけて伸びてきていた。数や方向から割り出すことも不可能ではないだろうが、一本一本が見づらいせいで実質は不可能。
ただ、逆に言えばここまで手の込んだことができるということは、それなりに近くにいるという可能性を示唆していた。十何万という髪の一本一本を並列同時に長距離で操作できるのであれば、その限りではないが。
だから飛逆は髪の掃討はヒューリァに任せっきりにして、自分は音を探る。髪が地面を擦れる音を抜き出そうとした。
熱で空気が歪んでいるせいでそれも無理だった。
「ダメだな。逃した」
油断なく魔方陣を構えるヒューリァに目配せして構えを解かせる。
「まあ、収穫はあったからこいつでよしとしとこう」
糸目の男の脈があることを確かめてから肩に担ぎ上げ、その場を立ち去った。




