112. 後処理から始まり
前に衝動的に消したところをまとめて投稿。正直、続きを書く時間的・精神的な余裕があるかは不明なので、先にお詫びしておきます。
成長し、ヒトの枠を最低でも五段階は抜けた【悪魔憑き】が跋扈する北大陸で、ついにその問題が噴出した。
「町が一個消えたか……」
北大陸南部地域に於ける人口五万人程度の町が【悪魔憑き】の集団と思しき武装集団に占拠されたとの報が入ったのだ。
「その町にはどの程度、俺たちの支援が届いてた?」
さっそくクランの幹部を召喚して会議を開く。
「ギルドの設置こそできていたが、登録人数は千にも達していない程度だな」
ウリオが報告をモニターに映し出しながら説明する。ギルド設置の分布図だ。
「まあ、仕方ないか。良くも悪くもあそこの盟主は優しすぎる」
だからこそ狭くはない南部地域の部族・豪族を纏め上げて同盟国とすることができているのだが。
「大真面目にこちらからの物資を均等に配分していたようだからな」
というのは、以前から豊かな南部地域は、北大陸全土で起こった天変地異以降は飛逆たちからの物資の支援を受けていた。以前の生活水準を保つことにその支援を用いたために、職にあぶれる者が少なかったのだ。
南大陸では、帝国飛び地を塔下街が占領することで起こった政情不安定により、職(奴隷を初めとして軍関係者)にあぶれた者が大勢いた。魔獣討伐ギルドはそのような者たちを勧誘することでその規模を一気に増やし、まるで以前からそんな組織があったかのような形となっている。【能力結晶】という『兵器』の下地があったことももちろんこれに貢献している。
しかし南部地域では資源の補填があったために社会形態がほとんど変わらず、そのために生活のための職業を変化させた者が少なかったのだ。
「言っても仕方がないが、南部地域の既存の防衛戦力にこっちから人員出向して軍常識の革命を起こさせるべきだったかな」
「現実問題、時間も人員も足りん。我々とてキサマらがもたらした技術を使いこなせてはいないのだから」
後の祭りだし、ウリオの言う通り実現可能ではなかった。むしろその案を実行していたら中途半端になってむしろ状況が悪化していた可能性もある。社会不安による内部の【悪魔憑き】の暴走などがその可能性の筆頭だ。
「お優しいあそこの盟主もこれで考えを改めるかね」
「武装集団と言いつつ、十数名程度の山賊ごときに三千からの正規防衛戦力を全滅させられたのだ。さすがに認識を改めるだろう」
そう。たかが山賊のようなのだ。帝国植民地から独立した軍隊というわけでもない、ただのはぐれ【悪魔憑き】が、この世界では比較的規模の大きい町を一晩で制圧した。これで認識を改めなければ頭の中はお花畑どころの話ではない。
まあ実際には盟主の頭の中がお花畑だからなのではなく、政情を安定させるためには仕方のない処置だったのだろう。
一つの町が壊滅したという報によって民意を納得させるための名分はできたことだし、社会形態を変化させていくための下地がようやく出来たと言える。
「とはいえ間に合うかっていうと……」
疑問のように呟いたが、わかりきっている。今から対応しようとして、間に合うわけがない。すでに怪物に匹敵する戦力にまで、山賊は成長しているはずだからだ。
南部地域にはチートが必要だ。即ち飛逆たちの戦力が。
けれど、
「先述したように、我々から出向させるには手が足りない。それに……」
「死にに行くようなもんだしな、現状だと」
クランの構成員でも、少数では立ち向かえる相手ではない。そして南大陸だけでもクランはすでにめいっぱい回している状態だ。まとまった人数を出向させることはできない。
改革するには時間が圧倒的に足りないから、逃げ場のない北大陸上では、精気が多いクラン構成員は死ぬことが約束されているようなものだ。【悪魔憑き】は精気の多寡でその破壊衝動を刺激されるため、見逃されることはない。
「迎えに行くか?」
現在五名が南部地域には出向している。南部地域の盟主に渡りを付けてからはその主要都市に彼らは詰めているため、今回の襲撃から免れた。
「……できれば、そう願いたい」
ウリオが苦渋を滲ませるのは、飛逆に頼るという体裁を彼が取りたくないからだ。
自分たちで――ヴァティの作ったクランだけで上手くやっていける。彼は自分がそう信じることができるように、目まぐるしい状況下での執務で奮闘してきた。技術ならともかく飛逆自身に頼るということは、その信念を覆すということであり、それでもクラン構成員という自分の仲間を見捨てるよりはと頭を下げたのだ。
(ご立派)
唾を吐くような気分で内心にて皮肉る。
ヴァティ復活のための技術開発で、本当はすでにその信念は折れているはずだったことを、飛逆は知っているからだ。それどころか飛逆があえてそう仕向けた。こちら側とハルドーはそれを知っており、知らぬはウリオだけ。
滑稽だ――と思ってしまうからこそ皮肉に思う。自分に似た思考回路の彼を嗤うのは、自嘲するのと何も変わりないからだ。自分が月光によって操られていた時分を思えば、本当に、他人事ではない。
ウリオのこれを、あとでハルドーがカウンセリングでもするだろう。それを期待して目線を渡せば、ウリオはそれから察しかねないために、飛逆はただ溜息を吐く。
「じゃ、改めてその手筈と、実際南部地域を見捨てるかどうか、検討していこう」
仕切り直して、会議を再開した。
北大陸出向組を迎えに行くことは決定しているにしても、南部地域同盟諸国を見捨てるかどうかでそのやり方が変わってくる。
というわけで見捨てるかどうかということの検討から始める。
「見捨てるのは簡単なんで~、南部地域を見捨てなかったときのメリットから考えるといいかなってワタシは思います~」
意見というより、指針をミリスが挙げた。
「メリットが得られないというデメリットしかないし、その方針で行こう。南部地域を【悪魔】現象から護ることでどんなメリットがあるか、思い付く限りで挙げていってくれ」
議長としてその方針を飛逆が改めて周知する。
「まず、こっちから攻めるときの橋頭堡にできるよね。逆に言うと、あそこを【悪魔憑き】に取られると、向こうからこっちに来るのが簡単になるから、それを防ぐってことにもなるし」
これはヒューリァだ。
「東側連合国の協議会よりもあの盟主は扱いやすい。それに最終的に【悪魔憑き】との共存を目指すのならば、あの盟主が掲げるような温和な性質のままのほうがいいだろう」
ウリオらしい観点でのメリットだった。
他には特に挙がらない。
「これだけでも結構大きいな……。もちろんメリットだけを見ているからなんだが」
「なら実現にかかるコストとの比較で考えるのはどうです~?」
「それは簡単だ。迎えに行くのが決定事項なんだから、いずれにせよ向こうに俺かモモコが行くわけで、【悪魔憑き】に対してはどちらも有効な戦力だ。コスパを考えても、軍クラスの人数ならともかく、十数名程度なら片付けてしまったほうがいい」
モモコは気配遮断があるため、【悪魔憑き】に対してかなり有効な戦力となりえる。まさに暗殺できるというわけだ。
ちなみに海路を用いないのは、海上で【悪魔憑き】の襲撃を受ける可能性を避けるためだ。
「なら結局~、お二人のどちらが行くか~って問題になるわけですね~。で、現状ではヒサカさんは可能な限り本気は出さないわけで~、モモコさんしかいません~」
「そうなる、か? だったらもう当事者であるモモコに決定してもらおう」
一応会議に出席していたモモコは水を向けられて、困ったように猫耳をへたらせて首を傾げた。
「ウチが決めると……」
「だったな」
舌打ちは堪えられても、溜息は堪えられなかった。
「だがまあ、ミリス。そういえば言ってなかったが、北大陸でモモコが転移門を開けるかどうかはまだ検証してない。塔の中と同じ感触だったことを考えると、開けない可能性は充分にある」
「そうだったんですか~……ならヒサカさんが行くのが確実ですね~」
結局こうなるのか、とやっぱり飛逆は溜息を吐く。
いい加減我慢の限界だ。
「俺とモモコが行って、ついでに検証してくるか」
「はい~?」「へ?」「にゃ?」「ふむ?」
被召喚者組となぜかウリオまでも首を傾げた。
「俺が本気を出さないために、モモコがそのサポートに回ればいい。合理的だろ?」
「わたしがいれば充分じゃない?」
ヒューリァが若干慌てた様子なのがなぜかは不思議だが、それはともかく。
「どっちにしろヒューリァは連れて行かないつもりだぞ?」
「なんで?」
疑問符ばかりが飛び交う。
「最長でも一日かけるつもりはないから、こんなことで気分を途切れさせず、開発に集中してほしい。それに君が俺を除いた最大戦力だからこそ、俺がいない間は拠点にいてほしいっていうのもある」
後者のほうが必要の理由としては大きい。
「それに~、考えたら~、モモコさんが北大陸で転移門を開けたら~、無理して出向組を帰還させる必要がなくなりますね~。モモコさんをあっちに置いてくればいいんです~。危なくなったらすぐに転移門で逃げれば良いんですから~」
無意識にか、猫を遠くに捨ててくるかのような物言いだったが、ミリスの言うそれは実に合理的な提案だった。
「見捨てないのであれば~、向こうに戦力を残しておく必要がありますし~」
「ちょっと待って。わたしが行かないこと、まだ納得してない」
ミリスがメリットを挙げていくのに割り込んでヒューリァが言う。
「いや、そこまで一緒に行きたいんだったら別にいいんだが、なんでだ?」
ヒューリァをここに残していきたい理由は、色々と先に挙げたもの以外にもありはするが、連れて行きたくない理由は特にない。ただ、ついこの間まで魔獣を狩るために彼女のほうが離れていたのだから、残るメリットがありながら付いて来たがる理由が飛逆はわからず、改めて首を傾げた。
「わからない?」
「正直、わからん」
「そう。じゃあ一緒行く」
飛逆がわかっていないから一緒に行くと言われれば、まあなんとなく察することはできるのだが……。
(今更俺がモモコとどうこうなるって、本気で思ってるのか?)
ヒューリァの信用を飛逆はこの方面で未だに得られていないらしい。言い方からすると、信用していないのは飛逆の気持ちではなく、飛逆を取り巻く環境のようではあるが。
何にせよ、人数が多ければそれだけ早く片付けることができる。そのメリットがある以上、強く拒絶する必要はない。
飛逆にヒューリァ、モモコで北大陸へと赴くことが決定した。
方針が決定したならば会議の時間も惜しいということで、種航空機に乗り込み、出発する。 実は会議に出席する必要が一番ないのが飛逆だ。
飛逆とアカゲロウ演算システムとの遠隔直結リンクがある以上、シェルター内ならばどこにでも意識を繋げることができる。
脳内ではいくつかの必須な処置をミリスと相談して施行し、機内ではヒューリァ、モモコと現地での作戦についての話し合いを行った。
時間を掛けないつもりなので、現地盟主との対面などは予定しない。進路はまっすぐやや内陸にある町だ。
従って、話し合うのは現地でどのように山賊を滅ぼすかということだ。
「ま、考えるまでもなく、精気遮断した俺とモモコが、ヒューリァが引きつける影から狩っていくって作戦になるよな」
魔獣を狩るためにヒューリァとモモコが南大陸で行っていた作戦を焼き増しするだけだ。
「強いて検討すべきは俺も引きつけ役をすべきかってことなんだが」
というかそうしたい。
南部地域の東北の位置では魔獣の排除があまり上手く行っていないせいで、【眼】を送って事前調査ということができないのだ。そのためどの程度まで成長しているかまではわからない【悪魔憑き】、それを相手にヒューリァを単独で立たせたくはない。
「うん。考えるまでもないよね。わたしだけでいいよ。充分だし、ひさかが本気を出す場面になる可能性は小さい方がいいんだし」
ヒューリァがそう来るのはわかっていたし、合理的なのはヒューリァの意見の方だ。理に合わないことを通そうとするのは、飛逆もしんどい。この辺りの折り合いは、彼女と色々あった今でも付けがたく、けれどその度に意見を戦わせるのはしんどすぎるので、妥当性の有無で判断することにしている。普通のことだが、意外に難しい。
一応モモコを窺うが、彼女も特に異論がないようなので、この方針で、けれどヒューリァを危険に曝さないようにするにはどうするべきかの検討を始めた。
大まかな方針が決定した矢先のことだ。
ミリスから飛逆のメインラインに思念が割り込んできた。
〈――進行方向から高速飛行物体の接近を確認~。鳥型魔獣と思われます~〉
つくづく、ミリスはオペレーターには向かない口調だと、飛逆は思った。
種航空機は高高度を飛んでいる。そこに接近してくるということは――
〈撃ち落とせるか?〉
〈いえ~目標が小さすぎて無理です~。というか数秒しない内に接敵します~〉
溜息を吐きつつ、ヒューリァに目線を遣って腕ではモモコを掴む。
地上音速を優に超える速度の種飛行機に同じだけの速度で狙って迫ってくる魔獣だ。相対速度はもうヤバイとしか言い表せない。種航空機の【眼】で視認できた時点で、躱すことも撃ち落とすことも不可能だ。
飛逆とヒューリァが外装を翼状に展開すると同時に、爆発じみた衝撃が種航空機前方に発生した。
†
もちろん想定していなかったわけではない。
単に有効な予防手段がなかっただけだ。魔獣の感知をかいくぐるための精気隠蔽コードは未だ重いまま、種航空機に搭載することはできなかった。
できた対策はせいぜい、種航空機をいくつかの区画に分けていつでも搭乗室を切り離すことができるように細工するくらいのものだ。
――衝突。
その寸前に飛逆たちは種航空機の搭乗室を切り離し、種航空機から精気を抜いてただの種に戻す。
切り離された搭乗室は衝突によって生じた衝撃波によって煽られ、内部に激震を発生させながら遙か後方へと置き去りにされる。
種に戻すのを衝突まで待ったのはもちろん、あわよくば魔獣にダメージを与えるためだったのだが――
〈ダメ、ですね~〉
搭乗室の【眼】から観測した結果をミリスが伝える。
〈墜落しているところを見るとダメージは与えられたようですが~、衝突時に吸収されて俄に回復されている模様です~〉
精気を宿す物を破壊することでその精気を吸収する魔獣は、やはりそれだけでは殺しきれなかった。衝突直後に精気を抜くという小細工は無駄だったようだ。
搭乗室でもみくちゃにされながらその報告を受け取った飛逆は、モモコを掴んだまま、搭乗室も種に戻す。
空中に投げ出される。
展開した翼から炎を噴出し、ヒューリァ共々滞空する。
ヒューリァはもみくちゃにされたときの余韻がまだ残っているらしく、やや危なげに飛んでいたが、問題はなさそうだ。というかなぜか飛逆に剣呑な視線を寄越してきている。
飛逆が自分を顧みると、腕だけでは支えにくかったために、モモコの豊かな胸を後ろから持ち上げるかのように抱えていた。
「――誤解だ」
思わず弁解していた。決して狙っていたわけではない。「うにゃ……」とかモモコも頬を染めないでほしい。
「やっぱり」
〈やっぱり、ですか~〉
なぜかミリスからもツッコミが入る。というか何がやっぱりだというのか。
〈胸なんて飾りです~。でも飾りだからこそ侮れないんです~〉
ここにはいないミリスがなぜか自分の慎ましやかな胸を残念そうに見下ろしている姿が脳裏に投影される。〈やっぱりワタシに胸がないからだったんですね~〉とか、それは誤解だというのに。
「あの侍女にも優しかったし……やっぱり」
ヒューリァは決して慎ましくはない自分の胸を不満そうに抱えながらジト目だ。というか随分と古い話を持ち出してくる。今頃になって飛逆は、あの時からヒューリァが『飛逆が巨乳派である』と疑っていたのだと気付かされ、大分複雑な気分になった。気付かない己も大概だし、それを疑いを確かめるためにあんなこと――ノムを半裸にして胸を弄りながら飛逆の前に晒す――をしてくるヒューリァも大概だ。
何より、墜落しているとはいえ、未だに敵が健在だというのにこんなことやりとりしている全員が大概だ。
〈大体~、寄生させれば~モモコさんにも翼状外装は扱えるんですから~〉
言われてみればその通り。飛逆から離すとエネルギー供給ができないため、長時間飛行はできないからとモモコには渡していなかったのだが、そういえば寄生させれば怪物であるモモコは自体のエネルギーだけで充分に飛行可能だ。
飛逆としては、モモコへの気遣いが薄いからこそそれを思い付かなかったのだが、今になってからそれを弁明しても誰も信じないだろう。
「チッ」
舌打ちしながらも飛逆は種を取り出し、翼状外装のコードを収納する。
モモコの首輪に接続させて、展開させた。
〈慣れるまではこっちで制御しときますね~〉
「た、助かるにゃ」
危うげがありすぎるモモコの滞空を、ミリスが遠隔操作で補助することで安定させた。
そんなことをしている間に、ヒューリァは下方に視線を向けて――雲に覆われ見通せないはずなのだが――鋭く声を出した。
「来る」
すでに年季が入ったように見えるほど使い込まれた半月刀を外装の背中から引き抜き、雲の一点を目指して突撃した。
相変わらず思い切りがいいというか、なぜ精気がない敵の位置を正確に感知できるのか、そもそもその速度域でどうしてピンポイントに斬戟を与えられるのか――色々言いたいことはあるが、ヒューリァの振るった半月刀は鳥型魔獣を真正面から捉えた。
衝撃波が発生し、彼女たちの周囲から雲が押し退けられる。
その際に雲に蓄えられた静電気が空中放電して周囲に紫電を走らせた。
果たしてヒューリァは打ち負けることはなかったが、魔獣を真っ二つとまでは行かない。
「――硬っ」
成長した魔獣とはそれほどなのか。
足場のない空中では、威力が拮抗していれば、炎を噴射して推進力を得ているヒューリァが弾き飛ばされるということはない。あくまでも風に乗って飛翔しているだけの魔獣が一方的に弾き飛ばされる。逆に言えば、ヒューリァの一撃で切り裂けないようであれば、威力が逃げてしまうためにダメージを与えることが難しい。
特別製のネリコンを用いた半月刀が壊れなかったことがせめてもの救いか。ネリコンは精気を通した状態で壊されると【悪魔憑き】を成長させてしまう。
人間大の鷹っぽい魔獣は風に乗って旋回し、またもこちらへ突撃しようとしている。
飛逆も二刀を抜いて構えるが、精気遮断をしている状態ではやはりヒューリァにばかり向かっていく。空中では接触事故が怖い。迂闊に割り込めない。
ヒューリァはじれったそうに何度も魔獣を弾き返した。
だが決め手がない。ほんの僅かに刃毀れしているため――火花が散っているので少なくとも原子レベルで摩耗している――与えた小さなダメージもすぐさま回復されている様子だ。
「モモコ、物は試しだ。雲の静電気を操ってアレにぶつけられないか?」
「う、うにゃ?」
「アースが取れない空中での電流はそのまま強威力の衝撃になる。君自身が精気から電撃を具現化させたんじゃ大して効かないだろうが、おそらく君は自然界の電子を操ることもできるはずだ」
「わ、わかんにゃいにゃ。どうすればいいにゃ?」
あたふたするばかりでモモコは行動に移らない。
舌打ちを堪える。電子云々を彼女に言っても、そのイメージが彼女には伝わらない。自分の時を鑑みれば、自分が出した以外の熱を操るのには自然界の法則を頭で理解する必要がある。モモコの場合も同様だろう。自然界で電気に触れることなど、文明水準が低ければ落雷くらいしか機会がない。従ってモモコが電気を体感でさえ学習する機会がないわけで、彼女を責められることではない。
(モモコにも学習機会を与えておくべきだったな)
後の祭りだが。
モモコに関してはあらゆることが後手だ。
「仕方ない。燃費は悪いが、俺がやってみるか」
第三の眼で雲を解析する。原子分子運動量操作の応用で電流を操作すればいい。
〈あ、ヒサカさん、タンマです~〉
「ん?」
〈それをモモコさんの首輪を介して実行すれば~、モモコさんも感じがわかるんじゃないですかね~〉
「……なるほど。やるだけやってみるか」
どこまで意味があるかわからないが、やって損もない。
〈制御もこっちでやるので~、少々時間いただきます~〉
「頼んだ。準備できたら言ってくれ」
言い残して飛逆は、ヒューリァが魔獣を弾き飛ばした方向へと回り込み、二刀を水平に並べて斬戟する。
「硬い――というか、硬質ゴムみたいな感触だな」
髙周波を纏わせれば切り裂けるかもしれないが、その分吸収される可能性も高まる。髙周波は当然、刀自体も脆くするため、実際には刃の周囲に展開しているわけで、それは【悪魔憑き】を強化させるだけになってしまうだろう。
単純に刀を強化するだけにして、ヒューリァとバッティングのやりとりを始めた。
打ったら跳ね返ってくる。跳ね返したら打ってくる。
微妙に楽しいが、どこか間抜けだ。闇雲に打つのではなく、爪を立ててきたりする魔獣の攻撃をかいくぐって弱そうな箇所を狙っていたりもするのだが、それが余計に間抜けな感じというか。
何百回もこれをやればいつかは殺せるかもしれないが――
〈準備できました~〉
「了っ解!」
合図と同時に、向かってきた魔獣を一際強く打って、モモコの近くへと弾き飛ばした。
瞬間。
眼を潰すほどの閃光と、耳を聾する轟音が。
――ケェェェェェ!
という叫びは魔獣の断末魔か。
視力が回復するのを待たずに飛逆はその悲鳴の元へと飛んで、挟み込むような斬戟を数百回繰り出す。
視力が回復してみれば、細切れになった鳥肉がバラバラと香ばしいというには苦い焦げ臭さを放ちながら、海へと落ちていくところだった。
「……手強いわけじゃないが、結構手こずるな」
成長率が高いわけではない魔獣でこれだ。人間相手だと想定していたよりも手強いかもしれない。
先が思い遣られるな、と溜息を吐いたところで、
「うなぁ……」モモコが落ちてきた。
【眼】の遠隔操作はそれ自体が保有するエネルギーを消費して実行される。この場合は寄生されているモモコだ。【眼】による空間支配は燃費が悪く、しかも本来操作することが難しい電子の操作を行ったわけで、いっかな怪物でも飛行を続けられなくなったのだろう。
端的に言えばガス欠だ。
仕方なくも受け止めた。
〈ワタシでも一回くらいしかしてもらったことないのに~……お姫様だっこ〉
「わたしはあるけどね。……あるけどっ」
重力に従って撓んだモモコの胸は、支えた飛逆の手に柔らかい感触を伝えた。慌てて持ち直すが、そうすると今度は飛逆の胸に彼女の胸が押しつけられるような体勢になってしまって。
「……どないせいと?」
非難の視線を浴びながら、ひとまずヒューリァにモモコを預けた。
ヒューリァのじっとりとした視線が痛かった。
†
今まで言及する機会がなかったが、モモコのような半人外――怪物に取り憑かれている者は、原結晶を食べることで精気を回復することができる。
赤毛狼の前身である煙狼などがそうしていたのだからまあ、示唆はあった。【吸血】で取り込むのとは違い、一定以上に容量が拡張されたりはしないので、実際どういうことなのかは謎だ。
ただ、煙狼のときには彼は分裂してその総体を増やし分配することで最大値を結果的に増やしていたわけで、ヒトに取り憑いた状態ではそうした抜け道が取れないのだと推測される。このことから、取り込みすぎれば怪物性が肥大し、乗っ取られるのではないかということも同時に示唆されている。
さておき、けれど原結晶を持ってきていないためにモモコは回復できない。
翼状外装では種航空機ほどの速度が出せない。幾度も施行された種航空機体のフォルムや炎噴出機関はかなり計算されていて、最低限飛べればいいという思想から始まっている翼状外装とは要求される仕様が異なる。比べるべきではない。
ただ、だからこそ、ヒューリァがモモコを抱えているという状態で目的地まで飛ぶというのは、かなりの時間のロスが考えられた。なるべくなら避けたい事態だ。
少々消耗が大きくなるが、航空機体をここで現出させることは不可能ではない。しかし、航空機体を衝突させることで魔獣を倒すということが難しいことが明らかになった今、毎回毎回それをしているのでは結局時間のロスが甚だしい。
そんな前振りをして、予てから実験してみたかったことを提案してみる。
「寄生させた種から精気を送り込んで君が回復するかどうかってことなんだが」
もちろんリスクがある。仮に寄生した種から精気を怪物が取り込まなかった場合、寄生した種が強力になりすぎて、モモコに憑いている怪物を殺してしまうという可能性がある。仮に殺してしまわなくとも、怪物部分が拒絶反応を起こした結果、モモコのヒト部分が消し飛んでしまうという可能性も考えられた。
リスクが割と洒落にならないので、飛逆の眷属ではない怪物という、今となっては貴重な存在で試すことを今まで躊躇ってきた。予想される拒絶反応の大きさという点で、解呪法のようにヒト部分を強化するのとは訳が違うのだ。
〈正直、こんな環境でやることじゃないですよね~〉
モモコから返事が来る前にミリスから待ったが入った。
「やっぱりそう思うか?」
モモコはいずれ飛逆からヴァティだけを生かして分離するという目的のために必要な貴重なサンプルだ。
ここでリスクは冒せない。
〈まあでも~。簡単な話です~。モモコさんが回復するまで~、モモコさんの外装から蔦でも伸ばして~、そこからヒサカさんがエネルギーを送り続ければ良いだけの話です~。制御はこっちでやりますので~〉
本当に簡単な解決手段だった。
遠隔で眷属からエネルギーを吸収できる飛逆なら別段この程度のコストは消耗の内に入らない。強いて言うなら供給の加減を飛逆が行うしかないため、処理リソースが若干ながら圧迫されることだろうか。
外装のデザインを弄って蔦を伸ばさせ、飛逆の外装に接続する。ヒューリァは自体の保有量で充分賄えるが、なるべくならほぼ無尽蔵である飛逆が担当した方が良いということで、彼女のそれにも接続した。ヒューリァの精気回復手段は現状飛逆からの給血しかない。
そんな風にして編隊を組んで飛んで向かうのだが、厄介なことに魔獣との遭遇はあれ一回きりではなかった。
最初の大鷹は特別だったのか、それほどに手こずったわけではない。
一体だけならば。
烏に似た数十羽(鷹もそうだったが、どうにも姿形が攻撃的に変態しているらしい)が編隊を為して襲ってきたときにはさすがに撤退を考えた。
高高度上空では空気が薄い。そのため空気の壁を使った振動波などの範囲攻撃を繰り出すも効き目が薄いのだ。気圧が違うのでそうした技を繰り出す難易度も上がっている。
四方八方から集られるヒューリァなどは、さすがに半月刀だけで対応することができずに爆発で鳥の揚力を奪ったり弾き飛ばしたりしてなんとか凌いでいるという状態に陥ってしまった。
地面という強固な支えがない状態での【悪魔憑き】との戦闘は非常に相性が悪いと言わざるを得ない。支えがないと強烈な一撃で仕留めることが求められる【悪魔憑き】に対して衝撃が逃げてしまうためだ。せめて気圧が高いところならばもう少し威力のある攻撃を繰り出せるのだが。
今までどれだけ【紅く古きもの】の炎に頼ってきたのかがわかる。
数十羽の烏の群れは結局、雲を使ってヒューリァが上手く弾いてくるのを浸透勁や遠当てである程度のダメージを与えてから、飛逆の第三の眼を使って雷を落とし、始末した。
ひどく消耗した。
〈それにしても、変ですね~〉
さすがにやっていられないということで高度を下げて地上に降りていく最中、ミリスが怪訝の思念を送ってきた。
「何がだ?」
〈このクラスの魔獣がこんなに多いなら~、南部地域なんてとっくに魔獣に滅ぼされているはずなんです~〉
「確かに、そうだ」
クランに技術給与して開発を続けさせている兵器は、確かにこの世界の技術水準からすると強力だが、このクラスの魔獣を相手に人間が立ち回れるほどではない。
ヒューリァという莫大な精気保持者がその気配を隠しもせずに近づいたことで魔獣が活発化したというのであれば多少は説明が付く。けれど、飛行型の魔獣がこれだけの数、かなりの成長率でいるのなら、討伐ギルドの浸透が遅れている南部地域などとっくに壊滅していなければおかしい。
「考えられるのは、何か……というか誰かが魔獣の行動範囲を抑制しているってことだよな」
〈哲学的ゾンビとは検証していませんが~、魔獣同士は喩え生物学的種別が違っても共生できるっていうデータがありますから~〉
こちらが餌を与えているからなのかどうかという検証は行えていないため、確証はないが。
「つまり、哲学的ゾンビは魔獣を操れる、ってことだな」
【悪魔憑き】同士は仲がいい。そして最もその性質が強い人間の【悪魔憑き】こと哲学的ゾンビは下位の魔獣を操ることができる、という推論にはそれほど無理がない。
塔下街で飼っている魔獣たちは、哲学的ゾンビが飼育員をしているために大人しいのかもしれない。そういえば飼育に関して目立った問題が報告に上げられたことがない。だからこそこの点に今まで思い至らなかったのだが。
「けどヒューリァくらいの精気反応に対してはその支配力を振り切ってしまうってことになるか」
〈もしくはこれまでの魔獣の襲撃がまさにその魔獣使いにこちらに遣わされたってことも~〉
ちょうどミリスがその憶測を述べるとほぼ同時。自分以外の二人にエネルギーを回し、自分とモモコの飛行制御に処理リソースを割いているために、それほど広大ではないが警戒範囲を広げていた飛逆の網に、反応があった。
「――いつも思うんだが、お前の推測とかって、大体手遅れになるタイミングで正解していることがわかるんだよな」
飛逆も他人のことは言えないが。というか飛逆とミリスくらいしか予測分析をしていないから必然的にそうなる率が増えるというだけの話でもある。やらなければゼロなのだから。
〈はい~? ってぇ、ああ~〉
もう少し早めに言ってくれれば、高度を下げるなんてこと、多少無理が生じたとしてもやらなかったのに。
下げたといってもまだ地表から五百メートルは離れている。
それなのに、摩擦熱で白熱し、衝撃波を纏った投擲槍が超音速でヒューリァに迫ってきていた。
真正面。
故にヒューリァは危うげなく、一見すると光の弾にしか見えないそれの側面を斬り付け、横に弾く。けれど衝撃波が連結している三人ともの飛行姿勢を危うくした。
やや間隔が空いたが、次々と投擲槍が向かってきている。
間違いなく相手は強力な【悪魔憑き】。槍は投擲杖でも使用して飛ばしているとしても、腕力は少なくとも飛逆と同レベルにまで成長している。
果たして問題の山賊だろうか。目的の町まではまだ距離がある。まあ、そんなことは今はいい。
「――ミリス、軌道計算して射出点を割り出せ。飛行制御はこっちでやる」
この高度ならば投擲物の軌道を逸らすくらい、空気の壁に対する浸透勁で充分だ。
念のため、槍が飛んでくる方向に右腕での爆撃で視界を遮りながらミリスに指示を飛ばす。
視界を炎が埋め尽くすのと同時に飛行軌道を変えて、やや上空へと向かう。
〈了解~……出ましたぁ。直線距離で約千距離単位の森の中です~〉
さすがミリスの仕事は早い。
第三の眼の視界から取得した情報から起こした地形図に槍が射出されてきたポイントが反映される。山岳の麓、やや傾斜がかった森の中だ。
投擲槍はさすがに打ち止めのようだ。その代わり、ただの石などが飛んでくる。
カーブとかシュートとか生易しいものではない。凹凸の多い石は空気でバウンドしてイレギュラーを起こすほどの速度であり、まっすぐ飛んでくる槍よりある意味でやりづらい。軌道が読めないのだ。飛来時間はさすがにイレギュラーを計算できるほどの余裕がない。下手な鉄砲は数を撃たれると非常に厄介だ。大きく避けるか爆撃で纏めて逸らすかしかなくなる。どちらもこの乱れた気流の中では飛行を危うくし、精気遮断している飛逆の処理リソースを更に圧迫する。ぶっちゃけこの程度では喰らったところでモモコでさえ死にはしないが、飛行は難しくなるだろう。
森に潜む哲学的ゾンビはこちらが嫌がっていることを察したか、今度は一度に複数の飛礫を投擲してきた。この距離では誤差だが、移動もしているようだ。面倒だ。
処理リソースの確保のためといって精気遮断を解けば、ヒューリァ以上に【悪魔憑き】を刺激してしまうので、それは悪手だ。敵を呼び寄せてしまう。敵の数が増えれば益々やりづらくなる。
――いや、そもそも敵は一人なのか?
単独である保証はない。投擲手は今のところ一人であろうとしか思えない投擲間隔だ。けれどそれは敵がその投擲手のみであることを示していない。仲間がいるかもしれない。狙いの正確さからも、戦術的な動きからも想像以上に理性的だ。
しかも、炎の爆撃によってすでにこちらは大いに目立っている。でかい花火を連発している状態だ。
いい的状態なのでいっそ地上に降りるかと考えた飛逆だが、それを却下した。投擲手の狙いがこちらを地上に墜とすことである可能性があるからだ。
とはいえ――
「メンドくさい。――ヒューリァ、あの森を囲うように燃やしてくれ」
「――。わかった」
一瞬、何か言いたげにしたヒューリァだったが、それは炎を使っても効果があるのかということだろう。けれど焦れているのは彼女も同じだったらしい。
両手から【神旭】を伸ばしたヒューリァから、久々に彼女の遠距離攻撃が発動し、炎の槍が機関銃がごとき連射速度でばらまかれる。多少大気によって威力が減衰するが、一発一発が充分に生木を燃やして余りある。
飛逆も外装を変形させ、腕に種の射出口を接続し、ナパーム弾の性質を持った炎(毒の性質と炎の混合)のコードを篭めた種を連射する。
種は森の植物に寄生し、その精気を使って、ヒューリァの火炎槍と合わさりあっという間に森全体を炎の海に作りかえた。
さすがに慌てたのか、それともたまたまこちらの攻撃が当たったか、あるいは単に濃煙が視界を完全に遮ったためか、飛礫が止む。
炎の勢いが強すぎて森はあっという間に燃え尽きてしまうだろうが、それでいい。これで敵が死ぬとは考えていない。
第三の眼で雲を見上げ、水蒸気を集めて凝結させて更に雲を育てる。
森の頭が禿げた頃に降雨を引き起こした。
局所的豪雨が森に降り注ぎ、小規模な水蒸気爆発を伴いながら鎮火する。
続いて気流を操作して雲を掻き乱し、摩擦によって静電気をたっぷりと蓄えた雲を圧縮し、そのまま墜としてやった。流体操作は基本赤毛狼に任せるようにしていたが、シェルターに籠もって事務作業している間に兵器シミュレータ開発のついでに自分自身でもローコストで使用できるように訓練してある。
最初はまた雷でも落とそうかと考えていたのだが、電子を操ろうとするから消耗するのだと途中で気付いたのだ。
やってから、目的の位置と雷雲との間を真空にすればよかったのだと気付いたが、距離を考えると大してコストは変わらない。威力はこちらが上だろう。現実に――
未だ八百メートルは離れた森が、こちらにも衝撃が届くほどの勢いで閃光を放ちながら大爆発を起こす。水素爆発と水蒸気爆発だろう。細かい理屈はもう面倒なので解析しないが、墜とした雲が蓄えた静電気が電解質の水に触れることで解放。電子が駆け抜け、その電気摩擦で熱を発して電気分解した水素に引火して云々とかそんな感じだろう。目視できるほどの電子の塊はごく小さな塊でも一般的な学校のプールに溜まった水を一瞬で蒸発させる理屈とは、また別だろうか。解析していないのでわからない。
飛逆たちの位置からはただの雲の壁としか見えないが、巨大なキノコ雲が形成されていく。
気流を操るついでに瓦礫混じりの衝撃波も遮断した。こうして実際に使ってみると、流体操作はエネルギーさえあれば非常に使い勝手がいい。効率も悪くない。【紅く古きもの】や植物操作と違い、物質を具現化しない代わりに、操作対象へダイレクトに力が伝わっている感じだ。その気になれば小規模な竜巻くらいなら起こせるだろう。
〈お、おおぅ……〉
どこか呆れたようなミリスの呻きが脳裏に響く。ヒューリァはともかくモモコも唖然としているようだ。彼女もやろうと思えばできるはずなのだが、できることとやることは違うということだろう。何か違う気もするが。
この規模の爆発なら、爆心直近にいれば飛逆でも無事では済まない(死ぬ気もしないが)。つまり【悪魔憑き】も無事では済まない。
難点を言えば割と消費が激しいことと、きちんと敵を葬ったという証拠が得られないところだろうか。後はまあ、環境破壊。ここの森は後で再生させるつもりなので勘弁してもらおう。普通の生き物は皆無の怪物の森だが。
さすがに気流が乱れすぎているので、まっすぐ降下し、衝撃波が舐めてまっさらになった地上に降り立った。
〈自重とは~いったい~……〉
その間、どこか哀愁を感じられる思念が飛逆の脳裏に響いた。
アカゲロウを顕現し、周辺を探査させる。仮に瀕死の【悪魔憑き】がいたとしたらその餌となりかねないので、必要最低限の精気しか篭めていない。あえて回収する必要もないので、自然に消滅することだろう。
アカゲロウの【眼】から得た情報をミリスが解析し、それらしいものは少なくとも周辺には見当たらないということを確認した後、しばらく休憩を取ることにした。
モモコが回復するのを待つためだ。
ここまで遠出したことの目的の一つは、モモコがこの大陸で転移門を開けるかどうかを試すというものだからだ。
飛逆がやった感じだと、この辺りで転移門を開くと、塔の周辺で開いたときと違って多少は精気を消費する。
厳密には消費するのは精気そのものよりも、情報処理力であり、言ってしまえば思考力だ。
【紅く古きもの】を完全には掌握していなかった頃の飛逆は気付かなかったが、開けないはずのところで転移門を開いたときに何かが削れるあの感じは、精気の消耗ではなく、掌握していない怪物の能力を無理矢理に使用したときに情報処理リソースが圧迫されて怪物性に人間性を圧迫されていた――つまり浸食を受けていたということだったのだ。
モモコも万全の状態で行わなければ不発のみならず、彼女に憑いているソレに浸食を受ける可能性がある。乗っ取られるほどではないだろうが、なるべくならそうした無理をしない体勢で行いたい。精気の量と精神の安定性は完全な比例の関係にないが、一方が減っているともう一方の消耗も大きくなることは、これまでの飛逆の経験が証明している。従ってモモコをどちらの意味でも回復させる必要があった。
原結晶は転送できない(第三の眼では解析できない)が、ドロップ品は転送できる。
仕方ないので怪物に対してどこまで効果があるかはわからないが、休憩がてら食糧を転送して食事を摂ることにした。もしかしたら回復が早くなるかもしれない。いっそまた雷雲を生み出してモモコを放り込めば回復する可能性も微粒子レベルで存在したが、それはちょっと酷すぎるかもしれないので棄却した。飛逆たちも熱自体は無効だが、そこから衝撃にまで発展すればそれなりに損傷を受ける。モモコもおそらく雷は無効でも、雲や空気との摩擦でダメージを受けるだろう。
予定していなかったために完成品をそのまま転送とはいかない。調理器具の一切を転送できるので文句はないが。
第三の眼の力を利用して手早く調理を済ませる。第三の眼の空間支配を利用すれば調理器具さえ必要ないと気付いたときにはもう料理は完成していた。
猫が魚を好むというのは偏見であるが(海産物は猫には塩分が高すぎるため、猫にとっては緊急的な食糧であり、好んで魚は食べない。飛逆の故郷が島国であり、人間の獲るそれを掠め取る野良猫が多かったためにそんな誤解が広まったとする説がある)、モモコの好みがわからないので海産物を中心にメニューを組んだ。
とは言っても飛逆もヒューリァも肉食傾向が強いため、鶏ガラベースの卵入りフカヒレスープだったり、キャビアの葉野菜包みだったり、ショウガ入り魚醤漬けマグロの照り焼きだったり、イカとキクラゲとホタテとエビと豚肉と白菜の炒め物だったりと、なんだか結局アミノ酸スコアの高いタンパク質と脂質の多いメニューになってしまった。
なお、食材はすべて『それっぽい』だけのブロック型(卵だけ例外的に球状)のドロップ品である。保存収納が楽なので文句はないが。
「ヒサカは料理上手いのにゃぁ」
それでも一応好評のようだ。
ヒューリァも真面目に箸を進めている。時折唸っているのはまあ、いずれ自分もできるようにならねばと意気込んでいるのだろう。
「ぶっちゃけちゃんとした料理って学んでないから適当なんだけどな」
血族の修行で山に放置されたときには食料には困らなかったが(基本昆虫と鳥と齧歯類。稀に犬や猪や熊)圧倒的に調味料が足りず、寄生虫対策で熱を通す以外のことは殆どやる余地がなかった。偶に岩塩が手に入るのが唯一の食に関する潤いであった。時間さえあれば猪や熊の腸の血詰めを燻製にするなどできただろうが、修行中にそんな一日じゃ利かないことはさすがにやってられなかったのだ。
それでも、料理は化学実験的なところがあり、そうした知識はある程度兄から教授されているため、なんとなくどういう食材をどう調理すれば美味しくなるのかがわかっている。後は無闇に工夫しようとしないという工夫をしているくらいか。とはいえちゃんとした店のそれとは比べものにならないだろうから、上手いと言われても今ひとつピンとこない。旨いと言わせるだけなら炭水化物系の食材を使えばいいだけの話であるが、ポリシー的にそれはする気がない。
腸内細菌の餌となる食物繊維も、腸内細菌も所詮は異物である。異物の増殖に対して自己免疫が活発化し、ウィルス性疾患などへの予防効果を発揮することはあるが、逆にアトピーなどを助長する恐れがある。腸内細菌のバランスは個々人でバラバラなので(遺伝性ですらない。産後に感染することでコアとなる細菌のバランスが決定される)、一概には言えないが、基本的にほんの少量で充分なのだ。
こうしたポリシーのおかげで飛逆は南大陸の食文化に対して与える影響が小さい。やはり単位面積当たりで食糧供給効率が最も大きいのが炭水化物系の食物であり、飛逆のポリシーに従わせてしまうと、アカゲロウ演算システムが試算した結果、餓死者の数が洒落にならなくなるのだ。そのせいもあってハルドーが組織した医局の内の何名かは飛逆の唱える理論に懐疑的であり、研究は進めさせているが、そもそも普通の人間という実験対象が近場にいないため、証明できていない。菜食と肉食のどちらを推進すべきかの確固たる結論が出るのはかなりの将来になりそうだ。「肉食主体にできるんだったらしている」というのが大多数の意見ではあるが。
アカゲロウの探査が終わり、少なくとも周辺に危険らしいものはないということが示されたので、演算システム付きのシェルターの作製を始める。
なぜシェルターなのかというと、森を作ってしまうと【悪魔憑き】を呼び寄せてしまう。だから演算システムを入れて精気遮断を実行させるためだ。南大陸に作った迷いの森も、魔獣狩りが軌道に乗った辺りから地下茎と根を複合させてから演算システムを構築し、呼び寄せるタイミングを図るようにしている。飽和的に魔獣がやってくるとさすがに対処が難しいからだ。ゆくゆくは各々の森のシェルターで巨人兵などを作製できるようにするつもりだった。
土壌は悪くないとはいえ、さすがに一からシェルターを作るのは難儀である。全能開放すれば物の数秒(主観的には半時間ほど)で作れるが、こんなことで一々消耗してはいられない。せめて集中するために、アカゲロウの【眼】からミリスと、ヒューリァに周囲を警戒してもらい、飛逆は久々に結跏趺坐して瞑想する。
飛逆の外装から伸びた茎が地下へと浸食していく。アカゲロウ演算システムを作るために飛逆の血を吸った茎だ。飛逆の触覚でもある茎は土壌を解析し、生育に不必要な成分は土石操作で分けて一纏めにしてシェルターで包んでしまう。せっかくなのでそれらの成分は巨人兵などの素材にしてしまうつもりだった。原結晶がなくとも飛逆の血を練り込めば精神感応性合金は作製できる。
〈管理者はどうするかな〉
半時間ほどでシェルター作製が軌道に乗って、瞑想から戻ってきた飛逆は声を出さずに呟く。
ミリスに任せるのが一番だが、相変わらず彼女は仕事が多すぎる。南大陸の演算システムの統括管理者がミリスなので、北大陸くらいはオートでいいだろうか。
〈適当なアバターを流用しますか~〉
ミリスもやはりこれ以上の仕事が増えるのは歓迎しないらしく、提案してくる。
〈天使様。わたくしにお任せ願えますと嬉しいですの〉
〈……君は懲りないな……〉
ゾッラが割り込んできたので、飛逆は溜息を吐いた。それをやったことで労役を課されていたというのに、学習能力がないのだろうか。ミリスが付け忘れたとか。
〈わたくしも何かお役に立ちたいのですの〉
相変わらず、会話が成立しているようで成立しない。
彼女の労役は九割が消化されている。だから次の仕事が欲しいのだろう。ペナルティのつもりの労役は彼女にとって罰でもなんでもなかったということだ。
基本的に彼女は直球だ。素直に要求を言ってくる。駆け引きという観念を持ちあわせていない。だからこそ会話が成立しないわけだが、これまで彼女が嘘を吐いたことはない。
疑うことがバカバカしくなってきているので、飛逆はこれ以上は突っ込まなかった。
〈だが君はヒューリァと能力複製能力の開発もやっているだろう〉
〈そのことですの〉
どのことだ。
〈天使様はお気づきかと存じますけれど、百虎様の能力をシェルターで行使することは現時点でも可能なのですの〉
〈それが今の話に関係あるか?〉
モモコの能力を行使することが可能かどうかで言えば、可能だ。モモコにシェルターの権限を仮託してやればいい。つまりアカゲロウ演算システムという飛逆の眷属をモモコに操らせるのだ。首輪を介して翼状外装をモモコが操ることができたように、また、寄生した首輪自体にも気配遮断を実行させることができていることからも、それは不可能ではない。
ただ、問題はいくつかある。いくつか、というよりもいくつも。
その筆頭は、モモコが飛逆の眷属を操ることが難しいことだ。先ほど翼状外装をモモコに操らせたときのことを観ればそれは明らかだ。また、翼状外装には元々炎を噴出するというコードが収納してあり、実際にはモモコが炎を出すという飛逆の能力を行使しているわけではない。己の一部と認識させられている首輪ならば自身の能力を行使させることができるということから、モモコの気配遮断を行使させるためには彼女を対象の眷属に直接且つ常時接続させておかなければならないということになる。
それでは目的に適わない。ローコストでネリコン自体にコードを収納したいのだ。
〈手段はそれだけではありませんの。百虎様に眷属を作ってもらうという手段がありますの〉
〈ああ……なるほど〉
ようやく話が見えた。
〈君がモモコの眷属になるって言うんだな?〉
モモコは自分の眷属を作ったことがない。その手段もわからない。けれどその他の怪物を見る限り、それはできないはずがないのだ。【紅く古きもの】でさえも、原結晶を用いた精神感応性合金には自身の分体を宿らせることができた。モモコに憑くソレも、雷という形を精神感応性合金に宿らせることが可能に違いない。
そしてゾッラは現在、精神感応性合金でこそないが、意思を持ったネリコンのような状態である。多少――いやかなり、強引な手段を視野に入れれば、実現可能性は充分にあった。
〈その通りですの。そしてこれが可能であれば、そのようなわたくしをアカゲロウ演算システムによって情報的に複製することで、結果的に能力複製能力を得ることができますの〉
自己同一性に拘りがないからこそのゾッラの提案。
モモコの気配遮断を手に入れ、それを量産することが可能になれば、【悪魔憑き】への対処はひとまずのゴールを迎えることになる。
能力複製能力はヒューリァに持ってもらいたい能力であって、その目的には適わないが、今回のように一々【悪魔憑き】に対抗するために飛逆自身が出張るというのは実に非効率的だ。
一度にすべての成果を得るというのが贅沢な話なのであり、能力創造開発は後々にも継続していけばいい。
〈……全員で相談しよう〉
ひとまず検討の余地ありということで、全員で相談することにした。
†
ちょっと可哀相だな、と思わなくもない。
というのはモモコのことだ。
「今になって……にゃ」
実に今更だからだ。
もしも彼女の眷属を作るという話が最初期の、せめて飛逆が火山を噴かした直後くらいだったら、モモコも諸手を挙げて――とはいかないまでも、多少は自ら進んでそれを試行しようとしたことだろう。
仲間が得られる――喩えそれが擬似的にせよ、それは彼女の望みであったからだ。
モモコのことだから、飛逆たちがその『仲間』であるからと見当違いに遠慮した可能性はある。飛逆たち以外の『仲間』は要らないとか、そういう、少なくとも飛逆には理解しがたい論理による遠慮だ。
理解しがたいのになぜ察せられるかというと、飛逆もヒューリァに遠慮していなければあるいはミリスの求愛に応えたかもしれないからだ。
我ながら最低なことだと飛逆は思うが、ミリスの健気さには報いてやりたくなるときが未だにある。ミリスに応えなかったのは、残念ながらヒューリァ以外の異性に魅力を感じないほど一途な想いがあるためではないのだ。つまりは義理立てしている。あと、ミリスと関係してそれが露見したときのヒューリァの反応が怖い。少なくともミリスが無事で済むという予想は立たない。あるいは飛逆も無事では済まないかも知れないが、それはそれで別にいいというか、それに関してはむしろ望むところとか思っている。ヒューリァになら殺されてもいい、というのもあるが、彼女が自分に隷従しているわけではないのだと確かめられたなら満足してしまいそうな気がするということだ。反抗されたいというのだから大分倒錯していると自覚はしている飛逆である。
そんな風に、身内に自由を押しつける飛逆一流の価値観に基づく説法のせいでモモコは、眷属を作ったところで『仲間』が得られるわけではないと得心してしまった。クランという怪物の巣窟の中に在っても孤独を味わってきたであろうモモコは、その得心をより強くしていたことだろう。
今になってこの提案は、嫌がらせに近い。モモコにしてみれば、ある日手が届かないと見切りを付けた酸っぱいブドウを贈り物として渡されたようなものだ。本当に酸っぱいのに。
飛逆も「俺ってもしかしてモモコのことが嫌いなんじゃないか?」と自分に首を傾げたくなるくらい、彼女の心情を圧迫するような状況ばかりを招いている。ヒューリァのとき然り。ヴァティのときも然り。そして現在だ。もちろん故意のつもりは全くないのだが。
「まあ、強要はしない。やるにしても色々と問題があるし」
まずゾッラからの提案というのが問題だ。彼女は未誕とはいえ【悪魔】である。ヒトを変異させる情報を感染させる媒介者。そんな彼女に今以上に力を与えても、果たして大丈夫なのだろうか。その危険性は漠然としているが、曖昧だからこそよりいっそうの警戒が必要であり、はっきり言えば気が進まない。けれど確かに有効であろうから、無碍に却下することもできない。使える手札を温存するほどに現状に余裕があるわけではないからだ。余裕があったら面倒臭がって雷雲をそのまま落とすとかしない。本当だ。
モモコが拒絶するようなら、却下してもいい。その程度の融通は利かせられる余裕がある、と思う。
こういう、飛逆が消極的なとき、積極案を推進しようとする傾向にあるヒューリァは、けれどなにやら難しい顔をしている。
何を考え込んでいるのか、ヒューリァに関しては特に察しが悪い飛逆のこと、少し考えたがわからない。というか察しても見当を外している気がする。
後で聞いてみることにした。あるいは彼女から言ってくれるだろうし、今はモモコだ。
「というか、何をどうすればいいのか、いまいちにゃ」
モモコは、複雑な心境を措いたとしても、まずどういうことなのかと途方に暮れていた。
「まず、こっちにアカゲロウ演算システム搭載シェルターを造るだろ? というか造ったんだが。ここにひとまずは俺の精気遮断でシェルターの存在を隠蔽しつつ、ゾッラの自己像復体をこっちで再現する。今のゾッラは情報生命体みたいな存在だから、第三の眼のネットワーク経由で転送できるわけで、つまりゾッラをここに移すわけだ。そしてシェルターの管理者にゾッラを設定して、そのシェルターに君の首輪を接続する。で、君の自己認識をシェルター全体に敷衍させた後に、君が君の【能力】を行使する。下手をすればその時シェルターの管理者であるゾッラの人格特徴は吹き飛ぶだろうが、上手くすれば君の【能力】をゾッラが覚えるかもしれない」
あるいはそんな簡単なことでいいのか? と思いはすれども、【悪魔】という現象自体が理不尽そのもの――飛逆もその属性であるらしいのだが――なので、なんとかなってしまう気もする。
「リスクが大きい――というかリスクがなんなのかが読めないから、本拠シェルターやその付近でやってみたいことじゃない。だから北大陸にいる今の内にってゾッラは提案してきたんだろう」
現在のゾッラは飛逆の思考回路の一部を参照して形成されている。だから飛逆が考えそうな懸念を先回りして、この案を今の時点で提出してきたのだろう。
「もちろんそのリスクには、君が一時的とはいえアカゲロウ演算システムと同化することで起こるであろう、怪物性の肥大なんかも含まれている。あるいはゾッラに君が取り込まれるって可能性もあるな。むしろこっちが大きいか?」
植物寄生はヒトをヴァティの宿り木にしてしまうというものだ。現在のモモコは飛逆の宿り木が寄生している状態で、けれど宿り木が肥大しすぎれば寄生の主従が逆転してしまう。そうなったとき、モモコは過去にヴァティによって取り込まれた被召喚者たちと同じ状態に陥ってしまうだろう。ヒト部分は再生不可能なレベルで跡形も残らない。その主となる対象が、この場合はゾッラになると予想された。
「ややこしすぎてわけわかんないにゃ」
「簡単に言えば、死ぬかもな、ってことだ」
モモコが被るリスクはそれに尽きる。
あるいは後遺症を負うものの生存するという可能性もあるが――ゾッラは飛逆の眷属のようでいて独立的な存在であり、それでいて【魂】が未確定という実にややこしい存在である。彼女の台頭の時点から――それ以前からとっくに――この世界に於いて生死の境界線は曖昧になっていて、どこからなら『生存している』と言えるのか、最早飛逆には定義できない。その後遺症とはモモコの自己同一性の不全であるかもしれないからだ。記憶の非連続性を罹患しても人格が連続していると見なすべきかという命題のそれに近いだろうか。
あまり深く考えたいことではない。どうせ考えたところで単一の答えが出る命題でもないし。それこそ観測した者が各々で確定させたそれが答えだ。
ただ、その観測者の認知限界を広げることでその答えは変わってくる。であるならば、ここでその答えを出すべきモモコが把握しえる情報をできるだけ正確に告知することは飛逆の義務と云えた。
けれど、モモコは一向に理解を示す気配がない。仕方ないので非常に端的に告げた。判断の丸投げではない、と思いたい。
「今すぐ答えを出せとは言わない。とりあえず、ゾッラの複体をこっちに作製して管理者にするのは確定として、君がここで転移門を開けるかどうかを実験して、問題の町の山賊を片付けて、それからだ」
どうせといってゾッラの自己像複体の作製には時間が掛かる。モモコが回復するまで実行できないのは、転移門を開放できるかという試行実験と同じだ。
形だけ完成したシェルターへの入り口を開きながら、飛逆は一旦モモコへの告知を打ち切った。
†
造ったばかりの地下シェルターだが、居住性は悪くない。
土石操作と植物操作があれば大抵の素材は再現できるし、流体操作で室温も気流も自在だ。
適当な区画の室内をヒカリゴケで照らして床を高密度ポリウレタンっぽい絨毯で覆って、後は適当にベッドだとかソファーだとかを設えれば一時凌ぎの休憩場所としては過分なほどだ。
さすがにアカゲロウ演算システムの構築には時間が掛かる。先ほどモモコたちと相談している間ミリスが何も発言していなかったのは、最低限演算システムを組んだこちらのシェルターに仮の管理システムを搭載する設計を行っていたためだ。
飛逆は飛逆でここで遠隔会議を行うためにモニターを造ったり、念のため思念ネットワークの整備を行っていたりする。あっさりとゾッラに侵入されたため、もうちょっとセキュリティ観念を強めたかったのだ。今回はミリスのために開いていた回線から割り込まれた。ゾッラは不確定的存在であり、その性質上難しいが、もう少し彼女の自由度を限定したい。何も束縛したいというわけでもない。そうすることで彼女の【魂】がやがては確定されるのではないかということだ。それはヴァティを復活させるために必要な準備実験である。
「しかし、確かにややこしいことになってるな……」
未解決な問題がいくつもあって、そのどれもが無視できない問題で、その各問題毎に無闇に複雑である。果たして飛逆自身、すべての問題をきちんと把握できているか自信がない。それぞれ独立させた分割思考にスケジューラなどにレジュームさせてはいるが、流動的なこれらの問題を常に念頭に置いておくのは難しい。というか情報統合する度にうんざりする。義務に設定した休日以外、相変わらず飛逆は眠ることができていない。
ソファーにどかっと腰を落として沈み込み、天井を見上げる。風呂と同じでどれだけふかふかであろうとも体感的効果に違いはないが、こういうのは気分だ。
ヒューリァはその隣に、少しだけ遠慮がちに腰掛ける。
モモコは床で丸くなっている。考え込むときの彼女の体勢がそれなのだろう。服を着ていても長い髪が身体を覆い、虎が寝そべっているように見せていた。
それを見るともなしに眺めながら、溜息を吐くようにヒューリァへぽつりと零す。
「結局、付いてきてもらってよかったってことなのかね」
モモコが回復するまではこのシェルターで足止めだ。
「えっと。わたしが言うのもなんだけど、わたしがいなければあの魔獣とかが襲ってこなかったわけで……失敗だったかも」
それでちょっと遠慮がちなのか。違うか。それだけではなさそうだ。少しはありそうなので、フォローを試みる。
「いや、種航空機は隠蔽できない。あの時点で察知されたのは君がいたからだけど、いずれにせよあの槍投擲手との遭遇は避けられなかったはずだ」
「猫被りが消耗したのはあの魔獣との遭遇戦のときなんだから、やっぱり失敗じゃない?」
「あー……俺から言い出してなんだが、もしもの話はやめとこう」
蓋然性を言い始めるとキリがない。飛逆はそんなことばっかり言ってきた気がするが。
「ここで君が隣にいるっていうのはなんだかありがたいなって思っただけなんだ」
「ひさか、なんかこの間からちょくちょくそういうこと言ってくるよね」
不思議そうに首を傾げられると、なんだかこういうこと言った甲斐がないわけだが。
無理して言っているわけではないが、これまでの言葉で言い表してこなかったことの反省を込めて多少意識的に言うようにしているのだ。
「ダメか?」
「ダメってことじゃないんだけど……なんか、ムズムズするし、それに……」
「それに?」
「なんか怪しい」
言うと決めたらヒューリァはきっぱり言うタチだ。
「何を疑われているのか、わからないわけじゃないが、なんで俺はそこまで君の信用がないのかがわからん」
ミリスのことはさておき。さておいてほしい。
「え、あ。違くて。そういうんじゃなくて、言われてみればそういうことなんだけど、なんていうか」
なぜだかあたふたと取り乱すヒューリァだ。何気に信用してないことを否定していないし。
ヒューリァ基準では脛に傷ある飛逆はあえて突っ込まないが。
「まあ俺の信用云々は措いて、どう思ってる?」
「え? ひさかを?」
「いや、だからゾッラの提案のこと」
飛逆の信用の話は措けと言っただろうに。ないことはわかったから。
「ああ、あの子を猫被りの眷属にするって話」
ヒューリァは得心したように頷く。
ふと、ヒューリァは飛逆とミリス以外は名前で呼ばないのだなと気付いた。
モモコにはわかるが、ゾッラにも未だにそうらしい。僅かに違和感があった。
「多分、ひさかが想像する以上にあっさりできちゃうと思う」
成算の多寡を聞いたつもりはなかったが、これはこれで興味深い。
「ある意味、あの子はわたしと同じで、宿り木になりやすい体質で、今はその究極みたいな存在になっちゃってるから」
ヒューリァは元の世界で『怪物を宿しやすい体質』に、いかなる手段によってか調整されているということだった。ゾッラはその調整を突き詰めるとこうなる、というような存在であるらしい。
まあ彼女の意思の容れ物は飛逆の準眷属なわけだし当然と言えば当然だが。
なお、アカゲロウや創成植物は準眷属、ミリスやクランの連中は眷属という分類にしている。ヒトを元にしているかどうかで分けた。飛逆の分身的な意味合いが強いのはアカゲロウたちだが、ミリスが「そっちでまで二番目にはなりたくないです~」とか訳のわからないことを言うのでこうなった。
「ん? でもゾッラは【悪魔】だからああいう不確定的存在でいられるんであって、巫女のそれとは違うんじゃないか?」
実験してみたが、ゾッラのような自由意思を持つアンドロイドというのは造れていない。単に仮想空間に作製したアバターを取り憑かせたところで、アカゲロウ以上の自律性は持たせられないのだ。つまり意思だけの存在、思念体は造れない。
「だからわたしはそれになれなかったんだと思う。わたしが【悪魔】じゃないから」
「なれなかった、ね」
それは彼女が少なくとも過去に於いて、『究極の宿り木』とかいう胡乱なモノになりたかったという言い方だ。
結局はそれのようだ。彼女が難しい顔をしていたのは、やはりまだ引き摺っているのだろう。元の世界でのことを。
まあ仕方がない。
ヒューリァには能力創造開発を担当してもらっている。それを彼女に任せるということは、彼女が元の世界でどのようなことをされてきたのかを掘り下げていく――思い出していくということに他ならない。
ゾッラという『過去に失ったもの』の象徴がいなくても、これは彼女にとって酷なことだったかもしれない。
ヒューリァには強くなってもらいたい――飛逆に隷属していない、独立的な存在として在ってほしいという欲求から課したこの開発研究だったが、飛逆は自分のことばかりを考えすぎていたかもしれない。彼女のためにといいつつ、その彼女の辛かったかもしれない過去を掘り起こすことになることを、あまり深くは考えていなかった。仮に辛くなくとも、楽しかったからこそ思い出せば辛いということもあるというのに。
「――なんにせよ、君の元の世界にもやっぱり【悪魔】はいたってことだよな」
話を逸らすというのではないが。ミリスの出身に限った属性ではなく、この世界にミリスがその概念を持ち込んだために【悪魔】という現象が起こったのではない。元々潜在していたということだ。
これは割と重要な示唆だ。たとえばヒューリァが受けた調整施術とは、その【悪魔】による変異情報の感染である、とか。
「うん。そういうことなんだと、思う」
少し自信なげに。
「しっくりこないか?」
「ううん。……わたしが殺したあの子が【悪魔】っていう異能者だったっていうことは、間違いないと思う」
「でもしっくりこないわけか」
ヒューリァは自分の感覚を言葉にすることが得意ではない。だから釈然としていなくても、こういう言い方になってしまう。何が釈然としないのか、言語化できないのだろう。
ヒューリァのそれはゾッラよりはマシだが、後々こうしたことが重要な示唆だったりする場合が多いので、察せられないのがもどかしい。
ミリス風に言うなら「あからさまなフラグ」だ。できればへし折っておきたいところだ。
尤も、フラグとやらはへし折ったところでイタチごっこであり、むしろあからさまなフラグは立てておいて、他の致命的なフラグが立たないようにしたほうがいい。ミリスのゲーム理論(違う)によるとそうなる。その理屈はわからないでもないが、ゲームに詳しくない飛逆はやっぱりへし折りたいわけだが。
こういうとき、飛逆が見落とすとしたら自分のことだ。あるいは身内と認識している誰かのこと。つまり灯台の直下。
さすがに少しは飛逆も学習している。わかっていても見落とすのが灯台の下なのだが。今し方自覚した俺様のように。
とりあえず念頭に置くように努めることにした。
「何か釈然としないことはあるけど、ゾッラがモモコの眷属になることには反対しないし、大きな問題はなさそうってことでいいか?」
「うん。それは、たぶん、としか言えないけど。そう思う」
ゾッラが提案し、ヒューリァもこう言うので、やはり後はモモコの決断次第だ。
順番として、モモコがこちらで転移門を開けるかどうかという実験と、町を占拠した【悪魔憑き】の討伐という仕事がその前にあるわけだが、それもモモコの回復待ちだ。
そのモモコは、今の間近で交わされる会話を聞いているはずなのだが、無反応だ。
いつだったかに聞いたことのある(確かミリスから)、意識のリセットとやらを行っているのかもしれない。
自己に埋没し、知覚範囲を拡大する飛逆の瞑想とは、違うらしい。だから飛逆もそのリセット感覚(違う)がどういうものであるのか実感できていない。
ただ、若干精気の回復速度が早くなっているだろうか。
首輪がモニターした記録と対照してみる。
早くなっていた。
その代わり生命反応が下がっている。というか殆ど仮死状態だ。体温は室温とほぼ一致していること以外は、まるで冬眠しているかのよう。熊じゃあるまいし。虎じゃなかったのか。
〈……大丈夫なのか、これ〉
思わずミリスに確認した。もしかしてここまで精気を消耗した上で『意識のリセット』をするのは危険なのではなかろうかと、危惧したのだ。
〈驚きますよね~。数値で比較すると平均で平常時の四十分の一以下にまで落ちてますから~〉
どうやらこれがリセット状態時のデフォルトらしい。
〈あ、ちょうどいいタイミングです~。仮組みですが~、そっちのシェルターの内部設計終わりましたよ~。これからゾッラの複体データをそっちの三次元プリンタに転送します~。さすがに複体が完成するのには時間が掛かりますので~〉
思念体であるゾッラを封入するための素体は、ある意味で人間の身体よりも複雑な構造を持っている。データの転送はともかくそれを現実に再現するのに時間が掛かるのは道理だった。本拠シェルターのほうから移送したほうが早いかもしれないが、この位置にまで魔獣に襲われずに運ぶ手段がない。
「モモコをここに置いて、山賊どもを討伐してきた方がいいか?」
問題の山賊はもう吹き飛ばしたかもしれないが、それを確認するためにも目的の町を一度見に行く必要があるだろう。けれどそれにモモコは必ずしも要らない。
この場合の問題は、いかに頑強なシェルターで隠蔽しているとはいえ、仮に襲撃を受けたなら消耗しているモモコはひとたまりもないだろうということだ。
〈問題ないと思います~。襲ってくるとしたら【悪魔憑き】ですが~、モモコさんは気配遮断を使える程度には余力がありますから~〉
最悪でも単独で撤退することくらいはできるはずである、と。同時にその場合、精気を隠せないヒューリァがいることはマイナスに働く。モモコの護衛としてヒューリァを置いて行くという手はない。
一度モモコを覚醒させて(呼びかけるとすぐに起きた)その旨を告げて、飛逆たちは問題の町へと足を向けた。
精気を隠せないヒューリァを連れているのだから、コソコソすることに意味はない。
樹脂の外皮を纏ったアカゲロウを六体顕現し、その内の三体を先行させ、残りの二体にそれぞれに跨がり、一際大きな一体を殿にして、問題の町へと一直線に駈けさせる。
道中でニシキヘビのような魔獣に遭遇した。森を通過しようとしているときに木の上から降ってきたのだ。
おそろしく機敏であり、鱗やその歪曲した身体のせいで刃筋を立てることが難しい。しかもニシキヘビっぽいくせして毒がありそうな牙を持っていて、それをふりかざしてくる。ふざけるなと言いたくなった。
本来毒は、アカゲロウを持つ飛逆には効かないはずだが、相手は魔獣だ。どうなるかわからない。
空気の壁への浸透勁を連発して蛇を近づけずに弱らせようとするが、蛇はそもそもの生命力が半端ではない。
森の中の岩場まで押し込み、弱るまでには森に道ができてしまっていた。
弱ったところで、そのフリをしているだけかもしれない。
飛逆は翼状外装を展開し、上を取ってオラオラオラとばかりに浸透勁を連発する。放った直後は空気の壁が薄くなるために連発できなかった浸透勁だが、流体操作で辺りから空気を集めることでできるようになったハメ技だ。
岩場が平たくなった頃、ようやく蛇も平たくなった。
念には念を入れて、炎を浴びせてみる。
死んだ魔獣には怪物の力が通る。
無事、跡形もなくなった。
燃やす前に毒牙を回収して解析したほうがよかったかもしれないと気付いたが、後の祭りだ。他の魔獣が毒を持っているとして、その毒と同じとは限らない。やるだけ無駄だったかもしれないのだし、頓着するほどのことではない。
移動を再開する。
飛逆たちにとって魔獣はやはり手強いわけではない。塔の二千階層以上のクリーチャーと同じだ。精気遮断を実行しているために三分の一くらいの戦闘力の飛逆でも充分に戦える。ただ頑丈で、通る攻撃手段が多くないために面倒なだけだ。
けれど頑丈というのが厄介だ。倒すまでに時間がかかるだけなく、それまでの環境破壊が甚だしい。まあ、魔獣がいる時点でそれは今更なのだが。
「というか、あのクラスの魔獣がいるにしては森が無事だったな」
通常の植物も精気を宿している。たとえばあの蛇であれば、木に身体を巻き付けてへし折れば、精気を吸収することができるだろう。そんなことをしていれば森はあっという間に禿げてしまっているはずだった。
〈おそらくですが~、一定以上に成長した【悪魔憑き】は~、一定以下の精気に対して食指が動かなくなるんですよ~〉
飛逆の繰り言に対してミリスが応答する。
「どっかに根拠があるのか?」
〈いいえ~。データはありませんが~、環境から逆算するとそうだろうな~って。ヒサカさんが森ごと吹き飛ばしたあの【悪魔憑き】が意外と理性的だったことが~、強いて言うなら根拠です~〉
「成長したら理性も強化されるってか」
獣に理性があるかはともかく、元々彼らは生態系の上位に在っても、捕食と自己防衛以外では意外と攻撃的ではない。成長してそうした性質を取り戻すと考えれば、それなりに説得力を持っている気がする。
例えば今回の蛇の場合、成長する前は樹木を破壊するほどの力はなかったが、成長してそれができるようになっても今度は捕食対象以外を攻撃しない性質を取り戻したために、木々は無事だったということがありえる。
南大陸では成長する前に呼び寄せて始末しているためにそれが明らかにならなかったわけだ。
「まあ、いずれにせよ怪物寄りの存在に対しては攻撃的になるわけで、気配遮断を手に入れなきゃいけないのは変わらないか」
それに、物を考える頭がある哲学的ゾンビはむしろ厄介になっているということでもある。戦術的な動きをされると面倒だ。
けれど一方で、対話が可能であるという可能性もある。気配遮断をローコストで実現できれば、最低でも棲み分けはできそうだ。
ミリスの憶測が正しければ、気配遮断の獲得が【悪魔】現象に対するゴールにできる保証が一つ増えたということになる。
いずれにせよ、今向かっている町を占拠した山賊を片付けることは必要だが。
「ようやく『次』に行けるのか」
飛逆の本来の目的へ、ようやく進めることができるかもしれない。
即ち、飛逆たちをこの世界に召喚したモノを殺すという目的を、進めることができる。
そのためにやらなければならないことはまだまだ多い。
前々回の被召喚者であるヴァティを復活させるというのはその一つだ。
飛逆は自分が何を敵と定めたのか、何も知らない。
敵と定めた当初、月へと直接赴こうと考えていたが、それが頓挫して正解だったかもしれないと今は考えている。
あまりにも相手の情報がなさすぎる。たとえば直接月に行く手段が確立したとして、果たしてそこに対象が居るという保証はない。
元々月に行こうと思っていたのは、敵がそこにいるからだと考えたわけではなかった。そこに飛逆たちを操る月光を操作する装置か何かがあるに違いないから、それを破壊するなりして停止させることがその狙いだった。
さすがに月そのものを破壊するのは、現実に可能であるかどうかという問題もあるが、地上環境に及ぶであろう影響が大きすぎる。だから自分自身が直接行って、機能だけを狙って壊すことができればそうするべきだと、当時は判断したのだ。
けれど炎龍ゾンビの現出で、その考えがちょっと甘かったかもしれないと思うようになった。
月光を操る者が炎龍ゾンビ以下というのは考えづらい。装置があるとして、それを護る強力なクリーチャーでも用意されていればどうなるか。
大気圏外という明らかに不利な環境で炎龍ゾンビに匹敵する存在が攻撃してきたならどうなるかという話だ。
為す術もなく返り討ちだろう。
だからこその軌道エレベータ建設計画だったわけだが、そのエレベータ自体を狙われる可能性は充分に大きく、炎龍ゾンビからエレベータを護る手段は思い付かない。
要は見込みが足りなさそうだと気付いたわけだ。
だからといって飛逆が今以上に強くなるというのも難しい。単純に精気を拡張していくだけではスタミナが増えるだけであり、情報処理力を上げていくのも、【電子界幽霊】を獲得して、演算力に関してはもう頭打ちである。仮にモモコに憑くソレを喰ったところで、むしろ操作する対象が増えて弱体化する恐れさえある。
唯一可能性があるのが、それらの【能力】自体を改造していくことだが、怪物オリジナル以上に効率的且つ強力な能力を創造することが難しいことは、能力創造開発が難航していることからも明らかだ。
つまりこの方向性では届かない。
そもそも届いたところで意味がない。現時点でも飛逆は星を滅ぼすくらいはやろうと思えば出来てしまう。同じかそれ以上に強大な存在と真っ向から衝突しては、後には何も残らない。
方向性を変える必要がある。
何を成せば勝ちなのか。それを生死以外のところで決める。もしくはヴァティのときと同じだ。個対個の、規模を抑えた戦闘に持ち込む。
そのためには相手のことを知らなければならない。
思えばヴァティの敗因は、交渉を持ちかけることで『話し合いのできる相手である』ことを示したことだった。それは彼女には『護りたいもの』があるということの証拠であり、結果、その護りたいもののためにヴァティは飛逆の土俵に上がらざるを得なかったのだ。
閑話休題。
ヴァティは少なくともウリオには召喚者に付いて何も語っていなかった。けれど、それは彼女が何も知らないということを意味しない。この世界について長く存在した彼女ならば、彼女自身が気付いていないだけで重大なヒントとなる何かを知っている可能性はある。
仮に何も知らなくとも、ヴァティと敵対する理由はもうない。
協力すれば単純に戦力が増える。
現在は飛逆という単体に戦力が集中しすぎていて、飛逆の行動をむしろ制限しているから、分散したほうがまだマシだ。【悪魔】現象に関してヴァティ率いるクランに丸投げしてしまうのもいい。
ゾッラが気配遮断のコードをコピーできたならば、それらも実現可能性が増すだろう。残務処理を押しつけられるウリオなどは文句を言うだろうが、ヴァティが復活していればその文句も引っ込むだろうし。
〈フラグっぽく聞こえるので~、あんまりそういうこと言わないほうがいいですよ~〉
ほんの僅かながら肩の荷が下りた感を出してしまった飛逆にミリスがツッコミ入れる。
確かに、まだ何も終わっていないし、できていない。実現可能性が示されただけだ。
尤もな指摘だったので、飛逆は気を引き締めた。
問題の町が見えたのはその頃だった。
百体ほどの魔獣が、人骨散らばる廃墟と化した町を背景に、ずらりと伏せって並んでいた。
†
「ちょっとこれは、予想してなかった」
明らかにこちらの到来を待ち構えていたというように、百体近い魔獣が森を抜けた先の町の前に展開されていた。
魔獣の種類としては、狼や犬が多いだろうか。狐らしきのもいる。
確か、すでに廃墟と化しているその町の人口は五万ほどだったはずだ。百で割って五百。
単純計算でその魔獣たちは一体当たり五百ものヒトを喰らい殺していることになる。魔獣と化してからこれまでに奴らが殺した生命体がどれだけかは知らないが、それを除いたとしても充分以上に成長しているはずだった。
その魔獣の群れを視認するなり、飛逆はアカゲロウを回収し、ヒューリァと共に飛んだ。
一対一ならばどうとでもなるだろうが、一体五十はちょっと無理だ。確実に消耗する。
町が廃墟と化していることだし、生き残りはいないと見なしてこの近辺を吹っ飛ばそうと決める。
その決断をして算段を編んでいる間に、一際大きな――それぞれが遠近感が狂うほどに巨大な中で更に大きな――巨大魔狼が遠吠えを発した。
それは合図だった。
群れは一斉に飛逆たちの方向へと駈ける。
低く鋭く。
そうかと思えば一気にその体躯を持ち上げ、ありえない跳躍力で飛びかかってくる。
「いつだったかを思い出すなこれっ!」
翼状外装の炎噴射を最大にして、一気に上空へと飛び上がって避ける――が、彼らは味方の背を蹴って段階的に、更に飛び上がってくる。
それは炎が描く軌跡を蜘蛛の糸と見立て、我先にと集る地獄の亡者を彷彿とさせる光景だった。
魔獣の成長とか回復などを厭っている場合ではない。ヒューリァの手を取って引き上げて位置を入れ替え、その下に右腕で浸透勁――指向性爆撃を放つ。
衝撃自体を彼らが無効化することはできない。
蜘蛛の子が散るようにバラバラと勢いを失い、落下する魔獣たち。あるいは地上に叩き付けられて、多少はダメージが通っただろうか。
しかし、
「っ」
そんなことに気を取られている間にヒューリァが半月刀を振るう。
形容しがたい衝突音が響いた。
廃墟の影から飛来した何かを、ヒューリァが半月刀で迎え撃ったのだ。
飛来物自体はヒューリァが防いだが、半月刀が衝撃に耐えかねて歪む。「ぁ――」相殺できなかった衝撃波が抜けてくる。
指向性衝撃波に匹敵する――というかそれそのものの衝撃が、飛逆たちを襲った。
久しく味わっていなかった物理的な『痛み』という感覚。血が沸騰したかのような熱さ。
それは一瞬にして引くが、飛逆の頭を冷やすのに充分な刺激だった。
姿が見えないからといって山賊がどこかにいないはずがない。一見あの魔獣の群れを率いているのは巨大狼だが、その巨大狼を操っている哲学的ゾンビがどこかにいるのは当然だ。
思い至らなかったわけではない。予想外の数に圧倒されて、意識するのが遅れただけだ。
それだけだが、そんなことでも、もしヒューリァが察知しなければ彼女は穿たれていたかもしれない。あと一撃もあれば半月刀は折れるだろう。ヒューリァの察知でもギリギリだったということの証拠だ。死なないまでも墜とされていたかもしれない。
致命的ではなくとも、リスクが増えていた。
武器を失い墜ちたヒューリァが百の魔獣にこぞって啄まれる有様を想像してしまい、飛逆は嫌な気分になった。
纏めて吹き飛ばすのは止めだ。
顔を見て確実に殺す。
後悔させてから、殺す。
彼らが飛逆たちを狙うのが、飛逆のせいであることなど知らない。戦術的に考えるだけの理性があって襲ってきたのだから、やはり知ったことではない。
冷徹にそう断じた。
腕に種の射出口を展開。吹き飛ばされて直下に来た森に向けて連射する。
種は森の植物の樹液からアカゲロウを顕現する。
飛逆の血だけから造られるアカゲロウと違って、それは物理的強度の大きい、対魔獣用に設計したアカゲロウだ。見た目に相応しい重量を持ち、精気に寄らない攻撃手段を持つ。巨人兵の装甲にも使われている炭素製硬皮毛を纏ったアカゲロウは防御力もそれなり。
構造上、巨人兵ほど複雑な動作は行えないが、獣の相手をさせるのには充分だ。
五百以上の樹木を喰らって顕現した二百体のアカゲロウの群れは、忽然と禿げた森から一斉に出現し、地に落ちた魔獣の群れへと襲いかかった。
〈ミリス。こいつらの指揮を頼む。倒せなくてもいい。俺たちの邪魔をさせるな〉
二百くらいならミリスが単独で余裕で操作できる。飛逆よりも上手いだろう。
〈りょうか~い。お約束として一応~、別に、倒してしまっても構わないですよね~〉
ミリスが指揮を受け持ったアカゲロウたちは、一見バラバラなようでいて整然と動き始める。
一撃離脱を繰り返してバラバラだった動きを調整し、その後方では突撃に参加しなかったアカゲロウが列を為していく。
前列が一斉に割れたと思えば咆吼を発する。
咆吼波。
魔獣にも有効な指向性振動波だ。
その余波だけで大気が歪み、光が屈折し、空間が陽炎そのものと化して――ここはいったいどこの地獄だという有様。
魔獣はそれに耐える。確実にダメージはあるが、動きに支障が出たモノさえない。
だが押し込んだ。
単身距離を取っていた巨大魔狼が遠吠えする。乱れた戦列を建て直そうというのだろう。魔獣はそれに従って、無闇にこちらに襲いかかることはなく、巨大魔狼の下へと退避した。
仕切り直しだ。
ここからが戦闘。
命亡きモノ同士の衝突だ。
飛逆はそれを見るともなしに確認しながら、廃墟へと視線を向ける。
遮蔽物が邪魔だ。上空から俯瞰しても哲学的ゾンビは見当たらない。奇襲狙撃の失敗を悟ったか、完全に息を殺して廃墟に埋没している。
どこかに確実に潜んでいる哲学的ゾンビどもをあぶり出さなければならない。
ヒューリァはともかく飛逆は精気を持たないモノを感知する術を持たない――いや、忘れているだけだ。飛逆はヒューリァのそれに数値上では劣るどころか勝るはずだ。
精気感知が便利すぎてそれに頼りすぎた。取得情報を絞りすぎている。
鈍っている。便利に堕落していた。
思い出さなければならない。
だが、この場面でいちいちそれをしているのでは時間の無駄だ。
町の中心の上空に位置取る。
そしてリストカット。
アカゲロウを顕現――だが彼らは狼の形をしていない。彼らの最小単位。血煙だ。分解毒。彼らを大気中の水蒸気を集めて混ぜて、町へ敷衍させていく。
じわじわと分解毒は町を浸食し、ボロボロと建物が崩れていく。
生命が少数の場所であまり大規模なことはしてはいけない――が、これは塔下街を新生させる際に行ったことだ。
これなら確実に大丈夫――変異情報源は湧出しない――と言い切れるわけではないが、それを言い始めると飛逆は何もできないことになる。どこかで割り切らなければならない。いつ変異情報源が湧出してもいいように覚悟を決める。
それに、そこまで大規模になる前に、相手から動きがあるはずだった。
「――見つけた」
今はヒューリァが隣にいるのだから、彼女に感知を任せればいい。飛逆が時間を掛けて感覚を思い出す必要はない。
第三の眼でも分解できたのにあえて血煙を使ったのは、見せつけて相手を動かすためだった。
ヒューリァが指差す方向に、第三の眼を向ける。
そして今度こそ空間支配で――範囲限定、物質構造を解析、特定組成物質の分解を実行――町の一角を砂場にする。
さすがに限定状態では一瞬とは行かないが、それでも数秒で廃屋が分解され、砂に塗れた山賊共が立ち尽くしているところが顕わになる。六名。意外と少ないと言うべきか。
呆気に取られている――が、奴らの反応は早かった。
散開し、それぞれ煉瓦造りが多い家の屋根へ一足で飛び上がり、その屋根を蹴ってこちらへ向かってくる。
「他にもまだいるかもだ。警戒頼む」
ヒューリァに言って、自分は第三の眼で指定したポイントに爆発を起こす。
六カ所同時爆破。
哲学的ゾンビに直接の第三の眼の空間支配は効かない。だから爆破したのは奴らの足下だ。熱を上げた上で圧縮した空気をそれぞれ煉瓦の内側の隙間に転移させた。
普通の人間なら下半身が四散した挙げ句に内から外から瓦礫に穿たれて穴だらけになる威力の爆発だが、成長した哲学的ゾンビにはせいぜいスタン効果しか与えられまい。
だがそれで充分だ。奴らは飛べないのだから。
爆発前から彼らが吹き飛ぶ方向を計算していた飛逆はその方向に予め向かっていた。
図った通り自分の方向に飛んでくる哲学的ゾンビの内一体を、殴りつける。
ある意味精気の塊である自分の直接攻撃は【悪魔憑き】には効かないかもしれないと今まで試していなかったが、いずれにせよここまで成長していれば間接攻撃では効かないだろう。
だから全力の浸透勁だ。身体強化を最大限にして、けれど怪物の能力に依らない攻撃を放つ。
本気の飛逆の拳の速度では対象に当たる前に空気が硬くなり、結局間接攻撃になってしまう。だからあえて拳の初速を落とし、当たってから、物体が反発する瞬間に急激に加速して押し込む。それは相手の内側を流れる血液が剛性を持つほどの加速度だ。いわゆる寸勁。本来は全身の動きによって実現される、地に足が付く必要のある技だが、飛逆ならば力業で空中でも再現できる。
勁――超速短周波が哲学的ゾンビの胸を中心に内部全体へと放射状に広がる。
とてもヒトの身体を殴ったとは思えない音がする。不協和音。その音は哲学的ゾンビの頑丈さが尋常のそれではないということは関係なく――事実、哲学的ゾンビの身体は爆散した。四肢と首から上が半ばで千切れた背骨を連れて吹き飛び、胴体はほとんど昇華するかのように粒子状になって弾け飛ぶ。実際体液のすべてが気化したための結果であるのかもしれない。一度は重力に従った赤黒い煙が抗うように舞い上がることがそれを示す。大気よりも熱い気体である証拠だ。
自分でやっておいて、飛逆は驚いていた。これまで魔獣のデータから割り出した成長した【悪魔憑き】の耐久力では、ダメージこそ通ってもこうはならないはずだからだ。
死んだ【悪魔憑き】には異能力が通るということを思い出す。
「……頑丈さには限度があって、回復速度には限度がないから結果として耐久力が上がっているように見えていたってところか」
攻撃を受けて損傷する端から損傷箇所が修復されているために、見かけ上頑丈になっていただけだったようだ。道理で空で魔獣と戦ったとき、刃が通らなかったはずだ。刃では損壊範囲が小さすぎて回復速度を上回ることができなかったわけだ。あの時にこの直接中てる浸透勁を使っていれば、空気が薄い高高度のほうが初速を抑える必要が小さく、威力のある攻撃を与えられただろう。
つまり戦術の選択をこれまでミスってきたということだ。魔獣との戦闘データはヒューリァたちが集めたものが主で、それを参考にしていたために気付かなかった。
データを偏重しすぎた。誰がそれをするかで何もかもが変わってくる。そんな当たり前のことを失念していた。
纏わり付く血煙を流体操作で払いながら、自分の視野――識域の狭さにうんざりする。
こんな簡単なことだったとは。
飛逆が精気遮断をしているためか、奴らの注意は専らヒューリァに向かっていた。けれど彼らの仲間を跡形も無くしてしまった飛逆こそが脅威であると、認識したようだ。
だが奴らにできることはない。
せいぜいが空中で体勢を立て直し、手に持つ武器を投擲するくらいが関の山。
さすがに武器を手放しはしていない。奴らのそれは、一見では区別できないが、特別製だ。どういうわけか変異情報に感染した無機物。
奴らの残りの内二人が投擲してきたのは、握り込んでいた小さな石。
ここに来る前に遭遇した【悪魔憑き】の例を挙げるまでもなく、投石は立派な攻撃手段だ。大抵どこでも手に入り、補充が容易く、腕があれば鳥獣を狩ることができる。成長した【悪魔憑き】が放てばなにをか況んや。普通の人間が喰らえば、空中で不安定な体勢から放たれたそれでも、当たった箇所が周りの組織を連れて弾け飛ぶだろう。
されどただの石。
特別製でもないそれは、飛逆が展開する風の壁を貫けない。
逸れて、または砕けた。
そして飛逆がそんな風に、不安定な空中で勢いよく投擲するために崩れた体勢を見逃すはずがなく、第三の眼で爆発を彼の背中側に転移させてあちら側からこちらに来てもらう。
サイドスローで腕を振り切った体勢の男はその脇腹に吸い込むように飛逆の拳を埋めた。
寸勁。
先に立てた仮説を証明するように、彼は弾け飛ぶ。ただし、先の男とは違い、まるで雑巾を絞るかのように捻れて千切れ飛んだ。内力が捻れていたためだ。
「反応速度もヒトよりは速いが俺たちほどではない、と」
飛逆ならば、たとえ不意を打たれても、拳が脇腹に届く寸前には対応できただろう。防御が間に合ったかどうかはともかく、直前の行動をキャンセルして、対応しようとする体勢にはできていた。最悪でも無防備な脇腹を空けたりはしない。
まあそれは飛逆が精気遮断を行っているためかもしれない。彼らがここまでに成長するまでに殺害してきた対象はすべて精気を持っていたはずだ。それが感じ取れない飛逆は、彼らの本能的には敵ではない。通常、理性よりも本能のほうが咄嗟の反応は速い。だから反応が遅いという可能性はあった。
実際、飛逆に飛礫を投じたもう一人のほうは、ヒューリァが奇襲的に仕掛けていたのだが、それにはしっかり対応している。個体差があるはずだから、必ずしもそのせいではないだろうが、ヒューリァの斜め上からの――死角からの一撃を、赤黒い刃の短剣で受け止めている。
その反応もそうだが、元の材質が何か――ただの鉄と銅と僅かな鋼の合金でしかない短剣で、ヒューリァのネリコン製半月刀を受け止めるなど不可能なはずだ。
事前にそういうデータはあったが、やはりというか、【悪魔憑き】は彼らの装備品にも及んでいる。炎龍ゾンビを飛逆が解析した結果が無機物だったためだろう。第三の眼ではその原理を観測できない何かとして変異しているのだ。
うんざりする事実だ。投擲物は必ずしも変異していなかったため、何か条件があるのだろうが、ああした装備品に攻撃を受けるのは避けるべきだ。おそらく精気を収奪される。
【悪魔憑き】がヒューリァの一撃を受け止めたといってもそこは空中。その一瞬後には地面に叩き付けられていた。
残り三人も自然落下で屋根に足が付く。
向かってくる、かと思ったが、奴らは怯えていた。
内一名は屋根に足が付いた途端に、飛逆の方向に背を向けて何事かを叫びながら逃げ出す。残り二名はそのまま屋根にへたりこんで、懇願の視線を飛逆に向けて何かを悲痛に叫んだ。
取得していない言語フォーマットだ。何を言っているかわからない。
まあ元より山賊と会話する気などないのだが。
命乞いであったとしても、気にする理由を飛逆は持っていない。
成長した【悪魔憑き】のデータは欲しいが、倒せることがわかったならそれで充分と云える。
簡単に殺せるのは飛逆だけだが、要は精気に依らない間接攻撃を回復力が尽きるまで叩き込めばいい。
それに、瓦礫の粉に塗れていた奴らだが、爆発によってそれが払われて、その姿が明らかになったところで、髪の色や瞳の虹彩がどうやら変質しているとわかった。自然色ではない色。琥珀色の瞳だったり、アルビノのそれとも違う紅い瞳だったり、ペンキを塗ったような蒼い髪だったり紅い髪だったり、つまり変質している。
そのように『普通の人間とは違う特徴』が外見に現れるのであれば、気配遮断のネリコンを普及させた後に問題になるはずだった【悪魔憑き】とそれ以外の見分けが付けられる。
やっぱり奴らを生かす理由はなかった。
むしろ殺す理由はある。成長した奴らを飛逆が簡単に殺せるのは、奴らの成長が急激すぎて奴ら自身にもその力を使いこなせていないからだ。
飛逆という存在と対峙した経験が、彼らを技術的な意味でも成長させる可能性がある。
利用価値が低く、後顧に憂いを残しかねない。
殺す理由しかない。
とりあえず逃げ出した男は第三の眼でまた足下に爆発を起こし、彼を囲むように空中でも空気爆弾を展開し、翻弄した後、浸透勁で止めを刺した。
逃げた男を先に始末したことで勘違いしたか、まるで崇めるようにこちらを見上げる女の【悪魔憑き】も爆発で跳ね上げてから足場を奪い、殺した。
それを見て破れかぶれに襲いかかってくる男の繰り出す長剣による斬戟を受け流し、自らの膂力に振り回されて体勢が崩れたところをこめかみに寸勁を入れて始末した。頭部しか吹き飛ばなかったが、頭を失えば哲学的ゾンビは死ぬらしい。貴重なデータだ。死んでいることを確かめるために炎を出して燃やしてみたが、きちんと燃えた。
最後の一人が――ヒューリァに地上に叩き付けられ瓦礫に埋もれていた奴は、その瓦礫をはね飛ばしながら一直線にヒューリァに飛び上がっていたが、ヒューリァは元々接近戦では足場に頼らないほうが得意だ。
彼女の回転剣舞によって縦横無尽に走る斬戟を喰らわされ、短剣を取り落とす。
「――ヒューリァ、三つ以上の爆裂弾で押し潰せ」
彼女にも殺せるはずだ。
ひとまずアドバイスを送り、静観する。危なくなればいつでも助けられるように圧縮空気爆弾は第三の眼の視界内に待機させておいた。
ヒューリァのセンスなら、この程度でも飛逆の言いたいことを十全に汲んでくれるだろう。
そしてヒューリァは縦にした回転剣舞によって更に哲学的ゾンビを跳ね上げ、【神旭】を伸ばし――なんと、男の周囲をぐるぐる巻きにして――まるで蛇が獲物を捕らえるかのように――繭のようにしてしまった。
そして、【神旭】を導線にして一斉に爆発が起きる。【神旭】の繭が一瞬だけ膨張し、紅い閃光がほつれた隙間から漏れ出てチンダル現象によって煌めいた。
そして【神旭】が消えたそこには消し炭になった【悪魔憑き】の残骸があるだけ。衝撃で圧殺されて、死んだ後に熱によって燃えたのだろう。
「……そういう風に、使えるようになったんだな」
飛逆にはそれが意外だった。
ヒューリァは『【紅く古きもの】を連想させるもの』が苦手で、【神旭】をそのように扱うことを頑なに拒んできたはずだったのだ。
「うん……なんか、もういいかなって。ホント言うと、大分前から平気だったんだけど、なんか、意地になっちゃってて、でももういいかなって」
炎龍ゾンビとの邂逅の折の反応を見れば、それ以降だとは推測できる。魔獣の中には蛇がいて、彼女が魔獣狩りをしている際に遭遇しなかったはずがない。だからその時点ではもう平気になっていたのだろう。つまり飛逆に過去を話したからではない。
克服したくない『苦手なこと』というのは、ある。
結局、ヒューリァは決定的な何かがなくとも、徐々にその拘りを消して行っていたのだ。そのこと自体に恐怖を覚えていたのだろう。
けれどヒューリァは、過去にすること。自分が変化すること。それを受け容れたのだ。
(俺は変われているのかな)
そんな彼女を見て、飛逆は自問する。
飛逆の内で、ヴァティは変化がなければ死んでいることと同じだと言った。
同意するわけではないが、一理はあると思っている。それはある観点からの真理だ。ある価値観から主観的に見た真理を道理と云う。
積極的に死にたくはないが、死んでも構わないと思っている部分が未だに飛逆の中にあった。
今の道理で言えば、その消極的な希死念慮は変化を拒んでいるからこその願望だ。
何に対して自分は拘っているのだろう。どんな変化を恐れている?
そんな疑問が湧いた。
考え込むのは後だ。
事前情報ではこの町を占拠したのは十数名の山賊だったはずだ。他にもいるかもしれない。警戒を広げる。
けれど中心部から血煙を上げて二百メートル円方を分解してもヒューリァの感知に引っかからなかったのだ。その後にこうも派手に戦闘を行っているのにも関わらず。
いないと判断するべきだろうか。
感覚を広げながらも思索する。
「ここに来る前に遭遇した奴らが二手に分かれた一味だったとか、かな」
もしいないとしたら、なんらかの理由で二手以上に分かれたと見なすべきだ。
五万以上の人口がこの町にはあったとして、そのすべてが殺され、魔獣の餌になったと考えるのも、深く思考してみれば変な話だと思われる。確かに人のそれと思しき残骸が町中で散らばっているが、全部合わせたとしても五万には届かないだろう。せいぜいその半分くらいか。
精気の感知は普通の建物では阻害することができない。つまり飛逆にも感知されず、ヒューリァのそれにも引っかからないと言うことは、この町には人っ子一人いないということだ。
そんなことがあるだろうか?
身体能力こそ飛逆のそれに匹敵していた哲学的ゾンビや魔獣どもだが、一人残らず駆逐するのはさすがに厳しいだろう。それほどに成長したのは、この町を襲撃した後なのだから。
戦争で軍隊同士が衝突した時に、半分が死ねば全滅と見なされるのも、本当の意味で一網打尽に始末するということが現実的に難しいからという理由がある。
つまりこの町の住人は半分くらいは逃げることに成功したのではないだろうか。少数が逃れることができているのは、伝令が南部地域中枢の都市に着いていることからも明らかだ。そしてそれを追うために山賊たちは手を分けた可能性が高い。
その内の一部がここに来る前に遭遇した哲学的ゾンビだろう。中枢都市へのルートからは外れているが、逃げ惑う人々が必ずしも正解のルートを行くはずがない。
してみると飛逆はあの森に逃げたこの町の元住人などを吹き飛ばしたことになるわけだが、まあそれはどうでもいい。飛逆がやらなくてもどのみち哲学的ゾンビの追撃を受けて逃れることはできなかっただろうし、そもそも別に飛逆はこの町を救いに来たわけではないのだから。
帝国植民地から程近いこの町は防衛拠点として再利用するつもりであり、つまり場所を奪還さえできればヒトがそこにいる必要はない。
モモコが回復し、ここでも転移門が開けるようであれば彼女にここの拠点を任せ、クランの人員と【オルターエゴ】憑きの塔下街住民でも植民させてやれば充分に回せる。最悪塔の中に撤退させればいいだけなのだから。
なんにしても、他に哲学的ゾンビがいないというのであれば、残るは魔獣の始末だ。
「ミリス、どうだ? 倒せたか?」
〈――〉
呼びかければいつだってすぐに応えるミリスの返事が、遅れた。
思念の気配だけが返ってくる。
わずか数秒ではあるが、飛逆は猛烈に嫌な予感を覚える。
思考加速を行っている状態での数秒は長すぎる。
未だ戦闘音が響く魔獣たちの位置に、ヒューリァを促して飛ぶ。
ちょうどそのタイミングで返信があった。
〈――。あ、ヒサカさん~。ごめんなさい~。ちょっと面白げなことがあったので~〉
「面白げ?」
〈面白げというか~。……これぇ、拙いんですかね~〉
要領を得ない。
緊迫した感はないのでミリスに差し迫った危険が襲っているとかではないようだ。
移動した先ではやはりまだ魔獣とアカゲロウの抗争は続いていた。いくらかは魔獣の数も減っているだろうか。アカゲロウの減った数のほうが明らかに多いが、それでもそれなりに拮抗できている。
――と、思ったら廃墟の影に隠れていた巨大魔狼が、廃墟を蹴ってヒューリァに襲いかかってくる。
飛逆が危なげなく圧縮空気爆弾で顎を跳ね上げ爪を弾き、そして無防備になった胴体にヒューリァが半月刀を叩き込み、飛逆のところへと飛ばす。
寸勁を入れるが――弾け飛ばない。
飛逆は舌打ちして空中で反転、オーバーヘッドキックの要領で蹴り飛ばし、地面に叩き付けた。
「魔獣のほうは耐久力が上がってるんだな」
おそらく哲学的ゾンビの持つ装備と同じく、毛皮が強力な防具として成長しているのだ。というか毛皮というのが問題だった。厚く硬い毛のせいで浸透勁を上手く内側に及ぼすことができなかったのだ。成長した【悪魔憑き】の場合、哲学的ゾンビよりも魔獣のほうが厄介だということらしい。
だがダメージは透った。
やりようはある。
地面に叩き付けられた魔獣の頭を抑えるように圧縮空気爆弾を彼の頭上に連発し、その間に飛逆は地上に降りる。
さすがにここまでやればヒューリァに集まっていたヘイトを飛逆に向けさせることができるようだ。
圧縮空気爆弾の圧力から解放された巨大魔獣はまるで地面に反発するかのような勢いで飛逆に向けて低く、飛逆を丸呑みにしても余りある巨大な顎を開き、飛びかかってきた。
その大口に飛逆は進んで入り込み、牙を躱して上顎に寸勁を入れる。
巨大魔狼の上顎から頭部は弾け飛んだ。
本当は額を狙いたかったのだが、毛皮が薄い、または無いのは咥内でも同じ。頭を失えば魔獣でも死ぬのだから、これで問題ない。
流体操作で脳漿やらなにやらの気体を浴びないように払って、天井が開けた咥内を飛び出す。行き掛けの駄賃とばかりに喉の奥に焼痍弾を放ってきたので、飛逆が飛び出すと同時に巨大魔獣の身体は炎を内側から吐き出し、やがて燃え尽きた。
「ヒューリァ。やりようはあるけど、君がやると燃費が悪くなりそうだ。やるなら頭だけを狙って爆縮してくれ」
ここにいる魔獣はそもそも巨大であって、先ほど彼女がやったように【神旭】の網で全身を囲うというのは難しい。
「わかった」
ヒューリァは頷き、どうやら統率を失ったためにてんでバラバラに自分に集まってくる魔獣たちを一匹ずつ倒し始める。波状に襲いかかってくるのでなければ、ヒューリァに有利な足場のない空中に勝手にやってくるのだから、ヒューリァの対処に危うげはない。
飛逆も加わり、半分ほど始末したところでさすがにそろそろ消耗しているだろうということで、やや高い高度にまでヒューリァを連れて行き、給血する。
「――で、ミリス。何があったんだ?」
ヒューリァに頸部を噛み付かれながら訊いた。ミリスの名前を出したときに心なしヒューリァの犬歯が深く刺さった気がするが、気のせいだろう。
〈それがですね~……ウリオがアホなことをしてまして~〉
「ウリオが?」
〈何をトチ狂ったのか~、ワタシのオペレータールームを乗っ取ろうと数人引き連れて押しかけてきたんです~〉
「あのバカが……」
目眩を覚えた。ヒューリァに血を吸われていたからではない。
〈仕方ないのでセキュリティを発動して閉じ込めたんですが~〉
「その対処で問題ないが、何かあるのか?」
〈ウリオがヒサカさんから預かっている管理者権限を最大限使って~、部屋の壁と同化して~、セキュリティシステムそのものを浸食しようとしやがったんです~〉
「アホだ……」
ウリオに与えている権能はクランの中では大きいが、ミリスのそれには到底及ばないし、そもそも演算システムの概念を最近学んだばかりのウリオがミリスに太刀打ちできるはずがない。シェルターの中に籠もる限り、ミリスはその内側では全能者に程近いのだ。
飛逆の眷属には、れっきとした序列がある。それは具体的な力量差を意味する。たとえミリスがアカゲロウの指揮をしていても、片手間で彼らを閉じ込めてしまえるほどに。
〈当然ウリオがワタシのプロテクトを突破できるはずもなく~、ウリオは閉鎖部屋と同化して~、分を超えた能力を行使しようとした代償に半分以上発芽した状態ですね~〉
「意思は残ってるのか?」
〈そこはさすがと言っておきましょうか~。吹き飛ぶ寸前に自閉したようです~。仮死状態みたいなものですね~〉
「なるほどね……あいつは一度仮死を体験してるからな」
代謝を止めることで逆流する怪物の意思から自分の意思を護ったわけだ。
〈ご報告が遅れたのは~ヒサカさんたちがギリギリの戦いをしている可能性があって~、しかも即刻対処が完了したからです~〉
「その判断は正しい。何か仕込んでいるかも知れないから警戒はしてくれ」
ウリオなら自分を囮にするくらいのことはするだろう。だが、彼の手持ちのカードで切れる手札はないはずだから、それほど強い警戒は必要ないが。
〈その辺も抜かりなく~〉
飛逆はミリスにほぼ全幅の信頼を置いていた。その言葉を信用する。
「しかし、どうするかな……」
〈とりあえず魔獣を駆逐してから相談するって方向で~〉
順序よく片付けていくのがいい。
焦ってもどうせろくな事にはならないのだから。
「……信じてなかったんだな、俺がヴァティを復活させるって」
それはウリオとの関係からすると当然のことだが。
少しだけ、胸にしこりが残った。
作者あとがき)
結局、読むことと書くことくらいしか趣味がなく、書いていた方がまだ有意義らしい(無意義なことに時間を費やさない)とここ数年で気付いたために再開することにしました。
前書きにも書いたように、書いている余裕があるのかは不明なんですけどね。でも書いている方が時間的にはともかく精神的な余裕があるような気がするので。なろう登録当初のころに比べてここ数年は色々余裕がなくなりすぎている……。
一応小説の話もしますと、両方お読みの方はうっすらお気づきかと思われますが、『悪食吸血鬼』と『転生賢者の弟子と転移魔女』の世界は共通でして、転生賢者のほうが後日譚みたいな位置づけです。この世界内時間で300年くらいの隔たりがある設定になっています。今回の投稿は転生賢者に繋がる内容がちらほら入っているようなそうでもないような? 設定そこまで細かく詰めていないような詰めているけど変更するかもみたいな? まあそんな感じで適当に行きたいですね。
ではではあけましておめでとうございます。よいお年を。




