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111. 白い過去

 飛逆はあまり自分の身だしなみというものに気を遣わない。


 あまり意味があることのように思えないためだ。

 それは外見で物を判断することが無意味だと感じているというわけではない。見た目は殊の外重要な要素だ。内面と外見が無関係という言説には無理しか感じないし、内面が外見に影響することもまあ、それほど顕著ではないにせよ、ある。第一次的に取得する情報が視覚である以上、その影響の大きさを無視するのは夢想以上に非現実的と言わざるを得ない。視覚的効果がすぐさま物理的影響として反映されない(されても観測されづらい)のは、むしろその影響が大きすぎるために認識に制限がかけられているのではないかとすら、思っている。そのブロックを突破することができればいわゆる映像ドラッグなどが作れるのではないだろうか。アカゲロウと第三の眼を合成すれば割と簡単にできそうな気がする。そんなものがちゃっちく感じるようなことを――外部的脳使用による遠隔身体操作――すでに実現してしまっているので、実験する気はないが、何かの時に備えて一応余剰タスクでお遊びで構築してみたり……していたらなぜか美女(ヒューリァ)のイメージが出来上がった。


 そのイメージは棄却して、身だしなみの話だ。


 飛逆は例えばヒューリァの外見が美麗であることを気に入っている。彼女の外見がみすぼらしかったりすれば残念な気持ちになるだろうし、限度はあれども彼女が自分の外見に気を遣わなければやっぱり残念に思うことだろう。


 ミリスが乏しい起伏の身体をめいっぱいコケティッシュにしようと頑張っているところなどは、可愛く感じたりもする。彼女は飛逆の反応を映像記録することを未だに怠っていないようで、どうやらその記録から飛逆の好みを研究しているらしい。コロコロと格好(コスチューム)を変える割には飛逆の反応が良かったところを残しているような気配から飛逆もそれを察している。これは飛逆のスタンス的に困るところなので、これ以上の言及は控えるが(というかそんなことより仕事しろと言いたい。藪蛇っぽいので言わないが)。


 だから自分だけを例外にする気はない。ただ、それは最低限でいいと考えていて、そんな自分の内面を表していると感じているために、必要以上に気を付けることが無意味だと思っているわけである。何より現状の飛逆は角を生やしているわ額に眼があるわ、と人外の象徴に事欠かず、それ以上の装飾は過分と云える。定期的にミリスが飛逆の外装に何かよくわからないコスチュームコードをデザインしてくるのをすげなく却下しているのはそうした事由による。無頓着であるから、その性分からすると自分の着る物に指定があるのは悪くはないのだが、もうちょっと地味にお願いしたいというわけだった。


 そのように着る物に飛逆は頓着はすれども気を遣わない。では最低限とは何かと言えば、風呂である。


 代謝をある程度まで操れる上に炎を浴びることができてしかも体表から数㎝の原子分子運動量を支配する謎オーラを常時展開している飛逆は、実際的には風呂に入る意味がない。その気になれば垢が出ないように調整できるし汗を搔いて雑菌が繁殖しても炎で焼いてしまえるしそもそも大気中の雑菌を寄せ付けないようにコントロールできるし、汚れが付いたならば植物外装からを選択的分解毒を分泌して分解、場合によっては養分にすることが出来る。


 ただ、実に今更な事ではあるが、自分がたとえ一時でも人間の生活を送ってきたことを忘れてしまいそうなので、これ以上の乖離・隔絶はよろしくないということで、風呂に入る習慣を付けるようにしていた。


 何がよろしくないのかといえば、一応のこと、飛逆は南大陸に於ける実質最大支配者であり、南大陸全土を網羅する魔獣討伐ギルド及び無国籍医療団体のオーナーである。あまり人間から乖離してしまうと無意識の内に施行するべき制度などの基準を怪物寄りにしてしまうのだ。しかもそれに後で気付いて修正するなど、余計に手間が掛かる。


 人間には『生活』があるのだということを忘れるわけだ。クランを介することである程度緩衝してきたこの問題も、彼らも飛逆の影響を受けて人間を辞めてきているため、飛逆自身が人間側に寄る必要が生じてきているのだった。


 たかが風呂に入るだけのことでこんな窮屈な理由が浮かんでくる現状に思うところがないわけではない。どれほどの効果があるかもわからないし、風呂に入っていてもちっとも落ち着かない。


 想定していた最短の期限はすでに過ぎている。北大陸では未だに南部地域への侵攻すらもない。第三の眼の目視範囲で船が向かってきているということも確認されていない。おそらくクーデターは成功しただろうが、政情が安定していない。おそらく多くの植民地がクーデターを受けて独立するなどの状況が考えられ、つまりは分裂して内戦状態で外に眼を向ける余裕がまだないに違いなかった。


 良いことではある。時間が経てば経つほど【悪魔憑き】が成長するということを考えると、純粋に喜ぶことはできないが、猶予が多めに見積もれるというのは悪くない。南部地域に力を蓄えさせて、防衛、あるいはこちらから打って出ることさえも見込める。


 【悪魔憑き】が帝国での覇権を握っても他所に侵攻しないという可能性は、ない。仮に誰かが英雄となったとして、その者が国を運営しようにも、北大陸中北部はただでさえ資源がないところに天変地異の影響で農作が厳しくなっている。他所から略奪しなければならない。そもそも暴力によって簒奪した政権は戦争を繰り返すものなのだ。宿命とさえ云える。簒奪政権に正統性はない。正統性のない主権に民は従わない。その不在の正統性を糊塗するために暴力を繰り返すのである。それが内に向かうか外に向かうかという選択肢になったとき、基本的に両方が選ばれる。内を恐怖政治で締め付けて、外から略奪する、という寸法だ。クーデター以前の帝国の体質をそっくりそのまま受け継いでいくことになるわけだが、そこに気付くような者がいたとしても、時流に押し流されてしまう。せいぜい奴隷制を見かけ上撤廃し、実質は同じ状態になる。


 そうした予想はかなり高い確率で正解しているが、問題なのはそれが大きな時流として成立するまでにどれだけかかるかが具体的には読めないということだ。比率としては決して多くはない【悪魔憑き】が、そうでない者との関係をどのようにするのかということもわからない。魔獣との関係なども合わせると、もう完全に予測不可能だ。


 確かなことは、とっくに人外道に足を踏み入れた【悪魔憑き】が今もどこかでその歩を進めているということだけである。


 そんなことを桧に似た香りを醸す木材で作られた浴槽に溜めた温泉に浸かりながらつらつらと考える。


 そして溜息を吐くわけだ。

「来るなら来るでとっとと来て欲しいんだけどな……」


 本日は休暇である。自分で言い出して制定したくせして、飛逆は休むということが大変に下手くそだった。体力的に支障があるわけでもなく、前述したように、恒常的に展開されている外乱遮断の謎オーラのせいでこうしたリフレッシュも特に効果がない。処理タスクを圧迫しているわけでもないので、わざわざレベルを落としてまでそうした効果を享受しようというのも本末転倒というものだ。一定以下に落とそうとするとそちらのほうが処理タスクを圧迫するという謎仕様なのである。基準値から変動させると処理リソースを圧迫するのだと考えれば別段、不思議でもないが。


 仕事明けの早朝から無意味な外乱(じんわり浸透してくる熱)に身体を曝して結構な時間が経っている。無意味なせいで今ひとつ時間経過が瞭然としない。どれくらいで上がればいいのかがわからないのである。


 どれくらいこうしていたのか、不意にこの風呂場に通じる通路が開かれる気配があった。ここに通じる通路を開ける権限を持つのは限られる。


 ミリスではない。彼女の場合、覗きどころか風呂に入っている飛逆に突撃して来かねないため、権能の剥奪のみならずプロテクトまでかけている。彼女が本気を出せば破ることはできるだろうが、そこまでして突撃したいならばもう何も言うことはない。飛逆はそっと彼女から心理的にも物理的にも、距離を取ることだろう。それがわかる彼女は、突撃してこない。ここぞというときにしか大胆不敵な行動を取らない、彼女にはそんな臆病なところがある。


 権限を与えておらずプロテクトを破ってこられる者といえば、ゾッラがありえるが、これは否定できない。ゾッラの行動は脈絡がないのだ。『天使様のお背中を流しに行けと上位存在から命令が下った』などのメタな理由で来ても不思議はない類の人外なのである。人外だから合法だよねとか、そんな理由さえありえる。だがそんな危険なことをやらかす上位存在ではないだろう、という飛逆もメタな理由でそれをないとした。


 まあ消去法で、ヒューリァだろう。

 彼女は完全フリーパスだ。


「戻ってたのか。おかえり」


 申し訳程度に手拭いで局部を隠して現れた彼女に、一応手を上げて迎える。


 なぜだかヒューリァは一瞬きょとんとしたように立ち尽くし、それから微笑を浮かべて「ただいま」と返してきた。


 軽く身体を流してから湯船に浸かって息を吐く彼女に、先ほどの一瞬の呆然はなんだったのかと問いかける。


「ん。なんか、いろいろ」

 はぐらかすかのようにヒューリァは小首を傾げる。

「ホントにいろいろなんだよ。なんか、ひさか普通だなっていうのとか、ただいまって言われたのいつくらいぶりだろうとか、こういうときってどうやって返せば良いんだろうとか……他にもいろいろ」

「そっか」


 飛逆にも実のところ、迷いというか、そうした葛藤めいた感情はないでもなかった。素肌を晒している彼女に何かの情動を抱くべきではないかとか、そんな義務的なことを考えてしまったりもした。


 ちょいちょいと手招きして、対面に座るヒューリァを自分の足の間に招く。

 ヒューリァは素直に従った。


「……うん。やっぱこの体勢、落ち着くな」


 後ろから抱き締める。なんだかよくわからないが、とても落ち着く。だから傍目には自然な形で「おかえり」を言えたのだ。ヒューリァが自分の手の届くところにいるというのは、心穏やかになるのだと実感したために。基本トラブルメーカーだった彼女に抱く感想としては甚だ不思議なことなのだが。


「正直、わたしはひさかの顔見えないし、落ち着かないんだけど。……当たるし、ホントに落ち着いてるの?」


「硬くするのが礼儀かと思って」


 人外の飛逆は血流及びうんちゃらを自在に操れます。


「逆に失礼じゃないそれ?」

「うん。言ってから順当に失礼だなって気付いた」


 難しい問題である。問題として俎上に上げるのがそもそもおかしいわけだが。


「そういえば言ったこと無かったけど、ヒューリァは可愛いぞ」

「なに? いきなり……」

「この体勢だと、意外にこういうのでヒューリァが動揺するのが直にわかって楽しい」

「遊ばれている……ていうか初めてじゃないし、その、そういうの言われるの」

「水着を褒めたことはあるけど、君自身をこんな直接的に可愛いって言ったの初めてだと思うんだが」

「……そうだったかも」

「あまりにも当たり前すぎてわざわざ言わなかったんだよな」

「ぅぅ……ひさか、なんか変だよ? なんか溜まってる? シようか?」

「褒め殺しされるくらいなら直接的な行為に逃げるとか、変な感覚してるのは君だと思うんだが……」


 まあスルのも悪くはないのだが、そういう気分ではないのでその意思表示として血を抜いた。


「俺、今日は休日なんだ。ようやく休み方が見つかったんでしばらくこうさせてくれ」


 ようやく力の抜き方がわかったというか。いつまでもこうしていたい。


「なんだろう……別に構わないんだけど、釈然としないよ?」

「実は溜まってるのがヒューリァだからじゃないか?」


「……」


 どうやらイジリ方を間違えたらしい。ヒューリァはむっつりと押し黙ってしまった。あるいは図星を指されて不機嫌になったのか。


 かと思えば急に思い立ったように身体を反転させて、正面からぎゅぅっと抱きついてきた。


「……これならわたしもしっくり来るから」


 少し身体を湯に浮かせるようにしてから、顔を上げて言う。

 その顔はやっぱり不機嫌そうではあったけれど。

 『溜まっている』ことを否定しない辺りは実にヒューリァだった。


 しばらくまったりとくっついていた。


 その後でお互いの頭を洗ったり、ボディーソープで遊んだりした。

 色々なことを今だけは考えず、楽しんだ。




 翌日、久々に初期からのメンバーだけを集めて会議を開いた。つまり飛逆を筆頭にヒューリァ、ミリス、モモコの四人だ。クランのメンバーは除外し、ゾッラは労役を休ませて待機だ。


 何気にすごく久々のことである。というのも、モモコの立ち位置が非常に微妙なものだからだ。


 ヴァティを倒してからなし崩し的に、彼女がヴァティに絆されたことは不問となっているが、彼女にその気がなかったとしてもあの状況下に独断でこちらの情報を流したのははっきりとした背信行為だ。彼女にその自覚がなかったことは明らかだが、それが余計に性質が悪い。いつだって怖いのは善意の加害者なのだから。


 そして何より、被召喚者の中で彼女のメンタリティは非常に浮いている。


 ヒトを殺戮することに全くためらいのないヒューリァや、良識を持ち合わせていながら頓着しないミリスとは、決定的に違う。ヒトを殺すことに躊躇するし、良識を持ち合わせてそれを気にして行動する。


 根本は、そう変わらないと飛逆は思っている。自覚の話だ。自身が怪物であり、ヒトとは違うモノであるという認識を、彼女はしっかり持っていて、だから結局は殺せる。けれどだからこそそんな自分に反発している。ヒトとは違うからヒトに近づきたい――認められたい。


 結局、()に認めてもらいたいか。それがヒューリァやミリスと違うだけなのだ。


 彼女にショタ趣味があるからとかそういう話ではなく、モモコは『大多数(マジョリティ)』に認めてもらいたいのであり、ヒューリァやミリスのように、自分が認めた誰かという少数でいいというのとは、違う。


 飛逆たちにとっては意味不明な価値観だ。顔の見えない大多数の誰かに認めてもらって何が嬉しいのか、さっぱり共感できない。だから浮いてしまう。


 彼女が本当はヒトに成れる――戻れることを恐れるその理由とは、結局の所、その大多数に認められないことの言い訳が失われるためだ。怪物だからヒトに認められないのだと、そう思っていたいわけである。


 さて、そんな彼女についにその時が来たのだということを突きつけるための会議がこれだ。


「怪物を剥がして【象形】に封印する術が確立した」


 ゾッラの例から、そのデータを蓄積し、飛逆が造った素体に封じ込めることができる。未だに【魂】の観測はできていないが、それは結局自我によって定着させるモノであるという仮説の元に理論上は完成にこぎ着けたのだ。適合係数の高い素体を用意して、モモコのヒトとしての部分を強化し、怪物部分を押し出してもらえばいい。言葉にすれば簡単なことだが、その技術的な問題を解決するのに役に立ったのがゾッラだ。特に『適合係数の高い素体』を造るための技術だ。


「記憶の抽出と定着に関してはまだだが、モモコに憑いてる奴みたいに性質はあってもヒトに近い知性がないタイプにはこれでいけるだろう」


 選択的に記憶を抽出する術は未だに確立していない。だが元塔下街住人のように、記憶が呼び覚まされていなくともその性質が個々で異なるように、必ずしも性質を左右するのが記憶とは限らないと示唆されている。よってモモコに憑いているモノであれば、この手段で可能であると飛逆は判断した。


「――だが、これを実行するべきかどうか、話し合いたいってことでこの会議なんだが」


 色々と諦めているらしいモモコはネコ耳をぺたんとさせていた。その耳が、飛逆が言うので片耳だけぴくりと持ち上がる。


「にゃ?」


「今の状況で塔を刺激するのが正しいのかどうかがわからないからな」


 半分だけ現出した塔だが、その現出に際し、何か具体的な変化はどこにも現れていない。正直【悪魔】現象への対処のために、何か起こっては困るために助かっているわけだが、ここでモモコを解呪すると今度こそ何が起こるか予測不能だけに、慎重にならざるを得ない。


「逆に言うと~、すでに現出しているからこそ~、モモコさんから剥がすべき~って考えもあるんですよね~」


 ミリスが言うのも一理ある。というのも、


「それって……アレの出現を抑えているのが塔かもしれないってこと?」


 ヒューリァが言う通りだ。


 塔の半現出以降、変異情報源の湧出は確認されていない。アレこと炎龍ゾンビの出現と塔の現出には何らかの因果関係があり、その因果が、『変異情報源湧出の抑制』である可能性は、割と考えやすい。


「そう。もしそうだったとしたら、それをもっと確実にすることで俺が行動しやすくなるって利点があるわけだ」


 これまでは変異情報源の湧出を警戒して飛逆自身が大規模な行動を起こすことを自重してきた。この自重が飛逆が北大陸に赴き、成長した【悪魔憑き】を排除しに行けない理由の一つとなっている。もしも塔の出現によって湧出の抑制が成されているのであれば、その自重を取り払うことができる。


「あるいは【悪魔】現象が終息するって可能性もありますからね~」


 そこまでは望みすぎだとは思うが、可能性だけであれば否定は出来ない。


「少なくとも、南大陸での均衡ができた今なら、状況を動かしてみて、様子を見ることは悪い選択肢じゃない」


 いずれにせよ【悪魔】現象の完全な撲滅は不可能だ。ならばここらで初期の目的――自分たちを召喚した何かを殺す――に立ち返るのも悪くはない。


「でも……もしも、塔が完全に出現するだけじゃなくって、何か強いのが現れたりしたら、どうするの? 北大陸からの侵攻とそれが重なったら……」


 ヒューリァのその懸念は実に尤もなのだが。


「変異情報源は~、目的があるかどうかはともかく~、その行動原理はわかりやすいんですよね~。その情報に感染した【悪魔憑き】もです~。ですが~……塔や月に関しては~、その行動指針すら~、何もかもが憶測しかないんですよね~。月に直接赴くっていう案が事実上頓挫した今~、とにかく何か具体的な情報~というか~、確定した情報が何か一つでもほしいです~。せめて~、ヒサカさんに何をさせたいのか~……それだけでも確定しないと~、危なっかしくて大胆な行動が取れないんですよね~」


「結局それなんだよな……塔や月……この際だから月に一本化して考えても、何がしたいのかがわからない。これまでの傾向にヴァティからの情報を加味して考えれば、少なくとも召喚した怪物を強くしたいのはわかるんだが、その強さの矛先をどこに向けたいんだかがさっぱりわからん」


「それは変異情報源とか言うのじゃないの?」


「可能性としては高い。けど仮に湧出を抑えているのが塔だったら、それができるなら俺たちを召喚する意味がないだろ。何かシステム的な理由で俺たちを召喚する必要があったって可能性もあるが、結局何もわからないってことになる。その辺りのことを少しでも探りたいわけで……だから状況を動かしてみたいっていうのがこの会議の趣旨なんだが……モモコ、何か意見はないか?」


 何も言わないモモコに、痺れを切らして飛逆は彼女に直接水を向ける。


「ぅにゃ……正直、ヒサカたちが何言ってるのかがよくわかんにゃいのにゃ。……遅かれ早かれウチが解呪されるのにゃら……どっちでもいいにゃ」


 そんな難しいことを言っているとは思えないのだが、要は理解する気がないのだろう。そのように解釈して、飛逆は苛々した。相変わらずだ。


(まあ、俺が勝手を言ってるのも確かなんだよな)


 召喚した何者かを殺すと決めたのも飛逆なら、【悪魔】現象を広めたのも飛逆だ。そこにモモコは一切の関係がなく、どのみち自分の意志がそれを左右しないのならば理解する必要がないと思うのも無理はない。


 理解はできるがこうも苛々するのは何故だろう。

 モモコを『他人』と思っていないからだ、とすぐに思い当たる。身内と思えばこそ、何かを期待したくなる。少なくともこんな諦念に塗れて流されるだけの者であってほしくないと。

 それこそ身勝手な思いなのだが。


「モモコさ~ん。どっちでもいいって言いますけど~、どの道いずれは解呪はされるんですよ~? これはワタシたちの都合だけの問題じゃなくって~、この世界に召喚されたときからもう避けようがない二択なんです~」


 見かねてか、ミリスが諭すように言う。


「どういうことにゃ?」


「状況が色々変わっても~、これは最初から変わっていません~。ワタシたちは~、ヒサカさんに喰われるか~、死んで喰われるか~。その二択を突きつけられてきたんです~。第三の選択肢としてヒサカさんを殺すっていうのがありますが~、最初期にそれをしなかった時点でもうその目は潰えていました~。ワタシの推測通りなら~、それは『できなかった』はずですから~、やっぱり二択です~」


 推測と言いつつミリスは確信しているという口ぶりでそれをモモコに突きつける。


「だからモモコさんが考えるべきは~、死ぬ方を選ぶのでなければ~、解呪された後をどうするかってことです~。ワタシたちみたいにヒサカさんの眷属となるか~……それともただのヒトとしてこの世界に生きるか~」


「ヒサカの眷属になる……のと今の状態って何か違うのかにゃ?」


 【眼】の付いた首輪に触れて、寂しそうにモモコは言う。

 皮肉ではなく、すでにその選択肢は選んでいる。そのようにモモコは言いたいのだろう。

 そういえばそんな物をすでに身に付けていた、ということを思い出してかミリスは沈黙する。モモコに付けたその呪いの首輪の管理は基本、ミリスが担っていた。


「ウチはただの兵隊にゃ。それでいいにゃ……それがいいにゃ」


 自分から何かしようとすれば失敗するなら、失敗しない誰かの言うことを聞いていればいい。

 モモコはそう結論したようだ。

 失敗しない誰かなんて存在し得ないのに。


「ミリス、それ違う」

 と。決着したかに思われた話をヒューリァが拾った。

「わたしたちを召喚したナニかを殺せば、その猫被りはひさかに喰われなくてもよくなる」


「正確には、解呪される必要がなくなる、だけどな」


 一応訂正しておいた。まあ結局の所、仮にモモコの解呪ができたとして、剥がした化生は植物を寄生させてそのコードを読み取り、一応自分に組み込むつもりであり、経緯は違うが結果は同じことではある。


「ですが~、順序の問題ですよ~。ワタシたちにこのシステムを押しつけた何者かをどう探るか~っていうことでモモコさんから剥がすかどうか~って問題になってるんですから~」


「そういうことだな。だから何もなければモモコがこういう態度を取るだろうって、わかっていながら議題にしたんだ」


 つまりモモコを解呪して月の動向を探るという案を採らず、現状のまま【悪魔】現象に対処しながら月の何者かを殺すために別の策を考えるか。


 どちらも博打である。不確定要素が多すぎてどちらのほうが成算が高いか判断できない。


 なるほど、とヒューリァとミリスは頷いた。

 モモコはきょとんとしている。本気で話に付いてきていないらしい。


「猫被り、つまり塔が半分現出したっていう変化があった今、もし貴女がひさかに喰われたいって思っているようなら、それが塔にとっての都合だって判断できるってこと」


「うにゃ?」


「ヒサカさんへの月光の指令が無効化されている~って前提なら~、モモコさんにそう仕向けるのが自然ですね~」


「ただ、判断がやっぱり難しい。シェルターの外で活動することで何か変化があればって期待してたんだが……なんも変わらないからな」


 月からの指令をモモコが受け取っているならば、その態度から月の都合を読み取れるのではないかと期待したわけだ。


 しかしモモコは相変わらずで、どこまでも消極的に『飛逆の眷属となる』という選択を示しはすれどもそこに彼女の『どうしたい』がない。月光からの指令を受けているのかどうかさえも判然としない。


「ていうかヒサカさんは相変わらずド外道ですよね~……」


 まあ否定はしない。悪い言い方をすればこれはモモコを囮にしたということだからだ。ミリスには首輪を通じてモモコの動向並びに体調などの細かい情報をモニターさせていたので、ミリスは逸早くその飛逆の目論見を察することができた。


 ヒューリァには『間諜がいてもそれを泳がせる』旨を伝えてあったので、彼女はそこから察した。


 モモコが察するのが遅れるのも当然である。


「よくわかんにゃいけど……要はウチ、信用されてないってことだにゃ?」


 諦念の滲んだ苦笑を浮かべ、項垂れる。


「そこは誤解されると困るんだが、この点では俺はヒューリァさえも信用してない。むしろ一番最初に疑ったのがヒューリァだし。君自身の信用とかの問題じゃないんだ」


 飛逆の意志決定を最も左右する位置にいるヒューリァを疑ってかからない理由がない。それを当人にも言っている。


「そうした割り切りができるのが~、ヒサカさんの良いところで~、一番怖いところなんですよね~」


 なぜかうっとりとして言うミリスだ。まるで飛逆のそんなところに惚れたと言わんばかりである。


「フツーはそういうこと、頭ではわかってても割り切れないよね」


 そこに同調するヒューリァ。陶然としてこそいないが、憧憬に似た色が瞳に浮かんでいる。


 やっぱり何気に仲良いよなこの二人、と飛逆は内心首を傾げる。そんなところだけ仲が良いと言うべきか。つまり飛逆が外道であることに付いてだけ。


 当然のようにそんな二人を見て理解不能を示すモモコだ。やはり浮いている。いやまあ、こればかりは彼女たちの感性がおかしいと飛逆も思うわけだが。


「まあそういうことだ。モモコは内心解呪されたくないって思いつつも、解呪される方向で受け容れている。従って解呪は後回しだって結論になるんだが……異論は?」


「あえて月の都合に乗るっていう選択肢もあると思いますが~」

「猫被りにとっても、もうはっきりしちゃったほうがいいんじゃない?」


 決着したかに思われたが、いともあっさり異論が二つも述べられた。


「この流れで異論を出せる君らこそ俺はすげーと思うけどな」

 本気でそう思う。


「だってひさか、そういうののほうがいいでしょ?」

「ヒサカさんには~、お為ごかしは逆効果ですしね~」


 本当に仲が良いなこの二人。


 というか実際、怖いというならこの二人のほうが恐ろしいような気がする。たとえどちらの意見に傾倒しても、飛逆がこの最悪を想定し、疑う姿勢を変えないということを、芯から知っているのだ。だから思ったことをそのまま言える。ある意味飛逆以上に割り切っているからこそ、この態度なのだ。それは自分が操られていようが構わない――否、操られていても変わらないという、今の自分への確信を持っているからこそのメンタリティだ。はっきり言って正気とは思えない。その確信を抱かせたのが飛逆への想いだとミリスなどは公言するのだから、飛逆としては背筋の冷える話である。そんな確信を与えるまでのことを彼女たちにした覚えがないのだ。


 それはともかく、議論というか、話の続きだ。


「正直俺は、この解呪を後回しにするって結論を出してからもう一個の提案に繋げるつもりだったんだが……」


 モモコが相変わらずであることは想定内であり、この結論は揺らがないと思っていた。


「ひさかの迂遠な話の回し方、そろそろどうにかしない? 最初からその提案ってのを出してよ、あのね、本当に」


 ヒューリァにダメだしされた。

 都合二度目の話の組み方への苦言である。ちょっぴり凹んだ。


「まあヒサカさんの根拠積み立て結論ありきの話し方は嫌いじゃないんですけど~……結論出さないミーティングって辟易するんで~、これ本当にそう思うんですけどね~。それに今回は仕方ないですよ~。モモコさんの反応を見るっていう段階を入れなきゃいけなかったんですから~」


 ここに来て二人の意見が割れた。そして今回に限り、ミリスの言うのが全面的に正しい。ヒューリァは渋々ながら――「次からはそういうのナシにしてね」とジト目で語りながらも引き下がる。


「うんじゃあ、またヒューリァには怒られそうだが、ここまでを纏めると、だ。そもそもモモコの解呪実験っていうのは、ヴァティ復活の予備実験って目的も含まれている。それは記憶の選択的抽出と定着の技術がまだ確立していないから、今すぐやる必要はない。それに塔を刺激するのは時期尚早だって結論に、俺はこの会議で至った。ここまではいいな?」


 約一名よくないっぽい猫耳がいるが、無視して話を進める。


「けど、塔の現出っていうのは、もしかしたら変異情報源の湧出を抑える効果があるかもしれない。だからできれば塔を完全に現出させておきたい。なぜなら成長した【悪魔憑き】相手だと、おそらく俺が本気を出さなければならない場面が出てくる可能性が非常に高いからだ。俺が本気を出すってことは、変異情報源が一度湧いたときの状況が再現されやすくなるってことだ。そして変異情報源は、その性質にも依るが、真っ向から倒そうとしたら惑星が滅びかねない戦いになる。それはどう考えても避けるべきだ。つまり、変異情報源の湧出を抑制できる確信がない限り、俺が真正面から【悪魔憑き】に対抗するのは得策じゃないってことになる。だが、塔の現出は時期尚早ってはさっき言った通りだ。ならば【悪魔憑き】に関する対処を別に上げなければならないってことになる」


「要はひさかっていう【悪魔】が本気を出す状況じゃなければいいんだよね? それなら変異情報源が湧くことはない。つまりわたしたちが成長した【悪魔憑き】に勝てるように強くなればいい……それが提案?」


「それはもちろん一つの案として考えている」


彼女には密かに進めているオリジンの創造計画などがそれだ。今は言わないが。


「ただ、信用してないわけじゃないが、俺の個人的な感情として、君をそんな戦いに送り出したくない。君が魔獣を狩りに出るのも俺的にはかなり譲歩してるんだし、そうしたギリギリの戦いに出るときは必ず俺と一緒だ」


「そう言ってくれるのは、嬉しいけど、嬉しくない……けど、逆の立場だったらって思うとわかっちゃうから何も言えないね」


 ヒューリァは寂しそうだ。


「……話の続きだ。前々から思っていたことなんだが、【悪魔憑き】の根絶は不可能だ。どこかで見切りをつける必要がある。決着地点を定めるって言うべきかな。どこまで行ったら見切りを付けられるか……それを造ろうっていうのが、俺の提案だ」


「決着地点を、造る、ですか~?」


「【悪魔憑き】の問題を俺たちが無視できないのは、俺たちのような適合係数が高い者を殺す衝動に彼らが取り憑かれているからだ」


 【悪魔憑き】は大きな精気に呼び寄せられ、破壊衝動を誘起される。どういう理屈かは定かではないが、彼ら【悪魔憑き】は本能的に精気を感知しているということがこのことから示されている。


「それさえなければ、安定的な社会という場を用意すれば彼らを駆逐する必要はなくなる。もちろん、魔獣は別だが」


「……あ、そういうことですか~」


 ミリスにはこの時点で飛逆の提案が読めたようだ。合点がいったというように大仰に頷いた。


 もったいぶるとヒューリァに怒られるので、飛逆的にはさっさとその提案の具体的なところを述べる。


「つまり、精気を隠す術の汎用化をローコストで実現できれば、塔を狙う【悪魔憑き】以外は無視できるようになるってこと。だからモモコから、そのためのコードを抜き出したいってことだ」



 飛逆という、この世界で最も莫大な精気を宿す個体がいる塔下街で【悪魔憑き】を飼ったり野放しに出来るのには理由がある。

 もちろん塔下街はクランの尽力もあって、社会的に安定状態であるということはあるが、それでも魔獣を飼う動物園の運営などは非常に難しいはずだった。そこを解決したのがモモコの特殊能力であるところの気配遮断を真似て、飛逆が編み出した精気遮断だ。

 精気を遮断するコードを実行させたネリコンなどであれば、彼ら【悪魔憑き】はその衝動を掻き立てられることがない。飛逆自身が精気遮断を実行したり、そうしたネリコンで囲まれた空間などに引きこもることで、塔下街中枢を護っているわけだ。

 ただ、問題なのはこのコードが非常に重たいことだ。例えばクランの平均的な適合係数の者に実行させようとしたらそれだけで発芽しかねない。実行できるクラスのネリコンは量産できないし、アカゲロウ演算システムの処理タスクのみならずエネルギーリソースも圧迫する。

 もちろんこのコードをミリスに編纂してもらい軽くしようと画策したこともあるが、現状のように余裕がない状態では実現までに相当の時間がかかることが確実だった。


 モモコに首輪を付けたのはこの辺りのためもあったのだが、やはりオリジンというのは、少なくともまだ飛逆たちの理解の及ばない領域にある。寄生して内側から精気の流れを観測記録して解析したところ、不自然なまでにコストが軽いのだ。仮にミリスが最大限、飛逆の組んだコードを軽くしたところで及ばないだろうという結論が出た。精気遮断に加えて光以外の存在要素の隠蔽があってこの差だ。オリジンそのものを生み出すのはまだまだ技術的に難しい。


「つまりそのコードだけを抽出、というか複製したい」


 飛逆の中では、モモコを解呪するのは時期尚早だが、そのコードの獲得は早ければ早いほどいい。

 更にはこの実験には、ヴァティの復活が成されたところで飛逆から『植物操作』の【能力】が失われないようにするための術を編み出すという目的も含まれる。もちろんオリジンの創造計画にも用いることが出来る。


「言い方を変えると~、【能力複製能力】の創造が目的ってことですね~」

「ああ」


 ミリスが端的に言い表すのに肯く。


「これに関しては、最悪俺だけが実行できれば仮に重くても良い。重くてもいいなら【能力】の創造はできるって実例もあるからな」


 まさに精気遮断がそれだ。前例があるなら、やってやれないことはないだろう。


「そしてここからが『提案』なんだが、ヒューリァ、それの開発を君が担当してくれないか?」

「え? あ、なんでわたし? ひさかたちがやったほうが早いんじゃない?」


 ヒューリァの疑念も尤もなことなのだが。


「簡単な話、俺らはそれに注力してる暇がない。それに、【理】の最適化をしたりとか、俺たちとは違うアプローチでそうしたことを実現してきた君ならやれると思う。俺を除いて最も適合係数の高い君なら事故の危険も低いからな」


 本音は、このまま魔獣の狩りを続けたところですでに充分な実戦経験のあるヒューリァでは成長は見込めないため、アプローチを変えてみたら、という提案である。

 彼女が何気に【神旭】の無色化や炎以外の現象具現などを試み続けていることは知っているが、それではせいぜい『英雄』にしか到達できない。

 それでは足りないのだ。

 どこからなら足りているのかはわからないが、【能力】の創造はおそらくその足がかりにはなる。


「ん、うん。わかった。じゃあ……」


 やや消極的ながらヒューリァは承諾し、会議はお開きとなった。

 モモコは当事者なのに相変わらず置いてけぼりだった。




〓〓




 一応これまでの【能力】創造開発のノウハウをミリスに纏めてもらう一方で、飛逆はヒューリァに能力合成する際の体感を伝えるという名目で彼女と話し合いすることにした。

 昨日に彼女が戻ってきたときから、飛逆はこうして二人きりで話し合う機会を設けつるつもりだった。どうして昨日にしなかったのかといえば、これが『休暇』には相応しくない話題だからだ。


「乗り気じゃないのは、この課題を進めるためにはゾッラと協力するのが正しいって、君はわかってるからだろ」


 飛逆はいきなり本題に踏み込む。

 ヒューリァは飛逆には理解不能の経緯で『最適解』を導くことがある。いわゆる直観力だ。それを突き詰めていくとゾッラのような『預言者』になるのだと飛逆は考えているが、つまりこの二人はよく似ていると云える。考えてみれば前歴が巫女という共通項もあり、ある意味では自然なことだ。

「やっぱり……わかっちゃう?」


「君と出逢ったばかりの頃は、演技が上手いって思ってたけど、君は自分がその時々で『正しい』って思ったことを実行してるだけだった。つまり本心を隠したりすることは、上手くない。むしろ下手だ。それは君にとって『正しくない』ことだから」


 演技をしているという意識がないからこそ、騙すことができるというわけだったのだ。


「演技派だって思われてたことのほうがわたしは意外なんだけど。むしろ心外っていうか」

「なぜ心外なのか。演技力ってあるに越したことはないと思うが」


「だって、それってひさか、わたしの態度に嘘があるって思って見てたってことでしょ?」

「ああ……そういうこと」


「なんか伝わってないっていうか、通じてないなって思ってたの、そういうことだったんだってわかって、納得だけど心外」


 ヒューリァが全身で飛逆に好意を示していたのを、飛逆はそこに嘘があると思って見ていた。だからヒューリァは自分の好意が飛逆に通じていないのだと感じて、そして飛逆が好意を示すのを信じ切ることができていなかった。

 そういうことだったらしい。


「いやでも、……言い訳は止すか。すまんかった」


 どちらが悪いという話ではないとも思ったが、なんか自分が悪い気がして頭を下げる飛逆である。やっぱり機微を察するのは難しい。


「で、まあそれはそれとして、ゾッラの話だ。やっぱり苦手なんだよな?」

「うん……。ホント言うと、こうして話題にするのも、なんか痛い。頑張ってみようって思ったこともあるけど……あの子の前にいると、なんか落ち着かなくって。特にひさかと一緒にいると、なんか、ね」


 苦手分野だと自覚しているから、飛逆も本当はこうしたことを彼女との話題にしたくない。「でも、うん。ひさか、もうわかってると思うし、いつまでも避けられないよね」

 それこそ取り繕ったような前向きさで、ヒューリァは言う。


「まあ……」


 要するに、彼女がこの世界に来る以前の話に、ゾッラのような性質を持つ誰かが絡んでくる。

 そうとすれば、筋書きは簡単に読める。

 飛逆は、だからヒューリァの過去について、聞くまでもなくなんとなくわかっている。彼女がゾッラを避けていると気付いたときから、ほとんどそれ以外はないだろうというくらいの確度の筋書きが、読めていた。


「ひさかは、さっき謝ってたけど、やっぱりひさかは間違ってないよ。うん、わたし、ちょっと演技してた。迷ってたっていうべきかな……」


 儚い微笑を浮かべながら、ヒューリァは告白する。


「それはそれでちょっと悲しくなるこのちょっと理不尽な感じ、なんだろうな」


 要は演技が入っていたというのが間違っていて欲しかったという男心である。自分でそう疑っておいて、身勝手な話だ。


「しょうがないじゃない。だって最初、ひさかが【紅く古きもの】を消滅させたんだって思ってたんだし」


「仇を横取りされた……ってそう思ってたんだな」


「それもあったよ、正直。でも解放されたって恩義があったのも本当。ごちゃごちゃって、色々な感情があって、それも全部本当だったから、……わたし自身どうしてひさかにああしようって思ったのか、わかんない」


 それは彼女が月光の影響でそうすることを決めた可能性を認める発言だった。

 その覚悟は決まっていても、やはり堪える。

 気持ちに純粋性を求めてしまうのは、それがありえないという現実を知っていても、拭いがたい性だ。


(まあ、お見合い結婚を否定する気はないしな、うん)


 自分に変な理屈で納得させようとする内心動揺の飛逆である。

 始まり方に拘っていても仕方がない。そこから育めばいい。改めて自分に言い聞かせた。

 それでも、そう仕組んだ(かもしれない)月光を操る何者かは、絶対に殺すが。


「それで、ひさかの中にいるってこと、知って、そこからかな……迷わなくなってきたの。負い目、だったんだよね。そんな感じで……うん、ひさかがわたしと似た境遇なんだって……知って」

 辛そうに、絞り出すように。

「もう簡単に言っちゃうね。要するに、わたしは、……姉妹同然に一緒に育ったあの子を、殺したの」


 涙を流しながら、微笑んで、そのわかりきった過去の筋書きを吐露した。




 静かに泣き続けるヒューリァを、なるべく優しく抱きながら背中を撫でる。

 彼女の告白にはまだ続きがあった。


「怖かったのは、わたし、あの子殺したのに、何も感じないで、……その後もたくさん、殺してね……何も感じない自分が、怖くなってきて、何も感じないはずなのに怖くなって……っ! そうなったら……白くなって……気付いたら味方、だったはずのヒトたち、ぜんぶ、敵も何もかも、燃やしてた……」


 凄絶、なのだろう。その過去はきっと。


 けれど飛逆にはわからない。そんな断片的な情景では芯から彼女の気持ちを推し量れない。どうしてそんな過去があって、この世界でも『平然とヒトを殺せる』のかも、理解できない。【紅く古きもの】という言い訳がなくなっても、それを平然と、作業的にできるその精神性は歪で、狂っていても直線的な思考回路の飛逆には理解できないのだ。


 ただ、そうなってしまった。

 彼女はそうなってしまったのだ。その結果だけを、飛逆は見て知っている。


 きっと傍目からの飛逆とヒューリァは区別できないほどの同類項だ。

 なのに――似たようなことを経験しているけれど、こんなにも違うのに、同じようなことをする。

 飛逆からは、そうな風に不思議に感じられる。


(ヒューリァも、俺の過去を聞いたときこんな感覚だったんだろうな……)


 こんなにも同じなのにどうしてこんなにも違うんだろう。

 きっと彼女はそう感じていた。

 こんなにも違うから、飛逆は彼女を手放したくない。こんなにも同じだから、きっと彼女も離れたくないだろう。

 そんな撞着した論理で機微を察して、飛逆は彼女を抱いて慰める。

 理解できないから何も言えないけれど、たぶん何も言わないことが正解なんだろうと、そんなことをぼんやり思いながら背中を撫でる。

 彼女の涙が涸れるまで、そうしていた。



 泣いたからといってすっきりするというわけもない。

 話したら楽になると言っていたヒューリァだが、楽になったとは思えない様子で、重苦しい靄が彼女の頭を垂らしていた。


「ひさか……終わりってどこかな」


 不意に、そんな問いかけをぽつりと漏らす。


「何について?」


「わかんない……。でも……なんかすごく疲れちゃった。変だなっては、思うんだけど、大して長いこと生きてない、と思うんだけど……なんか、疲れたよ」


「終わりにしたいのか?」


 殊更感情を声に乗せず、飛逆は淡々と問い返す。


「ちがう、かな……。終わりが見えてたら……終わりに向かうか、抗うかとか、決められると思う。今は、決められない……から、見えてないんだと思う。だから、どこなんだろう。前はどこなんだろうって」


「結構、ゾッラと似てるよな、こうして聞いてると」


 うっかり、苦笑を漏らした。

 飛逆にはわかりづらい、感覚的な言葉だったからだ。


「俺の目標は、月光を操る者を殺すこと。まあ、少なくとも当面はそればっかりだ。でも、ヒューリァ。別に君が俺のこの目標に付き合う必要はないんだ」


 わからないなりに、ヒューリァのそれは彼女自身の目標の不在にあるのだと解釈した。


「それ、なんの慰めにもならないっていうか……むしろ突き放してる?」

「俺が言葉で慰められるような器用なタイプじゃないのは、いい加減知ってるだろ?」

「そうだったね、うん。知ってた」


 ヒューリァも苦笑に似た笑みを零す。


「まあ、突き放しているつもりもないんだけどな。ただ、俺と違って君たちは、あんまり気にしていないみたいだからさ」

「あのね、ひさか? この場面で他の女のこととか言う?」


 君『たち』というところにヒューリァは面を上げて突っかかってくる。

 細かい。飛逆こそ『この場面で』そんなところに突っかかるのか、とツッコミ入れたい。


「それに、気にしてないわけないし、」

「俺の身勝手に付き合う必要はないってことを言いたい」

 割り込んで、言う。

「【悪魔】現象に関しては、完全に俺の責任だけど、君たちも避けようがないから自衛のためにもこれの対処に付き合って欲しい。ただ、それを投げ出してくれても構わないんだ。君たちを護るために不自由を強いることになるけど、俺の身勝手に付き合う必要はない」


 大事なことなので三回も言った。


「反発してくれて構わないし……ゾッラと無理に協力する義務は、君にはない。理想論だけど、俺と君の関係に、それが影響することはないって考えてくれ」


 実際には、無関係ではいられないだろう。そうも器用に切り離すことは、割り切った考え方が得意なはずの飛逆でさえも、この点に限っては難しい。だからあくまでも仮定の話だ。


「考えたら、どうなるの?」

「純粋に、君がしたいことが浮かび上がらないか? ないなら……それこそ誰にでも用意されている終わりに向かって進むだけだ。どういう終わり方にするかって過程の目標もあるけどな」


「ただなんとなく生きていくなっていう発破に聞こえるけど……」

「疲れたからちょっと休みたい。さっき君がそう言いたかったんなら、俺のこの発破は見当違いなんだけどな、そうは聞こえなかったから」


 ヒューリァの中で、一つの終わりを迎えたから――過去を話してしまったから――終わりが見えなくなってしまった。飛逆にはそう聞こえたのだ。


「わかっちゃいるんだけどな。ここで俺は、君に少しだけ休めって促す場面だってのは」


 そして彼女は泣き疲れて眠る――という筋書きはキレイだろう。

 別に予定調和に逆らいたいというわけでもないが、飛逆はこうしてしまう。身勝手な目標に付き合う必要はないと言いつつ、身勝手な期待を寄せてしまう。


「君がその誰にでも用意されている終わりへ突き進もうとすれば、全力で止めるけど、君がそこに向かうこと自体を咎めたり、俺はしない。というかできない」

「難儀だね、ひさかって」


 苦笑を通り越してありありと呆れを浮かべるヒューリァだ。

 飛逆も自分でそう思う。

 根本的に傲慢なのだ。強欲というべきか。身内に自由を押しつける。その有様を自分が好んでいるという理由で、その欲するところを妥協しない。こんな男に愛されるヒューリァはそりゃあ難儀するだろう。


「うん、でもわかったよ。決めた。ひさかのその目標に、付き合うよ。そのために、わたしはひさかの云う『正しさ』に従う」

「それでいいのか? 逆に不満なんだが」


 都合がいいことに不満を抱く難儀な性格の飛逆です。


「正直ね、無理に目標を打ち上げたってところはあるんだけどね」

 と内心を吐露しつつも、妙に決然とした様子で一つ頷き、

「考えたら、そういう意味では気にしてないけど、……あの月光のしでかしたことはちょっと許せないなってわかっちゃった」


「そういう意味ではって、どういう意味で?」


「わたしに、仇を横取りしたひさかを殺させなかったことは、気にしてないっていうか、むしろよかったんだけど」


 そういう意味ですか。飛逆としてはあくまで可能性ということにしてほしいのだけれど。


「ミリスとか、あとミリスとか、それとミリスとかにもそうしたことしたオトシマエは、付けさせないとね……」


 ミリスは何人いるんでしょうか。あと、モモコがガン無視されていることについてもツッコミ入れたい。

 というか仲が良いくせにこれだから彼女たちは怖い。というかよくわからない。まあだからこそ、月光操者へと矛先を向けたのだとも受け取れる。


「というか、もしや俺がミリスに浮気したって思われてるのかこれ」

「直接手を出してなければ浮気じゃないとかいうのはたぶん、男の人だけだと思う」


「……」

 おぼこい見解だった。飛逆が元の世界で仕入れた知識によると、目移りしやすいのはむしろ女性のほうだった。単に記憶の改竄というか、自分を誤魔化す(「いいと思ったけどやっぱり違った。ううん、最初からそうだったよ」などの思い込み)のが上手いのが女性であり、それが下手な男性を、自分を棚に上げて詰るのが平均的な女性の思考回路だった。まあ、メディアなどから得た情報なので、それが実態かどうかはわからないのだが。


 ただ、聞く限りヒューリァが他の男性に目移りしたり、そういう興味を抱いたことがないわけで、少なくともこの場合に限ってはヒューリァが飛逆を指弾するのには正当性がある。

 誤魔化しようがなく、飛逆は揺れたからだ。


 謝るのは違う気がするし、居直るのはもっと違うはずだ。


 どうするべきかわからなかった飛逆は、ただ頭を垂れた。



〈第陸章・了〉


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