107. 仮想現実拡張
ゾッラの思念体を封じるための赤毛狼は、飛逆の血を封入した種をミリスに渡して、デザインから任せることにした。飛逆が赤毛狼をデザインすると『思った通りの物』しかできない(もしくは失敗する)ため、フレキシブルな可塑性を持つ学習回路などは、現実問題として作成が難しい。すでに学習済みの――何らかの機能が備わっている物ができてしまうのだ。この辺りの、【能力】を一旦外部化して後付けするアプローチが有効な場面は最近頻出しており、いずれ学んでいかなければならないと思ってはいるのだが、中々時間がないのでほぼ完全にミリス任せだ。
ただ、ミリスに任せるのもちょっと不安がある。
なんか悪ノリしそうな気配があったのだ。
実験体吸血鬼一号こと現・赤毛狼憑き(放置)のトーリを作ったときと似た――いわば『マッド』な色が浮かんでいた。執行猶予を提案したのは、ゾッラを庇うというより、『面白そう』な素体を手放すことを惜しんでのことだったような、そんな気配だ。
ミリスがもしもゾッラを個人的感傷で庇っていたならばおそらくその提案を呑まなかっただろうから、飛逆も言えた義理ではない。実際、提案を呑む決定的な理由が『面白そう』だからなのだし。まあミリスが感じているであろうそれとはきっと趣が違うが。
赤毛狼演算システムに関して飛逆よりも依存度が強いミリスだから、滅多なことはしないとは思うが、何か彼女一流の『遊び』が入ってくることは覚悟しておいたほうがいいだろう。ミリスと飛逆の合いの子を自称するゾッラもまた、悪ノリしそうな気配があったので、これはもうほぼ確実だ。もし何も遊びがなかったとしたら、それこそが意外だと感じるレベルである。
何にせよ、成果待ちだ。
現状の要点を纏めた資料をクラン議会に送信しつつ、飛逆はヒューリァのところへと戻った。
念のためのアポトーシス発現を待機させて、まだまだ眠りから覚める気配のないヒューリァの傍らに寄り添った。
精気精製のシークエンスが飛逆に比べて多いヒューリァは、長時間高出力を続けたことで精神のみならず肉体的にもボロボロのはずだ。見かけ上、損傷はないが、飛逆が煙狼の毒で昏倒し、復帰した直後と似たようなことになっている。簡単に言えば【能力】の使いすぎで怪物性が肥大している。閾値を越えなかったのは幸いだが、下手をすれば塔下街の植物人間たちと同様の精神状態、そしてゾンビ的な吸血鬼状態に陥ったことだろう。改めて考えるとかなり背筋が冷える話だ。今ヒューリァは『自分を取り戻す』ために戦っている状態なのである。
なるべく刺激を与えないよう静かに彼女の寝顔を眺めていると、そういえば彼女と一緒に眠ったことがないのだと、不意に気付く。この状況は初めて彼女の寝顔を見たときと、どことなく似ていたからだ。すでに彼女の寝顔は何度も見ているが、彼女の髪がやや煤けている。シェルター内に温泉を引いて、風呂関係が充実したここ最近では珍しい。ちなみに石鹸などはクランが開発した物を用いている。
彼女と出逢ってすぐに飛逆はインソムニアになってしまっていたため、寝所で共に横になることはあっても同時に睡眠を取ったことが本当に一度としてない。飛逆が気絶したときでさえも、彼女は起きていたわけで、今回もまた、同じだ。完全に入れ替えの形になっている。
それがどうしたということもないが、実に奇妙な巡り合わせだと感じる。
現状ではまた、彼女と一緒に眠ることは適わない。緊張は保っていなければならない。
別に一緒に睡眠を取ることに何かの価値を見いだしたわけではないが……そういう、彼女との共有が少ないということが、何か寂しくなったのだ。
ただ一緒にいるだけで、何も共有していない。
そんな錯覚。
過去の体験などのどうしようもないことを除けば、少なくともいくらかは共有してきたはずなのに。
たぶん、ゾッラが『合いの子』なんてことを言ったからだ。
それにミリスが反応したせいで、ヒューリァとの子供を想像した。
想像したことがないわけではない。その場凌ぎの言い訳とはいえ、彼女にそれを求めたこともある。求めたというより、いずれそうなって欲しいと言った。具体性のない展望としてなら、それは真実飛逆の内にある願いだ。
実際、できても不思議はないことをしてきたし、できても構わないと思っていた。積極的に望むのは未だに状況が許さないけれど、できたならばそれ相応の覚悟は決めるつもりだった。
けれどできていない。いや、しっかり確かめたわけではないし、すでに人外と化している自分たちの交わった結果が尋常の兆候として現れるかどうかもわからない。
ただなんとなく、できていないのだろうと感じている。
原因に心当たりもある。
ヒューリァが厳密には『飛逆の眷属』ではないからだ。
いや、眷属ではないというとそれもまた誤りだ。
ただ、仕組みが他の眷属と違う。彼女は飛逆の一部を【神旭】によって彼女という【魂】の一部へと変換させている。実はその一部というのは『血液』に限らない。それは飛逆の母胎などの例から明らかだ。従って――為される前に変換されてしまっていると考えられるのだ。
つまり、彼女は飛逆との行為で結局、作れないのではないか。
どれだけしても、できない可能性がある――いや、できないのだ。
ヒューリァもとっくに気付いているだろう。あるいはあの時の話を聞いていたというミリスもまた、気付いているに違いない。すでに暗黙の了解なのだ。
ただ、それはいつからなのか。
ヒューリァはいつからそれに気付いていた?
もしかしたら最初から――飛逆の血を飲む前から想定していたのではないか? 彼女は【神旭】を身体に埋め込む禁術の仕組みを、感覚的にせよ、理解していたのだから。
そうだとしたら――
たまに無性に訊きたくなる。
あの時、飛逆が将来の願望として言ったことを、彼女はどう受け止めたのかということを。
彼女が自ら飛逆の眷属となったことは、受容であると同時に拒絶であったのではないかという疑問を、飛逆は結局確かめられずにいた。
〓〓
いつ出現するかわからず、どんな能力を持っているのかもわからない【全型魔生物】を相手にするより余程マシだ――
というのが、この【悪魔】現象を知らされたウリオの反応だ。
クラン議会も概ねその見解で一致している。
むしろ喜んでいる気配すら、飛逆は感じ取った。
「外に敵がいるという状況は、組織の運営に携わるものであれば、むしろ喜ぶべき事ですからな」
というのはハルドーの見解だ。
「内部の結束が図りやすくなるのですからな。件の食事の問題も、先送りにできるのです」
飛逆は彼にだけ、ゾッラのことを話した。意思甦生開発に最も深く関わる彼にはその必要があったからだ。
「その現象は興味深いことですが……なぜウリオ殿にはお話しになられないのですかな」
「ヴァティを生き返らせろってあいつは言うだろ」
「聞き方を間違えましたな。なぜ私にはそれを伝える気になったのですかな?」
現状でヴァティを生き返らせるのは、さすがに認められない。猫の手ですら借りるべき状況なのだ。そのモモコが喪われるかもしれないという予備実験をやるには時期尚早だ。だから焦っているウリオにはこれを知らせられない。
だが、それならばウリオと同じ目的を持っているはずのハルドーにも、これを知らせるべき道理はないことになるはずだ、とハルドーは指摘する。
「あんたはあいつよりも冷静にヴァティのことを見てるって感じだからだ。気付いてるっていうか、知ってるんだろ? ヴァティは自分を終わりにしたがっていて、今も、生き返る気なんざさらっさらないってこと」
「……」
ハルドーは否定も肯定もせず、ただ曖昧な苦笑を顔に浮かべる。
「それはさておいても、ゾッラの容姿が問題でな。ウリオが知ってるかどうかは確かめてないが、あまりにもゾッラはヴァティを取り憑かせる素体として適正すぎる」
だから飛逆はゾッラの身体をウリオからひた隠しにしてきた。彼女の容姿を見たならば何をしでかすか、知れた物ではない。
モニターにその姿を映し出してハルドーに見せれば、彼は納得というように嘆息した。
「これは、ウリオ殿が暴走しかねませんな」
「だがこのままなら割と近いうちに植物人間たちに疑似人格をインストールする術はできあがる。まだ完成していないが、ゾッラがその可能性を示したから……できるとわかってしまえばできてしまうものだってのがミリスの意見だ。すると十万の植物人間を見かけ上甦生させることができるってことになる。さすがに十万ともなると移民に混ぜて誤魔化すってわけにもいかない。ここら辺、どうやって誤魔化すかってことを、相談したいわけだ」
「理解いたしました」
ハルドーは神妙に頷いた。
「とりあえず、疑似人格のインストールですぐさま意思甦生するとは考えづらい。これをウリオにしっかり理解させようと思うが、感情を逆撫でしないように伝えるのは俺には無理だ。下手をしたら俺に隠れて暴走しかねない」
「承知いたしました。ウリオ殿にもしっかり理解できるような資料を作り、この成果の出所が医局から生まれたという体裁で、私からお話ししておきましょう。手柄を横から掠め取るかのようで非常に心苦しくはありますが……其方からの技術給与のおかげという面が強いと記載することでどうかご勘弁を願います」
話が早くて助かる、と飛逆は安堵の息を吐く。ハルドーが普段飛逆に示す肯定的な態度が擬態であるかどうかが、この説得の成否を分ける要因だった。どうやら本心から、ハルドーは飛逆を認めているということだ。
そして飛逆に肯定的であるハルドーが『手柄』を得ることは、飛逆にとっても悪いことではない。ハルドーに今後、飛逆たちとクランとの関係の緩衝材としての働きを期待できるということだからだ。そのハルドーの発言力を増すことは都合が良い。
侵略支配者である飛逆のせいでその実態が隠れがちだが、現状クランという組織はウリオの独裁状態である。こんな状態が長く続けば内部で見えない軋轢が高まる一方だ。正統なる象徴的支配者――ヴァティの復活がその軋轢を将来的には解消してくれると見込んで、ウリオはそうしている。つまりウリオが焦っているのは、そのせいでもあるのだ。そこらへんも、精神医学分野を修めたハルドーなら多少は緩衝してくれるかも知れない。
まあそこまでは彼に望み過ぎかも知れないが。
「しかし……結局の所、この研究が完成したならば、貴方様はどうされるおつもりですかな」
「どうってのは?」
「時間の問題であることは、当然ご承知のことだと思いますが、その時が来たらどうされるおつもりであるのか、クランに所属する身としては気になるところでしてな」
「素体をどうするかとか、他にも問題は色々あるが、それらが解決したならヴァティを甦生させる」
きっぱりと言った。これは当初から決めていたことだ。
「【能力結晶】の機序から考えて、怪物の【能力】はコピー量産が可能だ。必ずしもオリジンの【魂】は必要ない。つまり俺から【能力】が失われるわけじゃない。多少の弱体化は考えられるが、割と簡単にリカバリ可能な範囲だと推測できる」
これが飛逆が怪物を創造しようなんて大それた考えを持つに至った端緒である。不可能であるようには思わないのだ。ゾッラにより、着々とその可能性の確立は積み上げられている。
「その場合……貴方様とクランとの関係はどうなってしまうのでしょう」
「その時の状況にもよるが、まあ同盟を組むってことになるんじゃないか?」
問答無用でヴァティとその歩いてきた道を破壊しようとした行動と矛盾するようだが、あれはもう飛逆の中では決着している。有り体に言って、もう気が済んだ。もちろん邪魔になるようなら滅ぼすし、自分の身内と飛逆が認識することはないだろうが、積極的に破滅させようとするほどの気力はもうない。
あの時にクランを滅ぼすことを実行できなかった時点で、飛逆はヴァティに負けたのだ。語弊を承知で言えば『試合に勝って勝負に負けた』。その敗北を受け容れている。ヴァティを生き返らせれば、それは彼女への嫌がらせになるし、敗者からのせめてもの意趣返しだ。
「であるならば、貴方様に私は従います。しかし……主人の復活の確約を素直に喜べないというのも、中々に堪えるものですな」
その二律背反を、飛逆は共感できた。
だからこそ、ハルドーにかけるべき言葉を飛逆は持たなかった。
〓〓
北大陸で起こった天変地異が、この南大陸へと影響を及ぼさないわけがないので、その対処をまず考えなければならなかった。
環境変化については起こる端から対処していけばいい。抜本的な解決を図ってまたも炎龍ゾンビに相当する存在の現出が為されても困るからだ。結局何がどうしてああなったのかは不明のままだが、似たようなことはなるべく避けるのが道理だろう。
だから目下対処すべきは、南大陸の国家間情勢のコントロール。さし当たっては塔の北側に位置する帝国の飛び地である。
北大陸との情報交換は主にこの国によって為されているため、潤沢な資源を供出する塔の情報を北大陸に流されては非常に困る。【悪魔憑き】はおそらく原結晶によって成長するが、それに気付かれてしまってもやはり困る。
困ること尽くしだ。
なので飛逆たちは帝国飛び地へ宣戦布告することを検討していた。
というのも、どうやら帝国本土は戦奴によってクーデターを起こされ、内戦状態に陥っているからだ。
おそらくこのクーデターは奴隷側の勝利に終わるだろう。なぜなら海軍が強い帝国の主戦力は海にいて、【悪魔憑き】の数において陸戦に投じられていた戦奴に劣る。第三の眼の視界は海にはほとんど及んでいないためだ。
一騎当千の【悪魔憑き】戦奴は戦争状態で加速度的に成長し、悠々と勝利を収めるだけのポテンシャルを有している。
つまり帝国という国体はすでに風前の灯火なのだ。
そして北大陸での覇権を奪取した戦奴たちは次なる標的を、帝国飛び地へと向けるだろう。
その時点ですでにこの飛び地は飛び地ではなく本国と呼んで差し支えない。それはまあどうでもいいのだが、どうせこの飛び地も侵略されるのであれば、中枢機構のある塔下街から離れた位置に防御線を張るためにも飛逆たちが所有していたほうがいいわけだ。戦争すればするだけ成長していく【悪魔憑き】に餌はなるべく与えたくない。焼け石に水だとしても、処置はしなくてはならない。それに、できれば南大陸に散在する【悪魔憑き】を掌握しておきたい。
「まあ、帝国海軍だろうが陸軍だろうが殲滅するのは簡単なんだが、簡単だからこそ悩むよな。どうしようか?」
北大陸に種ミサイルを届けることができることからも明らかなように、わざわざ飛逆やヒューリァといった単体戦闘力特化の者が動くまでもなく、一方的に殲滅することができる。陸上であれば第三の眼による誘導でピンポイント爆撃だって可能であり、オーバーキルも抑えようと思えば抑えられる。精気によって具現化された攻撃が効かないか、もしくは効きにくいであろう【悪魔憑き】が問題なのであり、それ以外であれば相変わらず現・塔下街戦力の敵となりえる勢力は存在しない。そして飛び地にいる【悪魔憑き】は十単位で数えられる程度の少数だ。すでにマーカーを付けて監視しており、そのほとんどが成長する可能性の低い立場(生き物を直接殺害する機会が少ない)の者ばかりである。
だからこそ、無意味であり、悩むのだ。
結果が確定されすぎた戦闘行動は、そもそも暴力が無意味であるという意味を極めて浮き彫りにする。基本的に無為とか無駄という概念が嫌いな飛逆は、戦端を開かずに済ませたいとさえ思うわけであった。塔下街に火山を作ったのはまあ、威力の過小評価とか当時の精神状態とか――つまりは計算外のせいなので呵責はしないが反省はしている。
ここでヒューリァが「じゃあちょっとわたしが行って、あっち側の最大戦力を燃やしてくるよ」とか言い出せば、止めるつもりはなかった。示威行動が結果的に最小限の損害で抑えることになるというのは真実だからだ。
こちらの圧倒的戦力を見せつけた上で、彼らの本国が風前の灯火であるという現状を知らしめれば、降伏してくるだろう。飛び地が成り立っているのは、帝国という後ろ盾が保証されているからという一事に尽きるためだ。
だがヒューリァは言わなかった。
その代わりと言うわけでもなかろうが、ウリオが割と人でなしなことを言い出す。
「いつになるかはわからんが、将来的にキサマら【全型】に匹敵するほどの戦力と対決しなければならないとすると、我々クランの実戦訓練が必要だ。彼らにはその相手になってもらおう」
それは人命を訓練のために消費しようという内容だ。
しかもこれには『クランの結束を固めるための儀式』的な意味合いが含まれている。組織結束に於いて最も有効な、共通の敵がいるという認識をこれによって周知しようというのだ。どこまでも相手側の人命は軽視されている。
まあそれ自体には飛逆も反対はしない。だからこそ戦闘行動を省いた交渉で片付ける努力を最初から放棄しているのだ。
「だがな、戦闘に動員できるのってお前らせいぜい五十名程度だろ? そんなんじゃ、俺らのバックアップがあっても人員消耗は避けられないだろ」
純粋な戦闘要員というのは実のところ、クランには少ない。多くは職人的な突出技能でクランに勧誘されている。戦闘もできるという者を入れてもせいぜい半数である。その半数の中には北大陸に送った人員が含まれており、言ったように動員できるのは五十名弱しかいない。
クランのただでさえ少ない人員を消耗するのは飛逆としては認められない。というか彼らには基本的に専守防衛してほしい。戦後調整などの交渉事は完全に丸投げするつもりだが、元々彼らの戦闘力など当て込んでいないのである。
「何を言っている。疑似人格とやらを埋め込んだ兵隊がいるだろう」
「お前って、実は俺より人でなしなんじゃないか?」
現在ミリスによって調整されている【未誕悪魔】ことゾッラによって疑似人格のインストール法が確立してしまった。元々共感覚を持っていたゾッラは聴覚刺激による生体脳使用補助のパターンを他の感覚にも適用できるように翻訳してしまったのだ。そのパターンを【言語基質体】のフォーマットに起こして、赤毛狼演算システム(新しく作製した)にコンパイルしたところ、赤毛狼演算システムは情動のみならず他者の身体を操ることができる【声】を獲得してしまった。さすがに複雑すぎて対象個人毎に細かく調整しなければ通用しないが、逆に言えば調整さえしてしまえば専用の端末型イヤフォンで自由自在に遠隔操作できてしまうのだ。一度完全発芽してしまった彼らはクランと同質の眷属であり、その【眼】付きのイヤフォンは彼らの感覚と同期している。受信のみならず送信も可能だということだ。
植物人間たちは現在その内の二百ほどが、その【声】によって脳を使用して(されて)身体を動かすという遠隔操作人間と化している。喩えるならば外にある人工知能によって操られるロボットだ。そのロボットが見聞きした情報を、シミュレータによって再現された仮想現実空間にフィードバックして、模擬人格=人工知能は学習していく。
言うなれば仮想現実空間にいるNPCが基底現実の身体を動かしているのだ。その逆転現象にはさすがのミリスも、仮想空間の構築と調整をしながら、悪ノリから我に返っては戦いていた。何か取り返しの付かない領域に足を踏み入れてしまった感を、飛逆も覚えたものだ。これこそ悪魔的というのだろうと、一方では納得もしていた。
「それだけだったらまだいいが……いや多分、よくはないんだが……。とにかく、彼らはそうやって操られている状態で見聞きした記憶を脳に着実に刻み込んで行ってる。つまりたとえばヒトを殺したっていう記憶は、彼らの本来の人格が目覚めても消える訳じゃない」
多重人格の統合の過程と同じようになるのではないか、というのが飛逆とハルドーとミリスが出した見解である。その場合は都合の悪い記憶は封印されると思われるが、消えるわけではない。統合後の人格に、個人差はあるだろうが、多くは悪い記憶が悪い影響として人格に現れることは想像に難くない。神樹化する直前の状況が状況であり、神樹化したこと自体がそう。すでに強烈な『悪い記憶』はあるわけで、この上に戦争を体験させるなど以ての外だった。飛逆が彼ら元植物人間に求めるのは、あくまでも文化を生み出す社会構成員なのだ。戦火が及ぶと予想される位置をできるだけ塔下街から離したいというのにこのことは、少なからず割合を占めている。
新生した塔下街での生活を平穏に送らせて、その記憶で人格統合後の混乱を抑えるというのには都合がいいこの仕組みを、戦争なんぞに駆り出して台無しにされては敵わない。
「飛び地を占領すればその百倍近い領民が手に入るのだから別に消費しても構わないはずだ。サンプルとしては一千もいれば充分だろう」
「間違いなくお前、俺以上の人でなしだ」
消費ってはっきり言ってるし。典型的なヒトを数でしか見ない為政者すらも凌駕するサイコパス的視点だった。
本当、飛逆が言うなって感じではあるが。【悪魔】によってもたらされた技術でなければ飛逆も似たような判断を下したに違いないのだ。
ウリオはこの研究成果と【悪魔】現象との関連を知らされていないから、飛逆の警戒感が理解できないのかもしれない。彼にとってはクランが獲得した成果なのであり、それを運用することを躊躇う理由が薄いのだ。
「なんにせよ却下だ。他に手が思い付かないからこの実験を推し進めてるんであって、本来なら継続するのもヤバイって思ってるくらいなのに、そんな悪化がわかりきったことにこの技術を使う気はない」
まあ、いずれはこのオートマトンを改良して無人巨人兵軍団を組織するなどの応用は考えているが、少なくとも同じサーバーは使わない。
「ただ、ウリオの言うとおり実戦訓練は必要だ。見かけ上まったく同じ人間を殺すことに、兵隊には慣れてもらわないとな」
多少【能力結晶】を持っていようが、こちらが本気になれば訓練が成り立ちはしない。それでも実戦を経験させることには意味がある。殺人に忌避感がない自分たちのような者ばかりではないのだから。殺人というのは相当の心理的ハードルの高さがある、らしいから。
「な、イルス」
事前通達もなしに久方ぶりに呼びだされたと思えば組織のトップが集結する会議に出席させられていたイルスは、徹頭徹尾、顔を真っ青にしていた。




