104. 現能開放
一時的に撤退するか。
火砕流の届かない高空にまで到達したところで飛逆は思案する。
地上は有毒ガスが溶けた酸性の雲によって見通せず、原因究明するには適さない。その上、気流が異常に乱れているため、この雲の上ですら安全ではない。
偶然で片付けるにはあまりにもタイミングがよすぎた。故にこの噴火は飛逆が原因と見るべきだろう。異常な精気を持つ種を火口に放り投げたことによるものだ。
しかもその精気が、噴火に紛れる前から観測できなくなっていた。これがおかしい。発芽しなかったことも疑問だが、『消費されたエネルギーに見合った現象が起きなければならない』という法則が破られている。
この噴火が見合った現象かと言えば、まあ見合っている。オーバーしているくらいだが、それは火山が元々持つエネルギーが加算されている(紛れている)と考えればいい。
けれど、ただの自然現象としか観測できない。それが違和感だ。例えば【紅く古きもの】の炎と自然の炎とでは、飛逆には一目瞭然に違うが、その違いが見えない。
種が発芽する以外の『何か』が起きて、それによって噴火が誘起された。それ自体はいいが、その『何か』が何なのかがわからない。観測記憶をどれだけ詳細に解析しても――ミリスに頼った――それが検出できない。偶然とは思えないのに偶然としか考えられないのだ。
たまたま発芽が失敗して別位相空間へとエネルギーが還元され、たまたまそのタイミングで噴火が起きる。
そんなことがあるだろうか?
なんにしても調査しなければ。
これは放置してはいけない疑問だと、飛逆は直観した。
〈ミリス、原結晶のストックをこっちに回してくれ〉
ひとまず種を作製する際に消費した精気を、シェルターが原結晶から吸収した分を送らせて回復する。その制御は赤毛狼演算システムに任せておけば飛逆の情報処理リソースが圧迫されることもないし、過剰に飛逆に取り込まれることもない。
〈撤退しないんですか~? せめて噴火が弱くなってからにしたほうが~……〉
〈時間が経てば経つほど証拠が消える。解析は後にするにしても、撤退は可能な限り観測記録してからだ。ただの自然現象なら、第三の眼の空間支配で防御できるし〉
空間支配で火砕流その他のベクトルを変更してしまえばいい。理論上は噴火を抑えることだって可能なはずだ。
〈めちゃくちゃリソース喰われると思いますが~……〉
〈エネルギーの話じゃないよな?〉
〈それは余裕ですが~、メモリのほうですね~。各地の情報取得はもちろん~、一時的にシェルターの管理システムをダウンさせて緊急用のほうも起動させないと間に合わないかもです~。そうなったら復旧しても後遺症が出ますよ~〉
〈帰ったら増設するか……〉
増設は、【電子界幽霊】の能力によって相互接続が可能になった時点で一度は検討したのだが、ただ維持するだけでもエネルギーリソースを喰ってしまう上に、オペレーションシステムも新たにしなければならないために見送っていた。それほどの情報処理が必要な場面というのを想定していないのだ。実際、調査というのではなく、単に沈静化させるだけならばやりようは他にもある。できるだけそのままの状態を維持して観測するというのが難しいのだ。
〈仕方ない。スマートじゃないが、観測用として赤毛狼を五百くらい使い捨て――〉
方針を決定しようとした矢先に、下方に酷いとしか言い様がない圧力を感知した。
超高熱が下方から恐ろしい勢いで昇ってきている。分厚い雲の隔たりがあってなお、突き抜けてくる圧力。
速度はともかく、その質量が酷い。揮発したマグマなんて生易しい物ではない。粉末状の鉱物でもない。喩えが見当たらない。強いて言うなら圧縮された炭素の塊のような密度で――
全速力で更に斜め上空へと退避。
雲を突き破ってソレは姿を現した。
飛逆たちの真横を掠める。衝撃波で吹っ飛ばされた。
切り返してソレは、上空でとぐろを巻く。
衝撃波で一㎞は優に吹き飛ばされた飛逆はなんとか体勢を立て直し――高空で助かった。気圧が低く抵抗が小さい――ソレを改めて視認する。
「は――どんな冗談だ?」
口の端が吊り上がる。冗談としか思えない。縮尺がおかしい。これだけ離れていて、なんなのかその巨大さは。まるで鼻先にいるかのように錯覚した。
そんな巨大な物体が滞空しているという非現実感をどうすれば冗談ではないと感じることができるのか。
〈――願いを言ったら三つくらい叶えてくれそうですね~〉
映像だけで衝撃波を受けたわけではないミリスのその喩えは、呆然としていながらも暢気だ。呆然としすぎて暢気に聞こえるというのが正解だろうが。
「あれは、怪物なのか?」
〈そうとしか考えられませんけど~……そんなはずはないんですが~……〉
あれが飛逆たちと同類であれば、辻褄は合う。飛逆が種に篭めた精気を喰らって目覚め、噴火に乗じて火口から飛び出してきたのだと、筋は通る。
けれど――
「精気がまったく感じられない……どうなってる?」
どうやって【眼】を凝らしても、あれはただのマグマの塊だ。
解析できないという結果のほうがまだ納得できた。そうであれば単に既知ではないというだけで、飛逆がその裡に宿している怪物たちと同類であるということだからだ。
しかし解析できる。ダイヤモンドや火成岩と熱で溶けた鉱物であり、それ以外ではない。少なくとも生き物ではない。それなのに、物理法則にまったくもって逆らっている。宙に浮いている。その癖して実体がある。質量がある。重力の影響を受けている。
どうやって滞空しているのかわからないし、どうやって宙でその龍の形を維持しているのかもわからない。それなのに解析結果はただのマグマ。
途轍もない違和感。
正体を探らなければならない。
けれど、そうする暇がない。
とっくに思考速度の加速は行われている。アレが出現してからまだ十数秒しか経っていない。アレはいまだに動き続けている。
とぐろを巻いた蛇が鎌首をもたげる仕草が何を意味するかと云えば、攻撃の前振りだ。
どう見ても蛇なのにどう観ても蛇ではない龍がそのアギトを開き、超音速で一㎞の間合いを潰しに掛かってきている最中だった。
断面直径でさえ火口と同じソレに効くかどうかはわからないが、現状での最大威力で迎え撃ちつつその反動で一旦間合いを拡げるべく遠当てを――
撃とうとしたところで、その腕に抱えられているヒューリァの様子がおかしいことにようやく飛逆は気付いた。
過呼吸に陥っている。酷く苦しそうに喘いでいる。酸素を欲してのことではない。二酸化炭素が足りないわけではない。そうした生理反応は超克した身体なのだ。これは超克する以前を思い出したための反応だ。つまり心理的な。精神が過去に退行したことで身体が思い出してしまったのだ。ヒトの身体であったときのことを。
いつから?
アレが出現したときにはとっくに。ともすれば噴火が始まる前から。
考えるまでもない。アレはヒューリァのトラウマそのものだ。
間違いなく【紅く古きもの】とは違うモノだが、アレは彼女にはそうとしか見えないモノだ。
アレが出現した瞬間に気付くべきだった。
なぜそこに頭が回らなかったのか。
自責している暇はない。
「くっ――」
急遽迎撃動作をキャンセルして、反転。上方に向けて翼から噴射し、重力加速度の助けを借りて地上へと飛び降りる。
アレが通り抜ける際に生じる爆発的な衝撃波が更に飛逆たちを加速させ、墜落。
空気の壁が何十にも渡って飛逆たちを苛んだ。
〈――借りますっ!〉
翼の噴出口が横に伸びて噴射。ミリスがこのままでは地表にそのまま激突することを避けるために制御を乗っ取りベクトルをズラしたのだ。
それでも相当の衝撃を受けるが、地表に真正面から激突するよりはマシだった。
翼の滑空の助けもあって、なんとか砂海の表面を撫でるように地上に滑り降り、砂丘を五つ貫いたところで停まる。
飛逆は、大丈夫だ。なんとか意識を手放さずに済んだし、かなりダメージを受けたものの本拠シェルターからのバックアップのおかげで瞬間補填済み。
しかしヒューリァは、――意識を失っている。それどころか生命反応も弱っている。
すぐに飛逆は手首を切り裂いて彼女の口に当てる。
「――なんで飲まない!」
意識がないくせに、嫌がるように首を振って彼女は給血を拒絶した。
〈ヒサカさん――まだっ!〉
ミリスに言われるまでもない。見えている。飛逆は今や全方位視覚があるのだ。認識している。夕方でもないのに赤く燃える空から、隕石さながらアレが、降ってきている。
飛逆の中で何かが切れた。
まるで自動的に――全能開放。
統合していた思考がバラける。【電子界幽霊】の本性。
超速並列思考。
一つ一つの分割思考が、一纏めにされていた時分と同等の密度と速度で展開する。それらがまったくの瞬間で情報をやりとりするのだからたまらない。時が止まって感じるどころの話ではない。瞬間毎に過ぎ去る現在を遡航しているというほうがまだ正確な表現だ。際限なく加速する円環。一つの系として安定した認識は停止している。飛逆は自分の中の時間を定義し設定して自ら針を進めるという決定をルーティンとして組み込まなければならなかった。
――迎撃しなければならない。
一つの系として安定した時間感覚は一枚の円盤だ。その円盤を傾けて水を垂らすようにして時間の流れを作り出す。その傾きの設定を誤ればたちどころに水は流れきってしまう。覆水は盆に返らない。取り逃した現在は遡航できない。地に落ちた水が弾けるように拡散しそうな意識を無理矢理纏め上げて飛逆は思考する。
避けるには空気が重すぎる。飛逆はともかくヒューリァが保たない。そもそもあの質量があの加速度で地表に衝突することで放射されるエネルギーは、惑星の地表全土を脅かしかねない。最低でも飛逆の元の世界で云われる核の冬が到来する。仮にここを凌いだところで無意味だ。
それは同時に、ただ迎撃するのでも同じ結果になる。
どんな冗談か、あれだけの熱量と質量でありながらアレはその存在を安定させている。放射していない。だがたとえば飛逆が同等以上のエネルギーで迎撃し、破壊することに成功したならば、その包有されるエネルギーが解放される。それは爆発という表現ではその破滅的衝撃を表すにまったく足りない。なぜならそれはあの存在を維持している何かのエネルギー及び飛逆が放つエネルギーの合算だ。
試算するのもバカバカしい。連鎖崩壊して発散するそのエネルギーでこの大陸はそのほとんどが素粒子に還元されて消滅する。間違いなく惑星が滅ぶ。この重力加速度の惑星ならば超新星爆発は起きないだろうが、四散して公転軌道を外れて彗星化する可能性さえあった。
これを回避しつつ迎撃する手段は大まかに分けて二つ。
一つは、アレを【吸血】するという手段。もちろんバカバカしい。検討するまでもなく不可能だ。そもそもアレからは【吸血】すべき精気反応が検出できない。だから【吸血】はできないと考えた方が良い。
だが考え方は適用できる。【吸血】は生命エネルギーに伴う質量をエネルギー化して通常位相空間から隔離するというものだと仮定できる。であれば、あの質量と運動エネルギーを、別位相空間へと流してしまえばいい――そんなことをできる手段は現状一つ。転移門を開き、アレを塔内に放逐する。
できれば避けたい。アレが転移門を潜れるという保証がない上に、仮に上手く行ってもその以後、飛逆が転移門を通れなくなる可能性がある。それにアレの正体がわからないままにそんなことをすれば、また何が起こるかわからない。中途半端にアレが通り抜けて、こちらに脅威が残ったままになるという可能性も最悪だ。
以上のように問題も色々あるが、何よりも、自分が掌握していない【能力】に頼ることが不安なのだと自覚した。土壇場になればなるほど飛逆は自体に固執する。たとい、それが成算を低くするのだとしても。
残る手段は、あの質量に正ではなく負で対抗するというもの。別位相の空間に流すのではなく、逆位相のエネルギーをぶつける。考え方はやっぱり【吸血】と似ている。正体不明ながらアレは明らかに正方向のエネルギーであり、それに正方向のエネルギーで対抗するのでは破滅を避けられないことは前述した通りだ。故に、熱であればその熱を奪い、運動エネルギーは吸収した上で分散、つまり緩衝する。
そのための具体的な手段は――
切り裂いた手首から赤毛狼を五百体、一瞬の内に顕現する。転移してきたのではないかと云うほどの一瞬だ。
その赤毛狼すべてが『土石操作』及び『流体操作』のコードを保有している。それらが発揮しうる最大速度で、半数が大気に干渉を始める。残りの半数も同様に砂を操る。
現在を遡航する飛逆にとっては遅すぎる赤毛狼の操作が始まる中、装備している衣服から種を数百個作製。赤毛狼が作る気流に乗せて舞い上げる。
そしてアレと自分たちとの中間に至った瞬間に一斉発芽――大気が割れる。突然出現した質量によって大気が押し退けられた。それこそ爆発的な衝撃波が発生。
それが起きる前から赤毛狼が斜めに深く掘った穴にヒューリァを退避させている。
破裂した大気が顕現していた赤毛狼の九割を消滅させるが、一瞬の内に再顕現。それどころか更に顕現させる。それらすべてに大気への干渉を再開させる。
もちろん飛逆にも大気破裂による衝撃波は及んでいるが、浸透勁――その破裂による衝撃波の逆位相の波動を撃って無効化している。この状態ならば衝撃波が発生する以前からその波形を算出するくらいは朝飯前だ。赤毛狼にも『流体操作』でそれをさせれば九割の一時的損失を避けられたが、彼らには他にやらなければならないことがある。
とにかくスピードが肝要だ。焦れったいほどに、自分を含め、基底現実の時は遅すぎる。
並列した思考が更にタスクを分割させてすでに数兆にも及ぶ試行演算が行われては棄却されて修正されて出た結果を刹那の内に実行させている。
一瞬の内に発芽した神樹による衝撃波はアレにも及んでいるが、その程度では、あの質量を留めるのは一瞬しか不可能だ。発芽した神樹の壁も同様――そもそも足止めが目的ではない。その証拠に飛逆はその衝撃波をキャンセルした時点で発芽させた神樹を種に戻している。
欲しかったのは、その大気の空白。厳密な意味では間違いだが、その真空空間だ。
その真空空間に、赤毛狼が選り分けた大気――窒素を流し込む。
第三の眼の分子運動量操作の助けを借りて極低温にされた結果――アレがその鼻先を真空空間に触れさせた時点で、そこは液体窒素の空中プールとなっていた。その体積は飛逆の試算によればアレの四分の一にも及ぶ。しかもそれは追加され続けている。他の位置にも同様に真空を発生させて中空に液体窒素プールを作り、それを赤毛狼に操作させてアレの全身に浴びせかけている。
その液体窒素は気圧低下によって生じる測定上低温とは違い、気化する際に瞬間的に熱を奪う。つまり放熱する。赤毛狼の流体操作によって上空へと向かう液体窒素と窒素ガスの圧力はアレの運動エネルギーを相殺していくと同時に熱を奪い、大気圏という空間に熱と運動エネルギーを分散させる――緩衝する。
必然的に生じる煙によってほとんど見えないが、映像記憶をトリミングし、光以外の情報要素で補完して観察した限りでは飛逆の目論見通りアレが頭の半分をプールに突っ込んだ時点で、その赤熱する身体は無骨な岩と見分けが付かなくなってきていた。しかも超高温と極低温が衝突した結果分子構造が破壊されてボロボロと、まるで角質化した皮膚が剥がれるかのように崩れている。
――やはり。
あれがどんな正体でどんな仕組みでその存在を維持しているのかは依然として明らかではないが、飛逆の仮説通り、アレは『エネルギーが高い位置』で安定している。『低い位置』に導けばその存在を不安定にするのではないか。
そう仮定した。油断無く液体窒素の補充を続けながらも飛逆は得心する――が。
物理法則的には『高い位置』であればあるほど物質は不安定になる。実際アレも、更に『高い位置』へと導けばその存在を安定させることはできなくなるだろう。ただし、『高い位置』であればあるだけその安定が崩れたときに放射されるエネルギーも莫大なものになる。それは破滅の到来だ。
だから『低い位置』に導けばいいと結論したが、通常物理的には安定なはずの『低い位置』にあっても存在が安定できない――それはあたかも生命現象であるかのようだ。
仮説を立ててその推論通りの推移であるものの、この結果に飛逆は戦慄する。
アレが生物であるわけがないのに、その性質が少しでも似通っているという事実。
出現した経緯から想定し、眷属や【能力】による直接攻撃を選択しなかったが、おそらくそれは正解だった。アレは精気や生命エネルギーによって動いているわけではないようだが、それを喰らう性質があると見るべきだ。アレが執拗に飛逆に向かってきたこともその根拠の一つとなる。生物でも怪物でもないくせに生きているかのような振る舞いをする。
戦慄せずにはいられない。
――悪魔。
冗談で己がほざいた言葉が思い出される。アレは地の底から飛び出してきたのだ。
――そういえば、ゾッラは俺を天使と呼んだ。
そしてそのゾッラはその実、『天使ではない』ヴァティと直接の面識がなかったどころか、ヴァティによって認識されてもいなかった。
彼女は――ゾッラはいったい何を以て飛逆を天使と呼んだのか。塔下街勢力によって仕立て上げられた巫女であり、仮初めの教義の信仰者。ただの傀儡の言葉だとして真に受けなかったが、彼女はもしかしたらヴァティよりも何か深いものを感覚していたのでは?
独特の言語感覚を持っていた彼女の中での、天使の対義語は悪魔としよう。
ならば飛逆は悪魔と戦うために喚ばれたのか。
わからない。すべて憶測にすぎない。
確かなのは、地獄の蓋を、知らずに飛逆は開いてしまったということだけだった。
分割思考のいくつかが焼き切れた。
さすがに一秒に付き数千単位の試行演算を回すのは無理があった。演算速度は理論上無限でも、回路にエネルギーを通して励起させるという手順が必要で、その負荷に回路が耐えられなかったのだ。
主観的時間経過ではすでに一時間近い。むしろよく保ったというべきだろう。全能開放できる主観的時間は、どうやら伸びているらしい。絶対時間(そんなものはないが便宜上)では縮んでいるのだが、その分全能開放を閉じるのに段階を設けることができるようだ。以前はほとんど一か零だったのだ。
これ以上は復旧に差し障りがでる。分割思考の六割をスタンバイ(二割は焼き切れた)にして、普段より八段階は落としたレベルでギリギリ意識を保つ。
〈――〉
唖然としたようなミリスの思念が送られてきた。最中にも彼女は何か言っていたようだが、極限まで引き延ばされた時間では認識することができなかった。
彼女にとっては一分にも満たない間に砂漠はその様相を一変させていた。めちゃめちゃな気温差が局所で発生したために辺りで風が巻いている。雲やら砂やらが擦れて発生した静電気が、局所的真空のせいで超伝導して紫電を散らし放題――まるっきり破滅の有様だ。
龍の形を辛うじて保ったアレが、分厚い煙を突き破って砂漠に落ちてくる。縮尺がおかしいせいでそれは酷くゆっくりに感じられたが、実際には山にも匹敵するそれが墜落する運動エネルギーは恐ろしいものだった。大分減速させたのだが、さすがに自然落下速度以下に抑え続けることはできなかった。重力を物体に干渉する力として間接的にしか観測できない第三の眼での重力制御は他の物理制御に比べて消耗が激しすぎたのだ。
〈ミリス――すまんが、砂塵をどうにかしてくれ〉
これ以上は赤毛狼にコマンドを入力するのも適わない。
最後の意識で、追加でミリスに操れる赤毛狼をできる限り顕現させて――飛逆は倒れた。
砂塵どころか砂の津波とでも云うべきソレが竜巻を押し潰す高さと勢いで発生したが、飛逆はそれを予測することもできないほど消耗していたのだ。
〓〓
ヒューリァのせいではない。
彼女がたとえば普段通りのパフォーマンスを発揮できたとしても、それはむしろ事態を悪化させただろう。正方向のエネルギーしか彼女は操れない。それでは上手く行けば行くほど破滅に近づくだけだった。
それが何の慰めにもならないことはわかるが、彼女が謝ることは何もないのだ。
――ごめんなさい。ごめんなさい。
涙を流しながら謝られると、辛くなる。
謝りたいのはこっちのほうなのだ。
なぜああも明々白々なことに自分は気付かないのか。
いつもいつも。
ヒューリァのことを一番に考えているつもりで、いつもいつも、見落としている。
怖いに決まっている。
彼女は元の世界で、失ったのだ。失うことになった原因である【紅く古きもの】に抱く感情が、憎悪だけのはずがないではないか。むしろ恐怖からの逃避として憎悪に流れた。順番を間違えていた。本当は、憎悪に頼らなければ眼を向けることもできないほどに恐怖していた。
考えればこうも自明なことに、どうしていつも気付かない。
そんなに彼女に強くあってほしいのか。
強くあってほしいのだ。
たかが怪物に恐怖するような者であってほしくないと、思っているのだ。期待している。
それも結局は自分のために。どこまでいってもエゴのために。
怪物である己に恐怖して欲しくないから。犯した自分の罪をなかったことにしてほしいから。
拒絶されたくないから。
強さを彼女に期待するのはそのせいだ。
それを謝りたい。
それでも彼女に強くあってほしいと願うことを謝りたい。
弱いままでいさせられない弱さを赦してほしい。
どうか――
〓〓
その日から、世界には悪魔という位相が追加された。




