102. =オリジン
炊きだしを行って出歩ける患者たちが集まったところで、飛逆たちが超常の存在であることを、あくまでも限定的に知らしめつつ、移民を持ちかける。
それなりの混乱は発生したが、色々な理由からそれはさほど大きくはならなかった。
最も大きな理由は、彼らの大半の答えは決まっていたからである。もちろん希望しないという答えだ。
重篤でない者には『自己治癒力強化』を使えるため、根治まで時間がかかる湿疹の症状もあっという間に寛解したことも影響しているだろう。飛逆に恩義を感じることはあっても、彼らにとってはこれまで身を粉にして自分たちの治療に当たってくれた者へ感じるそれのほうが大きく、愛着も強かったのだ。
付いてくると言い出した者は、飛逆がどうしても連れて行くと言った重篤患者の身内ばかりであり、その他物好きが数名で、重篤患者を含めて二十五名。
その中に、医者はいない。
それらを、遠隔型赤毛狼に運搬・先導させて、見えないほど細い転移門を潜らせる。
後のことはミリスを介してウリオたちクランに丸投げだ。
村の中央に【眼】付きの樹(病因である細菌を分解吸収する)を生やしてから、特に誰かに別れを告げるでもなく、飛逆たちは崖の上へと飛んでその村を後にする。
更に北上すべく、赤毛狼に騎乗した。
〓〓
「ここまで大体一刻と半分ってところか。やっぱり思ったより時間かかるな」
病人たちの隔離村から離れ、山岳の森の中に着いて、生産特化の眷属植物に森を作り替えながら飛逆はぼやいた。
「なんか、理由聞いててもやっぱりちょっと釈然としない」
とヒューリァもつまらなげに、赤毛狼の腹に背中を預けて押し出されるという無為な行動をしている。暇なのだろう。赤毛狼の腹は獣の毛皮のそれよりもモフモフで、あるいは楽しいかも知れないが。
「救ったつもりが疎んじられたって経験は、ヒューリァもあるんじゃないか?」
戦地で救援に向かった村や拠点を、救ったはずの住人に疎んじられる。そうしたことをヒューリァが、直接か間接かはともかく、経験していないとは考えづらかった。
「……それとは違うじゃない。ひさか、ほとんど無償で食事出して、病気治して、もっといいところに連れて行ってやるって言ってるのに……事前に聞いてなかったらちょっとわたし、どうしてたかわかんないくらいだったんだけど」
村人たちの様子を思い返してか、声のトーンが落ちる。
「救世主として神のごとく崇められてたら、満足だったか?」
「……そんなことないけど、そういうことじゃなくて。……なんか、納得できないだけ」
つまりヒューリァは、飛逆がそうした『慈善的』な行動をした結果として、思い通りの結果に導けていることが不可解だと言っている。彼女の中では、辻褄が合わない。道理に沿わないのだ。
「極度に畏れさせるとか、そういう風にすると思ってたんだな」
そういえばヒューリァにとって『神』という存在は、ひたすらに畏れるべき存在だった。飛逆は適度に加減しつつもそのように振る舞うのだろうと予想していたのだろう。
しかし実際には、畏れはあったものの彼らの反応は、どちらかというと呆然としたようなそれであり、飛逆を脅威と認めた様子は特になかった。飛逆が超常の存在であると認めてもなお、そこに彼らにとってのリアリティを感じることができていなかった、というほうがまだ正確な表現だろうが。
「まあ、うん」
「あれでよかったのかどうかは、後になってみないとわからないから。もしかしたらそっちが正しかったかも知れない」
飛逆の性格的な問題で、今回のやり方は決定されている。崇拝にしろ畏敬にせよ畏怖にせよ、もっと極端に見せつけたほうがよかった可能性は充分にある。
「そうなの?」
「ぶっちゃけ行き当たりばったりでやってるところがある。この件に限っては」
事前に調査し、情報を分析し、こういう風にやる、と漠然と計画してはいても、『思い通りにいかなかったとき』への対処を特に考えていない。
「ふうん……。珍しいね。まあ、これまで聞かされたひさかの計画通りになったことのほうが珍しいけど」
「それは限りなく事実に近いんだが、俺の計画を悉く軌道転回させた最大要因であるところの君がそれを言うのか?」
確かにヒューリァが導いた結果は、大抵が正しい方向に転がったが、彼女自身に指摘されるのは何か違う気がする。それに、負け惜しみでしかないが、元より失敗や軌道修正は織り込み済みで計画していたのだ。
「最近はそうでもないんじゃない?」
「自覚あったんだな」
「なかったけど、思い返せば『否定はできない』、し?」
飛逆の口調を真似るヒューリァだ。ちょっとイラっと来た。
まあこうしたことを言えるのも、彼女も当初に比べて大分余裕ができたからということなのだろう。それは喜ばしいことのはずだ。
森への浸食が過半を超えた辺りで移動を再開する。これだけ浸食していれば後は自動的にその版図を広げるだろう。
ちなみに、森への浸食を行うのを事前に遠隔でやってこなかったのは、それが無理だからだ。正確には、第三の眼の能力を付加した眷属植物を遠隔で繁殖させることが出来ない。ここら辺がヴァティの『植物操作』のちょっと面倒なところだ。
この能力は、植物であれば自在に操作できるが、それには二通りのやり方がある。こちらからエネルギーを送り込んで操作するか、植物自体が持つエネルギーを消費して動かすか。通常であれば、前者の場合は直接植物に触れる必要があり、後者の場合は更に二通りに分かれる。種の段階から飛逆が育てた植物であれば、遠隔で操作することができるが、そうでない場合は直接接触でしか操作できない。
これがどういうことかというと、飛逆の端末である【眼】付きの寄生植物であっても、その植物自体が保有する以上のエネルギーを要する操作を遠隔では行えないし、その寄生植物が直接寄生している以外の植物からエネルギーを受け取ることもできない。【電子界幽霊】の能力が、離れた端末にエネルギーを送り込むことができないことは、とっくの昔から明らかなことである。逆は可能なのだが。
余程の生命力を持つ植物でない限り、それ自体のエネルギーでは【眼】の機能を維持して情報を飛逆に送ることがせいぜいであり、それ以上のことをすれば枯れてしまう。つまり【眼】を繁殖させることができない。繁殖させようとしたならば、繁殖元の【眼】が枯れてしまい、数は結局増えないということになってしまう。今回も、事前調査で何十という単位で【眼】を枯らしている。現状【眼】付きは使い捨てなのだ。
【眼】が密集していれば、相互接続し、リソース配分によって繁殖も時間をかければ可能だ。けれど高空から風に乗せてばらまいたため、狙って密集させることも難しい。また、密集していても繁殖のためにいちいちコマンド入力しなければならないため、それもまた面倒な話である。これからも定期的に【種】を飛ばせばいずれは解決する問題ではあるが、せっかく直接接触することができる機会があるので、これもついでに実行しているというわけだった。すでに何十万というポイントに【眼】はばらまかれているため、今回の行程で訪れることができるポイント程度では焼け石に水なのだが。
「でもまあ、できればこの大陸の最北端まで行きたいところだ」
陸路だと赤毛狼で移動しても十日近くを見なければならないというのがネックだが、本拠で何事も発生しなければ行き着くことができるだろう。
「なんで?」
「砂漠は仕方ないにしても、寒冷地だと【眼】があっても観察しづらい」
砂漠はごく限定的な植物しか生えておらず、どうしても観察範囲が狭くなる。けれどそればかりは仕方がない。飛逆がそれだけに専念すればどうにかできるだろうが、気候自体をいじらなければ一時凌ぎにしかならない。あまりにも非効率的だし、どこにどんな影響が現れるかわかったものではない。砂漠周辺やオアシスの植生を作り替えて少しずつ進行するしかないだろう。
寒冷地は意外と植生が多いため、観察可能範囲自体は割と広いのだが、雪のために映像での観察が難しい。【眼】が観察するのは映像に限らないので、様々な情報要素から観察できるが、直観的に理解しづらく、情報処理のためにエネルギーリソースも若干ながら圧迫される。【眼】を付けるとその植物の生存率が低下してしまうのだ。
これは飛逆が現地に赴き、数を増やすことで解決できる。つい先ほどやっておいたように周辺の植生そのものを飛逆が支配してしまえば問題はなくなるのだ。
「それでなくても、エネルギーストックを増やしておく分には損もない」
【眼】を付けておけば、無線でエネルギーを飛逆に送ることができる。逆ができればもっと話は早かったのだが。端末側からエネルギーを送ることができるのも、本来的には仕様外なのであり、あまり贅沢は言えない。
「さっきの話に戻るけど、今度はどうするかな」
そろそろ次の人口密集地が近づいてきたので、ヒューリァに窺う。
「わたしが決めていいの?」
「言ったように、割と行き当たりばったりなんだ。というかぶっちゃけあの村以外は具体的にどうするかは決めてない」
あの村はやるべきことがわかりやすかったので計画らしき物を建てただけだ。あの村で後々への布石を打つことは、転移門が開けずともやってしまうつもりだった。近かったからだ。それ以外は、転移門が開けるかどうかが判明していなかった時点で詳細な計画を詰めることのほうが無駄だったのだ。
「ふうん? 因みにどんなとこ?」
「この辺の山岳でも育つイネ類で農作をやってる部族なんだけどな」
「ふんふん」
「農作だけじゃ食っていけないんで村ぐるみで山賊やってる」
「……よくあることだけど、なんでそんなところばっかりなの?」
「北に行けば行くほど焦臭くなるような情勢なんだよ。狙ってる訳じゃない」
疑わしそうなヒューリァに一応否定しておく。
「まだそんなに帝国に近づいてないのに?」
さすがはヒューリァというべきか。しっかり頭に地図は入っているようだ。
「何も帝国だけが戦乱の元じゃない。さっき話に出た砂漠の民族も中々好戦的でな。大抵どっかの近隣国と小競り合いしてるんだ。その煽りがここまで出てきてる――のかどうかはわからないが、まあ山を越えてしばらく行ったらそんな民族のいる砂漠地帯だ」
「関係なくない?」
「それほど長い間観察しているわけじゃないから、正直因果関係はわからん。ありそうだと言える要素は結構あるが。強いて言うなら俺らの行程上に大都市が少ないから、そういう辺境によくある治安問題が見えやすくなってるのかもな」
「まあ、うん。わかった。で、ひさかとしてはそいつらどうしたいの?」
「結局俺が決めるのか?」
「じゃなくて、そいつらって要は、山賊なんてやりたくないのに生きるためにはってやってるんでしょ? そういう奴らを、ひさかはどう思うのかってこと」
「どう思うか、か」
答えづらい。考えたことがないからだ。
全体から見れば社会的に孤立しているからこそ村ぐるみの山賊行為などを行うことができる。つまり村ごと拉致しても問題が発生しづらいということだ。つまり移民を募るという目的には都合が良い。そうしたことは考えている。
けれどそうした連中の置かれた境遇や行いに対してどんな感想を持つのか。
「ちょっと誤解があるから先にそれを訂正しておく」
「誤解?」
「その村の男連中は戦場帰りが多い。略奪品とは思えない武器防具をいくつも保有してる。いわゆる傭兵なんだろう。他に手段は――他の大きな共同体に助けを求めるとか、独自の工芸品を作るとか、輪作をどこかから学んでくるとか――あったかもしれないのに、それを模索しないで略奪行為に走った可能性が高いな」
やりたくないのに、というのはおそらく間違いだ。易きに流れたというのが最も適切な表現だろう。
「……それ、先に言ってよ。戦乱と関係ありありじゃない」
「言ったように、そうなるまでの経緯とかは調べられていないから、憶測に過ぎないし……何より、重要なことだと思わなかったからな」
つまりはその程度。
仮にそうする他なかったとして、飛逆はそこを判断材料としてさえ俎上に上げなかった。
何とも思わない、というのが答えということである。
「どちらだとしても、積極的に欲しい連中じゃない」
〓〓
というわけで、ヒューリァの決定した方針に従って、その山賊村は焼き払われた。
「農作やってるってことは、植物を育てやすいってことだよね。ならそこら一帯、ひさかのエネルギーストックポイントにできるんじゃない?」
そうと決まれば人家など、人の手が入ったそれらは邪魔なだけである。どうせなので肥やしにしてしまおうというのが彼女の方針であった。
「もしこの世界の歴史に俺たちのことが残ることがあったら、俺らの軌跡って意味不明って言われるんだろうな」
作業的にあらゆる人工物を灰に還しながら、ぼやく。
この程度の規模の村であれば一瞬ですべてを焼き払うこともできたが、あえて真正面から姿を現して、誰何してくる山賊を殺し、そこから立ち向かってくる者を丁寧に一人ずつ片付けていって、それから焼き討ちした。
逃亡者を出すためである。非戦闘員である女子供も当然にいたのだが、別にヒューリァは彼らを選択的に生かしておくことを企図したわけではない。実際、戦闘員だと思しき逃亡者を追わなかったし、逃げる者は逃げるに任せた。
事前調査で判明していた親玉はきっちり仕留めたが。
要は欲しくもない人材のためにいちいち気を回すのが莫迦げているというのがヒューリァの主張である。
拠点の制圧、接収、確保。
ただそれだけを目的にすればいい。
無闇に殺戮する必要もないから、立ち向かってくる者だけを殺せばいい。
最初に自分たちの手に掛かった者は、まあ運が悪かっただけの話だ。逃げ遅れた者も同様である。
「そうかな。こういう村ってなんだかんだで正体、知られているもんだよ。飛逆が病人助けたりしているのと、山賊村を滅ぼしたのって、結局一本筋が通るって判断されると思うけど」
「それはそれでなんだかな」
殊更悪漢ぶる気はないが、正義漢ぶるつもりはもっとない。
もしも『倫理的な正しさ』がこの世に存在するとしたなら、それはいわゆる正義とは別の位置に存在するという確信がある。病人の命を救い、道義に悖る存在を倒したからといってそれが善の行いであり且つ正義であると見なされるのは、飛逆の中ではなんだか筋が通っていなくて気持ちが悪いのだ。
この感覚自体が何か筋が通っていないという気もするが、性格なのだろう。
「まあでも、この分だとストックポイントを増やす旅ってことになりそうだな。移民を募るのは別の奴にやらせよう。俺ら二人して、どう考えても向いてない」
共有スケジューラーにこの決定事項を書き込んでいく。ミリスを介してクランから適任が選出されることを期待した。
ストックポイントに眷属用の果実が成る樹を生やしておけば、無駄もない。
ちなみにこの果実を普通の人間や動物が食ってもただの不味い実である。
「あ、やっぱりわたしに決定させたのって試しだったんだ」
当然に見抜かれていた。
「まあな。時間の関係上、俺らができるに越したことはないから」
クランでは転移門を開けないので、移民が決定してからその都度飛逆が赴くことになり、二度手間以上であり、時間のロスも甚だしい。
けれどそうするしかなさそうだった。
「つまり、不正解ってこと?」
「正誤の問題じゃなくて、俺たちはどうあっても『普通の人間』と同じ目線に立てないってことがはっきりしたってことだ」
わかっていたというか、知っていたが。
「クランは違うの?」
「あいつらは、なんだかんだで『普通の人間』の延長線上にいる。俺たちは、隔絶してしまっているってところか」
「よくわかんないけど、わかるっていうか。……なんだろ、これ」
クランも、彼らは元は人間だ。ヒューリァと属性としては同じはずである。それなのにどうしてこうも、隔絶という表現がしっくり来てしまうのか。それが不可解だと、ヒューリァは首を傾げる。
「簡単に言うと、俺たちはこれまで、殺しすぎたんだよ」
生きている他人を見て、殺すかどうか、それが真っ先に浮かんでくる。より正確には、殺してもいいかどうか。
そんな精神構造に疑問を持たないほどに、殺しすぎた。
飛逆は善悪に興味がないが、その概念が必要な場面があることは心得ている。心得ているというより、単に事実としてそういう場面があることを知っているだけで、それを活かすことができるわけではない。どうしたらいいのかはわかっても、どうやったらそれを自分に課すことができるのか、わからないのだ。
移民を募るというこの目的に、自分たちはどう考えても不適格だった。
「そういうものなんだ」
夕焼けよりも赤い炎のただ中で、ヒューリァは感心したように――そこには悲壮の片鱗さえない――頷く。
その拍子に山賊だった男の脆くなった骨がパキンと割れた。
〓〓
突発的な豪雨に見舞われて、ちょうどヒューリァが眠くなっていたので野宿することにした。
流体操作で雨を弾けると言っても、赤毛狼の速度領域では雨は重すぎる。『流体』ではなくなってしまうのだ。当然消耗は大きくなるし、そもそも赤毛狼は水に弱い。ヒューリァを背負い走って進むのも別に苦ではないが、そこまでして旅程を詰める必要もないとして、せっかくなので休んでしまおうということである。
野宿といっても、飛逆が大きな洞の空いた樹を生やしてその中で休むのだ。綿状の高分子ポリマーで洞の中をふかふかにしてしまえば一晩の寝床としては充分に過ぎる。
「なんか、久しぶりな気がする……」
飛逆の首筋から、血が滴る唇を離してヒューリァは呟く。
満足感や陶酔からのそれとは違う、どこか儚い微笑を浮かべたまま、彼女は飛逆の膝を枕に眠り落ちた。
その横顔をそっと撫でる。
確かに、久しぶりな気がした。
「忙しかったから……っていうのは結局、言い訳だからな」
こうした吸血行為を、それほど長い間していなかったわけではない。けれど万が一の時に備えて彼女には飛逆の血を十単位(彼女がその存在維持のために必要な最低限量)携帯可能なようにして渡してある。
ヒューリァが消耗するような場面がここ最近はほとんどなかったために、そもそも給血の必要な機会が少なく、少しでも余裕がなければ彼女への給血を飛逆がサボっていた。保存して渡してあるという言い訳があったからだ。
それでも、前述したように給血機会がなかったわけではない。ただ、なんだか義務的に血を吸われる/吸うという感じがして、居たたまれなかった。もっと突っ込んで言えば、自分たちが一緒にいることの理由を探しているみたいな感覚があった。見失っていたからだ。
一見すると彼女との間には何事もなかったみたいだったから、余計に。今にして思えば、彼女も無理をして『普通』を装っていたのだとわかるが。
内心で、こうなるから彼女を自分の眷属になんてしたくなかったのだと、そんな度し難いことを思ってさえいた。それは自分で『そんなことはどうだっていい』ことなのだと、その口で囁いて、決着していたつもりだったのに、だ。
関係を一旦、リセットしたいという本音が、我ながら醜悪であるという自覚に苛まれていた。
わざと仕事で余裕を無くしていた。眠ることができるようになったというのに、ヒューリァにはそれを伝えることもしなかった。今もしそびれている。
あくまでも後ろめたいことばかりをしていた。それを自覚し、ますます多忙を呼び込み、悪循環だった。
ミリスはそこに付け込んできた。ミリスには悪いが、もしも流されていたら飛逆は決定的な変節を余儀なくされただろう。あるいは致命的とさえ。
今を以ても飛逆はヒューリァを【怪物】にする方法を模索し続けるつもりでいる。
ただ、今はそうしたネガティブな理由で、彼女を【怪物】にしたいのではない。上手く言語化できないが、もっと単純で、やっぱりエゴイスティックなそれだ。
「寂しがり屋……か」
ヴァティが飛逆と自分を指して評したその言葉が、結局は何よりも動機を言い表していた。
眠ることができることをヒューリァに言いそびれた飛逆は、眠るわけにもいかず、どちらかというと夜行性のミリスに念話をかけて、いくつかのことを打ち合わせする。
共有スケジューラには経過報告以外には特に何も書かれていなかったし、緊急であればホットライン(ごく簡単な暗号で通る)であるこの念話を繋ぐことにしているので、事件らしきものが起きていないことはわかっていた。
送った病人は滞りなくハルドーが組織した医局に収容され、飛逆が立てた治療計画を咀嚼した上で彼らが診ることになった。
ただ、そうした『普通の病人』を抱えることで、その医局に対してウリオから物言いが入ったらしい。
〈そんなことをしていて意思甦生研究に滞りが出ないかってことか〉
〈はい~。もちろんヒサカさんに直接言うことは~、彼の立場的にはできないので~、公的議題として上がったわけではないんですけどね~〉
元々ハルドーが医局を組織したのは、ウリオから要請されてのことだ。その組織が本来の目的とは違う事をさせられているということで、ウリオは少々危機感を煽られたのだろう。
〈内心焦ってるんだな、アイツ〉
たかだか二十名程度の、すでに快癒が見込まれている病人が増えたところで、研究開発にそこまでの滞りが出るとは考えづらい。けれど今のところ目立った成果が出ていないことに対して、ウリオは焦燥に煽られているのだろう。飛逆たちにとってはハルドーの【適合係数理論】の発見はそれなりの成果だと思っているものの、やはり地味だ。ウリオにはその価値がわからないし、確かに最終的な目的に対しては迂遠な成果であることは否定できない。
飛逆とウリオでは、優先順位にズレがある。それが端的に表れた一例と言えた。
〈ちょっと慈善的な行動を執るとこれか……やっぱり慣れないことはするもんじゃないな〉
何かしらの影響を考えてはいたが、こんなところに出てくるとは予想していなかった。
〈たかがこんだけのことでそこまで反省しなくても~……〉
〈いや、たかが、じゃない。ウリオは俺の前では弱音に通じる事を見せようとしない。俺がいないっていう気の緩みから出た行動だとすると、これは奴の本音に近いところが垣間見えている。実際は根が深い問題だ〉
〈そ~ゆ~もんです?〉
〈いいたかないが、俺とアイツは思考回路が似通ってる。目的に対して十全な成果を得ようとすれば、一見して迂遠な経路を通らなければならないという道理は弁えているはずだ〉
〈それなのに~、物言いせずにはいられない~と。確かに根は深そうです~〉
弁えているからこそ、その道理を説いても彼は納得しない。今のところその根を掘り出すことさえできそうにない。
〈ハルドーはどう躱してた?〉
〈自分の部下たちの~、教育に~、ちょうどいいから~ってことを言っていたようですね~〉
〈教育、か。やっぱり今のままじゃ無理だってことだな〉
〈あ、額面通りに受け取るんですか~? 単なるウリオへの言い訳かと~〉
〈ハルドーは、確かに俺に妙に擁護的というか、肯定的なところはあるが、ありもしない言い訳でウリオの感情を逆撫でするようなことはわざわざしないだろう。実際に部下たちの教育が必要だって考えてるんだ〉
〈ああ、なるほど~。でも~、医師として人を治すことが使命だという意識から~ってこともありえますが~?〉
〈俺の行動を肯定したのはその理由でも、その言い訳を引っ張ってきた理由はってことだ〉
それは議題には挙げられない、現場の声である。
〈……嫌~な予感がするんですが~〉
〈俺も嫌だが、やっぱり必要だろう。移民をどれだけ募っても、クラン以上の知識層はいなさそうだし、クランでさえ、政治的分野以外は基本脳筋しかない。よって、育むしかない。つまり……教育機関が、必要だ〉
色々とチートで乗り越えてきたというか、跨いで無視してきたが、ついに直視せざるを得なくなった。
わかってはいたのだ。どれだけ急いだとしても地盤がガタガタなままではそこには辿り着けないということを。
――ああ言っちゃった。
と、ミリスから声にならない思念が送られてきた。




