100. 成長することで難しくなる事柄
大神樹の導管に入れたエレベーターカプセルに乗って頂上付近に行き着いた。
なにとはなしにカプセルから出て、雲からも遙か上の風景を臨む。
横に広がる枝の他に雲の波間以外には何も見えない。けれどただひたすらに圧巻な光景ではあった。
試射はすでに何度も行っているとは言っても、そういえば飛逆は自分が飛行機なる物に乗ったことがないということを思い出した。
未経験であることを思い出したというのも奇妙な言い回しではあるが、つまりはその程度には緊張しているということだ。
とはいえ空を飛ぶことが初めてというわけではない。単に、いかに自分の一部である眷属とはいえ、それに包まれた状態で飛ぶということがなんだか頼りなく思えてしまうのだ。普通は逆かもしれないが。
雲を突き抜けるほどの高さには現実感がない。
現実感というよりは、実感か。つい先ほどまでいた地上と離れすぎると、まるでそこは別世界であるかのように錯覚する。実際に地上での環境とまるで違うのだから、別世界というのは誇張ではない。けれど錯覚なのだ。世界という大枠で言えばそこは同じ場所だ。
けれど、こうも思う。
ここはそもそも飛逆にとって別世界だ。異世界。以前いた場所とは地続きでもなければ空が繋がってもない別の場所。
であれば、別世界というのは結局、錯覚ではない、と。
別世界であるかのような錯覚を抱いたことでようやく自分は、この世界が自分にとっての異世界であるということを思い出したのだろう。実感した。
(まあ、そもそも元の世界とここがどう違うのか……異国に突然放り出されるのと何が違うのか……)
確実に何かが違うはずなのだが、それは今のところ、同じ世界の時間と土地を移動すれば同じ程度に違いがあるだろう、というくらいのものだ。
月と塔、そして飛逆ともまた違う世界から召喚された彼女たちを除いての話ではあるが、それさえも元の世界では周知されていないだけで、似たような何かはあったという可能性は否定できない。飛逆の存在自体がその証拠と言える。
唯一絶対的に違うと言い切れるのは、月が二つあり、それがこの土地の上空から動かないというところだろう。月のような巨大な衛星は惑星の自転軸や回転数を初めとして著しい影響を及ぼしているはずなのに、その様態がこうも極端に違いながら元の世界との差異をそれほど感じられないのだから、やはり何かが狂っているのだ。
まあこういうことは言い始めると埒もない。
どこまでも手を伸ばすことができるようになったとはいえ、それを処理する飛逆の認知限界が広がったわけではないのだし、何を以て同一、あるいは相似であるのかという基準(位相)が変更されたわけではない。
不条理なりに筋が通った法則があり、それがもたらす結果が元の世界と非常に相似である。そのくらいの認識に留めておくのが最も楽だ。あるいは召喚される前後で月光か何かによって位相感覚を最適化されたという、最初期から考えていた最もありえる可能性を突き詰めるよりは、ずっと。
「ひさか?」
当然のように隣にいたヒューリァが、窺ってくる。
その声で、飛逆はかぶりを振って感傷を振り払った。
「なんでもない。ただ、ちょっと圧巻な光景だよなって」
「そだね。煙狼に追われてたときのこと、ちょっと思い出した」
ヒューリァは懐かしそうに言う。
あまり良い思い出ではないはずなのだが。
けれど過ぎ去ってみればあの危機的状況も結局は大したことではなかったようにも思う。
そんなものなのだ、きっと。
この感傷もとっとと過去にしてしまおう。
そのための最短距離を走っているつもりでも、とてもそうは思えないのが悩みどころだが。
その悩みも押し込めて、斜め上向きの枝の上に敷かれたレール(電磁カタパルト試作版)の上の種航空機に搭乗する。
ヒューリァも乗せるとなったときから、それなりに中は凝った作りにしてある。具体的には撃ち出すときの衝撃を緩衝するシートを取り付けて、床にはふかふかのカーペットを敷き、前方には外の風景を映し出す大きなモニターを付けた。流体操作で気密管理の隠し機能も付いている。
こうしたことをしているせいでミリスからは「輸送問題って~、転移門開けなくても現地に大神樹を生やせば片が付くんじゃ~」とツッコミをもらっていた。
確かに、ここまで加速度による衝撃を緩衝できるとなれば、普通の人間を乗せてもいいかもしれない。航空機での問題は撃ち出すときの加速度と高高度を飛ぶことによる気圧の減少などだったのだから。
まあいずれにせよ大神樹を生やすためには飛逆自身が赴かなければならない。しかもその建設と維持のためには火山が必須であるという、なんとも破滅的な制限がある。塔下街近辺のように周りに土壌調整が可能な神樹が五万と生えているわけではないので、エネルギーリソースの確保のためにそうせざるをえないのだ。
まあそもそもの話、そんな巨大な樹木を突然他所の国に出現させるなどということをした影響がどこからどう現れるのか読み切れないため、なるべく避けたい。
何はともあれ、ミリスによるオペレーションのもと、航空機は射出された。
電磁カタパルトによる反作用は、多少は緩衝されているとはいっても相当のものだ。
シートの背中が衝撃吸収クッションに埋まっていく。
そして射出されると同時に、後部噴出口の推進剤に着火、更に加速度が増した。
あっという間に大神樹から遠ざかり、慣性に乗った中で息を吐く。緩衝しているとはいってもやはり胸の圧迫感やら何やらは少々きつい。常人が失神せずに居られるかどうかはちょっとわからない。
まあ速度重視で射出したための反作用であり、ここまでしなければいいだけの話ではあるが。
隣のヒューリァを見ると、彼女も呼吸の仕方を思い出すように息を吐いていた。けれどそれだけのようだ。
そうしてから彼女はしばらく食い入るように前方のモニターを眺めていたが、やがて飽きたらしくシートに背中を預け直す。
「つまらないか?」
「うんまあ。どこまで行っても似たような風景だなって。一瞬スゴイって思ったけど、さっき外で直接見たのに比べるとね」
飛逆も似たようなものだ。やはり直接『別世界』を体感するのと、厚い種皮に包まれて気密まで操作された中での間接的な体感とでは比べものにならない。
「じゃ、現地情報をリアルタイムで観察しつつ作戦を立てるか」
元々二刻ほどはやることがないということはわかっていたので、ここで退屈しないために取って置いた話題を出す。
「……なんか、そういうのばっかりだね」
「つまらないか?」
先ほどとは違うニュアンスで訊いた。
少し間が空いたが、ヒューリァはきっぱりと肯いた。
「わたしのせいだってわかってるけど」
「どうかな……」
ヒューリァが言うのは、飛逆が彼女に対するスタンスを決めかねていることの原因が、自分の過去について話さなかったからであり、それがこのつまらなさの理由だと。
簡単に言えばギクシャクしている。まるで意地になって一緒にいるみたいな、そんな感覚が始終付きまとっている。
「元々俺は、唐変木とか言われる類の人格だ。君という恋人にどう接するのが正しいのかってことがわからない。間違いは、なんとなくわかるんだけどな」
だが間違いはいつだってしでかしてからわかるのだ。
このセリフ自体が、間違いだと、言ってから気付いた。義務で『恋人』をしているかのような発言だったということに。
けれど不思議なことに、ヒューリァは微笑む。
「わたしも、わかんない」
飛逆は皮肉っぽく笑い返した。
「君の生い立ちやなんやは、聞いてないけど多少は想像が付く。色恋沙汰とは無縁だったんだろうってことも……要するに同じなんだよな、俺と君は。そういうことの経験はおろか、見聞きしたことさえ少ない」
距離感のはかり方が、お互いにわからないのだ。踏み込むべきか、そうでないのか。
「やっぱり……聞きたい? 話してほしい?」
「この言い方で誤解しないでほしいんだが、正直、聞きたいとは思っていない」
彼女の過去を、聞きたいとは思わない。話してくれるのであれば、聞く用意はあるが、積極的には。
「言葉、借りるとね。誤解しないでほしいけど、わたしも、ひさかに知られたくないんじゃないんだ」
「そっか」
よくわからないが。言いたくないが、知られたくないわけではない。前置きから考えればそう受け取れる。
「ひさかに話したら……楽になっちゃうから、きっと」
「なんとなく、わかる」
「うん、だから話したくない」
飛逆が彼女の心境が『わかる』から、わかられてしまうと、楽になってしまうから。
だから話したくないのだと。
彼女はそれを『過去のこと』にしたくないのだ。
たとえそれが、すでに彼女の中でも過去となりつつあったとしても――言えば楽になると知っている時点で――認めたくないのだ。
「俺はもしかしたら、だからこそ君からそれを聞き出して、楽にさせてやるべきなんだろうけど……」
言うと、ヒューリァは淡い悲しみと軽い諦めを顔に浮かべる。
その顔に手を伸ばして、頬に触れた。
「そんな死刑宣告を受けたみたいな顔しないでくれ」
苦笑いが飛逆の顔に浮かぶ。
「本音を言えば、君が俺自体を拒絶しないなら、なんだっていいんだ」
情けないことと自覚しつつ、本音を吐露する飛逆に、ヒューリァは無言で自分の頬にある飛逆の手を握った。
〓〓
結局何事も無く目的地上空近くまで到達した。
帰りもこの航空機の筐体を使うつもりなので(これだけの大きさの種はさすがに大神樹がなければ生育させるのが手間なのだ)、海上上空で徐々に減速しながら高度を下げて、やがて着水する。
炎の推進力で海上を進み、座礁しないようにだけ気をつけて絶壁に接岸した。
航空機筐体の上部を縦に割って、そこから飛び出し――飛逆とヒューリァは、北大陸に上陸を果たした。
前もって直接感覚していたせいで、特別の感慨はない。亜熱帯気候にうっそうと生い茂る森の中に侵入しても、怪物を怪物たらしめる自体の強固な恒常性が働くために、不快指数も適度に緩和されてしまう。高空ほどの別世界級風景とは違い、ただ木々が生い茂る程度であれば塔下街付近の森と大した変化もない。
それでも湾岸近くの森の中、【眼】の付いた樹の傍で塔下街からちょっとした品を転送させてみて、目の前にそれが現れたときには多少、感じ入るものがあった。実際できると知っていても、こうまで遠距離で実現してみると何とも言い表しがたいものがある。
「さて……随分と月が傾いて見えるもんだな」
「なんか、こっち側のが妙に大きく見えるね」
「あの二つの月は、意外と離れてるってことなのかもしれない」
直下である位置からはそう離れて見えなかったが、角度を付けてみるとこうまではっきり遠近感に差が出る。
「まあ、単なる光の加減かもしれないわけだが。大気が光を歪曲させるから」
「なんか、むずかしい。というか今まで疑問に思ってなかった……っていうか気になってはいたけど、あの月のどっちが……ソレなんだろうね」
「普通に考えれば塔のあった位置の直上にある月になるんだが……あの月たちの間に塔は伸びていて、あの二つの月には塔と同じく空間位相のズレた橋が架かっているかも知れないし、どっちでもないのかもしれない。距離がありすぎて、惑星の中心点から直線を僅かな角度のズレが途方もない誤差になるから、今の俺たちの演算能力でも割り出すのが難しくてな。光量子論とか関わってくるから大きさの測定も実質不可能で、重力は必ずしも同一ベクトルで発生しているわけでもないし公転速度と他の惑星との距離が関係してくる上に、地核も点じゃなくて楕円だろうから」
「うん。何言ってるのかわかんないけど、つまりはわからないってことだよね」
おそろしくざっくりまとめられてしまったが、まあそういうことである。未確認要素が多すぎて惑星シミュレータ規模の演算力があっても予測ができないという話だ。どうして月に直接届かせようとせず、軌道エレベータなどを建設しようとしているのかといえば、その辺りの事情も入ってくるのだが、まあヒューリァに説明しても仕方のないことである。
そうした前置きの会話の後に、転移門を開くことを念じる。
がっくり来た。
「……ダメな感じ?」
飛逆が憮然とするところを察してヒューリァは窺ってくる。
「なんか、手応えというか、塔の中で開いたときと似た感触があったんだけどな」
「あぁ。そういうの、なんか気持ち悪いよね。上手く行ったと思ったのに術が不発だったときってそういう感じだから、わかる」
同意してくれるヒューリァだが、飛逆はそのセリフからちょっとした疑問を喚起された。
「そういう不発だったときって精気というか、つまりはエネルギーは消費するよな?」
「え? うん」
「消費されたエネルギーってどこに行くんだろうな」
「……わたしの場合は、【神旭】を出すまでにエネルギーを消費しちゃってるから。……違うか。そういうこと言ってるんじゃないんだよね、ひさかは。不発だったのに【神旭】が消えちゃう……エネルギーが消えちゃう……」
ここ最近はずっと研究をしてきたヒューリァは、苦手だったはずのこうした技術論的な考え方に理解を示すようになっていた。
「なんらかの現象を引き起こした結果なら、エネルギーが別形態のエネルギーや質量に変換されたってことで理解は出来る。俺の知っている物理法則との辻褄は合わないけど、理解はできるんだ。でも、少なくとも見かけ上は何にも変換されていないのに、消費されたエネルギーが消えるっていうのは……どう理解したらいいか」
「一つは、ひさかが言ったようにあくまで見かけ上のことであって、本当は何かに変換されているって可能性」
「他にあるとしたら、位相のズレた空間に流れて行っている可能性だな。いわゆる異界とか、俺たちの今いる場所とはまるっきり違う空間へ、消えている」
「そんなことってある?」
「俺たちがその証拠だろ。異世界から召喚された。ついでに言うと、精気自体が質量を持たないことの説明にもなる。俺が知覚している精気というエネルギーは、実はエネルギーではなく、エネルギーが通り抜けるときの現象であって、本来的なエネルギーは別の空間に貯蔵されている。その空間では質量として存在している何かがあるとすれば……そこに還元されているってことである程度の説明が付けられる」
「えっと……ごめん、わかんない」
ヒューリァが理解できないのは、飛逆自身が上手く理屈を言葉にできていないせいだ。どう説明したらいいのか、と少し考えたが諦める。
「これは一旦措いて、もう一つ可能性がある。変換された現象を打ち消す現象が同時に行われている場合だ」
飛逆が自分を【吸血】していたように、現象を現象で打ち消していて、それが拮抗していれば、見かけ上『何も起きていない』ことになる。
ヒューリァの例で具体的に言えば、『加熱という現象を冷却という現象で打ち消す』という状態だ。
「狙ってやるのは難しいと思うが、これは検証するのが簡単だ。いつもの二倍以上の消耗があれば、それだとほぼ確定できる」
「でも、『熱くない炎』も出そうと思えば出せるから、その理屈って違うくない?」
「……だな。見えない炎を出すっていう術式じゃなければこの理屈は当て嵌まらないか。炎を出さない術式がたまたまできて、その上熱が出ないっていう二つの要素が重なる可能性のほうが小さい」
検証するまでもなくこの可能性は棄却された。あくまでも小さいというだけで、完全には否定できないが。
「よく考えてみたら狙ってそういう風にしたところで実際に不発だったときのことを証明はできないか」
検証の難しいところだ。
「それに、一旦措いたけど、『別位相空間にエネルギーが逆流している』って可能性が一番高いと俺は思ってる」
適切かどうかはともかく、二番目の仮説を端的に言い表してから、
「っていうのも、【紅く古きもの】の炎が拡散で消える現象が説明できるから。ヒューリァが言ったように、『熱くない炎』が出せる以上、その炎は熱が拡散されても消えないはずなんだ。正確には、炎が消えるのは熱がその炎から拡散したからじゃないってことになる。炎という【形】が消えるのは熱以外の要因が失われたからってことになるわけで、つまり精気から炎になり、炎から【別の何か】になっているんだ」
「ええっと、それって一番目の仮説の説明じゃない?」
「一番目と二番目は並べてみれば二つとも相反しない。【別の何か】に変換されてから【別位相空間】へと流れていくならまったく矛盾しない。変換というか、還元なわけだが。それに便宜上『空間』っては言ったけど、その『空間』は俺たちが普段認識しているこの『空間』と重なっていても矛盾しない。通常物理的な現象に干渉しない『場』があると仮定すれば、それは【別位相空間】と呼んで語弊がない。そして俺は、第三の眼を獲得してから空間を構成する膜なんてものが見えるようになっているからか、空間って重なり合ってできているものなんじゃないかって直観があるんだ」
「……ごめん。ついて行けてないと思う」
「すごく端的に言えば、『触れないだけで確かに在る場』。その【場】に触れるためには手続きが必要で、それが【神旭】だったり、【精気】だったりするっていう仮説だ」
「……えっと、今まで考えていた現象発現までの段階を増やして考えるってことだよね」
「そうだな。更に付け加えると、その【場】は重力の影響を受け付けない。その【場】の中で存在する質量は俺たちが普段触れる場の中には影響しないんだ。素粒子みたいに触れないだけで重力場には影響を与えているのとはまた根本的に違うって前提がないと、突然質量が具現化することの説明が出来ない」
「なんか、少しはこういう話がわかるようになったから思うんだけど、ひさか、わざとわかりにくく言ってない?」
ヒューリァの不審げな物言いに、我に返る。
「わざとのつもりはないんだが……今までが努力してただけで、しなくても聞き手に通じるとなるとどうしても、な。あと俺自身、適切な表現の仕方が思い付かないから仕方ないんだ、わかりにくいのは」
難しいことを難しく言うのは簡単なのだという話である。
「むぅ……。でも大体わかってきたよ。ひさかがこういう風にごちゃごちゃ言うときって、大抵結論が先にあるんだよね。でもあえて訊くけど『それがどうしたの?』」
理屈はともかくパターンを読まれてしまっていた。
なんとなく気恥ずかしさを覚えつつも、促されるとおりに結論を述べる。
「世界が同次元上に在る多重位相空間であると仮定したなら、【魂】もおそらく俺たちが触れられる位相のそれとは違う空間に存在すると考えられる。散々色々言ったが、この仮説自体がすぐさま何かに活かせるわけじゃない」
例えば月光を操る何者かが『影を操る能力』ではないかという仮説に対して有効な根拠の一つになりはするが、それはまた別に検討していくべき事柄だ。
「ここで注目すべきは、不発だったときにもこの過程……エネルギーが引き出され、現象として具現化し、更に変換されて、元の位相空間に還元される、っていう段階を踏んでいると考えるべきか、それともその過程のどこかをすっ飛ばして還元されるという結果に行き着いていると考えるべきか」
「後ろだと思う」
「俺もそう思う。俺らのフリッカー融合頻度を超える速度で現象が具現化されて還元されていると考えるのはちょっと無理があるよな。ならば術式のどこかに不備があって、具現化されるっていう段階が抜けているって考えるべきだ。
俺は今、手応えがあったのに転移門が開けなかった。これも同じ事だと思うか?」
「……勘で悪いけど、なんか違う気がする。っていうのは、術式が間違えるっていうのはありえても、【理】自体が間違っているっていうのはなんか違う」
「じゃあ、間違っていないのに、失敗した場合に考えられる要因は何か。条件を満たしていないからってことになる」
「その条件って、要は月光の強さでしょ?」
わかりきったことをなぜこうも飛逆がしつこく言うのかわからないと言わんばかりで、少しばかり苛立ちが声に含まれていた。
「そうだけど、ヒューリァ。君の術式って、失敗って言ったら不発じゃなくて暴発するんじゃないか?」
「え? うん」
「この場合もそうなるべきなんだ。つまり上手く行かなかったとしても、引き出されたエネルギーに見合った現象が起きなければならない。君の術が不発だったときっていうのは、ある意味で『成功』しているんだ。『すごく上手く失敗した』って言い方になるのかな。想像だけど、君が不発したときって、術のコストを効率化しようとしていたときじゃないか?」
「……そうだけど」
ヒューリァの【古きものの理】とは、彼女の元の世界でもありえないくらい『最適化』されているというのは、以前に聞いていたのでこれは簡単に想像できた。
「じゃあやっぱり、不発は『効率化が行きすぎて具現化の過程をすっ飛ばした』ってことなんだ」
「えっと、大体結論はわかったんだけど、つまり……わたしたちが認識できていないだけで、転移門は開いているってこと?」
「転移門が開いていないとしても、なんらかの現象がどこかで発生している可能性が高いことを示唆している」
「……」
たったこれだけのためにどんだけ迂遠な理屈をこねくり回しているのかこの男は、という目をヒューリァにされてしまった。
「いやうん、すまん。言い訳させてくれ。この理論を君に理解してもらうことで意思甦生開発研究の一助になると思ったからなんだ。そして、ここで転移門が開けているか、もしくは別の現象が発生していることが確認できれば、その理論がある程度証明できる」
意義を説明するが、ヒューリァのジト目は変わらない。
「小難しいことばっかり言うところ、前からそうだったけど……なんかやっぱり、ひどくなってる気がする」
「ひどいって、ひどい言い様だな……」
まあ、楽しい話題を軽快に展開できるような性格ではないことの自覚はあるし、それがヒューリァにとって面白くないのも理解している。面白いと思う人間のほうが珍しいだろうが。飛逆だってわけのわからないことをごちゃごちゃと言われて愉快な気分にはならない。
「その『眼』、付けてからじゃない?」
「思考形態に変化が現れているのは確かなんで、否定はできない」
【電子界幽霊】を取り込んでから、色々と頭の中身を弄くっている。自覚はないが、変化がないというほうがおかしいというほどだ。
「ちょっとそれ、外してみない?」
「気軽に言うけど、脳神経と融合してるから外そうとすればそれなり以上のダメージを受けるんだが」
そもそも外してどうなるというのか。
不満を言いたかっただけなのだろうと飛逆は軽く流す。
「とりあえず、もう一度やってみるから色んな角度から観察してくれないか?」
「わかった」
肯くヒューリァに、合図を送る――と、次の瞬間。
火事が発生していた。
大人しかった鳥たちが悲鳴のように鳴きながら飛び去っていく。どこに隠れていたのか、比較的大きな動物などは火が付いたまま逃げだそうとして、途中で力尽きてそのまま肉の焼ける香ばしい匂いを放ち始め、やがて焦げ臭さに取って代わる。
ヒューリァがやったのだ。全身から爆発的に炎を噴出させて、辺り一帯を炎で巻いた。
「……何してんの?」
現象を理解できなかったのではなく、その意図が不明で、目の前で炎を浴びせられた飛逆は首を傾げた。
「あ、ほらひさか、そっち、火が歪んでる」
飛逆の疑問をまるっきり無視してヒューリァは指でその位置を示す。
とりあえず指された位置を観察すれば、なるほど、まるで空間に生じたスリットのように、縦の細い線に炎が吸い込まれている。
「なんか斜めってるね」
横から見ているヒューリァに言われて観察すると、なるほど、地面に対して垂直ではなく、月と飛逆を結ぶ直線上にそのスリットは開いているようだ。
「うん。なるほど、過激だけど有効な方法だな」
炙り出しと言えば語弊があるが、見えにくいものを発見するためには実に有効な方法だ。
ひとまずヒューリァの功績に対して一定の評価を与えてから、
「でもさ、ヒューリァ。……先に言え」
その方法は、あえて炎でやる意味はまったくなかった。例えば赤毛狼をこの辺り一帯に召喚するなど、色々とやりようはあったはずだ。
焼かれた樹木がどうっ、と倒れるのを背景に、飛逆は肩を落とした。
まるっきり悪びれないヒューリァで、彼女の不満は周囲をはけ口にするのだと、ようやく思い出したのだった。




