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プロローグ ~ヒロインに突然焼かれた件~

プロローグ


 もしも世界を滅ぼせるスイッチがあったらどう思う?


 押したいか、押したくないのかという話ではなく、世界の命運をこの手にしてしまったことを感激するとか、もしくは嘆くとか、そういう話でもない。それはどうでもいい話ではないけれど、設問者である飛逆が言いたいことではない。因みに飛逆だったら感激してうっかり押してしまうに違いないがそれはどうでもいいか。


 ともあれ飛逆が意図するのは、そんなスイッチがどうして存在するのかということに疑問を感じないか、ということだ。


 それは核兵器のボタンというようなものではない。核兵器なら確かに世界を滅ぼせるだろうけれど、それは様々な悪循環を引き起こした結果として滅ぶのであって、そんなスイッチのことではない。文字通りのスイッチ――押すか、捻るか、引くか……ともかくそうしたひどく簡単な手続きで、世界が滅んだという結果に切り替わる(スイッチする)代物が存在したら、ひどく胡乱だと感じないだろうか。


 そんな代物を許容する世界そのものが。


 もちろんそんなスイッチの存在自体が胡乱ではある。これはあくまで仮定の話だ。


 実際、そんなスイッチを飛逆は見たことがないし、フィクション以外で聞いたこともない。

 だが、それと似たような体験はした。


 たぶん何かの地雷スイッチを踏んでしまったのだと思う。それがどんな地雷で、どのような経緯で踏んでしまったのかはまったく定かではないのだが、気づいたら世界が切り替わっていた。


 おそらくは異世界と呼ばれる場所に、本当に瞬きする間に移動していた。


 異世界だと飛逆が考えた根拠は、視界が突然に切り替わった瞬間、明かりを求めて思わず見上げた夜空に月が二つ浮かんでいたことだ。それ以外には、息もできるし苦しくないし、体が重く感じることもなければ軽くもなく、それはもうあまりにも何も見つからなかった。


 そうして思い浮かんだのが、世界破滅スイッチ。


 主観的には世界が滅んだことと大差ない。その主観が継続していることだけが異なると言えた。あるいはこれが死後の世界なのではないかと疑ったほど。


 あまりにも世界の移動に際して――あるいは破滅に際して――『何も』なかったものだから、不安さえも追いつかない。かといって呆然と無感動に陥っていたわけでもなく。


 ここまで寄る辺ない世界に生きていたのかと思うと、いっそ愉快さえ湧いてくる。


 それが飛逆(ひさか)(とりで)という少年の精神性だった。


 他人はそれを自棄とか開き直りと呼ぶ。


 ただ、彼の場合それが常態なのだ。不敵そうな笑みを、飛逆は大抵いつだって浮かべている。


 ともあれ、自棄だろうと開き直りだろうと、唐突に夜の森の中に放り出されてできることなど飛逆にはない。この空間はたまたま月を仰げる程度には開けているが、探索しようにも、この深そうな森の暗闇に分け入るのは勇気を通り越して無謀だ。


 従って――飛逆は仰向けに倒れ込んだ。背の高い草いきれに包まれ、飛逆の体が隠れる。陽が昇るまでは気配を隠して動かないことにしたのだ。


 この世界も夜が明けることがあるのかと多少不安ではあったが、月が二つある以外に特別な違和感がないということから、この世界も太陽か何かの強大な光熱源の恩恵を受けていると楽観するには足りている。自分を包むこの緑がその根拠だ。


 そうしてしばらくぼんやりと二つの月を眺めることだけをしていたのだが、どうしても我慢できずに体を掻きむしりながら上体を勢いよく起こした。


 痒かったのだ。蚊か何かの虫の仕業だ。もしくは押し潰した草花の汁がかぶれを引き起こす類の何かであったのか、とにかく痒くて仕方がない。


 こればかりは耐え難い。飛逆が移動し、どうにかして虫除けすることを決意するのに十分な要素だった。


 そうして顔を上げたのだが、目の前に妙なものがあった。


 人の足だ。


 いや、人なのだろうか。


 飛逆の知る月よりも強い月光の恩恵で、その人らしき影の形はよく見える。そもそも足しか見えないくらい近いせいもあり、その女性らしき脚の面積の半分は赤っぽい色の鱗に覆われていることがわかってしまった。


 飛逆はその脚線をなぞるように視線を上げる。やはりシルエットは女性のものだ。ただしやっぱり鱗が半分ほどを覆っているし、その胸の膨らみは爪のような、あるいはあばら骨のような何かで包まれていた。やはり半分鱗で覆われた腕の肘から背中にかけて、コウモリか何かのような羽が生えて折りたたまれている。


 そうして首の上まで辿り着いたところで、目が合った。


 紅玉のような赤い瞳だ。額から一本の漆黒の角を生やした少女の顔が、見下ろしていた。


 一瞬、呑まれかけた――が、


(あ、やべ)

 その瞳から飛逆は殺意を読み取った。


 だから彼女が腕を振り上げるのを、それが何の予備動作なのかを咄嗟に覚れた。


 案の定彼女はその凶悪な膂力を秘めているであろう腕を、飛逆の頭目がけて振り落としてくる――それを飛逆は斜め気味に頭をかがめて避ける。同時に、開脚し、その開いた脚の間に腕と頭を突っ込み倒立し、腕のスプリングを使って跳んだ。そして足から着地するや体を彼女に向け直しながらバックステップ。要は開脚前転で彼女の攻撃を避けつつ距離を取ったのだ。


 この咄嗟とは思えないほど機敏かつ的確な動きに彼女も驚いたのか、着地してすぐに身構えた飛逆を追撃してこない。


 そんな動きを体現して見せながらも、飛逆のほうも戦慄していた。


 何せ彼女の振り落とした腕のせいで、飛逆がいた位置が爆ぜていた。間合いを広げたのはその意味でも正解だった。紙一重で避けただけでは、今頃この焦げ臭さの原因の一つに、飛逆の体の一部が寄与していたことだろう。


 とはいえ飛逆の戦慄はそれだけが理由ではない。それはどちらかというと小さい方の理由であって、飛逆はあれだけの濃密な気配を発する彼女がいつの間にあそこにいたのかということに驚愕していた。


(あれがコスプレじゃないってんなら、ありゃ竜人ってやつだよな)


 もちろん飛逆の元いた世界にあんなファンタジックな見た目の生物は存在しなかった。というかコスプレだったとして、それではあの爆ぜる攻撃の説明はできない。故に彼女が異世界の存在であると断ずるには吝かではないのだが……しかしいくらなんでも彼女の出現に前触れがなさすぎた。空を見上げていた飛逆が見逃したのだから飛んできたと言うこともない。


(可能性としては、俺に察知できないほど隠密に長けているか、瞬間移動みたいな力を持っているか……あるいは)


 彼女もまた、自分と同じくどこかの世界から移動してきたか。


 悠長に考察していられたのはここまでだった。


 彼女がその端麗な顔からは想像もできないような重苦しい唸り声を上げ始めたからだ。


 そして咆吼が上がったかと思うと――人魂か何かのような炎が彼女の全身から噴き出し、それが周囲を滞空した。


 飛逆は驚きはしない。赤い鱗の竜人なら炎くらいは遣うだろうと予想できたからだ。ただ、困ったことになったとは思った。


(あれ、やっぱり撃ってくるよな)

 と思ったらやっぱり撃ってきた。


 もちろん避ける。高速かつ連続で襲ってくるその火弾を、けれど紙一重でしか躱せない。運動能力にはそれなりに自信がある飛逆だが、足場が悪すぎた。柔らかい草とはいえ、束になると、思う以上に邪魔なのだ。下手に素早く動こうとすると絡まって足を取られる。おかげで足下に着弾する以外の火弾の回避を殆ど上体でこなすしかなくなり、結果、髪やら服やらが焼ける。そもそも掠めただけなのにすごく熱い。頬を掠めたときには片目から無意識に涙が出た。


 背後の森に逃げようにも、飛逆に当たらなかった火弾は背後に着弾し、激しい火柱を上げて逃げ道を塞ぐ。一部に重度の火傷を覚悟すれば飛び越えられないこともないだろうが、そもそも飛逆はこの竜人相手に背中を見せる愚を犯すつもりはなかった。


 跳んで避ける、というのも考えたが、それこそ愚策だ。短い時間とは言え空中では逃げ場がない。着地した瞬間を狙われるのも拙い。だから飛逆は、飛来する火弾の間隙に合わせて、身を沈めて跳ぶための予備動作を行った。

 その瞬間――来た。


(やっぱりなっ!)


 火線が横に逸れた。それは飛逆が跳ぶと見せかけた方向だ。だが飛逆が跳んだのは真正面。


 これまで火弾が飛来してきていた方向。間違えば自ら喰らいに行くような蛮勇。


 はっきりいって賭だった。彼女の狙いが飛逆を横に跳ばせることだという確信があったわけではない。いくつか根拠はあったが、それは予感と呼ぶことさえ憚られるほど薄いそれでしかない。


 何にせよ、この賭に勝った報酬は大きい。元々それほど距離があったわけでもなく、一度の飛び込み前転で彼女の足下にまで戻ることができた。逃げることもできないのなら、飛び道具を持つ相手には懐に飛び込む以外に活路はない。


 だが足下に入れたからといって空気を歪ませるほどの炎熱を纏う相手に素手でどうにかなるわけもない。彼女が飛逆の動きを読み間違えたのにはそこも影響しているだろう。実際飛び込んだ瞬間にはもう肌が灼けてヒリヒリした。乾く目がぼろぼろと涙を出して抵抗する。息を吸えば喉が焼け付きそうだ。


 しかし飛逆には策があった。というよりも、期待だが。


 彼女には明らかに知性がある。空中を狙い撃ちにしようとしたことがその一番の証拠だ。そしてそんな知性――戦闘の組み立て方を知っている者が、自らを出し抜いた者に懐まで飛び込まれたならどう考えるか。


 自らを害する手段を持ち合わせていると、そう考えるに違いないのだ。それは警戒だ。


 警戒したならどうするか。


 攻撃的防御か、回避的防御かのどちらかだ。

 つまり飛逆は彼女を守勢に回らせることを目論んだ。前者ならば攻勢と同じことではないかと見る向きもあろうが、攻勢と守勢ではその威力がまるで異なる。積極的か消極的かの違いは刹那の判断がモノを言う戦闘ではかなり大きい。そもそも戦闘状況に於いて圧倒的攻撃力を持つ側が考えさせられるということそのものが、すでに足枷を嵌めることに成功しているということなのだ。


 様子見などせずにひたすら攻撃されれば飛逆に抗う術などないところを、その植え付けた逡巡のおかげで、振るわれた腕の軌道を、飛逆は完全に見切ることが出来た。それこそ紙一重で余裕を持って避けられるくらいに。


 熱波に灼かれながらもそれを発する攻撃をかいくぐり、彼女の開いた脇を潜り抜けるようにしながら――飛逆はオーバーハンドで振り上げた手で彼女の顔面を鷲摑みにした。


 案の定――その顔はほとんど熱がない。どういう理屈なのか、人差し指と中指の間に挟み込んだ角は熱かったが、このくらいの火傷は我慢する。というかこの時点ですでに飛逆の体は酷い日焼けレベルの火傷だらけで処によっては炭化しているので今更だ。


 飛逆の手を除けようと、反射的に彼女の背が反れる。その瞬間に彼女の膝裏を踵で蹴り飛ばすと、面白いほどあっけなく彼女の体が宙に投げ出された。



 ――ここまで来ればわかると思うが、飛逆にはかなりの戦闘経験があった。


 それが元いた世界の普通だというわけではない。むしろあそこは、少なくとも表面的にはとても平和だった。けれど飛逆の育った環境が普通ではなかった。


 あの家がどんな妄執に囚われていたのか、それは飛逆の知るところではない。所詮はもう潰れた家だ。取り潰されたとも言う。原因は、まあなんとなく察してはいるのだが。


 幼い頃から叩き込まれた徹底的な実戦訓練のせいで、あの家から解放されてからも、染みついた習性が飛逆に鍛錬を欠かさせなかった。


 こうして、酷い痛みに曝されながらも、飛逆は実のところ昂揚していた。


 自らのために使うには、あの世界では見世物になる以外は何の役にも立たないどころか、むしろ邪魔なこの【力】を、思うさまに用いていいという、解放感に、痺れていた。


 あの世界の常識が、嫌だったわけではない。あの妄執の時代に戻りたかったわけでもない。


 ただ、何もなかっただけだ。笑うしかないほど、何も。


 形式上は解放されながら、解放感など微塵もなかった。


 この世界に漂着してきたときと同じだ。


 あっけなく壊れる世界を、ある種の諦観で受け入れていただけ。受け入れたふりをしていただけ。


 ――だから今、昂揚のままに飛逆は解放する。


 彼女の後頭部を、自分と彼女の両方の全体重をかけて地面に叩き付ける。


 普通の人間なら、いや、人間でも、これでは死なない。無力化できない。地面が柔らかい草(すでに灰だが)と土だからだ。よほどうまく行っても意識を一瞬飛ばすくらいの効果しか見込めまい。


 けれどそれは元より承知の上だ。


 欲しかったのは、その一瞬と、彼女に素手で触れているというこの条件だ。


 ――家が取り潰しになった理由。


 それがどうしてなのか、飛逆はやはり知らない。どうして今更、そんなことになったのだろうか。今でも疑問なのだ。


 吸血種の血脈が滅ぼされるのはある種の必然であり……だから飛逆にはこれもどうしてもわからなかったのだ。


 なぜ、自分たちのような異形の【力】を持つ者どもを、家を取り潰すだけで済ませたのか。


 どうして保護と称して飛逆を社会に組み込んだのか。


「俺たちはヒトを喰らう陰仁(おに)なのに」知らず呟いていた。


 飛逆の瞳の虹彩が茶褐色から琥珀色に切り替わる。彼女の顔を掴んだ手を中心に、暗色にして虹色の発光が渦巻いた。一瞬沈んだ意識が浮上するところを摑まえたのだ。


「ぁぁあああああああああああああああああああああああアアアアアアっッッッ――」


 喰らい始めると、彼女の喉が張り裂けんばかりの絶叫が上がった。


 けれどそれだけ。彼女は何一つ抵抗らしい抵抗をできない。というよりこの絶叫は反射的行動だろう。すでに意識はないはずだ。飛逆はすでに【吸血(ドレイン)】を始めている。


 見たこともなく聞いたこともない映像や音や文字が流れ込んでくる。兄はこれをヒトの精気だと言っていた。

 実際、流れ込んでくるそれは飛逆の火傷だらけの体を修復していく。


 吸血種と言っても、文字通り血を飲むわけではない。ただ、結果として『喰われた』者からは血が減っているそうだ。喰らわれ過ぎればまるで血を抜かれたかのように干涸らびて死んでしまう。当然、飛逆はそこにどんな理屈が介在しているのかなど知らない。


 今回は、別に殺すつもりはなかった。殺さない理由も特になかったが、数年間の一般人としての生活で植え付けられた、無為に命を奪ってはならないという『規則』に、どうしてかは理解せずに、従うことにしていた。


 そんなわけで頃合いを見て【吸血】を止めようとしたのだが――


「なんだ?」

 手が離れない。


 それどころか、【吸血】を抑えようとしても、止まらないどころか流入量が加速度的に増していく。


 視点を彼女の顔に固定している飛逆にはまだ見えないが、彼女の末梢から徐々に鱗が剥がれるように、光の粒になっていく。その紅い光の粒が飛逆へと吸い込まれていった。


 焦る。


 殺すことに特別の忌避感があるわけではない。ただ自分の【力】が思い通りにならないことが怖かった。


 訳もわからず、何一つ理由を知らず、自らを取り巻く世界が壊れたときでさえ取り乱すことのなかった飛逆も、自らを制御できないことに本能的な恐怖を覚えた。


 そうして気付く。

 制御できないのは【力】だけでも、それを発動させている右腕だけでもなかった。

 ほとんど全身が動かない。唯一自由になる首から上の顔が、引きつった。


 慌てながらもまともに思考できたのはここまでだった。

 飛逆の中の何かが、どんどん塗りつぶされていく。体どころか思考さえもままならなくなっていった。ただじわじわと蝕まれる恐怖だけが闇雲に噴出する。


「はっ、はは……」


 そんな恐慌に見舞われてもなお、飛逆は笑った。


「ひゃっははっはははははははははははははははははははははははははははははははは――」


 思考がどれだけほつれて絡まっても、やっぱり笑うしかなかったからだ。


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[一言] Q.もしも世界を滅ぼせるスイッチがあったら A.親が死んだら押します
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