6.15 キリング・フィールド(Layer:1, Main Story)
満月を貫くようにセシルが聖剣を掲げる。銀の刀身をなぞって、青白い月光が滑り降りた。
淡々と破滅への呪文を唱えるセシルに、ハノーヴァー公の顔色がはっきりとわかるほど変わった。
「やめるんだ、セシル。とにかく、私の話を聞いてくれ。こんなところでラグナロックを発動したら、何万人が犠牲になると思っているんだ。ロンズヴォーの惨劇を繰り返すつもりか」
その声には、相当な焦りが含まれていた。デイビッドとの死闘のさなかでも冷静さを保っていた男が、あきらかに狼狽していた。
「ロンズヴォー? たしか、デイビッドもそんなことを言っていたな。なにがあったんです?」
マイケルの問いかけに、ハノーヴァー公の苦々しい横顔が答える。
「ひどい裏切りにあった挙句に、エリザベートが消えてしまってね。自制が効かなくなったセシルは、その原因となった人々を許さなかった。たった数分で、数万人の命が失われたよ。歴史上では、大規模な戦闘だったということになっているがね」
いつどこで行われた戦いなのか知らないが、死者で埋め尽くされた荒野の中に静かに佇むセシルの姿が、ありありと思い浮かぶ。そして、ハノーヴァー公がいつか言っていた「大きな厄災」という言葉の重みを、今さらのようにマイケルは思い知った。このまま放っておいたら、あいつはロンドンを滅ぼした悪魔として、歴史に記録されることになるのだ。
「止める方法は、ないんですか」
マイケルの問いに、あるよ、とハノーヴァー公は短くつぶやいた。そして、右手を差し上げる。それと同時に、セシルの身体にいくつもの赤い光点が浮かんだ。
「かろうじて間に合ったな。これがあの子を止める、唯一の方法だよ」
辺りを見回すと、ロンドン塔の壁際やイングリッシュオークの幹の影に、特殊部隊の兵士たちの姿があった。彼らが持つサブ・マシンガンの銃口は、すべてセシルに狙いを定めていた。
「なんてことを……」
あの時――デイビッドに操られていたエミリーを撃てと言ったハノーヴァー公の言葉は、てっきりマイケルを試すためのものだと思っていたのに。
「本気かよ。あいつは、あんたの仲間だろう」
声色とともに言葉づかいも荒げたマイケルに、ハノーヴァー公は憂いに沈んだ顔を向けた。
「私とあの子は、仲間などという言葉で片づけられるような関係ではないよ。それに君は、あの子の恐ろしさを知らない。SASの総攻撃ですら、パルツィバルを展開したあの子には、ほとんど効果はないだろう。だがわずかでもあの子に隙ができたら、それでいい。エクスカリバーを奪還して、私があの子にとどめをさす」
あくまでもセシルへの加害を前提とするハノーヴァー公に、押えていた苛立ちと怒りが向かう。
「さっきから、何を言ってるんだ。あいつには、今までさんざん助けてもらったんだぞ。そんなこと、できるわけがないだろう」
わかっている、と答えて、ハノーヴァー公がため息を落とす。しかし、そのあとに続いた言葉は、マイケルの期待とは正反対のものだった。
「もちろん、君にどうこうしてもらおうとは思っていないよ。私はあの子の後見人であると同時に、人類の守護者でもある。これは、私が負うべき責任だからね」
責任というなら、マイケルもまた社会的な責任を負う者だ。だから、ハノーヴァー公の立場もある程度は理解できる。しかしそれでも、やろうとしていることは、容認できるものではなかった。
「だからって、そんなことじゃ市民や町は守れても、あいつを救えないじゃないか。デイビッドの起こした事件で、俺は十五年前に妹を、そして今回はエミリーを失った。もう、誰にも犠牲になってほしくないんだ」
ハノーヴァー公が、眉をひそめて首を横に振る。
「もはや個人的な感情を優先させている状況ではないし、そんな余裕もないのだよ。あるいはこれが人類の最終的な敗北につながるとしても、私は課せられた責務をいまここで果たさねばならない。……もっとも、この作戦が成功するとは限らない。もし私が倒されたら、そのときは君にあとを任せる」
――どうして、そうなってしまうんだ。
このままではどちらに転んでも、彼女に救いはない。エミリーを守ると言っておきながら、俺は今までなにもできなかった。ここでまた手をこまねいていたら、一生後悔することになる。
マイケルは、今にも駆け出そうとするハノーヴァー公の前に、立ちはだかった。
「あんたはガーディアンとやらかもしれないが、俺は警察官だ。犯罪行為は、未然に防止しなければならない。俺はあいつを加害者にも被害者にも、するつもりはないぞ」
吐き出した言葉に、嘘も偽りもなかった。だが……。
「言うはやすし、だよ。なにか策でもあるのかね」
問い返されて、マイケルは口をつぐむ。マイケルが思いつく程度の策で事態が打開できるのなら、とうの昔にハノーヴァー公がそれをしていただろう。
黙り込むマイケルをあざ笑うように、セシルの詠唱が聞こえてきた。
「彼の剣に秘めし力を解き放つ……」
流れるようなその詠唱が、なぜか掠れて途切れた。
セシルに目を向けたマイケルは、その足元を見て息を呑む。滴る鮮血が、芝生に赤黒い血だまりを作っていた。放っておけば、失血死してしまいかねないほどの量だ。デイビッドを斃した斬撃で、傷口が広がったのかもしれない。
「やめろ。もう、やめてくれ……」
マイケルの口をついて出た言葉は、ハノーヴァー公に向けたものだったのか、あるいはセシルに向けたものだったのか。だが、そのどちらも、マイケルの声に耳を傾けようともしなかった。
「終末をもたらす炎よ、ユグドラジルを焼き尽くせ……」
セシルの詠唱に、苛立ちを露わにしたハノーヴァー公の声が重なる。
「そこをどきたまえ」
進退に窮したマイケルの脳裏に、タワーブリッジでエミリーが告げた言葉がよみがえる。
『わたしは、あの子を、あなたたちを、そしてこのロンドンを守りたい。それは、わたしに課せられた責務であると同時に、最後に見つけた希望でもあるの』
その身を賭して、残された貴重な時間を使って、エミリーは最後まで彼女の大切なものを守ろうとしていた。それをあいつ自身ともいうべき存在によって台無しにされ、あまつさえ同士ともいえる男によって抹殺されようとしている。あいつはいったい、なんのために生きて、なんのために消えて行ったんだ……。
そう思ったとき、マイケルの感情は一気に沸騰して、爆ぜた。
そしてそれは、怒鳴り声となって吐き出された。
「いいかげんにしろよっ」
その気迫に押されたのか、ハノーヴァー公の足とセシルの詠唱が、同時に止まった。
マイケルはセシルを睨みつけたまま、彼女に向かって足を踏み出した。右足の痛みは気にならなかった。
歩を進めるごとに、熱いものが腹の底から湧きあがってくる。
ハノーヴァー公の制止も、もうマイケルには届かなった。




