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5.7 キングスクロス発8時50分(Layer:2 Side Story)

 ロンドン市内の地下に縦横無尽に張り巡らされた地下鉄は、市内の移動に便利な交通機関だ。

 しかし、その路線の多くは古いシールド工法でつくられており、円形のトンネルの直径は四メートルにも満たない。「チューブ」という異名を持つ、この細いトンネル内を走るために、車両も小さくて狭いものになっている。身長が高い者は、頭が出入り口にぶつからないように気を付けなければならないし、シートに座ったら、向かい側のシートの客に足がぶつからないように縮こまっていなければならない。

 小さな車両に多くの乗客がいるので、その混雑は著しい。この日も、車内は移動するのも難儀なくらいに混んでいた。キングスクロスを発車した地下鉄ピカデリー線の車内で、ビジネスバッグとハンドバッグに挟み込まれたビリーは、いまいましげに舌打ちをした。

 ――警備員の次は、ボディガードの真似事かよ。

 目の前には、浮かない表情をしたステファニーがいた。ビリーがシトラスシステムズ・ラボラトリー社に転属になった日に、あれこれと所内の注意事項を説明してくれた女性だ。目の覚めるような美女だったが、新世代の無線ネットワーク用のオペレーティング・システムをほぼ一人でプログラミングしてしまうなど、その才能は常人の域を脱している。いわゆる天才というやつで、その容姿と相まって近寄りがたい存在であった。

 そのステファニーが、突然、三日間の無断欠勤をした。その間に、なにかの事件に巻き込まれたらしく、今日から護衛付きで通勤することになったのだ。あるいは、それは表向きの口実であって、ヘッドハンターとの接触を抑止するという効果を狙っているのかもしれない。

 軍から派遣されたいかにも強面の自分が護衛に付いたという時点で、ビリーはそんな想像を働かせた。

 加速した電車が、ホームを出てトンネルに突っ込んだそのときだった。

SAS(陸軍特殊部隊)だ。全員、この車両から退避しろ。繰り返す、全員、隣の車両に退避しろ」

 突然、聞き覚えのある怒鳴り声がした。

 ざわつきながら隣の車両に移乗しはじめた乗客たちの合間から、ビリーの目にそのシーンがとびこんできた。

 一人の男を、三人のSAS隊員が取り囲んでいた。

 囲まれている男は、いかにも風体の良くない若者で、安っぽいTシャツにすり切れたジーンズを履いていた。その手にはペットボトルほどの透明な容器を持っていて、その顔には歪んだ薄い笑いを浮かべている。

 囲んでいる側は、三人とも窮屈そうなスーツ姿だったが、指揮をしている人物を見たビリーは驚愕する。

「エディじゃねえか」

 愛嬌のある口ひげをひくつかせながら、エディは携帯電話のような無線機に向かって怒鳴る。

司令部(ハーフバック)、こちらライトフランカー。敵のバックスに接触し、ヨモギの所持を確認した。これより奪還(ターンオーバー)を試みる」

 多くの乗客には意味がわからないだろうその暗号通信だが、ビリーにとっては事態を把握するのに必要十分だった。

 ――第二次作戦(セカンドステージ)かよ。こんなところでっ。

 一人の隊員が乗客を隣の車両に誘導しながら、エディともう一人の隊員は男を牽制する。

「おとなしく投降しろ。とにかく、それをこちらに渡すんだ」

 エディの勧告に、その男は透明な液体の入った薄いガラスの容器をかざして、にやりと笑った。

「そんなにムキになるなよ。俺は、知ってるんだぜ。こいつは、訓練用のフェイクなんだろ」

 男は余裕綽々だが、エディの顔には困惑の色が広がる。どうやら男は、なにも知らないままに、それを持たされていたようだ。

「俺は、これをここでぶちまければ、十ポンドのバイト代が貰えるんだ。じゃあ、やるぜ。訓練ご苦労様っと」

 男が、容器を振りかざす。

 ビリーは、目前で呆然としているステファニーの腕をとって引き寄せる。小さな悲鳴と抵抗があったが、かまわず抱き留めると大声を上げた。

「みんな、逃げろっ」

 押し合い圧し合いしながら、それでもなんとか隣の車両に移動しおえたビリーの耳に、パンパンという乾いた銃声と、何かが割れるがしゃんという音が聞こえた。

「ミッション失敗。焼却処理っ!」

 再びエディの大声が響く。

 ビリーが連結部のドアを手荒く締め切ると同時に、銃声とは比較にならないほどの爆発音がした。

「伏せろっ!」

 ビリーは、そう叫ぶと、ステファニーに覆いかぶさるように床に押し倒した。

 エディたちはセカンドステージの任務中だから、万が一のときの焼却処理用に、携行焼夷手榴弾を装備しているはずだ。アルミニウムと酸化モリブデンのナノ粒子混合物に特殊な触媒を加えた、ナノテルミットEX爆薬を装填した焼夷弾で、半径三メートルの範囲内を六千度の爆炎で二秒間焼却する。当然、こんな場所で使用するような兵器ではないが、幸いなことに爆風の威力が低いので、モノコックの地下鉄車両なら破壊されずに持ちこたえるかもしれない。

 ビリーの背中に、割れたガラスの破片が降り注ぐ。そして、空気が一気に熱を帯びた。

「息をするな」

 腕の中のステファニーにそう言うと、ビリーはむき出しの首筋と腕を焼くような痛みに耐えることに専念した。

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