表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/73

5.5 不本意な結末(Layer:1, Main Story)

 

 緑の色を濃くしたパークレーン通りを、人々が足早に歩きすぎる。窓の外に広がる見慣れた通勤風景をぼんやりと眺めながら、マイケルは欠伸をひとつかみ殺す。

 昨夜は、あまり眠れなかった。考えがまとまらず、悶々としたままで夜が明けた。それでもマイケルは、いつものようにエミリーを出迎えに来ていた。エミリーとどう接すればいいのかわからなかったが、まだ任務は解かれていない。そうである以上、ここはプロフェッショナルとして対応するしかないと思った。

 ――それにしても、遅いな。

 マイケルは腕時計を確認する。いつもなら、もう学校に出かける時刻なのに、エミリーはラウンジに現れない。

 痺れを切らせたマイケルは、ラウンジを出てフロントに向かう。朝のチェックアウト客への応対で、フロント係は忙しそうだった。

「ミス・フォアエスターライヒの部屋を、コールしてくれないか」

 マイケルの言葉に、フロント係の若い男性は不審げな顔を返す。

「フォアエスターライヒ様は、昨夜チェックアウトされておりますが」

「はあ?」

 意外すぎる返答に、マイケルは思わず間の抜けた声を上げてしまった。隣で手続きをしていたスーツ姿のビジネスマンが、怪訝な顔でマイケルを見る。だが、そんなものは無視して、マイケルはフロント係に詰め寄る。

「チェックアウトしたって、どういうことだ」

「私どもも、お客様のご都合までは承知しておりませんので」

 フロント係の言葉は、もっともだった。

「どこに行ったか、わからないのか」

 マイケルは食い下がったが、それ以上の情報は得られなかった。もしやと思ってエミリーに持たせていた携帯電話を呼び出しても、電源が入っていないか電波の届かないところにある、という自動応答メッセージが繰り返されるだけだった。

「エミリー、どういうことだよ……」

 そんなつぶやきが、無意識に漏れた。そして、マイケルはあることを思い出して、愕然とした。昨夜、別れ際にエミリーはなんと言っていた?

『……それじゃ、さよなら』

 いままでずっと、『また、明日ね』ではなかったか。さよならって、そういうことかよ。ずいぶん、あっけないお別れじゃないか。

 思えば、このホテルのラウンジでエミリーと対峙して、期限付きの警護依頼を受けてから、ちょうど一週間が過ぎていた。一連の出来事を思い出しても、それはたんなる偶然のように見える。だが……。

 ――まるで計ったかのようだな。

 すべては、誰かの書いた筋書きだったのではないか。マイケルの心に、そんな疑問が湧きあがった。


 オフィスに出勤したマイケルを待っていたのは、部長からの呼び出しだった。用件の見当はついていた。

 扉をノックして、部長のオフィスに入る。部長は、飲んでいたコーヒーのカップを机に置くと、デスクの引き出しから一枚の書類を取り出した。そして、その書類に目を通すと、低い声で読み上げた。

「マイケル・ステューダー警部補。現時刻をもって、エリザベート・フォン・フォアエスターライヒへの警護任務を解く。以後は、別命あるまで通常業務に戻れ」

 やはりな、とマイケルは思う。

「ごくろうだったな。今朝早く、オーストリア大使館から連絡があったそうだ……」

 部長は、そう告げたあと、コーヒーをひとくちすすった。

「で、どうなんだ、彼女とは」

「はっ?」

 マイケルは、その言葉の意味をはかりかねる。

「ごまかすなよ。おまえの顔に、はっきりと書いてある。エリザベート嬢のこと、気に入っているんだろう?」

 そう言って、部長はにやりと笑う。

「昨日だって、さっさと帰ったと思ったら、プリムローズ・ヒルにお出かけだったそうじゃないか。どうせ、こっそりデートしていたんだろう。これで、おおっぴらにつきあえるじゃないか。よかったな」

 マイケルは、返す言葉を失う。言われてみれば、たしかにそのとおりだ。だが、俺がエミリーを好きになったことを部長が既成事実として認識しているなど、いくらなんでも話が出来すぎていないか。まさか、スコットランドヤードもグルになって、俺を嵌めていたんじゃないだろうな。湧き上がった疑問を確かめるために、マイケルはあえて部長に詰め寄ってみた。

「そんなことより、キングスクロスの事件と、連続通り魔殺人事件の捜査はどうなったんです? それに、昨夜のプリムローズ・ヒルの事件、ステファニー……いえ、犯人は出頭してきたんですか」

 マイケルの剣幕に、こんどは部長のほうがきょとんとするように目を見開いた。

「おまえ、なにを言っているんだ。そんなもの、もうとっくに解決しているじゃないか」

「解決したって、どういうことです」

 心底驚くマイケルに、部長は、やれやれという素振りで説明を始めた。

「色ボケしているおまえにもわかるように説明してやるから、しっかり聞くんだぞ。まずエリザベート嬢だがな、彼女はオーストリア領事館の駐在武官候補生で、特別な訓練を受けるために我が国に来ていたんだ。ずいぶんと優秀な娘でな、欧州連合軍が開発中の近接戦闘支援兵器のテストも兼ねて、テロリスト掃討の特殊任務に就いていたそうだ。言うまでもないが、ハノーヴァー公爵が陰の責任者ということだ。テロリストどもの内輪もめによるリンチ殺人が、連続通り魔殺人事件の真相。それから、そのテロリスト掃討作戦が、キングスクロスとセントジェームスパークの事件の真相だ。おまえにも、レポートは回したはずだぞ。そのぶんじゃ読んでもいないようだが。昨夜のプリムローズ・ヒルの事件も、作戦行動を行う旨の事前通達が陸軍からあったからな、我々がやったのは事後処理だけだ。……まあ、怒らせたらおっかない娘だろうが、おまえならお似合いなんじゃないか?」

 部長は、冗談めかして話を締めくくった。

 よくできた作り話だと、マイケルは舌を巻く。犠牲になったアリシアは、お嬢様学校に通うごく普通の少女であって、テロリストとはなんの関係もないだろう。そんな事実すら簡単に捻じ曲げてしまうとはとんでもない豪腕だが、イギリス軍を手足のように使うことができるローゼンクロイツ騎士団なら、その程度の情報操作も可能ということだろう。

「彼女とは、なんでもありません」

 マイケルの答えは、すこしぶっきらぼうだった。部長が、意外そうな表情を浮かべる。

「なんだ、うまくいっていなかったのか」

 それで、マイケルはすべてを納得した。俺たちスコットランドヤードにつきまとわれて困ったローゼンクロイツ騎士団は、俺がエミリーに近づいていることを逆手にとったのだ。彼女に目立つ行動をさせ、こちらの注意を引きつけておけば、自分たちは動きやすい。そして、頃合を見て俺とエミリーが別れるようにすれば、ついでにスコットランドヤードも切り捨てられて万々歳というわけだ。ボディガードがお姫様に惚れたものの、任務の終了と同時にサヨナラとなる。安っぽい恋愛映画みたいな筋書だが、脚本と監督が国家レベルの連中では、役者ふぜいが台本に注文をつけられるはずもない。

 エミリーとのことは後味の悪い思い出になってしまったし、なにより二ヶ月に亘って追いかけてきた『連続通り魔殺人事件』の真相も、掴みかけたかに見えた十五年前の『連続無差別殺人事件』の真相も、偽装と隠蔽という分厚いベールの彼方に追いやられてしまった。あらゆる意味で、不本意な結末ではあった。だが……。

 ――時間切れ、ということか。

 マイケルは、悔しい気持ちを押し殺すように、自分にそう言い聞かせるしかなかった。


 その日の午後、ロンドン・サミットが開幕した。G8と呼ばれる八つの大国の首脳が一堂に会する政治イベントで、ロンドンは厳戒態勢に入っていた。マイケルの属する特殊作戦部も、ほぼ全員が警備に刈り出されることになった。今朝まで単独任務に携わっていたマイケルにも、テロリストの襲撃からサミット会場を守る警備チームのリーダーの任務が言い渡された。

 サミットの会場になっているホテル『ザ・サヴォイ』は、政府関係者や報道関係者に私服制服の警察官であふれかえっていた。

 マイケルは、久しぶりに復帰した「現場」の張り詰めた空気に、懐かしい手ごたえを感じる。まずはこの大イベントを無事に乗り切るために、全力を尽くそうと思う。

 メンバーとのブリーフィングを兼ねて、ラウンジ『テムズ・ホワイエ』のテーブルに着く。そこには簡易なアフタヌーンティーのセットが用意されていて、サミット関係者の身分証を提示すれば食事をとることができた。

 左腕のスピードマスターを見ると、時計の針はちょうど十二時を指していた。エミリーにすっぽかされたせいで朝食はとっていなかったから、マイケルはいつになく空腹だった。ティースタンドからBLTサンドイッチを手にとってかぶりつき、ベーコンの間から飛び出したトマトの果汁に濡れた口元を手の甲で拭う。

『行儀が悪いわね。ナプキンを使いなさい』

 ふと、エミリーの声が聞こえたような気がして、マイケルはどきりとする。そして、声の主がどこにもいないことを確認して、ひとつため息を漏らした。

 部下たちに囲まれているというのに、自分のまわりがやけに広かった。そこにあるべきものがないような、物足りなさを感じる。今まで、何人もの女性と付き合っては別れてきたが、こんなふうに感じたことはなかった。

 ――エミリー……か。

 彼女は特別だった、そう認めざるを得ないだろう。だが、それももう過去形でしか語れない。普通の関係を築くには、二人とも背負ったものが大きすぎたし、立っている場所も違いすぎた。セシルの言葉ではないが、こういう結果にしかなりえない二人だったのだ。

 マイケルは、こみ上げてくるせつなさを飲みこむように、サンドイッチを紅茶で胃袋に流し込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ