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4.11 ミッション・インポッシブル(Layer:1 Main Story)

 

 エミリーをホテルに送り届けてオフィスに戻ったマイケルを、特殊作戦部長からの呼び出しが待っていた。

 重厚な木目のドアをノックして、部長のオフィスに入る。

 思えば、ここのところずっと、この場所ではいい話を聞いたことがない。案の定、マイケルの顔を見た部長は、にやりと笑った。

「おまえに、いろんな意味で、いい知らせがある」

 部長は、笑いを浮かべたままで、そう切り出した。

「間もなく、おまえの任務はすべて終了するだろう」

 マイケルは、ついに来たかと思った。なぜ、それがいい知らせなのかと思ったが、考えてみれば、部長にはエミリー護衛の任務では、文句しか言っていない。

「いつごろですか」

 内心の動揺を隠して、マイケルは聞いた。

「そうだな、明日か明後日というところだ」

 ――そんなに早く、なのか。

 いつかはそうなると思ってはいたものの、いざそれが現実になると、マイケルは予想以上に動揺した。目の前で話している部長の顔が小さく見え、声は遠くに聞こえた。エミリーと過ごした日々の出来事が、スライドショーのように脳裏に浮かんでは消えた。

 俺は、エミリーに恋をしてしまったのだ。それも、もうどうしようもないくらいに。その感情は、警察官と被警護者の間にある一線を、すでに踏み越えてしまっている。プロフェッショナルとしては褒められたことではないが、エミリーへの捜査はすでに打ち切られているから事件の容疑者ではない。今は、スコットランドヤードの警護を受けている一民間人に過ぎず、警察官のマイケルと恋愛関係になったとしても、なにかの支障があるわけではない。

 それに、連続無差別殺人事件や連続通り魔殺人事件も、解決したとは言い難い状況だ。おそらくこのままなら、迷宮入りになるだろう。あるいは、エミリーたちの手で、その真犯人は誰に知られることもなく処分され、闇から闇へ葬り去られるのかもしれない。できることなら、せめてその犯人がどういう者なのかだけでも知りたい。そのためにも、エミリーとは一緒にいる必要がある。

 もっとも、事件の決着がついても、エミリーがローゼンクロイツ騎士団とやらを脱退しないかぎり、俺と結ばれるハッピーエンドなど望むべくもない。彼女と一緒に未来を歩んでいくことは、さながら絶望的(ミッション)な任務(インポッシブル)のようなものだった。

 いずれにしても、俺には、エミリーと別れるという選択肢はない。けれど、エミリーの方はどうなのだろう。俺との関係を進める気持ちは、あるのだろうか。それとも、そんな選択肢はないのだろうか。

 いくら考えても、答えは出そうになかった。ただ、ひとつだけはっきりしていることはある。エミリーに気持ちを伝えれば、応えてくれるにしろ、断られるにしろ、もう今の関係ではいられなくなる。何も告げずにいたとしても、もう間もなく俺とエミリーは一緒にいられなくなる。どちらにしても、この関係は、いつまでも続くものではない。だとすれば、二人の関係が変化するきっかけが、能動的か、受動的かだけの違いではないか……。

 マイケルは、はっとした。答えは、最初から決まっていたのだ。そうとなれば、悠長に部長の話を聞いている場合ではない。

 マイケルは決心した。これからすぐに、エミリーに会うんだ。そして、俺の気持ちを伝えよう。彼女の気持ちを、確かめよう。

「エリザベート・フォン・フォアエスターライヒへの警護延長に関する任務も、同時に終了することになるだろう。よかったな、これで……」

「部長、用件はそれだけでしょうか」

 マイケルは、まだなにか言いたげな部長の言葉を遮った。

「ああ、それだけだが」

「申し訳ありませんが、急用を思い出しました。失礼します」

 そう言い捨てて、そそくさと部長に背を向ける。

「おい、回しておいたレポートは読んだのだろうな?」

 背中越しの部長の言葉は、すでに耳に入らなかった。


 椅子の背もたれに引っ掛けておいたジャケットを掴んでオフィスを飛び出し、携帯電話でエミリーの了解をとりつけてからホテルに向かう。午後五時すぎとはいえ、真夏のロンドンではまだ陽も高く、夕方という雰囲気はない。

 ドーチェスター・ホテルのラウンジ、ザ・プロムナードに入り、店内を見渡す席でコーヒーを注文した。

 マイケルは、ひとつ深呼吸をして、はやる気持ちを抑える。

 窓の外のパークレーンを行きかう人々を眺めながら、マイケルは今からなすべきことに思いをめぐらせた。いろんな意味で準備不足だが、しかたがない。とにかく、やれることをやるだけだ。

 そんな結論に達したところで、ゆったりと歩いてくるエミリーの姿が見えた。

 エミリーは、半袖の白いアンダードレスの上に、ローズピンクのゆったりとしたタブリエを着ていた。薄い青色のバラの柄が大胆にあしらわれたエプロンの裾からは、バニラ色のシフォンフリルアンダースカートが顔を覗かせている。裾やストラップを飾る白いレースと、合わせの編み上げとウエストのベルトループに結ばれた水色のリボンが、本来なら家事着のはずのタブリエを上品なドレスに仕上げていた。

 マイケルの前に座ったエミリーは、見開いたオッドアイの目尻に、穏やかな笑みを湛えて口を開いた。

「お待たせしたかしら?」

 その言葉遣いは、いつものエミリーだった。そのことに一安心したマイケルは、慌てて首を振る。

「いや。俺が早く着いてしまったんだ」

「そう。それで、ご用はなにかしら。また、大事な話でも……」

 皮肉を言いかけたエミリーを、マイケルは強い口調で制した。

「エミリー」

 話の腰を折られたエミリーは、きょとんとしてマイケルを見ている。

「今から、俺とデートしよう」

 デートという部分に、あえて力を入れて、マイケルは言い切った。その言葉に驚いたように、エミリーの肩が震えた。肩口のリボンが、その動きに合わせて小さくお辞儀をする。

 エミリーは、少し間を置いたあと、ぼそりと言った。

「どういうつもりなの?」

「おまえとデートしたいんだ。いいだろう?」

「あいかわらず無礼な人ね。そんな誘い方ってないわ」

 不機嫌そうに文句を言うエミリーにはかまわずに、その手をとって席を立たせる。

「いいから。とにかく、付き合えよ」

「なんて、強引な人……」

 エミリーはそう口答えをしがらも、抗うこともなく椅子から腰を上げた。


「いつまで、手をつないでいるつもりなの」

 地下鉄の駅に着いたところで、エミリーがぼそりと言った。

「あっ」

 マイケルは、われにかえった。

 エミリーを連れ出すことに夢中で、ホテルのラウンジからずっと、手をつないだままだった。なりゆき上、彼女の許可を得ていないのはしかたがないが、必要以上に強く握っていたようだ。

 とりあえずは、謝るしかない。

「ごめん、痛かったか」

「痛くなんか、なかったけど……」

 エミリーはそう言うと、ほうっとひとつ、ため息をもらした。

「ほんとうに、自分勝手で失礼な人だわ。わたしの都合なんて、どうでもいいのね。レディをこんなふうに扱うなんて、どういう教育を受けてきたのかしら」

 しかし、そう言いながらも、エミリーは怒ってはいないようだった。勝手に手をつないだことも、咎めなかった。

「でも、いいわ。ねえ、帰ったりしないから、手を離してもらえるかしら」

 そう言われて、マイケルは手を離す。

 エミリーは、唇に指をあてて、首をかしげた。

「えっと、デートのお誘いなのよね?」

 あらためて確認されると、マイケルは戸惑ってしまう。しかし、ここまできて誤魔化せるわけもないし、そんなつもりもない。

「そうだ」

 エミリーが、正面からマイケルをじっと見つめてきた。オッドアイの青い瞳に引き込まれそうになりながら、マイケルもエミリーに向けた眼差しに熱を込める。エミリーはやがて、なにかに納得したようにうなずいた。

「お断りする理由もないし、ご一緒させていただくわ」

 マイケルは安心するとともに、もう一度、決心を固める。ここから先は、もう引き返せない道だ。

 エミリーはポーチから携帯を取り出して、どこかに連絡をした。ドイツ語で短い会話を交わすと、携帯の電源を切ってポーチにしまった。

「これで、邪魔は入らないわ」

「いいのか」

「ええ。じゃあ、エスコートをお願いね」

 エミリーが、タブリエの裾をつまんで丁寧にお辞儀をする。まるで初めてデートにでかける少女のように初々しいその姿に、張り詰めていたマイケルの心がふわりと緩んだ。

 

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